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天空の その上で…
作:高村 恵美



赤子(02)


「あーあの時の赤子が、お前か!」
「皓、僕の事知ってるの?」
 瞭の昔話を一通り聞いた後、皓がどこか懐かしそうに、眼を細める。
「ああ、俺達もその場にいたからな」
 そのまま話を軽く受け流そうとした皓は、瞭の酷く真剣な視線に気付いて思い当たる。
 思い返せば当時の瞭は赤子だった為、自分の出自に関しては何一つ記憶が存在しないのだ。
 
 両親の顔はおろか、何故自分が生贄にされなければならなかったのか、その理由さえも。
 誰だって自分の事は知りたくて当然なのに、瞭は育ての母を気遣って、
結局は何も聞き出せなかったのだろう。
 今も言葉には出さず(すが)るような眼で訴える瞭に、皓はそれと知られぬよう、
出来るだけ軽く話しかける。

「じゃあ、今度は俺の昔話を聞いて見るか?」
 皓の言葉に瞭は眼を輝かせ、無言のまま、全身で大きく頷いた。
 (素直は素直、何だがな。自分の気持ちを伝えるのは得意な方ではない、か?)
 瞭の表情をさりげなく横目で観察しながら、皓は瞭の為に出来る限り、過去の出来事を鮮明に思い浮かべようとしていた。



 ――――稀に見る干ばつが長く続いた後、辺境の小さな村を、未曾有な大飢饉(だいききん)が襲った。
 村人はその日食べる物にも事欠くようになり、遂に遙に生贄を差し出す事を決行したのだ。
 別の件に追われていた俺達が、村に向かった時には既にもう、何人か犠牲が出た後だった。
 急ぎ駆けつけた俺達が見たものは、僅かに流れる瀧の横に、(かご)に入れられポツンと置かれた小さな赤子。
 
 訪れた時には最悪の状況も覚悟していたが、覗き込んだ赤子は意外にも元気で、
小さな手足を盛んに動かしながら、此方を見て屈託無く笑った。
「遙ちゃん大丈夫だよ、生きてる!」
 心底安堵した様子の(きょう)の明るい声が、何処か遠くを見ている遙に届けられる。
「そうだろうな」
「そうだろうな……って。遙ちゃん?」

 周囲を見渡せば容易に判る事だ。本来ならば生贄は瀧の中に投げ入れてこそ、用を為す。
 瀧の横に後生大事に置かれた生贄なぞ、恐らくこの子が初めてだ。
 一応、生贄は目立ち易いように、瀧の側に捧げられては、いる。
 が然しその瀧から零れる飛沫が当たって小さな身体が冷えぬよう、
この赤子は柔らかい薄布で幾重にも亘り、大事に大事に包まれていた。

「これは……山羊の乳か?」
 毎日取り替えているのだろう。傍らにはまだ仄かに温かい乳を含ませた綿も置いてあった。
 赤子が生きられる為の配慮なのだろうが、流石にこれでは乳の量が少な過ぎやしないか? 
 皓の曇った表情に気づいた恭が、推測だけど、と前置きして、皓の考えを補足する。
「母親の乳が出ないから……じゃないかな?」

 村を襲った飢饉は、相当深刻な状態だと聞いた。食糧の備蓄も既に底を尽いているはずだ。
 だから偵察を兼ねて、取り急ぎ此処まで来てみたのだけれど。
「こんなに小さな子まで」
 ――生贄と言うには、余りに愛されている赤子の姿に、一層遣る瀬無さが込み上げる。
 何も知らず無邪気に笑う赤子を見つめていると、胸の奥がまるで、鉛を飲んだように重く詰まって。

「恭……」
 どうすべきか判断に迷っていると、躊躇(ためら)いがちに遙が恭に呼びかける。
 遙が皓ではなく恭の名前を呼んだ時点で、皓にはある程度、遙の考えている事が読めた。
 多分無意識の行動なのだろうが、自分の意見を無理に通したい時、遙は必ず皓よりも先に恭に声をかけるからだ。
 何事に対しても冷静な判断を下す己と、なるべく遙の意思を汲んで聞き入れる恭だから、
当然と言えば当然なんだが。……何となく、割り切れない思いが、皓の胸の内を過ぎる。

「うーん。確かに遙ちゃんの気持ちは解るけど……。皓どうする?」
 まだ遙が何も言葉を発していない、にも関わらず恭が先に意見を述べた事に、皓は軽く眼を(みは)る。
 成る程、遙の考えがお見通しなのは、どうやら恭も同じらしい。
『何故自分の気持ちを言葉にする前に、恭には解ったのか?』
 不思議そうに驚いた遙の様子に、笑いを誘われつつ皓は考える。
「さて、どうするか……だな」
 ただの捨て子なら、此の(まま)連れ帰ったところで、何の問題も生じなかっただろう。
 が生贄として捧げられた以上、迂闊(うかつ)には連れ帰れないのも、また事実だ。
 願いと引き換えならば、生贄は受け取れない。かと言って幼い赤子の命を見捨てるには、忍びない。

