EPISODE4「風の吹く丘」
蓮次はその日も買い出しに出かけていた。いつも通りガブリエラの好物を物色し、いつも通りベンチに腰掛けたが、今日はソフトクリームは止めておいた。
「今日はアイス食わないのか?珍しい」
ネルソンの声が、背後から話しかけた。
「ええ、今日はちょっと報告がありまして」
視線で周囲を何度も何度も確認しながら、蓮次は呟いた。
「報告はいつも通りチップだ」
ネルソンが答えた瞬間、彼の視界が黒いスーツで埋め尽くされた。
「どうしても話したいんです。直接」
蓮次がネルソンの前に立ちはだかっていた。その表情に鬼気迫るものを感じ、ネルソンは彼の要求を飲んだ。
ふたりは連れ立って立体駐車場へ上ると、人気のないのを確認し、更に念を入れて携帯の小型レーダーを作動させた。
「どういうことですか?ネルソン警部補」
蓮次は苛立ちを隠せなかった。しかしネルソンは何も答えなかった。
「自分の任務は、HOLYの元に潜入し、奴の仕事の現場を押さえて逮捕することだったはずです。それなのに、なぜですか?」
「上の決定だ。納得しろ」
ネルソンは冷たく言い放った。
「出来ませんよ!」
思わず蓮次は声を荒げた。が、すぐにネルソンに諌められ、蓮次は自分を抑えつけた。
「なぜです、なぜ。実行日まで潜入を続けて、決行の際に拿捕すればいいだけでしょう。なぜ殺すんですか?」
蓮次は、最後の一言を発する時、堪えきれずに肩を震わせた。
「いいか、日野。お前自身も分かっていると思うが、今回のヤマは国家転覆級の大犯罪だ。もはや暗殺などといった陳腐な言葉じゃ片付けられん。そして、このヤマは必ず阻止せねばならん。現場で押さえる、結構。だが、万が一でも取り逃したらそこでアウトだ、何が起こるか分からん。ならば、決行前に仕留める。それが最も確実な方法なんだ。分かるな?」
「・・・・・・」
蓮次は沈黙を守り、視線で訴えた。
「それに、この件に関して現行犯逮捕はない。分かるだろう?奴の標的は良くも悪くもこの星のトップだ。そんな人間を囮には使えない。このヤマはお前だけのものじゃない。俺達全員のものなんだ。お前の勝手で俺達全員の首が飛ぶんだぞ」
蓮次の肩に、ネルソンが手を置いた。ネルソンは部署内の誰よりも、蓮次を信頼し可愛がっていた。だからこそ、彼の気持ちが痛いほどよく分かった。だが、ネルソンは甘やかすタイプの人間ではなかった。
「だけど、殺すことはないでしょう。まだ時間はあります。俺が、俺が説得して見せます。自首するよう、なんとか彼女を説得しますから」
「蓮次よく聞け。奴は暗殺者だ、しかも凄腕のな。例えお前が説得して自首したとしても、奴は既に超S級犯罪者。極刑は免れんし、仮に情状の余地があったとしても、終身刑は確定だ。どちらにしても結果は同じだ。奴の人生に幕をひくのが、法か、俺達かの違いだけなんだ」
蓮次は首を振った。
「奴は凶悪な犯罪者なんだぞ」
ネルソンの言葉に、蓮次の内側の何かが切れた。
「彼女は、ガブリエラはただの犯罪者じゃない!」
その言葉に、ネルソンはハッとした。蓮次の胸倉を掴み、力強く引き寄せた。
「蓮次、もう一度言う。奴が自首しようが、しまいが結果は変わらないんだ。奴は罪を犯しすぎた。お前が奴を許しても、世間が奴を許さないんだ」
ネルソンの迫力に、蓮次は圧倒されていた。それでも、蓮次の心は折れなかった。ネルソンも、それを感じ取っていた。ネルソンは迷った。だが、その迷いを振り切り、蓮次に問いかけた。
「お前、あの女を抱いたか?」
蓮次は首を振った。
「ならまだ間に合う。お前は後戻り出来る。あの女のことは忘れるんだ」
ネルソンは蓮次の胸倉を放すと、彼に背を向けた。
「それがお前の為なんだ」
それだけを言い捨てて、ネルソンはその場を後にした。
それがお前の為なんだ。自分の言葉を、自分の中で何度も繰り返しながら。
ネルソンの携帯が音を立てた。
「はい」
「どうだ?交渉は決裂か?」
「はい」
ネルソンは短い返事で答えた。
「そうか、分かった」
それだけ言うと、相手は音を立てて電話を切った。
