蚊男
・1
「いってぇ……」僕は、古井戸に落ちた。
いや、井戸と思っていた縦穴は、意外にも途中から斜めに角度がついていて、だんだんゆるい傾斜になっていた。
落ちているうちに徐々にスピードは落ち始め、転げ落ちた先は割と広い部屋のようになっているみたいだった。
とは言うものの落ちてきた穴から差す光はごくわずかで、奥に広がる闇に溶け込んでしまっていた。
「えっとたしか……」僕はポケットをまさぐり、鍵を取り出した。
鍵には目が光るドクロのキーホルダーが付いていた。
「これで少しは見えるかな」僕は、ドクロの脳天に付いているスイッチを押してみた。
「ケケケケ」とドクロが鳴いて目が光った。
ドクロの光は押している親指の爪を赤く透過するだけで、虚しいほど役に立たなかった。
「くそっ」僕は薄光が指す当たりに腰掛けぼうっと闇の奥を凝視した。
僕の名は、加藤 安夫。
あまり太ることができない体質らしく、痩せている。
みんなは、僕を「ヤセオ」とか「カトンボ」と呼ぶ。
苦手なものは、ビル風。まっすぐ歩くことができない。
会社の同僚はフラフラ歩く僕を見て、「本当にカトンボみたいだな」と言う。
いま僕がいるのは、日本から遠く離れたルーマニア。
新婚旅行の最中だ。
「ヨーロッパ古城めぐりの旅」が僕と絵里香の旅。
ルーマニアのブラン城に来ていたのだけれども、絵里香のヒールが石畳に引っ掛かり、その拍子に僕を突き飛ばす格好になり、僕は古井戸に転落した。
「おーい! おーい!」と誰かが呼んでいる声が聞こえた。
旅行会社の添乗員の女性だろうか?日本語の呼び声だった。
「おーい! 生きてまーーーす!」僕は返事をした。自分なりに大きな声で。
暫く返事を待つような間があいて、再び「おーい! おーい!」という声が聞こえ始めた。
ぼくの声は、聞こえないようだった。
僕は立ち上がり、落ちてきた穴に向かって声が枯れんばかりの大声で叫んだ(それでも普通の人より小さい声なのかもしれないけど……)
「助けてくれ!」
今度は上の方でなにやら、話をしているようだ。
「加藤さん! 大丈夫ですか?」よかった、聞こえたみたいだ。
大丈夫かと聞かれて気が付いた、ひどく左肩が痛い。
腕を上げようとすると激痛がはしり、もしかすると折れているかもしれない。
「左肩が痛みます!」と返事した。
「よかった!意識は、はっきりとしているようですね。下は、水ですか?」地上から尋ねてきた。
「いえ! 井戸は枯れています! 地下室のような場所に落ちました」早く、救助してもらえないだろうか?
「そうですか。では、溺れる心配はないですね。さっきレスキューを頼んだのですが、国の重要な文化財のため、許可を取らないと行けないと言われて……」
人命が掛かっているのにひどい話だ。がしかし、なんとかしようとしてくれているみたいだ。
「妻は、どうしていますか?」絵里香のことが気がかりだったので、尋ねてみた。
「奥様は気を失ってしまって、病院に運ばれました」そういうと、上の方でなにやら相談をしている声が聞こえた。現地の言葉のようなので、さっぱりと分らないが……
「すみません加藤さん! 今連絡入ったのですが、救助は明日になるって言うんです。申しわけございません。本当にお役に立てなくて……」ひどい話だが、今すぐ死んでしまうことも無いだろうから、従うしかない。
「わかりました! ここはものすごく暗いので、灯りが欲しいです!」
「了解いたしました。用意します」それを最後にしばらく声が聞こえなくなった。
俺はまた、座り込み暗闇をぼんやりと眺めた。
「加藤さん! こんなものですみませんが、食料を落としますね」ありがたい、助かった。
正直いって空腹で、明日まで耐えられるかが一番の問題だと思っていた。
しばらくすると、ゴロゴロとタオルで包まれた何かが落ちてきた。
それは、大きめのパンとペットボトルの水、そして懐中電灯だった。
空腹だった僕は、夢中でパンを平らげた。
お腹が満たされると、睡魔が襲ってきた。僕は逆らわずに寝ることにした。
・2
どのくらい眠っていたのだろうか? 僕は「ぷーん」という蚊の羽音に首筋をピシャリと叩いた。それでも「ぷーん」は止まなかった。
「くそっ」僕は目を覚ました。
辺りは真っ暗闇になっていた。
普段文明社会に身を置く人間にとって、暗闇に勝る恐怖はない。
僕は、未だかつてない暗闇を体験していた。
僕は、手探りで懐中電灯を探し、スイッチを入れた。
懐中電灯の頼りない明かりが、これほど頼もしく感じたことは人生の中で初めてだった。
僕は、とにかく辺り構わず懐中電灯で照らしてみた。
懐中電灯の光は闇に溶け、何かを照らし出すわけでもなく、一体どこまでを照らしてどこからが見えないのか全くわからなかった。
「うん?」僕は何かの気配を感じ、そちらに懐中電灯を向けた。
確かに、何かがいるような気がした。
しばらくその方向を照らしているうちに、徐々に目が慣れてきた。
ぼんやりと、人影のようなものが見える。
その人影は、ゆらゆらと近付いて来た。
そして、ついに懐中電灯の明かりが届くところまでやってきた。
男が立っていた。
男は、上品な身なりをしていた。
シルクハットに燕尾服。胸に勲章をつけていた。貴族だろうか?
男はさらに一歩近付いてから、一礼した。
救助隊にしては、奇妙な身なりだ。
男は、何か語りだした。
英語ではない外国の言葉、まったく理解できなかった。
男は一通り何かを語ると、僕に息がかかるくらいに近付いてきた。
そして、僕の顔を覗き込んだ。
「ひっ」思わず声が漏れてしまった。
男の目は、血のように赤かった。
男はニヤリを微笑み、一歩一歩こちらを向いたまま下がっていった。
そして、闇の中に消えていった。
「あっ」僕は慌てて、男が消えていった方向を照らしてみた。
もしかしたら、本当に助けに来てくれた人が現地の言葉で「コッチに来い」と言ったのかもしれなかった。
「そうだ! 観光局の人かもしれない」僕は慌てて立ち上がり、男が消えた方に歩き始めた。
しかし、すこし歩いたところであることに気付いた。
『あの人、明かりもなしでどうやって来たのだろう?』
僕は急に怖くなり、2、3歩後退り何かにつまずいた。
僕は、足元を照らした。
そこには、木の箱があった。大きな長細い箱……
棺だ。
黒に金の装飾が施された、棺だった。
棺の蓋は、開いていた。
棺の中につま先が見えた。
上等な靴を履いていた。
僕は、恐る恐る上半身の方を照らしていった。
棺の死体には、胸に木の杭が打ち込まれていた。
棺の死体はミイラ化していた。
その顔は断末魔の叫びを上げたかの様に大きな口を開け、苦痛にゆがんでいるかの様に見えた。
僕は恐怖のあまり、その顔に釘付けになったまま動けなくなった。
そして、死体は見る見るうちに灰となり崩れ去って行った。
「うわ!」僕は腰が抜け、尻餅をついた。
すると、急に悪寒がし、体がだるくなってきた。
めまいがして、まるで自分を中心に全てが回り始めた気がした。
身体を起こしていることがつらくなり、その場に横たわった。
僕は、仰向けに上を見つめていた。
グルグルと渦巻く、闇の中心をいつまでも見つめていた。
・3
「加藤さん! 加藤さん!」女性の声がする。
「しっかりしてください! 加藤さん」僕は、目を覚ました。
天井が見えた。
無機質な、白い石膏で出来ているような天井から、蛍光灯が下がっていた。
僕は、病院のベッドに横たわっていた。
「あれ? 一体どうしたんだ俺?」何だかわからないが、とにかく助かったみたいだ。
「ご自分で、脱出なされたんですか?」驚いた表情で女性が、話しかけてきた。昨日から、色々世話をしてくれた、旅行会社の添乗員の方だった。
僕は身を起こし、自分の身体をあちこちと触ってみた。
不思議な事に、どこも痛かったり怪我をしていたりする部分がなかった。
「なんかあんまり覚えてないんですが、僕は誰かに助けてもらったわけじゃ無いんですか?」僕は、自分の手のひらを握ったり開いたりしてみた。
『不思議だ、何だか力がみなぎってくるような気がする』
「え? じゃぁ一体誰が? 加藤さんは、今朝お城で倒れているのを発見されたんですよ。でも良かった、お医者さんも言ってましたよ、どこも怪我してないなんて奇跡だって」
添乗員は、一気にしゃべり終えると「あっ」と小さな声でいって、深々と頭を下げた。
「この度は、大変申し訳ございませんでした」添乗員は、深く頭を下げながらそう言った。
「いえいえ、こちらこそご迷惑をおかけしてすみません」
「いいえ、本当に申し訳ありません。私どもは、皆さんに楽しい旅を提供するのが仕事なんです。それをこんな形で台無しにしてしまって……」添乗員は、本当に申し訳無さそうに何度も頭を下げた。
「添乗員さん、もうそんなに頭を下げないで下さい。僕がこうなったことでツアーで一緒の方にも心配をおかけしただろうし、楽しいはずの旅にケチをつけてしまった。すべて、僕の不注意が原因なんですから」僕は、いたたまれなくなってしまった。
「加藤さんは、お優しいんですね。奥さんがうらやましいです。本社と話し合って、今回の旅行代は返金させて頂くことに致しました。あっ……遅くなりましたが、私、こういう者でございます」添乗員は、名刺をだした。山本 美弥子と書いてあった。
「それじゃ、悪いですよ」
「いえ、戻ったお金でまた私どものプランを選んで頂ければ幸いです」
「そうですか……じゃあこうしましょう。今日まで使った部屋代は取ってください。明日以降の分は返してもらうってことでどうでしょう? もちろん、次の旅行も山本さんご氏名で行かせてもらいます」
「本当にそれでよろしいんですか? わかりました。本社にその方向で話してみます。加藤さんいい人ですね」
「やめてください。照れくさいです」
僕は、照れ隠しに頭を掻いた。
バタンと病室の戸を開ける音がした。振り向くと絵里香が今にも泣き出しそうな顔をして立っていた。
「カトちゃーん!」絵里香は駆け寄り、僕に抱きついた。
「もう結婚したんだから、その呼び方やめようよ」僕は、山本さんに聞かれたのが恥かしくてそう言った。
「だって、私のカトちゃんは、カトちゃんだもん!!」僕は、山本さんの方を向いて照れ笑いした。山本さんも苦笑していた。
「カトちゃん帰ろう? ね? 帰ろう」絵里香は、甘えた声でそういった。
「まだツアー終わってないけど、いいの? 僕なら、見ての通りなんとも無いよ」僕は、絵里香が楽しめなかったのではと思い、聞き返した。
「だって……」絵里香は、下を向いてしまった。
「わかった、じゃぁ帰ろう。ごめんね絵里香。せっかくの旅行が台無しになっちゃって」
「ううん……いいの。カトちゃんが無事だったんだから」そういうと絵里香は首にしがみついてきた。
僕は照れながら山本さんの方を向き「そういうことなんで、帰国の手続きお願いできますか?」といった。
「かしこまりました。では今晩、この辺で一番いいホテルをご用意いたしますので、ごゆっくりして下さい」
「お手数おかけしますが、よろしくお願いします。なんだか悪いですね」僕は、申し訳ない気がした。
「いえいえ、仕事ですから。それでは失礼します。後でご連絡いたします。」そういうと、山本さんは、病室を出て行った。
数時間後、山本さんが車で病院まで迎えに来てくれた。
僕と絵里香は、けして大きくは無いが、綺麗でとてもかわいらしい外観のホテルに案内された。チェックインの手続きを山本さんがしてくれた。
「加藤さん」僕と絵里香でロビーでコーヒーを飲んでいたところに、山本さんが来て「これにサインしてください」チェックインの宿帳だった。僕は、ローマ字で名前を書いて山本さんに渡した。山本さんはそれを受け取ると「明日、午後3時の便が取れました。午後1時に伺いますので、帰り支度だけ済ませて置いてください」と告げた。
「色々とお手数かけて済みません」僕がそういうと、山本さんは「いえ……仕事ですから。一生に一度の新婚旅行を台無しにして、本当に申し訳ございませんでした」と深々と頭を下げた。
「では、明日。午後1時にお迎えに参ります。ここの食事とても美味しいんですよ、今晩は楽しんでくださいね」
そういって山本さんは、立ち去った。
山本さんは、すこし涙ぐんでいた。
その宿の食事は、本当に美味しくてビックリした。
僕も絵里香も大満足で部屋に戻り、明日帰国することを考えて早めにベッドに入った。
『この辺で一番いいホテルっていってたな』僕は、山本さんの言葉を思い出した。正直、ものすごくゴージャスなホテルをイメージしていた。
案内されたとき『これが?』と拍子抜けした。
でも、今ならわかる。たしかに一番いいホテルなのだ。
ツアーには組み込まれることのない、山本さんにとっての一番。
僕は山本さんのプロ根性というか、仕事に対する姿勢に感動をすらしていた。
翌日、僕らは帰国の途についた。出発ロビーまで山本さんは送ってくれた。なので、間違いなく出国の手続きを終えることが出来た。搭乗のアナウンスが流れた。
「では、私はこれで失礼します」山本さんは、深々と頭をさげた。
「いや、何から何までお世話になっちゃって……昨日の夕食、本当に美味しかったです。ありがとうございました」
「わぁよかった。あのホテルは、私の取って置きなんです。だから、ツアーには使わないんです」そういって山本さんは笑った。
「本当に美味かったですよ。また行ってみたいな」僕は手を振って飛行機に乗り込んだ。
機は程なく離陸した。
僕は、ひどく疲れていたので、ブランケットを用意してもらい、眠る事にした。
ウトウトとする中、奇妙な夢をみた。
それは、地下で出会ったあの男の夢だった。
そもそも、あの出来事事態が夢だったのか?現実だったのか?