「……そこに隠れてる、両親に聞いてみるか?」
 先程から林の向こうから此方を(うかが)う、恐らくは赤子の両親であろう、怯えた気配が二つ。
 皓の言葉に導かれるように、男の制止を振り切って、女が茂みから転ぶように駆け寄った。
「お願いします。どうか、どうかこの子を、瞭を助けて下さい!」
 泣きながら地面に頭を擦り付け、必死で懇願する母親に、皓は惑わされる事無く訊ねる。
「そんなに大事なら、何故生贄になんかしたんだ?」

 想像した通り満足に乳も出せないほど、痩せた身体をした女は、叫ぶように皓に訴えた。
「私の村では、村人全員で食糧も、水も分かち合います。飢饉で食糧不足になった今、
大人達ですら毎日の食事を満足に取る事も出来ません」
 一家族当たりの食い扶ちを減らすように、ある程度大きい子供は村外へ追いやられ、
幼き子は体力の無さや、乳を満足に飲めぬ事から、自ずと命の灯は消え目減りしていった。
 飢えで苦しんで死ぬよりは、いっそ神に命を捧げた方が苦痛は少ないだろうと考えた末、
村全体で順番に生贄を差し出す事を、決めた。

「本当は瀧に投げ入れねばならない、でも、どうしても私には出来ませんでした」
 愛する我が子を、母親である私が、どうしてそんな目に遭わす事が、出来るだろうか。
 最愛の息子が生贄に決まった後も、母親は村人に隠れて山羊から乳を採取し、
辛うじて赤子の命を繋いでいたが、今朝、痩せてとうとう一滴の乳しか出せなくなった最後の山羊が、
今宵皆で食される事に決まった。
「乳が無い以上、この子はどの道、生きて行けません」
「だがもし、引換えに奇跡を願っているのなら――」
 皓の台詞は途中で母親と、後を追って出て来た父親の見事に重なった言葉で断ち切られた。
「奇跡なんて望みません。この子が助かるならば、私達はどうなっても構いません」
 
 村の皆には自分勝手だと責められるかも知れない。けれど瞭は私達夫婦の初めての子供。
 愛しいこの子が助かるのならば、私達は何を失っても構わない。

「お願いします、遙様、どうぞこの子を!」
「だが」
「……もう良い。皓」
 更に何か言おうとした皓を遮ると、遙はおもむろに籠からいつの間にか瞳を閉じて、
眠っていた赤子を優しく取り上げる。
 我が子の行く末を案じ今にも倒れそうな母親と、彼女を支える父親の眼に、偽りはない。
 恐らく彼等はこの子が助かるならば、本当に自分の命は惜しく無い。それが伝わったから。

「恭、この子を連れて帰る」
「遙ちゃん……」
「但しこの赤子は、私が助けられなかった他の赤子の魂を、全てその身に受け継ぎ育つ。
……お前達だけの赤子ではなくなるが、それで良いな?」
「有難うございます」
「礼は要らぬ。ただ私は赤子を拾っただけで、お前達の願いを聞いた訳ではない」

 奇跡は要らないと告げた彼等から、遙は敢えて『願い』を叶える事を良しとしなかった。
 これ以上ないほど、地面に平伏した両親に背をむけると、遙はさり気なく己の力を空に向って放つ。
(れい)、後は頼む』
 心の中で気まぐれな精霊王に、雨を降らすように依頼する。
 いくら自分と契約したとは言え、精霊王たる彼の行動は、基本的に束縛が出来る筈もなく。
 何者にも縛られない自由の身である彼が、果たして何処まで此方の頼みを聞いてくれる事やら。

 彼の鮮やかな碧の髪と湖の底のような瞳を思い浮かべながら密かに胸の内で案じていると、
程なく黎が遙にだけ見える姿で、目前に現れた。
『承知』
 いつも通り感情を感じさせない無愛想な喋り方だが、その表情は不思議と柔らかかった。
『だが遙、力は使い過ぎるな』
 叱責しつつも此方を心配してくれている黎の気持ちが伝わって、遙の表情が少し崩れる。
『有難う、黎』
 薄く微笑んだ遙に「私は怒っているのだが、な」と小さく黎は呟きつつも、遠くから雷雲を呼び集め、
成長を促した。

 急速に拡大したそれは、瞬く間に空一面を暗く覆い始めて。
「早く、村に帰ると良い。……これから激しい雨が降るから」
 静かに呟いた遙の言葉に、驚いて顔を上げた両親の眼に映った物は、空になった籠と、
村人があれ程待ち望んだ、雨を呼ぶ雷鳴だけで。
 迫り来る雨の気配と引換えに、遙達と我が子の気配は最早どこにも存在していなかった。







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