第50話兄妹の夏の思い出
妹……
なんて懐かしい響きなのだろうか……
数年前まではそうであったはずなのに、本当に遥か昔のことに感じられる。
久しぶりに再会した母からの「妹」という言葉を聞いて、忘れ去ってしまいそうな
自分の立場を改めて気づかされる。
私は……私、芹澤泉いわゆる伝馬泉は和弥の妹であることを……
私はソッと……目を閉じる。
頭の中に蘇ってくるのは、兄であるカズくんとの記憶、アメリカで会った
親友と呼べる少女、そして……我が兄が愛した人物とあの事件のことを……
数十年前、この今住んでいる場所ではない、日本のあるどこか……
そこで和弥、私はこの世に生を授かった。
双子という形で……
しかし、私は元々生まれ持ったものか、幼少時代、病院に入退院を繰り返す
病弱な体のため、みんなと同じように幼稚園、小学校を思い通りに通えない生活が
続いていた。毎日ベットに横になりながら診察を受ける日々。
体が良くなり、やっとのことで通えるようになったとしても、もって1ヶ月もなかった。
そんな退屈すぎる日々の中、私の唯一の心の救い、楽しみだったのは……
「よぉ!今日も来てやったぞ、泉。ちゃんといい子にしてたか?」
「……あっ!お兄ちゃん!」
それは兄であるカズくんのお見舞い。
幼稚園の時には母と一緒に、小学校に上がってからも授業が終わった夕方の時間帯
どんなに雨が降っても、何があっても毎日欠かさずにお兄ちゃんは来てくれた。
見舞いに来てくれたお兄ちゃんは私の話を聞いてくれたり、自分の少ないお小遣いから
私のために遊び道具を買ってきてくれたりと楽しませてくれる。
あの時はお兄ちゃんがお見舞いに来てくれる、その嬉しさで頭が一杯で何も思わなかったが
今から考えれば、友達とも遊ばずに私に気を使っていてくれてたんだなと、今更ながら思う。
そんな数時間の間ではあるが、それを私は楽しみに日々を過ごしていった。
そして、そんな病院生活を繰り返すある夏の日
「今年は夏祭り……行けるかな、お兄ちゃん」
私は窓の外からこの時期になったら、毎年のように見る浴衣姿の人や
遠くから聞こえる太鼓の音を聞きながらボソリと呟く。
毎年のように行われる、この街の夏祭り……
それを私は一回も行くことが出来ずにいた。毎年のように看護師さんから
お兄ちゃんから言われる
「まだ病気が治ってないんだから。我慢して、泉ちゃん」
「……泉。看護師さん困らせちゃダメだぞ!治ったら絶対に俺が連れってやるから」
慰め、励ましの言葉。
力いっぱい泣きながら駄々をこねても、結局は行くことのできない夏祭り。
涙を流しながら、病院の窓で見上げる打ち上げ花火は
いつも建物が邪魔をして欠けてしまい、音も小さく……儚い。
まるで自分だけが遠く、遠くの世界にいるような寂しい気持ちが私を襲う。
そんな時間を今年も……そう思っていたのだが
「……ほらっ!泉!」
「……えっ?」
一瞬にして視界が真っ暗になる。
突然のことで何かと思い、パニック状態になるが
冷静に考えてみると、何かに覆いかぶさっている状態だと気づき、それを剥がす。
すると……
「これって……浴衣?」
自分の目の前には水色を基調とした花柄の浴衣が……
これはいずれ病気が治った時のために、母が作っていてくれたものだ。
それがなぜ、今ここに?
