冬の小さな世界
その地に、冬が訪れていました。
身を切るような寒さに加え、荒れ狂う大量の雪が視界を遮ります。うずたかく積もった雪は、その完璧な白さでその地の生命のすべてを、覆い隠していました。
その中でぽつんと、何事もないような様子でそびえ立つ、大きな一つの建物がありました。
その形はピラミッドのように四角錐をしていて、側面は四角錐の頂点へと階段状になっており、その頂点はまばゆく輝いています。
その建物のまわりには雪は一ミリも積もっておらず、地面がむき出しでした。建物の側面も同じで、建物が雪に覆われることはありません。空から絶えず落ちてくる雪は、その建物に触れるや否や、消滅してしまうのです。それは建物のまわりも同じでした。
一面の雪の世界で、そこだけが異質な別世界でした。遠くから見れば、まるで雪の中に穴があいているように見えるでしょう。
その建物は、ひとつの都市でした。中にはちょうど五千の人が住んでいて、半分が子ども、半分が大人で、半分が女の人、半分が男の人です。人々はこの建物の中で何不自由なく暮らし、一生を終えるのです。この建物の外に出ることはありません。建物の中はいつでも十分に温かく、食べ物も娯楽もあります。いったいどうして外に出る必要があるというのでしょう。
ピラミッドの下段の方では、ロボット達が忙しなく働いています。建物で暮らす人間たちの生活を永遠に守るため、休む間もなく働いています。建物の外から資源やエネルギーを取り出し、それを水や食べ物や衣服、またはいろいろな機械の動力に変えるのです。
雪が弱まったある日、建物の入り口に、建物の「外」に住む者がやってきました。門番のロボットは、「何があっても蟻一匹建物に入れるな」という命令がインプットされていましたので、警戒態勢をとりました。
外に住む者、はロボットに対してこう言いました。
「どうかわたしたちをこの中へ入れてください。今年の冬は、一段と凍えるのです」
外に住む者、はこの建物の中が温かく、食べ物がたくさんあることを知っていました。今年の冬は大吹雪に見舞われ、このままでは死傷者が出ると判断した彼らは、この建物に助けを求めたのです。
しかし、ロボットはこう答えました。「それは、できません。お帰り下さい」
「そこをどうにか」
外に住む者、の代表は、粘り強く頼みました。どれほど一生懸命に頼んだとしても、ロボットが彼らを可哀想に思って意見を変える、などということは決してないのですが、外に住む者、にはそれが分かりませんでした。外に住む者、はロボットを自分たちと同じ人間だと思っていたのです。
「わたしたちは、かつて、同じ仲間だったではないですか」
だから、外に住む者、はただ直立するロボットに向かって、必死に訴えました。
そう、かつて人間はみな「外」で暮らしていたのです。
しかし、いつかを境に、建物の中に住む人達と、外に住む人達で別れたのです。もともとはみんな同じ人だったという事実は、外に住む者、たちの間ではこの地の歴史として古くから教えられていたことでした。
けれども大変昔の出来事ですので、今や建物の中と外は完全に分離され、お互いの接触があったのは実にもう千年も前のことなのです。外に住む者、がロボットを、別々に進化した自分たちのかつての仲間、と考えてしまったのも、無理はありません。
ついに、外に住む者、は怒り出しました。
「こんなに頼んでいるのに、それでも仲間だろうか」
「中に入れろ」
もう寒さも限界です。外に住む者、たちは入り口で暴れ始めました。しかし危機を察知して駆けつけた警備担当のロボット達に次々に阻まれると、今度はみんなで階段状のピラミッドを登りはじめました。どこかに入り口があるだろうと思ったのです。
一方建物の上段では、中に住む人たちの一部が、占いをして遊んでいました。心地いい音楽が流れ、あたたかい料理に囲まれ、彼らは建物の外が今どうなっているかを知る由もありませんでした。
中の一人が、占いの結果を読み上げます。
「せ、か、いの、おわり……?」
その言葉は彼らになんの反応も与えませんでした。その言葉は、彼らが過ごす毎日からあまりにもかけなはれていて、まったく彼らの想像する範疇を超えていたのです。
彼らは占いをもう一度やり直すことにしました。予想外の出来事や、未知の出来事に出会うと、とりあえず彼らは何もなかったかのように日常をやり直すのです。そうするのがいちばんいいのです。そうすればそれらはいつの間にかどうにかなっていて、いつの間にか忘れてしまうのです。建物の中ではそれがあたりまえで、あたりまえすぎて、あたりまえだと思うことすらなくなっていました。
