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幻想大陸 作者:しるうぃっしゅ

二部 北大陸編

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九章   巨人種


 幻想大陸と呼ばれる四方を死の霧に包まれた世界。
 その世界に五つある大陸のうちの一つ。北大陸のとある辺境の村に生まれた少女は、【英雄】に憧れた。
 きっかけとしては単純でありきたりなことだった。辺境故に娯楽も少ない少女の家に一冊だけあった絵本。そこに描かれた物語。
 内容としてはお粗末な、女神エレクシルの力を授かった使徒と呼ばれる英雄が中央大陸へと攻め入った魔王の一人を、命を賭して退けるというもの。実際に何百年も昔にあった話だ。
 しかし、何も無い村に生まれ育った少女にとって、それは夢物語であり、憧れを抱くには十分な内容だった。

 六つ年上の兄もまた、その絵本を読んで育ち、英雄に憧れて剣を振るった。
 少女もそんな兄と共に剣を学び、育っていく。農作業の合間を見つけては、二人は一緒に剣の腕を磨きあった。どれだけ他の村人から馬鹿にされても、諦めることをせず高みを目指し続けた。

 やがて兄が十六歳になった年―――彼は一人で、村を出た。
 一流の探求者になって妹を迎えに来ると約束して。彼女はその約束を守り続け、一人剣を振るう。
 いずれ兄が迎えに来た時に、彼とともに戦えるように。英雄を目指し、修練を続けた。

 我武者羅に剣を学び続け、年月は流れる。兄が村を出てから七年。
 少女は十七歳になった。成長した少女は、辺境の村にいる村娘とは思えないほどに美しく成長した。空のように青い髪。灰色がかった黒い瞳。整った容姿の少女は、多くの村人から求婚されたが、誰からも受けることは無かった。彼女には明確な目標があったのだから。そんな彼女は剣の腕にも自信を持ち、兄と会った時には決して恥ずかしくない自分を見せれると確信していたのだが―――結局、そんな生半可な腕は、絶対の脅威の前では何の役にも立たないことを、この日悟った。


















「ギィィャァァアアアアアアアアアアア!!」
「や、やめ―――」
「い、ヒギィィィィィィィィィイイイイイ!!」

 耳を塞ぎたくなる悲鳴が木霊する。
 バキバキと骨が砕き折れる嫌な音が周囲に響く。
 ぐちゃりという肉が潰れた音が轟いた。
 ニチャニチャと、ナニかを咀嚼する下品な噛み音が耳を打つ。

 少女―――ミリアーナは、自分の家の一番奥の部屋の隅に三歳下の妹を抱きかかえて蹲っていた。
 ガチガチと妹が震えている。泣き出すのを必死で堪えながら、それでも涙を流しつつ、悲鳴を噛み殺している。震えているのは妹だけではなかった。長い間剣の鍛錬を積んできたミリアーナも、妹と一緒で全身を震わせながら泣いている。

 声をあげては駄目だと理解しながら、気を抜くと悲鳴をあげそうになっている自分がいるのに気づく。
 目が眩むような恐怖。抗えない絶望。近い自分の未来は、真っ黒に塗りつぶされている。

「いやだいやだいやだいやだいや―――」
「た、助けて!! 助けて!! なぁ、誰かたすけ―――」

 新たな二人の悲鳴。それも途中で途絶える。
 地響きと一緒にくちゃっと音がした。それが、悲鳴を途絶えさせた原因なのだろう。
 思考もまともに出来ない頭。震えだけは決して止まらない。

 人間に近い、だが人間とは異なる笑い声が聞こえてくる。
 命を侮辱する、陵辱する悪魔達の嘲笑だった。既に何人が死んだのか。何十人が喰われたのか。
 何故こんなことになってしまったのか、わからない。
 何時もと同じ朝だったのだ。それが突如として、地獄へと変貌した。

