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幻想大陸 作者:しるうぃっしゅ

二部 北大陸編

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二十三章 七つの人災と生きた天災2

 見る影も無くなった建物の残骸が立ち並び、そこらに転がっている場所。
 そのどれもが大穴が開き、屋根が吹き飛んでしまった家々。今の今までは人が住んでいた立派な建築物だったが、セルヴァの放つ閃光で周囲一帯は廃墟と化した。

 この場にいるのは数えるだけの生命体だ。
 一人は剣士。一体は陸獣王セルヴァ。互いに両者しか見えていない様子で睨みあっている。
 あの巨躯を前にして全く畏れることのないキョウの姿を見て、感嘆を抱くのはディーティニアだ。
 それと同時にもう一つの感情が彼女を襲う。

 ―――ま、ずい。完全に、見誤った(・・・・)

 つぅっと一滴の汗が頬を伝い顎から荒れ果てた地面に落ちる。
 王位種を見るのはディーティニアとて久方ぶりだ。遥か昔、幻想大陸中を旅していたときに何度か見たことはある。例えば第二級の不死王種、巨人王種。そういった怪物は数多く見てきたが―――。

 ―――これは、まずい(・・・)

 知らず知らずのうちに杖を持っていた手に力が入る。
 陸獣王の底知れない気配に臍を噛む。ここまでとはディーティニア自身考えていなかった。
 せめて魔法が効いたらまだ活路はあったかもしれないが、絶対魔法防御(アンチマジック)だけは流石の彼女とてどうしようもない。しかし、めくらまし程度にはなるだろうと決断したディーティニアが一歩踏み出そうとして―――。

「―――大丈夫だ(・・・・)、ディーテ。この程度なら、俺一人でも事足りる」

 背筋が震えた。
 それはどんな感情なのかディーティニア自身量りかねる感情が駆け巡る。
 こんな化け物を前にしながら、キョウ=スメラギという男はあまりにも普段通り過ぎて―――。

「……分かった。お主に任せよう。ただし、限界だと感じたらワシも―――外すぞ(・・・)
「その時は任せよう。その前に終わらせるがな」

 二人の会話を合図に、キョウがセルヴァへと近づいていく。
 少しずつその距離を詰めていき、やがて互いの間合いが十メートルほどになった頃―――セルヴァが動いた。
 爆発的に膨れ上がるセルヴァの敵意。キョウという人間を認めたが故に、獣の王は初めて感情を激しく高める。これまでは、群がる蟻を蹴散らしていた程度の感覚しか持っていなかった。それ故に、セルヴァがあげていたのはただの愉悦の嗤い声。人間という種を見縊り、嘲っていた獣の嘲笑だった。そんなセルヴァが初めて、明確な敵意を乗せて獅子の顔をキョウへと向ける。
 巨躯を支える四肢が、激しく大地を踏み割った。ドンっと地震を引き起こす。大口を開けたセルヴァの口元が―――揺らりと空気が震動したのが見えた。

「ガァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 獣の王の大口から放たれる、不可視の大質量の荒波。
 周囲に転がっていた建物の残骸が後方へと凄い勢いで転がっていく。荒れ果てた地面の土がめくれ上がり、吹き飛んでいった。台風やハリケーンといった現象の中心にいると錯覚させる大旋風。
 反射的に身体を低く、地面に膝をつき耐え切ろうとするが、それでも徐々にキョウの肉体が圧されてゆく。
 身体が悲鳴をあげるほどの衝撃。セルヴァの本当の威圧。明確な敵意を込めた咆哮は、ただの音が物理的な圧力をも秘めて周囲の人間を制圧していく。それは人の心を容易く圧し折り恐怖を飢え付ける魔獣の雄叫びだ。

 セルヴァが咆哮を続けたのは五秒もなかった筈だ。
 だが、たったそれだけの時間でキョウの聴覚に激しい耳鳴りを残していた。ぐらりと視界が揺れているのは、脳を揺さぶられたからだ。吐き気が襲ってくるが、吐いてる時間があるわけもない。
 そして、鋭い角度で三本の尻尾のうちの一つ―――虎の尾が上空から降ってきた。恐ろしいほどに長いその尾を器用にも操りながら、キョウの頭を叩き割らんとする。
 揺れる視界の中、咄嗟に左手に跳躍して避ける。普段ならば僅かな距離を取っての見切りでかわすが、五感を揺さぶられてしまっている今の状況では不可能だ。
 刹那の差で命を拾ったキョウの横で、虎の尾が地面に激突。まるで巨大な金槌で叩いたと勘違いするような激突音をあげて、砂埃と地面に小さな穴を開けた。

 ひゅっとさらにもう一つの風切り音が耳に届く。
 今度は大きく弧を描くように獅子の尾が容赦のない軌跡を描いて迫ってくる。
 ふっと短い呼気を放つ。一歩踏み込み、全体重を乗せた愛刀で迫りきた獅子の尾を撃ち払う。その反動を利用し、十数分の一秒で逆から襲い掛かってきていた虎の尾を刀を這わせて地面へと受け流す。力の流れを操作された虎の尾は、強かに地面を打ち据えながら砂埃を上げていた。

 砂埃で互いの視界が塞がれる僅かな一時。 
 風を打ち抜きながら、黒い剣士は間合いを詰めた。意識を切り替え、肉体の限界をほんの一瞬超越する。四肢のリミッターを外して、識剣領域と呼ばれる超速世界へと入り込む。

 尾が再び振るわれる前に、間合いを詰めたキョウの刀がセルヴァの右前足を薙ぎ払う。
 出来れば弱点と為り得そうな頭部を狙いたいが、高すぎて届かない。まずはその前の準備段階だ。
 ズンっと恐ろしいほど硬い―――或いは霊白銀(ミスリル)をも凌駕する肉体強度に舌を巻きながら、振り払った。だが、斬れていない(・・・・・・)。上から襲ってくる死への圧迫感。ぞわっと背筋を粟立たせながら、キョウがその場から転がるように離脱する。次いで彼が今の今までいた場所に、伸縮自在の赤い舌が穴を穿った。

 ドンっと何かが地面を蹴りつける。
 その音の発生源を目で追ったキョウは頬を引き攣らせながら、大きくこの場所から離れる。
 彼の目に映ったのは、二十メートルを超える巨体が空に浮かぶ姿。ふわりと浮いた小山が、キョウ目掛けて降り立とうとしてきた。圧倒的な重量が、空から舞い降りる。決死の覚悟で大地を駆け抜け、大きく距離を取るキョウはギリギリのところで命を拾う。数瞬前に駆け抜けたその場所に四肢を叩き付ける様に獣の王が、大地を踏み割って着地していた。そして、翻る蛇の尾。

