僕は小説家(4/8)PDFで表示縦書き表示RDF


僕は小説家
作:新庭 一



第4章 秘密基地


 春は雨がよく降る。
 出版社のパーティーの帰りに降ってきた雨は、降ったりやんだりを二日間繰り返し、三日目のきょうも降っていた。いつものことだが、僕は朝からやることもなく、色褪せたジャージをだらしなく着て、こたつに入ってうつぶせに寝そべり、通信販売の会社から送られてきた分厚いカタログを読んでいた。
 いつからか、僕は小説を読むのがつらくなった。よほどのことがないと、いまの僕は小説を読まない――この前、沖田君の小説を読んだのが数年ぶりだと思う。それでも活字が恋しくなると、僕は分厚いカタログ通販のページをめくるのだ。
 僕はなにも買うつもりはないのだが、インテリアや雑貨などの生活用品を見ているとほしくなってくる。お風呂に入るのと寝るのが趣味になってしまった僕には、バスグッズと寝具はかなり魅力があった。
 もし僕が日記をつけたなら、ほとんど毎日、
『朝起きて、飯食って、風呂入って、夜寝る』
 これしか書くことがないだろう――ときどき、散歩とセトちゃん来訪が加わるけれど。しかし、いちおう起承転結になってるようだから、「これが新作です」と言って、僕は公に発表したい衝動に駆られた。
 それにしても通販のカタログには、いろんなものがたくさんあって僕には楽しい。本気で買いものをする場合は、僕はインターネットを利用するのだが、ただ見ているだけなら本のほうが好きである。
 僕が寛いでいるこの二階の部屋は、フローリングの上にカーペットが敷いてあり、十一月から四月ごろまではこたつを中央に出している。ほかにテレビやいくつかの家具と、コードレスの電話を載せたサイドテーブルなどもある。この部屋のいいところは、仕事に関するものがなにもないところで、僕が小説家だったことを忘れさせてくれる。
 三階は書斎を中心に、小説を書くための資料などが置いてある部屋がほとんどで、僕はあまり行きたくない。寝室やキッチンは二階だし、お風呂も一階にあるから、インターネットが必要でパソコンを使うとき以外は、僕は三階へあがらないのだ。
 そろそろ、三階にあるものを処分しなければと僕は思う。思い切って処分して、僕は三階を楽しい部屋にモデルチェンジしたい。ホームシアター専用の部屋をつくったり、TVゲーム専用の部屋をつくったり、遊びだけのためのパソコン専用の部屋をつくったり、運動不足を解消するためのトレーニング・ルームをつくったり……。
 よく見ると通信販売のカタログには、三階を僕の理想の部屋にするためのグッズが、これでもかというくらい載っている。僕は、あれもほしい、これもほしいなあ、と思い、わくわくしながらカタログ通販のページをめくっていた。まるで子供が秘密基地をつくる計画を練るかのように、僕は楽しくなってきた。
 雨がいくぶん激しくなったようで、窓などに打ちつける雨音が大きくなった。僕は分厚い通信販売のカタログをバサッと閉じ、それを枕代わりにして、こたつに胸くらいまで深く入り、仰向けに寝そべった――なぜか雨音が心地いい。
「秘密基地か、懐かしいな……」僕は独りごとを言い、眼をつむった。

 小学校のころ、僕にはよく一緒に遊んだ友達が二人いた。一人はマーちゃんという同級生の男の子で、もう一人は僕の近所に住んでいた一歳年下のトモ子ちゃんという女の子だった。僕とマーちゃんは、小学三年生のとき同じクラスになり、仲良くなった。僕とトモ子ちゃんは近所だったので、もっと前から一緒に遊んでいた。どのようにしてそうなったのか忘れたけれど、僕たち三人はいつのまにか一緒に遊ぶようになっていた。
 あれは僕が小学四年生のときで、とても暑い夏だった。
 僕の服装は半ズボンにTシャツで、髪型は普通だった。やんちゃな顔立ちのマーちゃんは、ジーンズにTシャツ姿で、頭をスポーツ刈りにしていた。くっきりとしたふたえまぶたが印象的なトモ子ちゃんは、ノースリーブのワンピースをかわいらしく着こなし、長い髪を大きなリボンでひっつめていた。三人とも毎日同じような服装だった。
