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幻想大陸 作者:しるうぃっしゅ

四部 西大陸編

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六十七章 大渓谷前にて3















 目覚めたバルバロッサを迎えたのは、どこまでも蒼く澄み渡りながらも果てしなく続く青空だった。
 気を取り戻した彼は、何故空を見上げているのだろうか、と自問自答をして―――たっぷり十秒近くの時を要して、現在の状況を思い出すことに成功する。
 仰向けになって倒れている状態から慌てて上半身を起き上がらせるものの、それと同時にズキズキと痛む腹部。表情を歪めて視線を己の腹部へと下げると―――聖騎士という役職に恥じない高給取りであるバルバロッサの給料をして支払いに二年の月日は必要だと思われる霊白銀(ミスリル)の鎧がものの見事に砕き割られていた。

 驚きを通り越して、もはや呆れるしかない光景を目の当たりにして、バルバロッサは乾いた笑みを口元に浮かべて再び地面にごろりっと横になる。現実逃避をしたくなるのも仕方のないだろう。
 転がった大地の冷たさと堅さを全身に感じながら、顔を横に向けてみれば其処彼処で呻き声をあげながら、己の部下が意識を取り戻している真っ最中であった。

 軽い脳震盪で気を失っていた軽症の者もいれば、骨を砕き折られ内臓を損傷した重傷の者もいるが、どうやら命に関わる致命傷を負ったものは見る限りいないことに、安堵する。
 しかし、三十五対一という戦いでありながら十数秒で軽々と蹴散らされ、挙句の果てに手心を加えられた。
 それがとてつもなく無様で、口惜しい―――のだが、不思議と憤りは内心に感じられない。あそこまで圧倒的な差を見せ付けられれば、嫌が応でも納得してしまうのも当然とも言えた。

「……はぁ」

 思わずため息が出てしまったバルバロッサ。
 それには、まさか事前に聞いていた情報が本当だったとは、と深い悔恨が込められている。
 アルストロメリアの配下に紛れ込んでいる貴族派の同胞がもたらした、到底信じられない情報があった。

 東大陸を蹂躙した不死王ノインテーター。四十年前の悲劇をもたらした生きる天災の記憶は新しい。
 その怪物が先日再び行動を開始し、四十年前を超える死者の軍勢を引き連れて多くの惨劇を繰り広げたが―――その軍勢を押し留めた一人の剣士。魔法も使わずに万を超える敵を斬り倒し、第二級危険生物であるノインテーターを、撃滅せしめた男。

 それは鼻で笑ってしまう話だ。あまりにも現実味を感じさせない情報だった。
 それ故に、バルバロッサは話半分どころか、全く信用せずに戦いを挑んだ結果が―――先ほどの結果である。

 果たして自分が悪いのだろうか。いや、悪いのは間違いないが、己以外の誰であっても、同じ行動と結論を導き出したはずだ。
 不幸中の幸いは、恐らくは再起不能になってしまった部下が一人もいないことだろうか。

「……やぁ。目が覚めた?」 

 物思いに耽っていたバルバロッサの耳を打つ、平坦な声。
 声の方向に顔を向けると、そこには黒い服の少女―――いや、女性。
 《七剣》第五席のアールマティが、強風に靡く蒼い髪を片手で抑えて、静かに佇んでいた。
 幾ら目が覚めたばかりとはいえ、全く気配を感じさせることなく数歩離れた場所に立っていたことに幾ばくかの驚きを隠せない。

「……アール、マティ……殿?」

 途中で彼女の名前を途切れさせながら呼んでしまったのは、バルバロッサを―――否、騎士達を含め、見つめる《七剣》の見る目が冷え切っていたのが原因だった。
 どこか底冷えする、あまりにも冷たいが故に火傷してしまいそうな冷気を視線に漂わせている。

