第35話一日バイト体験 閉店
今、俺は人生の中でもかなりの……いや、なかなかの……
考えてみると割りと最近ではよくあるピンチに直面していた。
こう言ってしまう自分が悲しくて仕方がないが。
とにかくピンチなのである!
女装して働いているバイト先に同じ職場の先生が三人と生徒が五人……
まさに絶体絶命という言葉がもっとも似合う状況になっている。
とは言え、この女装しているのがばれてしまえば
俺のいままで気付き上げてきたであろう、いろいろなイメージが
足元から崩れることは火を見るよりも明らかなことであろう。
しかし、今俺の手元には5人分のおしぼりと水が……
もうあの5人中のところに持っていかなくてはならない状況だ。
おしぼりと水、おしぼりと水を置くだけなんだ……大丈夫、ばれることはない……
そう言い聞かせて俺は5人の座るテーブルへと歩いていく。
「そういえば、ここって飛鳥のお母さんのお店なのよね?」
「うんっ!そうだよぉ。お母さん料理得意だからぁ」
「そうなんですか。私も飛鳥のお母様に料理習ってたりすれば、うまくなるんですかね……」
「奏……人間には得手不得手というものがあってだな……」
「何食べようかな♪やっぱデザートは抑えとかないと♪」
そんな今時とは分からないが、女子高生っぽい感じの会話に花を咲かせている
5人の元へゆっくりと焦りを感じさせないように近づいていく。
「失礼します……おしぼりとお水です」
いつもとは違う高く女性らしい声を自分なりに演じてみる。
……よし!まったく違和感ないようだ
5人とも俺のことなどは気にせずに会話を楽しんでおり、気付いている感じは微塵もしない。
「それでは注文がお決まりになりましたらお呼びください」
この言葉をいい終わり、後はフロアへ戻るだけ。そう思っていたのだが
偶然なのか、急にこっちを向いてきた蓮と……視線が……合ってしまった。
それはもう……バッチリと……
「ちょ!!かずっ!!………」
そこまで言ったところで口元を両手で塞ぐようなポーズを取る蓮
いままでに見たことのないくらい蓮の見開いた目で俺のほうを見る。
ばっ……ばれた!!
直感的に俺は理解した。
さっきの蓮の反応、言葉……どう見たって俺が女装していることを認識していた。
まさかの急転換!いきなりバットエンド?
そんな言葉が俺の頭を巡って行く。
しかし、みなさんは知っているだろうか……
人間という者は稀に土壇場で思いがけない力を発揮することを
いわゆる火事場の馬鹿力と言うものを……
俺はそらしていた目線をスッと蓮に合わせる。
(蓮。頼む!俺に協力してくれ!)
ダメもとで俺は蓮に向かってアイコンタクトで協力を求めてみた。
一般的に考えれば、何馬鹿なことを……と思う人もいるかもしれないが
(どういうことよ!和弥!なんで女装してるの?もしかして……あっちに目覚めたの!?)
なんと通じたのだ。蓮に俺のアイコンタクトが!信じられないことに
これで形勢逆転、満塁ホームランである。
すぐに蓮に状況説明と助けを出してもらうことに
(違う!たまたま今日は飛鳥の母さんの手伝いでやってるだけだ!)
(でも、その格好はおかしくない?似合ってるけど……)
(いろいろとこっちにも事情が……とにかくバレたら一生の恥だ。頼む助けてくれ!)
