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僕は小説家
作:新庭 一



第8章 気楽にがんばれ


 四月、予定していた部屋が完成する。TVゲームの部屋、ホームシアター、スポーツジムが三階にできあがった。三階はパソコンがある書斎と物置以外は一新した。
 これからはゲームをやったり、映画を見たり、運動をしたりして、僕は一日を楽しくすごせるだろう。そう思うと気分が高揚してきて、ついでに僕はなぜか小説を書きたくなってきた。もう小説を書くことはないだろうと思い、僕は部屋を改造したのだが、どうしてか無性に小説が書きたいのである。きっと一時的なものだろうと、僕はその感情を無視して遊び耽ることにした。
 まず、いろんなジャンルのゲームを一時間くらいずつやってみた。アクション、シミュレーション、レース、RPGなどである。特にRPGはストーリー性が高く、物語の先が知りたくなり、何時間でもやっていたくなった。きりがいいところでゲームをやめ、僕は映画を鑑賞することにした。
 僕は新しい映画のソフトを買ってなかったので、持っている映画の中から適当に選んで鑑賞した。ホームシアターで見る映画は、映像も音も大迫力で素晴らしい。しかし、映画は楽しいはずなのに、僕は内容に集中できず、新作小説の構想が浮かんできて、小説を書くことばかり思っていた。
 そのあと、ジムでルームランナーを僕はやった。走りながら僕は、ゲームにしろ、映画にしろ、原点になるストーリーが必要であると考えた。そう思うと、小説はストーリーを楽しむものの頂点であり、最高峰である。僕はとにかく小説を書きたくなってきた。

 次の日、セトちゃんが遊びに来たので、僕たちは改造した三階の部屋で遊んだ。僕とセトちゃんはゲームをしたり、映画を見たり、運動したりした。セトちゃんは、「すごい部屋だな」とか「いいなあ」とか言って、うらやましそうだった。僕たちは子供のように遊び、二人ではしゃいだ。楽しそうなセトちゃんだったけれど、彼がときどき寂しそうな顔をするのを僕は見逃さなかった。
 夜になって、僕とセトちゃんは二階の部屋でお茶を飲むことにした。
「セトちゃん、話があるんだ」僕が話しかると、
「ああ、わかってる」とセトちゃんは答えた。
「『わかってる』ってなにが?」
「もう、小説は書かないってことだろ」
「いや、そんなことじゃないんだ」
「それじゃあ、なんの話?」
「セトちゃんは扶養家族がいることだし、一軒家を買ったらどうだろう」
「レンちゃん。俺にはそんな余裕はないんだ」
「僕が買ってあげるよ」
「おっ! じゃあ、豪邸を買ってもらおうかな」
「うん。いいよ、豪邸を買いな」
「冗談だよ。ありがたいけど、自分で買う」
「なら、三億円を貸してあげる。返済は月々一万円でいい」僕がそう言うと、
「残りの人生じゃ返しきれないな」とセトちゃんは笑いながら言った。
「それでいいさ」
「いいはずないって。しかし、この家にはずっと遊びに来るよ。ゲームもできるし、映画も見られるし、スポーツもできるしな。まあ、小説のことは忘れる」
「セトちゃんが小説のことを忘れてくれても、僕は忘れられないようだ」
「レンちゃん。それ、どういう意味?」
「小説を書くの、けっこうおもしろいんだよね」
 僕とセトちゃんは一瞬沈黙し、二人で大笑いした。そして、セトちゃんは真剣な顔をして言った。
「レンちゃん。やっぱり、三億円がほしい」
「あげるよ、セトちゃん。家を買いな」
「ちがうんだ。俺、自分で会社をつくりたい。新しい出版社をつくりたいんだ。おもしろい本を書ける新人作家をたくさん探し出してデビューさせる。そして会社が軌道に乗ったら、映画、音楽、ゲームと事業を広げたい。失敗するかもしれないけど、やってみたいんだよ」
 セトちゃんが本気で自分の夢を話したことはあっただろうか? 僕はとてもうれしくなり、返す言葉を忘れていると、セトちゃんはつづけて言った。
「レンちゃん。忘れてくれ、馬鹿らしい夢だな」
「なにも馬鹿らしくないさ。協力するよ。ただ、条件がある」
「条件? どんな条件だい?」
「僕が新作を書いたら、セトちゃんの会社から出版してくれ」
「あ、ああ、もちろんだよ! レンちゃんが新作を書いてくれるなら、起業する不安もなくなるよ。俺、本気でやる。新しい出版社をつくる」
「あと、もうひとつ条件がある」
「もうひとつ?」
「うん。それは、失敗しても落ちこまないこと」僕が言うと、
「ああ、約束する」とセトちゃんは力強く言った。
 会社をつくるとは、どういうことだろうと僕は考えた。金儲けのためだけに会社をつくるとは思えないし、そういう会社は大企業になったとしても、きっと魅力のない会社になるだろう。自分の好きなこと、やりたいことを追求してきた人が、気の合う仲間と興した会社こそ、魅力のある会社になり、本当の意味で大成すると僕は思う。

