寄り道 二
宿とは名ばかりの粗末な小屋だった。時間を間違えた旅人が、あるいは短期雇いの手伝いが、とにかく寝るためだけの建物だという話だ。
中にはぼろぼろの寝具がいくつかと、歪んだテーブルが一つ。これを見れば、先ほどの話が真実であることが一目で分かる。
ルナリアはテーブルへと備え付けられた椅子へ腰掛け、エリスは壁際に立って荷物を降ろす。ルネッタは迷ったが、エリスの隣に並ぶことにした。
「あっあっ……あの、こ、こ、これ……」
サリアが震える手つきでテーブルへとコップを並べる。中には桃色の液体が並々と注がれていた。
「うちの農場で作った果汁で、ルナリア様の御口に、ああ、あうかどうかはっ」
「ありがとう」
ルナリアは微笑んで、コップを手に取った。一口飲んで、おいしいよとサリアに告げる。それだけで農家の娘は酒にでも酔ったみたいに赤くなってしまった。
無理も無いとは思うけれど。
「さて」
コップを置いて、腕を組み、ルナリアは続けた。
「細かい事情を説明してくれるかな?」
サリアは神妙な顔つきで、頷いた。
「最初は、確か半年くらい前でした。いつものように作業をしてたら、突然やってきて……」
思い出したのか。サリアは小さく体を震わせた。
「誰かが殺されるようなことはありませんでした。畑を荒らして、少しの金品を奪って……その程度であっさりと去っていくのが返って不気味で……」
「それで、ライール卿に届け出たのか?」
「はい、父が。五年前まではここもライール様の領地でしたので、助けて頂けないかと。被害分はすぐに助けていただけましたが、あくまで現在はアスルム様の領地であり、兵を出すことは出来ないと」
「ふむ……それでは、アスルム卿には?」
サリアは顔を曇らせた。
「それが……被害もすずめの涙で、けが人すら出ていない。己らで解決する程度の問題であって、兵を出す必要性をまるで感じない。そんなに困っているのであれば、ライール様に助けてもらえば良いのでは、と……」
ルナリアが小さく唸る。
「順番を間違えたかな」
「かも、しれません。けど最初からアスルム様に届けてもどうなったかは……」
俯いたまま話すサリアの声音は、今にも消え入りそうだった。その光景は胸を締め付けられるようではあったけれど、口を挟める立場でも無い。
「それで」
エリスが、突然声を出した。妙だとルネッタは思う。やけに冷たく感じるのだ。
「賊の数は? 装備は?」
「それ、は、ええ、と……」
弾かれたように顔をあげて、怯えるように肩を震わせ、サリアは続けた。
「たしか、十人くらいで、武器は棍棒程度だったと思います。凶悪な強盗団、という感じでは……その、無いかと」
「であれば、なぜ抵抗しないのですか」
エリスが組んだ手を解いて、一歩踏み出した。
「相手はたかが十。武装も甘い。この農場の規模からして、働き手の二十やそこらは居るはずでしょう。数に任せて追い払えば、それで解決するはずでは?」
サリアの目が泳ぐ。唇が小さく動く。
三秒近くの沈黙を挟んで、ようやく彼女は言葉を紡いだ。
「この農場は、私達は、第三市民なんです。戦うなんてとても……」
呆れたようなため息が、エリスの口から漏れる。
怯えて俯くサリアに向けて、ルナリアは柔らかく声をかけた。
「まぁいいさ。それで、次に奴らが来るのは何時か、目処はついているのかな?」
サリアは小さく頷く。
「今日、だと思います」
「なるほどね。だから体を張って馬車を止めたと」
「……はい」
ルナリアはゆっくりと立ち上がった。
「私達はここで待つ。来たら知らせてくれれば良い」
微笑むルナリアに頭を下げて、サリアは小走りで小屋から出て行った。少し――怯えているようにも見える。
「エリスー」
「……気に入らないものはどうしようも無いでしょう」
たしなめる様なルナリアの声にも、しかしエリスは動じない。珍しい、とは思う。
小さなため息を一つついて、ルナリアは言った。
「気に入るかどうかは別にして、不自然ではあるな」
「……そうですね。偶然にも助けが来ないから良いものの、この農場が危険に見合った得物には見えません。棒切れしか持たないというのもおかしな話です」
ルナリアは顎に手を当てて、軽く俯いた。
「事情を知っている者ゆえ、か? しかし利が薄すぎる。一つずれれば、盗賊団など皆殺しにされても文句など言えない」
エリスが大げさに肩を竦める。
「考えても分かりませんよ。情報があまりに少なすぎます。あの娘とて、知っているようには見えません」
「直接聞いたほうが早いか」
そう言うと、ルナリアはコップを手に取り残った果汁を飲み干した。
サリアが血相を変えて小屋へと飛び込んできたのは、それからほんの一時間程度を過ごしたところだった。
「と、とうぞく、がっ! いつもより、多くて……南と、北に、同時に……っ!」
「わかった」
静かな声音でルナリアが答えた。ゆっくりと歩き出す彼女の背中を、エリスが追う。
扉が開かれた。農場も空も、夕焼けによって赤く染まっている。
ルナリアは右へ、エリスは左へ。隣り合うように立って、首だけでそれぞれの向かう先を見据えている。
そのまま、こちらへと声をかけた。
「ルネッタはここで待っていてくれ。なぁに、すぐ済む」
「出迎え方を考えていてくれると助かりますね」
素手。そして恐らくは圧倒的な数の差。それでも、二人に緊張は毛ほども見えない。それが当然であろうことは、今のルネッタには理解できる。
二人が動く。背中合わせになった。
ルナリアが声をかけた。
「エリス、殺すなよ」
「盗賊ですよ?」
「疑問だらけだ。何よりそこまでの凶悪犯なのかも分からん」
「……努力はします」
ルネッタにも感じれるほどに『何か』が激しく高まって――抉れるほどに地を蹴り、二人はまさしく矢のように駆け出した。