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天空の その上で…
作:高村 恵美



仄暗い、闇の中で-02(85)


『こいつ女か? いや男、だよな?』
 性別を迷わす華奢な容姿に、どっちつかずの声音が、更に拍車を駆ける。
 だが女なら先ず一人でこの森を抜けようとする訳がないから、やはり男なのだろう。
 同性だと勝手な判断を下してもなお、夜目にも鮮やかな紅眼から、何故か眼を離す事が叶わず、皓は戸惑いを強く感じながらも、どうする事も出来なかった。
「そこから動いてはいけないよ」
 皓の眼を見詰め、彼は宣言のように強く言葉に出すと、再び左手に持った何かを握り締めた。

『あれは武器か?』
 黒禽がこの森に潜んでいると町長は告げたのだ。 素手でこの森を抜ける馬鹿は居ないだろう。
 けれど大切に握られた武器の正体を見極めた皓は愕然(がくぜん)となる。
 その人物が手にしていた物はどう見てもただの錫杖(しゃくじょう)だったからだ。


「私はここだ。……おいで」
 皓から視線を外し、何も見えない空に(いざな)うように呟くと、握った左手から微かに澄んだ音が聞こえる。
『この音。何が音を発生させている?』
 良く眼を凝らせば、錫杖の先端に幾つもの環が()められている事が見て取れた。
 丸い環には均等に散らされた小さな無数の鈴が吊下っていて、黒禽が上空で巻き起こす風に反応してか、僅かに揺れている。

 シャアーーン!
 左手から右手に錫杖を。 軽く地面を衝いて右手を空へ。
 流れるような一連の動作で、彼は三度、錫杖を打ち(はら)う。
 天高く掲げられた錫杖からは環が擦れる事によって奏でられる硬音と、無数の鈴が奏でる高音が同時に生じる。
 重なり合い一つとなった不思議なその音色は、誘うように空へと流れ、黒禽を迷うことなく彼の元へと呼び寄せた。
 
「危ない!」
 発せられるべき言葉はおろか、指一本動かす事が、何故か皓には出来なくて。
 急降下してきた黒禽の翼に、彼が何も持たない左手で一瞬確かに触れたように見えたのは、皓の気の所為か。
『避けた?』
 黒禽のスピードは人間の反射速度を悠に上回る。
 それを殆どその場から動く事なく、彼は黒禽の攻撃を避けた。
 偶然なのか必然なのか、皓の位置からは判断がつかず、我知らず身体に力が入る。

「そう。お前は以前にも人を襲っているのだね」
 身を(ひるがえ)した際に、僅かに避け損ねたのか、小さな鈴が幾つか錫杖から外れ、地面に零れ落ちる。
 澄んだ音をたてる鈴に惑わされる事なく、空に舞い戻った黒禽の姿を視界に捉え、彼は一人呟く。
「お前が人の味を覚えていなければ、或いは別の選択肢もあったのだけれど」
 翼を通して読み取った最悪の結果に、黒禽の辿るべき道は、決まった。
「私はお前が何故、森が有るにも関わらず、わざわざ町の近辺に巣を作ったか、その理由が知りたかった。理由の如何(いかん)によっては、お前を町から遠ざけ、見逃しても良いと考えていたのだ」

 どうしても避けられぬ正当な理由が有るのなら、黒禽と彼は対峙する必要がなかったのかも知れない。 だが。
「一度人の味を覚えてしまえば黒禽は容易に人を襲うだろうから」
 他の動物と比べ極端に警戒心が薄い人間ほど、黒禽にとって襲い易い獲物はない。
 まして相手が小さい子供なら尚更の事。
「ギャァオオー!」
 僅かばかり眼を伏せた彼を、まるで挑発するかのように、一際大きな声で黒禽は啼くと、巨大な翼を見せつける為に、上空で羽ばたきを繰り返した。
 地を襲う突風に彼は怯む様子も見せず、錫杖を両手で構え直すと、毅然と顔を上げて黒禽を見詰めた。
「可哀想だが、仕方ないね」
 刹那、彼の纏う優しげな気が、がらりと変わるのを、皓は感じた。







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