 二日後のことだった。僕は二階の部屋のこたつを午前中に片付け、昼食を外ですませて家に戻り、一時間ばかりゲームを楽しみ、そのあと二階の部屋で休んでいると、だれかが玄関のチャイムを鳴らした。僕が玄関のドアを開けると、学生服を着てリュックを持った男子高校生が、深刻な顔をし、うつむいて立っていた。
「君は……沖田君じゃないか」
 僕が言うと、彼は黙ってうなずいた。
「どうして、僕の家に?」
 僕が尋ねても、彼はうつむいて黙っている。
「とにかく中に入りな」そう僕が言うと、
「書けないんです」と沖田君が突然話した。
 二階の部屋に僕は沖田君を案内し、紅茶を淹れ、彼の話を聞くことにした。しかし、沖田君は紅茶も飲まずにしばらく黙っていた。彼が話し出すのを僕は待っていたが、その様子がなかったので自分から話しかけた。
「行き詰まったのかい?」
「……はい。なぜか、書けないんです」
「どんなにベテランの作家でも、そういうときはあるんだよ。僕が現役のときだって、三行しか書けない日はいくらでもあった」
「そんなの、うそです――」
「ほんとだって! 一日三行なんてときは、いくらでもあったさ。ただし、書けるときは一日でダーッと、四行くらい書いちゃうけどさ」
「それはすごいですね……」
 沖田君に僕のジョークは通用しなかった。彼はつづけて話した。
「俺、テレビのニュース番組や雑誌のインタビューで、長編小説を書いてると言ってしまったんです。だから、どうしても書けないと困るんです」
「僕は人にアドバイスできるほどの人間じゃない。セトちゃんには相談した?」
「セトちゃん? ああ、瀬戸さんですか。いいえ。瀬戸さんに、『おまえには、長編小説はまだ早い』と言われて、つい、『俺は天才だから、長編だろうが楽勝だ』と言ってしまったんです。瀬戸さんに謝りたいんですけど、なかなか言い出せなくて……だから……ほかに頼る人がいなくて……。北沢さん、この前は出版社のパーティーで失礼なことを言ってすみません。俺、馬鹿でした……」
「沖田君の言ったことは間違ってないさ。本当のことだよ。僕は作家として終わっていると思う。そんな僕に、いいアドバイスはできそうにないな」
 僕がそう話すと、沖田君はうつむき、また黙ってしまった。僕は小説の書き方について人にアドバイスをしたことはないし、うまくできるとも思えない。だけれど、うつむいている沖田君の悲しそうな顔を見ていたら、とにかくやってみようと僕は思った。
「ちゃんとアウトライン、構想メモをつくったかい?」僕が訊くと、
「いいえ。構想メモはつくってません」と沖田君は即答した。
「どういう書き方をしてるの?」
「俺は、テーマと主人公と大筋を決めて、あとは思いつくままに書いてます」
「それでは行き詰まって当然だよ。完成しても駄作になる」
「だけど、二作ともそうやって書いて成功しました」
「その方法を長編小説でやると失敗するんだ。ストーリーを展開するために必要な材料や主人公以外の登場人物は?」
「材料は書いていて必要になったら取材します。それと、主要なキャラクターは最初につくりますけど、それ以外のキャラクターは書いてる途中に必要になったら、その場で考えてつくります」
「それだと、先が書きたくても止まってしまうだろ?」
「たしかに、そうですけど……」
「ストーリーを展開させるために必要な材料を集めて、しっかりと構想を練ってアウトラインをつくっていれば、書きながら取材したり、書いている途中に登場人物を増やす必要も極力減らせる。そして、最初から最後までのストーリーの流れもつかめるんだ。自分が生みだそうとしている作品がどんなものなのか、ぼんやりとではなく、はっきりと見えてくる。思いつくままに書いていて偶然にいい作品が書けた、ではだめなんだ。それでは、毎回偶然を期待しなければならないからさ」
「だけど、いまから構想を練っていたら時間がかかります」
「逆だよ。いまからでも構想を練ってアウトラインをつくったほうが早道だ。精度が高い構想メモは、正確な設計図や地図のようなものだからね。複雑なものをつくるとき、設計図がなくて完成できるかい? 行ったこともない場所へ、地図を持たずにたどり着けるかい? 小説の内容をしっかり伝えるためには、作家が書いてる作品を理解していることが重要なんだ。しっかりしたアウトラインをつくらずに、大ざっぱな構想しか立てないと、自分で自分の作品を理解しないで書いてるのと同じことだよ。そのまま書きつづけると、最初のアイディアとかけ離れてきて思うように書けなくなってしまうんだ。その状態で、無理やり書き上げてしまうと駄作になる。傑作になったとしても、次回作がうまくいくかどうかわからない」
 沖田君の眼が輝きを取り戻したようなので、僕はつづけて話した。
「アウトラインどおりに作品を完成できるようになれば、新しいアイディアも理想どおりに小説化できる。しかし、思いつくままに書くスタイルを取っていると、すごいアイディアが思いついても、理想どおりの作品にならない可能性が高いんだ」
「いまからでも構想を練って、アウトラインをつくってみます」
「それがいい。あせらずに、納得のいくアウトラインをつくることだ。そうすれば、また書けるようになるさ」
「はい、やってみます」
「沖田君は素直で若いから、立ちあがるのも早いみたいだね」
「北沢さん。俺、がんばります」
「ああ、がんばれ。だけど、気楽にがんばれ」
「はい。気楽にがんばります」
「どうしても書けなくなったら、もっと楽しい仕事を探せばいいさ」
「たしかに、そうですね。すごく気が楽になりました。良く考えたら、俺が小説を書かなくても大したことはないですよね。くだらないことを深刻に考えてました」
「それにしても、小説を書くのは楽しいだろう。小説を書き上げたときの達成感はたまらないな。自分で考えた新しいストーリーが誕生するんだからさ。推敲を重ねるのも楽しいよ。作品は書き上がっているから、あとは思う存分手を加えたり、書き直したりできる。そして、新しい小説がこの世に生まれるんだ」
「早く構想メモをつくって、小説のつづきを書きたくなってきました」
「もう大丈夫そうだな」僕が言うと、
「はい、ありがとうございます」と沖田君は笑顔で言った。

