第70話旋律とともに……
「ねぇ、カズくん。カズくんにとってピアノってどんな存在?」
少し小高い山の上にある大きな教会。その中でいつもの様にあの人と僕が
ピアノの練習に勤しむある日。ピアノを弾きながら、あの人は唐突に
僕に向かって質問を投げかけてきた。
「俺にとって……ピアノの存在?」
俺はその質問の意図がまったく分からず、頭を悩ませる。
よくあることではあった。あの人は僕や親しい友人に向けて
突拍子もない質問を良くぶつけて来る。
その質問の大半は今日の昼食の事や、何気ない疑問など正直な話どうでもいいことが
ほとんどなのだが、ごく稀に真面目な質問を投げかけてくる事もあった。
今、あの人から投げかけられた質問は後者……真面目な質問……
「あっ、ごめんね♪ちょっと言い方が悪かったかな?簡単に言えば、カズくんにとって
ピアノって何?ってことが聞きたかったんだけれど……例を挙げれば、ピアノ奏者にとって
ピアノは大事な相棒、命の次に大切な物とか言う人もいると思うの♪そう言う事が
聞きたかったんだけれど……わかったかな?」
首を傾げながら、こちらに視線を向けてくる。
本当の所、ちゃんとした説明になっているとはいえない言葉ではあったが
ある程度の意味を俺は把握し、首を縦へと降る。
………ピアノ
あの時の出会いから、成り行き上始めたピアノ
その日からもう半年と言う日々が過ぎ、俺自身どう過小評価したとしても
かなりのレベルまで弾けるようになっていた。
最初は並べられた楽譜どおりに弾きさえすれば良いと思っていたあの頃
気づけば今は、弾いている内にその曲の持つイメージ、作者の思いを感じ取り
表現し、再生させる。本当に奥の深い楽器……それがピアノに対する直感的な思い。
だけれど………
「すいません。まだ始めてから月日が経ってないから……思い浮かばなくて」
俺とってのピアノと言う存在。その先の言葉を俺は見つける事ができない。
いや、本当は浮かんでいた。ただ、その思いを的確に表す言葉が見つからない。
「そうかぁ。でも、仕方が無いよね♪カズくん始めてまだ半年くらいなんだし、気を落とす事
はないよ。これから探せば良いんだから」
そう言って俺の頭を撫でてくれる。これもいつものこと……
あの人はよく俺の事を子ども扱いにする。この年齢になって子供扱いなんか普通、嫌になるが
なぜかその頭を撫でてくれる行為が妙に嬉しく、それでいて落ち着いた気分になる。
「そっ、それじゃあ!逆に聞いてみたいんですけど、―――さんにとってはピアノって
どんな存在なんですか?」
撫でられるという行為が俺の中の緊張をほぐしたのか、言いたかった質問を
俺は勢い良く、少し噛みながらも言葉を放った。
するとあの人は最初キョトンとした顔のまま、少し固まってはいたが
しばらくすると……
「私……かぁ。私はね、ピアノは自分そのものを、自分らしさ表現できる唯一の存在かな?」
はにかんだ笑顔を俺の方に向けて、ゆっくりと言葉を述べる。
「ピアノは私と一緒に人生を歩いてきた大事な存在……相棒って表現もありかもしれない。
けれど、私にとってピアノは私そのもの。ピアノと私は運命共同体なんだ……自分で言ってて
ちょっと可笑しいけれどね♪」
あの人は声を上げて笑いながら俺に向け、そう言葉を放つ。
………叶わないな
その言葉を聞き、俺は真っ先にそんな思いが頭の中に浮かんだ。
俺はピアノという存在を無機的なものとしか考えられなかった。
でも、あの人はピアノと言う楽器を自分そのものであると例えた。
ここが俺とあの人の大きな違い、埋めることのできない壁……
俺があの人に憧れ、初めてずっと傍にいたい、そう思った最大の理由
だから、俺は少しでも近づきたくて……
「……あっ」
そして、気づいた。
俺にとってのピアノと言う存在を……
その思いを、表現しがたかった気持ちを表す事のできる言葉を……
なぜ俺がピアノを始めたのか。それはあの人に無理矢理誘われたから
あの人があんなにも楽しそうな表情で演奏しているから……
いろいろな思い、感情が俺の頭に渦巻く中、たった一つだけの言葉で表すとすれば
あの人と繋がる何かが欲しかったから……
そう、だから俺、伝馬和弥にとってピアノは
俺とあの人を繋ぐ……
絆……なのだと、俺は思った。
――――雨の音が聞こえる
闇の中、浮上しつつある意識の端っこで窓ガラスを叩くような雨の音が聞こえる。
その音がきっかけとなったのか、急速に意識は目覚めの方向へスピードを上げ
