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剥製

作者: 短小マン






 金森とホテルのラウンジで逢う事になった。

 彼とは大学のサークルで知り合った。おれが一回生の頃、彼はテニスサークルの中心人物で、女の子達を独り占めにしていた。顔の造形が整っていて、男とは思えないほど、しなやかな体つきをしていた。絵に描いたような美形だった。

 サークルの飲み会で、普段はチャラい言動をしている男が、アレならやれると酒臭い息と共に冗談とも本気ともとれない事を言った。それほど金森は中性的な美形だった。

 やつと二年ぶりに逢う事になったのは、彼が連絡を取ってきたからだ。

「相談したいことがある。逢えないか」

 唐突な連絡に少し面食らった。

 大学時代。同じサークルに所属していたが、おれたちは親しい関係ではなかった。金森は女の子達の相手をするのに忙しく、おれも自分の事で手一杯だった。話した事は数回だけ、飲みに行ったのは一回だけだ。

 しかもその時、おれたちは喧嘩した。

 喧嘩と言っても口げんかだ。実際に殴り合ったり、つかみ合ったりしたわけじゃない。その発端は、おれの趣味を彼が侮辱した事に始まった。

「趣味で生き物を殺すのは良くないよ」

 安いウィスキーの水割りを飲んでいたおれに、彼はぼそりと言ってきた。おれは「またか」という顔をした。趣味の所為で、色々な奴から説教をされるのはよくある話だったからだ。

 おれは狩猟をやっている。山に行っては鹿や狸に狐を撃つ。半分は趣味で、半分は義務だ。山に入って動物と真剣勝負をするのは単純に面白い。よい獲物は剥製にすると、強烈な達成感を得る事が出来る。

 また、おれには山に畑を持っている親戚がいる。季節になると、里芋だとかたけのこなんかを送ってくれる、いい親戚だ。山の畑を荒らす害獣を駆除すると、親戚達も喜んでくれた。だから、おれは趣味と実益を兼ねて、狩猟期中は親戚の山で、鹿を初めとする害獣を撃った。

「そうだな。生き物を殺すのは良くないな」と、おれは金森の提言を流そうとした。だが、こいつは酷く酔っていた。おれの腕を強く掴んで「良くないなら狩猟なんてやめるんだ」と、おれに強要してくる。

 そこから口げんかとなった。

 延々と命に関する話をした。どうして、人が獣を殺しても許されるのか。なぜ人間が特別なのか。そんな青臭い話をした。おれたちの立場は絶望的に対立していた。おれは人間が特別な生き物で、獣は下等だから邪魔になるなら殺しても良いという立場だ。金森は全ての命は平等だと語った。そのくせソーセージを食べながら、そういう事を語るのだ。それを見て、おれは腹が立った。

「なあ、金森。お前はソーセージを食っているじゃないか」

「それがどうした」

「お前は全ての命は平等だと言った。あらゆる命は特別扱いしてはいけないと言った。それなのに豚のソーセージを食べている」

「君は何を言っているんだ。僕は命は平等だと言ったし、無闇に殺すなとも言った。だが、死体を無駄にしろなんて言っていないぞ。第一、勿体ないじゃないか」

「じゃあ、あれか。お前は人間の死体も勿体ないから食べるのか」

「何を当たり前な事をいっているんだ」

 そこで、おれは言葉を失った。口げんかも収束した。おれが完全に黙ってしまったからだ。それ以来、おれは金森と話さなかった。避けていたつもりはなかったが、飲み会での一見が尾を引いていたのかも知れない。

 ずっと疎遠だった金森から連絡が来て、おれは二つ返事で会う約束をした。理由は自分でも分からない。単なる好奇心なのか。それともずっと避け続けた事に対する罪悪感か。

「すまないな。すっかり待たせてしまったようだ」

「そうでもない。こっちが少し早く着きすぎただけだ」

 二年ぶりに出会った金森は、少しだけ痩せていた。紺のスーツにペイズリー柄の派手なネクタイ。一見すると外しているスタイルだが、彼は見事に着こなしている。

「それで、相談したい事ってなんだ?」

「それなんだが、その……」

「ここでは話しにくい事か?」

「ああ、実は部屋を取っているんだ。そこで少し話してもいいか?」


「実はね。娘が死んだんだ」

 素っ気なく金森は語った。

 ルームサービスのワインをおれに勧めながら、金森は話を始めた。ワインレッドの絨毯に果物を模したランプシェードが淡い光を放っている。薄暗い。ランプシェード以外の明かりは落としている。そうしたのは金森だ。お陰で、おれには金森の顔が見えない。娘が死んだと告白した、金森がどんな表情をしているのか分からない。