 コーネル村と呼ばれるこの場所は、人口数百人程度の小さな村だ。
 巨大な森の入り口近くを切り開き、自然を残しつつ小さな家を建てて生活している。畑は村の外側につくり、狂暴な獣が少ない森の奥へと獲物を狩りに行く。何故森の中に村を作ったのか。それは簡単な話で、この場所が北大陸でも北の方に存在している村だからだ。
 竜園から飛び立った竜種による被害をなくすために、平地に作るよりは少なくなるだろうと考案され作られた。
 それは功を結び、たいした被害も無く村は存続してきた。

 そんな今日、昼過ぎにそれら(・・・)はやってきた。
 おぞましい血の匂いを撒き散らし、飢えた狂暴な眼を輝かせ、どこからともなく姿を見せたのだ。

 木の幹を超える太さの四肢を持ち、青黒い肌。僅かな布切れで身体を隠し、張り詰めんばかりの筋肉を躍動させる。大人の男性が子供にしか見えない体長。六メートル超という、人の数倍の体躯。額から生える一本角。巨大な単眼で、異様な圧迫感を滲ませる。口は冗談にしか思えないほどに開いている。いや、開いていると言うべきなのか。頭部が横に両断されたのではないかと勘違いを起こすほどに、耳元まで口が裂けていた。口から見えるのは鋭く長い歯、いや牙だ。

 眼を疑うような化け物が三匹。
 歩くたびに地面を揺らす。そんな怪物が、西の彼方からゆっくりと歩いてきていたのだ。
 畑を耕していた男達は最初は幻かと思っていた。だが、近づいてくるにつれ、それは現実だと気づき慌てて逃げ出した。逃げ出した男達を逃す筈も無く、巨人はあっと言う間に彼らに追いつくと軽々と捻り殺し―――それらを喰った。

 それを見ていた村人達は、蜘蛛の子を散らすように我先にと悲鳴をあげながら自分の家へと閉じこもった。
 剣に自信を持っていたミリアーナも例外ではない。彼女は第十級危険生物なら、仕留めることはできていた。十七歳という年齢。師もいない身でありながら、そこまでの腕前になるのは相当の努力をした証だ。
 そんな彼女だからこそ(・・・・・)、わかってしまった。アレには絶対に勝つことは出来ない、と。どんな奇跡が起きたとしても、勝利を拾うことは不可能だと。

 ミリアーナの努力を一笑にふす、あまりにも隔絶とした怪物を前にして、彼女も他の村人と同じ様に妹を連れて逃げ出したのだ。それを非難することはできない。何故ならば、この村に現れた怪物達は―――サイクロプス。第七級危険生物の下位巨人種に属する化け物だったのだから。


 そもそも危険生物のランクは、一つ違うだけでも強さが劇的に変わる。
 第十級危険生物さえも、一般人では到底勝ち得ない怪物だ。一番弱いと考えられるゴブリンでさえも、修練をつんでいない人間の大人よりも優れた戦闘力を誇る。ましてや、相手は人を殺すことをなんとも思っていない怪物だ。揺ぎ無い殺意だけを秘めて人を殺しにかかる。生物を殺したことが無い一般人では、その殺意に飲まれてまともに戦うことすら出来ない。
 それ故に、ある程度の訓練を積んだ者でなければ危険生物を打倒することは為しえない。

 第九級危険生物のオークに至っては、初心者程度の探求者では勝ち目もない。
 それなりに経験をつみ、油断もせず、武器防具をそろえて戦いを挑まねばならないくらいだ。
 オークを倒すことが出来るかどうか。それが探求者として大成できるかの大きな境目となる。

 第八級ともなれば、既にベテランの域。いや、一人で相手をできる人間など極僅か。多くの探求者がパーティーを組み、連携して当たらねばならないほどだ。人が単騎で戦える限界がここであるとされている。油断すれば即死。常に命を賭けることになる敵なのは間違いない。

 第八級でもそれなのだ。第七級に属する怪物が一体どれほどのものなのか想像は容易いだろう。

 ミリアーナとて英雄を目指している剣士。そのため彼女は常に考えていた。上位の危険生物と相対したときどう戦うべきなのか。どう戦えば勝利することができるだろうかと。何年も考えていたそれは―――何の役にも立たなかった。

