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幻想大陸 作者:しるうぃっしゅ

二部 北大陸編

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十章   コーネル村



 キョウがその場から遥か前方に佇む一つ目の巨人へと疾駆する。
 その動きは、速い―――というしか他がない。少なくともミリアーナに、見切れたのは初速の段階までであった。瞬き一つ、気がついたときには既にキョウの姿はサイクロプスが手に届く間合いまで接近している。地面を蹴りつけた後には薄く砂塵が舞っていた。

 巨人達もまたキョウの動きについていけず、反応が遅れる。
 地を這うように低く、抜刀。巨人の開いた股下を潜り抜け、そのついでに両脚に抜いた刀身をなぞらせた。僅かな手応えもキョウの手元には残らず。

「ガギィィヤアァアアアアアアアアアアアア!!」

 嬲られ、喰われた村人達の悲鳴よりも、もっとおぞましい叫び声をあげて両脚を両断された巨人は、脚より上の胴体が後ろに倒れつつあった。ゆっくりと、崩れ落ちてきたソレに向かって刀を一太刀。
 地面に地響きを立てて崩れ落ちた瞬間には、既に頭と胴体は首を起点として別たれていた。

 じわりっと大地を濡らしていく青黒い血。人間とは違う色なんだな、とキョウは場違いな感想を抱く。
 瞬く間に二体の同族を屠られた最後のサイクロプスは、一歩後退する。だが、思いなおしたかのように拳を握り締め前に出た。そして、全力を振り絞ってキョウへと突撃を開始した。
 足を踏み出すたびに、巨大な疾走音が村中に響き渡る。これ以上ないほどに大きく見開かれた単眼は、ギラギラと血走っていた。

「グォォォォォォォォオオオオオオオオオオオ!!」

 それは最後に残された者の意地か。それともなけなしの蛮勇を出したのか。果たしてどちらだったのだろうか。それは決してわからない答えとなった。何故ならサイクロプスが行ったそれは、ただの無謀で終わることになったのだから。 

 巨人の振り上げた拳が、地面に立っているキョウへ目掛けて振り下ろされた。
 家をも容易く破壊する一撃がそのまま着弾。鈍い音と衝撃が村中に轟く。激しい砂埃が舞い上がり、視界を埋め尽くす。

 その光景を遠目で見ていたミリアーナは、悲鳴を噛み殺した。
 彼女の命を救ってくれた剣士は、今の一撃はどう見ても避けようとしていなかった。あの一撃を受けてしまったら幾らなんでも命はない。叩き潰されて、他の村人と同じ様になってしまう。
 慌てるミリアーナとは真逆に、彼女の傍に居るディーティニアは自分の腰をトントンと叩きながら欠伸をしていた。全く心配をしている様子が見られない。反射的に怒鳴りつけようとして―――ディーティニアがそんなミリアーナの先手を取る。

「心配する必要はないぞ、小娘。もう、終わった(・・・・)
「……え?」

 ディーティニアが杖を持ち上げ、先を向けた方角をつられて見る。
 その方角―――砂埃がおさまった杖の先。地面を叩きつけた状態で、一切動こうとしていないサイクロプスの姿があるだけだ。そこで違和感に気づく。一体いつまであの体勢のままでいるのか、と。
 ヒュウっと一陣の風がミリアーナの頬を撫でる。それを合図とするかのように、サイクロプスの巨躯がぐらりと揺れた。まず最初に地面に叩き付けた腕が半ばから切り落とされて地に落ちた。次いで、額から股下までに赤い線がはしる。細い線だったそれが原因となり、寸分の狂いもなく縦一直線に一刀両断。二つに斬り別たれた肉体は、時間差でぐらぐらと揺れて地に伏した。地に沈む悪魔の使い達。それらの死体を足元に、一人の剣士が立っている姿は、まるで絵画にも見える。

