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幻想大陸 作者:しるうぃっしゅ

四部 西大陸編

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七十一章 地獄の釜の蓋



















「―――雷撃の爆砕(サンダーブレイク)!!」

 金色に輝く巨大な雷矢が、アトリの弓から放たれ地響きをたてながら己へと迫ってきていたサイクロプスの腹部に突き刺さる。
 それだけでは済まず、そのまま後方へと吹き飛ばされた一つ目の巨人は複数の同族を巻き込み転がっていき爆砕。十体近くの下位巨人種を撃滅したのを確認すると、天雷の魔女と呼ばれるエルフは乱れた呼吸を整えながら眼前に広がる光景に視線を周囲へと向けた。

 周囲は草木一本生えていない荒廃した大地。かつて五大魔女と巨人王種との戦いの結果、このような死の大地へと変貌してしまったのだ。
 視線をさらに移動させ、前方へと変更。直線距離にして十キロ以上離れていながらそれでも、存在感を示す巨大な島が一つ。その島の中央には天をも穿つ霊峰が雪が積もっているのか白色に輝いている。
 人はこの島をこう呼ぶ。幻想大陸に現存する地獄の一つ―――巨人の島(ジャアイントランド)と。

 巨人の島(ジャイアントランド)には下位巨人種から王位巨人種まで様々な種類の巨人がいるが、彼らが西大陸へと渡ってくるには主に方法は三つ。
 島の周囲の激しい海流を泳ぎきってくるか。空を渡ってくるか。陸路を歩いてくるか。

 そのうちの二つ。海路と空路は、はっきりいって可能性は低い。
 幾ら巨人種と言えど渦巻く海流を泳ぎきって西大陸に至るのは不可能。空路に関しては、そもそも巨人種で空を飛べる者はいない。そのためこの二つの経路は、人類も注意を払うことは少ない。
 そして、残りの陸路。巨人種が西大陸に攻め入るのはこの方法しか事実上ないわけだが―――。

 巨人の島(ジャイアントランド)と西大陸を繋ぐ一本の道。
 幅は百メートル程度で、左右には柵もなにもない。その道から落ちれば、一キロ程度の下には激しく渦巻いている海流。この道から落ちれば人はもちろん、巨人種でさえも命はないだろう。それが真っ直ぐと十キロに渡って島へと続いている。
 ここを通って巨人種は西大陸を襲撃してくるのだが、実のところこれまで壊滅的な被害を受けたことはここ数百年の間ないのだ。その点で言えば、人類への危険度で言えば不死王種よりは低く見られがちといえた。本来の単純な殺戮能力で言えば巨人種は竜種にも比肩する種族だが、そんな彼らがたいした被害を齎さないとはどういうことか。

 何故ならば、西大陸へと至る終着点。そこに簡素な掘っ立て小屋が一つあり、一人の魔女が住んでいるためである。
 その魔女の名をシルフィーナ。人呼んで、神風の魔女。長い年月をこの地に留まり、西大陸の守護者とも言われている大英雄。東大陸を救った獄炎の魔女のように、この西大陸では神風の魔女の名が広く知れ渡っていた。

 勿論彼女がこの地を守護し続けることができたのには理由がある。
 巨人の島(ジャイアントランド)へから西大陸へ続く道の中央付近に、半透明な巨大な門が存在する。それは横幅百メートル近くもある道を軽々と覆い、高さは数百メートルにも及ぶ。そんな巨大な門が、巨人種の侵攻を完全に防ぎきっていた。
 かつて女神が施したという封印。巨大な力を持つ巨人種ほどその封印の門を潜り抜けることは出来ない。
 門の封印が弱まる時期が十年周期であるのだが、その時でさえも、封印を潜り抜けることが可能なのは中位巨人種程度まで。高位巨人種以上の化け物は如何に封印が弱まっていても西大陸へ渡ることは不可能であった。
 神風の魔女ほどの実力者ならば、中位巨人種までなら特に苦戦することもなく倒すことは可能。

 そのような理由で、長い間西大陸は平和を享受出来ていた―――この日、までは。

 突如として門の封印が弱まったという報告を聞き、神風の魔女のもとへ訪れていたアトリは、二人で門の様子を伺いに道を進んでいたところ、軽く十を超える巨人種が彼方から勢いよく突っ込んでくる光景を見た。

 自分の割り当てを撃退したアトリだったが、ぶるりっと身体を震わせる。
 巨人の島(ジャイアントランド)へと至る道から地響きを立てて新たな巨人種が姿を現したのだ。
 手に持った弓を構え、弦を引き絞る。その弓に金色の魔力が収束していくものの、それよりも早く優雅な風が一陣舞う。

