第73話After dark
彼女……一条麻衣と出会い、ここに来て失われたしまった感情に気づかされたあの日
あの日から俺の日常は大きく、今まで日常が嘘だったかのように変化していった。
一つ目の変化
それは、麻衣さんの友達である俺より年上な伊織美香、橘愛理、葉月早苗との出会い
まだ人付き合いに慣れていない時期、それも学内で有名な嫌われ者だった俺を目の前にして
驚いた様子を見せながらも、俺に触れようと、近づいてくれようと思ってくれた存在。
麻衣さんの紹介で知り合った俺達だったが、3人とも俺を弟のように接してくれて
本当の姉のように強引に引っ張って導いていってくれたり、優しく包み込んでくれた存在。
伊織さんは、少し……というか、かなりの心配性な人で時々俺の頭を困らせるが
どんな小さな悩みであっても、相談に乗ってくれる優しいお姉ちゃん。
橘さんは、いつも明るく振り回されてばかりの俺だったが、時には的確に厳しくも優しい
言葉を送ってくれる頼れるお姉ちゃん。
葉月さんは、本当に変わった人で、時には俺の思考すら呼んでしまうぶっ飛んだ人物だが
間違いなく彼女は俺と同じ、似た存在であり、いつも俺の気持ち、感じた思いを
その不器用な優しさで癒してくれた理解あるお姉ちゃん。
3人はそれぞれの個性を持って俺に必要な何かを伝え、間違いなくこの人達の出会いは
昔の俺を取り戻すために大きな変化をもたらしてくれた
二つの目の変化
それは、学内一の人気者である東恭介のとの出会い
出会いは偶然……たまたま起きた一つ、一つ出来事が奇跡のように
はたまた必然のごとく重なっていき、俺達は出会った。
胡散臭いその笑顔、ムカつくくらいの美形。俺が好まない条件を複数個、所持しながらも
昔からの友人のように、妙な心地よさを感じずにはいられない存在。
いつの間にか俺の傍にいて、何かする訳もなく飲み物片手に言葉を交し合う日々。
何の面白みもない、だけれど捨てることのできない、愛しささえ感じるこの空間
……そういえば、奴と関わるようになって周りの目が気にしなくなったような気さえする。
違う。気にしなくなったのではなく、多分だけれど奴と関わりを持つことにより
周りの視線も俺をそんな目で見ることが少なくなったのかもしれない。
とにかく、言葉で表すなら奴は大切な友人……いや、奴の言葉を借りるなら大切な親友だった
三つ目の変化
それは、朝倉沙希との再会……
俺は「サイボーグ」「アンドロイド」と呼ばれるようになってから
いわゆる学内で嫌われ者と自分の中でも認知するようになってから
朝倉沙希……この地、アメリカで始めてできた友達と呼べる最初の存在であった
沙希を俺は、突き放した。彼女に何らかの影響を与えないためにも……
俺という存在は彼女から不要な存在だと俺は勝手に決め付けて遠ざけた。
でも、それは今から考えれば友達と呼ぶ、沙希に向けての裏切りの行為でもあった。
彼女に助けを求めるわけもなく、ただ突き放して逃げるように去るだけ
間違いなく、朝倉沙希を俺は裏切るような行動を取ってしまっていた。
もう……会いたくても、会えない存在。そう思っていたのだが
彼女、朝倉沙希は数年後、俺に話しかけてくれた。再び俺と関わりを持とうとしてくれた。
俺は今まで無視を、会わなかった自分を恥じ、そして謝罪した。
彼女はそれを許してくれ、今までの事が何であったのだろうと思うくらいに
あっさりと仲直りすることができた。あの時の日々が、再び戻ってきた。
そして、妹の泉までもが……俺の元へ……
信じられなかった、本当に信じられなかった。
数年後、俺の周りには大切な友達、親友、姉と呼べる3人の存在、俺にために会いに来た妹
何もかも捨て、持つことすら許されなったこの俺が、こんなにも大事なものを
抱えているなんて……失われたはずの感情は、数年前の俺には考えられないほどの
豊かなものに、昔の子供の頃を思い出すような自分がそこにいた。
ここに来て、一度は全て失ったものが、忘れ去ってしまったモノが
麻衣さんと言う己の運命を変えてくれた存在に出会ったことで
再び俺の手元へ戻ってきた。
絶望と言う感情しか、感じる事のできない日々を過ごしていたのが
嘘かと思うくらい、理想といっても良い空間が俺の目の前に広がっている。
そして、この時ははっきりと理解していた。
自分の中にずっと閉じ込めていた生まれた、感じた事のない思い、感情を……
――――俺は一条麻衣を愛していると言う恋心を
隠す事のできない気持ちを心に秘めていた自分を……
憧れの、尊敬する人物……麻衣さんは俺の中でもっとも大きな存在
その思いは、恋という気持ちへと変換され、初恋を俺は感じていた
でも、俺が求めたのは麻衣さんを独り占めにしたい独占欲でも
俺に向け、麻衣さんが愛情を注ぎ込んでくれることでもなかった
俺はただ、麻衣さんの隣に、一緒に居たかっただけ……
彼女の未来に、俺という人物が関わっていたかっただけ……
それだけで俺はよかった、満足だったのだ
多くのことを、俺は望んではいなかったはずなのに
なのに、運命の歯車は決められた道筋を外すことなどなかった……
今までの幸せは、この時のための準備であるかのように
俺の日常はあの日……運命の日、ピアノコンクール当日
空は暗黒の雲が覆う、雨の振り続ける一日へと一歩、一歩近づいていった。
――――雨の音が聞こえる
俺の耳元には暗黒に包まれた空から降り注がれる雨が
顔、腕、全身へと打ちつけるように、降り続いていた。
傘などは差すこともなく、服は雨に濡れ、体中が重くそれでいて寒い。