 ミリアーナは愕然と目の前の光景を見つめていた。
 数瞬前までは死の間際だったのだ。絶望に支配され、妹の無事だけを祈っていた。
 村人全てが殺され、村は滅亡するだけだった未来を、突如現れた剣士が変えてくれた。

 ぶるっと身体が震える。身体中が熱い。言いようのない感情が胸の奥で爆発する。 
 これが英雄の領域なのだと、ミリアーナは悟った。

 刀についた血を拭い、キョウは見学していたディーティニアのもとへと戻ってくる。
 息を全く乱さず、余裕は失われていない。サイクロプスと戦っていながら、この平常心。洗練された立ち振る舞い。歩く姿さえも魅入られる。
 キョウの歩く姿を静かに視線で追っているミリアーナとは異なり、ディーティニアは手をあげて一仕事を終えた彼に迎え入れた。

「お疲れじゃな、キョウ。相変わらずの剣の冴え。実に見事」
「ああ、本当に疲れた。まさかここ(・・)に着くまで十六日(・・・)かかるとは思っていなかったからな」
「ぅ……そ、それは悪いと思うておるわ!! し、しつこいぞ、お主!!」 
「あれだけ自信満々に先導しておいて、迷いに迷ってこの結果。しつこくなるのも仕方ないと思うが」
「く、くぅぅ……」

 反論できないディーティニアが、頬を膨らませてキョウを睨みつける。そんな見かけ幼女のディーティニアの姿を見て、ミリアーナは不覚にも、可愛いと思ってしまう。
 相手はエルフ。間違いなく自分より年上だと分かってはいるが、それでもミリアーナの考えを吹き飛ばす可愛さが今のディーティニアにはあった。

 多少辛辣にあたっているキョウにも理由があった。
 キョウとディーティニアが旅立ってはや十六日。本来ならば近場の村はおろか、ある程度発展している街にまで行ける日にちが流れている。しかし、キョウが言ったとおり二人はようやく森を抜け、一番近い村まで到着した所だったのだ。
 その理由は簡単で、森の案内はワシに任せろと自信満々に出口まで案内しようとしていたディーティニアが見事なまでに道に迷ったためだ。十日で森を抜け、草原を抜け、この村まで到着する予定だったが、それを大幅に超えてしまったのだ。特に困ったのが飲み水だ。食料は、途中の生き物を上手いこと捕まえて補給できたためなんとか飢えは凌げたのだが、飲み水まではそうはいかない。

 別にディーティニアも水属性の魔法も使用できるのだが、生憎とそれは飲料用ではない。
 一応飲めることは飲めるという話だが、腹を壊しても知らないとディーティニアに言われたため最終手段に取っておいたが、ギリギリの所で村に到着することが出来た。
 だが、ディーティニアが迷ったおかげでこの村の窮地を救うことが出来たというのも、なかなかに皮肉な話である。

 ディーティニアがぎゃーぎゃーと反論し、キョウは冷静に言い返す。
 暫く言い合いが続くと、人の声しか聞こえなくなったことに気がついたのか、家の中に隠れていた村人達が恐る恐る入り口から顔を出してくる。そして、三体のサイクロプスの死体を見てその場で固まってしまった。
 その一方で近くの家の扉がガタンと響き、中から小さな人影が飛び出してくる。

「お、お姉ちゃん!!」

 悲鳴にも似た叫び声。高い少女の声だった。
 声の発声者は可愛らしい少女だ。身長はディーティニアより少しばかり高い。髪の色はミリアーナと同じ青色で、腰近くまである長い髪がさらさらと揺れている。
 少女がミリアーナのことを姉と呼んだ通り、彼女はミリアーナの妹だ。姉のことが心配で我慢できずに、飛び出してきたのだろう。幾ら外が静かになったとはいえ、巨人の恐怖はそう簡単には消えず、体が震えているのが見て取れた。
 少女はミリアーナが無事なのがわかると泣きながら、体当たりをする勢いで抱きついてきた。ミリアーナは突然抱きつかれてたたらを踏むが、泣いている妹の頭をゆっくりと撫でながらもう一方の手で強く抱きしめる。
 感動の姉妹の再会をしている隣で、ディーティニアがキョウへと詰め寄っていた。