「―――旋風の連刃(エアスラッシュ)!!」

 新たに出現したサイクロプスを、アトリの背後から降り注いだ真空の刃が切り刻む。
 数メートルはある巨体の四肢を切り落とし、胴体を真っ二つにされた者は、血飛沫をあげて地面に音を立てて屍を晒していく。
 そこでようやく襲い掛かってくる巨人種がいなくなったことを確認。背後にちらりっと視線を向けた。

 アトリの背後には、一人の少女が傍にあった人間大の岩の影に隠れるようにしていた。
 鍔広のトンガリ帽子。明らかに少女の小さな頭には合っていない大きさだ。身体の線を隠すことができるマントのように丈の長いエメラルドグリーンのコートを纏った出で立ち。帽子の隙間からサラサラとコートと同色の澄み渡った緑色の髪が、三つ編みお下げの長い髪が腰近くまで伸ばしてある。背の高さはアトリとほぼ同等。気持ちやや低いくらいだろうか。
 顔の造り自体は良いのだが、その瞳にはどこか怯えが混じっており、多少陰気な雰囲気を見るものに抱かせる。
 そんな彼女の耳は、人間よりもピンっと長く立っている。つまりはエルフであることの証明。
 さらに目を引くのが両手で胸に抱きしめている、緑色の箒。何故、巨人種が現れるこの場所で武器ではなく、よりによって箒をもっているのか殆どの人間にとっては理解に苦しむはずだ。

「あ、あの……ア、アトリちゃん。大丈夫……だった?」
「大丈夫。それよりも門の封印の様子を見に行こう」
「う、うん。そ、そうだね……」

 ビクビクと怖れているのは、果たして巨人種を怖れているのか。それともアトリを怖れているのか。

 歩き出したアトリの後を恐る恐るついてくるエルフに、見えないようにため息を吐く。 
 出会って既にずいぶんと長い年月が経っているが、対人恐怖症が何時までたっても治らない。一番慣れているアトリにでもこの調子なのだ。他の相手ではティアレフィナとはぎりぎりまともに話すことが可能だが―――他の人間とは会話が成立するのかどうかすら怪しい。それが西大陸の大英雄、神風の魔女シルフィーナの正体だった。

 実は彼女がこんな辺境に暮らしているのも、人が多い街ではまともな生活が送れないという理由からだ。
 そのため人が近寄らないこんな場所で過ごしていたのだが、それが何時しか善意で巨人種を撃退する英雄と噂されるようになっていた。本人は自分が英雄と呼ばれることを知って顔を蒼白にさせたという逸話まである。

 前方を視認したアトリは、巨人種の気配がないことを確認。
 念のために後方のシルフィーナに目配せを送ると、暫くの間黙り込み、眼を細めて彼方を見つめる。

「……う、うん。巨人は、まだ中央付近から……動いてないみたい。多分、私達の魔法の衝撃が伝わって、警戒してるのかも?」
「そう。それじゃあ、気だけは緩めないで」

 アトリの忠告に、シルフィーナはコクコクと頷くと、二人の魔女はその場から地を蹴った。
 前方だけをきつく睨みつけ疾走するアトリ達。彼女達の鼻が、おぞましい巨人種の臭いを嗅ぎ取った。肌を痛いほどに打ちつけてくる得体の知れない圧迫感。背筋を冷たい電流が走りぬけ、気を抜けば吐き気をもよおすほどだ。 
 この重圧は明らかに下位や中位の巨人種の放てる類のレベルの気配ではなく、否が応でもこの先にいる相手の実力を本能が感じ取っている。

 走ること数分。
 ようやく二人の魔女は、嘆きの道とも言われる巨人種達の楽園へ繋がる道の中央まで辿り着く。
 女神の結界は高さが数百メートルにも及ぶため、随分と遠くからでも確認は可能だ。
 しかし、彼女達は結界のすぐ傍まで歩み寄っていく―――まるで夜の灯りに引き寄せられる虫のように。

 ザっと土を踏みしめ、道を分断している半透明の結界の手前で足を止めて、息を呑んだ。

 結界の向こう側。
 そこには大小様々な巨人種がいた。
 第七級危険生物である下位巨人種のサイクロプスやグレゴリ。第六級危険生物のギガスやトロール。
 そういった巨人がそれこそ雲霞の如く。結界を越えることが可能な身でありながら、いっそ行儀が良いと思えるほどに整列していた。 だが、アトリ達が気圧されたのはそれらが原因ではない。 
 巨人種の前にいる、中位巨人種とは明確に異なる戦意を漲らせている別格の強者が三体いた。

