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幻想大陸 作者:しるうぃっしゅ

五部 中央大陸編

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八十六章 ファティエル=ハイランド=ルーメンアーツ














 神聖エレクシル帝国の首都エンゲージ。
 人口三十万を超える幻想大陸最大の大都市の中央部に聳え立つのは、豪奢な皇城。
 当の昔に太陽は沈み、月が夜空に浮かんでいて、瞬く星々が煌いている。時計の針は既に十一の数字を差している時分なのだから、幾ら皇城とはいえ、夜の警備を勤めている兵士くらいしか城にはいないはずである。
 普段であれば―――だが。

 エレクシル皇城の一画。神聖宮と呼ばれ、重大な会議を行う際に使用される一室が、奇妙なまでの静けさに支配されていた。
 魔力の光によって煌々と明るく照らされる室内。巨大で、長大なテーブルと、その左右に置かれた幾つもの椅子。それに腰を下ろしている者達は皆、渋面で両腕を組み考え込んでいた。

 しかしながら、室内の静寂とは裏腹に、異常な熱気が部屋の空気を焼いている。
 よく見てみれば、彼らの額には薄っすらと汗をかいているのがはっきりとわかった。

 彼らがこんな時間に会議室にいる理由。
 それは、寝食惜しんで南地方から帰還した鳳凰丸達からの報告にあった。

 四体の魔王及び軽く万を超える魔族の軍勢の侵攻。
 その報告を受けたアルストロメリアは、何の躊躇いも無く帝国上層部の人間に緊急の招集をかけた。

 帝国六将軍。帝国の要職についている貴族派の者達。宮廷魔術師筆頭。帝国最強戦力である七剣。帝国の国政を取り仕切る宰相。
 そして、神聖エレクシル帝国の頂点。女皇―――ファティエル=ハイランド=ルーメンアーツ。

 本来ならば、如何に七剣の第一席であるアルストロメリアであろうとこんな夜更けに、しかも正規の手順を踏まずに女皇を呼び出すなど不敬にも程があるのだが、今回ばかりは仕方が無かったと誰もが納得してしまった。現状は、神聖エレクシル帝国の歴史上最大の危機と言っても過言ではない状況なのだから。

 長大なテーブルの左には六将軍が。右手には貴族派の者達が。入り口に近い下座にはアルストロメリアを中心とした七剣全員が。そして、もっとも上座となる椅子には当然女皇ファティエルが座り、その左右には宰相ワムナフと宮廷魔術師筆頭兼撃震の魔女リフィアが控えていた。

 帝国の象徴とも言える女皇は、その称号に決して負けることは無い美貌であった。
 一切の不純物の無い純金の如き輝きのふわふわとした髪を肩よりも若干下まで伸ばし、豪華絢爛な僅かな染みもない純白のドレスで着飾り、老若男女問わず惹き付ける天使のような可愛らしい少女。そう―――殆どの人間が意外に思うかもしれないが帝国の頂点とは今年で齢十七を迎える少女である。

 幻想大陸最大の国家。
 中央大陸を治め、南大陸からの魔族の侵攻を押し留める神聖エレクシル帝国の長とは、こんな年端もいかない少女のことを指す。

 しかしながら、その実態は、権力を持つ貴族達の傀儡に過ぎないということを多くのものが知っている。
 彼女はあくまでも皇族としての血を引いた者、としか貴族派の上層部の者達には認識されていないのだ。その反面、帝国六将軍を旗印とする将軍派の者達は、ファティエルを至高の主として認めていた。とは言っても、それは貴族派と対立する傾向が強い彼らだからこそ、貴族たちが軽んじて見る女皇を敬っているという見方が強いのかもしれない。

 そんなファティエルは自分に権力がないことを自覚しているのだろうか。
 魔王魔族襲来という大事変のこともあるが、この会議の場にいることがまるで場違いではないか、と不安にその可憐な表情を曇らせ俯いていしまっていた。

