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パーセント・エイジ 〜カフェ、レインダンスへようこそ!〜 作者:山崎山

アイドル・オブ・アローン

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アイドル・オブ・アローン1

 それから二週間、といっても実働は八日ほどだが、ひたすらに仕事を覚えることに徹し、ようやく店の入り口をくぐってからシフトを終えて出るまでが日常になった。
 店の仕事もすでに僕がいることを想定して回っている。落木部さんのおかげだ。彼女が親身になって教えてくれていなければ、僕はこんなにすぐ役に立てなかったと思う。実際のところ彼女は確かに先輩で、僕は彼女の知識や技術を甘んじて享受していた。
 ただ、僕が落木部さんに対して抱く感情は、最初に会った日から進みも退がりもせず、妙な膠着状態のまま変化がない。というより、職場における先輩と後輩という構図だけが固まり始め、音沙汰がないおかげで僕の感情だけが空回りしているようだ。それもそのはず。この二週間、仕事に慣れることで精一杯だったし、シフトだって終日入っている落木部さんよりはるかに少ない。とはいえ、これは恋だ。恋ならば、その相手に何かしらの行動を起こすことが、成功を望む上では何よりも重要なはずである、と昨日読んだニュースサイトに書いてあった。僕は落木部さんともっと親密になりたい。そもそもバイトを申し出たのもそのためだ。しかし僕は、このままではいけないと思いつつも、何か明確な行動を起こすでもなく、当たり障りのない距離感を延々と保っていた。もどかしいのに、距離を縮めるための策が思いつかない。どうしたらいいのかわからない。まだ十日と会っていないのに、今までの人生で触れることのなかった恋愛の経験値のなさを心底痛感していた。
「百瀬さん、そっち引っ張ってもらっていいですか?」
「了解です」
 だから、その足がかりとして、落木部さんの隣にいられるよう仕事に精を出す。僕の進みたい道においては微々たる影響しかもたらさないのかもしれないが、塵も積もれば山となるのだ。間近に迫ったハロウィンの飾りつけも、まさにその一つなのである。
 時に、店長は趣向を凝らした演出が好みらしく、ハロウィンというイベントのためには店内すべてのカーテンまで取り替えてしまう。内装が寂れているのもそういう好みから端を発しているらしいが、こうしたイベントごとにメニューも細々(こまごま)と変えるという駅前のカフェチェーン店もびっくりな気合いの入れっぷりだ。集客そっちのけで私腹を肥やしている感は否めない。
「よし、これでカーテンは大丈夫ですね。ありがとうございます、百瀬さん」
「いえいえ」
 脚立から降り、自分のした仕事に満足げな顔をする落木部さん。
 カーテンは白を基調としたシンプルなものから、ワインレッドでまさにハロウィンといった暗く厚手のものになった。これでただでさえ陰気臭い店内がより一層おどろおどろしくなることだろう。まあ落木部さんが好んでいる以上、僕が反対なんて無粋な真似をすることはないが。
 無論カーテンだけではなく、店内のあらゆる場所がハロウィン仕様だ。僕が採用されたばかりの頃の面影がたった二週間ですっかり消えてしまった。まあ実際にそうしたのはほとんど僕と落木部さんなんだけど。
「ハイハイ、二人とも飾りつけお疲れさま。そろそろ休憩していいわよ」
「はーい」
 キッチンから店長が現れ、カウンターに二人分の昼食とコーヒーが置かれた。客が来ないゆえの暇潰しがてら施していた飾りつけでも、集中すればそれなりに時間を忘れるらしい。時計の針はもうてっぺんを過ぎていた。
 落木部さんは例の如く目を爛々と輝かせてカウンターに向かう。この二週間でわかったのは、落木部さんが食道楽だということ。出された食事はもれなく美味しそうに食べている。そう考えると、まるで店長が落木部さんに餌づけをしているような構図が目の前に浮かび上がってしまう。さすがに冗談であってほしいけど。
 僕はいつものように落木部さんの隣に腰かけた。もちろんなるべく近づき過ぎないように。
「おぉ! いただきます!」
「いただきます」
 二人揃って手をあわせ、食材と店長に感謝する。