俺はゆっくりと目を開けた。
目を開けた瞬間、目の前に映りこんできたのは白い、見覚えのある天井。
間違えようのない我が扇山高校保健室の天井であった。
「おや、予想外の早いお目覚めですね。もう、丸一日でも眠ってしまいそうな勢い
だったんですが」
横から声が聞こえて来る。俺は声の主を探すため、首を横に曲げて視線を向けると
そこには、優雅な佇まいでイスに座っている男の姿が見える。
「まぁ、お昼ではありますが……おはようございますとでも建前上言っておきましょう」
穏やかな微笑を浮かべる知らない男。
いや、違う。こいつはどこかで……
「パーティー会場であった、東恭介……さん?」
「おっと、覚えていたんですね。光栄ですよ。でも、敬語ってのが違和感を感じますが」
少し困った笑顔を見せながら、その男……東恭介は俺の言葉に応える。
意識は完全に戻り、再び頭痛が舞い戻ってくるも、今の俺の頭の中は目の前にいる男
東恭介のことで混乱状態に陥っていた。
「なぜ、ここに……今、和弥くんの頭の中はそう思っていると思われます」
俺の気持ちを代弁するように、東は言葉を述べる。
「いろいろと話をしたいのですが、まずはこの保健室。ここに和弥くんが来たまでの経緯を
お話しましょう。僕がある私情で学園祭に訪れた所、たまたまあなたが倒れかけている所に
遭遇し、僕が救助しました。そして、僕が保健室へと運んだ……お姫様抱っこで……
そういうことです。わかりましたか?」
どこの政治家かと思うくらいすばやく、それでいて詰まる事のない喋り方で説明する東
………でも、お姫様抱っこって……おい
「あなたは寝ていて分からなかったでしょうが、中々の熱視線が僕達に向けて
浴びされてましたよ。例えるならBでLな視線がですかね……一応伝えておきますが」
ベタ過ぎる展開……
俺は今の頭痛に加え、いつも感じていた懐かしい頭の痛みを感じる。
どうしても厄介ごとへと繋がる俺、ある意味さすがだ。
「まぁ、話を戻しますが、ここに連れて来たのは午後2時12分。今の時間は3時35分……
83分あなたは眠っていた事になります。思ったよりも早く目が覚めて良かったです。
そして、和弥くん。あなたが一番聞きたい僕の事ですが―――」
――――コンッ、コンッ
そこで東は言葉を切り、俺たち2人の視線は保健室の扉へと向けられる。
「来客のようです。話はここまでにしておきましょう。僕が出ますよ」
「……えっ?ちょっと待て!」
呼び戻すため、声をあげ素手の部分を引っ張ろうと手を伸ばすも
それをさらりと避けるように東は扉へと歩を進める。
……交わされた
そう俺は強く感じていた。東はここで誰か来るのがわかっていたかのように
俺の会話を打ち切り、かわした。その行動に俺はムカつく思いを感じながらも
懐かしい思いを感じずにはいられなかった。
その人を小バカにするような行動、憎たらしいほど丁寧な口調に……
東が扉を開くとそこには、見知らない顔の女子が一人
顔を見るとここからでも分かるくらい、何か急かされているようなそんな顔をしている。
「すいません!橘先生は、橘先生はどこにいるか分かりませんか?」
「橘先生……保健室の先生の事ですかね?それなら今は外出中ですけど……」
「えっ!?そっ、そんな……」
東の言葉にその女生徒はあからさまな落胆した表情を見せる。
誰が見たって何か問題が起きている……そう分かる状況だった。
俺と東、2人の視線が行き交い、テレパシーでも送りあうように視線を互う
そして、東は俺の意思が伝わったのか視線を女生徒へと戻し
「いきなりですけれど、どうかしたんですか?何か遭った様な雰囲気ですが……」
質問を彼女へとぶつける。
何か嫌な予感が、いや何と言うか表現できない予感が俺の中を走る。
彼女の発言に耳を傾けなければいけない、聞き逃してはいけない。
そんな根拠もない気持ちが、俺の中で膨れ上がっていき
「今日行われる合唱の発表会で、伴奏の人が怪我をしてしまって……代わりの伴奏者を
探していたんです。そしたら、橘先生が弾けるって噂で聞いていたので来てみたんですけど
すいません!誰か知りませんか?誰でもいいんです、ピアノを弾ける人を知りませんか?」
はじけた……
先ほどまでの爽やかな表情は崩れ、驚いた表情でこちらに視線を向ける東。
俺も一緒だった。驚きのまま、固まっている。
………ピアノ
現在、俺の中の大部分を占めている重要な単語
東に助けられる前、夢の断片の先に見えたものは、黒光りしたピアノだった。