男は、日本語で話しかけてきた。
「我が名は、ヴラド・ツェペシュ。口惜しくもヘルシングにやられて以来、余の血を受け継ぐ者は余の血を吸った『蚊』のみであった。そう、あの時おぬしが叩こうとした『蚊』である。あの井戸は、聖的な結界を張られていたゆえ、永きにわたり、蚊に身を落とした余の力ではその結界を破る事は叶わなかった。そこへおぬしが降ってきた。おぬしは異教徒ゆえ、結界はまったく持って効力を持たない。おかげで外に出られた、礼を言うぞ。おぬしが吸われた血はごく微量ゆえ、人を完全には失っておらぬ。ある意味、それはそれで、昼も動けるので便利じゃ。最後に、隣で寝ている女には、気をつけろ……」
僕は、ハッとして目を覚ました。隣で寝ている絵里香の顔をみて「ばかばかしい」と独り言を言った。
機は、パリを経由して日本に着いた。
・4
それから数週間、日々何事も無く過ぎ去っていった。
旅先であった事もただの笑い話になり始めた頃のある日、僕はいつもの弁当屋にカレーを買いに来ていた。
軽ワゴン車で売りに来るカレー屋なのだが、ここのカレーが絶品なのだ。だから、昼時は長陀の列になる。
列に並んでいると「加藤さん」と声を掛けられた。
振り返ると、添乗員の山本さんが立っていた。
「やっぱり加藤さんだ。こんにちは」山本さんはペコリと頭を下げた。
「加藤さんもカレーを買いに来たんですか? ここのカレーおいしいですよね」
「あっ、僕のほうが順番早いから、注文しましょうか?」
「いいですか? じゃぁ私、あそこのコンビニでお茶買ってきますね。加藤さん、お茶でいいですか? コーラとかですか?」
「お茶でお願いします」
「分りました。じゃあ、これカレー代。チーズカレーでお願いします」
そう言うと、山本さんは走ってコンビニに行った。
僕が、カレーを受け取って振り返ると山本さんが手を振って待っていた。
僕は、歩み寄りカレーとお釣りとお茶代を渡した。
「じゃあこれで」僕が社に戻ろうとすると「あのう……良かったら一緒に食べません?」と山本さんが言った。
「えっ」僕が聞き返すと「私、公園で食べるんですが、一緒にどうですか?」と山本さんは、少し恥ずかしそうに言った。
僕は少し考えてから、断る理由もないし「いいですよ」と言った。
僕たちは、近くの公園のベンチに座りカレーを食べた。
「会社、近くなんですね」山本さんはそう言ったが、相手は大手旅行会社だったので、僕は近くに会社がある事は知っていた。
「いや、山本さんの会社が近くにあるのは僕は知ってました。大きなビルなんで。とは言え、山本さんに会えるとは思いませんでしたが」
「そうですか? そうですよね」山本さんは苦笑した。
「加藤さんのカレーは……ささみカツですね」そう言って、山本さんは僕のカレーを覗き込んだ。
「あっ! 一個食べます?」僕が一口大に切られたカツを、山本さんの器に入れようとすると「いえいえ、そんなつもりで言ったつもりじゃ……」と言いながら山本さんは赤くなったが、カツは山本さんの器に落ちた後だった。
「返してもらうのもなんなんで、イヤじゃなかったらどうぞ食べて下さい」
「すみません、じゃあ遠慮なく……美味しい! 今度頼もうっと!」
旅先では頼もしかった山本さんも、こうしてみるとごく普通の若いOLさんだった。
「なんだ加藤? お前、新婚なのにもう別の女性を引っ掛けてるんか?」
振り向くと、会社の同僚の大村だった。
「いや、この前行った旅行の添乗員さんで、偶然カレー屋で会ったんだよ」
「ふーん……紹介しろよ」
そこから、大村のオシャベリが続き、旅行会社と合同の飲み会が開かれる事になった。
「じゃぁ、詳しい事が決まったら連絡下さい」そう行って、山本さんは名詞を出し、裏にサラサラと携帯番号を書いた。
「コレは、加藤さんに渡しますね」ニヤリと笑いながら名詞を渡してきた。
「ちぇっ……」大村は舌打ちをした。
「加藤さん、大村さんに教えちゃだめですよ。じゃあまた」山本さんは手を振りながら帰って行った。
大村は、ガシッと僕の肩に手を回すと「奥さんには黙っていてやるよ、お前にしちゃ上出来だ」と耳元で言った。
・5
飲み会の日がやってきた。
女性という生き物は、どうして鼻が利くのだろう?
朝の第一声が「今日の帰りは何時?」だ。
僕は裏返った声で「今日は、チョット遅くなるかも……大村と飲みに行く約束してるから……」と言った……ウソはついていない……
絵里香は僕を値踏みする様な眼で上から下まで見ると、一言「ふーーん」と言った。
「あっ! ばばば……バスの時間に遅れちゃう!」僕は慌てて、靴を履いて出掛けようとした。
「カトちゃん」僕がまさにドアノブに手を掛けた瞬間、後ろから呼び止められた。
僕が振り返ると「ネクタイが曲がってるわよ」と絵里香は僕のネクタイをギュッと締め上げると「ネクタイ曲がってると、モテ無いわよ」と囁いた。
そして冷たい眼で「行ってらっしゃい」と言った。
飲み会は何事もなくというか、つつがなく進み、宴たけなわの内に終わった。
独身の連中は二次会に行くらしいが、僕は家で妻が待っているといって帰る事にした。
「もう、尻に敷かれてるのか?」などと冷やかされもしたが、同僚達は女の子さえいれば引き留めようともしなかった。
「私も帰ります」背後から声がした。山本さんだった。
「犬が、寂しがってるからお先に失礼します」えーという男達の声を無視し山本さんは僕のそばにか駆け寄った。
「加藤さん、日比谷線ですよね。駅まで一緒に行きましょう」
刺さるような同僚達の視線を感じたが、山本さんがとっとと歩き出したので慌てて後を追った。
「この公園を突っ切ると、近道だから行きましょう」そう言って山本さんは、公園に入った。
夜の公園で若い女性と二人、否が応でも緊張した。
……なに意識しているんだ、何もないって……
「あの……加藤さん、自宅何処ですか?」
「えっ?」突然の質問にドキッとした。
「あっ……なに聞いてるんだろ私……」山本さんは、下を向いた。
「埼玉です。伊勢崎線ですよ、田舎者なんで」
僕が答えると山本さんは顔を上げた。
「良かった……なんか、無言だったから緊張しちゃって……あっ……」山本さんは、下を向いてしまった。
山本さんの一言で、むしろ緊張感が高まってしまった。
妙な空気が流れる二人の前を、数人の男達が遮った。
「ようよう、見せ付けちゃってくれんじゃんかよう」
山本さんは、無視して通り過ぎようとしたが、男達は手を広げてとおせんぼをした。
「おーっと、駄目だよお姉さん」そう言って男達は、山本さんを取り囲んだ。
「ちょっと、通して下さい」山本さんは、強気に言った。
「どうしよかな?」リーダーらしき男が、後ろから山本さんに抱きついた。
「なにするんですか!やめてください!」山本さんは、もがいた。
「やめろ!」僕は、リーダーらしき男に体当たりした。
リーダーらしき男は、山本さんごと公園の芝生に3mほど吹き飛び、山本さんを離した。
下が芝生だったので怪我はないようだが、あまりの勢いにそこにいた全員がア然として僕を見た。
しかし、誰より僕自身が一番驚いた。
僕は、自分の両手を見ながら呆然とした。
「このヤロウ!」取り巻いていた中の一人の男が、襲い掛かって来た。
僕はこれまた信じられない体さばきでヒラリとよけると、背後から裸絞めにした。
「逃げて!山本さん!」僕が叫ぶと、山本さんは立ち上がり走り出した。
「待ちやがれ!」リーダーが叫ぶと手下の男が、山本さんを追った。
ブンと風を切る音と共に、大きな何かが山本さんを追う手下にぶつかった。
それは、裸絞めにされていた男だった。
信じられない事だが、僕がぶん投げた。
投げられた男は軽く20mは宙を舞い、山本さんを追った男に激突した。
ドカンという爆発音にも似た音とともに、手下二人は木の陰に吹き飛んだ。
二人は、ブッ倒れたままピクリともしなくなった。
山本さんは振り返ったが、追っ手が居ないのを確認すると再び走り始め見えなくなった。
全員がゆっくりと振り返り、僕を見た。
僕はなんだか段々意識が遠のき、まるでこの状況を客観的に観ている気がしてきた。
「コノヤロー!」リーダーが、襲いかかって来た。
僕はその男の額を、ガシッと掴んでそのまま持ち上げた。
「いててて……放しやがれ」男は足をバタバタとしながら、叫んだ。
僕は、グッと力を込めた。こめかみに指が、食い込むのを感じた。
男はビクビクと小刻みに震え、手足を力無くダラリと垂れ下げた。僕は何とも言えない恍惚感を感じた、そこからは意識が朦朧としてハッキリと覚えていない。
「うわーっ!」男達は、蜘蛛の子を散らす様に逃げだした。
僕は薄れ行く意識の中ハッキリと聞いた。
「余は、男の血は好まぬ」
「こっちです!」警官を連れて戻ってきた山本さんの目の前には、凄惨な光景が広がっていた。
まるで交通事故に遭ったかのように手足があっちこっち向いてしまっている死体が数体、累々と横たわっていた。
山本さんは、思わず目をそらした。
警官は、すぐに無線で応援を呼んだ。
暫くすると、パトカー数台が到着した。
山本さんは、警官にパトカーに誘われた。
山本さんは去り際に「加藤さん!」と叫んだが、返事はなかった。
・6
公園は、黄色いテープで囲われ、青いビニールシートで目隠しされた。
一台の黒塗りの車が到着し、なかから数人の男が降りてきた。
見張り番を任されていた棒を持った制服警官が敬礼をすると、先頭を歩くコートを着た髪を短く刈上げた初老の男が軽く手を上げて挨拶を返すと「ご苦労さん」といってビニールシートを捲り中に入って行った。
続けて、同行した数名の男達ゾロゾロと中に入って行った。
「ご苦労さん」初老の男が手を挙げて、そこで作業している面々を労うと、一人の作業服姿の男が立ち上がり手を挙げて近寄ってきた。
「どうも島さん!」作業服姿の男は、初老の男をそう呼んだ。
「お! ちゅうさん! あんたか? こりゃあ解決したも同然だ」
初老の男は、島田真也。泣く子も黙る捜査一課の鬼刑事だ。