 今日のメニューはパニーノ、いわゆるイタリア風のサンドイッチだ。駅前でも時折出しているチェーン店を見つけるが、明らかにサイズが違う。日本人向けにはとても見えない。しかし落木部さんにとっては口に入れ咀嚼さえすれば大きさなどどうでもいいらしく、両手で持って噛み千切り、もそもそと笑顔で食べている。彼女の見た目からはとても想像できない男らしい食べっぷりだ。むしろそこがいい、なんて思ってしまうのは、僕がおかしいからだろうか。
 僕も落木部さんを見習い、両手に持ったパニーノに齧りついた。うん、美味い。問題なく美味い。これだけ美味いなら味だけでもう少し客が来てもいいのでは、と思うくらいに美味い。
「キレイになったわねー。これで今年のハロウィンも安泰だわ」
 キレイかどうかはともかくとして、自分の思うがままに店内が彩られたことで、店長は満面の笑みだ。
 僕は苦労して飾りつけたのにちょっと労ったらもう悦に入っている店長の笑顔に一石を投じるべく、疑問を口にした。
「安泰ってことは、毎年何かイベントでもやるんですか?」
「イベントも何も、ハロウィンの時期はお客さんが少し増えるのよ。この子目当てで」
 店長が指差したのは、僕の隣で最後の一口を食べようとしていた落木部さんだった。
「わ、私ですか?」
「そうよー。みんなハロウィンバージョンの落木部を見に来てるんだから」
「おぉ、なるほど……。だから秋のこの時期はちょっと忙しいんですね……」
 パニーノを平らげた落木部さんは神妙な面持ちで何度も頷いた。これは自分が褒められているということに気がついていないな。
 確かに、落木部さんの制服は普段のメイド服とは少し違っていた。袖口やスカートの裾など、所々にオレンジ色が入り、もともとの黒も相まってまさにハロウィンといった配色になっている。頭には黒い小さな角が生えたようなカチューシャを着けているため、小悪魔という単語がよく当てはまりそうだった。バリエーションの一種と思っていたが、そういうことか。
「じゃ、これから少し忙しくなるから、二人ともよろしくね」
「はーい」
 引導のような言葉を残して、店長はキッチンの中へと消えた。
 落木部さんのおかげで客が増えそうではあるが、正直そこまで顕著な変化があるとは考えにくい。今この店内に漂う寒い空気がそれを物語っている。
 僕は嬉しそうにコーヒーを飲む落木部さんに、なるべく邪魔をしないよう質問する。
「落木部さんのその格好は、店長に脅されて無理矢理やらされているわけではないんですか?」
「脅されてはないですけど、ハロウィンっぽいのは店長からお願いされて、ですね」
「なるほど。じゃあメイド服を着てるのは?」
「これは単に私が好きで、それが高じて着たかったからですね。じゃなきゃ百瀬さんに着せたいなんて思いません」
 震えた。あの時は正真正銘の危機だったらしい。
「働くことになった最初の日に、店長に聞いたんです。服は何を着ればいいですかって。そしたら何でもいいって言われたので、じゃあメイド服でって」
 その「じゃあ」の意味が僕にはさっぱり理解できないが、店長が従業員を男女どころか、落木部さんとその他という括りにしていることだけはわかった。制服までも落木部さんに一任しているとは思わなんだ。店長が本当に店長なのか怪しくなってきた。それに案外彼女のせいで辞めた人もいるかもしれない。名も知らぬメイド服の被害者たちよ、安らかに眠れ……。
「こんなに機能的で仕事に最適、そしてかわいい服なんてありませんよ。なのにみんな嫌がって着てくれないんです……。私は悲しい、ひとえに悲しいですよ……」
 しくしくとエプロンの裾で涙を拭く仕草(・・)を見せる落木部さんには、今度、誰もが性別の垣根を超えられるわけではないことを教えておこう。いつか入ってくるであろう新人が夜な夜な枕を濡らさずに済むように。
「一度着てみるのもいいと思いませんか? 私はみんなにこの服の素晴らしさを教えたいだけなんですよ。着ればきっと新たな世界が広がると思うんです。まだ自分の知らなかった、新たな世界が!」
 それはきっと広がってはいけない世界だと思う。
 これ以上ヒートアップするのは僕の保身の上でも危ないので、落木部さんの突き出た口先を押し込むようにやんわりと反論する。
「まあまあ、服の好みは人それぞれですし。無闇に押しつけたら逆効果なんじゃないですか?」
「うっ……。それはそうですけど……」
「本当に良さをわかってもらいたいなら、押しと引きが大切だと思うんです。今はその引きの時ですよ。時がくれば落木部さんの言ってることが正しいってみんな気がつきます。たぶん」
