第51話旅立ちそして少女の決意
お兄ちゃんと行ったあの夏祭りの日……
近づいて、触れることによって気づいたお兄ちゃんの温かさ……
この日、この出来事がきっかけになったのだろう。
その日から、私の心の中にある思いは少しずつ、少しずつ変化していった。
健康面に問題があるわけではない。けれど胸の奥に感じる、表現しがたい複雑な思いは
特にある一人の人物……お兄ちゃんのことを考えるとギュと胸が苦しくなり、体が熱く
風邪でもひいてるのかのような思いにさらされる。
お兄ちゃんは私にとって特別であり、頼もしく、優しくもあり
とにかく一言で表せば、大好きな存在だった。
本当で大好きで、大好きでたまらなくて、その思いには一点の曇りもなく
ただいつまでもお兄ちゃんと一緒に……その気持ちが、その思いだけが
心の隅から隅まで沁みこんでいた……変わらない思いのはずであった。
しかし、今までと違う感情が私を今、襲っている。
感じたことのない、抑えることの出来ない思いが……
私は何時間も、何日もその感情について考えた、結論を導き出そうとした。
しかし、答えなどは見つかりはしない。
だけれど、このままではいけないという思いも同時にわいてくる。
そして、私は一つの変化を起すことにした。それは……
「お〜い、泉。今日も来てやったぞ」
「あっ、おにっ……カズくん!」
「……へぇ?」
呼び方を変えること
唐突に思いついた考えであった。
何でこんなことをしたのか、今になって理由を考えてみるも
これと言った理由は見つからない。
おもしろいから?同じ歳なのだから対等の立場になりたいから?
どれもピンとは私の頭には来ない。
それにお兄ちゃ……カズくんもいきなり名前で呼ばれたのに
ビックリしたのか、ポカンとした顔で私の方を見ている。
この日、この時から動き始めた色あせない、消えることない始まりの思い出
これが私のスタート地点であった。
そして、時が流れるように過ぎていき、私達が小学5年生になった春
時が止まっているような変わらない、永遠に続くと思っていた日常が
突然に、一瞬として大きな変化を迎えることになる。
「……えっ?カズくん。どっか……行っちゃうの?」
「ああ。ある人からアメリカの学校に転校しなさいって言われて……な」
まだ日の明るい夕方の時間帯
もう後、数えるほどの入院でここを出ること決まっていながらも
毎日のように来てくれるカズくんからの突然すぎる衝撃な話だった。
カズくんの話を要約するとこうだ。
全国で全員が受ける知能テストの結果でカズくんは人並み以上……いわゆる天才である
頭脳を持つ人間だとということがわかったらしい。
それをあるアメリカの教授が目をつけて、アメリカの学校への転校を進め
学校の先生、父母もその意見に賛成し、アメリカ行きが決定したらしい。
そして、出発日は今日からあと数日後であった。
私は頭の中が混乱しながらも、聞かなければならないことを
カズくんに向けて質問する。
「えっ、えっと……アメリカには私達も全員行くの?」
「いや。俺、一人だけだ」
「じゃ、じゃあ!カズくんはアメリカ行っちゃったら、いつ頃こっちに帰って……くるの?」
「……………」
「かっ、カズくん?」
カズくんは私から視線を逸らし、地面に視線を向けたまま固まっている。
私が名前を呼んで話しかけてもまるで聞こえていないかのように
気づいていないかのように視線を合わせてはくれない。
その状況が何秒、何分過ぎたのだろうか……
下に向けていた顔を上げて、私の方に視線を合わせ
ゆっくりと口を開く。
「……わからない。場合によっては何年も、もしかしたら何十年も
こっちには帰って来れないかもしれない……だって」
私はその発言に耳を閉じ、目を背けたい衝動が走った。
しかし、現実に目を背けたとしても何も変わらないと言うことは小学5年生の
私でも理解していた。でも、そうだとわかっていても……私の、私の意志がそれを現実とは
認めない、認めたくなかった。
やっと、やっと病気も治って、カズくんと一緒に学校に……
そんな思いが自分の中に沸きあがってくる。
病院の中、窓の外から数えられないほど見続けた下校姿の小学生
それに憧れて、いつも羨ましそうに見ていた私にカズくんが言ってくれた
「病気がよくなったら、一緒に学校行こうな!」
と言う、二人だけの約束
いつか叶う、叶えてみせる。そう思って、そう思ってきたのに……
その願いは、今この時をもって叶えることの出来ない約束へと
希望は絶望と怒りへと変貌した。
「かっ……て」
「えっ?泉、どうし―――」
「帰ってよっ!!!」
自分でも信じられないほどの大きな声が出る。
目の前にいるカズくんも驚いた顔して、私の方を見ている。
しかし、わたしの心の中にある感情は人間の中にあるどす黒い
負の感情を込めた……怒り。
「おい!落ち着けよ、泉!」
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!!」
カズくんが私を落ち着かせるために近づいてくるが
もう私の頭の中には裏切り者
そう判断しかできなかった。
だからこそ、裏切り者……敵である伝馬和弥という人間に向けて
枕、目に見えるものすべてを投げつける。
気持ちのコントロールなどは一切きいていない。
私はただ、怒りの赴くまま行動し続けた。
カズくんが悪いわけではない……そんなことは普段の私ならすぐに分かることだが
この時はもう、頭の中には絶対的信頼を置いていた兄である伝馬和弥の
裏切りしか頭になかった。
そして、ついに私は……
「アメリカでもどこでも行っちゃえばいいのよ!!私の気持ちも知らないくせに……
もう、もう私の前から消えてっ!!!」
カズくんに向けて、完全なる拒否の言葉を叫んでいた。
「…………」
「っはぁ、はぁ………あっ」
押し黙ったまま、下に視線を向ける和弥の姿
その姿が私の視界の中に入り込んできて、怒りのみだった感情が
少しずつ思考を取り戻していく。そして同時に自分が兄に放った信じられない言葉
おかしてしまった行動に、今更ながら気づく。
何か言わなければ!何か行動しなければ!