作業服の男は、荒井忠雄。島田が信頼する、鑑識課のベテランだ。二人は、数々の難事件を解決してきた、警視庁の名コンビだ。
「いやぁ、永年鑑識やってるが、こんな仏さん初めてですわ」そういって、荒井は島田をある死体の前に案内した。
島田は、死体の枕元に座り手を合わせた。
若い刑事が先輩刑事にアゴで指示され、渋々前に出ると軽く手を合わせると死体に掛けられたシートを捲った。
若い刑事は跳び下がり、口を抑えて駆け去った。
「だらしねぇ。まったく」島田はそう嘆いたが、死体を見て仕方なくも思った。
「ひでぇなこりゃ」
死体は、顔の上顎から上が無くなっていた。正確には潰れてた。
「死亡推定時刻は、詳しく調べてないが昨日の夜10時ごろ。交番に女性が駆け込んで来た時間と一致しているので間違い無いだろう」と荒井が言うと、一人の刑事が手帳を開き内容を読み始めた。
「交番に駆け込んできた女性は、山本美弥子。旅行会社に勤める会社員です。加藤という男と飲み会の帰り道にチンピラ数人に絡まれ、加藤とチンピラがもみ合っているうちに逃げて、交番に駆け込んだ」
「じゃあ、この仏さんが加藤さんか?」島田は、くわえていた煙草を携帯用灰皿でもみ消した。
「山本さんの証言では、加藤は非常に痩せているとのこと。会社帰りなので、グレーのスーツに紺のネクタイだったとのことです」
「てことは、加藤がこれをやった可能性が一番高いが……果たして、人間に可能なことなのか? ダンプカーでも使ったのか? まさかな……ちゅうさん、死体は解剖に回して」島田は、険しい面持ちで「あとよろしく」というと、立ち上がったが、なにか決定的なものが足りないのを感じて振り返った。
『妙だな。何か足りない』島田は、アゴに手を当て考えた。
「島さん、私もこの仏さん違和感感じてましたよ」島田の心を見透かすように荒井が口を開いた。
「この仏さん、血が無いんです。周辺の血痕も極わずか、別の場所から運んだ可能性もあります」
その言葉を聞いて、島田はハッとした。
『そうか、足りないと思ったのは血か……』
「しかし、それでは通報した女性の証言に矛盾が……簡単じゃないなこのヤマ」島田は、ニヤリと不敵に笑った。
「ちゅうさん、解剖の所見でたら教えてくれ、詳しく知りたい」そういうと島田は、青いビニールシートを捲り出て行った。
・7
「おかえりなさーい」絵里香は玄関ドアの鍵を開けて出迎えた。
僕はそれを、なぜか斜め上から見ていた。
戸口に立っている男は、僕であって僕では無かった。
燃えるような赤い瞳を爛々とさせ、口角の片側を上げ皮肉めいた笑みを浮かべていた。
絵里香は「ひっ」っと声を上げて、後退りした。
僕では無い僕はずいと歩を進め、絵里香は更に後退りしたが足を滑らせて尻餅をついた。
僕では無い僕は絵里香の顔を上から覗き込み「なぜ逃げる」と言った。
絵里香は足をバタバタとさせ更に後退りしたが、すぐに壁に突き当たってしまった。
「わざと井戸に突き落としただろう? ゴロツキ共は金で雇ったか? 生憎だったなぁ……全員殺したよ」僕では無い僕はは更に眼光を強め絵里香を睨み付けた。
絵里香は何かに引っ張られるかのうように、徐々に上を向き始めた。口も少しずつ開き始めた。足をバタつかせて抵抗を試みるが、抵抗すればするほど首は上に向き、口は開いて行った。そして、ついに天井に向いて大口を開く格好になった。
「お利口さん」僕では無い僕は、絵里香の顔を覗き込んだ。
絵里香はだらしなくヨダレを垂らし始めたが、拭こうにもくちをとじようにも身体が金縛りにあったように動かなかった。
僕では無い僕はいつの間にか鋭く伸びた爪で、反対の手の指先を切り裂いた。指先からどす黒い、少し紫掛かった血が滴り落ちた。
「よいか?お前は今日から余の奴隷だ。逆らうことは許さん」
僕では無い僕はその指を絵里香の喉に突っ込んだ。
絵里香の垂らしたヨダレに血が混ざり、白いブラウスを汚した。
絵里香はやがて恍惚の表情浮かべ、息が荒くなった。
指を抜くと「ああん」と声を上げた。
指が抜けたと同時に身体が自由になると、気を失った。
そして、僕もまた意識を失った。
数日後、島田と荒井は某国立大学病院の前で待ち合わせいた。
「すみません島さんバスが遅れちゃって」荒井は、額の汗をグレーのタオルハンカチで拭いた。
「いや、俺も今着たところだ」島田は、ペットボトルの緑茶をグイッと飲みながらそう言った。
「どうですか?何か掴めました?」荒井の質問に島田は首を横に振った。
「スグに加藤の家と職場に行ったんだが、家では仕事に行ったと言われ、職場では無断欠勤してると言われ……張り込んで居るんだが、全く尻尾が掴めない……おおかた、窓から出入りしてるのだろう……8階のな」島田は首をゆっくりと回し、あぁと息をもらした。
『8階の窓から……』荒井は、島田の言葉に何か引っ掛かる事があるようだった。
島田は緑茶を飲み干すと辺りを見回してゴミ箱を探したが、辺りにゴミ箱が無いと諦めてビンを小脇に挟んだ。
「行きますか?」と島田が言うと、二人は病院の入口に向かった。
・8
「ここだ」荒井が銀色の物々しいドアを開くと、奥の机に座った人物が振り返った。
「こんにちは。今回司法解剖を行った、青山麗子です」解剖室で出迎えたのは、意外にも若い女性だった。
『女か……』島田は、心の中でつぶやいた。
「女性では、不満ですか?」島田は、青山に心を見透かされどぎまぎした。
「い……いや、やることやってもらったならば、も……問題ない」と島田は少し慌てて答えた。
「では、早速」青山は、振り返り『たぬきじじい』と心の中で言った。
死体は、2―2―1に分けて置かれていた。
「運ばれたのは5体、死亡原因別に並べました」青山は、最初の2体のベッドのシートをまくった。
「この2体、目立った外傷はなく、腹部に拳大の痣、内臓が破裂してました。簡単にいうと、お腹殴られて内臓が破裂したってことです」青山は、メガネをクイと上げながら振り向いた。
「一発か?」荒井が聞くと「まぁ、痣が一カ所なので、同じところを正確に何度も叩いた可能性もないとも言えません。ほぼ不可能ですが。まぁ、これはこんなとこで、さして珍しくもないので」そういって、青山は次の2体のベッドのシートをまくった。
「この2体は現場でも近くに倒れていたそうですが、こっちを仮にAとしますか。Aの直接の死因と思われるのは、側頭部の陥没と頸椎の損傷。Bの死因は、頭頂部の陥没と頸椎の損傷。ただし、Bの場合は首の挫屈による損傷」
「挫屈?」島田が質問した。
「首がめり込んだってことです。亀みたいに」
「なんだと?」
「3通り考えられます。Aが横向きに寝てるところにBが真上から逆さまに落ちてきた。Aが立っているところにBが水平に時速300kmで飛んできた。Bが立っているところにAの頭を金槌かわりに叩いた。どれも、普通じゃあり得ないですがね」
「馬鹿な……」島田はタバコに火を付けようとしたが、「禁煙です」と青山に取り上げられ、チッと舌打ちした。
「この位で驚かないでください」そういって、青山は最後のベッドのシートをまくった。
それは、島田が現場でみた死体だった。
「これか」と島田は言った。
「これですが、この部分」青山は、潰れた顔面の横の皮膚を伸ばして見せた。
「右側頭部に1つ、左に4つ穴があります。丁度こんな感じ」青山は、右手を顔に当てて見せた。
「こんな感じに、右手で握り潰されたと思われます」
「馬鹿な。どんな握力だ。馬鹿馬鹿しい」島田は鼻で笑った。
青山は、そんな島田を無視して続けた。
「驚いたことに体液の2/3を失ってます」まだ、日にちがさほど経っていないのにも係わらず、すでにミイラ化が始まっているかのようだった。
「もっと驚いたことに……これ、死んでません」
3人の間に、妙な空気が流れた。
島田と荒井は、顔を見合わせ同時に言った。
「なんだと?」
・9
「いやぁ私も驚きましたよ。だって、急に動き出すんだもの」青山は、頭をかきながら言った。
「馬鹿も休み休み……」まで島田が言ったところで「ガシャ」っとそれは動いた。
荒井は、飛び退いて尻餅をついた。
「だから、手足縛ってあるんだ」荒井は、目を白黒させて言った。
「ね?言ったでしょ。まあ、動き出したところで縛って、メスで切っちゃったけど」青山は、笑いながら言った。
「あれ?これって、傷害罪になります?」青山の問いに、島田と荒井は、顔を見合わせた。
「まあ、脳の大部分が破壊されているので脳死。死亡診断書にはそう書きます。早めに火葬した方がいいですよ」青山は、大真面目に言った。
「なぜ、早めに焼く必要がある?遺族もあることだし、そうカンタンなことじゃないぞ」島田が尋ねた。
「染つるから」青山は、淡々と答えた。
「なに?」島田には理解できなかった。
「感染します」青山は、さっきよりチョット強く言った。
「だから、なに言ってんだお前?」島田の言葉には『いい加減にしろ』と言う意味が含まれていた。
「だってヴァンパイアですから、犯人」青山の目は、真剣そのものだった。
三人の間に妙な空気が流れた。
島田は、ふうと一息吐いた。
「先生、話が飛躍しすぎじゃないですか?」島田はバカバカしいとばかり、両手を広げ肩をすぼめた。
「じゃあ、このゾンビは飛躍しないで説明出来るんですか?」青山は、憤慨し激しい口調で反論した。ベッドの上では生ける屍がガシャガシャと、先に増して暴れ始めた。
島田は頭を掻きながら「だから女は」と言った。
「分かりました」青山は、生ける屍を縛ったロープを解きはじめた。
「おいおい、何してるんだ」島田は青山の手首を掴んだ。
「ここは死体の解剖専門ですから、どうぞ連れて帰って取り調べて下さい」解放された片腕が、ブンブンと暴れ出した。
「二人とも、落ち着いて下さい」荒井は二人を分けると、恐る恐る暴れる腕にロープをかけ、再びベッドに縛った。
「島さん、青山先生の言うことも一理ある。我々の常識では計り知れないことが起こっている」荒井は島田を諭すように言った。