 思考を押し潰す桁違いの畏怖。
 気配だけで身体が動かなくなる圧倒的な強者。
 戦う(・・)という選択肢そのものを選ぶことが出来ない。脳が、逃避という選択肢を強制的に執行する。

 狂った暴力が村中を駆け回る。巨人達が家を破壊し、隠れている村人を引き摺りだし、玩具のように潰し、喰らう。
 悲鳴が途絶えたと思ったら、再び悲鳴があがる。そんなことが延々と続く。
 そのどれもが見知った人間のモノだと気づいていながら、ミリアーナはこの場から動けない。

 しかし、運命は非常だ。ズシンズシンと激しい足音がミリアーナ達が隠れている家の傍に寄ってくる。
 吐き気がする圧迫感が、家を挟んですぐそこに現れた。歯がガチガチと噛み合わさる。
 見逃してと何度心の中で叫んだか。それでも、祈りは天に届かない。
 ミシリと家の屋根が軋みをあげた。サイクロプスは遊んでいるのか、一撃で破壊できるはずがそうはしない。まるで恐怖を誘うかのように、軽く屋根を殴っている。

 助かる方法はもはやない。
 どうしようもないほどの、絶望。逃げ道が無くなったこんな時に人はどう動くか、別れている。
 立ち向かうか。立ち止まるか。それとも逃げ出すか。

 ミリアーナは逃げ出したかった。だが、それは選ぶことが出来ない。
 胸の中にいる妹が、彼女の心の最後の防波堤となっていたのだから。

 ぎゅっと力いっぱい抱きしめる。恐らくはもうこれで最後となるであろう妹の温もりを感じた。
 脅えた妹を離し、決して物音を立てないように言い含める。そして、床に転がっていた刃渡り数十センチ程度のショートソードを手に取った。恐怖の震えはおさまっていない、こんな様では剣はまともにふれないことは理解できている。
 だが、それでもミリアーナは家から飛び出した。勢いよく家から駆け出ると、横手で家を破壊しようとしているサイクロプス目掛けて立ち向かった。この一瞬が、勝敗を分ける全て。まともに戦っては勝ち目などあるはずもない。だからこその奇襲。その攻勢に全てをかけてミリアーナは剣を握る。

 だが―――。

「グヒィ?」

 ぎょろりっと狂暴な単眼で一睨み。
 家の屋根に最後の一撃を加えようとしていたサイクロプスが、飛び出してきたミリアーナを見つけ、見下ろした。
 それで、心が折れた。それだけで、音をたてて振り絞った勇気は跡形も無く崩れ去る。
 目の前にしてはっきりと理解できる、生物としての格の違い。絶対的な差が、向かい合っただけであらゆる勝利への道筋を粉砕した。

「あががっがっがが―――」

 みちゃりっと少し遠くで新たな苦悶があがった。
 揺れて視界定まらない、ミリアーナの見た先。村人が別のサイクロプスに握り締められ、言葉にならない呻き声をあげている。泡をふき、意識も朦朧としているその男の右手に噛み付く。鋭い牙は何の抵抗もなく、右手を根元から食いちぎった。勢いよくあふれでる血液。

「あ、あぎぎゃぁぁあああああああああ!!」

 恐怖と痛みで意識が朦朧としていた男は、食いちぎられた痛みで意識を取り戻す。
 全身を襲う激痛。涙と鼻水を流しながら身体をばたつかせる。しかし、その抵抗には何の意味も無い。
 そんな男を嘲笑うかのように、左手を食いちぎる。そして、下卑た笑みを浮かべたまま、男を握った手を振りかぶり放り投げた。それはまさに銃から放たれた弾丸。数十メートル先の木造の家のドアに直撃、破壊して内部に転がっていく。
 その家から聞こえる悲鳴。その悲鳴を聞き取った他のサイクロプスがそこに向かって足を向ける。