 一体は、三メートル強の全身はち切れんばかりの筋肉を持った巨人。
 一体は、この場で最も巨体を誇る十メートル超の巨人。
 一体は、巨大な一本角が額から生えている二メートル程度の美貌の巨人。

 結界で別たれているというのに、まるで眼前で相対しているかのような圧を発しながら、三体の巨人は魔女二人に視線を這わせる。

 巨人三体の重圧によって知らず知らずのうちに肺の中の空気が、吐き出すとまるで燃え盛る炎の吐息だと勘違いしてしまいそうなほどに熱せられてしまっていた。

 そんな中、今か今かと欲望に満ち溢れた凶暴な目を輝かせている下位巨人種のうちの数体が、結界の反対側にアトリとシルフィーナの姿が見えた瞬間、列から足を踏み出し結界を越えようとした瞬間―――。

「―――単純な命令さえも聞けんとはなぁ。これだから、屑は使えんぞぉ」

 十メートルを超える巨人が嘲笑する。
 巨木を連想させる腕を横一線。轟音をたてながら、結界を越えようとしていた数体のサイクロプスを軽々と薙ぎ払った。
 ぐちゃりっとトマトが潰れたような音を残し、青黒い血を撒き散らし、彼らの死体は放物線を描きながら海流渦巻く蒼い海へと消えていく。

 突如起きた惨劇に目を奪われるのも一瞬。
 アトリとシルフィーナは、油断なく三体の巨人を見据えた。
 未だ結界は不完全な状態ではあるが健在。精々越えることができるのは中位巨人種までなのは確信しているが、それでも注意を払うしかない禍々しさを感じてしまっていたからだ。

「ギヒッヒッヒ。久しぶりだなぁ、神風の。それに天雷もいたかぁ」

 恐ろしいほどの巨体を誇る巨人でありながら、語尾が若干間延びしている。
 それが多少可笑しく感じられるも、これ以上ないほどに愉悦に歪んでいる表情を見れば、可笑しいどころか恐怖を感じてしまうはずだ。少なくとも常人―――ましてや腕に覚えがある探求者でさえも足が竦み気を失っても不思議はない。

「……アトラス。それに、デイア。ヒュペリオン、まで」

 ごくりっと無意識のうちに唾液を飲み込んだアトリが愕然と呟いた。
 シルフィーナは、ガクガクと震えて天雷の魔女の背中に隠れ、完全に涙目になっている。

 磨きぬかれた筋肉の鎧を纏う巨人―――高位巨人種のヒュペリオン。
 十メートルを超える巨躯の巨人―――高位巨人種のアトラス。
 一本角の美貌の巨人―――高位巨人種のデイア。

 それぞれが第三級危険生物の領域に足を踏み入れている生きた天災。
 かつて幾度となくシルフィーナやアトリ、ティアレフィナと命を賭けて戦った経験がある怪物たちである。
 結局決着がつかないまま今日この日を迎えたわけだが、そういう理由でアトリ達は嫌というほどに目の前の巨人達の手強さを身をもって知っていた。

 アトラスは、腕を半透明な門へと近づけるが、バチリっと金色の電流が奔る。
 腕が弾かれ一歩後退する彼の腕をよく見てみれば、腕の先の五本の指が黒く焦げてしまっていた。しかし、巨人は苦痛を表情に浮かべることもなく、逆に聞くものが頭痛がする嘲笑をあげる。

「ギヒッヒッヒ。いてぇなぁ……だけど、それだけだぁ。だいぶ封印が弱まっているなぁ……門が完全に解放(・・・・・)されるまで(・・・・・)もうすぐってところだぁ」

 アトラスの台詞に、ピクリっと眉を顰めるアトリが鋭い視線で睨みつける。

「……どういうこと? 完全に解放される? それは有り得ない。女神の封印が弱まることがあっても、失われることなんてこの幻想大陸の歴史でも一度としてなかった」

 アトリらしからぬ詰問するような厳しい問いかけ。
 それもある意味当然といえた。アトリが語ったように、門の封印が弱まるのは十年に一度。その間は僅か数日で、結界を通り抜けてこられるのは精々中位巨人種まで。極稀に―――それこそ幻想大陸の歴史で封印が極限までに弱まったことが一度だけあった。その時は巨人王種が出てきたこともあったが、そんなことは例外中の例外だ。それに、その時でさえ数日で結界の封印は元に戻ったのだ。
 それを考慮すれば、結界が完全に解放されることなどありえないのだが……。