 蝉の合唱がピークになり、夏休みも終盤になったある日の午後、僕たち三人は近所の公園に集まった。僕とトモ子ちゃんは、その公園に来るようにとマーちゃんから誘われていたのだ。
 マーちゃんは、僕とトモ子ちゃんをベンチに坐らせ、僕たちの前に立って話した。
「すごいのみっけちゃったぞ」
 その言葉を聞いて、トモ子ちゃんが言った。
「どうせまた変なのでしょ。あたしいやだからね」
 この前、マーちゃんの「すごいのみっけちゃったぞ」に僕たちがついて行くと、どこかのアパートの裏庭に、大量のムカデがいる場所だった。マーちゃんはそのムカデを数匹つかみ、トモ子ちゃんへふざけて投げつけると、彼女は「もう、絶交よ」と泣きながら怒って、家に帰ってしまったのである。でも、トモ子ちゃんの絶交は一日で終わった。
「こんどはちがうって! ほんとにすごいぞ」マーちゃんは力説した。
「ほんとかなあ?」トモ子ちゃんはあやしんだ。
「うそじゃないぞ。とにかく俺と一緒に来いよ、トモ子ちゃん。なあ、リョウちゃんは俺と来るだろ?」マーちゃんは眼を輝かせている。
 僕の本名は原田亮太だから、「リョウちゃん」と呼ばれていた。
「トモ子ちゃん。行ってみようよ」僕がそう言うと、
「でも、またムカデの大群だったらどうするの」とトモ子ちゃんは言った。
「ちがう、絶対ちがう。保証するって」
 マーちゃんは必死で説得したが、トモ子ちゃんは疑ってる。
「ムカデじゃなくても、ウジ虫だったらもっといやだわ」
「ねえ、マーちゃん。こんどはどんな虫?」
 僕が訊くと、マーちゃんは両手を腰にあてて偉そうに話した。
「こんどは虫じゃないぞ。すごい場所なんだ。ついてくればわかる」
「じゃあ、行く前に教えて」トモ子ちゃんは心配そうに訊いた。
「だめ! 秘密だから、ぜーったい、だめ!」マーちゃんは教えない。
「なんで教えないのよ。変なところだからでしょ」トモ子ちゃんは口をとがらせて言った。
「おもしろそうだから行く」僕は好奇心にあおられて言った。
「リョウちゃん、ほんとに行くの?」とトモ子ちゃんが訊いたので、
「うん」と僕は返事をした。
「しょうがないわね、もう」
 トモ子ちゃんがしぶしぶ承知したので、僕たちはマーちゃんのあとについて行った。
 当時の東京、特に下町には、まだ空き地がけっこうあった。マーちゃんが僕たちを案内した場所は、近所に残された空き地の中でもかなり広いところだった。
「ここのなにがすごいの?」
 トモ子ちゃんが訊くと、マーちゃんは指をさして言った。
「あそこだよ」
 僕たちがそこを見ると、ぼろい二階建ての家が一軒、広い空き地の中に立っていた。
「あの家のどこがすごいのさ」僕が言うと、
「あそこは空き家なんだ。裏から中に入れるぞ」とマーちゃんが説明した。
「でも、入ったら怒られるんじゃない」不安そうにトモ子ちゃんが言った。
「大丈夫。この空き地に建売住宅をつくるんだって。だからあの家も壊される。それまでは、入って遊んでも大丈夫なんだ」とマーちゃんが確信を持って話した。
「だけど、マーちゃん。中でなにして遊ぶの?」僕が質問した。
「――俺たちだけの秘密基地をつくるぞ」とマーちゃんが得意そうに言った。
「秘密基地!」僕とトモ子ちゃんは同時に叫んだ。
「さあ、行こう」マーちゃんがにっこり笑った。
 僕はマーちゃんのアイディアに胸が躍った。トモ子ちゃんの楽しそうな笑顔からも、僕と同じようにわくわくしていることがわかった。マーちゃんを先頭にして、僕たちは裏のドアからその空き家へと入っていった。
 玄関でトモ子ちゃんがサンダルを脱いで中へあがったので、僕とマーちゃんも履いていたサンダルを脱いであがった。空き家の中は少しカビ臭かったが、掃除をすればまだ充分に住むことができる状態で、いくつかの家財道具も残されていた。
