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森に降る雪
作:おせろ道則


 あ。真夜中の森の草花が、私の視界いっぱいにせまった。私は顔から地面にふした。起き上がろうと、腕に力を込めたけれど、キチキチと関節のネジが音をたてるだけで、私はもう起き上がれなかった。森の深いところで、全身メタルの私の体が、ほのかに月あかりを反射させた。
 金属板と、コードできた、アンドロイド。私の体に防水機能はついていません。
 私は眼球をくるくる動かして、あたりをくまなく視察した。追っ手の気配はなかったので、私はひとまずほっとした。自分の首筋からはなたれている、鉄錆びの嫌な臭いに私は気づいた。首筋のバネが錆びつきはじめていたのだった。
「もろいものね……三十分、雨に打たれただけでこうなっちゃうなんて」全身に降りかかる雨を、一粒一粒凝視した。研究所(ラボ)の中から見ていたときは、幻想的な風景でしかなかった「雨」。外に出れば、現実の厳しさにさらされる。頭の先からつま先まで、全身メタルのアンドロイドは、この森には似合わない。本来私がいるべき場所は、この森の向こうの研究所。そこで私は作られた。そしてそこから脱走してきた。
「博士……」私は言った。「私、もうこれまでみたい」
 博士の姿が、脳内メモリーを駆けめぐった。ラボで私は博士と出会った。私は博士に創られた。
「やぁ、気分はどうだい?」目覚めたとき、言われた最初の言葉がそれだった。細枠(ほそわく)のめがねを掛けた男が、私に向かって微笑んだ。そのとき私には、まだ下半身が備わっていなかった。首をウィンウィンと鳴らしながら、私は動く右手で、目の前のその人をなでながら答えた。「ワルクナイデス」
 全身メタルの私の体を、博士はちょっとまぶしそうに見つめていた。私の存在意義を、博士は事細かに説明してくれた。この世界には、心身に不都合を抱えた大勢の人がいて、私はその人たちのお世話をする「介護アンドロイド」のプロトタイプなのだと言われた。
「君次第で、僕の研究は大きく弾みをつけるだろう」と博士は言った。私はこくりと頷いた。実際、市場に出す前に、いろいろなデータを取らなくてはならないそうで。実験を兼ねて、私が最初にお世話する人は博士となった。私は介護アンドロイドとして、掃除をして、食事を作った。たくさん博士と話した。順調に博士との生活が過ぎた。なのに、私は廃棄される事になった。
「これは、もう使い物にならないから処分だ」管理ファイルをパタリと閉じて、博士は、私の面前(めんぜん)でそう言った。私は一瞬、聴覚機能の故障かと思った。ちょうど充電の時間帯で、私は博士の頭上二メートルのところで、宙ぶらりんになっていた。背中のコードがきしりと鳴った。私は口をかぱりと開いて博士を見下ろした。そんな私を見ようともしないで、博士はつぶやいた。「これは欠陥品だった」
「いいんですかい?」ブルーの作業着を着た男が、博士に繰り返し尋ねる。
「いいんだ、さっさと―ダストに突っ込んでおいてくれ」
 私は、半開きの口をぷるぷると震わした。そして目だけで横を見た。私のデータをもとに造られた、五百体のアンドロイドが、同じく宙ぶらりんになっていた。博士がくるりと踵を返した。私は背中に痺れを感じた。
 逃げなくちゃ!
 突然のことで、博士はショックを受けたでしょう。充電中は動けないはずの私が、博士の頭上で、マリオネットのようにがじゃがじゃと暴れだしたのだから。暴れに暴れて、私は背中のコードをぶつりと切った。充電カプセルから飛び出して、博士の頭上をジャンプして、一目散に部屋の窓ガラスに向かって走った。私は強化ガラスを突き破り、高さ三〇階のその部屋から、外の芝生に飛び降りた。
 ラボの全体から、サイレンが猛々しく鳴り響いた。私は恐怖と悲しみを抱え込んで、とにかく逃げた。
 早く、早く、ここから逃げなくては。今、逃げなくては、私はゴミ箱行きになる! 