 滅多なことでは動じない、帝国最古参のリフィアでさえも眉を顰めているのだから、未だ十七の小娘如きがそんな態度を表にだしてしまうのも仕方の無いことかもしれない。

 それに加え、実質的な帝国の最高権力者である宰相のワムナフもまた難しい顔を隠すことは出来なかった。既に二百を超える年齢の彼は、その年月のほぼ全てを神聖エレクシル帝国に捧げてきたエルフである。普段はその優しげな顔立ちから周囲に安心纏っている彼ではあるが、流石に今回ばかりはピリピリと引き締まった空気を作り出す原因の一人となっていた。長い年月を宮中という名の魔窟で過ごしてきただけはあり、そこらの凡百のものとは明らかに違ったオーラを発してはいるが、その彼でも現状を打破する手段を全く思いつかないことに苦心していた。


「―――やはり」


 静寂が支配する室内、一人の貴族派の男が口を開く。
 この緊張感の中で言葉を発すると言うのは、相当にプレッシャーを感じるのか一旦口を閉ざそうとするものの、周囲の視線を集めてしまったのを認識し、覚悟を決めた。


「やはり、他の大陸へと一時避難すべきかと愚考します」

「―――ふざけるなっ!! そんな手段を取れるものか!!」


 撤退する、という意見をだした貴族派の男が言い終わると同時に、空気を振動させるほどに大きな怒声があがった。
 バンっとテーブルを強く叩いて怒りを隠さずに立ち上がったのは、六将軍のうちの一人。真っ赤な鎧が特徴的な恐らくは年の頃二十代半ば程度の若い青年。

 炎の将―――グラハム=ウィラード。

 熱く燃え上がる炎のように激情を表に出して、弱気になっている貴族派の男を剣呑な目つきで睨みつけている。
 その視線に晒された貴族は、一瞬気圧されるものの怯むことなくグラハムに対して睨み返した。両者の視線が交錯し、バチリっと火花が散ったようにも見える程に緊迫していく。

「ですが、グラハム殿。現実的に考えて頂きたい。万を超える魔族の襲来……これだけでも信じ難いというのに、さらには四体の魔王がそれを率いている。はっきり申し上げますが、どう足掻いても勝利する道筋が見えません。まさか七剣殿が虚偽の情報をもたらしているわけでもないでしょうし」

 ちらりっと視線を七剣の方へと向ければ、鳳凰丸とティターニアが真剣な表情で無言のまま頷いた。
 魔族の軍勢をその目で確認した肝心のもう一人であるアールマティは、面倒くさそうに適当に頷いていたりしたが。


「それとも、グラハム殿は何かしらの作戦を思いついているわけでしょうか? そう、魔王というとんでもない怪物を相手にする必勝の策とでもいうべきものを」
「―――くっ」

 貴族の台詞に、グラハムが口を閉ざす。
 彼も六将軍の中でもっとも年少とはいえ、これまで幾つもの戦場を駆け抜けてきた将。
 魔族がどれだけ手強い相手なのか身をもって知っている。将軍級魔族でさえも、彼らにとっては信じ難い程の強敵なのだ。その上である魔人や、さらに魔王などといった類の存在が一体どれほどのものなのか想像することさえ出来はしない。

 いや、この場にいる者達で真の意味で魔王の恐怖を知っている者は数えるほどしかいなかった。
 人間や人狼族、猫耳族や鬼人族。エルフやハーフエルフといった多種多様な種族がいるものの、煉獄の魔王が神聖エレクシル帝国を襲った時代から仕えている者は、リフィアと宰相のワムナフ、アルストロメリアくらいだろうか。

 しかし、魔王は知らずとも魔族の恐怖は誰もが知っている。
 それ故に、この会議室に集まった上層部の者達の誰しもが暗い表情を隠すことが出来ていないのだ。

 実はここまでの意見は、既に何度も話題にあがっていた。
 一時撤退するべきだと言う貴族派。そして、それを否定し断固として戦うべきだという将軍派の者達。
 繰り返される堂々巡りの話し合い。遅々として進展の無い内容は、まさしく会議は踊る、されど進まずといった言葉に相応しい状況であった。