「お主は、ワシを労わろうという気持ちはないのか!? 出会った当時のお主に戻れ!!」
「素で良いと言ったのはディーテの方だったと思うが……」
「ぬ、ぬぅ。確かにそうは言ったけど……言ったけど!! なんか悔しいぞ!!」

 そんな光景を見ていた村人達はようやく安全ということを確信できたのか、家から出てきて遠巻きにキョウ達を囲むように円を組み窺う。
 確かにサイクロプスを倒してくれた村の恩人ではあるが、逆に言えばサイクロプス達以上の脅威ということだ。もしも、村に対して好からぬ感情を持っていれば、さらに凄惨な事件の引き金となり得る。単純な話、もしキョウが暴れたら取り押さえる術はない。
 ひそひそと村人達が話をしている。何を話しているかまでは聞こえないが、キョウが両手を空に向けて掲げた。敵意がない証を示した彼に対して、ざわっとざわめきが大きくなる。そこには安堵が大きく混じっているようだった。

「まずは話をしたいのですが、代表者はいらっしゃいますか?」

 キョウの問い掛けに水を打ったように静まり返る。
 あ、もしかして代表者喰われたのか……と冷や汗を流すが、人垣の中から一人の中年の男性が歩み出てきた。
 多少白髪が混じっているが、四十に届くかどうかの年齢の中年の男性が、少し警戒するようにゆっくりとキョウの前まで歩み出てくる。

「私が一応はこの村の纏め役を担っているものです。この度は、その……あなたの、いえ、貴方様のおかげで村は救われました。なんとお礼を申し上げれば―――」
「いえ、俺達にも目的があってのことです。それよりも、まずは先に遺体を埋葬してさしあげたいのですが、墓地はどちらに?」

 村長らしき中年の男の台詞を遮って、キョウは辺りに散らばっている死体の処理について口にした。
 それに周囲を囲んでいた皆が、あっと声をあげる。サイクロプスの襲撃に恐慌していたとはいえ、共に暮らしてきた隣人を無残な姿のままにしてはいられない。縁もゆかりもない、来訪者がそれを一番初めに提案したことに、この場に集まっていた村人全ての顔に悔恨が浮かび上がる。

 キョウとしては、特に死者に対して思うところはない。そもそもアナザーで人を斬った際には野ざらしが基本だった。そんなキョウが何故埋葬するといった言葉を口に出したのか。それは、相手へ対する印象を多少でも良くしようという考えからだ。
 村人からの視線には明らかに懐疑的な色が見受けられた。確かにキョウ達が訪れたタイミングは、村人達にとってはあまりにも良すぎる。狙ってやったのではないかと疑われても仕方ない。こんな劇的な救いの手が差し伸べられる筈がないと、考えるのは無理なかろう話だ。それを少しでも和らげるために、そのような提案をしたのだ。
 何せキョウとディーティニアは都合十六日の間野宿を続けて此処まできた。慣れているとはいえ、久々にきちんとした場所で寝たいと思うのは当然だ。今此処で下手をして、村から追い出されるわけには行かない。他にも食料や水の補給をするうえで、村人達の印象によっては随分と差が出てくると踏んだからだ。

 そこまで大きくない村ということもあってか、ほぼ全員が顔見知りであることが災いした。
 村に転がっている遺体を運ぶ上で、涙を流している者が殆どだ。その遺体の殆どが、原形をとどめていないものばかり。泣く者、怒る者、茫然とする者。様々な反応をしている村人達が、村はずれにある共同墓地へと埋葬する。
 皆で確認をとったところ、被害者は二十七名。サイクロプスにより蹂躙されたわりには、被害の少なさに安堵をする村人達だったが、それでも沈痛な表情で葬儀を終えた後各々の家へと帰っていく。