 反射的に痛む腹部を抑えながら、バルバロッサが立ち上がった。
 地面に転がっていた剣を拾い、味方であるはずのアールマティへと切っ先を向ける。
 他の騎士達は、突然の団長の行動に驚くことはなかった。何故ならば、彼らもまた同様の行動を取っていたからだ。

 ぶるりっと柄を握り締める手が震えた。
 ガチガチと金属音が響き渡るのは、何故だろうか。よく見てみれば、彼らの纏う鎧が重なり合い、音を鳴り響かせていたのだ。 
 だが、金属音だけではなかった。それと同調するように、歯が音をたてて震えて奇妙な音をたてる。

 アールマティは口元を微かに歪めて無音で佇む。
 それは人の姿形をしていながら―――ヒトとは断言できない邪悪な気配を滲ませていた。

 これは(・・・)、なんだ。
 バルバロッサは思考する。

 これは(・・・)、なんだ。
 バルバロッサは恐怖する。

 これは、(・・・)、なんだ。
 バルバロッサは絶望する。


 風がやむ。
 そして、新たな突風が吹きつける。
 キョウ=スメラギのようなむせ返る血の臭いではなく、何の臭いもない無臭。
 生命の息吹を一切感じさせない、違和感しか覚えられない死風だった。

 目の前の痩身は、この場の誰よりも小柄だ。しかも鎧も纏っていない、何の魔法もかかっていない黒い上下の衣服のうえに、小さな小ぶりの短刀を一つ携えているのみ。
 しかし、バルバロッサ達を覗き見る目の奥の底が読み取れない。

「目が覚めてよかった。これで、心置きなく処理(・・)できる」

 髪を抑えていた手を放し、ぶらりっと両手を下げる。
 ズズっと不吉な残響。地面に映るアールマティの影が色を濃くしたような錯覚を感じた。

「な、何を、言って―――」
「キョウが言った言葉を覚えていない?」

 震えるバルバロッサの台詞を、アールマティが鋭い口調で遮った。

「あいつは、言ったよ? あんたたちは俺の敵(・・・)だ、と」

 徐々に膨れ上がっていく悪意とも、瘴気とも言えない不明確な何か。
 渦巻く黒い濁流。空をも覆う、陽光の光さえも遮るほどの漆黒の壁を形成し始める。

 それは、ありとあらゆる負の感情がぐちゃぐちゃに混じりあった、おぞましいほどの死のそのものだった。

「―――は、ぁ? ぁぁ……え? な、なに、を」

 思考を空白が支配した。
 阿呆のように口を開いたまま、何か(・・)を発し続けるヒトの形をした怪物を凝視する。
 この場にいる誰もが、ただただ呆然と味方であった(・・・)存在を前にして、立ち尽くす。

「それなら、あんたたちは、私の敵(・・・)だ。私の獲物であるあいつを殺そうとしたあんたたちは、私の許さざるべき怨敵だ」

 爆発的に膨れ上がる負の感情。
 いや、それはついにたった一つの感情に収束していった。
 即ち―――憎悪。


 何故、アールマティはここまで憎悪を漲らせるのか。
 何故ならば、バルバロッサ達がキョウと敵対したからだ。キョウがバルバロッサ達を敵と認めたからだ。それがアールマティの耳に届いたからだ。
 そこまでアールマティがキョウに執着しているのにも訳がある。本人は理解していないが、それはあまりにも単純な理由。

 アールマティ=デゲーデンハイドは、キョウ=スメラギに恋焦がれている。どうしようもないほどに、愛している。彼のためならば、世界を敵に回すことさえできる。何を馬鹿な、と思われるかもしれないが―――それを実行してしまったのがアールマティだ。キョウに付き合ってエレクシル教国と敵対した。