保健室で目覚める前に見た夢、それもピアノだった。
そして俺の目の前には、ピアノ伴奏者を探す一人の少女が……
出来すぎた偶然、組み立てられたストーリのごとく物事が進んでいく。
しかし、昔のある作家はこう言った。
……この世に偶然など在りはしない。すべての出来事は決められた必然
なのだと……
偶然と言う名の必然、この目の前に起きている出来事が必然なのだとしたら
俺は背いてはいけない所に今、立っているのかもしれない。
大切な何かを取り戻す事が出来るかもしれない。
選択するのは俺自身……すべてはきっかけ……
そうだとしたら、俺は………
「そのピアノ伴奏者……俺が、俺がしよう」
真剣な面持ちで力強く言い放った……
体育館
そこには合唱部の為だけに作られた専用のステージが目に映る。
周りを眺めると、かなりの数の生徒達が椅子へと座り
演奏を今か、今かと待ちわびている。
そんな中で俺、伝馬和弥はステージ横の部分で発表会の開始を待っている状況だった。
しかし、俺の立場はここから見える生徒達と違う立場ではあるが……
「……もうすぐですね」
「あぁ……」
後ろには東恭介も俺を見張るように佇んでいる。
ムカつくような笑い声がたびたび聞こえてくるも、一人じゃないよりはマシだ。
この緊張感も少しは薄れる。
「それと一つ僕から忠告です。今はなんとか己の気力だけで立っているようですが、一般人
から考えれば、立っていられないほどの状況です。無理だけは……しないように」
「……わかってるよ」
わかってはいた。体調は万全ではないどころか、最悪な状況である事を
普通ならどんな素人でも止めに入る状況である事を……
でも、俺は止められてもするつもりだった。立つつもりだった、このステージに
それを奴は注意だけで止めはしなかった。全ての物事を把握しているかのように……
「……東。あんた俺のこと知ってるんだろ?」
だからだろうか、俺は考えもなしにそう質問している自分がいた。
後ろにいるから顔など見えない。でも、悩んでいる……そう俺は直感的に思った。
「……そう、ですね。あなたの言うとおり、僕は伝馬和弥のことを知っています。でも、逆に
あなたは僕のことを知らない……それも僕は知っている」
いつも通りの滑らかな口調、だけれど少し悲しそうな、寂しそうな思いを感じる。
「あぁ、その通りだ。あんたのことは俺はしらない」
俺は情けなど掛けず、正直に隠すことなく言葉を述べる。
それだからこそ、この思いも……
「でも、その全てはあのピアノ……ピアノを弾くことで俺は今までなくしてしまったもの……
大切なモノをなんとか出来るんじゃないかって思ってる」
自分で恥ずかしくなるくらい幼稚な考えも隠すことなく伝える。
その言葉の後、押し殺すような東の笑い声が俺の耳元に響き渡る。
やはり、話さなければよかった……そんな後悔の念が浮かび
恥ずかしい思いが激流のごとく襲ってきた。
「アハハハハッ……本当に面白い事を和弥くんは言う。論理も何にもない、夢物語のような話
予測もなく、過去の実証すらない。あまりにも非現実的なことですね。でも……」
「……でも?」
「でも、面白いですね。その可能性、僕も賭けてみたくなりましたよ」
東のあの憎たらしい声が蘇り、いつもの調子へと戻っていく。
時間が開始時刻と重なり、会場内が少しずつざわつき始めた。
もう開始まであと少し……
「だったら僕に見せてくださいよ、そんな奇跡のような出来事を……ピアノ経験もないはずの
あなたの華麗なピアノ伴奏を……」
「あぁ、任せとけ。俺の勇姿、しっかり眺めとけよ!」
生徒会長蓮による司会が開始し、合唱の発表会の始まり……
俺はステージ袖へと、ゆっくりと一歩、一歩踏みしめるように歩を進めた。
『まずは、扇山高校女子合唱部。総勢50名の入場です』
蓮のナレーションにより、俺がいる袖の反対側から合唱部の生徒達が次々と姿を現していく。
その中にはもちろん奏の姿も見える。
彼女達はまだ誰が伴奏者で来るかは知らないらしい。本当に急遽決まったため
俺は反対側で待機させられていた。俺の名が呼ばれるのは、指揮者である伊織先生の後……
こんな体調と状況下の中でも緊張感は高まっていく。でも、その緊張感は
俺にとっては懐かしく、それでいて変に気持ちが高ぶっていく。
『続いて合唱部顧問、指揮者伊織美香先生』
次だ。次に俺の名前が呼ばれる。外から聞こえる雨の音が大きくなり
間違いなく、豪雨のような状態であろう。一番嫌いなシチュエーション……