「それで、出来れば俺とディーテの二人も泊めていただきたいのですが……」
「ああ、そうですね。ええっと、でしたら―――」

 村長が周囲を見渡すが、残されていた村人達が眼をそらす。
 それもある意味仕方ない。得体の知れない二人組み、しかもサイクロプスを軽々と始末することができるほどの腕前だ。幾ら村の恩人とはいえ新たな脅威にならないとは言い難い。出来れば村には居て欲しくないというのが本音だろうが、もしかしたらまたサイクロプスによる襲撃がある可能性も捨てきれない。それを含めて命を救われた身としては、追い出すような真似もできない。ましてや自分の家に泊めようとする者など居るはずもない。
 見渡すこと数秒。誰もあてにできないと悟った村長は、仕方なく自分の家に招待しようと口を開きかけたが―――。 

「あ、あの!! わ、私の家で如何ですか?」

 それより早く、状況の推移を見守っていたミリアーナが割り込むように声をあげた。
 突然の第三者の介入に、その場にいた全員が彼女へと振り返る。突然皆から注目されて、少しだけ恥ずかしそうに俯く。

「ええっと、ミリアーナが良いと言うのなら、私達は構いませんが……」

 仮にも若い娘の家に、男性を泊めさせるというのも出来れば避けたいと考えているのだろうか。言葉では一応の賛成をしながら、誰か反対をしないか再び周囲を見渡した。
 しかしながら、ならば自分の家で引き受けるといった勇気ある者はおらず、沈黙が続く。

「では、お主のところで世話になるとしようかのぅ。なに、安心するとよい、村長殿。こやつが妙なことをせぬように、ワシがちゃんと見張っておる」
「は、はぁ……?」

 外見幼女と少女の間のディーティニアの年寄り臭い言葉に、村長が首を傾げつつあやふやな返事をする。
 ミリアーナはディーティニアのことをすぐさまエルフだと気がついたが、それは将来探求者になるための知識として知っていたからだ。一般人である村人にとっては、幾ら耳が尖っているとはいえディーティニアがエルフだとわからなくて当然のことである。
 そのため、実はこの場に居たほぼ全員からまだ年端もいかない幼女が無理に背伸びをしているようにしか見られていなかったという悲しい事実があった。
 反対意見も特に出ず、村長自身も自分の家に泊める決断が出来なかったため、ふぅっとため息を一つ吐く。

「それでは、ミリアーナ。客人を宜しく頼むぞ」
「はい!! 任せてください!!」

 力いっぱい頷くと、キョウとディーティニアの前に立ち、深々と頭を下げる。
 その横で彼女の妹もまた、姉に倣ってお辞儀をしていた。

「あの、本当に有難うございました!! 貴方様がいなかったら、私も妹も―――村の皆も皆殺しにされてました!!」
「あ、あの……お姉ちゃんを助けて頂いて、有難うございます」

 二人からの真っ直ぐな感謝の言葉に、キョウは戸惑いを微かに感じた。
 人を助けて感謝されることなど、一体どれくらいぶりか。外界(アナザー)では、恨まれ、憎悪されることしかなかったのだから。そうなる原因を作ったのはキョウなのだから、それは自業自得として受け入れているし、神殺しを果たすために他人など気にしている余裕もなかった。
 だからこそ、ここまで純粋な気持ちをぶつけられてしまっては、多少むず痒い。

「いや、もう少し早く来れれば被害をもう少し減らせられたと思う。それを考えると申し訳ない」
「いえ!! そんなことはないです。そんな贅沢なこと言えません」

 キョウの台詞に、凄い勢いでミリアーナは首を横振る。
 殺された村人達のことは残念だが、キョウのことを責めるつもりは一片たりともない。それがはっきりと分かるほどに、瞳をキラキラと輝かせていた。