 まるで意思を持っていると勘違いしそうな動きで、複雑な軌道を描きキョウへとジグザグに向かってくる。
 これは生きた鞭だ、と場違いな感想を抱きつつ意識を集中させてゆく。セルヴァの咆哮による五感への障害は復旧し、漸くまともな肉体動作を可能とする。

 視線を細めたキョウの視覚が、蛇の尾だけではなく他二本の尾の軌道を読み取った。
 セルヴァの尾が三本の道筋を作り、キョウの逃げ道を塞ぐように連携して向かってくる。それは踊るような尾の軌跡。真正面からの蛇の複雑な動きで撹乱。左手から虎の尾が一直線にキョウへと重圧を浴びせながら迫りつつ、本命は背後。大きく回りこんだ獅子の尾が死角から狙っている。

 ほぼ同時迫り来るそれらを前にして、思考。
 唯一空いている右手の方角へ逃げるか。否、それは罠だ。そちらへ逃げ込めば間違いなく狙い済ました舌が襲ってくる。
 それならばどうするか。答えは単純明快。全てを―――弾き落とす(・・・・・)

 この間零コンマ一秒。
 腰から抜いた刀―――ラギールの刀を左手に持ち、二刀流となる。
 呼吸を止め、さらに意識を深遠へと導く。

 襲い掛かってくる尾はほぼ(・・)同時。
 一秒を更に刻んだ時間の間だけ誤差がある。それだけあれば、キョウ=スメラギには十分だ。

 右刀が下から掬い上げるように複雑な軌道の蛇の尾を弾き上げる。それだけで上空へと流された尾があらぬ方向へと飛ばされてゆく。次いで左刀が虎の尾を先ほどと同じ様に上から叩きつけ、力の流れを操作。地面へとぶつける結果を生み出した。その力を利用、回転しつつ背後から迫ってきた獅子の尾を背後から打ち据える。それもまた他二つの尾とともに脇へと流され傍にあった建物を破壊するだけに終わった。

 全てを弾かれたセルヴァの喉から微かな唸り声が響く。
 それは驚きなのか、称賛なのか。獣は確かに、何かしらの感情を今の一瞬に唸り声に乗せていた。
 トンっと軽やかな音がその場に残響する。セルヴァの第三の目が、その動きに魅せられた。
 キョウは、地面を疾駆。それと同時に―――空中に浮かぶ虎の尾を土台(・・)に駆け抜けてくる。虎の尾に重量は感じられず、得体の知れない気持ち悪さが獣の全身を襲った。

「ゴォォオオオオアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 雄叫びをあげながら、虎の尾を振り回す。
 だが、それは結果遅く―――振り回される直前に虎の尾を蹴りつけた。
 弾丸の如き速度を得たキョウを、狙い済ました舌が貫いた。いや、それは残像で―――身を捻り、その舌の攻撃を裂けきる。セルヴァに近い地面に着地と同時に左刀が煌く。そして、右刀が斬閃を刻む。
 交通事故を思わせる大激音。鉄壁の強度を誇るセルヴァの肉体を傷つけるにはまだ至らない。それでも、確かにキョウの攻撃に陸獣王は、獅子の顔を歪ませている。足に絶え間なく叩き込まれる衝撃は、セルヴァとて無視できる類のモノではない。

 苦痛に苛立ったように、切り込まれていた左足で蹴り上げる。
 鈍い音をたてて巨木に匹敵するそれがキョウの肉体を粉砕せんと、跳ね上げられた。 
 風圧が全身を強かに打ち据えてくるが、共に巻き起こった砂埃が治まるよりも前に、キョウの肉体はここより消え失せていた。
 セルヴァよりやや離れた位置で軽い着地音。
 既に敵の行動を読んでいたのか、キョウの動きに躊躇いも、迷いもない迅速な行動だ。

 その戦いを見届けるものは、驚愕の面持ちだ。
 キョウだからこそ三種の尾の攻撃を捌き続けることが出来ている。伸縮自在の舌の攻撃をかわすことが出来ている。巨躯を利用した攻撃から逃れることが出来ている。
 本来ならば、そのどれか一つでこの場に残されている者達は命を落とす。
 彼らにとって、尾の一撃さえも見切ることは出来ない。音速にも匹敵する超速度。瞬いたと思ったら既に、地面に穴を開けている。音が後から来ているのではと錯覚さえもする、文字通りの音速だ。
 一体何なのか。目の前で行われている人間と獣の饗宴は、一体―――。

 茫然自失となっている観客を置き去りに、唇を舌で濡らす。
 喉が、口が渇いている。セルヴァが放つ異様なまでの威圧感。一撃一撃に込められている恐怖感。それら全てが、これまで戦ってきた危険生物の比ではなく―――第三級危険生物、高位巨人種(ティターン)の一柱。ペルセフォネさえも容易く凌駕する。なるほど、確かにこれほどの敵ならば、彼女とて勝利は皆無に等しいだろう。
 ディーティニア曰く、セルヴァの強みは特異能力にある。絶対魔法防御(アンチマジック)―――常に陸獣王の肉体を覆い続ける不可視の結界。如何なる魔法も通さない、魔法使い殺しの能力。セルヴァにはどのような魔法も通じない。しかも、あの巨体。鋼をも上回る皮膚。まさに動く要塞だ。
 勝利を掴むことができるのならば、武器による攻撃ただ一つのみ。
 だが、キョウの剣閃でも斬れないセルヴァの肉体。果たして勝ち目はあるのだろうか、と自問自答するも、答えは決まりきっている。

「―――お前は強い。だが俺はお前よりも強い相手を知っているぞ、獣の王よ」

 左刀を鞘に納め、右手に握っていた愛刀を両手で持ち直す。

「《操血》に比べれば、可愛いものだ。ただ巨大で硬いだけならば―――」

 刀を強く握り締め、姿勢を低く。

「―――お前は今ここで死ぬぞ?」

 キョウの気配が重さを増していく。
 徐々にだが、確実に。そして、際限なく。
 遠くにいるディーティニア達でさえも、その余波を受ける。極寒の地にて裸でいる錯覚。ガチガチと歯が鳴っている。誰かと思えば、獄炎の魔女を除いた全ての人間が鳴らしていた。セルヴァを上回る、純粋な殺意。明確で、淀みのない―――人間が対象に向けて発する何の躊躇いもない黒い殺気だ。

 それを正面から受けたセルヴァが身体を強張らせる。
 彼は王者だ。獣の王だ。北大陸に住む全ての生物の頂点だ。彼に敵うものはおらず、絶対不敗の生物として君臨してきた。畏れを知らず、恐れを知らず、怖れを知らず。唯一と言ってもいいのが五百年以上前に戦った存在達。複数人とはいえ、セルヴァを退かせたのは、あの時の存在のみだ。それでも、恐怖という感情を持つことはなかった。
 そして、五百年ぶりに王の森を出てみれば―――やはり、人間など塵芥に過ぎず。
 塵屑を踏み潰すように北大陸を蹂躙しようと考えていたセルヴァの前に、一人の人間が現れた。