 トモ子ちゃんが家の中を見まわして言った。
「ここを自由に使えるなんて、いいわね」
 マーちゃんが、僕たちを台所へつれていき、「見ろよ」と言って水道の蛇口をひねると、水が勢いよく流れ出した。
「わあ、ちゃんと水も出るのね」そう言ってトモ子ちゃんは、水道の蛇口から流れ出す水に両手を浸した。
「便所も使えるぜ」マーちゃんは得意満面。
「まずは――掃除をしましょっ」トモ子ちゃんの言葉に、
「えーっ!」僕とマーちゃんは嘆いた。
 トモ子ちゃんの命令で、僕たちはいったん自分の家へ帰り、箒や雑巾などの掃除道具を持って、また秘密基地に集まった。そして、トモ子ちゃんの命令で家の窓という窓を全開にし、僕とマーちゃんは夕方まで掃除をさせられた。トモ子ちゃんもいちおう掃除をしていたが、命令するほうが多いような気がした。
 マーちゃんが雑巾で畳をふきながら、一緒に雑巾がけをしていた僕に愚痴をこぼした。
「あいつと結婚する奴、かわいそうだな」
「なにか言った?」ちゃぶ台をふきながら、トモ子ちゃんが怒鳴るように訊いたので、
「マーちゃんがね、『トモ子ちゃんは、いいお嫁さんになる』って」と僕は答えた。
「うそばっかり。ちゃんと聞こえてるんだから」トモ子ちゃんは地獄耳だった。

 すっかりきれいになった秘密基地に僕たち三人は毎日集まって、たわいのない話をしたり、お菓子を食べたり、ふざけあったり、夏休みの宿題をやったりして遊んだ。僕たちのお気に入りは二階の八畳間で、ほとんどをその部屋ですごした。二階の窓からは、クーラーなんて必要ないくらいの涼しい風が吹き込んできた。そして、トモ子ちゃんが二階の八畳間を、『娯楽室』と名づけた。
 そんなある日、秘密基地で隠れん坊をして遊んでいると、鬼だったトモ子ちゃんが、隠れていた僕とマーちゃんを大声で呼び、娯楽室に集めた。彼女は二階の押し入れの奥からたくさんの文庫本を見つけ、とても興奮していた。隠れん坊が中断されたので、僕はちょっと不満だった。
「ほら見て。押し入れにあったのよ」
 ちゃぶ台の上にトモ子ちゃんが載せた文庫本は、五十冊ぐらいあった。僕たちは、そのちゃぶ台を囲むように坐った。
「すごい数の本だね」僕が言った。
「古本屋に売ったら、お金持ちになれるぞ」マーちゃんが案を出すと、
「だめよ。みんなで読みましょ」とトモ子ちゃんが言った。
「えーっ!」僕とマーちゃんの反応は同じだった。
「『えーっ!』じゃないわよ。本ぐらい読みなさい」トモ子ちゃんは先生気分のようだ。
「こんなの一冊読むのに、僕は十年かかっちゃうよ」
 小説など読んだことがなかった僕は、本気でそう思っていた。
「俺なんて、十五年かかるぞ」マーちゃんが対抗してきたので、
「やっぱり僕は二十年かかる」と僕は反撃した。
「俺、三十年!」とマーちゃん。
「僕、五十年!」五本の指を僕は広げた。
 なぜか僕とマーちゃんは、頭の悪さを競い合っていた。
「俺は百年だそ!」マーちゃんが強気に出た。
「そんなのずるいよ」百年は反則だと僕は思った。
「ずるくないしーっ」マーちゃんが憎らしい顔で言った。
「ずるいって」僕は悔しかった。
 見かねたトモ子ちゃんが止めた。
「二人ともやめて。馬鹿みたい――馬鹿だけど」
「だって、マーちゃんが――」
 僕の言い分を遮り、トモ子ちゃんが言った。
「あたしね、大人になったら小説家になるの」
「小説家!」僕とマーちゃんは同時に言い、顔を見合わせ、すぐに「ふんっ」と、そっぽを向き合った。
「二人とも仲直りしてね。――あたし、本が好きだから小説家になろうと思うの。小説家になれなかったらね、本屋さんになりたいの」トモ子ちゃんは、ちゃぶ台の上に載っているたくさんの本を見つめて話した。
 このとき、僕とマーちゃんは小四でトモ子ちゃんは小三。彼女が「本が好き」だと言っても、たぶん小説は読んだことがなかったと思う。トモ子ちゃんが読んでいたのは、童話などの児童書ぐらいだろう。彼女の話を聞いていると、すでに小説も読んでいるような口ぶりだったが、「小説を読んだ」とは言ってなかった。