「おぉ、なるほど……」
 自分で言っておきながら、まさに自分のことをダメ出ししているようだ。僕なんてまだ「引き」どころか「押し」すらもできていない。
 だが落木部さんにはこんな僕の薄っぺらい言葉でも効果てき面なようで、盲点を突かれたように何度も頷いていた。セールスに言いくるめられて百万単位の壺を買ってしまいそうだ。あとでそれとなく注意しておこう。一人暮らしは危険が多い。
 そうこうしているうちに、僕もパニーノを食べ尽くした。やはりあの大きさだけあって十分腹が満たされてしまった。そしてそこはさすが店長というべきか、コーヒーが満たされた腹と舌によくあう。しばしの間、至福の時間を落木部さんと共にする。このままだと胃袋を店長に掌握されそうだ。落木部さんに関してはもうされかけている。
 僕と落木部さんが店長の妙技に身も心も奪われていると、突然、耳が覚え始めたばかりの甲高い音色が店内に響き渡った。店の入口にあるドアベルだ。休憩中とはいえ店自体は営業しているのだから、客が来ても不思議ではない。この店に限ってはなかなかの不思議さではあるが。
 仕事のスイッチに切り替えるいいタイミングだとばかりに、僕たちはすぐさま食器をカウンターの裏に置き、音の方へ振り返る。一人一人のお客様を大切に、だ。そして落木部さん譲りの笑顔で、
「いらっしゃ──」
 と言ったところで、僕は続きを言うべきかどうか逡巡した。
 ドアを背に立つのは、ベレー帽に古い刑事ドラマに出てきそうな墨色のサングラスと、それに重なるようにして顔の大部分を覆っているマスクをした、小柄な少女だった。何故少女だとわかったかというと、彼女が纏う白いコートの下に赤いチェックのスカートが覗いているからだ。ベレー帽の下には枯草色のツインテールが揺れている。僕は落木部さんのように衣服の規範が性別の垣根を超えていないから服装でまずわかるし、そもそも髪型でダメ押しだ。というかこれで少女じゃなかったら僕はこの国の性規範を疑わざるを得なくなってしまう。
 少女は僕たちを一瞥すると、店の一番奥、僕たちが今さっきまでつけ替えていたカーテンの下の席に座った。そしておもむろにメニューを広げ、目を通す。
 僕と落木部さんは固まったままだ。落木部さんの表情は角度的に確認できないが、少なくとも僕は言い知れぬ恐怖を感じていた。フロアの気温が二度ほど上がった気がして、それが緊張からくる錯覚だと気づくと、余計に嫌な汗が額に滲んだ。一見してまさに不審者然とした風貌。ここまで露骨に怪しい人物を見たことがない。そしてそんな人物が、まさか自分のバイト先に来るなど考えたこともなかった。
 僕が今まで何故護身術の類を習ってこなかったのかを心から後悔していると、少女はメニューから目を離し、僕たちの方を向いた。無機質なレンズの奥で僕たちに視線を送っている気がする。どうやら注文をしたいらしい。
 僕は思わず息を呑んだ。ここで僕が行かなければ、とは思うのだが、どうにも一歩踏み出せない。すると、
「私行きますね」
 落木部さんはいとも容易く、そして軽い調子でそう告げると、少女のもとに歩み寄っていった。
 普段どおりの接客をする落木部さんに、少女はメニューを示しながら注文を告げ……ているだけではないのだろうか。何か話し込んでいるようにも見える。少女の方は無論表情が判然としないが、落木部さんに関してはまるでいつもの友達と話しているような笑顔だ。
 僕が何もできずに呆けていると、注文を取り終えたらしい落木部さんがこれまた軽い足取りで戻ってきた。
「店長ー! ボロネーゼピザトーストパストラミのパニーノチーズケーキ、あとカフェオレお願いしまーす!」
 呪文だった。どれだけ空腹だったのだろう。
 キッチンに向かって溌剌と告げた落木部さんは、振り返って僕に小さく笑いかけた。
「百瀬さん。申し訳ないんですけど、料理を運ぶの任せてもいいですか?」
「え? ああ、はい……」
 落木部さんはそう言うが、欠片も悪びれたような顔をしていない。ただ逆に言えば、落木部さんがそういう具合の対応をするような相手なら、別に僕が身構えなくてもいいのではないか、とも思えてくる。だが油断は禁物だ。落木部さんだって手練の店員で、客の前ではいつでも笑顔でいることを心がけているだろうし、たとえその客がいくら怪しかろうとそれは変わらないだろう。