 山のような巨体のセルヴァを怖れず、真っ向から戦いを挑んできている。
 彼の生きながらえてきた八百年以上の歴史。歩み続けてきた無敵の戦歴。そこに、踏み割ってきたのは何ということもない、ただの人間。ただの剣士。魔法も使わない塵芥だ。
 そんな相手が此処まで出来るのか。何故出来るのか。獣の思考に驚きと迷いが生まれる。

 それは、獣の王が初めて抱いた感情だった。単体で自分と向かい合える人間を見つけた、得体の知れない気持ち。
 本能が支配するセルヴァの心に、マグマのように沸々と何かが湧き上がって来た。
 怖れは持たない。恐れも必要ない。畏れも意味はない。

 ただ、目の前の小さなこの人間を―――全力全盛をかけて滅ぼそう。

「ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 陸獣王は―――目の前に立つ人間を()ではなく、脅威(・・)と認識し直した。


 世界に轟く咆哮が、戦闘の開始を告げる。
 やはり物理的衝撃を伴った風圧が、激しくキョウへと襲い掛かる。今度は予想していたのか両耳を手で押さえながら、四肢を踏ん張る。地面につけた両足が土を噛み締め、吹き飛ばされないように体勢を整え続けた。
 最初の時よりは随分とマシだったが、それでも身体の動きが若干鈍くなる。

 キョウの前方で、風を断ち、土を抉り、建物を破壊して回る三つの尾が周囲一帯を縦横無尽に破滅を撒き散らしながら乱舞する。尾が撒く余波が、冷たくキョウの頬を撫でて消える。
 その軌道はこれまで以上に複雑怪奇。三つの尾が創造した、完全無欠な結界だった。

 ズンっとセルヴァが足を踏み出すたびにその結界が近づいてくる。
 獣の王の前方にて描き続けられる尾が描く半円の結果に飲み込まれれば、台風の海に浮かぶ小船のように飲み込まれ消えるだろう。後退するのが、当然の作戦だ。誰もがそう考える。
 しかし、戦っている本人はその真逆を選ぶ。尾が描き続ける結界へと摺り足で近づいていく。深く静かに息を吐き、息を吸う。まるでタイミングを測っている姿にも見える。耳を痛いほど打つ、尾が撓る音。一撃でも当たれば吹き飛ばされ、骨が折れる程度では済まないはずだ。それだけで決着がつくかもしれない。それを覚悟の上で、キョウはセルヴァの尾だけを凝視していた。

 無数に残像を残して走り続ける三つの尾。
 刀を携えて摺り足で滲み寄る剣士。

 尾の円撃の範囲にキョウは足を踏み入れた。高音域が耳を劈く。肌がひりつく重圧が絶えず襲い掛かってくる。
 虎の尾が天空から叩きつけられた。ほんの僅か、身体を開いてその一撃を避ける。ドンっと地面を殴打した虎の尾は、その反動を利用して跳ね上がってきた。頭を狙ってきたその尾を、上体を下げることによってやり過ごす。今度は真横から迫ってきた蛇の尾が撓る。刀を合わせて、上空へとそれを捌いた。獅子の尾が斜め右上から降ってくるが、やはりそれも予想の範囲だったのか、キョウの体捌きの前では空振りに終わる。
 時にはかわし、時には切り上げ、時には薙ぎ払い、時には切り落とし、時には掬い上げ―――セルヴァが放つ尾の連撃悉くを防ぎきる。
 それは如何なる妙技か魔技か。それとも神技か。誰もが夢幻と思わせる、人が辿り着いた極限の世界。

 絶対不可避の嵐の中を、キョウは抜けきる。
 ズンっと地面に踏み込む足が地震を起こす。ただの人の震脚が、セルヴァの歩みが起こす音と重なった。
 奥歯を噛み締める。両腕の筋肉を限界以上に躍動させた。身体中のバネを使い、獣の王の左前足へと一閃を叩き込んだ。
 それは、誰もが気づかなかった事実。キョウがこれまで打ち込んできた斬撃は―――寸分違わず同じ場所だったということに。生死の境目が曖昧になるこの空間で、音速に迫り来る尾を掻い潜り、刀を振るっていたキョウは一ミリもずれることなく、斬撃を叩き込んでいたのだ。それもまた、神技に違いない。

 幾度となく同じ場所に打ち込んできた斬撃が切っ掛けとなって、遂に鉄壁の皮膚を遂に切り裂いた。
 手に伝わった感触は鋼鉄の塊に打ち込んだソレ。だが、それは一瞬で―――ぞぶりっと生き物を断つ感覚が手を手を通して伝わってくる。
 そのままの勢いで断ち切ろうとしたキョウは、振り切れずに終わった。
 伝わってくる激痛も気にせずに、セルヴァの尾が背後から迫ってきていたからだ。即座に左前足から刀を抜き去ると回転。背後の三本の尾を弾き返すと、もう一度同じ左前足の傷口を狙って刀を一閃する。

 しかしながら、キョウの狙い通りにはならず。横一線に薙ぎ払われた刀は空を切り、キョウの頭上から影が差し込む。太陽を遮り、左前足を上へ縮めてやり過ごしたセルヴァが地面にいるキョウへ向かって足を叩きおろした。
 ちぃ、と舌打ちをした彼は、右前足の方向へと跳躍。そちらの方向ならば四本足の身体構造上、生き延びれる場所があると判断したからだ。それは的を射て、紙一重でキョウは命を繋ぎとめた。勿論、それだけで終わらせるキョウではない。
 すれ違い様に、刀を振るう。一瞬五斬の連撃が、右前足に容赦なく叩き込まれた。そして、その場所から離脱。大きく逃げ延びたキョウが数メートルの間合いを取ったと同時に、セルヴァの巨躯が崩れ落ちる。
 地響きを立てて、前足を曲げて地面に倒れこむ姿を誰もが信じられないように見つめていた。

 勝てる、と。誰もが思った。
 この調子で戦い続ければ、あの獣の王を降すことができる、と。

 そんな中で、言いようのない悪寒を感じているのはキョウとディーティニアの二人だけ。
 優勢なのはどちらかは明白だ。それでも、何故か身体の芯からくる震えが身体を包んでいる。
 その震えは弱くなるどころか―――少しずつ強まっていく。

 そして―――。


 ピシリっと。何かが罅割れる音がする。
 その音の発生が徐々に多くなっていく。ズンっと大地を揺らす地震が起こった。これまでのセルヴァが起こしていたものとはまた一つ大きさが違う。
 周囲にまだ残っていた建物の残骸から、パラパラと砂利や小石が落ちていく。
 セルヴァが倒れている地面に広がっていた罅割れも、一つから二つ。二つから三つ。時間が経つごとに次々と拡大していった。建物から落ちる小石や砂利が、やがて建物その自体の崩壊へと変化していく。