 女の子は男の子より大人に憧れるのが早い。だが、女の子は大人になると極端に若さに執着するという不思議な性質を持っている。大人に憧れつつ、年を取りたくない――僕にはさっぱりわけがわからない。
「小説を書くのはたいへんだぞ」マーちゃんが言うと、
「だから勉強いっぱいするもん」とトモ子ちゃんは反論した。
「勉強してもたいへんだぞ」マーちゃんは引き下がらない。
「勉強しなかったら、もっとたいへんだもん」トモ子ちゃんは意地を張った。
「俺なんか三行書くのに一日かかっちゃうな」マーちゃんが自慢したので、
「僕なんかさ、三行書くのに二日かかっちゃうよ」と僕も自慢した。
「俺、五日!」マーちゃんが攻撃してきた。
「僕、一週間!」こんどは負けられないと僕は思った。
「また、はじまったわ……」トモ子ちゃんはあきれてつぶやいた。
 彼女はいやがる僕とマーちゃんに、押し入れから出てきた文庫本を三冊ずつ渡した。僕はその小説を読む気などまったくなかったが、仕方なくもらった。残りの本はトモ子ちゃんが全部もらったが、一人で家まで持って行くのはたいへんだと言い、僕とマーちゃんは彼女の家まで本を運ぶはめになった。
 その帰り道、マーちゃんが言った。
「リョウちゃん。将来、なんになる?」
「……僕、消防車になりたいな」
「消防車? 消防車にはなれないぞ。あれは車だからな」
「そうだね。やっぱり、刑事がいいな」
「刑事か! すごいじゃん」
「マーちゃんは、なんになるの?」
「俺、中学に行ったら野球やって、将来はプロ野球の選手になるんだ」
「そしたら、後楽園にマーちゃんを見に行くね」
「うん、見に来てくれ。ただ券あげるぞ」
「やったーっ! ただで野球が見られる」
「なあ、リョウちゃん。刑事は犯人を捕まえるために、足が速くないとだめだぞ。野球選手も足が速くないとだめだ」
「うん。そうだね、マーちゃん」
「リョウちゃん。走ろうか?」
「うん。走ろう、マーちゃん」
 東京下町、蝉が鳴く夏の夕暮れ、僕とマーちゃんは夢に向かって走った。

 子供はほとんどニュースなど見ないから台風が接近しているなんて、僕もマーちゃんもトモ子ちゃんも知らなかった。
 僕たちは秘密基地の二階の娯楽室で、駄菓子を食べながらいつものようにおしゃべりをしていた。時間は午後の四時すぎだった。
「ふーん。リョウちゃんが刑事で、マーちゃんがプロ野球の選手になるんだ」トモ子ちゃんは感心したように言った。
「すごいだろ!」マーちゃんが言った。
「すごいだろ!」僕も言った。
「みんなの夢が叶うといいわね」
 トモ子ちゃんの言葉に、僕とマーちゃんは笑顔でうなずいた。
 秘密基地には電気がつかないが、それにしてもやけに室内が暗くなった。
「なんか暗くない?」僕が言うと、
「風も強いな……」とマーちゃんが言った。
 僕たち三人が窓の外を眺めると、空は分厚い雨雲に覆われ、ものすごい風が吹き、電線や看板、近所の家の植木などを激しく揺らしていた。
「……台風だな」マーちゃんが雨雲を見て言った。
「あたし、怖い……」トモ子ちゃんが心配そうにつぶやいた。
 突然、空が光り、雷が鳴り響いた。トモ子ちゃんが悲鳴をあげた次の瞬間、大雨が轟音を立てて降ってきた。
「早く窓を閉めよう!」
 僕が怒鳴ると、マーちゃんが急いで窓を閉めた。猛烈な雷と暴風雨の音に、僕たち三人は不安になり、トモ子ちゃんを中央にし、部屋の隅に座り、寄り添って縮こまった。
「うちに帰りたい……」トモ子ちゃんは半分泣き声で言った。
「いま外に出られないからがまんしろ」マーちゃんが励ました。
 雷が激しく鳴るたびに、僕たちは身体を寄せ合った。
「あのね。僕、すごく怖い話を知ってるんだ。これは、本当の話なんだよ」