 それに何よりも、会議が始まってから一言も発していない女皇ファティエル。
 そんな彼女に意見を求めない将軍派と貴族派の者達によって会議は紛糾していた。
 俯いてテーブルをじっと見つめているファティエルはふるふると身体を小刻みに揺らしており
、それを心配そうに窺っているワムナフとリフィアだったが―――最古参の二人であっても、眼前で行われている生産性のない意見、というよりも既に罵りあいに発展しそうなそれに口をだすことに躊躇いがあった。
 その理由としては、先程から自分達の考えられる限りを尽くしてはいるが、全く持って光明が見えないことに端を発する。


 ―――このままではまずい(・・・)


 青白い顔色で俯いているファティエルの様子にワムナフは眉を顰める。将軍派と貴族派の話を止めることはできるだろうが、では意見をだせと言われれば口を紡いでしまう結果となるだろう。
 普段会議にかけられる程度の問題ならば、即座に何かしらの解決策を導き出すことができる自信があるが、今回ばかりはお手上げと言うのが本音であった。

 今考えられる最善の策としては、戦うにしろ退くにしろ、意見を統一させること。
 将軍派、貴族派、中立派。それぞれの派閥に関係なく、例外なく協力して物事にあたる。それくらいしか思いつかず、考えられないのが現状であった。

 だが―――それもまた不可能であるということをワムナフは悟っている。
 二つの派閥の溝は深い。幾ら帝国の危機だからといって、そんな簡単に手を取り合えるほど甘いものでないことを彼は知っていた。
 少なくとも自分やリフィアではそれを成し遂げることはできない。
 それは何故か。というのもワムナフは帝国が分裂する危機を恐れ、貴族派の者達を上手くコントロールする為に派閥のトップとして君臨してきた。つまりは、将軍派にとってはどんな理由があるにしろ、明確な敵としてしか見られていない。女皇を支える為に国務を取り仕切ってきた彼だが、傍から見ればファティエルを蔑ろにして権力を振るっている傲慢な男としか評価されていなかった。


 ならばリフィアならどうだろうか。
 それもまた首を横に振らざるを得ない。確かに彼女は、宮廷魔術師筆頭という地位を持っている。確かな魔法の腕前と魔法使いとしては奇妙極まりない体術を組み合わせた実力は魔人をも凌駕するほどの力量の持ち主だ。しかしながら、人望という点ではそこまで優れているわけではなかった。それはかつての煉獄の魔王との戦いで虐殺の張本人とされたディーティニアを庇い、中立派として態度をはっきりとしていることが大いに関係している。将軍派はともかく、貴族派にとっては彼女は目障りな存在と認識されていた。


 リフィアでもワムナフでも無理となれば、誰が残ると言うのか。
 貴族派や将軍派の派閥に入っている者では不可能。ならば中立を保ち、長い年月神聖エレクシル帝国を守護し続けてきた七剣の第一席―――永久凍土のアルストロメリアが最有力候補に挙がったとしてもおかしくは無い。
 事実、このままではまずいと感じている幾人かの人間が時折彼女へ視線を向けてはいたが、肝心の彼女は意見をだすでも、貴族や将軍の罵り合いを止めるでもなく、表情を崩さずに女皇ファティエルをじっと見つめていた。

 そんな永久凍土の姿を疑問視したのは、彼らだけではない。
 自分達の主であるアルストロメリアの姿に、七剣のメンバーもまた納得がいかないと疑念を抱く。
 特にその眼で魔王達の襲来を見てきた鳳凰丸とティターニアは、こんなことをしている場合か、と怒鳴りたくなる気持ちを必死に抑えることで精一杯であった。

 自分の部下の気持ちに気づいていない筈がないが、それでもアルストロメリアは沈黙を保つ。
 何かを狙っているのか。それとも彼女もまた何の考えも思いつかないのか。
 どちらかは不明だが、喧々囂々と喚きたてている男達が多い中、堂々としている彼女の姿は侵し難い静謐さを感じさせていた。