そう頭の中に浮かぶものの、どうして良いか分からず
何もすることができない……そして
「……ごめんな。泉」
カズくんはそう言い残して、病室から立ち去っていった……
私はそのカズくんの去った病室の扉をじっと見つめ、ゆっくりと周りを眺める。
決して広いとは言いがたい一人部屋の病室に私が一人。
いつもはこんなにも狭い空間なのに、何か大事なモノがポッカリと開いたような
とてつもない寂しさが私を襲う。
後から感じてくる思いは後悔と言う名の感情と経験したことのない
言葉では表現できない寂しさ……悲しさ。
「私の……バカ」
その夜、私は40度を越える高熱うなされて……倒れた。
カーテンからこぼれる太陽の光を感じ、私は目を覚ます。
まだ病み上がりのためか、少し体は重くぼんやりとした感覚が
私を襲うが、熱は下がっているため、ゆっくりと体を起す。
時計に目をやると今の時間、そして覚えのある日にちが目に入る。
そう……今日はカズくんがアメリカへ旅立つ日
私はあの日風邪を引いてから今日まで病院で寝たきりの生活を過ごしていた。
結局あの日以来、カズくんの顔すら私は見ていない。
もう数時間もすれば、カズくんはこの日本……私達が住んでいる地から
遠く離れた所へと行ってしまう。
今、私の心の中に感じている感情はカズくんが遠く行ってしまう悲しい、寂しい
感情よりもあんなことを言ってしまった後悔。
このままでは謝ることもできず、カズくんと別れてしまう……
そんなのは嫌だった。ちゃんと謝って……ちゃんと見送って……
しかし、今の私にはそんな簡単なことすら実行することが出来ず
自分の立場に歯がゆい気持ちを感じれずにはいられない。
何で!何でこんなときに!!
色々な思いが自分の心の中、頭の中を駆け巡り、自然と涙が流れてくる。
「かっ、カズくん……本当に……ごめんね」
私はそう小さな声で呟いていた。
「何がごめんなさいなんだ?泉」
「………えっ?」
唐突に自分の耳に聞こえてきた声
少しイタズラそうな、何度も聞いたことのある声が聞こえてくる。
その方向に顔を向けると……兄であるカズくんがそこに立っていた。
「なっ、なんで……カズくんが?」
私の頭の中が混乱状態になる。
なぜここにカズくんが?
自分の予想外の事態に幻なのでは?とすら思ってしまう。
しかし間違いなく今、私の前にいる人物は我が兄、伝馬和弥であった。
私の混乱をよそにカズくんはいつものように満面の笑顔で
ベットに上半身を起した状態の私の元へ近づき
流れていた涙をカズくんのその手でそっと優しく拭いてくれる。
そして、私の顔をじっと見つめて
「泉……学校行くぞ」
カズくんは私に向かってそう言い、ランドセルを私の目の前に置いた。
「いい天気だな、泉」
「うっ、うん……そうだね」
私は詰まりながらも、言葉を返していく。
確かに今日の天気は良く晴れており、周りを見渡すと木々から太陽の光が
洩れてきて、ちょっとした幻想的な雰囲気を醸し出している。
朝と言うこともあってか、ひと気はなく
まるで私とカズくんしかこの空間にいないような……そんな感覚が私を包む。
背中には中身は何も入ってはいないが、小学生のときに買って
ほとんど傷もついていないランドセルが背負われており
横には笑顔で私に話しかけてくれるカズくんがしっかりと
私の右手をギュと握ってくれている。
そう、これこそが私が憧れた、夢にまで見た登校風景であった。
そして、カズくんは覚えていてくれたのである。
私との約束を……どんなことになろうとも、どんな状況になろうとも
カズくんは約束を守ってくれた、忘れないでいてくれた。
やはりカズくんは私にとって特別な存在……頼れる、優しい
お兄ちゃんであった。
それなのに私はそれを疑い、勝手に裏切られたと思ってしまっていた。
だからこそ、私はカズくんに言わなければいけない。あの言葉を……
「かっ、カズくん」
「……うん?どうしたんだ、泉?」
「えっ、えっと……」
中々、面と向かうと言いたい言葉が決まっていても、うまく言葉として出てこない。
でも、言わなければならない。今しかタイミングはないのだから……
わたしとゆっくりと口を開き
「カズくん。この前あんなひどいこと言っちゃって……ごめんなさい!!」
出せるだけの声を出し、カズくんに向かって頭を下ろした。
あの時にしてしまったカズくんへの行動、発言への謝罪
私がどうしても言っておかなければならないことであった。
そして、もう一つ……
「それとカズくん……あっち行っても頑張ってね。私、応援してるから!!」
カズくんへの激励の言葉
これだけの短い言葉ではあるが、私は自分の思いを込めて、カズくんに伝える。
「泉……ありがとな!!」
その言葉に応えるようにカズくんは笑顔で言葉を返す。
こうしてカズくんはアメリカへと旅立ち
そして、私はある一つの決意を固めていたのだった。
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