 僕がそう言うと、マーちゃんとトモ子ちゃんが注目したので、僕はその話をした。
「最近、この辺で子供を誘拐して食べている殺人鬼がいるそうだよ。その殺人鬼は決まって嵐の日に現れるんだって。そう、きょうのような日にやってきて、無理やり子供をつれていくんだ――」
「やめて、リョウちゃん……」
 トモ子ちゃんの願いを無視して、僕はつづけた。
「そして殺人鬼は、泣き叫ぶ子供を生きたまま食べるんだって。最初に目玉を指でえぐり出して、ゴックン、と飲み込んでしまう。次に髪の毛をラーメンのようにズルズル食べたあと、包丁でおなかを切り裂き、素手で内臓をえぐり出して、ムシャムシャと食べる。その次は頭から爪先までの肉をペロリと食べて、最後に骨までボリボリと跡形もなく食べてしまうんだって」
「う、うそだよ……そんな話」マーちゃんの声は震えていた。
「もしかすると、その殺人鬼がここにやってくるかもよ。だって、この空き家の近くで遊んでいた子供たちが、みんな誘拐されているんだから……」僕も怖かった。
 ものすごい音が鳴り響き、近くに落雷した。僕たちは思わず悲鳴をあげた。外は夜のように暗くなり、大粒の雨は暴風によって窓ガラスに激しく叩きつけ、雷は絶え間なく光って鳴りつづけた。
「こんな話も聞いたことがある。本当の話だって――」僕が言うと、
「やめて、やめて、聞きたくないわ!」とトモ子ちゃんは叫んだ。
 僕は怖がる二人がおもしろくて、また怖い話をした。
「ある女の人が、雨宿りのために空き家に入ったそうだ。そしたら、その空き家にもう一人あやしい男が雨宿りをしていたんだ。女の人がその男をよく見ると、男は大きなバッグを大切そうに抱えていたんだって。女の人は不思議に思い、そのバッグの中身を知りたくなった。男は、『トイレに行ってきます。このバッグを持っていてください。でも、けして中を見ないでください』と言って、女の人にバッグを渡し、トイレへ行ってしまったんだ。男がいない間に、どうしても女の人はバッグの中を見たくなって、そのバッグを開けてしまったんだよ。そして女の人がバッグの中をのぞくと、だれかの生首が入っていた。その生首は、男がさっき殺してきた死体の生首だったんだ。女の人は男が戻ってくる前にバッグを閉めようとしたが、ファスナーが引っかかって閉まらない! そこに男がトイレから戻ってきて、『あれほど言ったのに見たな。おまえも殺してやる!』と怒鳴って、女の人の首を絞めて殺してしまった。
 その日から嵐になると、その空き家に殺された女の人の幽霊が出るそうだよ。そして、『見せて! 見せて! バッグの中を見せて!』と言って、やってくるんだって。そのとき、バッグを持っていれば中を見せて助かるんだけど、もし持っていなかったら呪い殺されるそうだよ」
 暴風雨が窓に叩きつけ、いまにも窓ガラスを破りそうだった。
「もしかしたら、その空き家がここかもね」僕はつけ加えて言った。
「……ここだったら、どうしよう」トモ子ちゃんがおびえている。
「ちがうって。ここじゃない」マーちゃんは、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
 マーちゃんとトモ子ちゃんの顔色が悪く、微かに震えている。僕がした話は、即興で考えたつくり話だったが、自分でも怖くなってきた。
「まだ、怖い話があるんだ――これも本当の話だよ」僕は新しい話を考えた。
「もうよせ、リョウちゃん。トモ子ちゃんが怖がってるだろ!」
 そう言うマーちゃんが、一番怖がっていると思う。
「うん。じゃあ、やめる」僕が話すのをやめようとしたら、
「ど、どんな話なの?」とトモ子ちゃんは聞きたがった。
「こ、怖いけど、気になるな……」マーちゃんも聞きたいようだ。
 怖いから聞きたくない――でも聞きたい。人間の不思議な心理である。僕は二人のために、新しくつくった怖い話をしはじめた。