 やがて、拉致があかないと感じたのだろう。
 貴族派の一人が、テーブルを叩いて椅子から立ち上がるとガタンっと椅子が音を立てて、床に転がった。 


「―――このままでは話が纏まるものかっ!! これほどの帝国の危機ならば、女皇陛下に決めて頂くのが筋と言うものだろう!!」


 転がった椅子には眼もくれず、男は大げさな身振りで会議室にいる者達に訴えた。
 男の訴えに、そうだと同調する声が貴族派の者達の殆どからあがる。反して、将軍派は渋面で黙り込んでしまった。

 今代の神聖エレクシル帝国の頂点であるファティエルは弱気で自分の考えも碌に言えない少女として知られている。貴族派にとっては、体の良い傀儡としてしか見られていない。
 つまりは、歴史上最悪の魔王四体を含め魔族の襲来という危機。そんな切羽詰った状況に陥れば、撤退を選ぶ可能性が非常に高い―――いや、ほぼ間違いなく撤退を選ぶという目算があったからだ。

 それもまた将軍派の者達にとっては既知のことである。
 出来ることならば先程の男の提案には反対すべきことなのだが、女皇に選択を任せたという男の台詞を一蹴することは、ファティエルに対しての不敬に値する。それ故に、将軍派の者達は苦々しげな表情で黙ってしまったというわけだ。


 計らずともこの場にいる全ての人間の注目を集めることとなったファティエルは、ビクリっと大きく身体を震わせる。さらには誰もが彼女の発する次の言葉を待っているのか、会議室は静寂に包まれ、聞こえるのは呼吸音のみ。

 シンっと静まり返る室内。
 ドクンドクンと痛いほどに胸を打つ心臓。それさえも、この場では余計な騒音にさえ思えてしまう。尋常ではない重圧に、視線に晒されているファティエル以外の者達も、嫌な汗で背筋を湿らせる。

 
 ―――やはりまずい(・・・・・・)


 内心で舌打ちをしたワムナフは、ギリギリと歯軋りをしながら、事の発端となった貴族派の男を睨みつける。
 視線に人を害せる力があるならば、優に数回は殺すことが可能なほどに怒りをこめられたそれを浴びて、面白いようにうろたえていた。それも当然であろう。自分では上手くやったつもりではあるが、何故ワムナフにここまでの負の感情をぶつけられてしまうのか。心当たりが全く無いのだから、それも仕方の無いことであったろう。


「少しまって貰え―――」

 疑念。焦燥。混乱。
 パニックに陥っている男を一瞥し、ワムナフは一旦この場を乗り切るために口を開く。
 だが、その刹那―――。


 ―――ドゴンッ!!


 まるで巨大な岩が落ちてきたかのような爆撃音染みた騒音が室内に響き渡った。


「―――ごちゃごちゃうるさいんだよ、爺ども。オレ様を無視して話しておきながら、笑わせんなよ」


 シンっと今度は別の意味で会議室を静寂が包む。
 誰もが眼を大きく見開き、口をポカンと開け、今の発言をした本人に視線が釘付けとなる。

 全ての人間の注目の先。
 そこにいたのは、女皇ファティエル=ハイランド=ルーメンアーツ。
 可憐で、愛らしく―――だが、弱気そうに顔を青ざめさせていた彼女の姿はそこにはない。

 椅子に背を深々ともたれかけさせ、しなやかで白い白魚のような両手の指を腹部のあたりで絡めさせ、長大なテーブルの上に組んだ両足を乗せ―――今の今まで浮かべていた薄幸の美少女といった雰囲気は既に無く、獰猛なまるで肉食獣を思わせる笑みで口角を歪めていた。しかし、そんな表情でありながらこの場にいる者達全ての意識を掴んで離さず、逆に不思議な魅力を嫌と言うほどに叩き込んでくる。両足をテーブルの上に乗せるなど、マナーが良い悪いといったレベルの話ではないのだろうが、誰もがそれに口を出すことができない。恐らくは、先程の衝撃音は彼女の踵をテーブルに強く振り下ろした音だったのだろう。