「それは、ご愁傷様としか……」

「ありがとう。だけど、それは良いんだ。命あるものはそういうモノだ。どんなものでも必ず死ぬ。死は常に平等だ。遅いか速いかの違いも、死んだ者からすれば大差はない。死は、ただ無をもたらす。そこに価値の大小はなく、尊厳なき死も、崇高な犠牲も同じ死でしかない。十字架にかけられたキリストも屠殺場の豚も同じ命だ。死そのものは無でしかなく、重要なのは死んだ命ではない。残された命。つまりは僕だ」

「随分と割り切った事を言うな」

「魂が存在し、死者の国があるなら、僕も娘を悼む発言をする。けど、そんなものはない。あの世なんて存在しない。だから僕は、娘を失った僕を悼む。娘を失った自分を哀れに思う。けれど、娘を悼むことはない。残ったのは死んで動かなくなった娘の残骸だ。魂なんて存在しない」

「……お前が、こうも過激な現実主義者だなんて知らなかった」

 おれがそう呟くと、金森は闇の中で笑ったような気がした。

「普段なら、そうした事を隠す余裕もあるのだけどね。今の僕には余裕がないんだ。娘を失った事で、相当なダメージを受けている。だから、歯に衣を着せるゆとりもない」

「少し、飲んだらどうだ」

「駄目だよ。酒は僕を攻撃的にする。今でも自分を抑えるので精一杯なんだ。ここで酒を飲んだら、どれだけ酷い事をぶちまけるか分かったものじゃない」

 そう言えば、前に金森と口げんかをした時も、こいつはかなり飲んでいた。

 あれ以上、酷くなるのか。

 おれはグラスに注がれたワインを見た。ランプシェードから漏れる光に照らされて、赤色のアルコールが怪しく煌めく。飲む。酷く甘いワインだった。これは今の気分に合わない。失敗だ。甘くない重く響くワインが良かった。これでは金森に対する警戒心が溶けてしまう。あるいは、それも計算のうちか。

「しかし、お前に娘が居たなんてな。結婚した事すら知らなかった」

「結婚はしていない。血も繋がっていない」

「養女か。どんな子だ」

「八歳の、とても綺麗な子でね。中南米出身のメスティーソだ。可愛い盛りだった。大切に育てている時だったんだが、風邪を引いたと思ったら、あっさりと死んでしまった」

「八つか。本当に可愛い盛りだな」

「だからね。どうしても君に手伝って欲しい事があるんだよ」

 背筋にぞくりと来た。

 金森の声色に混ざる不気味さは形容し難いものがあった。言葉は普通なのだけど、そこに混じる感情は、人間が持つものとしては異質過ぎる。闇の中の金森は、きっと笑っているだろう。おれは部屋を暗くした、金森の配慮に感謝した。照明が消えているから、金森の顔を見ずに済む。きっと今、金森の顔を見たら、おれは正気を失っていた事だろう。

「――剥製を作りたいんだ」

 ちりちりと耳の後ろで焼けるような音がする。鼻孔の奥で獣の匂いが渦巻いてくる。口が渇く。ワイン。目眩がする。ここから逃げ出してしまいたい。

「君は狩猟が趣味で、剥製を作ったりするんだろ?」

 一度だけ、こうした状況に遭遇した事がある。山中で道に迷って夜明かしをしたときだ。山奥で凄まじい、何かが倒れる音がした。実際に木が倒れたわけではない。何も無いのに、そういう音だけが山に響く。

 その時もこうだった。

 人間の想像を超えた化け物が、闇の向こうに存在する。そんな確信を持ったときだ。その時、おれの手元には猟銃があった。恐怖から、一発ぶっ放すと怪異は収まった。だが今? 猟銃は持っていない。おれは無防備だ。

「狩猟した獲物の内臓を抜いて防腐処理をして、詰め物をしてから綺麗に縫ってあげる。そうやって生前と変わらぬ姿にできるんだろ? 僕は、ただ娘の剥製が欲しいだけなんだ。死んで失われてしまった娘の姿を、僕のために残しておきたいだけなんだ」