「僕たちと同じくらいの年齢の子供たちがね、空き家に入って遊んでいたんだって。子供たちが時間を忘れて遊んでいたら、外は大雨になってしまった。子供たちはしばらく雨宿りをしていて、雨がやんだから外に出たんだ。そしたら、そこは見おぼえのない町だったそうだよ。その空き家は、嵐のあとに四次元空間の入り口につながってしまうんだ。四次元空間の町では、血まみれで身体が腐っている人間たちが包丁を持って、『なぜ、この町に来たんだ! 死んでくれ! 死んでくれーっ!』と怒鳴って、ものすごい勢いで追いかけてくるんだって。その子供たちは、二度と自分たちの家に帰れないそうだよ」
 マーちゃんとトモ子ちゃんは、恐怖で顔面蒼白になっている。自分の話に怖くなり、たぶん僕の顔も青白くなっていたと思う。
 つづけて僕は話した。
「もし、この空き家が四次元空間の入り口だったら、僕たちは二度と自分の家に帰れないかもね……」
「うちに帰れなかったら、どうしよう……」マーちゃんが震える声で言った。
 鼓膜が破れるような轟音が炸裂! 間近に落雷した。僕は驚き、トモ子ちゃんに抱きついた。彼女は僕に抱きつかれた瞬間、甲高い悲鳴をあげた。その悲鳴を聞いて、マーちゃんが両手で自分の耳をふさいだ。
「リョウちゃんの弱虫!」トモ子ちゃんが叫んだ。
「だって、怖いよ」僕は泣きべそをかいた。
「しーっ! 静かに!」マーちゃんがきょろきょろして言った。
「ど、どうしたの? マーちゃん」僕が訊くと、
「なにか聞こえるぞ……」とマーちゃんは耳をそばだてた。
「さっきから聞こえてるわ。雷と大雨の音が」トモ子ちゃんが言うと、
「……ちがう。一階にだれかいるぞ」とマーちゃんは言った。
「でも、鍵が閉まってるよ」僕はドキドキしていた。
 僕たち三人が一階の音に集中すると、階段が、ミシッ、ミシッと、きしむ音が聞こえてくる。
「き、来たんだわ……」トモ子ちゃんが眼に涙を浮かべて言った。
「き、き、来たって、だ、だ、だれが?」僕は恐怖でうまくしゃべれない。
「殺人鬼よ! 殺人鬼が来たんだわ!」トモ子ちゃんは泣きながら言った。
「そ、そんなの、く、来るはずない!」僕は断言したが、自信はなかった。
 僕たちがよく音に注意すると、ギシギシ、ミシミシ、と秘密基地のそこらじゅうから聞こえている。さらに、雷雨と暴風の音は不気味さを増していた。
「お、女の人の幽霊かも……バ、バ、バッグ持ってないし……」マーちゃんの顎はガクガクしていた。
「来ない、来ない、だって――」
 僕がつくり話だと言おうとしたとき、一階でガターンッと、なにかが激しく倒れる大きな音がした。僕たち三人は同時に悲鳴をあげた。
 台風は二時間くらいで去っていった。その間、僕たちは身体を寄せて、慰め合いながらすごした。台風が去ったことに僕たちが気づくと、娯楽室の窓から血のように真っ赤な夕日がさし込んでいた。
「台風が行っちゃったみたい……」トモ子ちゃんが、閉まっている窓を見て言った。
「よかった。早く帰ろう」僕はため息をついた。
「ちょっと待った。……おかしいぞ」マーちゃんが不安な口調で言った。
「なにが、おかしいの?」僕が心配して訊くと、
「……赤すぎる」とマーちゃんは答えた。
「ほんと、あ、赤いわね」トモ子ちゃんが不思議がった。
「外は四次元空間かもしれないぞ」マーちゃんが恐ろしい推測をした。
「大丈夫、大丈夫さ。だって、あれはみんな僕が考えたつくり話さ」僕は正直に話した。
「それ、ほんとか?」マーちゃんは怒ったように言った。
「みんなリョウちゃんが考えたつくり話だったの?」トモ子ちゃんも怒っているようだ。
「二人とも、怖がりだなあ」
 僕は笑ってごまかし、立ちあがり、窓際へ行って窓を全開にした。沈みかけていた夕日は、辺り一面をオレンジ色に染めていた。雨あがりの草のいい匂いが漂ってきた。
「ほら、見てみな。すごいよ」
 そう僕が言うと、マーちゃんとトモ子ちゃんも窓際に来て外を眺めた。
「うわあ、きれいね」トモ子ちゃんが微笑んだ。
