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サクリャクカの敗北

作者:南野 雪花
 気持ちの良いくらい澄んだ音が鳴り響いた。
 放課後の教室。
 カーテンを揺らすそよ風。
 茜色に染まった風景。
 そして、赤く手形が印刷された頬。
「…………」
 佐伯愁(さえき しゅう)は、たったいま、恋人が飛び出していったドアを無言でみつめていた。
 整えない前髪、やや女顔だが愛嬌のある顔立ち。
 平均よりごくわずかに低い身長。
 まあ、どこにでもいるような男子高校生である。
 恋人の名を、峯崎麻紀(みねざき まき)という。
 ともに高校二年生である。ついでにクラスメイトでもある。
 さらにいえば、つきあい始めて一年ほどが経過している。
 もっといえば、いまだに清い交際であるらしい。
 交際して一年もたつのに肉体関係を結んでいないのは、イマドキの高校生にしては遅いのではないかという説もあるが、こればかりは個人差もあるし、信憑性のある平均値が算出されているわけでもないので異常とはいえない。
 そもそも、健全な交際をしていて、けなされるスジはないだろう。
 ただれているよりも、よほどマシではないか。
 ただ、男女の関係というものは、双方の合意があってはじめて成り立つものである。そうでない場合は、どちらかの一方的な犠牲、あるいは我慢を要求するものなのだ。
 そしてここに、一方的なニンタイを強いられている男の子、つまり、愁がいた。
「麻紀チャン、ひどいよ……」
 愁は、置き去りにされた子犬のような表情でつぶやいた。
 なんとも情けない表情であるが、置き去りにされたという状況自体が情けないので、これは仕方がない。
 ことの経緯は単純、というか、ありがちであった。
 愁と麻紀は、放課後だというのに帰ろうともせず、教室で雑談を楽しんでいた。
 時間の経過とともに、二人の話は盛り上がっていった。
 色を変えていく夕日の美しさにも後押しされて、愁は麻紀の唇を奪おうとした。
 ロマンチックな雰囲気だったので「いける!」とでも思ったのだろう。
 だが、結果はこのていたらくだった。
 麻紀の平手が炸裂し、愁はポツンと教室にたたずむ、という、青春映画のワンシーンのような結末を迎えてしまったのである。
「なにも悪いことしてないのに……」
 愁が独白(ひとりごと)を続ける。
 大間違いである。
 なにも悪いことをしていないのならば、殴られるはずはない。
 結果として殴られているわけだから、悪いことをしたのだ。
 この場合、客観的な善悪は関係ない。麻紀の嫌がることをした時点で、愁の負けは確定なのである。
「……愁、ちょっといいか?」
 少し考えてから、私は愁に声をかけた。いささかお節介だとは思うが、注意を喚起しておいた方がいいだろう。
「わあああっ!? 優くんっ!?」
 だが、返ってきたのは驚きの声だった。
 少し遅れたが、一応は自己紹介をしておいた方が良いだろう。
 私の名は、名嶋優介(なじま ゆうすけ)。愁や麻紀のクラスメイトだ。
 父親は代議士で母親は官僚である。
 つまり政界と官界の癒着によって生まれたのが、この私というわけだ。
 腐敗の申し子のような存在だと思ってくれれば良い。
 ちなみに特技は謀略と根回しと情報操作。
 うむ、立派に親の特性を受け継いでいるな。ご先祖も草葉の陰で喜んでいることだろう。
 さて、とりあえずは、目の前で大口を開けている愁を何とかしよう。
 さっさと現実世界(こっち)に戻って来てもらわないと話もできない。
 だいたい、男の口の中など、見ていて心楽しくなるものでもない。
「なにを素っ頓狂(すっとんきょう)な声をあげている?」
 殴って正気に戻すというわけにもにかないので、無難に呼びかけてやる。
「ど、どうしてここに!?」
 おやおや、困ったものだ。まだ動転しているのか。
 それにしても、おかしな質問である。
 私は怪奇生物ではない。
 突然わいて出るような芸当などできるわけがないではないか。
「私もこのクラスの生徒だ。いてもおかしくはあるまい」
「そうじゃなくて! 最初からずっといたの!?」
 変なことを訊く。
 ホームルームが終わったあと、私は教室を出たおぼえなどない。
 それ以前の問題として、ここは、何の遮蔽物もない教室である。
 彼らから私の姿が見えないはずがない。
 今さら存在意義(レゾンデートル)を問われても困る。
「質問の意図がよくわからんが……。そうだな、私が、お前たちの行動を最初から見ていたのか、という趣旨の質問ならば、答えはイエスだ」
「……もう、少しは気をつかってよ」
 愁という男は、つくづく変わったヤツだ。
 雑談をしているカップルに、なんだって私が気をつかわなければならない。
 もしも、これから何らかの行為におよぶとでもいうのであれば、さすがに遠慮する。
 しかし、ここは教室だ。そんなことができるはずもない。