そんな思いが私の中に渦巻く中、お兄ちゃんは立ち上がり
「泉……夏祭り、一緒に行くぞ!」
と私に向かって、笑顔で言った。
頭の中が真っ白になり、いろいろと考えていたことがすべて吹っ飛んでしまう。
残ったものは祭りに、お兄ちゃんと一緒に夏祭りに行けるという
喜びの感情。でも、すぐに私の頭には
「でっ、でもお兄ちゃん。私は病気が……」
「大丈夫だ。ちゃんと病院には許可は取ってあるぞ!……ほらっ!」
そう言って、私の目の前に広げられる外出許可証。
「病院の先生が少しくらいだったら外に出てもいいんだってよ。だから、早く行こうぜ
夏祭り!約束だったもんな、泉!」
「……うっ、うん!うん!」
私は何度も、何度も確認するように頷く。
とにかく次に頭に浮かんだことは準備をすること……
私は急いで浴衣を着るため、ナースコールのボタンをすばやく押した。
「わぁ〜……すごいね!お兄ちゃん!」
「そうだな。屋台なんかもいろいろあるぞ!」
私達二人は祭りの様子を眺めながら、個々に感想をもらす。
この時はまだ、それほど祭りは今ほどに盛んではなかったが
子供達、特に病気がちで外にもロクに出れなかった私にとってはまるで
夢の国にでもいる感覚であった。
祭りを飾る屋台の数々、和太鼓の音、盆踊り……
どれもが私にとっては新鮮で興味深いものばかりでクルクルと
首を動かし、周りを眺める。
「あっ!お兄ちゃん。あれは……なに?」
眺めていると、一際私の目の惹くものを発見し、お兄ちゃんを呼ぶ。
「うん?……これか?それはリンゴ飴っていって、中にリンゴ入ってるんだよ」
すばやく私の質問に答えるお兄ちゃん。
リンゴ飴という存在は絵本や写真の中では見たことがあるが
実物を見たのは、初めてだったため凝視するように
私はリンゴ飴を眺める。
「……泉?これ欲しいのか?」
「えっ!?……あっ、えっと……うん」
お兄ちゃんの言うとおり、欲しいという思いは確かであるが
なかなかすぐにハイとは言えず、小さな声で言葉を返す、私。
「……そうか。おじさん!リンゴ飴一個!」
「はいよっ!」
おじさんは威勢のいい返事と共に、置いてあるリンゴ飴を手に取り
お兄ちゃんへと渡す。
「ほらっ、泉!リンゴ飴」
「あっ、ありがとう。お兄ちゃん」
お兄ちゃんにお礼をいい、渡されたリンゴ飴を眺める。
屋台に置かれている電灯に反射して赤く輝き、真っ赤なビー玉のようにも見える。
それを約2、3秒ほど見続けた後、私はソッと割れ物にでも触るかのように
リンゴ飴を包んでいるビニールを剥がし、おそる、おそる口へと入れていく。
「……どうだ?」
子供に対しては大きいリンゴ飴を口いっぱいに入れて、固まっている私の顔を
覗き込むようにお兄ちゃんが感想を聞いてくる。
「変わった味……だけどおいしい!」
私はお兄ちゃんの方に顔を向けながら、そんな感想を述べる。
普段は病院の食事が基本である私にとっては、ある意味衝撃を受ける食べ物であった。
舌を伸ばせば、舌が真っ赤になっている……
そんなことすら、私にとっては大きな発見であり驚きであった。
その様子を嬉しいそうに眺めるお兄ちゃん。
「ふふっ……おいしいか、泉!だったら俺がもっといろいろな上手いもの、変わったもの食べさせてやるよ!ほらっ、行くぞ!泉!」
そう言って、お兄ちゃんは私に向けて手を伸ばす。
私はその差し出されたお兄ちゃんの片手をジッと見つめ……その手を掴んだ。
その後は私の興味のある屋台を次々と周り、食べ物を食べたり
金魚すくい、射的など片っ端から周り続けて、そのたびに私は驚き、感動させられた。
病院の中という狭い視野しか持っていなかった私が、差し出されたお兄ちゃんの手によって