「だからって吸血鬼なんざ……」島田は『お前もか』と呆れ顔になった。
「島さん、実は報告書に記載されていないことがある。証拠として見つからなかったから」
「なんだと?」島田は真顔に戻った。
「島さん、足跡が見つからないんです。死体と死体を結ぶ足跡がない。犯人は『空を飛ぶ』としか思えないんです。8階の窓から出入りしてるってのも……」
島田は「ふん」と鼻息を吐くと、無言のままドスンと椅子に腰掛けた。
生ける屍は、更に勢いを増して暴れ始めた。
・10
「ちょっと待っていてください」青山は、奥のロッカーから何かを出してきた。
「この人には悪いけど、死人はじっとしていて貰わないと始末が悪いから」青山の手には、モップが握られていた。
青山はそのモップを診察台に斜めに立て掛けると、勢いをつけて思い切り踏みつけた。モップは、ボッキリと二つに折れた。
「はい」青山は折れたモップを荒井に渡した。
「私には無理だから、お願いします。グサッと心臓を」
荒井は顔を横に振りながら「警察官としてそれは出来ない」と言った。
「死亡診断書書くの私なんだから、どうとでも出来るのに。いいわ、私がやる」モップの杖を持つとガシャガシャと暴れる死体の胸に突き立てた。
「ブォォァ!」死体は叫び声を上げて、より一層激しく暴れ出した。
ブチブチと音を立てて手足を縛ったロープを引き千切り、大きく腕を振った。
「キャッ!」青山は弾き飛ばされ、手術道具等を載せた台を巻き込んでガシャガシャと倒れ込んだ。
「メガネ……メガネ……」青山は、手探りでメガネを探した。
「痛い!」青山の人差し指から、血が流れていた。メガネを探しながら、メスで切ったらしい。
「あった!」メガネをかけ直した青山の目に映ったのは、クンクンと匂い嗅ぐような仕草をしながら四つん這いで這い寄る死体だった。
「ひっ……」青山は思わずこえを出してしまった。
死体は、ピクンと身を起こし声に反応すると這うスピードを上げた。
青山が尻餅をついた体勢のまま後退ると、カランと木質の物が手に当たった。それは、さっきのモップの杖だった。
青山は、慌ててそれを拾って身構えた。
死体は猫科の動物が獲物を襲うかのごとく、跳び掛かって来た。
青山は、目をつぶって持っているモップの杖を突き出した。
青山は『ドン』という衝撃を感じて目を開けた。
「うわっ」青山は、眼前の上顎の無い顔を見て声あげた。しかし、死体は動きを止めていた。
床と死体の間にモップの杖がつっかえ棒になり『入』という字を描いていた。
モップは、見事に死体の左胸を捉えていた。
死体は、ぐらりと横に倒れた。
「大丈夫ですか?」荒井は駆け寄り、青山を助け起こした。
島田は、しばらく呆然とその光景を眺めていた。
『なんだこりゃ……ありえん……』
死体は、空気の抜けた風船のようにしぼみ、やがて灰になった。
・11
「島さん、署長がお呼びです」出勤早々、朝一番からの呼び出しだ。
島田は、『チッ』と内心で舌打ちしながら署長室へ向かった。
「入ります」島田は、ノックもせずぶっきらぼうにドアを開けた。
署長室では、見知らぬ男が署長と話し込んでいた。
「な……何だね島田君。ノックくらいしたまえ」署長は、浮気現場を見られたように慌てた。
見知らぬ男は、入口側の部屋の隅にサッと身を引いた。
ドアからは、完全に死角になる位置だ。
そして、その位置は署長に対峙した島田の死角でもあった。
『特別な訓練を受けている』
島田は、全く隙のない男の動きに警戒しながら署長室に入った。
署長は、手を前で組ながら話し始めた。
「御苦労。君が追っている例のヤマだが、チンピラ同士の抗争で片がついた。捜査本部も解散する」署長はクルリと椅子を回転させ、後ろを向いた。
「待ってください署長!」島田が反論しようとすると、言葉を遮って署長がいった。
「荒井から解剖の報告をもらった。お前さん自慢の刑事の感も『お宮入り』って言ってるだろ?違うか?本件は、本庁1課99係が引き継ぐ。悪く思うな」
『99係だと……はっ!』島田は、はっとして振り返った。男は、文字通りドロンしていた。
「署長、まさか今の男は……」
「その通りだ」
島田は、グッと拳を握り締め「分かりました」と悔しさを滲ませて言うと、署長室を後にした。
『99係……長年勤めて来たが、まさか本当に在るとは……忍者部隊……怪奇事件専門の特別機動捜査隊で戦国時代の忍者の末裔だとか……都市伝説の類だと思っていた。だが、俺は諦めない。必ずホシは俺があげてみせる』
会社からの帰り道、駅の改札を抜けた山本美弥子は、携帯の画面を見てため息をついた。
あの日以来、加藤と連絡がつかない。
『会ってあの日の礼を言いたい……もしものことがあったら……やっぱり、自宅に行った方が……』
色々な思いが交錯した。
一瞬最悪の結果が脳裏を過ぎった。
山本はブンブンと首を振り、そして、もう一度電話してみた。
『カチャ』電話をとる音が聞こえた。
『繋がった!』山本は、はやる気持ちを抑えきれず、早口で話し始めた。
「もしもし!!あの山も……」山本の言葉をさえぎって、電話からアナウンスが流れた。
「この電話は、電源が切れているか、現在……」山本は、電話を切った。
携帯の画面に、一粒二粒と水滴が落ちた。
「あれっ?あれっ?」山本は、鼻の奥の方がつーんと熱くり、どんどん画面が滲んで行くのを感じた。
『ダメ!駄目だよ美弥子。だって……あの人には奥さんが……』もう涙を堪えきれなかった。
山本は、走り出した。早く一人になりたかった。
『自宅へ会いに行けないのは、奥さんに会いたくないからだ。嫉妬する自分が、嫌な人間に感じるからだ。最低だ。あの人を死なせてしまったかも知れないのに……私……加藤さんを……』
山本は走った、その速度で思いを振り切りたかった。
・12
山本は、自宅マンションに着いた。
エレベーターに乗り込むと、膝に手を当てて息を整えた。
エレベーターは、4階に着いた。
エレベーターを降りた山本は、ショルダーバッグの中の鍵を探しながら再びため息をついた。
鍵を見つけて視線を正面に戻すと、廊下の突き当たりに見知らぬ男が立っていた。
山本が軽く会釈すると、その男はツカツカと早足で近づいてきた。
『ちょっと、なに?』山本は、びっくりして動けなくなった。
男は顔を近づけて「加藤はどこだ?」と聞いてきた。
「えっ?あの……わ……わかりません」山本は、ゆっくり後退りしながら答えた。
ドンと背中に何か当たった。『壁?まだ壁は無いはず?』
その瞬間、壁かと思った何者かに後ろから抱きかかえられて、山本はパニックに陥った。
背後から近づいてきた何者かは、山本を抱きかかえたまま4階から飛び降りた。
余りに突然の出来事に、山本は声も出なかった。
ズシンという衝撃で片目を開けると、その何者かは何事もなかったように走り出した。尋常じゃない速さだった。
「ひっ!」山本は余りの恐ろしさに、その何者かにしがみついた。
『あれ?』その感触は意外とフワフワとしていた。
「ごめんなさいねぇ……うふっ。でも安心して!アタシ、アナタの味方よ」その何者かは、野太い声で言った。何故かオネエ言葉だった。
山本は、余りの意外性に恐る恐る顔を見上げた。
山本を抱きかかえたまま、尋常じゃない速さで走る何者かは、物凄く毛深い大男だった。
山本の視線に気付いた大男は「フォクシーちゃんって呼んでね」と、毛むくじゃらの顔をクシャクシャにしてウインクした。
「フォクシーちゃん?……ぷっ」山本は置かれている状況を忘れて、思わず吹き出してしまった。
「ちょっとナニ!アナタ今、アタシの顔見て笑ったわね!ひどいわ!傷ついたわ!ちょっとくらいカワイイからって!」フォクシーちゃんは、毛むくじゃらのホッペをプーっと膨らました。
「ごめんなさい……」山本は、笑いを堪えながら言った。
「もう!失礼しちゃう!こう見えても、心は女の子なんだから!」フォクシーちゃんは、頬を膨らましたまま、ツーンとそっぽを向いた。
「ごめんなさい。本当にごめん」山本が謝ると「まぁ、いいわ。ゆるしてアゲル」フォクシーちゃんは、もう一回ウインクした。
しばらく走り、市境の河川敷についた。
「ここね」フォクシーちゃんは、河川敷の土手を一気に駆け下り、線路のガード下に山本をゆっくり下ろした。
山本は、ヘナヘナとへたり込み、ホッと息をついた。
「まだ安心しちゃダメ!来るわよ!」フォクシーちゃんの呼び掛けに、山本は恐る恐る顔を上げた。
何者かがガードの上からまるでスローモーションのようにゆっくりと、ニュートンの法則を無視して降りてきた。
さっき廊下に居た男だった。
『あのスピードに付いてきたの?信じられない?』息も切らしていない男に、山本は驚きを通り越して恐怖を感じた。
男はふわりと地面に降りた。ニヤリと不敵に笑うと急加速して、襲いかかってきた。
「きゃっ!」山本は、目をつぶった。
ドン!ザザザ!激しくぶつかり合う音がして、山本は目を開けた。
山本の目の前で、男とにらみ合って身構えているのは、一匹の犬だった。
・13
その犬は、銀色の毛で覆われていた。
月明かりに照らされ蒼く輝く姿に、山本は思わず見とれた。
『綺麗……』
「よーしいい子ねペロちゃん!」フォクシーちゃんの声に、犬は尻尾を振りながら振り返り「ワン!」と吠えた。
何故か、笑顔に見えた。
「あ~ん!駄目よペロちゃんよそ見しちゃ~!」その瞬間、男は一気に間合いを詰めてきた。
「あぶない!」思わず山本は、叫んだ。
シュン!と風を切る音が背後から山本の耳をかすめ、何か光るものが男めがけて飛んで行った。
パーンという破裂音と共に、男の顔が跳ね上がった。
男は、そのまま仰向けに倒れた。
ジャラリと音がして、地面に一筋の銀のラインが出来た。
それは鎖だった。
山本は、足元に出来た銀のラインを辿りながら振り返った。
そこには、一人の神父が立っていた。
鎖は、左手に握られた十字架に繋がれていた。
「チョット!遅いじゃないの!」フォクシーちゃんの知り合いのようだ。