(まぁ、よく分からないけれど和弥のピンチって事には代わりがないようだからわかったわ)
「えっと……蓮さん?店員さんと見詰め合ってどうしたんですか?」
その奏の言葉で俺と蓮はパッと見詰め合っていた視線を外す。
アイコンタクトしていた時間およそ2から3秒
恐るべき力で俺は声も出さずに蓮とコミニュケーションを取っていた。
まさしく俺と蓮だからこそができる親友としてのスーパーパワーと言ったところか。
なんとか蓮の協力もあって、その場は切り抜けることができたと思ったのだが……
「すいません〜。注文お願いします」
伊織先生の注文を頼もうとする声が聞こえてくる。
まだオーダーが残ってた……
周りを見ても、みんなフロアの人は忙しく、先生達のオーダーを取り行く事はできない。
仕組まれた必然のような偶然さに嘆きながらも、俺がオーダーを取り行かなくてはならない
状況なのでトボトボと哀愁すら感じさせる雰囲気でテーブルへと向かっていく。
とは言え、テーブルの前まで来れば
「はい!ご注文はお決まりになりましたか?」
と女性らしい高めの声で接客に望む。
そこら辺はきっちりと真面目にしている俺。性格が物語っているようだ。
「えっと……じゃあタラコのパスタのハーフとグラタンのハーフで」
「それじゃあ私は今日のおすすめ定食で。あっ!でもデザートも……」
「あっ!それは私も考えてなかったです。じゃあえっ〜と……」
伊織先生と橘先生はデザートを何するか模索中のようだ。
今日一日勤めたことにより女性は頼む時に時間が掛かることを学んでいるので
俺はジッと待っていようと思っていたのだが!
さっきから視線を向けてくる葉月先生の視線が……なんか……怖い。
なぜならおしぼりと水を持ってきたときの睨むような視線とは一転
葉月先生は俺に向かって微笑みかけて来てるのだ。
それも、ものっすごい笑顔で……
俺は早くも耐え切れなくなり、葉月先生に
「えっと……そちらのお客様は注文はよろしいのでしょうか?」
と接客スマイル全開で話しかけていた。
すると葉月先生はニコニコした顔でボソッと小さな声で一言……
「……かわいい……かーくん」
だけど俺にはハッキリと聞こえる声で言った。
その瞬間、俺の全身の毛穴から汗が流れ始めたのを感じた。
ばれた!?今度はそれもあの葉月先生に?
「かーくん……あのってどういうこと……」
読まれてるし……
そういえば、葉月先生は人の心が読めるというまためんどくさい……
いや、すごい能力を持っていることで有名なのであった。
「途中で……うまく軌道修正したね」
完全に俺の思考という物は葉月先生の手玉の中である。
視線を伊織先生と橘先生に向けると、まだデザートに悩んでるらしく
こっちには一切気づいていないようだ。
一応は一安心……とは言え葉月先生をどうにかしないと―――
「黙ってあげようか?このこと」
また思考読んで、俺に話しかける葉月先生。
「本当ですか?」
「うん……でも……タダって訳には……いかないよね?」
この人……俺を強請る気か!?
「違う……物事にはどんなことも……等価交換の原則でなりたってるの……
だから黙ってほしいのなら……それ相応の代価が必要」
○の錬○術師のような台詞を放つ葉月先生。
「じゃあ条件は何なんですか?」
俺はどんな条件か聞いてみる。
「簡単なこと……女装姿のかーくんを写真で撮らせて」
「えっと……それはちょっと……」
「じゃあ言う」
「それでOKです。お願いします」
弱みを取られた人間は限りなく無力だ……
また一つ大人の世界の常識(?)を学んだ俺であった。
先生三人の注文を取り、心の中で涙を流しながら厨房へ戻る道を歩いていく。
たかが一日、されど一日。
一日バイトを手伝うだけでこれだけの疲労を感じるものだろうか……
とは言え、女装したのがバレたのは蓮と葉月先生。
最悪の状況は回避されただけでも良かったということか……
しかし、俺は頭の隅っこにどうしても拭い切れない不安があった。
こういう俺がピンチの時にはいつもいろんな意味で活躍していた―――
「カズくん♪」
嫌な予感は的中した。
おそるおそる後ろを見てみると、そこにはあの芹澤の姿が……
「どうして俺が女装していることを?」
「飛鳥ちゃんにね、今日はカズくんがここで一日バイトしてるって聞いて
そこからピンッ!と来ちゃったのだよ♪」
満面の笑みで俺に向かってVサイン
「それで……どの条件を飲めばいいんだ……」
「あっ♪今日のカズくんは空気読んでるね♪」
もうここまでくれば自棄である。
「それで、何なんだ?」
「じゃあね……今日の昼食代オゴリってことで♪」
そう言って俺は芹澤の昼食代7000円を奢る羽目になってしまった。
あっ……なんか涙が……
不幸が俺のステータス……それを強く思う一日であった。 |