 そんなファティエルの横で、ワムナフは深い深い、それは深いため息を吐いた。
 額を片手で抑え、軽く頭を横に振る。やっちまったか―――口には出していないものの、言葉にすればそういった意味合いになるのは明白であった。 


「たくっ……面倒くせぇ。こんな簡単なことに時間かけるなよ、馬鹿らしい。これからどうするかなんて決まってんだろぉ?」



 傲岸不遜。傍若無人。尊大で、傲慢。
 しかも、とても女性が放つ言葉とは思えないほどに乱雑。
 可愛らしい外見とのギャップが凄まじいファティエルに、言葉も無いとはこのことだろうか。
 少なくともこの会議室で平然としているのはたった二人。即ち撃震の魔女リフィアと永久凍土アルストロメリア。宰相のワムナフは酷くなっていく頭痛に頭を抱えている。


「他の大陸に避難するなんざぁ、却下だ。絶対に有り得ない。敵さんはもうすぐそこまで迫ってるんだって? 一体どれだけの民を逃がせられるって話だろうがさ。それとも何か? 自分達だけ先に逃げようって算段でもしてるのかよ、爺ども」


 ギロリっと狂暴な光を瞳に宿し、貴族派の人間を順番に睨みつける。
 海千山千の貴族派の者達が、その力ある視線に射抜かれてゴクリっと緊張を強いられた。


「まぁ、それは別に悪くないと思うぜ? こういった場合―――普通は女皇であるオレ様も逃げるべきなんだろうが」

 自分の意見をハッと鼻で笑う。


「糞くらえ、だ。逃げたって何もかわらない。勝算もなにもない。本当の意味で、命を惜しんで生き延びるだけ。下らないね。どうしようもない甘ったれな考えだ」

 民を見捨てて自分達だけ逃げ延びる。
 中央大陸を失って、そのような行動を取ればどうなるか子供でも分かる結果になるはずだ。
 名誉も誇りも何もかも失い、そして僅かに伸びた命も近い将来に再び魔族の手によって完膚なきまでに潰されて終わる。



「―――戦え。戦うんだ。それしかオレ様達に未来は無い」



 会議室にいる全ての人間の顔を順番に見回しながら、ファティエルは続ける。


「魔王が四体? 数え切れない魔族? 上等だろ。燃えてくるだろうが。プラス思考で考えろよ、お前達」


 組んでいた指を離すと、右手を前に突き出し、ぐっと力強く握り締める。


「―――この侵攻を押し留めれば、オレ様達の名前は歴史に残るぜ?」


 くはっと獰猛な笑みを漏らしながら、金色の瞳を爛々と輝かせながら彼女は確かに笑った。


「アルストロメリア!!」
「はっ」

「総大将はオレ様が務めるが、実質的な大将はお前だ」
「―――御意」

 椅子から立ち上がり、永久凍土は床に片膝を尽き頭をたれる。
 突如行われた阿吽の呼吸の任命式。それに口を挟む者はいない。
 ファティエルの豹変に未だ驚いているのもあるが、何故か今の彼女には逆らえない凄みがあった。


「リフィア。それと六将―――お前達もアルストロメリアに最大限協力しろ。拒否は許さん。それと……」

 固まっている貴族派の者達をじっと睨みつけ、言葉をさらに続ける。

「お前達がどうするかはお前達自身で決めろ。別に逃げ出しても構わんぞ? ただ一つ言って置く。邪魔だけはするな」

 足を引っ張る無能な味方は敵よりも怖ろしい。
 それを暗に語っているファティエルの口調は、有無を言わせない。
 返事をしない貴族派の者達。現状を完全に認識出来ていないことを確認した女皇は、握っていた右拳から人差し指を一本立てて彼らに見せ付ける。