 よく見てみれば、村に転がっているまともな姿の死体がない。
 全身を喰われた者もいるかもしれないが、その多くが身体の一部分を齧られた程度。後は圧倒的な力で捻り殺されている。つまり、サイクロプスにとって人間の捕食が本来の目的ではないのだろう。あくまで味見であって、人間がそこにいる。だから潰して遊ぼう。そんな感覚で暴れまわっているのだ。

 許せない。ミリアーナはそう思う。
 こんな悲劇が許されてたまるものか。

 怒りが恐怖を塗りつぶす。震えていたショートソードを握る手が止まる。
 前方でミリアーナを睨んできているサイクロプスにふつふつと沸き起こる殺意。

「うぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!」

 腹のそこから叫び声を上げる。
 己を鼓舞するように、村中に響く咆哮。歯を食いしばる。両脚に力をこめ、大地を駆けた。
 僅かな迷いも無く、恐れも無く、ミリアーナはサイクロプスに立ち向かった。

 サイクロプスが、自分に突撃してくる人間の少女を見て驚いたのは至極当然のことだったろう。
 逃げ惑うだけの人間が脅えて隠れているだけの人間が、まさか立ち向かってくるとは夢にも思っていなかったはずだ。
 そんな驚きが巨人の動きを一瞬とはいえ止めてしまったのは、ミリアーナにとって最大の幸運だった。

 これまでで最速となる踏み込み。
 力強く踏み込んだ足が地面を削る。両手にこれ以上ないほどに力を込める。
 巨人の右足横からの一撃。足を両断するための、最大の斬撃を見舞う。
 驚き固まっていたサイクロプスは全くそれには反応できず―――。

 吸い込まれるようにミリアーナのショートソードはサイクロプスに叩き込まれた。






 パキィン。

 聞こえるのはそんな音。
 何か(・・)が、砕きへし折れる。
 何が起きたのかわからず、呆然とするミリアーナ。
 サイクロプスを斬ったはずの両手に握られているのは―――根元から折れている(・・・・・)ショートソードだった。

 彼女の目の前で、彼方へと折れて飛んだ刃がくるくると回転し、地面に転がっていく。
 思考が止まる。乗り越えたはずの絶望が、恐怖が、あっさりと彼女の心を新たに侵食していった。
 何だ、何が起きた。どうして剣が折れている。纏まらない思考。震える肉体。押し寄せてくる圧迫感。

「ゲヒャッヒャ」 

 はっと頭上で聞こえた笑い声で我を取り戻す。
 慌ててその場から逃げ出そうと後ろに跳ぶ。だが、身体は心についてきてくれなかった。
 ガクンっと両膝が笑い、その場で尻餅をつくように座り込む。立ち上がろうとしても、力が全く入らない。
 長年剣を振り続けてきたミリアーナの肉体が認めてしまったのだ。もはやどう足掻こうとも、結末は変わらないと。あるのは遊ばれて殺されるか、喰われて死ぬか。それだけの違いだ。 

 いきがよかった獲物が、すぐに大人しくなったことに不満を持つサイクロプスだったが、地面に尻餅をついているミリアーナを片手で掴んで持ち上げた。
 ミシミシと彼女の骨が軋む。かはっと呼吸が止まる。眩暈がしてくるような重圧。気を抜けば、意識をすぐにでも手放せそうなほどだ。いや、意識を手放したほうが幸せなのかもしれない。
 巨人にとっては、たいして力をいれているつもりはない。遊び半分で握っているだけだ。玩具を扱うように、軽く力を込めている。しかし、それだけでも人間にとっては十分な脅威となる。

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。
 間違いなく死ぬ。確実に死ぬ。
 ミリアーナの死は、決められた定めだったかのように、ここに舞い降りるのだ。