 しばらくして店長が僕を呼び、まずボロネーゼとパニーノを差し出した。何故か店長も笑っていた。もしかして、僕の知らない所でこの二人は何かを企んでいるのではないか。新人いじめでもしようという算段か。
 明らかに不穏な笑みを絶やさない落木部さんと店長を背に、僕はトレーに二つの皿を乗せ、渋々怪しい少女の待つ席へと向かった。そこでようやく、何故忙しくもないのに注文を取った玲さんが僕に配膳を任せたのだろうという疑問が頭に湧いた。しかしすでに歩を進めている以上、下手に引き返せばあの少女に怪しまれかねない。胃が痛い。
「お待たせいたしました。こちらボロネーゼとパストラミのパニーノで――」
 僕は少女がこちらを見ていることに気づき、言葉を詰まらせた。
 表情が見えない。ロボットに睨まれているような無機質な恐怖を感じる。やっぱり僕の勘は正しかった。怪しいにもほどがある。さっさと料理を置いてお暇しよう。
 僕が精一杯の苦笑いを捻り出して戻ろうとすると、少女は僕に向かって掌を突き出した。どうやら「待て」ということらしい。早く帰りたい。だが逆らえば何をされるかわかったものじゃないので、僕はとりあえず動きを止めた。
「あんた、口は堅い?」
 少女は怪訝そうに聞いてきた。それにこの声、どこかで聞いたことがあるような気がする。記憶の片隅で誰かの同じような声が再生された。
「ねえ聞いてる? 口は堅いかって訊いてんだけど」
 少女の催促に、僕の頭で渦を巻く既視感がかき消された。
「いや、あの、まだ人生を棒に振りたくないので……」
「は? 何が?」
「え? だって薬を売りに来たんじゃ……?」
「誰が密売人だ! 口は堅いのかって聞いてるだけでしょ!」
「すいません後生です、今回は見逃してくれませんか」
「誰が――あーもうダメだ話が通じん、玲ー!!」
 僕の必死の抵抗が功を奏したらしい。呼ばれたとおり笑顔の落木部さんがチーズケーキ以外の残りの料理とカフェオレを持ってやってきた。落木部さんの下の名前を知っていて、しかも呼び捨てということは、相当常連の不審者なのかもしれない。
「玲! ちょっとこいつのあたしに対する侮辱をなんとかして! 何故! 何故こんなにオーラ全開のあたしがアウトローな人間に見られなければならないのか!」
「よくわからないですけど、とりあえず顔を見せた方が早いと思います」
 落木部さんはトレーの上のものをすべて少女の前に置くと、困ったように苦笑を向けた。
 素顔を見せることが解決の近道ということは、指名手配犯だろうか。だとしたら今すぐにでも通報するべきなのだろうが、落木部さんも何か知っていそうな顔だ。僕の知らない深い事情があるのかもしれない。
「……仕方ないわね」
 少女は大きく嘆息すると、一度僕を見てからまた大きく嘆息した。そして注意深く周囲を見渡し、カーテンを少し開けて外まで確認してから、サングラスとマスクに手をかけ、ゆっくりと外していく。
「……あ、え……?」
 その顔に、僕は思わず間の抜けた声を漏らしてしまった。それは密売人でも指名手配犯でもなく、落木部さんどころか、この僕でさえ見知っている顔だった。
 とはいえ、少女の顔を直接見知っているわけではない。ただ、恐らく誰もが記憶の片隅に置いてある、そんな顔だ。僕はここで、彼女が身元を隠すような服装をしていることと、過剰に周囲の目を気にしていることの理由がやっとわかった。
 それは数年前、流星の如くステージに現れ、そしてまた流星の如く消えていった、日本中にその名を轟かせた伝説のアイドル。
「──綺羅めくる!」
「いえ、澤井ももこちゃんです」
「ちょっ、それ本名だから! 非公開情報だから!」
 綺羅めくる。
 一昔前まで一世を風靡していたが、芸能界の栄枯盛衰の波に呑まれてしまった不幸な少女。だがその存在は誰もが知っているし、老若男女に人気だった実力派だ。
 しかし、何故そんな世をかき乱したような人物がここにいるのか。そして何故落木部さんと下の名前で呼びあい、フランクに話しているのか。
 数々の疑問が降り注ぐ中で、あくまで一般ピープルの僕は、ただ一つの事実に脳内を支配されていた。
 彼女は僕とは違う、画面の向こう側で輝き続けていた人だ。こんなところで遭遇するなど、万に一つも予想していなかった。しかしそんな信じられない現実が今、紛れもなく、僕の目の前で起こっている。
 僕は成す術もなく、運命の渦に呑み込まれた気がした。
+注意+
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