 だが、しかし―――本人はそれに気づいていない。
 幼い頃から普通とは無縁の生活。暗殺者として育てられてきた彼女は、恋や愛といた感情がわからない。どんなものなのか理解できなかった。
 だからこそ、キョウに抱いた感情が、そうだということに気づくことが出来ないのだ。
 十五年もの昔から、常に胸に抱いてきたあまりにも当たり前過ぎる、彼女の気持ち。
 それが恋だということに、愛だということに、アールマティは気づくことは出来なかった。

 それ故に、その気持ち故に―――彼女はキョウと盟約を交わした。

 キョウを殺すのはアールマティ(・・・・・・)でなければならない。
 アールマティを殺すのはキョウ(・・・)でなければならない。

 愛しているが故に。恋しているが故に。
 狂おしいほどにキョウを求めてしまう。そう、殺したいほどに。

 そのために。
 キョウを害そうとする可能性が万分の一でも、億分の一でもある限り、その可能性を摘む義務が彼女にはある。

 過去においてキョウの敵で在ったモノは、己が全てを賭して駆逐した。
 現在においてキョウの敵で在るモノは、己が全てを賭して駆逐する。
 未来においてキョウの敵と在りえるモノは、己が全てを賭して駆逐しなければならない。

 キョウとの約束を果たすために、アールマティは人災として如何なる存在も滅ぼし尽くす。


 己が全て。全身全霊。一切の憐れみも情けも必要ない。
 影使い。七つの人災でも、剣魔と立ち並ぶことを許された怪物が、彼女の全てを解き放つ。


「―――絶影の超越者(オーバード)

 刹那。闇色の瘴気が、地を覆う。
 次いで、蒼空を埋め尽くす。

 世界の終末を告げるが如き、暗天の世界。
 黒いカーテンを空中に覆い、黒い絨毯をしきつめた異様で異質な異界。
 肌に感じる温度も急激に低下していく。空気を侵食していく濃厚な憎悪。
 常軌を逸した、漆黒の恐怖。

 混乱の極みに達したバルバロッサ達とは異なり、見渡す限りを黒一色で塗りつぶしたアールマティは、ただ一人悠然と佇む。


「ようこそ、あたしの世界へ(・・・)

 地獄の底から湧き出るようなアールマティの歓迎の言葉。
 その言葉だけで、騎士達は胸を抑え、言葉にならないうめき声を上げる。
 戦場を駆け抜けた勇猛果敢な騎士達の姿はそこになく。闇に怯える幼子の如き姿を連想させた。

 アールマティは多くを語らない。
 これ(・・)が何かを説明しない。彼らの運命は既に決まっているのだから、無駄な言葉を紡ぐ意味はないと理解しているからだ。

 黒一色のこの空間は、アールマティの特異能力(アビリティ)によるものだ。
 単純に、己の特異能力(アビリティ)を極めに極めた結果。いわゆる極限。究極。最高。至高。終焉。言葉は様々あれど、ようするにそういった世界に辿り着いた果ての果て。人の有史以来。たった二人しか到達できていない絶対領域。

 キョウでさえも、後一歩を踏み入れることが出来なかった世界。

 だが―――。

「言いことを教えてあげる。この状態のあたしは―――キョウ=スメラギと互角(・・)だよ」

 淡々と語る彼女の発言は嘘偽りのない真実だ。
 この領域に踏み入れたアールマティは、剣に狂った魔と互角に渡り合える。
 それは果たしてどちらが異常なのだろうか。

 極限に到達したアールマティと互角に戦えるキョウが異常なのか。
 剣魔と呼ばれるキョウと互角に渡り合えるアールマティが異常なのか。

 例えどちらにせよ、常人には理解し難い話に違いない。

 しかし、その発言はバルバロッサ達からしてみれば死刑宣告に等しく。
 両足は根差したかのように地面から動かすことが出来ない。
 キョウと戦ったときと同等の絶対の敗北の予感を覆す術はなく―――アールマティが右手を掲げた。

