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48  冷たい雨


「安定剤を!早く!!」
 主治医が叫び、その手に注射器が渡される。
 男性看護師数名がかりで、床に押さえ込まれた井関の口の中には、舌を噛み切らないようにと布が詰め込まれていた。
 暴れる手足を押さえつけ肩に精神安定剤が注入されると、数秒で井関の抵抗は治まり、体は人形のようにクタッと床に伸びた。
「なんて事だ・・・」
 主治医が立ち上がると、半目を開いて意識が朦朧としている井関を、男性看護師が数人でベッドへ運ぶ。薬が切れても暴れ出さないようにと、硬い皮の拘束具が手足に付けられた。
 それを見ている今泉に、主治医はキツイ口調で問い掛けた。
「いきなり叫んで暴れだした。・・・間違いないんですね?こんな事は初めてなんですよ!」
「・・・ええ。間違いじゃないです・・・」
 井関が話の途中で暴れ出し、立花真理は驚いて逃げ出してしまった。───今泉は、そう医師に説明をしていたのだ。



「店長、雨降ってきたよ」
 昼パート担当の少女が、大袈裟な声をあげて、持っていたほうきで外をさした。
 少女は中卒でフリーターという立場。少々お行儀が良くない。さすがの秋光にも「店の中で箒を振り回すな!」と怒られた。
 秋光はいそいそと店先を掃いて箒を片付けに行く少女を見てから、外へ目を向ける。大粒の雨が、歩道や車道のアスファルトを黒く染め出しているのが見えた。

 そのまま秋光は空に目をやる。
 大きな雨粒が、次々と零れ落ちてくる空。

 それを見ているうちに、秋光は辛くなってキュッと眉を寄せた。

 雲に隠されて、太陽が泣いている・・・。

 ───真理が、泣いているような気がしたのだ・・・。



「あー、濡れちゃったな?大丈夫かぁ?」
 診察室に入ってきた子供の濡れた前髪を人差し指でいじりながら、尊はいつもの笑顔を見せた。
「病院に着いたっけ、ふってきたんだよ。かぜひいちゃうよねぇ」
 そう言いつつ、鼻をすする五歳の男の子。
 尊はちょっと声を立てて笑いながら、男の子の頭をクリクリッと撫でた。
「風邪ひいたから、先生の所に来たんだろ?」
「まぁね」
 今日は真理の代わりに尊の補助に付いている美鈴が、ティッシュを二枚引き出して男の子に渡すと、男の子は上手にプーンと鼻をかんだ。

 そんな男の子を見ながら、尊はチラッと窓の外へ目を向ける。
 大粒の雨が、窓の外の木々をより濃い緑色に変えながら音を立てて流れ落ちて行くのが見えた。

 根拠のない不安が、彼を襲った・・・。

 何か、嫌な事が起こる予感・・・。

 何か、大切なものを失ってしまうような・・・。予感。



「雨・・・?」
 俯いていた自分の髪に掛かる冷たい感触。
 その感触に気付いて、真理は顔を上げた。
 空から大粒の雨がぽつりぽつりと落ちてきて、見上げた彼女の頬を濡らす。
 濡らした雨は頬を伝い、涙のように下へと流れ落ちた。
 涙のように・・・?いや、彼女は本当に涙を流していた・・・。
 膝を抱え、その場に座り込んで。背を壁につけ顔を伏せて。・・・ずっと、泣いていたのだ・・・。

 ここで・・・。

 秋光のコンビニの裏口で・・・。


 自分が怖かった。
 自分がしてしまった事が怖かった。

 驚愕に震えた井関の顔が、いつまでも頭から離れない。
 獣の咆哮のようなあの叫び声が、まだ耳から離れない。

 怖くて怖くて。
 逃げるように病院を飛び出してしまった。
 あんな事を言って彼を混乱に陥れるような事をすれば、彼がどうなってしまうか解からない訳ではないはずだったのに。

 昔を思い出す前に、狂い死んでしまうかもしれないのに・・・。
 しかし・・・。

 ───それでもいい。そう思った。

 ───いっそ、死んでしまえばいい・・・。とさえ。

 大切な人を殺した男。
 大切な人を奪った男。

 自分と正臣の幸せを奪って、なのに本人は「幸せな記憶」の中で生きているのだ。
 罪を償う事も無く。
 許せなかった。
 憎くて、憎くて、許せなかった。
 思い出せなくて罪を償えないのなら、思い出させてやろう・・・。そう思った。