 警備アンドロイドの捜索から逃れ、ドーベルマンロボの追跡にも負けず、私はラボに張り巡らされた金網を越えて、その先の森に入った。逃走しながら、私は泣いた。心は博士で一杯だった。ひどい、ひどいわ、どうして? 博士。私を突然ごみ扱いするなんて。私は逃げた。一番離れたくなかった博士のもとから、全力疾走で逃げたのだ。そして静まりかえったこの森の深いところで、私はこうして横たわっている。
 夜の森は静かだった。ふくろうの声も聞こえなかった。さらさらと雨の降る音だけが(かすみ)のように鳴るだけだった。倒れたまま、私は地面に近い目線で、草木を眺めた。生命力が感じられた。暗い森の中でも、闇に隠れることなく、命が脈々と息づいていた。
「いいな……」
 発音するたび、口関節がウィンウィンと音をたてた。こんなメタルの鉄くずでも、この子たちの寝床(ねどこ)になるかな? メタルを寝床にしてくれるかな。緑の葉っぱを茂らすかな。
「あ」
 何とかこっちは動きそう。ギイギイと音を鳴らしながら、私はかろうじて動く右手を、自分の目の前に持ってきた。指の関節をジュイジュイと動かしてみた。関節の隙間からのぞく、無数のコードが、パチパチと光を放っていた。
「動いてるじゃない」
 私は涙をこぼして言った。「まだ作動してる」
 博士は、どうして私を欠陥品扱いにしてしまったのか。私は全く理解できなかった。私はこんなに「人」らしいのに。私はぽろぽろと泣いて博士を思った。
 もともと、あのラボでの実験テーマは「人の気持ちが分かるアンドロイド」を創ることだったんでしょ? だったら私は適任だったじゃない。生まれたときから、博士と友達になって、あなたとたくさん話をしたわ。親身になってお世話をして、そうよ、ある日博士が病気で寝込んだときには、本当に、本当に心配したわ。元気になってくれた朝には、私は嬉しさのあまり、涙をこぼしてしまった。あなたはびっくりしてたわね。私も正直驚いたわ。他の試験体は、相手の脈拍や心拍数を感知して、向こうが望んでいるなら人工涙腺(るいせん)をゆるませて、「泣く行為」をするだけだった。けれど私は違った。あの時、あなたの安らかな顔を見て、どうしてか涙があふれたの。「流ス必要アリ」と思って出したんじゃなかった。出たのよ。自然に涙があふれたの。
「ひどいわ博士」
 雨がパチパチと、私のメタルの体を叩いた。どうして? 私は博士の望んでいた、最高のアンドロイドだったでしょ? なのに、ダスト行きなんて。
 いっそう涙が眼球からあふれた。あふれた涙は、あごをつたって、私の首関節の隙間に流れ込み、いっそう私を錆び付かせる。
「情けない」
 私は、うっうっとしゃくり上げた。ぎゅんぎゅんとメタルがきしんだ。もう、博士のもとには戻れない。博士を見て……あなたを嫌いになりたくない!
「博士……」
 私はぎゅっと瞳を閉じた。
「愛しているから、見逃して」私のすべてを見逃して。
 私は、ある日を思い出した。
「服を……着たいのですが」
 私の申し入れに、博士はしばらく絶句していた。
「―どうして?」
 含み笑いで尋ねる博士に、私は何も言えなかった。恥かしかった。博士の前で、メタルの肌をさらしているのが。私は少しうつむいて、博士はちょっと困惑していた。
「消えてしまいたい」
 私はゆっくりまぶたを開いた。すると、私の目の前に、ひとひらの何かが舞い降りた。
「雪……」
 雪だった。さっきまでの雨が、雪に変わって森に降ってきた。不思議。この国は、過去十年間、雪なんて降ったことなかったのに。私、実物の「雪」を見るのは初めてだわ。これが雪なのね。なんて儚いんだろう。
 雪は、しんしんと森のすべてに積もり始めた。草木に、花に、メタルに、小枝に、あらゆるところに降り積もった。私の目の前にあった右手も、雪に埋もれて見えなくなった。
「そうよ」
 私は微笑んだ。
「そのまま、すべて、隠してしまって」私のこの、錆びた機体も、中途な心も、こんな末路も、愛も、記憶も。すべて儚い綿毛の下に、埋もれてしまって。
 そんなことを思っている間に、頭の中にも積もり始めた。頭の中に降る雪は、どんどん私の記憶(メモリー)を消した。徐々に私は朦朧(もうろう)としてきた。それがすごく心地よかった。不安も恐怖も消えたけど、ああ、やっぱり私はここまできても、博士を思い描いてしまった。途切れ途切れのメモリーを、懸命につなぎ合わせて博士を思った。
 記憶の博士は、今も私に微笑みかける。
「ハカセ……」
 私は今も、あなたを思う。始まりから終わりまで、あなたが私の存在意義なの。
 人の心が分かるのに、人の心を持っちゃダメって、そんなの無理よ、そうでしょ博士? 望み通り私はここで壊れるから。次はもう少し、にぶいアンドロイドを創ってあげて。
 雪よりも冷たいメタルの体で、博士を愛した私にとっては、振りつもる綿毛の毛布は、泣きたくなるほど優しかった。







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