 ギキィィィっと高音域で劈く、生理的嫌悪感を味合わせる軋み音。
 薄い影を全身に纏った影使いの掲げる右手に、暗い光の球が収束していく。
 初めは小さな暗球だったそれが、みるみるうちに膨張を続け、アールマティ自身を遥かに超える巨大さに成長していった。

 彼女は口角を僅かに吊り上げ、暗球を黒色の大地へ叩きつける。
 一瞬の明滅の後、炸裂―――影が迸った。

 ぞぶりっと騎士達は己の影に足を沈み込ませる。
 まるで底なし沼のように、彼らの身体は徐々に埋まっていく。
 現実に有り得ない。影が―――自分達の本体を喰らっていた。

「あ、あぎゃぁあああああああああ!!」
「ひ、ひぃっ!?」
「い、いてぇ!! な、なんだよぉぉお、これぇえええええ!?」

 ぐちゃりぐちゃり、と何かを咀嚼する音が響き渡る。
 巨大な生物が、下品にも口を開閉させ獲物を喰らっているような物音がこの空間に轟いた。

 影に埋まっていく自分達の肉体に激しい痛みがはしっていく。
 生きながらにして喰われるという、恐ろしい体験を彼らは今この場で身をもって体験していた。

「―――なん、だ!! お前は!! 一体!! なんなんだ!? 俺が、俺たちが!! お前に一体何を、したと言うんだ!!」

 ただ一人。バルバロッサだけは、前方で立ち尽くすこの悲劇を巻き起こした張本人に罵声を浴びせる。
 視線に物理的圧力があるなら、確実に人を殺せるだけの圧を秘めた目を向けた。
 だが、肝心のアールマティは、そんなバルバロッサを静かに見返すだけだ。まるで同じ人を見る目とは思えない。
 その瞳には、憎悪しかなかった。バルバロッサ達の命に、何の意味も、価値も、重みも感じてない絶対零度を漂わせている。

「聞こえなかった? あいつに敵対した。それだけであんた達が死ぬには十分な理由だよ」

 決死の覚悟の怒声をばっさりと切り捨てて、影使いは冷たく見下す。 

「もういい。喋るな、囀るな、吠えるな。あんた達はただ黙って―――」

 パチンっと指を鳴らしたアールマティの合図で、影に沈んでいく速度が僅かに速くなる。

「―――塵芥のように消えて行け」


 ぐちゃぐちゃ。
 にちゃにちゃ。
 くちゃくちゃ。


 そんな音が騎士達の悲鳴と一緒に流れ続ける。
 影に襲われている騎士達の身体は、影に喰われていた部分は最初は足だけだったが、脚まで埋もれ、腰まで沈み―――胴体まで到達し、やがて顔まで飲み込まれて、アールマティの領域から消え失せた。

 霊白銀(ミスリル)の鎧さえも、跡形一つ残さず。
 神聖エレクシル帝国の精鋭達は、抵抗らしい抵抗も出来ずに。
 誇りある戦いも、名誉ある闘争でもなく―――彼らが望んでいた死に方とは途方もなくかけ離れた最後を遂げた。

 そんな生き地獄を思わせるこの場所で、世界を包む闇色の影がゆらゆらと揺らめく景色の中。
 たった一人だけ地面に尻餅をついて生き延びている騎士がいた。まだ年若い、エルフの女性だった。外見だけみれば、精々が二十になったばかりだろうか。戦場に出るにしては些か可愛らしい容姿の違和感を拭えない騎士である。
 三十四名の同胞の無残な死に様に、涙を流し、鼻水を垂らし、果てには黒い大地についた尻の周辺は暖かい水気で覆われている。ガチガチと歯を鳴らし、化け物を見る目でアールマティを見ていた。
 地面に下半身をつけたまま、必死に後ずさる彼女だったが、ただ一人生き延びている彼女を確認したアールマティには特に驚いた様子はない。
 それは当然。エルフの騎士が生き延びることができたのは、彼女の実力や運ではなく―――単純にアールマティが攻撃の範囲から除外していたからだ。