「そうか。そう言って貰えるなら―――ああ、そうだ。名前を名乗っていなかったか。俺はキョウ。キョウ=スメラギ。しがない旅の剣士だ」
「おお、そうじゃったな。ワシはディーテ。こやつと旅を共にしておる魔法使いじゃよ」
「あ、すみません!! 私はミリアーナです。親しい人からはミリアと呼ばれています。それでこっちが―――」
「妹の、ミリスです」

 キョウがまだ自己紹介もしていなかったことを思い出し、それにディーティニアも続く。
 本来ならば先にしなければならなかったミリアーナも慌てながら名前を名乗り、彼女の妹も言葉少なくはあるが最後にミリスと口に出した。
 ミリアーナとは逆にミリスは確かに姉を助けて貰ったキョウへの感謝はあるようだが、他の村人達と同様にどこか脅えている様子がを身体から滲ませている。姉の手前必死で隠しているようだが、生憎とキョウとディーティニアには丸分かりである
。別段二人はそれを咎めるつもりもない。逆の立場だったならば、確かにそうなるだろうということは推測できたからだ。

「いつまでも立ち話ですのもあれですし、私達の家に案内しますね」
「うむうむ、今夜は宜しく頼むぞ」

 ディーティニアが満面の笑みを浮かべてミリアーナの後に続く。
 ミリスは姉の服を掴んだまま放そうとせず、並んであるいている。二、三歩後ろからキョウが三人の後姿を追う。といっても、元々ミリアーナ達の家はすぐ近くにあり、一分もかからずに到着してしまったのだが。

 扉を開けてミリアーナが二人の客人を招きいれる。
 キョウは家の中に入ると視線だけで、内部を見渡す。入ってすぐの場所は土間らしき場所だった。中央には木でできた丸テーブルが置かれており、その周囲に四脚の椅子が並べられている。ディーティニアが暮らしていた家にあったテーブルと椅子よりも随分と古いもののようで、あちらこちらが薄汚れていた。部屋の隅には炊事場があり、そこで料理ができるようになっているのだろう。幾つかの野菜とキョウの知らない食材が邪魔にならない位置に置かれている。
 人里はなれた最北端の危険地帯に住んでいたディーティニアは、何気に贅沢な生活をしていたのだなとこの家を見てキョウは気がついた。

「え、えっと……どうぞ座っていてください。何か飲み物をいれますね」

 お茶どこにしまったかな……そんな呟きをキョウは聞き取った。その呟きはあまりにも小さい独り言だったため、本人も意識しない一言だったのだろう。

「ああ、すまない。実は長旅をしてきたばかりなので、水をお願いできるかな」
「え? あ、はい。すぐに用意しますね」

 ミリアーナが探しものをやめ、炊事場の方へと向かった。ミリスもまた、キョウから逃げるように姉を手伝いに行く。
 椅子に座ったキョウの横にディーテも腰をおろし、意地悪い笑みを口元に浮かべ、準備をしている姉妹の様子を遠目で窺っていた。

「ふっふっふ。随分と脅えられておるではないか」
「みたいだが……苦戦した振りでもして倒せばよかったか?」
「いや、なに構わぬよ。そのような面倒なことをしても仕方あるまい。それに実際にそれほど気にしているわけではなかろう?」
外界(アナザー)では日常茶飯事だったからな。お前の言うとおり今更といったところだ」
「何時の時代も、異端の力を持つ者は怖れられるのが常じゃからな。そう言った意味ではあのミリアーナという小娘は少々不思議ではある」
「……そうだな」
「脅えも恐れも何もない。なかなかに興味深い小娘じゃな」
「同感だが……それより少しいいか?」
「ん? なんじゃ?」

 離れているとはいえ同じ部屋内。できるだけ相手に聞こえないようにと、ディーティニアが椅子をキョウのすぐ横へと移動させ、小さなからだを密着させるようにして小声で話し合っていたのだが―――。
 突如難しい顔をして、話を切り替えようとしたキョウへ、魔女が首を可愛らしく傾げる。
 そんなディーティニアへ向かって―――。

