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短編集

熊蝉

作者:あずき犬

 小学生の頃、蝉の抜け殻を集めたことがあった。
 袋一杯の抜け殻を見せて母ちゃんは、俺がびっくりするくらい大声を上げたっけ。
 ああ、そういえば、父ちゃんとはよく、カブトムシを採りに行った。カブトムシは捕まえられなくて、ジージーうるさい蝉をカゴいっぱいにして持っていったら
「蝉を捕まえるのはかわいそうだ」
って言って、全部逃がしちゃったな。
 その時は、せっかく捕まえたのに、としか思わなかった。

 蝉が何年も地面の中で過ごして、やっと地上に出ても数日間しか生きれないことを知ったのは、小学校高学年になってからだった。 人生のほとんどが土の中か。なんて退屈な人生なんだろう。

 蝉を素手で捕まえられる様になったのは、中学生になってから。夏休み、クラブの帰りに公園でみんなと話していたら、いつのまにか蝉を素手で捕まえることが出来るか? ていう話題になった時。俺、何匹捕まえたっけな。

 初めて出来た彼女と行った地元の遊園地。彼女といっても、手を繋いだり、ちょっと小突いたり。まあ、中学生だから。なんとか、キスをしてやろうと隙を狙っていて会話なんかほとんど覚えていないけど。
 気の利いた会話もなく、何となく歩いていた通りの端、
「これ、何の穴かな」
地面にしゃがんで蝉が開けた無数の小さな穴を指差して俺を見上げて笑う彼女、かわいかったなあ。キスはできなかったけど。 

 インターハイ。高校最後の大会。蝉時雨の中、俺達は、何者かになろうと、前を向いて歩いていた。いつ終わるとも知れぬ苦しい練習。
 欅の木の幹で鳴いている蝉。長い地中での生活からやっと抜け出して、人生を謳歌している蝉を見て、俺達も、今日の大会を機に新しい自分に生まれかわれると思っていた。
 ボロクソに負けて、悔し涙を流しただけだったけど。

 朝帰りの大学。徹夜開けのヨーグルトの様にとろけた脳みそに蝉の声が響いていた。
 コンパで出会った女性との初体験。みんな、世界が変わるって言ってたけど、相変わらず、けだるい授業に、胸糞が悪くなる薄っぺらい笑い。
 そういえば、人生が変わるって言ってたの、経験したことない奴ばっかりだったな。

 真新しいビジネスバッグを下げて、汗を拭きながら、ビジネス街を歩く。得意先から散々に怒鳴られ、上司に、必死で書いた企画書を破られ、むしゃくしゃしていた俺は、街路樹を蹴飛ばした。
 街路樹の枝が揺れて、一斉に蝉が飛び上がった。
 何者かになりたくて、飛び込んだ社会は、想像したよりも遥かに泥くさく。
 それはまるで、土の中で木根からほそぼそと樹液を吸う彼等の幼虫の様で。
 誰でも空を飛べるようになると思っていたのに。

 友達の紹介で知り合った女性と出来ちゃった婚。人生で自分が主役になれる場所は、結婚式とお葬式。誰の言葉かは知らないが、平凡な俺にとってはその通りなんだろうな。
「やっとこれで一人前だな」     
 式場で上司から声をかけられた。なにも成し遂げた訳でもないのに。
 でも、その言葉の意味は、新婚旅行から帰ってすぐに理解した。
 もう、逃れることの出来ない日常が始まった。
 胸ポケットにいつも入れていた『辞表』を破り捨て、代わりに妻と子供の写真を入れた。この家族を守る為に、俺はどれだけ罵倒されようが、くず扱いされようが、このレールから外れる事が出来なくなった。
 それは、まるで、体を圧迫する暗い土の中で、一本の木の根っこにすがりつく蝉幼虫そのもの。

     *

 世界的なスポーツの祭典が終わると、この国は深刻な財政難に陥った。
 巨額の設備投資による膨大な赤字。都市の空洞化による地下価格の急激な下落。外貨による企業買収と投機。
 国家の財政は破綻し、繰り返される増税、セーフティーネットの切り捨て。続発する官僚汚職にストライキ。治安は急激に悪化。
 混乱に乗じたゲリラ攻撃に端を発した侵略。そして戦争。国土は焦土と化し、山間に移動した人々は、汚染された空気に怯えながら、建設途中で放棄されたリニアのトンネルや架線の下に潜り込む。
 同時多発的に発生した紛争に世界が振り回される中、この国は、なんら優位性の無い国として、世界から忘れられていった。