 おれは、恐ろしくて。

 おそろしくて。

 本当に怖くて。

「わかった」と頷いてしまった。


 金森有海。

 それが金森の娘の名前だった。肌の色はメスティーノらしく浅黒い。髪は黒のストレートで、目はしっかりと閉じているが碧眼であるらしい。

「とても綺麗だろう。笑うと天使が微笑んだようでね」と金森は言った。

 金森有海はドライアイスで満たされた風呂桶の中で、眠るように死んでいる。服は着ている。フリルをふんだんにあしらった、お嬢様が着るようなドレスだ。けれど、尻の辺りが汚物で汚れてしまっている。死後硬直が終わって筋肉が弛緩した結果、身体に溜まった排泄物が流れ出てしまったのだろう。

「貸してくれ。ちょうど風呂場だ。綺麗にしておこう」

 金森は娘の服を脱がして綺麗にする。冷たい水で死体を洗う。その顔に悲しみは欠片もない。躊躇もない。憐憫もない。感情が欠片もみえない。

「……金森。この子は死んでどれくらいだ?」

「昨日だ。仕事から帰ってきたら死んでいた。このままでは腐敗が進行してしまう。そう思って、ドライアイスを買ってきて風呂場で保存した」

「素早い決断だな」

「そうでもないよ。小一時間は何をすれば良いのか分からなくて、時間を無駄にしてしまった」

 逆に言えば、金森が迷っていたのは一時間だけという事になる。それから、こいつは娘の剥製にするための行動に全力を注いだ。自分の持っているコネクションの中で、唯一剥製作りの経験のあるおれに、協力を依頼した。その間、クレゾールやホルマリン、消毒用アルコールに刃物など、様々な道具を買い集めた。

「それで、どうすれば良い。僕にできる事なら何でもする」

 金森は熱意に溢れていた。

 とてもではないが、これから義理の娘の剥製を作ろうとしている邪悪な人間には見えない。どこから見ても、美形のサラリーマン以外の何者でもない。平凡な一般市民そのものだ。

 いや、金森からすれば、これが人倫に劣る行為であるという自覚はないのだろう。愛しい者が死んでしまったから、剥製として残しておきたい。そう純粋に思っているだけだ。日本人に愛された忠犬ハチ公が死後剥製となったように、革命の指導者であるレーニンが今でも生前の姿を保っているように、金森も娘を愛していたが故に娘の剥製を欲しているだけだ。

 こいつにとって、あらゆる命は平等なのだ。綺麗な鳥は剥製にしてもいいが、人間はしては駄目だなんて、一般的な倫理観は持ち合わせて居ない。

 おれは覚悟を決めた。

「まずは皮を剥ぐ。できる限り皮膚を傷つけないように丁寧にだ。ただ、おれが普段作っている剥製は、鳥や獣だ。毛のない人間だとどうやっても縫い目が残ってしまう」

「残ってしまうか……」

「できるだけ目立たないようにする。だが、おれは剥製作りのプロじゃない。好きでやっているアマチュアだ。その上、人間の剥製を作るのは初めてだ。できるだけ注意をするが限界はある」

「わかった。そこは君を信頼して任せる」

「じゃあ、行くぞ……」

 おれは金森の用意した、鋭いメスを手に取った。本当は使い慣れた道具で切るべきなのだろう。愛用のナイフも持って来た。

 だが、おれは人の死体を切るのに自分の道具を使いたくかった。だから、おれは金森のメスで八歳児の死体を切る。幸い、切れ味は最高だった。スッと浅黒い肌をなぞるだけでメスは必要な分だけ切れてくれる。腹に切り込みを入れて、手や首の辺りにも切れ目を入れる。できるだけ傷を目立たせないように、背中から開くやり方も考えたが、土壇場でやり方を変えるのは好ましくない。普段通りに腹から少女の皮を剥ぐ。股間の辺りを切るときは混乱した。

 金森有海の性器は、八歳児とは思えないほど発達していた。

「仕方が無い。僕が養女にして引き取るまで、彼女は娼婦だったんだ」

「……そうか」

 少しずつ丁寧に、おれは金森有海を解体していく。その浅黒い綺麗な身体を、皮と肉塊に変えていく。おれは、どうしようもなく罪深い事をしている。こんな事は人間の所行ではない。そう思いながら、手を動かす。肉から皮を剥いでく。涙が流れる。