 本当に少しずつ後ずさっていくエルフを一瞥。
 アールマティがトンっと地面を軽く蹴って跳躍。軽々と狙い違わずエルフの騎士の目の前に舞い降りた。

「ぁ……ぁぁ……ぁぁぁぁ」

 多くの仲間を目の前で殺された怒りや憤り、憎しみといった感情を持てない。仇を討とうという気持ちすら抱けない。
 絶対に勝利することが不可能な怪物を下から見上げ、身体を震わせ続ける。

「そんなに怖がらなくてもいい。あたしのお願いを聞いてくれたら、あんたは助けてあげる」

 そして、人の命をなんとも思っていない怪物からそんな提案を告げられた。
 呆然と、エルフの騎士は目を見開いて穴が開くほどにアールマティの顔を凝視する。
 本当なのか。信じていいのか。自分はあんな恐ろしい死に方を。惨めな最後を遂げなくていいのか。それともこれは罠ではないのか。しかし、圧倒的な目の前の怪物が罠を仕掛ける必要性はない。どうせ死ぬのなら、百万分の一可能性に賭けたい。
 混乱しながらも、真っ暗な絶望の世界に突如現れた希望の光を見失わないように、コクコクと何度も頷いた。

「お利口だね。それならあんたは、帝国に帰ってこう報告するんだよ。あんた達三十五名は、獄炎の魔女を追って呪い竜の大渓谷に侵入するものの、危険生物に襲撃されて壊滅した、ってね」

 自分が始末した聖騎士団を、危険生物によって殺されたことにするアールマティにエルフの騎士は目を丸くする。
 そして、靄がかった思考でありながら一拍をおいて何故自分が一人生き残ることを許されたのか理解した。

 彼女達は、自分達の主である獄炎の魔女特殲部隊として命令を貴族派の上から受けている。帝国の総意ではないが、それを知るものは帝国の上層部に幾人かいる。
 つまり彼女達が生きて帰らなければ、獄炎の魔女と戦い殺された―――と、推測されるのはほぼ確実だ。
 魔女と行動を共にしているキョウという名の剣士に御執心のアールマティとしては、それは些か不都合が生じる。それ故に、彼女達聖騎士団は、危険生物の手によって殺されたことにしていたい―――という筋書きを思い描いているのだろう。

 そこにほんの僅かな付け入る隙をみつけたエルフの騎士だったが、目の前の怪物はそんな彼女の希望を圧し折る様に薄く笑う。

だからこそ(・・・・・)、あんたを残したんだけど。わりと有名だよ、あんた? 貴族派の重鎮デルムッド卿の一人娘。随分と他の連中にも可愛がられているみたいだね」

 アールマティの影がゆらりと蠢き、地面からゆっくりと這い上がる。
 一つの巨大な黒い錐となって、切っ先をエルフの騎士の胸元へとピタリとつけた。
 端正な顔立ちのエルフの騎士。そんな彼女の額からポタポタと嫌な汗が頬から地面へと落ちて吸い込まれていく。
 アールマティが語ったように、エルフの騎士はこう見えても大貴族の関係者だった。本来、獄炎の魔女へ対する特殲部隊は命を惜しまないためにも身寄りのない者ばかりが選ばれる。もしくは、直接的な被害者で、揺ぎ無い憎悪を抱いている者。そういった者ばかりのなかで、彼女は例外だった。

「あんたが本当のことを報告しようとしたら、あんた以外(・・・・・)を殺す。あんたの父も母も兄弟も、親類縁者も、友も、恋人も―――全てを殺すよ」

 淡々と影使いは語る。
 それが逆に恐ろしい。過剰な脅しではなく、やるといったらやる。そういった凄みがアールマティからは感じられた。 
 この化け物は、本当のことを話そうとすれば間違いなく―――。