「信じられないかぁ? だが、事実だぁ。ようやく俺達巨人種があの島から解放されるぅ」

 僅かな躊躇いもなくアトラスはそう告げてくる。
 欲望にどす黒く染まった巨大な瞳が、門の封印をはさんで交錯。
 反射的に後ずさってしまったアトリは、彼が嘘を言っていないことを悟った。

 そして、心臓がバクンって胸を強く叩き―――あることに気づく。 
 門の封印が完全に解かれるということは、巨人の島(ジャイアントランド)に住まうあらゆる怪物がこの地に飛び出してくるということだ。
 それはつまり高位巨人種のみならず、彼らよりも更に上の―――。

「気づいたようだなぁ? 俺達の王である、三体(・・)の巨人王も封印が解かれる日をお待ちになられているぞぉ?」

 アトラスは嘲笑いながら、絶望を告げた。
 第二級危険生物の巨人王種。それが三体。しかもその殺戮能力は、高位竜種に勝るとも劣らない。
 竜種はあくまでも狩り、という行為に特化した種族だ。圧倒的な力で獲物を蹂躙する。
 だが、巨人王種は戦闘という行為に特化した種族。単純な戦いならば、その実力は幻想大陸でもっとも第一級危険生物に近いと断言してもよい。

 ましてや、アトリ達はかつて巨人王種のうちの一体。ミマスをその目で見ている。
 ディーティニアがいたからこそ、なんとか勝利することが出来たが一対一では到底勝ち目が見えない化け物だ。

 どうするどうする、と思考を高速で回転させる。

 現在の戦力は、アトリとシルフィーナの二人だけ。
 近いうちにティアレフィナが合流するとはいえ、魔女三人で果たしてどこまで対抗できるのか。

 対するは数えるのが馬鹿らしくなるほどの下位、中位巨人種。
 それに高位巨人種三体。おそらくは、もっと多くの高位巨人種が出てくるだろう。さらには巨人王種も三体。

 戦力の差はあまりにも圧倒的。絶望的。
 門の封印が解かれれば、この西大陸は瞬く間に巨人種によって蹂躙されることは想像に容易い。
 人々は喰われ、潰され、捩じ切られ、犯され、引き千切られ―――どうしようもない地獄がこの世に現臨することになる。

「……ア、アトリ、ちゃん……」
「……」


 アトリは、怯えているシルフィーナの問いかけに沈黙でしか答えれなかった。。 
 今のこの瞬間。西大陸全ての人命が、己の両肩にかかっていることをアトリは理解してしまい―――それ故に迂闊な返答をすることが出来ないのだ。
 小さな金髪の魔女の額に脂汗がにじむ。
 喉がひりつき、カラカラに渇く。先ほどまで唾液が嫌というほど溜まっていたというのに。

 女神の結界が後どれくらい持つのか。
 半透明な封印の結界。それが波打って揺れている。今すぐに崩れそうにも、暫くの間持ちそうにも見えた。
 どちらか確信を得れなかったアトリだったが、深く息を吐く。
 常に物事は最悪を想定して動かなければならない。結界がどれだけ持つか考えるだけ無駄だ。今すぐにでも崩壊してしまうかもしれないのならば、もはや事態は一刻を争う。
 それこそ東大陸の不死王ノインテーター襲来のとき以上の脅威だと認識するべきだ。

「……シルフ。いい、逃げるよ?」
「え? う、うん……わ、わかった」

 アトリはシルフィーナを背に庇いながらじりじりと後ずさると後ろ手で神風の魔女の手を掴み、脱兎の如くこの場から逃げ出した。
 脇目も振らず。ただひたすらに嘆きの道を逆走する。

「ギヒッヒッヒ。にげろぉ、にげろぉ。天雷ぃ、神風ぅ。お前達は、俺の獲物だぁ。ああ、楽しみだぁ。お前達の、恐怖に歪んだ顔がぁ―――最高に、見てみたいぞぉ」

 ギッヒッヒッヒと下品に笑うアトラスの声を背中で聞きながら、アトリ達はひたすらに駆ける。
 ガチガチと歯が鳴っている。シルフィーナがこれから起きるだろう惨劇を想像して恐怖で涙目になっていた。
 アトリも同様だ。ここまでの脅威を身近に感じたことは初めてかもしれない。
 不死王ノインテーターの時とは違う。海獣王ユルルングルの時とも違う。
 明確な死の予感。胃の中のものが逆流しそうな恐怖感。膝が震える。今にも地面に座り込みたい。