 それら崩壊の音とは別に、また異なる奇妙な音響が響いてきた。
 その原因は間違いなくセルヴァ本体から聞こえてくるもので―――。

「―――っくそ!!」

 気づいたキョウが、吐き捨てるように逃げ出した。脇目も振らずに、自分のできる最速でディーティニア達がいる方向とは別の方角へと疾走する。
 セルヴァは開けた口を、逃げていくキョウの方角へと向けて―――。

 この場にいる全ての生物の目を焼き尽くす、白光があたりを埋め尽くす。
 セルヴァから一直線。真っ白に輝く一条の閃光。直径にして十メートルを軽々と超える光線が、大気を射る。
 亜音速で射抜かれる空気。線上にあるもの全てを消滅させる光の輝きは、遥か遠方にある山へと着弾し―――その山一つを消し飛ばした。
 離れているというのに感じる圧力。世界の終焉を感じさせる光景に、皆が愕然とする。
 消し飛ばされた山はほんの僅かだが跡形を残し、左右に切り立った壁面。まるで砂山を手で崩したように、中心が丸々とこそぎ落とされていた。その後方にあるはずの山も同様で、幾つかの山々を貫いて行ったのが分かる。

 時間にして数十秒。
 ようやく治まった破壊の奔流に唖然とする皆だったが、それに狙われた本人であるキョウは―――砂塗れになりながらも、片足をついて生き長らえていた。
 必死になってセルヴァの口から逃れる方向で動いたのが功を制したのか、あれだけの大破壊の標的になっていながら辛うじてセルヴァが閃光を外してくれたおかげで怪我一つせずここにいる。

 ―――いや、違う。

 そんな確信をキョウは得ていた。
 外したのではない、当てなかっただけだ。

 本来ならば、あの閃光は間違いなくキョウを飲み込むことが出来た。それなのに、そうしなかったのは―――セルヴァの意思。お前を殺すことは容易い。だが、これでは殺さない。そんな耳には聞こえない言葉を聞いた気がした。

 セルヴァの放った閃光の影響で巻き起こった砂埃が、漸く視界から消え去りつつあった。
 刀を再び握り締めたキョウが、佇むセルヴァを眺めたその時―――身体の芯を襲う悪寒が判明する。

 セルヴァを中心として爆発的に膨れ上がる―――大魔法力(・・・・)
 束の間、濃厚な黒一色。否、とてつもなく濃い闇色の瘴気が目に見える範囲を侵しつくす。
 触れるだけで生気を奪い取られる、キョウの殺意を遥かに凌駕する八百年を生きる暴食の魔獣。その闘争本能が完全に解放され、そのまま世界を覆いつくすと思われた黒い瘴気は、吸い込まれるようにしてセルヴァへと集約されていった。

 前足の膝を地面につけていたセルヴァが、身体を引き摺るようにして身を起こす。
 斬ったはずの左前足の傷は塞がっていて、そこは新たな皮膚で覆われていた。

「ゴオォォオォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 これまでの比ではない、魂までも消滅させる咆哮が響き渡った。
 渦巻く瘴気が弾け、舞い、世界を侵食していく。獣の王たる自分とここまで戦えたことに、対する称賛。だが、王たる自分をここまでてこずらせた事に対する憎悪。心から溢れてなお余りある負の感情を制御しきれずに、爛々と三つの眼から発せられる死を連想させる重圧。

 幻覚を見せるに至った黒い瘴気。世界を侵して黒く染める悪意。
 絶望的な強者が放つ、真の恐怖。発狂したほうが幸せだとも感じられる畏怖。

 相対するものの全ての感情を、覚悟を奪う圧倒的な超越存在。
 天災とも称される生きた怪物。その意味をこの場にいる者達は身を持って知った。


 絶対魔法防御(アンチマジック)はあらゆる魔法を通さない結界を身体中に張り巡らしてある。つまりそれは外部からの影響を全く受けることがないということだ。ただし、逆に言えばセルヴァ自身も魔法を使うことは出来ない。外部へ影響する攻撃魔法を使用はできない。
 だが―――内部へ向けてなら使用は可能と言うわけだ。つまり、セルヴァ自身に対する身体能力の超強化。
 これこそが、セルヴァが追い詰められた時のみに使用する奥の手。五百年前の時でさえ、使用しなかった超能力だ。
 身体能力だけに止まらず感覚能力、再生能力が通常状態とは比較にならない高みに押し上げられた。

「あり、えん……なんじゃ、こやつ。これは、生物(・・)の枠組みを、完全に外れておる!!」

 ここまで取り乱したディーティニアの声は初めて聞いたな。場違いながらキョウは苦笑する。
 他の者は尻餅をつき、天を仰ぐだけ。見上げるような視線の先に、破壊の本能を身体中に滲ませたセルヴァがいる。
 勝てるわけはない。誰もが圧倒的な絶対者の出現に思考を停止させた。

「……これは、まずいかもしれないな」

 口元を緊張で歪ませたキョウが、自分にしか聞こえない独り言を呟いた。
 喉が渇く。ひたひたと背後から迫り寄ってくる死へのカウントダウン。第六感が、何よりも誰よりも雄弁に告げてくる。

 このまま(・・・・)では勝てない、と。

 カタっと手が震えた。
 横目で見れば、右手がカタカタと震えていた。
 それは、間違いなく恐怖。

「―――くっ。久しぶりだ、本当に久しぶりだ。お前がここまでの怪物だったことに敬意を表する。だが―――」

 やはりキョウは何時も通りに刀を手に―――。

「それでも、まだ―――《操血》には及ばんぞ!!」

 震えが既におさまった両手で刀の握りの感触を確かめて、キョウ=スメラギは絶望を体現している怪物に突撃する。
 悠然と佇むセルヴァへと、キョウもまたこれまでより更にスピードをあげて、踏み込むと同時に一閃。
 最大限の力を込めた切り落としが、獣の王の前足に直撃する。返す刀で、同前足を薙ぎ払う。キョウが出来る最高最速の斬撃は素晴らしく、流麗で、美しく―――それでも、それはセルヴァには届かない。今までよりも遥かに硬度を増した、その肉体。斬りつけた腕の方が痺れる有様だ。竜鱗と比べても鼻で笑ってしまうほどの硬度を誇る。
 まさしく無敵。生きる天災。自分が勝利する姿が思いつかない。

 それでも―――キョウの手は止まらない。
 迫り来る尾。穿とうとする舌。巨躯から放たれる前足の攻撃。
 それぞれを紙一重でかわしつづけ、零距離にて刀を振るい続ける。
 諦めを知らぬその姿。絶望を知らぬその姿。絶対死という運命に抗い続ける剣士の姿がそこにはあった。
 何回も、何十回も、何百回も―――神速の域でセルヴァの巨躯を切り刻み続ける。

