ESPERANZA
彼女は、美しかった。どこが、といわれると返答に困ってしまうが、そういってしまう程度には。
たとえば、その瞳。瞳は琥珀色で、煌めていている。まるで、宝石のように。
たとえば、その髪の毛。長くたらした白銀の髪の毛は、今も太陽の光を反射し幻想的な美しさを思わせている、
顔は人形のように整っており、容姿だけで神から祝福されたことが分かるだろう。
それだからこそ、彼女は守らなければならないとこちらに知らせるように、彼女は脆弱で病弱であった。
「ねえ」
彼女が、口を開く。
その途端、甘美なその音声は私の鼓膜を震わせて聴覚に訴えかけ、そのまま鼓膜もろとも蕩けさせてしまいそうな不思議な魅力を持っていた。
そのため、誰も彼女に反抗するような男はいなかったのだ。
「ん?」
ただ、私を除いては。
「おなかがすいたの、何か食べに行きましょう?」
彼女の依頼を聞き、私は頷いて腰を上げる。
周りのクラスメイトからは一気に視線が集まり、特に一部の男性陣からは憎悪とも殺意とも取れる表情が伺い知れた。
「シルバ。早くいきましょう?」
「了解」
彼女からの柔らかい声。振り向けば、立ちくらみからか身体を危なっかしく揺らしながらも、こちらに手を伸ばす彼女がいた。
表情は全く持って柔らかい聖女そのもので、または天使とも例えられるだろう。
取りあえず倒れそうになった彼女を支え、導くように手を引いて誘導する。その間、誰も彼女に手を差し伸べようとはしていなかったし、結局何も私にすることはなかった。
「偽善、偽善。そればっかりです」
彼女は、不満げな顔をして私の差し出した紅茶を一口一口確実に呑み込んだ。
ここは学園から少々離れた喫茶店だ。昼休み中は本当に自由となっている学園では、こうやって外食をする生徒も少なくない。
場所は学園のある通りを右折したあと、すぐのビルの二階。昼だからか、太陽がまっすぐ私たちへと降り注いでいる、そんな春の真っただ中。
「先ほど、私がわざと揺れていたのは気づいていましたよね」
「うん」
「なのに、結局シルバしか助けてくれませんでした。だから嫌いなのです」
無駄な憧憬は必要ないと、そう言い切ったうえで少女は頬を少しだけ膨らませた。
「それなのに、シルバには牙をむいて。私に気づかれないと思ったのでしょうか」
おそらく、そう思っているのだろう。
彼らの前で、彼女が見せる顔といえば柔らかい笑顔で固定されている。聖女のように微笑むだけで、彼らは満足している。
だからこそ、こんな表情は私だけが見られるものなのだとはっきりと自覚することができるのだ。
普段は精巧な洋人形であっても、自分の前ではきちんとした一人の【人間】として生活をしている。
それを感じられるだけで、私は幸せだった。
「ところで」
「ん?」
「……次の授業、休んでどこかに行きませんか?」
彼女は、私に命令をしない。他の男たちにはしているのに、私に対しては常に提案である。
「それって、でも」
しかし、それはさすがにどうかと思うのだが。
小悪魔のような魅力的で、官能的で。何よりもこちらに甘く語り掛ける少女は、まっすぐ私のほうを見つめると右耳に唇を張り付けて、ついばむように呟いた。
「退屈なの。……ね」
荷物は後で取りにこればいいでしょう? と少女は念を押すようにしていつもの聖女へと顔を戻した。
残念だ、私が言うとおりにしないと不愛想な人形にもどるということか。
全くわがままな女だが、それもある意味で残念なことに、私に対してだけである。
私が再び注いだ紅茶を飲む少女。その姿は、やはり異常性のある美しさを放っているのだった。
「確か、学園から南下すると海があると聞きました」
「あるけど、遠いぞ」
「構いません」
喫茶店から出て、少女は道路の先を見透かすように目を細めてつま先を伸ばしたり元に戻したり。
そのたびに、ボリュームのある髪の毛は揺れてふわふわと空気中を漂った。
「これ、デート?」
「はい。なんだと思っていたんですか?」
何気なく彼女に問いかけると、彼女は恥ずかしげもなくそう答えて私のほうを向く。
その姿はとてもしおらしく、顔は少々赤らめている。
そうか、これは逢引きだったのか。
それだけがわかると、思った以上にきもちが軽くなって、視野が広がった。
視野が広がれば、彼女の細かいことにも気づくというものだ。
ネイルや靴下を校則の範囲以内におめかししたり、髪飾りは昔私が贈ったものだったり。
すべてが完成されていても、やはり規則への反抗心というものは芽生えているということだろうか。
「今日は特別な日なので」
そう彼女は告げたが、いまいちよくわからない。
私を呼び出さなくても、彼女にはお付きの執事が何人もいるはずなのだ。
彼女という存在を守護するためだけに、とある国は軍隊を派遣するだろう。
そんな存在を、私はそばに置いていいのだろうか。否いいはずがない。
彼女が、一度でも嫌がれば私は「最初から生きていなかった」ことになるだろう。
それほどの、存在。
それこそ世界の命運がかかっているような、人物なのだ。
「自由になれればいいのですけどね」
「自由?」
「そうです。自由ですよ」
なんのしがらみも制限もなく、自分の生きたいままに生き、逝きたいままに逝く。
そんな人生を彼女は望んでいたようだが、それはまことに残念ながら望んでもかなうとは限らない。
「でも、貴方も私もそうにはならない、でしょう?」
「そうだな」
私も彼女も、自由にはれない。
常に何かに縛られている。
むしろ、私が彼女に縛られ、彼女は私に縛られている。
共依存。片方がいなくなれば、もう片方も居なくなる。最終的に世界も滅び、人類はこの世から姿を消す。
「最初のほうは、荷が重すぎると思っていたのですが。……あなたがいて、それも変わったような気がしますね」
「そうか。……それはよかった」
荷を背負わされるこちらの身にもなってほしい。
最初はそう感じていたが、月日がたちそれが年月へと変わっていくうちに情も移るというものだ。
憧憬は思慕に変わり、恋慕に代わる。
彼女に抱いていた憧れの感情は、いつの間にか共依存としての関係になっている。
「希望、か。よく言えたものだ」
彼女の名前の意味を呟き、私はそれを胸に抱え込むようにこぶしを握った。
エスペランサ、スペイン語で希望を意味する言葉である、
私は隣を歩いている少女を見やって、その銀色の髪の毛を無意識に手で梳いた。
彼女は不思議そうな顔でこちらを見つめたが、それに私が答えることはなかった。