第59話似たもの同士
授業終了5分前
一般的な先生達は授業を切りのいいところで終えるため
時間と格闘しながら、最後のまとめに掛かっている時間帯。
そんな中で私、葉月早苗の授業というのは……
「……はい、今日はここまで。さっき重要と言った点は……予習をしておくこと」
五分前に授業を終える……これが私の授業のやり方だ。
生徒達もそのことはもう認識済みであり、すばやくノート、文房具などの私物をまとめて
一斉に化学室から姿を消していく。
何人かの生徒達が私のところに質問しに来るものの、数分もすれば
私を除き、化学室はもぬけの殻だ。
「……今日は水曜日。これで今日の授業は……おしまい」
化学室に張られている自分の予定表を眺め、独り言のように呟く。
今の授業は6時間目……全7時間の授業日程になっているため、あと1時間残っていた。
まだ帰るには早すぎるし、それ以前に緊急の職員会議が放課後開かれると
朝、教頭が言っていたことが頭に浮かぶ。
「……少し……休憩かな」
私は踵を返し、化学室の端にあるドアの方向へと歩を進める。
扉の向こう……そこには化学準備室、ちょっとした私の研究室がここにある。
私物もいろいろな物がそこに鎮座しており、名と反するような
ごく一般的な生活空間が扉を開けるとそこに広がっている。
テレビ、冷蔵庫、パソコン、オーディオ機器、洗濯機………
そんな中で一際大きく、部屋の中心に置かれているソファーへ、私は迷うことなく
まっすぐに歩を進め、倒れるようにダイブした。
「……疲れた」
心の奥底から出た、本音の気持ちがボソッと言葉として姿を現す。
最近は学校の仕事と研究所への資料ファイル製作の二つの仕事に追われて
まともな睡眠時間をろくに取れていなかった。ソファーに倒れこんで
信じられないほど睡魔、疲労感が今、私の体を襲う。
しかし、生徒達の前でそんなだらしない姿を見せるわけにはいけなかった。
生徒だけではなく、同じ立場である先生達の前でも同じく……
いつもの冷静沈着な化学教師、葉月早苗を崩すわけにはいかないのだ。
ふと、テーブルの上においてある写真立てが自分の視界に偶然入り込み、咄嗟に手を伸ばし
私は左手で写真立てを自分の元へ手繰り寄せていた。
「……もう何年前になるのかしら」
周りを貝殻などで装飾された写真立ての中、少し色あせた写真が一枚。
そこにはかーくんを中心とし、大学の同期であり今も同じに職場にいる伊織美香、橘愛理が左右に写っており、後ろには私と……
綺麗な微笑を浮かべている一条麻衣の姿があった。
「確か……この写真は……かーくんと……初めて取った写真」
私は写真立てをソッと包み込むように胸元に置き、視線を天井へと向ける。
外から流れるように注ぐ太陽の光が部屋全体を照らし、少し開けられた窓から
秋の冷たい風が私の頬を撫でる。
そう、そうだった。この写真がすべての始まりだった。
それは数年前今日のような秋を感じさせる、天気のよい真昼のこと
麻衣が連れてきた一人の少年……
「……伝馬和弥です」
私の人生における重要な転換点、かーくんとの始めての出会いだった。
始めの伝馬和弥への印象、それはこれと言って良いとは言いがたい
第一印象だったのを未だに私は記憶している。
幼い年齢に対しての冷めたような物言い……
人を寄せつけず、一匹狼な雰囲気を纏った少年だった。
私はなぜ麻衣がこの少年を連れてきたのか、理解が出来ず
話しかけても、どんな話題を振ったとしても沈黙を保ち続けるこの少年、伝馬和弥に
この時は私以外の美香と愛理もどうすればいいのか分からない。
そんな状況だったと思う。
「でも……なぜか、私は……かーくんのことに対して……近いものを感じていた」
何かはわからない。
あまり接したくない存在なはずなのに、この日から私の頭には始終伝馬和弥と言う
存在が頭の中の一部を支配した。
授業の時も、麻衣達と話している時も、夢にすら伝馬和弥という存在は
私の思考から抜けることはなかった。
……訳がわからない
数式や理論……そんなものでは説明の付かない事態が数週間私を襲い、苦しめた。
しかし、この抜け出すことの出来ない迷宮のような苦しみは
ある一つの噂を耳にし、自分の中で一つの結論を導き出すことが出来た。
その噂は………
「天才であるかーくんへの………妬み」