ネルソンと同じくハイライトを灰皿に押し付け、電話を切った男が部下のひとりに目配せをした。
ウッズだった。
「どうかしました?係長」
警視庁捜査課十三係長、ルーク・サリイスキーは、書類がうず高く積まれた机に足を投げ出し、ウッズに言った。
「交渉は決裂だ。日野はHOLYを逃がす可能性が出てきた。すぐにSATに連絡をとれ。踏み込むぞ」
その言葉に、ウッズも混乱を隠せなかった。
「す、すぐ?今すぐ、ですか?」
「今すぐだ!」
サリイスキーの怒声が室内に響いた。
ビートル5000の運転席に飛び乗ると、すぐに携帯を取り出して、内蔵の骨伝道ホンを引き出した。親指の付け根に取り付け、すぐに車のエンジンをかけた。
警視庁の特殊無線ダイヤルにセットした。蓮次の脳に直接流れ込むように、無機質なやり取りが聞こえてくる。
「・・・・SAT・・・・直ちに・・・・完了・・・」
蓮次は思い切りハンドルに拳を叩きつけた。
「あのクソ係長、こんな時ばっかり真面目に仕事しやがって!」
蓮次は力任せにアクセルを踏み込んだ。
このモールからガブリエラのマンションまで、普通に飛ばして約15分。距離的に光速ギアドライブは使えないから、どんなに頑張ってみてもそれが最短だった。
「ガブリエラ・・・・ガブリエラ・・・・」
彼女の名を何度も呟き、彼は全速でビートル5000を駆った。
ガブリエラは自宅のソファに寝転びながら、昼の料理番組に見入っていた。彼女は超一流の暗殺者ではあったが、超一流の戦士ではなかった。
人を殺害することにかけて右にでる者はそうはいない。だが、自己の防衛に関してはその限りではない。ガブリエラ自身もそれを自覚していた。だからこそ、他人との接触を極力断ってきた。自身の命を守る為には、自身ひとりで生きることが一番の近道だった。
闇に生きる者独特の勘が働き、今日という日がいつもと何か違うことは感じていた。それでも、それが何なのかということまでは、彼女には分からなかった。
ものの10分足らずで、第十三係長サリイスキーを筆頭に、警視庁特別狙撃部隊SATはガブリエラのマンションを包囲していた。マンションの周りのあらゆる建物に狙撃者が潜み、サリイスキーの号令を静かに待っていた。
ネルソンはひとり、愛車の運転席でハイライトに火をつけた。今日は、いつもにも増してその香りがまずく感じられた。たったの一吸いで、彼は吸殻の溢れそうな備え付けの灰皿に、火種をこすり付けた。
そして、時間だけが過ぎていった。
蓮次は駐車場に車を停めることを放棄した。ガブリエラの部屋の前に、直接車を乗り付けると、一時浮遊させたまま、運転席から廊下に飛び移った。
ポケットから部屋の鍵を取り出すと、無理矢理鍵穴に押し込んだ。焦りで、手がうまく言うことを聞かない。気持ちだけが焦っていく。
鍵が開いた。
「ガブリエラ!」
蓮次は靴も脱がずに部屋の中へ駆け込んだ。リビングのドアを開けると、ソファに腰掛けた彼女が、キョトンとした表情で蓮次を見つめていた。
「ガブリエラ、早く!」
蓮次が彼女に近づく為に、一歩踏み出した瞬間だった。
彼の視界が、一瞬だけ赤く染まった。
これは、レーザーポインター?蓮次は一瞬で理解した。
瞬間だった。
ガブリエラが動いた。
「蓮次君!危ない!」
彼女の動きが見えなかった。音速。蓮次が見たのは、自分の身体を揺らめく無数の赤い点の群れだけだった。
気が付くと、目の前にガブリエラがいた。ガブリエラの腕が、蓮次を突き飛ばした。
蓮次はリビングの外に尻もちをついた。同時に、リビングに窓ガラスの割れる音が鳴り響いた。
全てがスローモーションだった。
蓮次を突き飛ばしたままの姿勢で、まるで走っているかのような姿勢で、ガブリエラは蓮次に向かって手を伸ばしていた。
ガブリエラの左胸辺りに、赤い花が咲いた。咲き誇る薔薇のように。
ふたつ、みっつ、よっつ・・・・
赤い花は次々と数を増やして、ガブリエラの身体の至るところに咲き誇った。
蓮次の顔に、赤い花びらが触れた。
ガブリエラが、蓮次に手を伸ばした。
蓮次も手を伸ばした。
ふたりの手が触れ合おうとした。