そんな状態にも関わらず、俺は構うことなく全身で雨を受け入れる。
いや、違う。今、自分がそんな状態に経たされている事すら
俺は気づいていない、気づきたくなかった。
耳元には雨の音で多少遮られながらも、周りから叫ぶような女性の声
どよめくような人々の声が聞こえてくる。
周りに視線を向けると、車のライトが、人々の視線がこちらに向いているのがわかった。
そして、一つの事実に俺は気づく。
……俺は今、横断歩道のど真ん中で座り込んでいることを
そして、もう一つの事実に気づく
……今、俺の目の前で女性が……見た事のあるような女性が倒れこんでいることを
俺は自分の両手に視線を向ける。両手には赤い色をした生暖かい液体が付着しており
気づけば、自分のシャツも赤く濡れていた。
何が……何が起きているのか、俺には訳分からなかった……
だから……その事実を理解する、受け入れるまでに時間がかかり
「……まっ、麻衣……さん?」
目の前に倒れている女性に向け、声を掛ける事が出来るようになったのも
ある程度の時間が経った後であった。
血まみれで倒れている女性……俺はあの人の名で声を掛けながらも
頭の中はその事実を受け止めようとはしなかった。
「まっ、麻衣さん……」
周りを見渡し、確認するようにもう一度言葉を発する。
期待した返事など返ってくることはなく、人のざわつく声と雨の音が聴覚を占める。
何かが、俺の中の何かがゆっくりと壊れていくのを感じていた。
倒れている女性へと手を伸ばしていく。
「まだ、まだ……暖かい」
体はまだ暖かく、人間の体温が感じられる。
感じたことのある、あの人特有の暖かさ……
でも、もう一つ……気づきたくない事実にも、俺は気づいてしまう。
この女性の暖かさ、体温が気づきにくい程度だが、下がりつつあることに……
そう、俺は最初から気づいてはいた。その事実に……
受け入れがたいその事実に、俺は分かっていた。
………麻衣さんが死んでいるという事実に
それはピアノコンクールの授賞式が終わり、少し浮かれた気分で
横断歩道を渡っているときのことだった
「危ないっ!」
その麻衣さんの声とともに、俺は後ろから押されるように倒されて
目の前にこの状態が広がっていた。
―――ひき逃げ
頭の中にそんな言葉が浮かんでくる。
それと同時に頭の中に浮かび上がってくるのは、逃げるように去っていった車のナンバーと
一瞬しか見えなかった運転手の顔……
その顔は、俺の見たことのある顔だった。
忘れるはずもない、一人の人物がすぐに頭の中に浮かび上がる。
それは、この地……アメリカへと俺を連れて来た張本人……
でも、俺の脳内はそんなことに向けられてはなかった。
目の前にいる麻衣さんの倒れた姿……
頭の中で導き出される最悪な答えは、俺の中で確信したものへと徐々に変わっていく。
麻衣さんがいなくなる、麻衣さんが……いなくなる、イナク……ナル
頭の中が可笑しくなってくる、作り上げた何かが、自分がコワレテイク……
何で、ナンデ……コンナコトニ……
浮かび上がってくるのは、自分の姿
「フッフッ……そうか、結局は俺が悪いのか」
浮かび上がった感情は自分という、伝馬和弥という存在の責任
麻衣さんが俺に出会いさえしなければ、何も起きる事はなかった
自分自身の存在の否定……
「俺が、俺がイナケレバ……出会ってイナケレバ……ソウダ」
……最初からすべてナカッタコトにすればいいんだ
俺は混乱し、狂い始めた頭の中、そんな考えが浮かび上がる。
この麻衣さんとの思い出がある以上、罪悪感は消える事はない。
だから、俺は麻衣さんとの思い出を、記憶を失くすことにした
関わっていた周りの人物達も、自分の存在すら消してしまうかのように
すべてを失いさえすれば、考える必要などなくなるのだから……
止まる事のない体中から感じる恐怖心とも対峙しなくて良いのだから……
俺は、己の記憶を気づく事のない心の奥底へと……
記憶の扉に鍵を掛けるように、誰にも悟られる事のないように……押し込めた
弱い心を押し潰されないようにするために、絶望と言う現実を受け入れないために……
俺は、すべてを投げ出したのだった。
……目を開ける
カーテンから洩れる、雨の雫から反射した光は夜明けを知らせるように
俺に向け、合図を送る。ベットから体を起した俺の瞳に真っ先に入り込んできたのは
眩しすぎる朝日の光……
その光は、俺に向け明けない夜はないのだと教えてくれるかのごとく
眩しく、輝かしい光を俺に向けて送る。
………夢なら覚めた
俺を纏っていた漆黒の闇が、閉ざされた扉がゆっくりと開かれていくのが分かる。
脳内には過去の記憶が、今まで偽り過ごしてきた人々の姿が目に浮かぶ。
積年の苦しみは、涙として表現され……未だ俺のまぶたに微かに残っていた。
まだ完璧にあの苦しみを乗り越える事ができた訳ではない。だけど……
……だけど、俺はまだ何もしていない
俺は自分の意思に従い、行動しなければならない。
数年間と言う、止まっていた時間を取り戻すように進み始めなければならない。
俺はもう、立ち止まってなどいられないのだ。
「……よしっ」
俺はやらなくてはならないことがある。
そのための小さな一歩……だけれど、俺にとっては大きなる一歩を踏み出す。
運命の歯車は数年の時を越えて、現実と言う名の歯車と噛み合う
幻想に捕らわれていた時間はもう、終わった
俺の歯車は今、この時より……新たなる時を刻み始めたのだった……
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