それなのに俺の気持ちは更に高ぶっていく。
まさしくあの日に状態へと近づいている、そんな思いが……
『そして最後になります。伴奏者青木……えっ?』
蓮の驚くような声が聞こえる。無理もないだろう、何しろそこには蓮の良く見た事のある名前
ここに記入される事のない名前が書かれているのだから。
『えっ……と。ばっ、伴奏伝馬和弥先生』
俺はその蓮の声と共にステージへと、ピアノへと足を向けた。
「…………」
ステージ上、俺の耳に聞こえて来るのはコソコソとした雰囲気の話し声
聞いている方は気分が害されること間違いないが、この状況ばかりは俺も仕方がないと思う。
何しろ全く関係ない数学教師がピアノを弾くのだから。
視線の正面には神妙な面持ちな蓮の姿、観客席に目を向けるとすぐに飛鳥、朝倉、芹澤の姿が
目に入る。朝倉は本当に驚いたのか、口を開いたまま情けない状況で固まっている。
芹澤は目元に雫が……泣いているのか?最後に飛鳥は本当に飛鳥らしくない絶望感を
感じた顔で俺の方に視線を向けている。
合唱部に目を向けると中央に奏と伊織先生の姿が……
どちらも何か分かっている様な真剣な顔で俺へと視線を向けてくれる。
完全にお呼びではない状況。でも、俺はやらなくてはならない。
俺のために、何か見えない大事なモノを見つける……ために
「……よしっ」
ピアノの椅子へと腰を下ろす。目の前には白と黒の鮮やかなコントラストを成した鍵盤が見え
これから弾くと言う高揚感と、どうする事もできないのではと言う絶望感が入り交じり合い
変な笑いが口から洩れてくる。もう、後戻りなど……出来はしないのだ。
両手を鍵盤へ、視線を指揮者である伊織先生へと向ける。
「さぁ……行くぞ」
俺は独り言をボソリと呟き、伊織先生が手が上がるのに合わせ
演奏を開始する。
……皮肉にもあの時と同じような、大雨の中で演奏は始まった
本来伴奏とは、言い方が悪いようだが飾りみたいなものである。
あくまでメインは歌声、伴奏はそれに際立たせる調味料のようなもの……
しかし、そんな伴奏者にも見せ場。重要な部分はある。間違えない事、ピアノソロの部分は
もちろんのこと、それは最初の出だし……それにこの曲は最初、ソロパートから入る曲だ。
その最初に作り上げる空気は重要かつ大切な役目
だからこそ、俺はそれを忠実にこなすため
―――――空気を変えた
「……すごい」
演奏が開始した途端、ザワザワしていた雰囲気は消し飛び、沈黙のような時間が過ぎる。
その後には微かながらに聞こえる驚嘆の声。これが俺の出来る最高のお膳立て
未だに弾いているのが嘘かと思うくらい、華麗にそして優雅に俺の指先が
旋律を奏でていく。奇跡……奴はそう言ったが、そんな奇跡のような演奏が
今、目の前で繰り広げられている。
合唱部の歌声が俺の奏でた旋律に乗りかかるようにして一つの曲を作り出している。
そんな充実感、満足感が俺の中をひしめき合う中、今まで見た夢の断片、偽りだらけの記憶
一人、一人の思いが流れるように思い出されていき
―――カズくん。演奏の時はその曲を作った人のイメージを思い出しながら、演奏すること
あの人の、俺に向けて言ったアドバイスが蘇ってくる。
扉の中に閉じ込められた、大切な、忘れてはいけない
宝石箱ような思い出達が蘇ってくる。
世界にたった一人しかいない俺にとって唯一の大切な妹……
見知らぬ土地、何も知らない俺を優しく引っ張ってくれた大切な友達……
俺にとって本当のお姉さんのような存在だった3人の先輩……
カッコよくムカつくけれど、俺にとっては大切な親友……
俺を助け、導いてくれた大きな存在。憧れであり、尊敬し、愛した女性……
忘れてはいけない。どれも大切な思い出、何が在ろうとも俺は捨ててはいけない
そして、最後に思い出す。彼女が俺に放ったあの言葉を……
彼女が俺に向けたあの笑顔を……
「ありがとう……麻衣さん」
演奏が終了し、拍手が鳴り止まぬ中
俺は震える指先、体中から流れる汗を感じながら、最大級の感謝の意を込めて
天に向け、そう小さく呟いた。
体の力が抜けていく。恭介の言っていた気力だけで立っていたというのは
あながち間違えではなかったようだ。
俺は薄れ行く意識の中、誰かの叫ぶような声を耳元に感じ
今まで背負っていたもの目に見えぬ重しを下ろしたような、そんな開放感を感じながら
俺は体を体育館の床へと預けたのであった。
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