78 さよなら正臣
「尊君・・・」
病室のドアが少々乱暴に開けられ、それと共に正孝の声が秋光の背後で聞こえた。
正孝は入ってきた人間の名前を呼んだのだろうし、病室へ入ってきたのが尊だけならば秋光も振り向きはしなかっただろう。
しかし、ドアが開き尊が入ってきた気配と共に、子供がすすり泣くような声が聞こえ、秋光はハッと振り返った。
「真臣・・・」
真臣が尊に片腕で抱かれ、彼のスーツをグッと握り締めながら泣いている。
尊が真理の枕元まで来ると、真臣が窓辺にいた秋光に気付いた。
「あき・・・パパぁ・・・」
しゃくり上げる嗚咽で上手く言葉など出ない。秋光はいつも生意気なくらい元気な真臣のそんな表情が可哀想で堪らなくなり、腕を伸ばしかけた。
真臣も秋光が居た安心感から、抱っこの腕を伸ばしかけるが、それを阻止するように尊は真臣を両腕で抱き直し、ちょっと強く秋光を見る。
自分の中に、真理を見殺しにしようとしたという思いがあるせいか、秋光は真臣を受け取る事も、尊を睨み返す事も出来なかった。
「真理ちゃん・・・」
尊は真理の顔を見ながら話しかける。
「真臣君だよ」
身を屈めて、真理の近くに真臣を近づけると、今まで泣いていた真臣が泣き止んだ。
「・・・ママ・・・? ねんね?」
真臣が片手を伸ばす。真理に触れたがっているのだと悟った尊は、真臣を少し前に倒して真理の顔に触れさせてやった。
「ママ・・・おいてかないで・・・」
今の真理は、真臣の目にどう映っているのだろう。
本当に、ただ眠っているようにしか見えていないのだろうか。
しかし、きっと心のどこかで母親の危険を感じ取っているのだろう。
母親が何処かへ行ってしまう危機感を、その小さな体いっぱいに感じているだろう。
不安で不安で、怖いに違いないのだ。
「ママぁ・・・おいてかない、で・・・」
真臣は夢を見たのだ。
月が、大好きなママを連れて行ってしまう夢。
大好きな母親が、月に吸い込まれてゆく夢を。
「ママ・・・」
正臣を、そしてもしかしたら真理までも失い、身を切られるような悲しみにさらされるのは、正孝だけではない。
何よりも、真臣がそれを味わう事になるのだ。
父は殺され。
母は自分を置いて自殺をした。
そんな現実を、彼は背負うのだ。
例え周囲に沢山の理解者が居たとしても、それはそんな者では覆い尽くせないほどの心の傷。
「・・・・・」
秋光は、考えただけで呼吸が止まってしまうかと思うくらい胸が詰まった。
片手で自分の胸元をグッと掴み、もう片手は震えるくらい握り締められた。
戻ってくれ・・・。
早く意識が戻ってくれ。
真理さん・・・。
誰のため、何かじゃ無い。真臣の為に。
死んで幸せになろうなんて、考えないでくれ!
祈る気持ちで真理を見詰める秋光の背後には、明るい月。
探るように覗き込む、月が居る。
「・・・まさ・・おみ・・・?」
繰り返し呟く真理に、正臣は首を傾げる。
不思議そうにしながら、その目は真理を見詰めた。
そして真理は、その瞳の奥を見詰め続ける。
そこに・・・小さな〝まさおみ〟が見えるのだ。
彼女が愛した〝正臣〟と同じ目をした。
〝真臣〟が・・・・・。
小さな彼女の〝まさおみ〟が・・・。
「あ・・・」
───真理・・・?
───ママ・・・?
正臣の声が、真臣と重なる。
無邪気で悪戯っ子のような、優しい声。
───真理、愛してるよ。
───ママ、大好き。
「まさおみ・・・」
闇の中、月明かりのような正臣を感じながら、真理は気付く。
いつまでも正臣を忘れられなかった理由。
いつでも正臣に見詰められているような気がしていた理由。
正臣はいつでも、真理の傍に居たのだ。
〝真臣〟の中に・・・。
正臣と同じ目で、同じ声で、いつでも真理を見守っていた。
真臣は、毎日真理に「好き」 と言ってくれた。
真臣は、毎日真理に〝幸せ〟をくれた。
真理も、そんな真臣が大好きだったはずだ。
やがて真理は、自分の中に〝正臣〟を作り出す。
自分を見詰め、癒してくれる、何処までも自分に優しい正臣を。
死のうとする自分を、現実から逃げようとする自分を、ただ受け入れてくれる〝正臣〟を・・・。
真理は、正臣の腕から、スルッと抜け出した。
───真理・・・?
自分の腕から抜け出した真理を、正臣は不思議そうに見る。
「あのね・・・正臣・・・」
真理は正臣の目を見て話し出した。
正臣の目の中の、〝真臣〟を見ながら。
「私ね、毎日あなたとお話していたんだよ。・・・毎日、お水をあげて、ご飯をあげて、お話をしながら正臣の写真を拭いて」
毎日毎日、それを繰り返した。
自分の生活の一部であるかのように。
正臣は、確かに自分の一部だったのだ。
「あなたの写真に、埃なんてかけた事、なかったのに」
真理はちょっと、恥ずかしそうに笑った。
「〝あの人〟に、好きだ、って言ってもらって・・・。それが変わった」
正臣が、ちょっと目を見開いた。
そして、だんだんと哀しそうな表情を作っていく。
「あなたを愛する事しか出来なかった私は・・・、〝あの人〟に愛してもらって、・・・あなたを、忘れた・・・」
真理の心に、一人の青年の姿が浮かぶ。
大切な真臣に手を差し伸べ、抱きかかえて、真臣が大好きな肩車をしてくれる人。
「あなたを忘れるのが、怖かった・・・。〝あの人〟の気持ちを全て受け入れて、あなたと誓った愛を裏切るのは、真臣をも裏切るような気がして・・・」
何度も「好きだ」 と言ってくれた。
何度もキスをして、体ごと気持ちごと、沢山愛してくれたのに。
自分が作り上げた正臣の陰に遠慮して、それを受け入れられずに・・・。
「愛してるわ・・・正臣」
真理は顔を上げ、だんだんと光が弱まる正臣を、ジッと見詰めた。
「一生・・・あなたを、愛してる・・・」
───真理・・・。
「でも、現実に、もっと、愛していかなきゃならない人が居るの・・・」
正臣をぼんやりと照らしていた、明るかったはずの月光が、だんだんと光を失っていった。
消えそうなほどに、その光は弱まっていく。
「大切な大切な、真臣と・・・」
真理は両手を胸にあて、正直な自分の心を引き出すように目を閉じる。
「・・・〝あの人〟・・・」
ゆっくりと目を開き、顔を上げ、太陽の光を失いかけ、自らの光をも失っていく月を、優しく見詰めた。
「・・・さよなら、正臣」
さようなら。
私の。
月・・・・・。
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