「わん!」ペロも遅いと言っているようだった。
「原チャリより速いお前が、異常なんだよ!」土手の上にスクーターが停めてあった。
神父は、グイッと鎖を引いた。
先端部にナス状の分銅が付いていて、返ってきた分銅を革の手袋で、パシッとキャッチした。
「お目覚めだ」と神父が言った。
一同が振り返ると、男がムクリと操り人形のような生命感のない、不自然な動きで起き上がった。
額は大きく陥没し、片目がドロリと垂れ下がっていた。
男は垂れ下がった目玉を元の位置に押し込みながら、片手を上げた。
それが合図になり、ガードの上から更に3人の男が飛び降りてきた。
「あら!バカね~!頭数揃えれば、勝てると思ったら大間違いよ!」
そう言うとフォクシーちゃんは山本を小脇にかかえて、走り出した。
行く手を塞ぐ相手をペロが体当たりで跳ね飛ばすと、素早くそこを駆け抜けた。
行き先は川だった。
「フォクシーちゃん、行き止まり!」山本は、思わず叫んだ。
フォクシーちゃんは飛んだ、山本を脇に抱えたまま。そして、信じられない程フワリと優雅に着地した。
着地した先は、川の中洲だった。岸から15mは軽く有りそうだった。
フォクシーちゃんはそっと山本を下ろした。
「ひとまず安心ね」フォクシーちゃんは、ニヤニヤと笑いながら言った。
「安心?」山本は、正直さほど安心とは思えなかった。
「知らないの?バンパイアは、川を渡れないのよ。見て、奴らの間抜けな格好、笑っちゃう。うふふふふ」フォクシーちゃんは、堪えきれず失笑した。
「バンパイアって……」山本は、さっきの悪夢のような光景を思い出し、ブルッと身震いした。
奴らは、川岸を右に左にウロウロしては、こっちに向かって威嚇するような声を上げていた。
「で、どの子が加藤なの?」フォクシーちゃんは山本に訊ねた。
「え?加藤さんなら居ないです。それに加藤さんは、悪い人じゃありません」山本は、語気を強めて言った。
「残念だけど加藤はもう、アナタの知ってる加藤さんじゃないわ……そう、あの中には居ないの……」フォクシーちゃんは、少し悲しそうな目でそう言った。
「それに……そう!あの男!最初に加藤はどこだって私に聞いてきた。あの男達も加藤さんを探してるのよ!」山本は、廊下で在った事を思い出した。
「あらやだ!ホントに?じゃあ誰かしらあの子達?まあ、いいわ。敵には間違いないから」フォクシーちゃんは懐から携帯を取り出すと、誰かに電話を始めた。
割と大きめの携帯電話だったが超小型に見えて、操作する姿がコミカルに見えた。
対岸では、神父が胸に十字を切り、何やら詠唱し始めた。
おもむろに胸ポケットからボトルを出し、中の液体を手に手繰った鎖に掛けた。 液体は鎖をつたい、分銅から滴り落ちた。
「ちょっと待って」フォクシーちゃんは、通話をやめて山本の前に立ち「女の子には、刺激が強いから」と視界を塞ごうとしたが、パーンという音がして、山本は思わず脇から覗き見てしまった。
岸をうろつく男のうちの一人の頭部が、消えて無くなっていた。
山本は、ガクガクと震えその場にへたり込んだ。
「目をつぶって。見ちゃ駄目よ。」山本はフォクシーちゃんの言葉に聞き、目を閉じ耳を両手で塞いだ。
パーン、パーン、パーンと続けて3回音が響いて、その後シーンと静まり返った。
そして、山本は気を失った。
・14
トントントンと包丁で野菜を刻む音がする。
フンフンと下手な鼻歌が聞こえる。
サザエさんのメロディだ。
「さて、我ながら上出来!うふふ!美味しく出来たわ!ほら~ぁ!ミヤコちゃ~ん!起きて~!!」
山本は、味噌汁の匂いで目を覚ました。『あれ?お母さん?』しかしそこは、一人暮らしの自宅マンションのベッドだった。
『あれー?』山本は寝ぼけ眼で辺りを見回した。
「わん!」犬の声にびっくりして振り返ると、犬は山本に飛びつきペロペロと顔を舐めた。
「やめて、ペロちゃんたら!……あっ……」山本は昨夜起きた事を思い出した。
「こら!ペロちゃんダメでしょ!」ペロはビクっとして、「きゅーん」と言いながら、すごすごと引き下がった。
部屋の入り口に立つフォクシーちゃんを見て、山本は思わず固まった。
フォクシーちゃんは、山本の普段使っているピンクのエプロンをしていた。
そのエプロンはサイズが小さく、大柄なフォクシーちゃんの身体のほとんどを隠す事が出来ておらず、その性能の1割も発揮してるとは思えなかった。
笑っては失礼だと思い必死に堪えていた山本だが、山本の笑いのダムの危険水位は比較的低かった。
そして、ダムは敢えなく決壊した。
「ぷー!」山本は腹を抱え、ヒクヒクとひきつった。
「チョット!なによそれ~!」フォクシーちゃんはバタバタとじたんだを踏んだ。
「クックック……」部屋の端の方で笑いを堪える声がした。
山本とフォクシーちゃんが、そっちを向くとペロが下を向いて背中を震わせていた。
フォクシーちゃんの、頭のてっぺんから湯気がたった。
「もう!!!!ペロー!!!アンタって子は!アンタって子は~!!!」フォクシーちゃんは、ペロに飛びかかった。
ペロはすばやく避けると、ピューっと逃げていった。
「チョット待ちなさい!」フォクシーちゃんはペロを追いかけていった。
山本は昨日の出来事を忘れて、すっかり和んだ気持ちになった。
山本がリビングに移動すると、ダイニングテーブルに座り味噌汁をすする男。男の影に隠れるペロ。オタマを上段に構えるフォクシーちゃんの構図が出来ていた。
テーブルには、味噌汁と焼き魚、ご飯とお新香が用意されていた。
「兄者、そこをどいて頂けませんか?」フォクシーちゃんが上段に構えたオタマが、ワナワナと震えていた。
「こら。二人とも、人様の家で騒ぐのはやめなさい。迷惑ですよ」男はもう一口味噌汁をすすった。
「兄者、せめて一太刀、この恩知らずに……」フォクシーちゃんが言い終わるのを待たずに男が口を開いた。
「旨い!フォクシー、腕を上げたな!女子力アップしたんじゃない?」男の言葉にフォクシーちゃんのさっきまでの態度が一変した。
「もう、兄者ったら上手なんだから……うふ」フォクシーちゃんは手を頬に当てて、モジモジした。
しばし、そのコントのようなやりとりを見ていた山本にその男が気づいた。
「これはこれは。朝からスミマセン」男は立ち上がり山本に挨拶した。
「私、こういうものです」胸ポケットから、名刺を出した。
「警視庁 捜査1課99係 花園義郎警部補……刑事さんですか?」
「そうです。そして、昨日居た神父は、エクソシストのスネイク。コイツは、対バンパイア特別警察犬のペロ。そして、コイツが、狼男のフォクシーちゃん」
「チョットまって!狼男じゃなくて狼女子よ」花園は一瞬フォクシーちゃんを見たが、無視して続けた。
「今日から、この男と一匹がボディガードします」
「よろしくね、ミヤコちゃん」フォクシーちゃんは、ウインクした。
「わん!」ペロもよろしくと言っているようだ。
「えーっと……今さらりと、狼男って言いませんでした?」山本は薄笑いを浮かべながら、『冗談でしょ?』と言う意味を込めて質問した。
「言いましたが、なにか?」花園は、何食わぬ顔で答えた。
「だって……」山本は、フォクシーちゃんをチラリと見た。
「どこから見たって、狼男でしょう?」確かにフォクシーちゃんとても毛深く、漫画や映画で見た狼男そのものだった。
「ええ、まぁ……まさか本物さん?」山本はもう分けが分からなくなってきた。
「そう本物!そして、拙者花園、忍者でござる!」
「はぁ……ははは……もう、何が出てきても驚きません」山本は、少々呆れ顔でふらふらとテーブルに座り、テレビのスイッチを入れた。
『謎の男が現れ、東京の街を騒がせてます』ニュースキャスターがそう言うと、顔にモザイクがかかった中年女性がインタビューに答えた。
『私、先日ひったくりに在って、バッグを盗られちゃったんですけど、その人が捕まえてくれたんです。私にバッグを渡すと、名前も名乗らず走って行っちゃいました。小柄で凄く痩せてるんですが、凄く強くて、素敵でした』画面が変わり、今度は男性がインタビューに答えた。
『この前、不良に絡まれて……おやじ狩りってやつですか?恥ずかしながらカツ上げされまして、有り金全部取られちゃったんですが、その時何処からともなくあの人が現れて、あっという間にみんなやっつけちゃったんです。小柄で凄く痩せてるんですが、凄く強くて、本当に助かりました』また、画面が切り替わり、今度は若い女性がインタビューに答えた。
『この前、夜道で知らない男に抱きつかれて……そうしたら、小柄で痩せた人がやって来て、ぶん殴ってやっつけてくれたんです。あのままだったら、今頃私……』画面がスタジオに切り替わり、ニュースキャスターが言った。
『この人は、正義の味方なのでしょうか?そして、一体何者なのでしょうか?』
バンとテーブルを叩き、山本が立ち上がった。
「加藤さんだわ!絶対そう!加藤さんに違いないわ!!」
・15
「よろしくね」僕は、左腕にとまる蚊にそう言った。
ぷーんという不快な羽音をたてて、ふらふらと蚊は飛び立った。
しばらくすると、蚊は戻ってきて、僕の左腕を刺した。
「うーん、生き返る」僕は、思わず声を出した。
僕は自分の意志ではないとはいえ、人を殺めた。
その代償に、人ではなくなった。
生きてるけど、死んでいる。
悲しい事だけど、山本さんが無事ならば、意味のある事だと自分に言い聞かせている。
マンションは、引き払った。
今は、絵里香の実家で居候。
えっ?どうやって警察の監視を逃れたかって?
簡単です。絵里香に僕が会いたいって言ってると張り込みしてる警官を呼びに行かせて、マインドコントロールしました。
どういう分けか、最近は見かけないけど。
ご両親にも、悪いんですが同じ方法で味方になって貰いました。
今は、昼はゴロゴロして、夜はこうやって外に出て公園のベンチで蚊達に血を集めて貰ってる毎日。
えっ?それじゃ、世の中吸血鬼だらけになるって?