「時間がない。これからどうするか……逃げるか戦うか。一時間以内でお前達の進退をさっさと決めろ。先程も言ったが逃げても構わない。だが、戦うと決めたら―――命を賭けろ」

 テーブルに乗せていた両足を下ろし勢いよく立ち上がると、その可憐な容姿には似つかわしくない凶相を浮かべて室内の空気を一新するかのように腕を振り払った。


「勝つぞ。いいか、お前達。オレ様達は勝つんだ。お前達の主であるこのオレ様を信じろ。オレ様こそが―――神聖エレクシル帝国の女皇ファティエル=ハイランド=ルーメンアーツである!!」




  







  







 ▼
















 無限に続くと思わせる広大な夜空の下、瞬く星々が幾つも散らばっている暗天を見上げている人物が一人。
 夜空から降り注ぐ光のみが灯火となる時分において、異彩を放つ真紅の服装。小柄な肉体。長く伸びた真炎の如き真っ赤な髪を指で軽く弄りながら、顔の上部を黒い呪詛帯で幾度も覆っている少女がいた。地上を見渡せば、草木も碌に生えていない一面の荒野。あるのは大小様々な石や岩。

 もしも、この光景を見ている人間がいれば驚いたに違いない。
 今の彼女はとても煉獄の魔王と畏れられる存在とは思えなかったからだ。普段の苛烈な雰囲気と重圧を発しているデッドエンドアイの姿はそこにはなく、ただの少女としか表現できない不可思議さがあった。

 一人満天の夜空を見上げていたデッドエンドアイだったが、突如として不機嫌そうに口元を歪める。
 それを合図にしたのかどうか不明だが、地面を歩く音が徐々に近づいてきて、やがて一体の魔族が姿を現した。

 三メートル近い巨躯。来ている服は、下半身を隠しているズボンのみ。破裂せんばかりの赤銅色の肌の筋肉が脈打っている。伸ばしただけの乱れ髪に、二本の捩れ曲がった角が額の左右から生えていた。赤い両の瞳が、闘争を欲する性故にか、闇夜ですらも一際強くギラギラと煌いている。
 暴虐の悪鬼。北の魔王。水を司る超越種。戦神。数多の仇名で呼ばれる、魔族の頂点の一体。
 ヤクシャは、ズシンズシンと地響きを立ててデッドエンドアイの傍へと辿り着く。


「よう。こんな離れた場所で何黄昏てやがる?」
「……別に。特に理由はない」

 気安く声を掛けてきたヤクシャに、デッドエンドアイは視線を僅かに向けてにべもなくそう言い返した。
 取り付く島もない彼女の様子を気にするでもなく、ヤクシャはそうかいと短く肩をすくめる。

 その時、ツンと煉獄の魔王の鼻をくすぐるアルコール臭。
 よく見れば、ヤクシャの手には巨大な徳利が携えられていた。その視線に気づいたのか、ヤクシャは徳利を持ち上げて口に含むとゴクゴクと勢いよく呑み込んだ。

「―――ぷふぁ。人間に感謝をすることがるとすれば、唯一これだけだな。こんな美味いモンを作ってくれたことには素直に礼を言ってやろうじゃねぇか」

 ガハハハっと高らかに笑うヤクシャに、今度はデッドエンドアイが肩をすくめる。

「何だ。お前も近くの町に略奪に行っていたのか?」
「俺様はこいつを取りに行っただけだがな。他のやつらは好き勝手に暴れてるぜ」
「……そうか。先走らなければ別に構わんがな」