 だが、ここで諦めるわけにはいかない。
 諦めたら全てが終わる。まだ打てる手はあるはずだ。
 ティアレフィナと、それに―――。

 ドクンっと激しく心臓が胸を打つ。
 先ほどの恐怖とは違う。
 身体中が感じていた凍えたような寒さが、徐々に溶かされていく熱を持っていく。

 そうだ。
 いる。いるのだ。
 この絶望的な状況を覆すことができる幻想大陸最高が。
 第一級危険生物を撃滅せしめた異端の剣士と魔女の二人が。

「……シルフ。ティアはどこにいるかわかる?」
「ええっと……? う、うん。少しまって……」

 走る速度を緩めることなく、シルフィーナは緑の箒を上空へ掲げると、なにやらぶつぶつと小さく呟く。
 東の彼方に視線を向けた神風の魔女は、箒を下ろすと前方を走るアトリの背中に答えを返す。

「近くに、きてる。東の方に。かなり近い、かな?」
「―――そう。それじゃあ、もう一つ。ディーテは西大陸にいる?」
「え? ディーテちゃん? えっと……」

 再度箒を天に向け、それから数秒。
 驚いたのか潤んでいた瞳に、力強さが少しだけ戻った。

「いる、よ。アトリちゃん……ディーテちゃんが、西大陸にいるよ!!」

 歓喜を爆発させて、シルフィーナが涙声でディーティニアの存在を告げた。
 かつて巨人王種ミマスを滅ぼしたのは五大魔女だと言われているが、その殆どの戦果は極炎の魔女の手によるものだ。
 他の四人の魔女は露払いをしていたに過ぎない。圧倒的な大火力で巨人王を焼き滅ぼした光景は今でも忘れられない。
 その彼女が。巨人王種とも渡り合える獄炎の魔女がこの大陸にいる。
 それは一体どれほどの幸運なのか。

「―――そう、よかった。来て、くれたんだ」

 震える声でアトリはそう漏らす。
 ディーティニアの怪我は重傷だった。そう簡単に完治する傷ではなく、治ったにせよこの短い期間で西大陸に渡ってくるのは相当に無理をしたはず。
 別れる間際に交わした約束ともいえない約束を守り、この地へと訪れてくれた二人に今はまだ届かない感謝の言葉を心の中で幾度となく繰り返す。

「シルフ……今からティアと合流するから。その後、途中の街によって住人を避難させつつ、ディーテの元へ向かう」
「う、うん。でも、その……」

 シルフィーナはアトリの意見に頷きながらも、どこか歯切れが悪い。
 果たして言っていいものかどうか、自分の意見を言うのを迷っているかのようだ。
 だが、意を決して彼女はアトリに己の考えを、つかえながらも口にした。

「……あ、あの。それじゃあ、途中の街以外(・・)の、人たちは?」
「―――」

 アトリは僅かに沈黙する。しかし、その時間は本当に一瞬。
 背中を見ているシルフィーナには、アトリの表情は見えない。
 だが、天雷の魔女の表情には苦渋が滲んでいることは容易く予想がついた。

「……見捨てる(・・・・)。まずは、私達がディーテと合流することが一番重要」
「あ、でも。あの―――」
「―――シルフ」

 それはとてつもなく静かな声だった。
 それでも、どこか有無を言わせない圧力を秘めた天雷の魔女の言霊だ。

「私達は西大陸の運命を決める岐路に立っている。目先の人間を助けるために、大局を見失っちゃだめ。大を生かすために小を殺すか。それともその逆か。例えどれだけの人間に恨まれても私は―――前者を選ぶ」
「……」

 アトリの凄絶な覚悟を垣間見たシルフィーナは、黙って―――そしてこくりと小さく頷いた。
 頭では納得できても心は納得できない。
 そんな様子のシルフィーナだが、アトリとて納得できているわけではない。
 そうするしか方法がないからだ。そうしなければ、西大陸が壊滅の危機に陥るからだ。
 自分達がどれだけ早く、ディーティニア達にこの情報を伝えることができるか、で人の生き死にの桁の違いが容易く決まる。

 今は一分一秒でも早く。
 ただ、早く。足が千切れようが、心臓が破裂しようが。
 今は―――この破滅を振り払える|キョウとディーティニアのもとへと駆けつける。
 それがアトリの、天雷の魔女の唯一の出来ることだ。 

 アトリとシルフィーナは、それ以降会話をすることもなく、東へと駆け抜けていった。


















 それから三日後。
 地獄の釜の―――蓋が開く。














 




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