 持ち上げられ、地上数メートルの場所でサイクロプスによって握り締められている。  
 巨大な単眼と視線があう。無様にも助けを呼ぶ声をあげたくなるのを、必死で堪えた。ここで声をあげてしまったら、妹に聞こえてしまう。優しいが芯のある娘だ。もしかしたら、自分を心配して飛び出してくるかもしれない。ミリアーナに注意を集め、家の中にいたのは自分だけだと相手に錯覚させるために戦ったのだ。
 妹を守るために命をかけた。サイクロプスには僅かな傷もつけれなかったが、それでもほんの少しだけ、英雄に近づけたようでミリアーナは自分に誇りを持てた。

 ぐぱっと広がる巨人の口。ぬらぬらと唾液で照り輝く牙。
 血に濡れ、ところどころに肉片が見える。唇を噛みながら、迫りくる絶望を耐え忍ぶ。

 ―――ごめん、お兄ちゃん。約束、守れなかったよ。

 七年前に別れた兄に決して届かない謝罪を送る。
 恐怖に負けて眼をつぶった。見ないでも後数秒後には絶望がやってくる。どれだけ痛くても、叫び声だけはあげないでやろう。それが彼女に残された、唯一できる抵抗だった。

 眼をつぶった暗闇の世界。
 だがいつまでたっても激痛はやってこない。
 もしかして気がつかない間に死んだのかとも思ったが、それにしては変だとミリアーナは思った。

 あれだけうるさく聞こえていた巨人達の下卑た笑い声がピタリと止まっていたからだ。
 目の前にあったサイクロプスの口から吹きかかる生臭い息も届かなくなっている。握られている手からも力が抜けていくのがわかった。
 恐る恐る眼を開けてみる。ゆっくりと開いた彼女の瞳に映ったのは、()がなくなっているサイクロプスの姿。
 あるのは首の半ばから下。真っ赤な肉とその中心に青白い骨が見える。瞬間、噴水のように一気に血があふれ出た。サイクロプスの身体と地面を濡らす。
 一体何が起きたかわからないミリアーナは、これまで以上に呆然と死体となった巨人の姿を見ていた。

「―――え? え? え?」

 思わず意味不明な疑問が口から漏れた。
 これはどういうことなのかとパニックに陥る。今の今まで、彼女は巨人に喰われる寸前だったのだ。それなのに、眼をつぶって数秒。開けてみればその巨人の頭がなくなっている。
 そんなミリアーナの眼が、地面に転がっているサイクロプスの頭を捉えた。巨大な単眼と、口を大きく開いた状態で、事切れているようだ。
 生きているのではないかと、その単眼と暫し見詰め合う。だが、動き出すことは当然ない。
 僅かな安堵を抱いたその時、銀の閃光が迸る。身体がびくりと反応するような、流麗さ。見惚れるほどに美しい、その輝きがミリアーナの視界を駆け抜けた。

 彼女の目の前を疾駆した剣閃は彼女のショートソードを容易く圧し折った巨人の肉体を、何の抵抗もなく切断する。
 サイクロプスの右手首を切り落とす。瞬間、重力に引っ張られた彼女は手首といっしょに地面へと墜落していく。慌てて握り締められている手首から抜け出そうとするも、当然間に合わない。
 衝撃を覚悟していたミリアーナは、再び眼をつぶる。しかし、来るべき衝撃はやってこない。そのかわりになにやら暖かい感覚に包まれた。

 まずは片目を開ける。映るのは、あまり見かけない変わった黒い服の胸元。もう片方の目を開け、上を見上げる。
 ミリアーナが見たのは、精悍な男の顔。ざっくらばんに切った短い髪に、無精髭。どことなく疲れたような雰囲気を纏っている、彼女よりも随分と年上の男性だった。

 そして、何故か分からないが一目で理解する。
 この男性こそが、自分を窮地から救ってくれたのだと。

「あー、大丈夫か、キミ?」

 ぞくぞくっと背筋を駆け抜ける声音。
 抱かれているせいか、鼻につく男臭い香り。汗と体臭が入り混じった、良い香りとは言えないが、ミリアーナの好きな匂いだった。亡き父が家族を守るために働いていた時にさせていた匂いを髣髴とさせる。