 そんな事を考えてしまっていた自分が、たまらなく怖い。
 そんな事を意図的にすれば、自分はあの男と同じ人間になってしまうのに・・・。

 憎しみで人を殺す人間と、同じになってしまうのに・・・。

「・・・つめたい・・・」
 雨が体中に当たる。この壁側には、店の正面のように雨避けになるような屋根も窓もないので、冷たい雨は直に真理の体を濡らした。

 病院を飛び出してから、ここまで真理は一人考え事をしながら歩いてきた。
 普通、歩くような距離ではないのだが、タクシーなどの交通手段を使うという事にさえ、混乱した真理の頭は回ってくれなかったのだ。
 もう少し歩けば家に着くというのに、真理はこの場所の裏口でペタンと座り込んだ。

 もう足は、一歩も動かない。動かせない。
・ ・・いや、動く気など無い。

 ───ここへ来るのが目的であったかのように・・・・・。


「見つけて・・・」
 立てた膝の上に置いた手に顔を乗せて、真理は誰に向けてなのか解からない言葉を口にした。

「私を・・・見つけて・・・」
 冷たい雨が体中を濡らしていく。
 そして、心の中までも染み渡っていく。



「店長、休憩にあがんないのー?」
 パートの少女が、大分穴あき空間が出来てしまった御弁当の棚を整理しながら、カウンター内に立ったままジッと店の出入り口を眺めていた秋光に声を掛けた。
「もうすぐ二時だよ。お腹空かないの?」
「あ・・・、うん。じゃぁ、一服してくっかな」
 店の時計を見上げ、本当に後五分ほどで二時になる事を確認して諦め顔をつくり、それでももう一度出入口から外へ目をやる。

 ・・・真理さん、今日はお昼来なかったな。
 真理が来ないので当然尊もこなかった。昨日の今日だ。尊だって顔は出し辛いだろう。
 早々に美鈴や他の看護師などは来ていたが、真理が来ない事が気になる時間帯ではなかったので聞きもしなかった。
 二人揃って来ないので、どこかに昼食をとりに行ったのかとも思う。
 午後診療は二時から。もう二時になる。真理が来る可能性はもう無い。
 秋光は、いつ真理が来るかとずっと休憩にも上がらず待っていたのだ。

「じゃぁ、一服してくっから」
「暇な時間だから、ゆっくりしてきて良いよ。店長」
「おぅ、サンキュー」
 気の利いたパートの少女の言葉を気軽にかわして、カウンター内の出入り口から、事務所兼休憩室になっている部屋へと入る。
 小さな冷蔵庫からアイスコーヒーのペットボトルを出してそのまま口を付け、喉を鳴らしながら半分ほど飲むと、フーっと一息つきながら冷蔵庫へ戻した。
 とりあえず本当に「一服」するか。と歩きながら煙草を一本咥え、裏口のドアへと向かう。
 ライターどこだっけ?とズボンのポケットを探りつつ裏口のドアを開けた秋光は、開けたその体勢のまま動きが止まった。

「・・・あ・・」
 裏口のドアの外に、まるで雨の中に捨てられた仔猫のようにびしょ濡れになって、開いたドアを振り返り、泣きそうな目をした・・・。


「・・・やっと・・・来た・・・」

 真理が居たのだ。




 こんにちは。玉紀 直です。
 真理ちゃんは、またここに来てしまいました。
 無意識に当たり前のように、どうしても足はここに向かってしまいます。

 雨を見て、真理ちゃんが泣いているのを感じた秋光君。
 そして、雨を見詰めながら、尊さんが感じた不安は・・・?

 真理ちゃんが井関さんに対してしてしまったこと。
 それは確かに、健常者が精神弱者に対してしてはいけない事なのかもしれません。
 でも、そんな一般常識論では片付けられない思いが、そこにはあります。
 人間として真理ちゃんの行為を責めるか否かは、読んでくれている方々にお任せします。

 この後井関さんは、どう変わってしまうのでしょうか・・・。

 雨の中、座り込む真理ちゃんを見つけた秋光君。
 追い詰められた真理ちゃんの心が求めるものと、ずっとずっと真理ちゃんを求め続けてきた秋光君の心。
 月の存在が阻み続けた、太陽と星の心はひとつになれるのでしょうか・・・。

 次回は11月18日更新予定。(遅れても1日!)

 では、次回!


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