「言って良いのかどうかわからんが。なんだ、お前ちょっと汗臭いぞ」
「……」

 沈黙。
 突然のキョウの発言に、ディーティニアがフリーズした。首をかしげたままの状態で、表情が完全完璧に固まってしまっていた。離れているミリアーナがコポコポとコップに水を入れている音がやけに大きく響くほどの静寂が部屋中に満ちる。 

「な、な、な、なんじゃとぉぉぉぉぉおおお!? いきなり何を言うか!! 言うに事欠いてワシが汗臭いと、なんと失礼なやつじゃ!! も、もう一度しっかり嗅いでみよ!? ほのかに良い香りがするはずじゃろう!?」
「いや、やっぱり汗臭い。安心しろ……旅をしている以上仕方のないことだ」
「いやいやいやいやいやいや!! 何を安心しろと!? 訂正せよ!! いや、訂正してくれ!! 頼む、訂正するのじゃ!! ワシのような美少女が汗臭いなどあってはならぬことじゃぞぉ!?」

 凄い勢いで迫ってきたディーティニアから、ガタっと音をたてて椅子から立ち上がり少し距離を取る。
 それがあまりにもリアルすぎてぐさりっとディーティニアの心に見えない剣が突き刺さった。
 慌てて自分の胸元を引っ張り、そこから身体の匂いを嗅いでみる。自分の体臭というのは判り難いものだが、確かに僅かに汗の香りがした。

 だが、それは本来仕方のないことだ。
 キョウとディーティニアが旅立ってから十六日。水は節約しながら使わなければならないため、風呂にはいるなど到底不可能。身体を拭くのでさえも難しい。途中で見つけた川で一度水浴びができたとはいえ、既に十日以上も風呂に入っていないのだから、ある意味当然のことだ。

「ワ、ワシだけじゃなくて、お主だって汗臭かろう!!」

 我を忘れているのかキョウへと突撃。彼の腹へと激しくぶつかるとクンクンと匂いを嗅ぎまわる。まるで子犬のようなその姿。人の体臭を嗅ぎまわるなど、少し異常にも見えなくもないが。
 キョウの匂いを嗅ぎまわっていると、やはり汗の匂いがツンっと鼻腔をつく。男臭いとでもいうべきか、そんな匂いが漂っている。

「ほらほら!! お主だって汗臭いぞ!? ワシだけじゃないぞ!?」
「俺は男だしな。多少汗臭くても気にもならん」
「な、な、なんじゃとー!? それは卑怯じゃ!!」

 突然騒ぎ立てた二人を炊事場から目を丸くして見ている姉妹。ミリアーナの手には、お盆が一つ。コップに入った透明な水がなみなみと注がれている。
 あまりに悔しいディーティニアはバシバシとキョウの腹部を叩いていたが、はっと何かを思いついた顔で姉妹の方へと走り寄ってきた。

「の、のぅ、ミリアーナよ、頼みがある。一生の頼みじゃ。風呂に入らせてもらえぬだろうか」
「え、えっと……今すぐですか?」
「今すぐじゃ!!」
「水風呂になってしまいま―――」
「構わぬ!! 中でワシ自ら暖めてはいる!!」
「は、はぁ。でしたらこちらへ」

 お盆を妹のミリスに手渡すと、ミリアーナは騒ぎ立てるディーティニアを連れて部屋の奥へと姿を消していった。
 残されたのは固まっているミリスと椅子に改めて座りなおしたキョウ。
 暫くお盆を持ったまま立ち尽くしていたミリスだったが、自分のやるべきことを思い出してコップをテーブルへと並べていく。その手がぶるぶると震えていて、中に注がれていた水がピチャピチャ音をたてていたのだが、キョウは気がつかないふりをする。
 コップを置き終わった後、ミリスはキョウから一番離れた席へと座り、沈黙が続く。
 キョウもどう声をかけていいか分からず、二人の沈黙はミリアーナが戻ってくるまで続くのだった。 







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