第三話 旅の極意
巡礼の聖地「ハダール」は大きな半島だ。そこには百ヶ所の「札所」と呼ばれる霊場や寺院があり、それらを決められた順番に歩いて回らなくてはならない。
第一の札所がある場所までは、フンブッセ先生が“転移の杖”で送ってくれることになっていた。
……本当に行かなくてはならないのだろうか。ラニーヴァには今、“冥王事変”においてベイセン王子のそばで戦った優秀な魔道士が本軍到着を待っているらしいし、フンブッセ先生の息子さんも強い法力を持つ修道士だって話だ。それにリムンジェロ司教の秘蔵っ子で“灼熱の魔女”の異名を持つモニカさんなんか、ぼくとはケタ違いの強い魔力を持った魔道士だし、ぼくなんかとは魔道士としての血筋が違うんだ。そんな彼らが司祭になれば、ぼくなんか必要ないと思うんだけど……。
軍の回復役をユニやルグレアのように若い女の子に頼っている現状も、どうなのかと思う。
「ジリン、荷支度、手伝うよ」
ぼくにあてがわれた船室で一人考え込んでいると、ルグレアが声をかけてきた。
暑がりのルグレアは汗をかいたからかさっきの格好と違って、肩を出した袖なしの、薄い青色の上着に着替えていた。ずいぶん伸びた金色のくせっ毛は後ろで高く結んでいる。
「ああ、ありがとう」
荷支度とは云っても、もともとが旅の身の上だ。特別に準備するものなどない。魔道書は、言葉を発してはいけない無言巡礼には不要なものなのでフンブッセ先生に預けていくことにした。持って行くのは背負い袋、衣服の替え、革の水筒(固くて頑丈だけど水ににおいが移る)、そしてかさばるのが悩みの種だがないと困る、寝袋。
お金は多めに持っていた。他に必要な物は現地で調達することになるだろう。
「大丈夫、ジリン? あんな風に云ったけど、本当に無理だと思うなら、今からでもきちんと話して……どうしても断りたいんなら、わたしからも話してあげるけど……」
ぼくはよっぽど落ち込んだ顔をしていたらしい。ルグレアがさっき云った言葉を撤回して、心配そうに尋ねる。
「もういいよ。頑張って、行ってくる。そうでないとこのままだったらぼく、いつまでも役立たずのまんまだし……」
我ながら情けない言葉だと思った。
「それよりも、ルグレアはぼくがいなくても平気?」
「わたしは、大丈夫。フンブッセ先生やヨルムさんもいるし、合流すればミュールトーさんたちもいるんだし」
ルグレアは以前より少し痩せたようだ。目の下にも、クマができているのがわかる。「やせた?」と尋ねると、「やせたかも。わたし、夏場はやせて、冬場は太るの」とあっさりと答えた。
「……あんまり、頑張りすぎないでね。ユニがいなくなれば、みんなの傷を治療したりするのは全部ルグレアの仕事になっちゃうんだから」
「フンブッセ先生もいるわ。それに、傷を治すのは治癒の杖ばかりってわけじゃないし。みんなにはできるだけ傷薬とヌワラニアの霊薬を持ってもらうようにするし」
そう云いながらも、ルグレアの口ぶりは、どこか不安な色が隠せないように聞こえた。
生まれたときからずっと一緒だったぼくとルグレアだ。ぼくが不安でいっぱいなのと同じで、ルグレアも不安なはずだ。
ぼくとルグレアが、ぼくのお腹が弱いことについて話していると、ヨルムさんが訪ねてきた。
「ジリン、旅の準備は万端か?」
我が軍で一、二を争う剣の腕前であり、マハガリテの山賊たちからぼくたちを守ってくれた守護者――剣士ヨルムさん。戦いのときは、獣のような恐さと、なんていうか「生き物としての存在感」が強いって感じたのを覚えている。グラーギオの黒騎士たちも勇猛だったが、ぼくはヨルムさんのように超越した強さの戦士を見たことがない。
ヨルムさんが戦っている姿は、動きに無駄がないというのだろうか、なんだか力を抜いているようにすら見えた。剣術というのは、ひょっとしてとても簡単なものなんじゃないかと勘違いしてしまうくらい、ヨルムさんは楽に動き、いとも簡単に敵を倒した。
鎧を脱いでいるのにいつもよりよけいに厚みがあるように見える肩や、ぼくの何倍もありそうな分厚い胸板、締まっているがとてもがっしりした脚。腰には、いつも身に帯びている愛剣。
「ヨルムさん……、ぼく、大丈夫でしょうか」
いかにも気が弱そうな声が漏れた。
「ハダール地方は今のところ戦火も免れているし、治安がとても良い場所だ。肉食の獣もほとんど出てこない。初心者にはちょうど良い旅の訓練にもなるだろう」
ヨルムさんは茶化すこともなく真面目にそう答えてくれた。
「ハダールには、もうずいぶんと前になるが一度行ったことがある。数ヶ所、札所も同行して廻ったこともある。そのときに知り合ったザンパスマという男を訪ねてみるといい。何か力を貸してくれるかも知れん」
ヨルムさんが以前一緒に旅をしたという同行者の居場所を教えてくれた。
「暑い季節だ。十分な水をとること、休憩をこまめにとることを忘れるな。巡礼地は高所もある。山の上は寒いときもあるだろう。暑いときは飲む。寒いときは食べる。これも忘れるな」
ヨルムさんの言葉に、ルグレアもうなずきながら耳を傾けていた。
これらの助言は、今までの旅の中でも何度か聞いた言葉だった。しかし、明日からは旅慣れた者は同行しない。自分たちで気をつけないといけない。しかも、言葉を発することが禁じられるから、ぼく自身がしっかりしていないと、誰も助けてはくれない……。
「あとは、よく眠ることだ。旅の極意は、一分一秒でも多く眠り、可能な限り少しでも良い条件で深く眠ることだ。体力的に過酷な旅ならなおのことそれが云える。夜盗などが出る地方ではなかなか安眠するのは難しいが、治安のいいハダール地方なら、夜はしっかり寝られるだろう」
ヨルムさんが云うのなら、そうなのかもしれない。気休めはあまり口にしない人のはずだから。
「まぁ、息抜きだと思って、楽しんでくるんだな」
ヨルムさんは気楽そうにそう云って、部屋を出て行った。
ルグレアが、ぼくになにかを手渡した。
「ジリン。これ」
見ると、それはルグレアがいつも肌身離さず身につけていた護符だった。
「このアミュレット、お母様の形見だから。お守りに、貸しててあげる。絶対に、なくさないでね」
ぼくは、それを黙って受けとった。
「絶対よ」
「……うん」
ぼくは。
ぼくはずっと、これまでずっと状況に押し流されてここまで生きた来たような気がする。
なぜだかわからぬまま故郷を失い、納得いかないまま、新たな旅に出ようとしている。
人生ってなんだ?
運命ってなんだ?
旅するこの日々の理由ってなんなんだ?
……巡礼の旅をしてくれば、なにか見つかるものがあるんだろうか。
いまのぼくには、わからない。
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