 無駄だ、と。
 セルヴァは嘲笑う。人風情が我が肉体をこれ以上汚せるものか。

 瞳がそう笑っている気がした。
 圧倒的な重圧が、一時も休むことなくキョウを押さえつける。
 この世のあらゆる悪意を秘めた邪悪の気配が噴きあがり、周囲を満たす。

 それでも怯まぬ剣士は―――己が剣でセルヴァと戦い続ける。




「―――あり、えぬ」

 誰もが絶望に打ちひしがれる中、ただ一人ディーティニアだけは目の前の光景を眼で追っていた。
 セルヴァは強い。圧倒的だ。腹立たしいことに、王位種の名に偽りはない。生きる天災と称されることに何の不思議もない。そうであるならば、何故キョウはこうまで戦える。
 どうして蹴散らされない。潰されない。殺されない。何故魔の獣の王の完全状態と剣を打ち合わせている。

「―――お主は、一体」

 魔女など話にならない。
 《七剣》など話にならない。

 魔法も使えぬただの人間が―――災いを巻き起こす災厄と刀一本で渡り合う。
 なんという馬鹿げた話か。夢想染みた話か。理解できぬ話か。

 だが―――実際に、目の前でその光景が繰り広げられている。

 本来ならば逃げるのが正しい行動だ。
 魔法が通らない相手とはいえ、足止め程度ならどうとでもできる。
 だが、ディーティニアの身体は竦んで動けない。何故だと問う必要はなく、理由など最初からわかっているからだ。

 それは恐怖ではない。   
 刀一つ。己が身一つで戦い続ける同胞の姿を見ていたいからだ。

「見せて、くれ。我が同胞。お主の可能性を。女神(エレクシル)へ届かせた―――神殺しの一撃を」

 小さな魔女は静かに祈る。
 両手をあわせ、遥か前方で剣を振るい続ける剣士に向けて、届かぬと分かっている祈りを捧げていた。



「ゴゥォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 小さな魔女の祈りを消し飛ばす、魔獣の王が猛け吼えていた。
 四肢を動かすたびに大地が地震を起こす。雄叫びをあげるだけで世界が震動する。
 一挙動ごとに放たれる攻撃は、それだけで数十の人間を塵屑に変えてしまう。それだけの破壊を秘めていた。
 そんなセルヴァが苛ついたように、尾で身体の周囲を薙ぎ払った。撓る鞭をイメージさせる、三本の尾が荒れ狂う。
 それらの攻撃を避け続け、一瞬の隙をついて刀が前足へと切り込まれる。衝撃が、斬撃の重さがセルヴァの前足を伝っていく。一撃必殺とならない歯がゆさを感じるも、それでも鉄壁の要塞と化したセルヴァを崩すために一撃一撃を丁寧に叩き込み続ける。背後には死が漂ってきている。それでもキョウの心に揺らぎはない。

 極限の集中力が、狂う暴力が支配するこの空間で、一筋の光明を照らし続けている。
 寸分の狂いなく、剣士はその光明の道筋を歩み続けているだけだ。

 そんな薄氷を踏むかのような戦闘は―――突然に終わりを告げる。

 キョウがセルヴァの舌を避けた行動。
 それにしまった、と感づいた時には遅かった。この戦いで三桁を超える死線を潜り抜けたキョウが、この一瞬に選択を間違えた。避ける方向を僅かにずれたことに気づいたが、それは遅れを取り戻すことは不可能で―――。

 横薙ぎに払われた虎の尾が、強かにキョウの脇腹を払い殴った。
 それはまさに間一髪。愛刀の腹を盾に、ほんの僅かだが衝撃を和らげる。もしこの場で踏ん張ってしまえば、余計にダメージを負うと判断したキョウは、地面を蹴りつけ自分から横へと飛んだ。
 だが、それでも尾の一撃は重い。軽々と十メートル以上も弾き飛ばされ、地面に激突。頭だけは防ごうと手で頭部を守る。そのおかげか辛うじて頭部への衝撃は軽くで済んだ。無論、それだけでは済まない。地面に激突した瞬間、バウンドしてごろごろと転がっていく。そして、半壊した建物の壁に背を打ちつけたところで漸く止まった。

 ごほっと咳き込んだ拍子に、唾液と一緒に赤いモノがまじる。
 内臓のどこかを痛めたらしい。それだけではなく、ズキズキと尾を打ち付けられた腹部が悲鳴あげていた。
 正直参った―――それがキョウの感想だ。 
 第一級危険生物がまさかここまでの存在だったとは考えてもいなかった。
 幾ら斬り込んでも、ダメージを与えられない鉄壁さ。それに比べてキョウはたった一撃を喰らっただけで、この様だ。なんとも理不尽な戦いだと考えながら、それでも立ち上がった。
 セルヴァは余裕を見せているのか、あちらからは間合いを詰めてこようとはしていない。

 その姿が―――気に喰わない。

「―――《操血》解呪」

 だからこそ、キョウはこの言葉を躊躇いなく口にした。
 彼の師であり、母であり、姉である女から―――決して本気を見せるなと言われていた呪いを解放する。

 その呪いはどうということもない。
 《操血》の血を体内に入れられているだけ。他人の血は体外に出なければ操ることは出来ないが、自分の血ならばどこにあろうとも自在に操れる《操血》特有の呪い。キョウの体内に入れた血によって、彼の身体を内部から無理矢理に引張し、あらゆる動きを妨げる。身体能力の低下(・・)。ただそれだけだ。

 何故そんなことをしたのか。それは単純な話で―――キョウ=スメラギがあまりにも強すぎたが為に。
 キョウが世界(アナザー)にいた頃、如何なる人間も相手にならず、戦闘(・・)という行為にすらならなかった。七つの人災の中でもっとも特異能力(アビリティ)に頼らなかったキョウが、七人の中でも最凶とされた由縁がここにある。彼の目的は神殺し。故に自身の底力をあげるためにも、自分と拮抗して戦える人間を必要としていた。そのための能力低下である。

 そしてもう一つ。そちらはもっと単純な話で―――《操血》シマイ=スメラギの独占欲。
 自分の血をキョウの肉体に入れているのも自分だけ。本当のキョウの姿を知っているのも自分だけ。全力のキョウを知っているのも自分だけ。キチガイ染みた、子供のような妄執だ。

「……これは今度会った時に嫌味を言われるな」

 苦笑気味に言い放ったキョウの気配が変化したことに、若干の警戒心を高めるセルヴァ。
 気配の質と量の変化。知らず知らずのうちに、身体中を蝕む強い戦意に緊張感が否が応でも高まっていく。
 得体の知れない圧迫感が、セルヴァを包み込む。それは、大魔法力をセルヴァが解放した時にキョウが感じたのと同様で―――。