大丈夫、四十肩や腰痛が治ったり、運動会で一等賞が取れる程度しか吸ってないから。
ていうか、誰に話してるんだろう僕。
「隣に座っていいですか?」
見知らぬ初老の男が話しかけてきた。
「どうぞ」他にもベンチ空いてるのに……
「加藤さん、自首するつもりないですか?」
見知らぬ初老の男の問いかけに、僕は思わず顔を上げた。
男は胸のポケットから警察手帳出すと「島田と申します」と短く言った。
「なんのことですか?」僕は分からない振りをした。
「貴方が悪い人間とは、思えない。だからこそ自首してください」島田さんは、真剣な顔で僕をみた。
「イヤです。なんであんな奴らのために」
「あんな奴らとは……罪を認めるんですね」島田さんは、ニヤリとした。
しまった。うかつだった。
「……とは言え、私はまだ貴方があれだけ大勢を相手に戦ったとは思えない。格闘技経験もない、お世辞にも強そうにも見えない……」島田さんは、タバコを携帯用灰皿で消した。
「確かに僕がやりました。でも、すみません、自首はしません。どうしてもと言うのなら、捕まえ手下さい」
「やれるもんなら、やってみなか……ずいぶんナメられたらものだ」島田さんは、小石を拾ってポーンと放り投げた。
「……僕には、やらなくてはならない事があるんです」
「いいだろう。今度会った時は必ず捕まえてやる。覚悟しとくんだな」島田さんは、立ち上がるとまたタバコに火を付けた。
「最後に聞いてもいいですか?どうして、ここが分かったのですか?」僕がそうたずねると、島田さんはフーッと煙を吐き出した。
「刑事の感かな。山本美弥子をマークしていたら、ここの周辺でやたら『正義の味方』の噂を聞いてね、ピーンときたよ。あんた、目立ち過ぎだ……山本さんを守ってるつもりかい?」
「それは……」
その時だった。女性の悲鳴が夜の街にこだました。
「すみません。僕はこれで……」
僕は、声が聞こえた方向に急いだ。
「やれやれ、なんちゅう足の速さだよ」
島田は、ニヤリと笑うとポケットに手を入れ歩いて後を追った。
・16
「ねえねえ、あの人凄いイケメンじゃない?」
道行く女性は、皆振り返った。
男は、犬を連れて駅前に立っていた。
犬が急にソワソワしだした。
ある人物が駅の階段を降りてくると、犬の尻尾はフル回転でスイングした。
「あっペロちゃん!」降りてきたのは、山本だった。
山本は、ペロの傍らに立つ男を見て「あのー……?どちら様ですか?」と尋ねた。
男は「スネイクだ」と短く答えた。
「なんだぁ彼女居るんじゃん」近くで見ていた女性が小声で言うと、スネイクは不機嫌そうに睨んだ。
「すみません」女性は気まずそうに歩き去った。
「行きましょうか……」山本は『こりゃ正直友達には成れそうもないな』と思った。
「私は、女だっての!!」
スネイクが切れ気味に言った。
「えっ」山本は、思わず絶句した。
確かによく見れば、女性だった。
男装の麗人とは、こういうことを言うのかと山本は思った。
「チョット!フォクシーの奴、私の事何も言ってなかったの?」
「花園さんが、エクソシストのスネイクって言ってたけど……凄く、カッコいいですね。女性だって分かってもドキドキします」山本は少し頬を赤らめて言った。
「……よく言われるよ」スネイクは、ウンザリと言わんばかりに言った。
「でも、なんか面白いですね」山本は少し笑いながら言った。
「なんで?」
「見た目は男、中身は女が、二人」山本は、クスクスと笑った。
「失礼な!あんなバケモノと一緒にしないで!」スネイクは、不機嫌に答えた。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」
「女は捨てたの。妹も母も、奴らの手下に成り下がった父の餌食になったわ。だから私は、女を捨ててハンターに成ったの。そして、父を殺した……ごめんなさい、こんな話聞きたくないよね」スネイクは我に返り、急にトーンダウンした。
「壮絶な過去ですね……でも、女を捨てたのなら、男に間違われても怒るのは筋違いじゃないですか?」山本は火にを油を注ぐような、ツッコミをいれた。
「そっそれは……確かにそうだけれども……たっ他人に言われるのは腹が立つの!」スネイクは若い女性らしい部分を見せた。
意外と『カワイイ』と山本は思った。
「で、フォクシーちゃんは、何をしてるの?」
「なんだか、ご馳走を作るから来いって連絡が来て、行ってみたら『私は手を離せないから、出迎え頼む』って」
その時、ペロの耳がピクンと立った。
ペロは、キョロキョロと周りを見回した。
「聞こえたか?ペロ?」さっきまでの雰囲気と一変して、スネイクは鋭い目つき変わった。
ペロは急に走り出したが、スネイクはリードを引いて止めた。
「いいかペロ。お前は、山本さんを連れて帰れ。私が行く」
ペロは「わん!」と吠えて答えた。
「いい子だペロ」そう言い残して、スネイクは走り出した。
・17
「おい!そこ!何をしてる!」ビルとビルの間の狭い袋小路で、女性が刃物を持った男に襲われていた。
僕が駆け付けた段階では、幸いにまだ女性は無傷のようだった。
僕は、素早く男と女性の間に割って入った。
「安心して下さい」と言った瞬間だった。後頭部に固く冷たい筒のような物のを突きつけられた、
「動いたら、撃つわよ」カチャっと撃鉄を起こす音がした。
「手を挙げなさい。いくらあなたでも、この距離で頭を撃たれたら、無事では済まないわ」刃物の男は、走って逃げた。入れ替わりに銃を持った警官が路地になだれ込んで来た。
「今度会ったら、捕まえると言っただろう」警官達の後ろから現れたのは、島田さんだった。
「青山ご苦労もういいぞ」青山という女性は、銃口をこちらに向けたまま、ゆっくり警官隊の方に下がり始めた。
「カラン!」青山さんは、打ち捨てられた空き缶を踏みバランスを崩した。
『今だ!今なら、青山さんが邪魔に成って撃てない』
僕は、大きく右に飛んだ。
「パン!」乾いた破裂音がして、左肩が熱く成った。そして、それは直ぐに激痛に変わった。
「急げ、確保だ!」
僕は、その言葉を聞くのを最後に気を失った……
青山の銃口から、煙が立ち昇っていた。
青山はガタガタと震えて、持っていた銃をまるで汚物を捨てるかのように、投げ捨てた。
加藤は警官5人に取り押さえられ、今まさに手錠を掛けられるところだった。
辺りが、急に静まり返った。
どんどんと、空気が張り詰めて行くのをその場に居た全員が感じた。
加藤は、急に跳ね起きた。
左右に身体を振ると、警官隊は簡単に弾き飛ばされた。
「下賎の輩分際で、気安く触るでない!」
加藤は、極わずか宙に浮いていた。
全員、アングリと口を開けその光景の目撃者に成っていた。
「二度と人は殺めないと加藤と約束したよって、命だけは助けてくれるわ!」
加藤は高く手を挙げた。
すると、何処からともなく「ブーン」という音が鳴り響いて、上空から黒い霧のようなものが渦を巻いて降りてきた。
黒い霧は、グルグルと加藤を中心に回り始めた。
「蚊だわ!」青山が言った。
無数の蚊が加藤を中心に渦巻いていた。
「何をしてる撃て!」島田の声に数人の警官が渦に向かって発砲した。
弾丸は、何の手応えもないまま渦を通過してビルの壁に跳ね返りモルタルの欠片を飛ばした。
渦は次第に縦に長くなり、竜巻のように空に昇ると霧散した。
加藤の姿は消えた。
「馬鹿野郎!!お前に銃を持たせただけでもクビが飛ぶところなのに、本当に撃つ奴あるか!!」島田は怒鳴りながらも、青山を助け起こした。
「逃がしちゃいましたね……」青山は申し訳なさそうに言った。
「馬鹿野郎!!お前が責任感じることなんか、これっぽっちもねえよ!!……そのなんだ、ありがとうよ、意地っ張りな年寄りの我がままに付き合ってくれてよ」島田は、すこし照れながら言った。
「必ず捕まえましょう!」
「馬鹿野郎!!お前は警官じゃないだろう!!」
「えっ?今更なに言ってるんですか?今回だって、私、殺されちゃうかも知れなかったのに!!」
「加藤は、お前に手を出さないよ。奴は、そういう奴だ」島田は加藤が消えていった夜空を見上げ、ふーっと大きく吐いた。
島田は、刃物を持ちアングリと口を開けたまま夜空を見上げる荒井に「迫真の演技だったぜ」と肩を叩き、歩いて夜の街に消えた。
・18
「ルンルン♪さあ出来たわ!クリームシチュー!」
フォクシーちゃんは少量シチューをすくい、味見した。
「美味しい!マジで天才ねアタシ!!」フォクシーちゃんは、小躍りした。
「しかし、チョット遅いわね~」
フォクシーちゃんが気を揉みだした時、携帯のベルが鳴った。
「あらあら、誰かしら」フォクシーちゃんは、爪先で器用に携帯を操作して、電話に出た。
「フォクシーか?」電話の主は、スネイクだった。
「何してんの?遅いじゃない?」
「加藤を目撃した」
「ミヤちゃんとぺロは?」
「まさか、まだ帰ってないのか?」
「馬鹿ねアンタ!二人と別行動したの?」
「……」電話の向こうのスネイクは、押し黙った。
「何やってんのよ!」フォクシーは、エプロン姿で裸足のまま、駆け出した。
ドアを開ると、血だらけのペロが横たわっていた。
ペロは、紙をくわえていた。
フォクシーが紙を受け取ると、クーンと申し訳なさそうに鳴いた。
「可哀想に……アタシのベイビーちゃんに酷い……今助けてあげる」フォクシーは、ペロを抱えて走り出した。
「いて……」
僕は、とあるビルの屋上で塔屋に寄りかかりながら傷口を押さえた。
『血が足りんな。補給せねば』頭のなかで声が響いた。
「分かってるってば!」僕は、蚊達を呼んだ。
『そんな方法じゃ、治るもんも治らんぞ。手っ取り早く誰かの血を吸ってしまえ。山本はどうだ?』
僕は壁にもたれたまま、ズルズルと座り込んだ。
「ダメだよ……ダメだ。もう人殺しはしない」
「大丈夫ですか?酷い怪我ですね」
僕は、不意に話しかけられて驚き振り向いた。
『こいつ……人間の分際で余の速さに付いて来れるのか?』
「驚きましたよ、凄いな島田さん。まさか、ここまでやるとは思いませんでした。いや凄い」
その男は、全身を黒装束で覆っていた。
「どなたですか?……」
「人に物を聞く時は、まず自分が名乗るべきだ。君こそ誰だ?加藤か?それともツェペシュか?」
『こいつ隙がない……気を付けろ加藤』頭の中の男が警告した。
「加藤です……」
「心配無用。君を今すぐ捕まえようとは思ってないよ。協力を求めに来たんだ」
「?」
「拙者の名は、花園。警視庁1課99係の刑事だ」
「刑事さん?」
「ああ、別名忍者部隊の頭領だ。まずは、拙者を信用して付いて来てくれたまえ」
・19
「嫌だと言ったら、なんとする?」
「おや?雰囲気が変わったね?今は、加藤じゃなくてツェペシュか?」
「どちらでも良かろう」加藤の目は、闇夜に紅く輝いていた。
「そうだな。その時は、力ずくで連れて行く」花園は不敵な笑みを浮かべた。
「人間の貴様に、果たして出来るのかな?」
「髭切の切れ味、試してみるか?化け物め!」花園は背の鞘から、日本刀を抜いて構えた。
「フッ……よかろう。刀を納めよ。けして臆した訳では無いぞ」
フォクシーはとある施設の廊下にあるベンチに座り、ペロが銜えていた手紙を読んでいた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
娘は預かった。
小石川の屋敷に、加藤を連れて参れ。
その犬、わらわの下僕を3人も噛殺した。
実に素晴らしい犬じゃ。
その健闘を称え、命だけは助けてくれようぞ。
感謝せよ。
大河内ロザリーヌ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『私の責任だわ……ミヤちゃんの警護を命じられていたのは私だもの……ごめんなさいミヤちゃん……ペロ……』
ベンチでうつむくフォクシーのつま先辺りのリノリューム床に人影が映った。
フォクシーが見上げると、申し訳なさそうにスネイクが立っていた。