 間違いなく、金森有海は辛い人生を送っていた。金森の話を全て信じたとしても、その半生は筆舌し難い苦しみを味わってきただろう。その終着点が剥製だ。それで、彼女の魂は安らぐのだろうか。

 おれは無神論者であるけれど、そんな事を考えてしまう。

「少し疲れているようだ。休憩しないかい?」

「ああ、そうだな……」

 血の臭いも、肉の塊も、それらを解体する事も慣れている筈なのに、おれは疲れ切っていた。同族を切り刻むという事は、どうしようもなく心を摩耗させる。少し気を休めたい。

「ええと、何か無いかな」と金森は冷蔵庫の中を漁る。ふと彼の背中越しに中身が見える。可愛いイラストが描かれた子ども向けのミートボール。林檎ジュース。食器棚にある子供用の茶碗。プラスチックのコップ。椅子に敷かれたピンクの座布団。金森有海の残滓は、随分と残っている。

「ワインとかあるけど、飲むかい? 昨日、君が飲みたいと言っていた重いワインだよ」

「……遠慮しておく」

 今の赤ワインを飲んで微かにも鉄の味を感じたら、おれは正気を失ってしまう。だから、酒は入れなかった。代わりに、缶詰のチリビーンズを貰う。いつも家で食べているのと同じ銘柄だ。相変わらず、絶妙に美味くない。

 だが、それで少し落ち着いた。

 何度か休憩を挟みながら、おれは地道に作業を続けた。身体も、顔も、乳房さえ、しっかりと傷つける事なく、金森有海の皮を剥ぐ。少女は肉と皮に別れた。

「こっちは?」肉の方を指差しながら、金森が尋ねた。

「採寸をする。剥製の骨組みを作るのに、肉も含めたサイズを測っておくのは必要な事だからな」

「その後は?」

「お前が娘の骨格標本を作りたいなら、それに使用しろ。そうでないなら好きにしろ」

「わかった。なら、大切に食べる事にするよ」

 おれは驚かなかった。金森なら、そうするだろうと予想していた。こいつにとって、人も家畜も関係ない。どちらも同じ命でしかない。だから、無駄にするぐらいなら食べるだろうと、思っていた。

「そういえば、今日はもう遅いけど夕食は食べていくかい?」

「食わない」

「そうか、残念だよ。お礼にとびっきりのシチューを作ろうと思っていたのに」

「……サイコパスが」

 吐き捨てるように呟きながら、おれは採寸を終えて、皮の防腐処理に移る。まずは皮にこびり付いた肉片を丁寧にそぎ落としていく。人間の皮膚は獣のそれと違って、薄くて繊細だ。丁寧に、少しずつ、確実に肉をそぎ落とす。

 肉がそぎ落とされたら洗浄だ。綿に石鹸のつけてよく洗う。脂が残っていると剥製が駄目になる。だから神経質なまでによく洗う。洗ったら広げて乾燥させ、皮の内側に防腐剤を塗る。

「どうかな」

「急ぐべき作業はどうにか終わった。後は乾燥させている間に骨格作り。詰め物をして、傷口を縫って、顔を整えて……まあ、まだ先は長いな」

「そうか。まだ長いか。けど、長くとも着実に進んでいる。終わりもしっかりと見えている。そうだろう?」

「そうだな」

「なあ。少し厚かましいかもしれないが、一つ約束をしてくれないか」

「なんだ」

「必ず、娘の剥製を完成させる。そう約束をしてくれ」

 金森は真っ直ぐとおれを見た。

 その目は、娘の剥製を作っていると知らなければ真摯な目に映っただろう。だが、おれは金森の本性を知っている。こいつは真剣に狂っているだけだ。

 人間という生き物は可笑しなものだ。真剣さ、誠実さ、真っ直ぐ。そうしたものは本来、称えるべき美徳である。だが、そうした美徳も土台が狂っているだけで、ここまで醜悪な代物に成り果ててしまう。