「―――安心しろ。これより上はない、が。ここから先が、(七つの人災)の全力だ」

 魔法が使えるようになったわけではない。
 身体能力の超強化を行ったわけでもない。

 ただ、キョウ本来(・・)の力を引き出しただけ。

 だが―――。


「―――グォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 目の前の剣士は、自分を殺し得るに足る力を持っている事実に気づき―――。


 一瞬、キョウの身が沈む。
 次の瞬間―――彼の両足が地を蹴りつけた。

 地面を駆け抜けた、という動作の後には僅かな砂埃も起きてはいない。
 セルヴァが放つ三本の尾の乱舞。舌を含めた四つの荒れ狂う攻撃を全てかいくぐり、追撃しようとしたその時には既にキョウの姿は獣の王の懐深くに踏み入っている。冷たい空気がぞわりっとセルヴァの背中を撫で上げた。
 反射的に前足を持ち上げ叩きつけようとしたその時―――。

 叩きつけられるよりも早く、その前足の裏から一閃が叩き込まれた。
 足を持ち上げた反動と、キョウが加えた斬撃の衝撃で、獣王が行おうとしていたよりも遥かに高くかち上げられる。ズキリと痛んだ足裏から、パシャっと緑の血飛沫があがった。
 巨大な金槌や、巨人の剣で斬られたと勘違いするほどに大きな一撃に、セルヴァの表情が驚愕で歪む。

 前足に感じたかつてないほどの衝撃に、咄嗟に眼下のキョウに視線を向け、その姿が無いことに再度驚いた。
 かちあげられた前足とは逆側の足に軽く感じる感触。トントンと何かが登っていく。
 慌ててその《何か》を視線で追うが、既に姿は消えていた。次いで感じ取ったのは、天空から押し潰さんと容赦なく降り注いでくる膨大な殺気。
 頭上を仰いだセルヴァの鼻先に、これまでを遥かに超える大衝撃の斬撃が叩き込まれた。

 鼻先に受けた凶悪極まりない一撃に、前のめりとなって倒れこんだ。
 大地を揺るがす轟音を、セルヴァの巨躯が激しくたてる。倒れこんだのは一瞬で、巨体に似合わない身軽さで立ち上がった。斬撃を叩き込まれた鼻先が、鋭い痛みと同時に鮮血を撒き散らす。

 完全な脅威となったキョウへ向けて、大きく口を開けた。赤い口内。うねる舌。鋭く長い強靭な牙。そして、喉の奥に光の塊が収束していくのがはっきりと見える。光の閃光で消し飛ばそうとしているのだろう。高音域で劈くばかりに響き渡る深いな軋み音。明滅を繰り返す光球が、放たれるより早く剣士は動く。

 死の光線を恐れることなく、踏み込み前両足を薙ぎ払う。浅く切り裂き、僅かに前のめりとなったセルヴァの顎に切り上げられた躊躇いのない一撃。衝撃で顎がぶわりと跳ね上がる。切り刻んだ場所から緑の血液がシャワーのように降り注いでくる。人の血と同じ匂いを漂わせたそれを頭から被り、身体が緑に染まった。
 口内から発せられた光の閃光は巨大な砲撃となって空を打ち抜く。天空を漂っていた雲を霧散させ、消えていった。

 砲撃を外したセルヴァもまた必死だ。ギラリとねめつけるのは獅子の瞳。陸獣王は全く怯みもせず、前足を叩き付けてくる。
 キョウはその場から逃げず、逆に叩き付けてくる前足よりも一歩早く踏み込み、振り下ろされる前に斬撃を見舞う。その剣閃は―――あまりにも速く、ディーティニアでさえも半分までしか見切ることが出来ない。合計七度の剣閃が振り下ろそうとした前足を逆に、かちあげる。そして迫ってくる巨大な尾の鞭を、斬りおとす。

 足を、顔を、尻尾を―――セルヴァの攻撃全てをいなし、束の間獣の王の攻め手に迷った刹那の時。
 キョウは連続して剣撃を打ち込んでいく。必死に筋肉を硬質化させても、尾で防ごうとしても―――容赦なく叩き込まれる十数にも及ぶ斬撃は、セルヴァを切り刻み続けた。刀が振るわれるたびに、緑の血が舞っていく。超再生力がそれらを修復しようとするも、それを上回る速度の攻撃が矢継ぎ早に放たれるのだ。

「―――ギゥゥゥウウグウウウウウウオオオオアアアアアア!!」

 内臓まで届く咆哮。
 近距離から浴びたキョウの身体が、ぐらりと揺れる。それを見逃さずに、前足で蹴り上げた。
 だが、伝わってきたのは空気を打ち抜く感触だけだ。遥か後方へと地面を一蹴りで逃げ延びている。口をあけてそこから撃ち出された赤い舌が後を追う。
 横に飛んでやりすごすと、舌は数瞬前キョウがいた場所を抉り、大地を散乱させた。
 逃げたキョウを追尾して、迫り来る舌に向かって刀を一太刀。激しくぶつかり合う感覚を手に残し、セルヴァの舌の先を二つに割った。斬られた舌は空中で揺れ動く。痛みで制御が利かなくなったと判断し、駆ける。
 目的は真っ直ぐ前方。未だ舌の痛みに気をとられているセルヴァの眼前に飛び込み斬りかかった。
 横顔を打ち抜いた刀が、分厚い皮膚を切り裂き、大きく傷を入れる。

 着地と同時にさらに踏み込む。
 無防備となっている獣王の腹部。そこに向かって刀を四閃。放たれた斬撃は、セルヴァの腹を大きく断ち切る。
 横に飛び出して次いで脇腹に追撃。その衝撃に遂に耐え切れず、巨躯を側面の壁へと叩き付けるに至った。壁を破壊する音を残して、側面へと転がり倒れる。

「―――ごほっ」

 その時、キョウが咳き込む。
 どろっとした赤黒い血液が宙に散じた。
 それは全力を出す前に怪我をしていた影響であり、全力を出したときの代償だ。
 キョウの全力とは、人間の能力の限界を出し続けるということに等しい。当然、そんな状態が長く保てられる筈がない。
 人間の限界の速度を可能とする識剣領域とは、本来のキョウの全力を一時的に引き出すことだ。それはほんの短い時間でも身体に負担をかける。
 下手をしたら自滅してしまう可能性も高いがために、この状態で戦闘をしない大きな理由とも言えた。

 体勢を整え、セルヴァが吼える。
 交錯する剣閃。激突する魂。喰らいあう本能。

 互いの全てを賭けて、命を刻み会う剣鬼と陸獣王の争いは、誰も割って入れない。
 もはや―――彼らの瞳に映っているのは、両者同士だけなのだから。

 陸獣王とキョウ=スメラギの闘争。
 単純に見ている分には、押しているのは後者と言える。
 刀一本を手に握り―――五感、瞬発力、膂力、それら全てが人の枠組みを超えていた。
 また、彼が放つ剣閃に誰もが見惚れ、恐怖する。
 ただ速いだけではなく。ただ力任せなのではなく。ただ技術だけに頼っているのでもなく。
 刀を振るう全てが極限まで洗練されていた。我武者羅に剣を繰り出しているように見えて、それら剣閃は避けることは出来ず。防ぐことも出来ず。ただの一太刀が必殺の名を冠するに相応しい領域だった。