だから、突然建物の中が真っ暗な闇に包まれても、彼らは驚きの声をすぐには上げませんでした。
誰かが(この場合ロボットたちが)いつも通りに、なんとかしてくれるまで思考を止めて待ちました。
しかし、いくら待っても明るくならないことが分かると、どこからともなく、悲鳴が上がりました。悲鳴は次の悲鳴を呼び、ほとんどの人が生まれて初めて悲鳴を上げました。
ちょうどそのとき、建物の外ではこんなことが起こっていたのです。
外に住む者、の中で体力があり、血気盛んな若者達が、ついにピラミッドの頂点にたどり着き、怒り任せにまばゆく輝く物を壊したのです。それこそこの建物の太陽だったのです。
遠い昔、この建物が造られ、人が、別々に暮らし始めたときから、この建物だけの太陽として、まばゆく輝いていたそれは、長い年月の果てに、ロボットによる修理も追いつかないほど、古くもろくなっていたのです。
建物の中の人がそれに気づくことはありませんでした。「太陽」がそこにあるのが、当たり前だったのですから。それが古くなったり、壊れたりするなんて、建物の中の人は考えたこともありませんでした。
けれどそれはもう、壊れてしまったのです。
いつの間にか、建物の入り口も外に住む者、たちに占拠され、ロボット達はそちらの収拾に借りだされ、またはそのさなか壊れ、予備の明るさを確保できず、建物の中の人を守りに行けませんでした。
ロボット達も、全く予想外の状況に対応しきれませんでした。長年の月日の間、ロボット達は決まり切った行動しか繰り返してきませんでしたので、電子回路が錆びてしまったのかもしれません。
その後、太陽を失ったピラミッド状の建物は急速に冷えていきました。外に住む者、が次々と建物内になだれ込んできましたが、中の人々はわけのわからない状況に恐れるばかりで、戦おうとも逃げようともしませんでした。
建物の中の人々はちょうどいい室温になれきってしまっていて、体温を上手く調節することが出来なくなっていたので、すぐに寒さに耐えきれなくなって、みんな命を落としてしまいました。
ロボットのほとんどは外に住む者、に壊されるか、非常事態に混乱して機能停止し、動かなくなりました。
外に住む者、はどうなったのでしょう。
建物を失い、一段と厳しい冬を越せたのでしょうか。
それを知る者は、今はありません。
また千年が経った後、この地に春が訪れました。
千年前雪に覆われていたこの大地には草花が揺れ、暖かく優しい風が吹きぬけます。
そこに、小さな店を経営している一組の親子が通りかかりました。
十五歳になる息子がふと足を止めて、父親に尋ねました。
「お父さん、あの建物は、なんですか」
それは、いつかの四角錐の建物の残骸でした。一つの「世界」の名残でした。ひとつも余計なものがなく、他者をよせつけないかつての人工物は、今や草木を全体に生い茂らせ、建物の中を鳥が通り抜ける、風景のひとつにすぎません。
「あれは、かつての理想郷だよ」
父親は、目を細め、建物を見やります。
「理想郷?」
「千年も前の理想郷だそうだ。人々は、あの建物の中で、何不自由なく暮らせたのだ」
「外に、出なかったのですか」
「なぜ出る必要がある? そこに、何もかもあるのに」
息子は、ちょっとの間考えて、
「僕には理解できません。外には、こんなに広い世界が広がっているのに。たとえ今の生活に満足していても、僕なら外に出たいと思います」
父親は、そう言ってどこか誇らしそうにする愛息子を、まだまだ足りないな、という親の気持ちで見つめました。だけど本当は、彼の若さをどこか羨ましく感じるような、懐かしく感じるような気持ちでした。
「もう行くぞ」
父親は息子に合図して、先を急ぎました。お前の新しい服を買ってやると言って息子を連れ出したのですが、本当は店の経営が思わしくなく、息子の新しい仕事先を紹介してもらいに行くのです。
(やれやれ。店はもうたたむしかないだろう。来年から上に収めるものも増えるらしいというのに。こんな毎日を、一体どうしたものやら。理想郷か。悩みも苦労もない、そんな世界に住みたいものだ)
そう思いながらも、遠ざかってゆくかつての理想郷を、父親はもう振り返りませんでした。そんなものはもう無いし、明日一日をどうするかで、彼の頭はすぐにいっぱいになってしまったからです。