「わかった」

 おれは頷いた。

「……ありがとう。そう言ってくれて、僕は本当に嬉しい」

 笑顔で語る金森は血塗れだった。

 おれが皮を処理する横で、娘の身体から肉を切り出していたからだ。風呂桶の中で、血を排水溝に流しながら精肉していた。

 柔らかいほっぺたをしていたからね。きっと頬肉が一番美味しいと思うんだ。そう語っているのを聞いたときは、吐き気がするほど気持ち悪くなった。

「皮は日陰でよく乾燥させておけ。骨格は完成したら持ってくる」

 それだけ言って、おれは金森の家を出た。別れ際に握手を求められたが応じなかった。それは心理的なものでなく、生理的な感覚だった。

 純粋に、金森が気持ち悪くてしかたなかった。


 事態が急変したのは一週間後の事だった。

 朝、テレビを見ていると、国際指名手配されていた男が、日本で捕まったというニュースが流れていた。報道陣は顔を真っ赤にして興奮しており、それが大事件である事が容易に察する事が出来た。手錠を掛けられて連行されているのは、白いスーツを着たペイズリー柄のネクタイをした中性的な男で、とても見覚えのある顔をしていた。

『今、人身売買の罪で国際指名手配をされていた金森容疑者が、報道陣の前に姿を現しました!』

 間違いなく金森だ。

 おれはテレビに齧り付いた。だが、テレビのアナウンサーは興奮するばかりで、それがどんな事件であるのか全く解説しようとしない。ただ『金森容疑者です! 金森容疑者の乗った車が、今、我々の前を通過しました!』と、どうでもいい事を叫んでいる。

 新聞を見てみたが金森逮捕の報はない。新聞を印刷している時までは金森は自由の身だったらしい。

 仕方なく、おれはニュースサイトを見た。どこもかしこも金森逮捕のニュースでいっぱいだ。その中で、比較的情報量の多いサイトを見て、この事件の詳細を知る。

 金森は、国際的なテロ組織の幹部だった。その中でも、金森はテロリズムその物よりも資金調達を担当し、中南米を中心にして人身売買によって多大な利益を叩き出していた。中南米と言えば麻薬ビジネス、あるいは地下資源が熱い地域だが、金森はそこであえて、人身売買をメインに据えた。それは麻薬を扱うと、地元の麻薬カルテルや、麻薬を目の敵にするアメリカの両方を敵に回すという判断があったようだ。だからニッチ産業としての、奴隷ビジネスで確実に資金調達をしていた。貧しい農村から人を買い取って、それを様々な場所に売り払っていた。また、見込みのある若者はテロ組織の構成員にもした。資金と人的資源の両方で、金森は組織に貢献していた。

 そう言えば、おれはあいつの仕事について、一度も聞いていなかった。

 テレビでは、どこから情報がリークされたのか、金森有海の皮についても報道されていた。八歳の少女から剥がした皮が自宅から発見された。冷蔵庫には肉もあった。それを調理した形跡もあった。金森は中南米から連れてきた奴隷の少女を食っていたと、コメンテーターは口から泡を飛ばしながら、金森について罵った。それは金森への人格攻撃にまで及んで、彼の顔は気違いだと、冷静に聞くと随分と失礼な事を言っている。そうなると、金森と似た顔をした人間は気違いという事になってしまう。人相学なんてロンブローゾ時代の遺物だ。

 それからしばらくして、金森有海についての詳しい情報が判明した。

 彼女は金森の養女として、都内の学校に通っていた。少し物静かであるけれど、父のことを慕っていたと、有海の友人達は言っていた。中南米での彼女の生活は分からなかった。金森有海となる前の、彼女の足跡は完全に消えている。死因も不明のままだった。検死をしようにも、金森有海の大半は、義父の腹に収まっている。野次馬達は、金森は影で暴力を振るっていたのだとか、優しくしていたのは殺害時に絶望感を与えるためだとか好き勝手に予想を立てた。

 金森は何も話していない。

 ただ、黙秘を続けている。


 あれから十年。

 相変わらず金森は死刑囚として刑務所にいるようだ。死刑執行のサインは未だにされていない。恐らく、将来的にもされないだろう。国際世論に後押しされて、この国では死刑廃止に向けて動いている。そうなれば、金森も無期懲役に落ち着くだろう。当時はさんざん騒がれた金森の事件も、今ではすっかり風化してしまった。

 死刑囚のドキュメンタリーで、現在の金森が放映されたのは、そんな時だった。

 ちょうどその時、おれは仕事中だったのでリアルタイムで視聴できなかった。金森がテレビに映ったのを知ったのも、仕事先での雑談中だ。だから、テレビ局の配信する有料アーカイブが役に立った。