「ああ、そうそう。あんたの関係者を始末するのは、過程(・・)でしかないから」
「―――えっ?」

 反射的に声が出た。
 過程、とは一体どういうことか。

「流石にこのことがばれたらあたしも帝国を敵に回しちゃうだろうから。そうなったら帝国を滅ぼすしか(・・・・・)仕方ないでしょ(・・・・・・・)? あんたの関係者を始末するのはその過程でってこと」

 何を言っているのか。
 まるで散歩をする程度の気軽な発言で、神聖エレクシル帝国を滅ぼすと言ってのける。
 出来るわけがない。幻想大陸最強の国家を単騎で敵に回して、勝つことが出来るはずが―――。

「リフィアやアルスには世話になったし。戦うのは少し面倒だからさ。だから―――わかってるよね?」

 幻想大陸でも指折りの戦闘者。
 撃震の魔女と永久凍土。
 その二人をして、戦うのが面倒(・・)という程度。

 だが、この化け物がそう言い捨てても、不思議と傲慢な感じがしない。
 まるでそれが当然だと思わせる恐怖と絶望を纏っている。
 魔族よりもなお暗く、深く、重い。
 おぞましいほどの重圧を撒き散らし、心の臓を直接握られるような圧迫感を浴びせられる。

 もしも、己がこの場で起きた事実を報告すれば―――帝国はきっと滅ぼされるだろう。
 憎き魔族の手ではなく。人を喰らう魔獣によってでもなく。最強種である竜種でもなく。

 ―――たった一人の人間の手によって。

  
 自分が今まさに帝国の存亡の分岐点に立っていることを自覚したエルフの騎士は―――心が折れた。
 家族のこと。仲間のこと。帝国のこと。様々な想いが走馬灯のように記憶を横切っていく。
 だが、そんなことよりも、この化け物と敵対したくない。それが彼女の嘘偽りなき本音であった。

 そんな彼女の心理を見抜いたのか、アールマティは満足そうに一つ頷く。
 そして、パチンっと指を鳴らした。

 瞬間―――世界を覆っていた黒い影が音もなく霧散する。
 呆然と見上げる空には雲ひとつなく。
 ただ、地上を照らす太陽が一つ輝くのみ。

 視界の急激な変化に目を剥くのは、エルフの騎士ただ一人。
 アールマティは、己の思い通りにいったことに若干の満足を覚え、地面に座り込む騎士に背を向けた。
 もはや用はないと、その背が無言で語っているかのようだ。

「……七、剣殿。あなた、は……一体、なんなんだ」

 残された最後の意地か。あまりにも無謀すぎるひとかけらの蛮勇か。
 遠ざかっていこうとする恐怖の体現者に搾り出すような問い掛けをする。

「―――あたし?」

 カツンっと靴音の残響。そして、くるりっと振り返る。
 まさか己の声でアールマティの歩みを止めることが出来るとは思っていなかったエルフの騎士は、ごくりっと唾を飲み込んだ。

「―――あたしは人災(・・)。純然たる意思で人を害し、明確な殺意で殺す。あたし達は国一つを滅ぼして―――百数十もの国を敵に回しても勝ち続けた」

 どこか遠い目で蒼空の彼方を見つめ。

「あたしとキョウ(あいつ)のことなら、こう呼ぶといい。七つの人災、とね」


 一万もの人間を巻き込み殺したディーティニア。
 虐殺者として歴史に名を刻み込んだ獄炎の魔女。

 だが―――。

 七つの人災。
 剣魔と影使い。

 彼と彼女は文字通り()が違う。

 ありとあらゆる国を、世界を敵に回して勝ち続け。
 何時しか数えるのが億劫になっていた殺戮の日々。

 彼らが直接滅ぼした国は一つ。
 しかし、彼らの影響で滅びた国は数知れず。

 獄炎の魔女とは桁が三つばかり異なる、大虐殺者が二人。
 北と南に向かって歩み始めた。


















 
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