 僕は沖田君に三階の部屋でゲームをやらないかと誘ったが、彼は早く帰ってアウトラインをつくりたいと言って断った。三階の部屋を自慢したかった僕は、ちょっとがっかりしてしまった。僕は沖田君を夕食にも誘ったが、答えは同じだった。彼は、「長編小説を書き上げたら、おごってください」と言って、無邪気に笑った。仕方なく僕はスウェットからジーンズとシャツに着替え、沖田君を上野駅まで送ることにした。
 まだ五時になっていなかった。僕と沖田君が上野公園内を歩いていると、別れた妻が幼稚園くらいの男の子をつれ、再婚した相手と噴水の近くで遊んでいた――三人は幸せそうな笑顔を浮かべている。持ちものから推測すると、家族で動物園に行った帰りらしい。きょうは平日だから、普通のサラリーマンの夫が休暇をもらって家族で遊びに来たのだろう。
 僕は彼女のあんな笑顔を見た記憶がない。僕と別れて正解だったようだ。お金よりも小さな幸せを選んだ彼女は、きっといい女なのだろう。別れた妻と彼女の新しい家族が幸せであるようにと、僕は心の底から願うことができた。
 別れた妻に気づかれないように僕がうつむいて歩くと、沖田君が話しかけてきた。
「どうかしました?」
「いや、別に。――きょうはいい陽気だね」と僕はごまかした。
「ほんと、気持ちいいです」沖田君は周りを見渡し、つづけて、「もう桜の花が散りはじめてますね」と言った。
「花が散っても、桜は桜さ」僕は微笑んで言った。
「そうですね」と沖田君も笑った。
「沖田君。『スリーアクト・ストラクチャー』って知ってる?」
「たしか、シナリオの三幕構成ですよね」
「うん。よく知ってるな」
「北沢さん、それがどうかしました?」
「小説家の人生も三幕あるそうだ」
「三幕ですか?」
「第一幕、書くことが楽しい時期で、多少のスランプも跳ね返せる。第二幕、書く意味を見失う時期で、そこから立ちあがってくるかどうかが勝負だ。第三幕、小説を書くことがすべてになる時期で、作家として完成される」
「じゃあ、俺の作家人生は第一幕ですね」
「先は長いぞ、沖田君」
「第二幕で、立ちあがれるかな……」
「あまり深く考えず、気楽にがんばれ」僕は桜を眺めて言った。
「そうですね。気楽にがんばります」沖田君も桜を眺めた。
 沖田君を見送り、家に戻った僕は、三階の書斎へ入って窓を開け、新作の構想を練るため、パソコンに向かった。夕暮れどき、僕がパソコンの前に坐っていると、ブンさんと逢った最後の日を思い出した。