今までになかった世界観が急激に広がっていく。
けっしてあんな狭い空間では味わうことのできない思いを私は今、身を持って
感じていた。去年までの悲しみを吹き飛ばすような楽しさ、嬉しさが私の心の中から
溢れ出てきて、まるで喜びが私全体を包み込んでいるような、そんな思いを
私は感じていた。この時までは……
周りを眺めると電灯のなく、暗い……
私は夢中に求めていたのだろう。その人混みで離れてしまった温かいお兄ちゃんの手を……
必死で駆け回って、いっぱいの人に流されてどうやってこの場に来たかなんて
覚えてなどいない。
気づいたときにはもう……私はこの暗い場所に迷い込んでいた。
足元を見てみれば、下駄の鼻緒が切れており、歩くことも出来ず
下駄を抱えて、その場に座る。
ほんの一瞬であった、人混みに紛れた瞬間
私とお兄ちゃんの繋がれていた手は離れ、お兄ちゃんは私の目の前から消えてしまった。
赤いちょうちんの光も太鼓の音も人のざわめきすらも聞こえはせず
少し冷たい夏の風が私の頬を撫でる。
唐突に訪れる寂しいと言う感情……夏なのに体がとても……寒い
「ぅっ……ぅっ……ひっく……」
寂しさのあまり、涙が溢れてくる。
止めることはできず、ただ自然と涙が流れ出てくる。
「ひっく……ここどこなのぉ……暗い……恐いよぉ」
今、自分を包んでいるのはさっきまで喜びなどではなく……闇
そして、悲しみが私の全体を包み隠す。
「誰でもっ……いいからぁ……お父さん……お母さん……お兄ちゃん!!」
自分で探すことなど出来ない。
誰も来てくれない寂しさの中、私は誰か来てくれることを求めた。
いや、誰でもではなかった。求めている人物ははっきりと頭の中に浮かんでいた。
それはいつも頼りなくて、けんかも弱く、運動もできないけれど
ここぞと言う時には私の思いに応えてくれる……
「やっ、やっと見つけた……本当に心配したんだぞ、泉!!」
私に笑顔で微笑んでいるお兄ちゃんの姿であった。
「お兄ちゃん。ごめん……なさい」
「いいよ、もう。俺も手離しちゃって悪かったし、謝る必要なんてないよ」
夏祭りの帰り道
私は下駄の鼻緒が切れたため、お兄ちゃんのおんぶされながら、何回目か分からない
「ごめんなさい」をお兄ちゃんに向かってしていた。
鼻緒が切れて、おんぶされるなんて普段から考えれば、ちょっと恥ずかしい気分に
なるものなのだが、この時はそんな気持ちは一切なくホッとした嬉しい気持ちを感じていた。
お兄ちゃんの温かさがこんなにも心地いいものだったなんて……
「……お兄ちゃん」
「どうした?泉」
「私がいなくなって……どう思った?」
今でも分からない、唐突に自分の中から生まれた疑問
その質問をした瞬間、お兄ちゃんは一言も喋らず黙ったままになった。
私の耳には人のざわめきや太鼓の音だけが響き渡る。
数秒の沈黙……私の中では数時間と感じるくらいの沈黙
そして、ちょうどざわめきが静かになってきた瞬間
「……泉。もう俺を心配させないでくれよ」
ポツリと私に聞こえるくらい小さな声で言った。
「……えっ、お兄ちゃん―――」
―――ドォン……
夜空全体を覆い隠すほどの光と音が私達を包む。
「おい、見てみろよ。でっかいな……花火」
さっきのお兄ちゃんなど感じさせず、いつも通りのお兄ちゃんがそこにいた。
あの言葉は聞き間違い?かと思うくらいに……
しかし、私もそんな事など忘れて可憐で華やかな花火に見とれていた。
この日お兄ちゃんの背中で見た花火は綺麗で
前よりも、ずっと近くに感じられた。
花火も、お兄ちゃんの気持ちも……
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