 喉がつまり、返事が出来ないミリアーナはこくりと頷く。
 それを確認した男性は、地面にゆっくりと彼女を降ろす。そして、一歩前に出た。

 ミリアーナが見たのは、彼の背中。とてつもなく大きく、信頼できる男の背中だった。背中に背負っている大きな風呂敷だけが少々間抜けだったが、それは気にしないことにする。

 残されたサイクロプス二体は、破壊活動を止め、じっとミリアーナを―――いや、男性の姿を凝視している。不思議と、睨みつけている単眼に、ミリアーナは恐怖が入り混じっていると感じた。
 あれだけ愉悦に浸っていた巨人達が、怖れるようにその場から身動き一つしない。笑い声一つ上げない。 

 なんだろうかこの人は、心のそこから疑問を抱く。
 第七級危険生物を向かい合うだけで圧倒する。そんな人間が居るのだろうか。ぐるぐると尽きることのない思考。

「やれやれ。ようやく村に着いたかと思えば、酷いことになっておるのぅ」

 突如真後ろから聞こえた声にびくっとミリアーナが反応して、慌てて振り向く。
 いつからいたのか不明だが、ミリアーナよりも、彼女の妹よりも低い身長の少女がその場にくたびれたように立っている。
 男性とは真逆のゆったりとした白い服。大き目のぶかぶかな三角帽子。右手に持った木の杖を、地面につきながら身体を支えていた。そんな少女の顔を見て、ミリアーナは驚いた。彼女も村では飛びぬけた容姿を持つと言われ続けてきたが、この少女の前では話にもならない。美の造形を極限にまで追求したかのような可愛らしさ。同性でありながら見惚れてしまう。真っ白な肌が少し羨ましいと思ってしまった。 
 そして長い耳を見て少女の美貌に納得をする。それはエルフの証。優れた容姿を持つという、亜人の証明。

「そこの少女よ、ちとすまぬが頼みたいことがある」
「え? は、はい!!」

 自分よりもはるかに小さい少女に、少女呼ばわりされたミリアーナは焦って返事を返す。
 どもった返答をしてから、エルフは見かけよりも遥かに長寿だったということを思い出した。

「アレとアレを片付けるので、出来れば水と食料と今夜の宿を都合してくれぬか?」
「え、あの……わ、私の家でよければ」

 エルフの少女はまるで雑草を積む程度の気軽さで、こちらを睨んでいるサイクロプス二体を杖で指す。
 いきなりの交渉ごとにパニックに陥りそうになりながらもミリアーナは、それを受け入れた。どうせあの二体は自分達ではどうしようもない怪物だ。それを始末してもらえるならば、提案された報酬など簡単なものだからだ。 

「よし、交渉成立じゃ。さぁ、さっさと片付けてしまえ、キョウ」
「……お前は働かんのか?」
「あの二体くらい、ワシが出るまでも無かろう。それに下手に魔法を使ってここを焼き野原にしても知らんぞ?」
「……それもそうか。まぁ、すぐ終わらせる。さっさと休みたいしな」
「う、うむ。そ、そうじゃなーはっはっはっは」

 じっと見てくるキョウの視線に耐え切れずにエルフ―――ディーティニアは逃れるように顔を背ける。
 ふぅっと呆れたため息をひとつ。背負っていた風呂敷包みを地面に降ろすと肩を回した。
 そして、腰に差してある刀に手をかける。
 ぶわっと旋風が巻き起こった。ミリアーナは眼を見張る。目の前で見間違うかのような絶大な気配を撒き散らす、剣士の姿に魅了されたかのように眼を奪われた。
 サイクロプスが脅えるのがはっきりとわかる。ここにいる剣士の力量は、ミリアーナの想像できる世界のさらに先。想像も許さぬほどの果ての果て。桁が違う、絶対領域に住んでいることだけしか理解できない。

 ミリアーナは熱い視線をキョウの背中に送る。
 憧れと、尊敬と、僅かな畏怖を込めて―――。





 この日ミリアーナは、彼女が目指した【英雄】の世界を知った。

 


  

 

   

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