 ある日、ブンさんが倒れ、病院の個室に入院した。それから僕は、しょっちゅうブンさんの病院へお見舞いに行っていた。
 季節は初夏で、それはブンさんが亡くなる前日だった。いつものように僕がブンさんの見舞いに行くと、ブンさんは無理やり元気そうな笑顔を見せた。しかし、もうブンさんはベッドから身を起こすことができなかった。
 僕がブンさんの寝ているベッドの横に坐ると、ブンさんは言った。
「書いてるかい? レンちゃん」
「ええ、いまは順調に書いてます。でも、ときどき筆が止まりますけど……」
「――もし、完全に書く気力がなくなったら、すべてを捨てなさい」
「すべてを、捨てるんです?」
「なにもかも捨てて、やり直すんだ」
「はい。わかりました」
 僕はそう答えたが、よく理解できなかった。
「……レンちゃん」ブンさんが小さな声で言った。
「ブンさん、なんですか?」
「そろそろ、私の人生に……句点を打つときが来たようだ」
「まだ早いですよ」
「いいや、不思議とわかるものだ。――それにしても、私の人生は大長編だったな」
「ブンさん……」
「レンちゃん。人生をやり直せるとしたら、また小説家になるかね?」
「どうでしょう。たぶん……小説家にはならないと思います」
「……私もだ」
 僕とブンさんは顔を見合わせ、微笑んだ。

 僕はパソコンのマウスに手をやり、新作のアウトラインを書くためにワープロソフトを起動した。ふと、僕が窓の外を見ると、夕焼けがきれいだった。
 あの日、ブンさんが話してくれたことを、いまになって僕は理解できたようだ。小説を書くのをやめようと思い、すべてを捨てたら小説を書く気力、情熱が戻ってきた。構想を練り、アウトラインをつくるときの楽しさ。小説を書きはじめ、徐々に作品が姿をあらわしてくるときの興奮。最後の一文を書き、句点を打つときの感覚。作品が仕上がったときの達成感と至福感。次から次へと僕の心に蘇ってくる。
 窓から気持ちいい春の風が入ってきた。おもてで遊ぶ子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえる。家の前を通りすぎた自転車がベルを鳴らし、僕の第二幕が開く。














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