「フォクシー」スネイクは廊下の先を指差した。
2人の人影がこちらに向かってきていた。
1人は見慣れたシルエット、花園のものだった。
もう1人は、小柄で痩せ細っていた。
フォクシーは、立ち上がりその影を凝視した。
フォクシーの奥歯からギリギリと音が聞こえた。
「加藤!!!!」フォクシーは、有得ないスピードで襲い掛かった。
フォクシーの爪が、今にも加藤の首を刈り取ろうとした瞬間、ガチっと音を立ててそれを防いだのは花園の手甲だった。
「フォクシー落ち着け!何のつもりだ!」花園の言葉にフォクシーは「ぐぅ……」と言うと振り返り、後ろ手に花園に手紙を渡した。
「大河内ロザリーヌ……あのばあさんか……」
フォクシーは振り返った。
「知っているの兄者?」
「ああ、大河内財閥の当主にして齢200を超えると言う、にわかに信じ難い人物だ。一度だけ要人警護の任で見掛けた事がある。30歳位にしか見えなんだ。妖怪の類だな」
「いったい何者なの?」
「占師だ」
「占い?」
「そう、噂には幕末に日本に来たフランス人らしい」
「まさか、ずっと生きてるの?だって、幕末って言ったら150年くらい前じゃない?」
「だから200歳を超えるって噂なんだよ。実際に年齢を知っている人間も居なければ、代替わりしているという事実を知る人間も居ない」
「まさか……」
「なんでも占いが評判になって、屋敷に呼んだ当時の当主、大河内泰三がその美貌に一目惚れして、愛人として囲ったとか……するとすぐに本妻は病死、子供たちも次々に病死していった。ロザリーヌに食い殺されたという、噂もあるくらいだ」
「ロザリーヌとな。懐かしい名だな」加藤、いやツェペシュの言葉に一同振り返った。
「知っているのか?加藤!」
「知っているも何も、余の妻ぞ」
・20
東京小石川。
都心にありながら、歴史ある風情の落ち着いた雰囲気の町。
東京ドームから、白山通りを2kmほど北上した所にその屋敷はあった。
3mはある高い塀には一切の足掛かりがなく、上端は鉄条網を手前斜めに張ってあった。
進入者を阻む構造の高い塀は数百mに及び、町並みの風情を阻害していた。
門は鋼鉄製で、一旦閉じたら戦車でも持って来なければ到底こじ開けることは不可能に思えた。
「どうする兄者?忍び込むのは難しそうだけど」フォクシーは呆れ半分に言った。
「どうするもこうするも、こういう時は正面から行くに決まってるだろ」
花園は、大きな門に似つかわしくない小さなインターフォンのスイッチを押した。
『入れ』インターフォンから短く返答がくると、ゴゴゴゴゴと轟音を発てて門が開いた。
一同顔を見合すとうんと頷き、屋敷の敷地内に足を踏み入れた。
塀の中は外観とは違い、見事な日本庭園が広がっていた。
建物は、門から数十m離れて建っていた。
その玄関に至る道は、白い玉砂利が敷き詰められ、飛び石が緩やかなカーブを描いていた。 一同は、飛び石に導かれるまま玄関へと向かった。
玄関に着くと、黒い燕尾服に身を包んだ老人が出迎え「奥様がお待ちです」と無表情に短く言った。
全員玄関で履物を脱ぎ庭園沿いに続く長い廊下を進むと、先導する老人はある部屋の前で片膝を突き「失礼します」と短く言うと丁寧に雪見障子を空けた。
欄間が見事な二間続きの部屋の間の襖は開け放たれていて、奥の部屋に女性が座っていた。
「ようこそお出で下さいました。私がロザリーヌです」
女性は、30代半ばにしか見えなかった。
名前と美しい金髪には似つかわしくない和服を着ていた。
老人は、そそくさと座布団を敷くと「どうぞ」と一同を招き入れた。
一同が座に着くと「その方が加藤殿か?」とロザリーヌが口を開いた。
「そうです。さぁ私と引き換えに山本さんを解放してください」
パチンと扇子を閉じる音がすると同時に床がパカリと開いた。
全員が奈落に落ちると何も無かったようにパタリと床は閉じた。
床が閉じるとほぼ同時にドスンと凄まじい音がして、地震かと思うほど部屋が揺れた。
それはフォクシーが、素早く壁を蹴り対面の壁に拳で穴を開けた衝撃だった。
同時にスネイクは鎖をフォクシーに投げフォクシーはそれを片手で受け取った。
花園は加藤を小脇に抱え、その鎖に捕まると素早く腕に巻きつけた。
長く垂らした鎖を辿り、スネイクが降りていくと底は剣山の様に鋭い刃が無数に突き立っていた。
その剣山のすぐ上の壁に人が立って歩けるほどの横穴が開いていた。
スネイクはその横穴に滑り込んだ。
穴の対面には窪みがあり、長い板が置いてあった。
板をその窪みに渡すと剣山の上に簡易な渡り廊下が出来上がった。
全員そこにゆっくりと降り立った。
「花園さん、何で横穴があるはずと分かったのですか?」
どうやら全て花園には分かっていて、それ通りにスネイクは行動したようだった。
「なに、うちの忍者屋敷にも同様の仕掛けがあるからのこと。渡り廊下は死体の回収用だ」
全員が横穴に入った時、何処からとも無く声が響いた。
『オホホホホホ。どうやら死ななかった様じゃな。山本は返さぬ。山本は贄に加藤は依代に、そしてあの方の真の復活するのじゃ』
「最初から返す気は無かったって事か……そんなこったろうとは思ったが。ここから加藤の死体を回収して、儀式の間に連れて行くつもりだったのだろう。つまり、この横穴はそこへ続いている。そして、儀式の邪魔をする者は殺すつもりだろう。全員、気を引き締めろ!!」
・21
「あら!どうしましょ!困ったわね……」洞窟は三つ叉に別れていた。
「手分けするか?右手はフォクシー、左手は拙者、中央をスネイクと加藤殿で頼む。では!」
花園は、素早く左の穴に入って行った。
「じゃあね!泣いちゃダメよ」フォクシーも右の穴に、入って行った。
「私達も行きますか?」スネイクがそう言うと、加藤は黙って頷いた。
暗い洞窟内を、マグライトの灯りだけを頼りに進んで行った。
「なあ、さっきから黙ってるが、何かあったのか?」スネイクが、加藤に訊ねた。
「怖いんです……」加藤は、今にも消え入りそうな小さな声で言った。
「なんでまた?まあ、確かに怖いシチュエーションだが、今更変だぞ」
「ツェペシュが来てないんです」
「ん?意味が分からないんだが?」
「さっき落とし穴に落ちたとき、ツェペシュは飛べるから落ちなかった……」
「なに?お前とツェペシュは、一体じゃないのか?」
「蚊です」
「?」
「蚊なんです、ツェペシュは」
「??」スネイクは、まだ意味が分からなかった。
「僕は、ツェペシュの蚊に刺されている時だけヴァンパイアなんです……」
「つまり、パートタイムってこと?うんでもって、今はただの人っていうか痩せっぽちの非力な人ってこと?」
スネイクの問いに、加藤は黙って頷いた。
『なんてこった。戦力外どころか、ただの足手まといだ……!?』
灯りがドアを照らした。
スネイクは息をのみ、手のひらの汗を尻で拭うと、ゆっくりドアノブをひねった。
ドアを開け放つと、部屋の奥の方でロウソクが灯った。
ロウソクは、一本、また一本と次々に灯り、遂には丸いドーム状の大きな部屋の前方を、照らし出した。
「キャンドルライトかよ。ちっともロマンチックじゃねーな」スネイクは、小声で言った。
薄明かりの中に、ぼんやりと人影が映った。3人だった。
その中の一人が、ゆっくり近づいて来た。
「お姉ちゃん?やっぱりお姉ちゃんだ!どこへ行ってたの?パパもママも心配してたんだから」
「あ……」スネイクは、持っていたマグライトを落とした。
薄明かりに映し出された人影は、死んだはずのスネイクの家族だった。
・22
『なんだ?こいつら誰なんだ?あの時、母さんの首に貪り付いていたあの男……血まみれで床に転がっていた妹……厳しい修行の末、父の胸に突立てた杭……あれは全部幻だったのか?……私はあの時、母と妹を置き去りにして逃げた……逃げたんだ……』
スネイクが動揺していることは、誰の目からも明かだった。
「お姉ちゃーん!」妹がスネイクに駆け寄ってきた。スネイクは、優しい笑顔で両腕を大きく広げて受け止めた。
「お姉ちゃん!会いたかったよ!……食べちゃいたいくらい!!」
妹の口は見る見る内に大きく裂け、今にもスネイクの首筋に食い付こうとしていた。
「ガブっ!」
しかし妹が噛み付いたのは、加藤の腕だった。
加藤は、とっさにスネイクの首筋辺りに腕を差し込んだのだった。
「!」妹は驚いて飛び退いた。
妹は、よつんばいでウーウーと唸りながら、加藤の周りをうろうろとした。
「スネイクさんしっかりして下さい」
スネイクは、すっかり魅了され放心状態になっていた。
「見てください、あれは妹さんじゃないですよ!」
スネイクはボーっとしたままだった。
『襲って来ない、やはり僕には手を出すなと命令されてるんだ』
加藤は、スネイクのカバンから十字架をだした。
「スネイクさん、奴らの狙いはスネイクさんを動揺させることなんだ。過去に疑いを持たせそこに付込むつもりなんだ」
加藤は取り出した十字架を、スネイクに渡した。
スネイクの目は、十字架をじっと見た。
そして、そこに繋がれた鎖の分銅を投げた。
その分銅は、妹の額にヒットした。
妹は、大きく後ろに吹き飛び、仰向けに倒れた。
両親の影はゆらゆらと揺れ、やがて消え去った。
妹は、ムクリと起き上がった。
いや、妹だったと過去系で言うべきそれは、妹と似ても似つかない化け物だった。
額は陥没し、脳髄がダラダラと流れ落ちていた。
化け物は、流れ落ちた脳髄をペロリと舐めてニヤリと笑った。
もうそれが、妹の変わり果てた姿なのか、別人が化けたものなのかは分からなかった。
がしかし、スネイクにとって、既にどうでもいいことだった。
どちらにしても、自分の家族が汚され、尊厳を蔑ろにされた事に何ら変わりなかった。
「ぶっ殺す!」スネイクは、聖職者がけして口にしてはならない言葉を吐いた。
「落ち着いてくださいスネイクさん。冷静さを欠いたら、思うつぼです。ここは僕に任せて下さい」
「うるさい!ヴァンパイアじゃないお前に何が出来る!」
「しっ!」加藤は、人差し指を口の前に立てた。スネイクは、ハッとして手で口を覆った。
化け物は、ニヤニヤとしながら右に左に動き、攻撃の機会をうかがっていた。
「恐らくこの先は、儀式の間に続いてません」
「なに?」
「だっておかしいじゃないですか?儀式の間に僕を連れて行きたいなら、わざわざ邪魔することないですよね。見られたらマズいものがこの先にあるか、単純に準備が整っていないかでしょう。こんな話しをしている間に、襲って来ないのも不自然です」
スネイクは、正直驚いた。
『なんだコイツの冷静さは……』
「スネイクさんは、ヤツを引き付けて下さい。その隙に僕はあのドアを開けます」
「わかった!」
「じゃあ行きますよ!せえのっ!」
二人はいっせいに飛び出した。
・23
「イヤだわ……」フォクシーはその巨体に似合わない内股で、恐る恐る歩いていた。
「キャー!ムカデー!!もうイヤー!!!」泣きそうな顔で二三歩後ずさりすると、むにゅっとした柔らかい感触の物を踏みつけた。
フォクシーが恐る恐る視線を足元に向けると、可哀想な事に蛇が絶命していた。
「へ……ヘビー!!!!」今度は走り出した。
「ドカン!」目の前に現れたドアをものともせず蹴破った。
部屋に入り辺りを見渡すと、ドデカイ業務用冷蔵庫があった。
「どぉりぁぁぁ!!」フォクシーは強引にぶっこ抜き持ち上げると、入口に投げつけた。
冷蔵庫は爆音と共に入口に突き刺さり、建設重機でもなければ撤去不可能と思われた。
「はぁはぁ……んぐ……これで一安心ね……」フォクシーは、肩で息をしながら膝に手を当て屈み込んだ。
「あ……おめーひでーことすんな……そこは、た……食べ物が来る道……その箱には大事なお肉がはいってたのに……おめー悪いヤツ」背後から声がしてフォクシーが振り返ると、轟音をあげて巨大な拳が振ってきた。
フォクシーは間一髪でよけたが、その拳はそのまま横に裏拳で凪払ってきた。