 本来ならば、昼夜関係なく魔族の行進は続くものだが、中央大陸に到着してから夜間は休憩を取っているというのが現状であった。その間は基本自由行動を許可されており、全てが自己責任。それ故に、魔族達の中には近場の街や村を襲っているものもいた。ただし、デッドエンドアイが口に出したとおり先行することだけは認められていない。
 これはデッドエンドアイの提案だったのだが、それは案外簡単に受け入れられた。というのも、中央大陸に到着する前に起きたアールマティからの先制攻撃がその原因となっている。得体の知れない特異能力(アビリティ)によって甚大な被害を受けた魔族にとって、これ以上被害を被ることはあまり宜しくないと判断されたわけだ。特に影による攻撃は、夜間は防ぎ難いと考えられ、彼らの進撃は一時停止することとなった。
 勿論、魔王にとっては問題にならない攻撃であるとはいえ、他の魔族にとってはそうはいかない。魔王からしてみれば、別に部下の命など考慮すべきことではないが、数が減ってしまえば自分達の手を煩わされる可能性が高くなる。そういった理由も含め、他の魔王達も賛同したというわけだ。

 一気に攻め滅ぼすよりもじわじわと滅ぼした方が面白そうだ、という理由も少なからずあっただろうが。


 それ以降、ヤクシャは特に何を言うでもなくデッドエンドアイの傍の岩にて腰を下ろし夜空を眺めながら酒を飲む。
 話は終わったのか、と考えた彼女はこの場から離れようと踵を返し背中を見せ、空気が弛緩した瞬間―――。





「なぁ、デッドエンドアイよぉ……いや、テメェは(・・・・)誰だ(・・)?」
「―――っ」


 突如としてヤクシャは爆弾を投げ込んだ。
 ギラリっと剣呑な瞳の光を隠そうともせず、彼は睨むようにデッドエンドアイの背中に言葉を投げかけた。
 その問い掛けに、僅かに動揺したのか煉獄の魔王は身体を微かに震わせる。弛緩していた事態から一変、緊迫した空気がこの場を支配し、二人の間の緊張感が高まっていく。

 一分ほど経った頃だろうか。
 デッドエンドアイは、ふぅっと本当に深いため息を一度吐く。


「……オレは、魔王だ。煉獄の魔王―――デッドエンドアイ。それとも何か。お前はオレがそれ以外の誰かに見えるとでも言うのか?」
「いいや。テメェは、間違いなく煉獄の魔王だ。オレ達と同じく幻想大陸に君臨し続けた魔王の一柱だろうよ。だが、違う。何かが違う。決定的な、何かがな。煉獄の魔王なのは間違いねぇ……だが、違う(・・)


 ヤクシャの支離滅裂な台詞に、デッドエンドアイはもう一度動揺を隠せずに身体を震わせた。
 相変わらずの本能による鋭い直感。言ってしまえばただの勘。その脅威には舌を巻かざるを得ない。まさかここまで早く勘付かれるとは予想外もいいところである。

「先日の影による攻撃。アレの心当たりがあるんだろ、テメェにはよ」
「……」

 沈黙。
 下手な言い訳は即座に見破られる。
 故に沈黙保つデッドエンドアイだったが、それはイコール、相手の言うことを認めていることに他ならない。


「―――不滅の到達者(アムシャ・スプンタ)ってのは誰のことだ?」
「……ちっ」

 そして、再度の爆弾の投下。
 反射的に呟いていた言葉をどうやら聞かれていたらしい。
 己の迂闊さと、ヤクシャの油断ならなさに舌打ちを一度。
 一体この場をどう潜り抜けるか。頭の中で考えを纏めているデッドエンドアイを無視してヤクシャは先を続けていく。

「……前々から少しずつ違和感が生じていたがな。言っておくがこれはもう推測なんてモンじゃねぇぞ。これは―――確信だ」

 岩から腰をあげて、徳利を上空へ向かって放り投げる。
 天高く舞い上がったそれは、やがて重力に負けて落ち始めた。

 そして―――。


 デッドエンドアイの背中を這う悪寒。
 いつ動いたのかわからない。神速にて、たった一歩で間合いを殺したヤクシャの右拳が煉獄の魔王の頭目掛けて振り下ろされた。
 まるで隕石をイメージさせるほどの圧倒的な破壊を内に秘めたそれは、容赦なく小柄な彼女の頭蓋骨を砕き、跡形残さず破壊するだろう。故に、彼女もまた動く。