 限界を迎えつつある肉体でありながら、最高最速で放たれる刃が、セルヴァの前足を断ち、腹を裂く。しかし、獣の王は倒れない。どれだけ小さな傷を作ろうとも、獣の肉体が行う超再生によって傷が塞がっていく。
 呆れるしかない超回復力で己の肉体を癒していくセルヴァが顔を振る。音速で飛来した舌が、キョウの避けた身体を微かに掠めた。二つに引き裂いた舌の先端は、元通りに再生している。
 僅かでもセルヴァに打ち込む剣を休めれば、傷が瞬く間に修復してしまう。その一方で、キョウの体力は削られ、傷が積み重なっていく。押しているのはキョウではあるが、最後の勝敗がどうなるか、誰もが簡単に予想が出来る。

 キョウ=スメラギは勝利することは出来ない。

 この世界の誰もがそう考えてもおかしくはない。
 いや、そもそも陸獣王セルヴァに血を流させたこと自体が奇跡ともいえた。
 しかし、セルヴァは攻撃の手を緩めることを決してしない。三本の尾が牙を剥き、四肢が躍動し、舌が舞う。
 容赦のない連撃に、キョウは身体中の至るところに傷を負い、満身創痍となりながらも戦いを止めようとはしていなかった。どれだけの絶望を見せられても、体が動く限り剣を振るい続ける。目も眩むような眩い鋼鉄の意志がそこにはあった。

「―――陸獣王。お前は強い。例外(エレクシル)を除き、お前は俺の生涯で三番目に強かった」

 全身を傷だらけにしながら、肉体の限界に達しようとしていながら、キョウはそう言い放った。
 一際強い風が吹く。ばさりっと黒髪が揺れる。纏う黒の着物がはためいた。残された力は後僅か。恐らく次が全力を出せる最後の一合。だが―――それだけあれば十分だと覚悟を決める。

 両者ともどちらが先に仕掛けるか、牽制し合って拮抗状態が作り上げられた。
 幻想大陸でもっとも激しい闘争の空間だったこの場所は、今このとき一時の静寂に包まれている。
 そんな折に、近くにあった半壊した建物の瓦礫がゆっくりと地面に向かって落ちていく。ガシャンっと瓦礫が地面に転がって小さな音をたてた。
 その小さな音が極限まで凍りついていた時間を動かすには十分な切っ掛けとなる。

 大口を開けたセルヴァの喉元に光の珠が顕現し始めた。またレーザーを吐き出すのかと考え、間合いを詰めようと疾駆する。走り寄っていくに連れて感じる違和感。ぞっとした悪寒が背を冷やす。
 それを肯定するかのように、急激に収束していった光の閃光がキョウ目掛けて吐き出された。これまで放ってきた光線よりも遥かに小さい。数十センチ程度の光の奔流がキョウの眼の前に迫ってきた。

「―――っ!!」

 極限に高められた集中力が、無理矢理に身体を開かせる。
 真っ白な光線は、キョウの肩を掠めて焼く。ごっそりと焼き切られた肩が激しく痛むが、超高温のため傷口が焼き焦がされ出血は免れたらしい。不幸中の幸いに、剣士は一足飛びでセルヴァへと突撃する。
 前方から感じる風圧。一体幾度目になるのか、数えるのが億劫なほどに防いできた三本の尾が、押し潰さんと振り下ろされる。ガリっと歯軋りの音が自分の耳に聞こえ、全力を込めて三本の尾を激しく撃ち払った。
 猛り狂う獣王を、幾重にも重なる刀の剣閃で斬りつけながら、最後の一手となる機会を狙い続ける。

 ふっと呼吸が漏れた。
 これまでよりも更に速く、更に深く、更に重く。
 キョウの地面に踏み込む音がより一層高く轟いた。それはまるで落雷を思い描かせる重低音。
 瞬きも許さぬ刹那の一瞬、キョウの両手が霞む。そこに握られた刀は神速となる。

 獄炎の魔女でさえも、初太刀の段階で見切れもしない。聞こえた斬撃音は一つだけ。
 セルヴァの前足一つに赤い線が九本奔る。激痛に声をあげる間もなく―――ゴトリっと獣王の右前足が微塵と化す。足の半ばより切断され、四肢の一つが無くなったことにより体勢がぐらりとゆれた。

 だが―――それでもまだ足りない(・・・・)

 切断された面から黒い影が蔦のように這い出てくる。真っ黒で、どす黒い、闇色の前足を形作っていこうとしていた。怒りに吼えたセルヴァがその斬られた前足をキョウへと向けると、幾つもの黒い影が触手の如く、空気を裂きながら襲い掛かっていく。先は鋭く、避けたキョウの背後では地面を、半壊した建物を蹂躙して貫いていった。
 砂塵が舞い上がり、砂埃がたつ。小石が弾けとび、周囲は更地と化してゆく。

 その一瞬が勝負の分かれ目となった。
 セルヴァの視界が砂塵に覆われ、キョウの姿を見失う。
 三つの瞳を忙しなく動かして己が怨敵の姿を探し回る。眼だけではなく、聴覚にも神経を回す。どこからの攻撃にも対処できるように、毛を逆立たせてセルヴァが吼えた。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 質量を伴う魔獣の咆哮に、周囲を埋め尽くしていた砂塵は消え失せた。
 クリアになっていくセルヴァの世界。だが―――やはり、彼の怨敵は見当たらない。
 ギョロリと自分の周り三百六十度を見回すが、発見できない苛立ちに牙を剥き出しにする。

「―――お前を斬るぞ(・・・・・・)

 そして聞こえる、怨敵の囁き。
 どぽんっと底なしの沼に足を取られたと幻覚をセルヴァは視た。
 これまでを超える、果てしない冷気を感じる剣風が一陣。セルヴァの放つ圧倒的な邪気を一掃する清浄なる空気。
 濃厚な殺意も、どす黒い憎悪も。獣の王のあらゆる負の感情を断ち切る天風が吹く。

 鞘に納めた刀の柄に手をかけて、セルヴァの尾に捕まり跳ね上がる反動を利用して遥か上空へと飛び上がっていたキョウが、眼下に佇む巨躯へと下降する。
 チンっと静かな音がした。呼吸を短く、もはや言葉は必要ない。必要だった言霊は既に口に出したのだから―――。

 これ(・・)は、キョウの特異能力(アビリティ)
 ディーティニアの王位魔法をも切り裂き、第三級危険生物の高位巨人種(ティターン)ペルセフォネをも打倒した。
 挙句の果てには―――エレクシルにも死の香りを感じさせ、血を流させるに至った一撃だ。