「こんな夕焼け、見たことないな」マーちゃんも笑顔になった。
「でも、リョウちゃん。自分で考えた話なのに、どうしてあんなに怖がってたの?」
 トモ子ちゃんの質問に僕は狼狽した。なぜなら、自分の考えた怖い話で僕は怖くなってしまったのだ。
「こ、怖がってないよ」僕がそう答えると、
「うそだあ。すごく怖がってたぞ」とマーちゃんが言った。
「……ちがう。雷が怖かったんだ」そう言って僕はごまかした。
「リョウちゃんの話、怖かったけど、ドキドキして楽しかったわ」トモ子ちゃんがうれしいことを言ってくれた。
「うん、すごく怖かった。でも、おもしろかったなあ」マーちゃんの言葉もうれしかった。
 自分のつくった話で他人をよろこばす楽しさを僕は漠然と知った。
「見て、一番星!」トモ子ちゃんが空を指さして声をあげた。
 夕暮れの空に一番星がまたたいている。
「ほんとだ」僕も空を見あげた。
「光ってるな」マーちゃんも星を見た。
 僕たち三人は、しばらく夕日に見とれ、その笑顔を夕焼けが優しく照らしてくれた。
 その空き家で遊べたのは一か月ぐらいだった。夏休みも終わったある日の学校帰り、僕たち三人は秘密基地が壊されるのを見に行った。ひとときの思い出が、ショベルカーなどの産業用重機で取り壊されていく様子を、空き地全体に張られたフェンス越しに、僕たちは眺めていた。
 トモ子ちゃんが手の甲で涙をしきりにぬぐっている。僕が思っていたい以上に、彼女には秘密基地で遊んだ時間が楽しかったのだろう。マーちゃんがトモ子ちゃんの頭を軽く叩き、「また探してやる」と慰め、彼女はうなずいていた。
 それからマーちゃんは何か月も新しい秘密基地を探したようだ。友達をよろこばせるために、自分の時間を犠牲にして空き家を探しまわったマーちゃん。しかし、新しい秘密基地はもう二度と見つからなかった。

 雨音が心地よく、僕はうとうとしてきた。こたつに入り仰向けに寝そべっていた僕は、閉じていた眼をそっと開き、天井を見つめた。
 トモ子ちゃんは大学卒業後、銀行に就職し、社内で知り合った男性と結婚して、いまは主婦業に専念しているそうだ。彼女は小説家にも本屋にもならなかった。
 マーちゃんは中学で本格的に野球をやり、高校野球で有名な私立校へ推薦入学し、学校の寮に入った。高校二年の冬、学校帰りに僕が田端駅付近の横断歩道で信号待ちをしていたとき、休みをもらい地元に帰ってきたマーちゃんとばったり逢った。彼は大きなスポーツバッグを持ち、私立高校の制服を着ていた。僕は都立高校の制服だった。
 野球のほうはどうかと僕が訊くと、「レベルがちがう。俺なんか、だめだな」と言って笑う、マーちゃんの寂しそうな笑顔が忘れられない。彼は高校卒業後、食料品を扱う会社に就職し、二十代で結婚した――いまでは立派なお父さんだと思う。
 華やかな大舞台で活躍するスター選手を見ると、僕はマーちゃんを思い出してつらくなる。でも、なにかを夢見て目指し、夢に破れ、それでも笑顔を忘れず、歯を食いしばって必死に生きている人たちのほうが、僕には魅力がある。
 ところで、トモ子ちゃんから無理やり渡された三冊の文庫本、あの小説はずっと持っていて、僕が高校時代に初めて読んだ。そして、いまでも僕はあの小説を持っている。その三冊は、すべてブンさんの作品だった。それが僕の運命を決めた。僕は刑事ではなく、小説家になってしまった。
 不意に電話のベルが鳴り、あわてて立ちあがった僕は、こたつの天板に膝をぶつけた。さらに、電話に駆け寄ったとき、僕は足の小指をサイドテーブルの角にぶつけてしまい、激痛が走った。さらに、さらに、電話の受話器を取ろうとしたとき、不覚にも僕は突き指をしてしまった――なにか悪いことしたっけ? と思いつつ、痛みをこらえつつ、僕はやっと電話に出た。












ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう