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幻想大陸 作者:しるうぃっしゅ

五部 中央大陸編

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九十三章 アールマティ3




「―――っ」

 瞬時に作り出した影の短剣を二本、立ち上がったヤクシャに向けて投擲。
 その後を追ってアールマティが地をかける。間合いと歩幅、距離を計算して影の地面を這うようにして駆け抜ける姿は非常に見難い。

「おらぁぁぁぁっ!!」

 裂帛の気合とともに振り上げられた右拳が迫ってきた二本の短剣を軽々と弾きあげた。
 地面を駆け抜けるアールマティの姿を発見し、それに向かって崩れた体勢ながら蹴りを放とうと試みる。それより速く、影使いの両手が漆黒の地面を強く叩いた。衝撃が地面を伝って走り、その衝撃によって揺り起こされた黒い錐が天を突く勢いでせり上がる。

 避ける間もなく、黒い錐の波に飲まれてその巨躯は弾き飛ばされた。全身が軋む痛みにさらされながら、ヤクシャはより笑みを深くする。刹那の時間も惜しんで彼は立ち上がり、アールマティへと拳をむけた。心の奥底から湧き出る歓喜どうしようもないほどの餓えを満たしてくれる存在に、漸く出会えた。楽しくてたまらない。痛みすらも心地よい。

「まだまだ、いくぜぇぇぇっ!! 楽しませてやるよ、影使い!!」

 吼えるヤクシャとは反対に、アールマティの余裕は少しずつ削られていった。
 元々が、この状態は長期戦ができるようなものではなく、短期決戦用の最終兵器だ。尋常ではない体力と精神力を削っていく状況が続くなか、未だ一体の魔王すらしとめられていない。

 本格的にまずい、と考え始めたアールマティの眼前を通過する豪腕。まだまだありあまる体力を武器に、攻勢が激しさを増していく。
 暴風となっている近接地帯において、それでもなお踏み込み渾身の一撃を叩き込む。ヤクシャの重心を打ち砕く、この戦いにおいて最大の手応えが腕を伝ってきた。悪鬼の腹部を中心として骨格が幾つか砕け、それでもおさまらない衝撃が全身を伝播していく。

 たたらを踏んだヤクシャへと再度踏み込み、浮き上がっていた肉体を掴み、影の大地へと全力で叩き付けた。がはっと息が止まり、視界が揺れる中、ヤクシャは見た。アールマティの全身から発せられる尋常ではない圧力を。明らかにこれまでとは異なる攻撃。桁が違う破壊力を秘めた全身全霊の攻撃が解き放たれ、それがヤクシャを呑み込む―――。



「―――ようやく隙を見せたな。この一瞬を待っていた」

 
 寸前、背後からの土槍の強襲が、アールマティの腹部を貫いた。

「―――っ」
「……はっ?」

 致命傷に見えた傷ながら、間一髪で身体を捻ったのか、なんとか血を流しながらその場から転がり離れるアールマティと何が起こったのか理解できないヤクシャ。
 ぽたぽたと血が流れ、影の大地を染めていく。痛みに顔を歪ませながらも、アールマティは背後から奇襲を仕掛けてきたザリチュをきつく睨む。その視線を受けながら、渇望の悪魔は悪びれもせずに薄く笑う。

「悪く思うな。お前とはまともにやっては勝てん。故にこのような手段を取らせてもらった」
「くかかかかっ。さすがにヤクシャを相手どっていては、わしらに注意を払う余裕もなかろうて」

 空からの衝撃波が放たれ、小柄なアールマティの肉体をさらに吹き飛ばす。体勢を整える余裕もなく、彼女は地面に激突し、吐血する。宙を飛んだ祭に飛び散った鮮血があちらこちらに撒き散らされた。

 彼ら二体の魔王は最初からこのつもりであった。
 ヤクシャに全てをまかせるような発言も、アールマティの油断を誘うもの。自分たちは手を出さないと思わせるためのブラフ。戦う相手が凶悪なまでの強さを誇るヤクシャだからこそ、為しえた策。

「……おいっ」
「さてさて。冷や汗をかかされたのは何時振りか。厄介な小娘じゃて」
「……もしもあいつが人間ではなかったならと考えると末恐ろしいな」

 立ち上がる様子を見せないアールマティに、油断なく近づいていく二体の魔王。

「待てよ、テメェら!!」

 それをとめるのもまた魔王。
 ヤクシャは悪鬼というに相応しい形相で、前を行くパズズとザリチュに怒鳴り声をあげた。

「なにをしがやったっ!! なんで邪魔した!! 俺とそいつの戦いを!! ふざけんなよ、テメェら!!」

 怒り猛るヤクシャの怒号に、煩そうに眉をしかめるパズズ達。
 今にも掴みかかってきそうな雰囲気の悪鬼へ向き直ったのはパズズのみ。ザリチュは、地に転がっているアールマティへと地槍を見舞う。影の大地を抉りながら出現したそれの射線上から、ピクリとも動かなかった影使いは転がるようにして逃げ延びた。

 だが―――それすらも魔王の読み通り。
 逃げる方向を予測していたザリチュは、アールマティへと掌を向けて、ぐっと力強く握り締める。
 空間が歪み軋み音を鳴り響かせ、その死の予感から逃れるようにさらに退避を試みた彼女は一歩遅かった。

「―――あっ。ツッ!!」

 ぐちゃっと肉が潰れる音がする。
 急激に圧縮された空間が、アールマティの左腕を根元から飲み込み、削り取っていた。溢れ出る噴水のような鮮血。治療しなくては明らかに致命傷。
 激痛に唇を噛み締めながら、それでも悲鳴の一つもあげない彼女に、感心しながらもザリチュの手は止まらない。

 放たれる石礫がアールマティの肉体を強かに打ち据える。
 両の太腿を貫く鋭利な投石に、立っていられなくなった彼女は地面に這い蹲るようにして倒れた。そこでようやく、周囲一帯を支配していた黒い影は跡形もなく消失し、元いた世界へと戻される。この状態になって、パズズとザリチュの二体の魔王はついに安堵の息を漏らした。

「このっ、ぶっころされてぇのか、爺どもがっ!!」

 苛烈なヤクシャの怒声に、パズズは静かに首を振った。

「あのまま戦っていてもお主が勝ったのはわかっておる。じゃがな、万が一ということもある。あやつは強い。おぬしが負ければ、わしらの手には負えん」
「それがなんだってんだ!! そん時は潔く戦って死ね!! テメェらの勝手な都合で俺の戦いを邪魔してんじゃねぇぞ!!」
「おぬしとわしらでは前提条件が違う。わしらは生きねばならんのだ。我らが主がこの世に再臨するまでな。好き勝手に動くお主と一緒にせんでもらいたいな」

 興奮状態のヤクシャと宥める様子のパズズ。
 その二人を尻目に、ザリチュが動き出す。地面に倒れているアールマティへと接近すると、容赦のない蹴りを叩き込む。骨がひしゃげる音を残して、小柄な彼女の身体がさらに遠方へと飛ばされた。宙をとんだ影使いは遥か上空から受身をとることすらできずに仰向けに墜落する。凄まじい音と衝撃が周囲に響き渡った。

「……あっ……かふっ……」

 辛うじて息があるのか咳き込むが、喉から吐き出される血の量は尋常ではない。
 腹部からもとめどなく溢れ出る血は、既に致死量を超えていた。
 その光景に、救出に飛び出そうと試みたアルストロメリア達の前に出現する巨大な土の壁。魔力で練り固められた障壁に、それを破壊するのに膨大な時間がかかると悟った。

「しぶといな。まだ息があるか」

 既に虫の息だというのに容赦なく、油断なくアールマティを殺そうとするザリチュは神か悪魔か。
 生かしておけば必ず自分達を脅かす敵となる。それを理解している彼には何があっても影使いを殺すという意志があった。

「待ちやがれっ!! そいつを、そいつを殺すのは俺だっ!! テメェじゃねぇ!!」

 ヤクシャは、そんなザリチュを止めようと声を上げるが、目の前にはパズズがいる。
 どうあっても悪鬼を通さない覚悟を見せている彼に憎憎しげな視線をぶつけるが、その程度で怯むような相手ではなかった。
 もはやザリチュがアールマティを殺そうとするのをとめられるものはいなかった。人類も魔族も誰一人として、その行動を阻めるものがいなかった―――。


「……そこまでだ。悪いが、止めを刺すのは待ってもらおうか」


 ―――いないはずだった。

 ザリチュとアールマティの間に入ったのは、戦いを傍観していた魔眼の王。
 真紅の装束を風に靡かせて、突如としてデッドエンドアイが止めに入る。その行動に驚かないものはいなかった。人類側としても何故とめに入るのか理解不能であり、魔王達としてもその行動は完全に予想外である。何故ならば、ザリチュもパズズも邪神に仕えていた頃よりの知己である彼女が、人間ではありえない領域のアールマティを生かそうとする行動を取るとは思っていなかったからだ。

「……何の真似だ?」
「別にたいした理由じゃない。あの娘は致命傷を負っている。如何なる魔法をかけたとしても、命を拾うことは出来ない。わざわざ止めを刺す必要もない」
「甘いな。人のしぶとさを侮るな。万が一がある。奇跡がある。もしもそいつが一命をとりとめたらどうするつもりだ?」
「そんなことにはならんさ。それに、まぁ……オレの言った理由はただの建前だ」
「建前?」

 デッドエンドアイの発言に、思わずザリチュは聞き返す。

「ああ。単純にお前にアルマを殺されては困るというだけだ。あいつを殺すのはお前じゃない。お前如きであってたまるか」

 パチリっと、近づこうとしたザリチュの肌を焼く紫炎の光。
 下手をしなくても敵対行動と見られかねない彼女の姿に、流石に驚きを隠せない魔王達。あれほど猛っていたヤクシャすらも、デッドエンドアイの様子に目を見張る。

「……その女には守る価値があるということか? 俺たちと敵対してまでな」
「勿論だ。これ以上お前がアルマを傷つけようとするならば―――」




              ―――殺すぞ―――




 反射的にザリチュはその場から逃げ出した。
 脂汗が滲み、額から滴り落ちる。明確な死の予感に、身体がぶるりっと震えた。
 口にはだしていないながら、それでも雄弁に伝わってくる殺気に、心の臓を直接つかまれたかのような怖気を感じさせられた。

「安心しろ。この娘は死ぬ。それは絶対だ。だが、殺すのはお前じゃない。ただそれだけの話なだけだ」

 肩をすくめながら、今の今まで放出していた殺気を霧散させる。
 自分たちが知っているデッドエンドアイとは、絶対的に異なる違和感が浮き彫りになるなか、ずりっと地面を何かが這う音が木霊する。

 デッドエンドアイの後方にて、血塗れになっているアールマティが、ゆっくりとそれこそ毛虫の如き速度で魔王達から離れようと這っていく。自分と戦っていた彼女とは天と地の差が見られる光景に、ヤクシャは初めてとなる感情に襲われた。ザリチュやデッドエンドアイの言うとおりだ。あれは間違いなく死ぬ。どうあがいても助からない。確実にあと幾ばくかの時間で死に至る。それを再確認したヤクシャは、今にも叫びたくなる表現出来ない感情に胸を支配されていた。

 本当に少しずつ離れていくアールマティの姿に、それでもザリチュとパズズは安堵していた。
 恐らくはもう二、三分ももたないであろうことを、彼女の様子から確信したからだ。デッドエンドアイの行動だけは謎であったが、それは今更どうでもいいことである。

 デッドエンドアイは、離れてゆくアールマティから視線を空へと向けた。
 呪詛帯で顔を覆った彼女ではあったが、それでもその下の瞳が喜びで煌くのを実感していた。


「―――間に合ったか」

 一言。
 愛おし気に呟いたデッドエンドアイの呟きとともに強烈な突風が吹く。
 この場にいる全員の視界を塞ぐほどの強烈な風が通り過ぎた後―――そこに彼はいた。

 傷だらけで、血塗れの彼女を、地面に片膝を突きながら優しく胸に抱くキョウ=スメラギがそこにいた。
 瞬間、誰も彼もが動きをとめた。呼吸すら求めた。新しく現れたそれに関わってはならないと本能が、理性が、直感が痛いほどに告げてくる。

 そんな中、突如として感じた暖かな体温に、意識が朦朧としていたアールマティが目を見開く。そして皮肉気に笑った。

「……幻覚が、見えるって……もう、末期かな……」
「阿呆。幻覚なものか。本物に決まってるだろうが」

 アールマティの言葉を即座に否定したキョウに、驚きも束の間―――そっか、と短く嬉しそうに力なく身体を寄せる。彼女の身体の冷たさに、唇を噛み締めた。流れ出た血、致命傷となっている全身の傷。長い間死を齎してきたキョウ故にわかった。もはや彼女を助ける術はない。アールマティ=デゲーデンハイドはここで死ぬ。

「……良かった。本当に、良かった……あたしって……運が良いのかも、ね」

 何が運がいいものか、と反射的に喉まででかかったそれをキョウが押さえる。それを悟っているのか、アールマティは儚げに笑っていた。

「だってさ……あんたが、ここにいる。あたしと……あんたの約束を……これなら、守れるよ」

 約束とはいったい何なのか。
 完全に観客となっている魔王も人類も置き去りに、二人の舞台は続いていく。

「……あんたを、殺すのはあたし、じゃないと嫌だ。そして……あたしを、殺すのは……あんたじゃないと嫌だ」

 それは約束であり、盟約。
 遥か過去に結んだ二人だけの契約。

「……いやだよ、キョウ。あたしが、あんなやつらに……殺されるなんて……死ぬなら、あんたの手がいい」

 それは懇願。
 甘く囁くように、夜のベッドの上で語られる睦言のように。

「キョウ……お願いだよ、キョウ……お願いだから……」



           ―――あたしを殺して――― 




 シンっと静まり返るこの場で、その小さな声は誰の耳にも聞こえるほどに大きく響いた。
 アールマティの懇願に、キョウは一度深く息をつく。もはや命の灯火が消えそうなのか、抱きかかえている彼女の肉体は小刻みに震えている。
 いや、そこで勘違いを悟った。震えていたのは自分の手。これから為さねばならぬことを理解して、心が微かな弱音を吐いていた。多くの人間を斬ってきた。多くの人外のものを斬って来た。そんな自分が、たった一人の人間を斬ろうとすることに恐れを抱くなど、滑稽なものだと天を仰いだ。

 殺す。死ぬ。あのアールマティが。昔から多くの死地を制覇し、危機を乗り越え、死線を潜り抜けてきた数少ないと友が。ここで終わりを告げるのだ。それが悔しくない筈がない。悲しくない筈がない。だが、その友が望んだことだ。願っていることだ。ならば、弱い心はここにおいて行け。アールマティとともに埋めてゆけ。

「……アルマ」
「……う、ん?」
「……お前は俺の最高の友だった。お前に最高の感謝を」
「―――っ」

 アールマティが嬉しそうに、あはっと可憐な笑みを浮かべたと同時に、彼女の胸を一本の刀が音も抵抗もなく貫いた。心臓を間違いなく通過した感触を手に、キョウは小狐丸を引き抜くと、力強く影使いの肉体を力一杯抱きしめた。キョウに抱きしめられる心地よさに、アールマティは至福の心地であった。
 自分を抱きしめているのがキョウであること。自分を殺してくれたのがキョウであること。それにかつてない幸福感に包まれる。それが何なのか。キョウに抱きしめられることによって押し寄せるこの気持ちは何なのか。それに遅ればせながらようやく彼女は気づいた。

「……ああ、馬鹿、だなぁ……あたしは、馬鹿だなぁ……こんな、簡単な事に……最後の最後まで……気付かなかったんだから……」

 こふっと真っ赤に染まる血を吐き出しながら、アールマティは訥々と語る。どこか切なげに、どこか悲しげに。涙を流しながら彼女は静かに言葉を紡ぐ。

「キョウ……キョウ……あたしは、あたしは……ねぇ、キョウ……知ってた? 知らなかった? あたしはさぁ……あんたのことが」

 好きだ。好きだよ。あんたが大好きだ。愛してる。愛してるよ。誰よりもあんたのことが愛おしいんだ。きっと出会ったその時からあたしはお前に恋してた。そして何時からかあんたを愛していた。

 振り絞るようにして語るアールマティを止めるように、今度は先程の比ではない量の吐血をしながらも震える右手を少しずつ掲げていく。
 ぶるぶると細かく震える右手が徐々にあがっていき、十秒近くの時を経てようやく目的の場所へとたどり着いた。それは即ち、キョウの頬へと。愛おしげに優しく撫でるアールマティを見るキョウの目にはどこかやるせなさが宿っていた。

 両者の視線がどれほど絡み合っていただろうか。まるで時を止めたかのような神聖ささえ感じさせる空間を作り出した二人の殺戮者は、それ以上口にださなくても理解出来ているとでもいうのか、互いに見つめあったままだ。
 アールマティから流れ出た血が広がっていく。それはさながら血の池、いや血の海のように見える。その光景が、彼女の残された命の灯を表しているようで、キョウは唇を噛み締めた。
 そんなキョウの姿を見て、意識も朦朧としているアールマティの感じた想いはただ一つ―――表現できないほどの喜びであった。あのキョウが。あの剣魔が、自分の為にこのような表情を見せてくれている。それが嬉しくないはずがない。

 ―――幸、せ。って、こんな気持ちなの……かなぁ。

 クスリ、ともすれば聖母にも見える慈愛の笑みを最後にアールマティの意識は急速に闇へと沈んでいく。このまま意識を失えばもう二度と目覚める事はない。それを自覚しながらも彼女はこれ以上の抵抗をすることができなかった。それほどまでに影使いは限界を迎えていたのだ。

 だが、その瞬間―――まるで天啓のように、それ(・・)はきた。


 それが当然だったかのように。それが必然だったかのように。
 アールマティは、彼女はそれを思い出した。水中から浮かび上がり始める泡沫が如く。次々と、次々と、彼女が知らない記憶を呼び起こし、記憶の泡が割れてゆく。

―――い、や? あたしは……知っている?

 外見が自分に瓜二つの少女が……両の瞳を真紅に染め上げた人外の気配を放つそれが、黒衣はためかせるキョウのすぐそばに佇んでいる。時には寄り添い、時には彼と敵対するものを塵芥も残さずに消滅させ、時には彼とともに静かに過ごす。ここではない、どこか。今ではないいつか。遥かなる過日におけるそのひと時は―――なんと羨ましくも、甘美で、魅力的なものであった。
 それを証明するように、記憶の中の自分は笑っている。喜んでいる。親近感を抱き、尊敬を向ける。時には嫉妬し、それ以上に恋心と愛しさを隠そうともしていない。

―――これは、誰? いや……もうわかって……る。あれは(・・・)あたしだ(・・・)

 死の淵にたっているからこそわかることもある。そんな状態だからこそ、思いだせることがある。混沌(・・)によって滅茶苦茶にされた全て。それを思い出せるその時は―――どうしようもないほどに後戻りが出来なくなったこの瞬間。即ち、確定された死。それがアールマティにとっては、解かれる事のない封印が解放される鍵であった。
 そして納得してしまった。何故、こうなったのか。こうなる事が出来たのか。この終焉を迎える事が出来たのか。魔眼の王が、同じ魔王と敵対しかけてまで自分を護ろうとしていたのか。それの解答を至極簡単にえる事が出来た。だからこそ―――アールマティは、デッドエンドアイに心の中でこれ以上ない感謝を送った。やっぱりあんたはあたしの最高の友達だった―――と。

「……そう、か。そう……なんだ。あたし、は……この想いは……ずっと感じて……いた、この気持ちは……」

 アールマティがキョウへと抱いていた気持ち。それは彼女がアールマティ=デゲーデンハイドとして生きてきた人生だけではなく、もっと長くに渡って育ててきていた大切な感情であった。
 それをはっきりと理解した彼女は―――優しく、優しく微笑んだ。血に濡れ、傷だらけのアールマティはそれでも美しく、可愛らしかった。今の彼女はキョウが知る限り、出会ってから今このときまでのどの彼女よりも魅力に溢れていた。

「……ねぇ……キョウ」
「―――なん、だ?」

 もはや苦しみすら感じていないのかもしれない。そんな予感に喉を震わせて、キョウが聞き返す。
 耳が聞こえているのか、理解できているのか不明だが、それでもアールマティは言葉を続ける。先程は口には出さなかった想い―――それは死ぬ間際ということもあり、それを告げればキョウへ対する負担になるのではないかと思ったからだ。だが、それでも伝えたくなってしまった。それは思い出してしまったからだ―――そう、全てを。

「……あたしはさぁ……あんたのことを……」

 そこでアールマティは、言葉をとめた。
 そして最後の力を振り絞り―――キョウの頬にあてていた手を後ろへと回し力を込め、自分を抱きかかえ見下ろしているキョウへと、静かに口付けた。
 若干の驚きを表情に出すかつての相棒に十分すぎる満足感を覚えたものの、その行為でアールマティは残された全てを使い果たした。十秒近い口付けが終わるとアールマティは蕩けるような笑顔を向け―――キョウにだけ聞こえるように囁いた。

 それを切っ掛けとして、アールマティの瞳から命の光が消え去る。キョウへと伸ばされていた手は力をなくし、ゆらりっと地に落ちた。人類史上最悪の暗殺者とも恐れられた女性。七つの人災として名を馳せた影使い。そんな彼女は今ここにて終焉を迎えた。多くの人間から疎まれ、憎まれた彼女ではあったが、その最後は満足行くものであったに違いない。誰もがそれを否定できないのは、アールマティの最後の表情を見れば明らかであった。

 アールマティが最後に残した言葉。
 それを聞き取ることが出来たのはただ一人。
 彼女と長くを過ごした、七つの人災―――キョウ=スメラギだけであった。

 風が吹く。強い強い一陣の風。
 それが、耳に残るアールマティの最後の言葉を思い出させる。
 彼女は、最後にこう言った。悲しさなど微塵も乗せず。まるで暫しの別れを告げるかのように。



生まれる前から(・・・・・・・)……愛していたよ(・・・・・・)


 ―――と。

 それがアールマティが残した最後の言葉。キョウに捧げた遺言。
 どこまでも一途に剣魔へと向けたこの上ない愛情であった。
 それを証明するかのように―――。










 二人の最後の口付けは―――初めての時と同じ、血の味がした。  










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