だが、ガブリエラの手は蓮次に届くことはなかった。
ガブリエラの身体がその場に倒れ伏した。
「ガブリエラ!」
蓮次は必死に膝立ちになると、彼女の元へと這い寄った。
うつ伏せに倒れたガブリエラの身体の下から、おぞましい量の真っ赤な血が流れ出てきた。
「ガブリエラ・・・ガブリエラ・・・」
彼女の腕が、蓮次を押し倒した。蓮次は再び尻もちをついた。
肘で上半身だけを起こし、ガブリエラが蓮次を見つめていた。
彼女の口が動いた。
玄関から、窓から、武装したSAT隊員がいっせいになだれ込んできた。それぞれが手にもった銃を構え、蓮次とそしてガブリエラを取り囲んだ。
隊員の誰かが、蓮次の両脇から腕を掴み、彼をリビングから引き離した。
「やめろ、やめてくれ・・・」
蓮次は自分を掴むその腕を振り払おうと、必死にもがいた。だが、逆により強い力が蓮次の腕にかかり、彼はフローリングに押さえつけられた。
「やめてくれ・・・。ガブリエラ!」
一ヶ月間の特別休暇。
蓮次に言い渡された、非情な宣告。CODE:HOLYにまつわる一件からの、事実上の隔離だった。
CODE:HOLY死亡。
蓮次は自らを、事件を扱うマスコミの報道からも隔離した。マスコミは、大物暗殺者の死をこぞって採り上げるだろう。そして、暗殺者の正体についても。
ガブリエラを陵辱するような報道を、蓮次は見たくなかった。
旧東北地方のとある街の自宅に戻った蓮次は、一日中家に籠もるか、またはずっと公園のベンチで時間の過ぎるのを待つか、とにかく外界の情報には一切関わらない日々を送っていた。
その日も、蓮次は公園のベンチに腰掛け、遠くの山々だけを眺めて過ごしていた。
蓮次の目に映る山々を、円筒形をした物体が突然遮った。
「元気にやってるか?」
聞き覚えのある低い声が、蓮次に話しかけた。
ロナルド・ネルソン警部補だった。
相変わらずのだらしない服装のネルソンは、蓮次の隣に腰を降ろした。
「お久しぶりです」
言いながら、蓮次は彼の差し出した缶コーヒーを受け取った。
「毎日こうしてるのか?」
コーヒーを口に付けながら、ネルソンが口を開いた。
「ええ」
蓮次からは気のない返事が返ってきただけだった。
「・・・・・HOLYの捜査は終わったよ。結局、被疑者死亡のまま、書類送検された。だけだ。あの女がHOLYだという事実も立証されなかった」
「・・・・・」
蓮次は無言だった。
「安心しろ。あの娘については、マスコミには一切公表されていない」
初めて、蓮次がネルソンの顔を見た。
「お前はうちの優秀な捜査員だ。うちのボスもそこまでバカじゃない」
蓮次は缶コーヒーの栓を開けた。
「俺・・・」
おもむろに、蓮次はスウェットのポケットから、一通の封筒を取り出すと、ネルソンに差し出した。
辞表だった。
「・・・・・・・」
ネルソンは動かなかった。代わりに、自分の懐から、一通の封筒を取り出した。
「これを読んでから、もう一度考えろ」
辞表の上に封筒を重ねると、ネルソンはゆっくりと立ち上がった。そしてそのまま、公園を後にした。
蓮次は自分の手の上に置かれた封筒に目を落とすと、急いでその封筒の中身を取り出した。
時折スペルを間違える、ミミズがのたくったような、下手くそな字。蓮次はその鉛筆で書かれた字を何度も目にしたことがあった。買い物メモと同じ字。
ガブリエラからの手紙だった。
「 蓮次君へ
あなたがこの手紙を読んでいるとしたら、私はもうあなたのそばにはいないんでしょう。
初めてふたりで孤児院に行ったあの日の夜、あなたが私に言った言葉。私もずっと、ずっとそのことを考えていました。
私があなたに言ったことは、嘘ではなかった。でも、それが全てでもない。始めは、私も自分の行いが正しいと信じていました。私から全てを奪ったものに、仕返しをしてやりたかった。でも、仕事を重ねる度に、私自身、自分の気持ちに自信が持てなくなっていった。私が何もかも失ったように、今度は私が誰かの何もかもを奪っている。誰かを殺すことが、そういうことなんだって、心の底では気付いていたの。でも、もう引き返せない。自分自身に言い聞かせないと、私はまた何もかも失ってしまう。私はそれが怖かった。