 内容は死刑反対に立った立場での、死刑囚の生活を記録したドキュメンタリーだ。意図は、こんなに慎ましやかな生活をしている死刑囚を殺す必要があるのか、というものだ。そこに金森が登場した。十年の歳月は彼を老けさせていた。

 中性的だった顔立ちは、すっかり年老いた男のものに変わっていた。モニタに映っているのは、老いが目立ち始めた初老の男だ。

 男は無口だった。

 金森は事件に関する事は何も言わなかった。ただ、死刑囚としての生活を淡々とこなしている。起きて、軽作業をして、食事をして眠る。当然、食事はご飯の一粒も残さない。彼は懲役囚ではないので、本来は軽作業をする必要は無い。だが、刑務所の中での買い物のため、少しの作業をしているという。『それに働かざる者、食うべからずですし』と呟く。恐らく、それが金森の一番長い台詞だったのだろう。ナレーターが長々しい注釈を入れる。『これは彼が誠実な人間に生まれ変わった証明で――』と語り出す。だが、それは違うぜ、テレビ局の方々。金森は昔から誠実だ。気持ちが悪いほどに――

「おとーさま」と娘の声がした。

 おれは動画を停止した。振り向くと、ドアはしっかり閉め切られている。声はドアの向こうからだ。ここはおれの書斎であり、常に鍵がかけてある。家族の誰も入れた事がないし、入れる事も許さない。

 ここには、金森有海の骨格が隠されているからだ。

「どうした?」

「おかーさまがごはんって」

「ああ、わかった。すぐに行くよ」

 金森の容姿が変わったように、おれの生活も随分と変わった。仕事も変わったし、住居も変わった。結婚して子どもができた。妻はブラジルの日系二世で、浅黒い肌をした魅惑的な女だ。日本人の血は四分の一で、残りはラテンの血が混ざっている。身内贔屓抜きに美人だと思う。

「おとーさま。今日はたけのこごはんだって」

「そうか。ちゃんと山椒の葉は散らしているかな」

「あかり、あれ嫌い。なんか舌が痺れるもん」

「成る程なぁ。じゃあ、あかり分の山椒はおれが全部食ってやろうか」

「本当に? 前みたいにおかーさまに色々言われて、やっぱりあかりが食えとか言わない?」

「大丈夫だよ。山椒の葉はおれの好物だから、あかりが食べたいと言っても、おれが全部食う」

「そっか。だったらあんしんだね」

 妻との間に生まれた娘は、八つになったばかりだった。名前は朱梨と書いて『あかり』と読む。さほど難しい漢字を使っていないが、あかりはたまに自分の名前を間違える。右の梨の字を三割の確率で間違ってしまう。その代わり、妻にべったりしている所為かポルトガル語は得意だ。かなり長いことブラジルで仕事をしていたおれよりも、よほど上手く話す。

 日本人の血が少し強い。だから髪質はストレートで、日本人らしい黒髪をしている。妻は「癖が少なくて羨ましい」と娘の髪に櫛を入れながら愚痴る。肌は浅黒く、目は碧。その容姿は不気味なほど、金森有海によく似ている。

「……なあ、あかり」

「んー? どうしたの、おとーさま。変な顔をして」

 お前を剥製にしてもいいか?

 そう言い出しそうになり、おれは自分の口を塞いだ。

 金森が逮捕されたとき、金森有海の皮も押収された。丹念に乾燥させた有海の皮は、検察に回された後に荼毘に付されたという事だ。おれが丹念に仕上げた金森有海の皮は永遠に失われてしまった。

 金森との約束はまだ果たされていない。おれはアレと剥製を作ると約束してしまった。その契約は、未だにおれを縛っている。

 おれはたまに夢に見る。

 完全なる金森有海の剥製を。それは綺麗に皮を被っていて、硝子の眼球を目にはめ込んで、永遠に朽ちる事はなく、老いさらばえる事もない。

 おれは金森をサイコパスと非難した。

 だが、気が付けば、おれもサイコパスになっていた。どうしようもなく、金森有海を蘇らせたくなっている。

「でも、そんな御父様もは素敵ですわ」

 唐突に、聞いた事もない女の声がした。

 顔を上げると、金森有海が迚も幸せそうに笑っていた――


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