 ごくごく一部の、ある種の特別な趣味をもった例外を除いては。
 客観的に状況を分析すれば、私が本を読んでいる視線の先でカップルがイチャついていた、というだけの話だ。
「ここは、お前たちだけの教室ではあるまい」
「せめて、声かけてくれるとかサー」
 前言を撤回しなければなるまい。
 コイツは妙なイキモノだ。
 同じ人間とは思えない。
 カップルの会話に割り込めるとでも思っているのか。
 だいたい、私の存在をきれいさっぱり無視(スルー)していたのは、愁たちではないか。彼には他罰傾向があるのかもしれない。
「それはともかくとして、忠告しておきたいことがあるのだがな」
「なんだよ~?」
「簡単なことだ。あのやりかたでは、女は落とせないぞ」
「う゛」
 愁が胸を押さえて、怪しげなうめき声を発した。
 おそらく傷付いた、という表現なのだろう。子供っぽい仕草だ。
 このような事をしているから、いつまでたっても先に進めないのだ。
 むろん経験したから偉いというものではない。まだ高校生なのだし。
「シチュエーションを大事にすることだな。それも、状況を利用するのではなく、自分で状況を作り出すんだ」
「優くん。僕、難しくてわかんないよ……」
 すぐに泣きついてくる。
 簡単に人に頼るのは良いことではないが、最初だから仕方がないだろう。
「では、これをやる」
 私は鞄から、何枚か紙片を取り出した。
「なにコレ?」
「プールと、レストランと、ホテルのタダ券。全部ペアチケットだ」
 おそらく麻紀も本気で怒っているわけではあるまい。
 急に迫られたので、びっくりして殴ったのだろう。
 それで、今度は殴ってしまったことにびっくりして、教室を飛び出した。
 びっくりするくらいびっくりした、という状況である。
 姑息かもしれないが、ここは機嫌取りをするのが上策だ。
 麻紀の純情さを指摘するのは容易いが、それではまったくの逆効果である。
 世の女子高生の四割くらいは意地っ張りなものであるし、世の中の人間の六割くらいは無料(ただ)でモノをもらって悲嘆にくれたりはしない。
 なのでプレゼント的なもので釣る。
 それをデートと絡めれば、より高い効果が期待できるだろう。
「優くんすごい! さすがお金持ちっ!」
 愁が無邪気に喜んだ。
 べつに恩に着せるつもりはないので、追従(ついしょう)などしなくても良いのだが。
「気にするな。どうせ貰い物だ」
「ありがとー! これで麻紀チャンの機嫌、直るかなー?」
「あとはお前次第だな。一応、策は授けてやるが……」
 私がそこまで言ったとき、教室の入り口に人影があらわれた。
 麻紀だ。
 さらさらと流れるストレートの黒髪。大きくアーモンド型の瞳。
 発展途上の肢体は、充分な将来性を感じさせる。
 白皙(はくせき)の美少女、と称しても大過ないだろうが、残念ながら私の好みからは遠い。
 主に年齢的な意味で。
 やはり女というのは……と、私の性的嗜好(このみ)などどうでも良い。
 失礼した。
 それより麻紀のことである。
 なるほど、多少なりとも反省するところがあったのだろう。
 良い傾向といえる。
「……愁君、ごめんね……。あたし……」
 麻紀は、うつむきながらも近づいてきた。
「い、いいんだよ麻紀チャン。僕が悪かったんだから」
 愁は大いに照れていたが、それでも麻紀に手をさしのべた。
 ほほえましい光景であった。
 子供っぽいけれど。
「ところで、名嶋君と何を話してたの?」
 麻紀が愁に尋ねた。
 私に直接訊けば良い、とも思うが、それは野暮というものだろう。
 恋する者は、それ以外の異性は眼中にないものだし、その方が往々にして良い結果をもたらすものだ。
「うん! 優くんから、いろんなチケットもらったんだ!」
 愁の言葉を聞いたとき、思わず私の目は点になってしまった。
「おい、愁……」
「え、なになに? なんのチケット?」
 制止するよりもはやく、麻紀が質問した。
「えっとねぇ、プールでしょ、レストランでしょ、ホテルでしょ」
「……ホテル?」
 麻紀の眉毛が吊り上がる。
 当然だ。
 キスにすら抵抗感のある女性なのだ。
 ホテルから連想される行為を嫌悪しないはずはない。
「え? ま、麻紀チャンどうしたの?」
 愁が狼狽している。
 バカである。タコである。
 死ねばいいのに。
 いまだに自分のミスに気が付いていないとは。
「サイッテーっ! バカっ!!」
 麻紀の声とともに、教室に乾いた音が響いた。
 ふたつ。
「麻紀チャン、ひどいよ……」
 愁の頬に張り付いた手形は納得できる。
 しごく当然の帰結だろう。
 問題は、私の顔に印刷されているであろう紅葉のことである。
 客観的に考えて、私は悪くないはずだ。
 それとも、私が悪いのか?
 いや、だが戦略的に考えても……。
 涼やかな夕方の風が、私の頬を撫でてゆく。
 ……痛い。

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