たまたま通り過ぎた生徒達から聞こえた話題。
「サイボーグ」「アンドロイド」と言われ、周囲から奇異的な視線で見られているという
幼い少年の話……いわゆるあの少年、伝馬和弥のことであった。
私はこの話を耳にした瞬間、がんじがらめに撒きつけられた心の奥底の思いが
勢い良く、一瞬にして解けていくのが自分の中でわかった。
伝馬和弥に感じていた嫌悪感、表現しがたい反発心……
それなのに矛盾した伝馬和弥という存在の興味、拭い去れない思考……
すべての自分の行動にやっと、一つの結論……自分の思いに私は気づいた。
そう、私は……私という存在は認めたくなかったのだろう
伝馬和弥という存在は、私にとって……
「私にとってかーくんは……自分と似た存在……似たもの同士ってことを」
私は伝馬和弥と同じく、天才と呼ばれた人間だった。
だから感じてしまっていた。無意識化の中で……同じ、似た存在であるシンパシーを
だけれど、私は……私の思いは認めたくなかった。
最初から気づいていたのかもしれない、それでも私は
昔の自分の記憶、捨て去りたい過去を思い出すのが……嫌だったから
信じられないほどいじめ、言葉の中傷、奇異的な視線……
その代価で手に入れた人の思考を読む力。
思い出したくない過去、触れられたくない傷口
いろいろなものが頭に浮かび、封じられた記憶が一つ、また一つ思い出してくる。
でも、そんな私を救ってくれたのはあの少年、伝馬和弥連れてきた人物……
……一条麻衣であった
彼女は昔の私同様、彼を救おうとしていた。
それなのに私は、同じ立場の存在である私は見てみぬ振りをしていた。
「これじゃ……こんなんじゃ……私は何も変われない」
頭の中にその思いがスッと浮かび上がる。
変わろう、変わらなければならない……
私の中にあるバラバラの思いが、一つの思い、一つの形になって心の中に収束される。
気づいたら私は動き始めていた。自分の出来ること、後悔のしない行動を取るために
自分の信じた一つの道を歩き始めた。
頭に浮かんだ最初にするべきこと……
私は率直に頭に浮かんだあることを行おうとしていた。
理由はない。ただ思いついただけ……それでも私は皆でそれをしたかった。
それは………
―――皆、一緒に……写真取らない?
初めての、皆で行う共同作業であった
「……っい……っんせい……葉月先生」
「……うん?」
ぼんやりと己の体が中に浮いているような、変な感覚に包み込まれている中
誰かの声によって、私の意識は現実世界へと戻ってくる。
ぼんやりと霧がかった視界は、徐々に本来の能力を取り戻し
クリアな風景が周りに広がっていき……
「………かーくん?」
「おはようございます。葉月先生」
あの時とは少し変わり大人びいているけれども、私と似た存在……かーくんがそこにいた。
「職員会議始まりますよ。葉月先生だけ時間になっても来ないんで、向かいに来ました!」
壁に付けられている時計を見ると、確かにもうとっくの前に会議の開始時間は過ぎている。
少し休むつもりが、ソファーで休憩したためそのまま寝てしまったようだ。
そして、懐かしい昔の夢を……
「……どうしたんですか?いつもよりボーッとしちゃって、大丈夫ですか?」
少し心配そうな、不安げな雰囲気で私の方に視線を向け、言葉を掛けてくれる。
夢の中の、昔出会ったときのかーくんとは全然違う、優しいかーくんの姿……
麻衣の力で取り戻した明るいかーくんの姿が目の前に
「……ううん、なんでもない。早く行きましょう」
でも、私には見えていた。
表面だけでは見えない、心の奥底にある本人すら気づいていない漆黒のような暗闇が
鍵をかけるように、誰にも悟られず、自分すらも忘れ去ってしまった
心の扉が私にははっきりと……
しかし、私にはどうすることできない。自分でしか
自分で行動することでしか、この闇を晴らすことできない。
私が麻衣の代わりをすることも……出来は……しない
だけれども……
「そういえば……かーくん」
「……えっ?はっ、葉月先生。どうかしましたか?顔がちょっとこわい――」
「私のことは、お姉ちゃん……でしょ?」
お姉ちゃんという立場なら、私は彼の事を見守っていける気がした。
同じような存在、ほんの少し年上としての立場で……
彼を支えてくれる人が見つかるまで間……
彼を見続けていよう……そう、私は思った
|