     *

 この年になって、蝉が地中で過ごす時間が、実はよく分かっていない事を知った。取り付いた木によって、吸い取る事ができる養分が違うかららしい。
「おじいちゃん」 
 激しく揺さぶられて、浅い眠りから醒めた。
「早く、背中、割れてきてるよ」
 孫が小さな手で俺の手を引っ張る。
 崩れ落ちそうなトンネルの入口の隅に、もう一人の孫の背中が見えた。その子の見つめる先、竹で編まれた垣根に、茶色い小さな物体がぶら下がっている。
 昨日の晩、孫が地面からはい上がる蝉の幼虫を見つけていた。孫にせがまれて、小屋の奥で埃を被っていた昆虫図鑑を取り出し、孫達に見せた。

 蝉の幼虫は、しっかりとした足で竹にしがみ付き、ピクリとも動かない。しかし、その背中には一筋の白い線が走り、中から、陶器のように白い羽根らしき物が見えていた。

 この幼虫はどれくらい地中にいたのだろうか。
 そういえば……
 蝉の声を聞かなくなって、どの位の時間が経ったのだろう。焼き尽くされ、焦土となったこの国土。あの空襲からゆうに十年は経過している。
 それ以前に地中に潜ったのだろう。図鑑にも、地中の環境によっては、十年近く幼虫のままの蝉がいると書いてあった。

 夜空にうっすらと光が差しはじめた頃、ぼんやりと輝く月明かりの下、蝉は割れた殻から、体を半分ほど捻りだしていた。
 その体は、月の明かりのように白くて、マシュマロのように柔らかそう。
「がんばれ」
 蝉に顔を寄せてしゃがみ込む、両手を握りしめる孫が力を込めて言う。
「がんばれ」
 もう一人の孫も、声を合わせて、蝉に言葉を投げかけた。
「がんばれ」
 蝉は、二人の叫び声を浴びながら、最後の難関に突入していた。羽根がなかなか殻から出てこない。
「がんばれ」
 いつのまにか、俺も声を出していた。深くしわが刻まれた痩せぎすの両手を力一杯握りしめる。
「がんばれ!」
 三人の声が、汚染物質に覆われた大気に響きわたった。

 現れた皺くちゃの羽根は、汚れきった空気に晒されながら、徐々に、真っすぐ伸びていく。
 生まれ変わりたてのその小さな体、弱々しく、しかし、当たり前のように堂々と、誇らしく、三人にその羽根を見せつける。

 いつの間にか辺りはすっかり白ばみ、乳白色の朝霧に覆われていた。
 透明の羽根に、緑がかった体色。図鑑にも描かれていた通り、いや、父親に連れられて行った雑木林で捕まえたあの時の通り。
「あっ」
 孫が声を上げながら立ち上がる。
 空に舞い上がった蝉は、残した抜け殻を振り返ることなく、空に消えていった。
「蝉さん、ずっと土の中だったからうれしそう」
 孫が、眩しそうに空を見上げてつぶやく。

 あの蝉は、長い年月、土の中にいて不幸だったのか。
 いや。生まれ変われることを信じて過ごした年月は、きっと希望に満ちていたことだろう。
 何者にかなりたくて。若かった頃、無限の可能性に希望を膨らませていた俺のように。
 俺は、二人の孫の頭に手を乗せた。
 あの戦争は、この子達から両親を奪い、俺から子供を奪っていった。
 徐々に崩壊していくこの国、倒れていく人々。
 でも、あの蝉は、今を選んで土から出て、空を舞う。

 俺は……、

 俺は、木の根っこになろうと思う。

 この二人の孫が、出来るだけ早く空に舞い上がる事ができるように、めいいっぱいの養分を吸わせてやる。

 七十年間、土の中で暮らしてきた俺は、この薄暗いトンネルの中で、ようやくずっと探してきた『何者か』を見つける事ができたのだろう。

 蝉と違い、俺達人間は、空に舞い上がる時、場所は自分で決めなくてはいけない。

 例え、今が暗い、先の見えないトンネルの中であったとしても。

 それが生まれ変わるということだから。



   ―おしまい―
SF:Semi・Fly high!

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