そんな時、あなたが現れた。蓮次君が暗部特捜の捜査員だってことは分かっていました。でも、私は嬉しかった。この人なら、もしかしたら私を変えてくれるかもしれない。悲しみが悲しみを呼ぶ連鎖から、私を救い出してくれるかもしれないと思った。それがどういう結果になるかは分からないけど。
私達が今控えている仕事。色々な意味で、これを私の最後の仕事にしたい。これが終われば、あなたはまた元の仕事に戻るでしょう。あなたの仕事は、色んな人の命を、幸せや生活を守る仕事だと思う。それは、私みたいな汚れた人間にとっても同じなの。多かれ少なかれ、私達暗殺者はきっとこの連鎖に気付いてるはずだから。私達を救えるのは、あなた達だけなの。
この仕事の結果がどうなろうと、あなたはあなたの道を歩いて下さい。迷わないで。
そして、私みたいな人間がまた生まれないように、見守っていて下さい。
叶うならば、あなたとはもっと別な立場で出会いたかった。それでも、あなたと出会えて本当に良かった。
私はあなたを、応援しています。
ガブリエラ・ハジェンズ 」
それは、最後の事件の起きる数日前の日付で書かれた手紙だった。
最後の一文。
淀みなく書き進められたその手紙の、最後の一文だけに、消しゴムの跡があることに気が付いた。
蓮次は、手紙を陽の光にかざした。
一度書いて、消された言葉が浮き上がった。
私はあなたを、
愛しています。
蓮次はベンチに倒れこみ、声を上げて泣いた。
旧モンゴル。
教会の前に黒いステーションワゴンを着陸させた。食べ物や衣服の袋を取り出していると、教会の中からシスターロレインが、蓮次を出迎えた。
「あなたおひとりでいらっしゃったということは、もうガブリエラはここには来ないのですね」
シスターと蓮次は教会の裏手の丘を歩きながら、会話を交わしていた。
「・・・・・・」
蓮次は、何も答えられなかった。
「彼女も、やっとお母様と再会できて、喜んでいると思います」
言い終えると、シスターは軽くため息をついた。
「シスター・・・」
蓮次が口を開いた。
「俺、俺・・・・・すみません」
蓮次はうつむき、言葉に詰まりながら、やっと言葉を搾り出した。
「・・・・私には何があったのかは分かりません。ですが、最後にあなた達が訪ねてきた時の彼女の顔を見れば、分かります。彼女は幸せでした」
「幸せ?そんなはずないです。俺は、俺は彼女に何もしてやれなかった。もっと生きられたのに、俺は・・・」
シスターはニッコリ微笑むと、蓮次に向かって軽く首を振った。
「確かに彼女の人生はとても長いものとは言えませんでした。ですが、だからと言って、彼女が不幸だったとは限りません。蓮次さん、あなたは私達人間が、何の為に生きているのか、考えたことがありますか?」
「・・・・・・・」
シスターの突然の問いに、蓮次は沈黙で返した。彼女の問いに当てはまるような、明確な答えを、蓮次は持っていなかった。
「そうでしょう。私だって、すぐには答えられません。きっと、永遠に誰も答えを出せない、神様からの宿題なのかもしれません。でもね、ガブリエラの顔を思い浮かべると、思うのです。彼女は短い時間でしたが、子供達や私の心に、たくさんの思い出をくれました。そして、あなたの心にも」
言って、蓮次の左胸に手を置いた。
「彼女が生きた意味があるとするならば、あなたのここに、今も残っている。ということです」
「俺の、中に・・・」
シスターは蓮次に背を向け、院庭で遊ぶ子供達を見下ろした。
「彼女を幸せな女性にするのも、不幸な女性にするのも、全てはあなた次第なのですよ」
そう言うと、シスターは先に丘を下っていった。
丘を、風が駆け抜けた。
蓮次は丘の頂上に、小さな石で墓石を立てた。
誰も知らない、蓮次だけの墓石。
蓮次はその墓石に一通の封筒を立てかけると、その丘を後にした。
おわり
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