 振り下ろされたヤクシャの右拳目掛け、デッドエンドアイの右拳もまた跳ね上がる。
 馬鹿が、と反射的に罵倒が口から飛び出る瞬間―――二人の拳が相打った。
 三メートル近い大男と小柄な少女。そんな二人の力勝負なら、どうなるかは火を見るよりも明らかな結果となるはず。

 だが、圧されたのは北の魔王の方であった。
 盛大な打撃音を響かせて、衝撃で後ずさったヤクシャは驚いた表情をするも、それは一瞬。
 嬉しくてたまらないといった表情で牙をむき出しにして狂笑を浮かべた。

「くはっ。すげぇな、おい。見事だぜ。やはりテメェは滅茶苦茶につえぇ!!」


 歓喜で全身を震わせたヤクシャを、油断無く見据えているデッドエンドアイ。 
 しかし、彼女の予想を覆し、暴虐の悪鬼は上空から落ちてきた徳利をあっさりと掴み取ると背を向ける。
 彼は訝しむ煉獄の魔王を置き去りに、ひらひらとい手を振って離れていく。

「テメェが何だろうが今更な話だ。時間を稼ぐ(・・・・・)のも好きにしろや。俺様は―――つええやつと戦えればそれでいい」

 デッドエンドアイが何者だろうが、敵なのか味方なのか。それも知ったことではない。
 ヤクシャにはヤクシャの思惑があるように、デッドエンドアイにも彼女なりの考えがあるのだろう。
 言葉に出したとおり、ヤクシャにとって大切なのはただ一つ。

 自分と戦える相手との死闘。
 強者との闘争。彼にとって重要なのは、優先すべきことはそれだけだ。
 それ以外は総じて塵。部下の命も、中央大陸への侵攻も、デッドエンドアイの思惑も。森羅万象全てに価値は無い。

 
「あいつは―――」


 去っていくヤクシャの背中にぽつりっと小さな呟きが漏れた。


「いや、不滅の到達者(アムシャ・スプンタ)は、オレの友だ。大切な、本当に大切なあいつ(・・・)を支えた七人の友の一人」


 朗々と謳うように続けるデッドエンドアイ。


「―――まだ、違うがな」


 ふっとどこか寂しげな表情を浮かべ。


「だが、気をつけるんだな……ヤクシャ。お前が獲物と狙い定めている影使いと呼ばれる到達者は強いぞ? 油断せずとも、喰われかねんぞ、お前でもな」 


 魔王の一柱たるヤクシャに対しての言葉とも思えないそれを聞き、ヤクシャは怒るでもなく狂暴な笑みで答える。


「上等。ただ潰して殺すだけの戦いだと思っていたが、最高に楽しめそうじゃねぇか!!」

 どす黒いオーラを発しながら去っていくヤクシャの後姿を見送りながら、デッドエンドアイは全く力の入らない右腕に眉を顰めた。
 鈍痛が奔る片腕に、面倒くさいことになったと吐息を漏らす。
 互角、いや―――デッドエンドアイが打ち勝ったように見えた一合の戦いは、はっきり言ってしまえば彼女の敗北であった。かたや無傷。かたや右腕の骨折。勝敗は明らか。そもそもが、単純な力比べでヤクシャに今の彼女が勝てるわけが無い。

 痛みに耐えながら、ヤクシャの去っていた方角から、再び夜空へと視線を移動させると、しばらくの間そのまま悠然と佇む。
 これからのことを考えながら、一体どんな風に戦場が変化していくのか。どんな結果が生まれるのか。
 幾つものパターンを想像しながらデッドエンドアイは、力の入る左腕の拳を強く握り締めた。






















「殺す。例え、何があってもお前だけは絶対に殺す。お前だけは許せない。お前だけは、絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に―――絶対に殺すぞ、ディーティニア」


 もしもこれを聞いていたならば、ヤクシャですらも戦慄を隠し切れないであろう圧倒的な憎悪のみが込められた怨嗟を、煉獄の魔王は小さく呟いた。






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