 これは駄目だ、とセルヴァの本能が警鐘をあげ続ける。
 あの刀を抜かせたら本当に斬られる。本能が肉体を突き動かし、空中へ向かって三本の尾が飛翔した。それに続き舌が迎撃に向かう。そして、斬られた右前足からはえる触手もまた、怨敵を貫かんがために飛来した。
 セルヴァから放たれる嵐の如き攻撃は、それでも僅かに遅く―――。

 刀が抜かれる。
 音もなく、到底届かぬ距離からの一閃。
 その一撃は迫りきたあらゆる脅威を払い除け、斬り弾き、光の剣閃となって―――終焉を告げる。

 くるりと回転して、地面に着地。
 身体全身から力が抜けていく感覚。ごほっと咳き込むと予想通り吐血が地面を濡らしていく。
 四肢を襲う激痛。限界以上の筋肉を酷使した代償が訪れている。

 キッと視線を上にあげ、眼前に立つセルヴァを睨む。
 それを合図に、ずるりと獣の王の頭の半分が斜めに斬り別たれ―――地面に落ちた。
 バシャっとこれまでで一番激しい鮮血が飛び散った。三つ目の上から斜め下へ、口を通って顎まで。そこまでを一直線に断ち切った結果だ。セルヴァの巨大な脳髄が見えた。ピンク色に光っているそれも、半分だけだ。青白い骨や、筋肉がピクピクと弛緩している様を見て、キョウの顔に笑顔はない。

「―――化け物、め。まだ(・・)、か」

 キョウの言葉を肯定して、ギラリっと残された唯一の瞳に生気が戻る。
 激痛に苛悩ませられながら、それでもゆっくりと四肢を踏み出してきた。ずるりっと半分に断たれた顔の断面から、どす黒い影が滲み出る。

「ゴオオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 陸獣王は、このような状態でもなお闘争本能は消えていなかった。
 我が怨敵よ待っていろ、と。憤怒と憎悪を撒き散らす遠吠えをあげる。ビリビリっと激しい衝撃に吹き飛ばされそうになるのを必死になって堪えた。

「本当に、見事だ。獣の王。まさか、二度目を使うことになるとは―――」

 ごふっと三度咳き込んだ口から、多量の血が吐き出される。
 口の中は既に血の味しかしない。これは戦闘のあと本格的にまずいかもしれないと覚悟をする。
 死ぬよりは上等だと、口角を吊り上げて。


 喉元までせり上がってくる血塊。ゴクリと無理矢理飲み込みなおして、鞘に納めた刀の柄に手をかける。
 抜刀の体勢で構え、左の腰に差してある刀身に左手を這わせ、右手が柄元。左足を大きく後方へと引き、若干踵をあげて重心を前よりに。地面についた爪先は、痛いほどに地を捉えている。

 チャキ、と鍔鳴りの音がする。
 左手親指で鯉口を切った。

 そして―――。

「―――お前を、斬るぞ(・・・ ・・・)

 二度目の言霊の解放。初めてとなる連続使用に、バキッと身体中の骨が軋む。
 脇腹だけではなく、全身の至るところの骨が砕き、折れていた。筋肉の断裂も激しく、当分はまともに動くこともできないだろう。
 もはや戦うことは不可能な肉体の状態。

 だが―――。

 斬撃の音は無い。
 剣閃の軌跡も無い。
 斬光の色さえも無い。

 全てを終結させる、鍔鳴りのみがこの場にいた全員に聞こえた。


 キョウの前方に佇む超越存在。
 どれだけの傷を負おうとも再生を繰り返す怪物。
 あらゆる生物を喰らう暴食の魔獣。

 そのセルヴァの残された半分の頭部に一筋の亀裂が迸る。
 そこを起点としてずるりっと巨躯がずれる。二十メートルを超える巨体が、ずるずると左右に倒れてゆく。
 綺麗に別たれたセルヴァの肉体は左右対称の形で、地面に転がった。大地を埋め尽くす緑色の池―――いや、血の湖だ。

 しかし、ぞっと嫌な予感が背筋を襲う。
 一刀両断という言葉が相応しいこの状態でなお―――ぞわぞわっとセルヴァの斬られた断面から黒い靄が溢れ始める。
 なんという生命力か、と驚きつつも刀を鞘から抜刀。止めを刺そうと近寄ろうとして、刀が地面に落ちた。もはや握る握力さえなくなっている。意識した途端、足から力が抜け地面に片膝をつく。咳き込むたびに、吐血が続く。

「これが王位種の生命力、か」 

 呆れればいいのか、驚けばいいのか。
 それでもこの状態から回復されたらお手上げだ。
 なんとしても、再生を阻止せねばと立ち上がりかけたその時―――。


















「ああ、いいな。そなた。素晴らしい。とてつもなく興奮した。なんと見事な生き様だ。なんと美しい剣の冴えだ。なんと輝かしい魂の煌きだ」















 世界が凍った。
 そう表現するしかない、セルヴァをも遥かに圧倒する重圧が天から降り注ぐ。
 空気が軋む。痛いほどにギリギリと大気を圧縮していく。
 軋む空気は翠色を帯び、この場にいる人間全ての心臓を鷲掴みにする恐怖を伝えてきた。
 次元が異なる気配を撒き散らし、喋るだけであらゆる存在を地に平伏させる。

 太陽を巨大な影は遮る。遥か天空に現れたのは翼の生えた巨大な怪物。セルヴァには及ばずとも、その巨体は見るものを圧倒させるに足る。
 その怪物を見たディーティニアがぽつりと、呟いた。

 第二級危険生物―――高位竜種のムシュフシュ、と。

 だが、問題はそれではない。いや、高位竜種というだけで絶望するには十分な相手だ。
 それでも、メインとなるのはそれではない。ムシュフシュなど比べ物にならないほど巨大な気配を立ち昇らせて、怪物の背に佇む一つの人影。

 一種の神々しさを身体全体から発しながら、女性ははそこにいる。
 翠に輝く長髪を靡かせ。キョウに匹敵する長身で風を受け。ゆったりとした黒い着物を着こなし。翠に輝く瞳で地上を見下ろす。

「気に入った。そなた、気に入ったぞ。気狂い女神なぞには勿体無い。そなたは我のモノだ。我のためだけに生き続けろ。我のために生涯を尽くし続けろ。これは命令であり、決定事項だ。拒否は許さぬ」

 荒れ狂う狂気と狂喜を撒き散らし、狂った三日月のような笑みを浮かべて―――。





 第一級危険生物。生きた天災。竜種の王。暴風の女王。
 竜女王テンペスト・テンペシア―――ここに降臨す。





 

 

 
   
王位種との二連戦。
次回投稿はできれば速めにします。月曜日は遅くなるので微妙かもしれません。
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