フォクシーは両腕でガードしたが、身体ごと吹き飛ばされた。
「いたぁい!もう何すんのよいきなり!あっ!見なさいよズボンが破けちゃったじゃ……」フォクシーは目の前に現れた者を見上げた。身長2mのフォクシーが見上げた。フォクシーはその者の胸位しかなかった。
身長は2m50、いや3mはあった。体重は400kgはあるだろう、巨大な人間だった。いや、人型の何かだった。
かろうじて毛髪の残った頭部は、ぶよぶよと歪に浮腫み、デコボコした巨大なジャガイモを思わせた。
ジャガイモのような頭に、得体の知れない何かで作ったマスクをしていた。
マスクには、口紅、マスカラが施されていた。
そのデコボコしたアタマを、間接ごとに輪ゴムをはめたような指でボリボリと掻いた。
どこで調達したのか、薄汚れた白いツナギを着て、革製の前掛けをしていた。
「おめー犬か?でかいな?おで犬大好きだ。食っていいか?」そう言いながら、左手に下げていたチェーンソーのエンジンのスターターを引いた。
「ビーンビンビンビン!」2ストロークエンジン特有の耳障りなエンジン音がした。
「チョットなに!どこからそんな物騒な物出してきたのよ!」
「ブィィィーン」肩口から袈裟切りに振り下ろされたチェーンソーをフォクシーは後ろに飛び退いて避けた。
「ガツン!」背中に何かが当たった。それは、さっきブン投げた冷蔵庫だった。
「あらやだ!自分で逃げ道塞いじゃったわ!」そこへ容赦なくチェーンソーが振り下ろされた。
「バリバリバリバリ!」フォクシーの頭上でチェーンソーは、激しく火花を飛ばして冷蔵庫に食い込んだ。フォクシーは、横に転がって避けた。
「こらー!犬ー!にげるなー!おとなしく、ババのご飯になれー!」名前はババと言うようだ。
「ババじゃなくて、バカじゃないの?逃げないわけないでしょ!!」
「バカっていっだなー!!ババは、バカじゃないど!バカっていったら、じぶんがバカなんだど!!!あで?じぶんがバカ?あで?ババがバカなの?……うーん、わかんないけどおこったど!!!!」ババは、ぶんぶんとチェーンソーを振り回した。
「うわ!チョット!あんた!危ないじゃない!」と言っている割には、フォクシーには余裕があった。
フォクシーは、素早く横に回り込み、ババの手首に手刀を落とした。
「いで!」ババは、チェーンソーを取り落とした。
落ちたチェーンソーは、跳ねて暴れまわり、ババの足首辺りの肉をえぐった。
「いでーー!」ババは足首を抑えようとしたが、太り過ぎていて届かず、巨体を支えきれずに遂には前のめりに倒れ込んだ。
「ズシーン!」物凄い音がして、ババは脳天を強か打ち付けた。
「いでーー!」ババは、ゴロゴロとのたうちまわった。
足首のケガは分厚い脂肪に守られ、思った程のケガでもなかったが、頭は数百キロの衝撃を受けたので相当なダメージだった。
「がー!」ババは、それでも立ち上がりおとなしくなったチェーンソーを拾いあげた。
「もー!ババおこったどー!!」
「いや、今のは勝手に転んだんだし。言い掛かりだわぁ。お・バ・カ・さ・ん」フォクシーは、今にも吹き出しそうだった。
「また、バカっていっだなー!!」ババは、チェーンソーを高く振り上げた。
「バリバリバリバリ!プスンプスン……」チェーンソーは、振り上げた拍子に天井に突き刺さりエンストした。
「あで?あで?」ババは引き抜こうとしたが、チェーンソーは何かに引っかかって抜けなかった。
「フォクシーィィィ!ビューティーィィィ!キィィック!!」フォクシーは高く跳躍して、凄まじい跳び蹴りをババの顔面に叩き込んだ。
ババは、一瞬首から上だけが消えて無くなったように見えたが、ワンテンポ遅れて身体ごと後方に吹き飛んだ。
ババは、激しく後頭部を叩き付けられ、一回転、二回転して、うつ伏せに倒れ込んだ。
辺りは、ズーンという衝撃のあとシーンと静まり返った。
「ふー……終わったわね」フォクシーは、部屋の対面にあるもう一つのドアに向かった。
「しくしく……」背後からすすり泣く声が聞こえた。それはババだった。
フォクシーは驚きながら振り返った。
『あのキックをくらって生きているとは……たいしたタフネスね……』
「いでーよー!ママー!」ババは、遂に大声で泣き出した。
「犬がいじめたー!」
「チョット、先に手を出したのはそっちじゃないの」フォクシーが近づくと、アタマを抱えて怯えた。
「ぶたないで!もうぶたないで!」フォクシーは、自分の幼い頃の事を思い出した。
『アタシが花園の家にもらわれてきて間もない頃。忍者の里でも悪ガキは居て、この毛深い身体の事をずいぶんバカにされたっけ……アタシ、女の子なのに男の子っぽいからそれもからかわれたっけ……。でも、私が泣かされてると、兄者が助けてくれたわ……俺の妹をいじめるなって……』
フォクシーは、少しババが可哀想に感じた。
「チョットあんた、もう泣かない!男の子でしょ!」フォクシーがそう言うと、ババは泣き止みキョトンとした表情でフォクシーを見た。
「さあ、立ちなさい」ババは、コクリと頷いて立ち上がった。
「可哀想だけど、あんたを生かしておくわけには行かないわ」フォクシーは、真っすぐババの目を見て言った。
「おで、死ぬの?」フォクシーは、その問い掛けに黙って頷いた。
「あんたが今まで殺した人達を、あんたは一度でも助けてあげた事ある?」ババの脳裏に、今までチェーンソーで切り刻んだ人や動物達が思い浮かんだ。そして、マスクの下から、涙が落ちた。
「あんたをここに閉じ込め、人間としての人生を奪った奴を恨みなさい」
フォクシーの鋭い爪が、ババの左胸を貫いた。
「許して……」引き抜かれた手には、ババの心臓が握られていた。
ババは、仰向けに倒れた。
フォクシーがマスクを外すと、ババは優しい笑みを浮かべていた。
そして、灰になって崩れ去った。
『ババ!あんたの仇はアタシが……』
フォクシーは、その部屋から出て行った。
・24
花園は暗闇の中、灯りも点けず歩いていた。
時折小走りに走りながらも、足取りに一切の迷いがなかった。
普通の人間ならば前に進む事を躊躇う暗闇を、昼日中の大通りを歩くが如く歩いていた。
なぜなら、花園が育った忍者の里では、照明という物が存在しなかった。
幼き日から「闇に生きてこそ忍」と、夜間は灯りの無いまま全ての生活が送れる様に教育されていた。
それは徹底されていて、忍者の里にも学校と呼べる教育機関は在ったが、小中高と全て「夜学」だった。
取り分けて花園は優秀で、文武両道に秀で、忍者の里でも十年に一人の天才と呼ばれていた。
彼にとって暗闇こそ本領発揮の場所。
彼は正に「暗闇の王」だった。
「チン!」不意に金属音が闇に響いた。
それは花園が、クナイで飛んできたなにかを弾き落とした音だった。
それはナイフだった。
ダガーと呼ばれる両刃のナイフ。
クナイもダガーの一種で、手裏剣として使われもするが、それはクナイではなかった。
不思議な事に杖も柄に当たる部分も無かった。いや、在るのだが、極端に細く金属むき出しで滑り止めが無く、刃の部分が丁寧に研がれていると見比べるとアンバランスだった。
『スペツナズナイフだと?……はっ!』花園は後ろ回し蹴りを繰り出したが、蹴ったのは空中だった。
花園は、そのまま構えを解かずに暗闇を凝視した。
「ハラショー!」闇の奧から、拍手が響いた。
『俺の背後を取るとは……フォクシー以来か……』
「素晴らしい!スペツナズナイフをかわし、バックからの攻撃に反撃してきた人間は初めてです。もっとも、生きていた人間自体初めてですがね」男は、笑いながら無造作に近づいてきた。
花園は、男を指差し、その後自分の頬をチョンチョンと指差し、もう一度俺を指差した。
男は何かに気付き、自分の頬を触った。
男の手に血が付いていた。
花園の蹴りが、当たっていたのだった。
男の纏っているオーラが変わった。
そして、物凄い形相で、花園を睨み付けた。
「いいでしょう、私の持てる技全てを見せてあげましょう」
男は、低く構えた。
花園は、ニヤリと笑った。
そして、二人が同時に同じ事を思った。
『暗闇でこの俺に挑むとは、いい度胸だ』
『飛道具は、さっきのスペツナズナイフだけか?銃を持ってないのか?』花園は、片手を地面に付き、低く構える男を見据えた。
『蹴りを誘って、両手刈りからの寝技。コマンドサンボか?面白い、誘いに乗ってみるか?』花園は、付いている右手側肩口から側頭部に蹴りを繰り出した。
男は待ってましたとばかりに間合いを詰めて蹴りの威力を殺すと、その脚を取り素早くその場で横回転した。
『ドラゴンスクリューだと!』花園は、咄嗟に同方向に自ら回転し、反対の脚で男の顔面に蹴りを入れた。
蹴りは鼻にヒットし、男は鼻血を出したが、怯まずにそのまま回転を続け、反対側の脚も取り、足首の辺りをクロスさせ片側を脇に挟みクロスした下側の踵を絞り上げた。
『クロスヒールホールド!まずい!アキレス腱を切られる!』
「ギャー!」暗闇に悲鳴が木霊した。
意外にも、悲鳴を上げたのは、男の方だった。
「貴様ぁ!」男は、脚を引きずりながら、立ち上がった。
男の太股から、血が滴り落ちた。
「卑怯者め!」男は、鋭く花園を睨んだ。
花園は、持っていたクナイで相手の太股を刺したのだった。
「何とでも言え。最終的にこの道を通り抜ければ俺の勝ちだ」花園は、ニヤリと笑った。男の肩はワナワナと震えていた。
「吸血鬼では無いな。貴殿ほどの使い手が、一体何故……」花園は、構えを解いた。
「うるさい!」男は、構えを解かなかった。
「止めておけ。最早、万に一つの勝ち目もない。分かっているだろう。無益な殺生は望まぬ。俺は花園と申す、貴殿の名は?」
「セルゲイだ」男は低い声で名乗ると、唾を吐いた。唾には血が混じっていた。
「金か?」
「ロザリーヌは、妹の日本での治療を申し出てくれた」
「まさか、鵜呑みにしたわけでは無いだろうな……」
「祖国の医療では治せない。断っても殺される。どの道、妹は助からない」セルゲイは、吐き捨てるように言った。
「分かった。では治療が受けられるように計らおう。これで、戦う理由は無くなったな」
「寝返れと言うのか?」
「その脚の傷で、妹さんの命は風前の灯火だ。それでは、俺も寝覚めが悪い。勿論ただではない、この先を案内してもらおう」
「選択の余地は無いな。分かった協力しよう」セルゲイは、あっさり寝返った。
「おっとその前に、妹さんの身柄を保護しないとな」花園は、携帯電話を取り出した。
「おっ繋がる。ロザリーヌ、意外と間抜けだな。えっと、どこの病院だ?」
セルゲイは、妹の入院先を花園に教えた。
「よし、妹は警察が保護に向かった」
そう言って、花園は懐から筒を取り出した。
「秘伝の薬だ。少し沁みるぞ」花園は、セルゲイのズボンを裂き、傷口を露わにすると、懐から取り出した筒から黒い粉を振りかけた。
「くっ」傷口は泡立ち、セルゲイは顔をしかめた。
「酷い臭いだな、何で出来てる?」セルゲイは痛みに耐えながら、冗談を言って強がってみせた。
「聞くな。酷い臭いの何かだ」花園は、ニヤリと笑った。
「ちげーねー!いててて!」セルゲイは、笑った。笑いが、傷に響いた。
「クソ!笑わせんな!いててて!」傷に響くのだが、笑いは止まらなかった。セルゲイは、額にビッシリと脂汗をかいていた。
「そろそろ効き目が出て来たんじゃないか?ちょっと、立ってみろ」花園は傷口の泡立ち具合を見ながら言った。
「まさか、そんなに早く……あれ?」セルゲイは、あっさり立ち上がった。
「よし!行くか?」花園は、来た道を戻り始めた。
「おい!そっちは逆だぞ」セルゲイは、慌てて呼び止めた。
「アンタと同等以上の刺客が居るとしたら、仲間が危ないから。とくにあの2人は苦戦していると思うからな……」花園は振り返り、また歩き始めた。
・25
「あらやだ!」フォクシーが、ババの部屋を通り抜け進んだ通路は行き止まり、真上に恐らく地上に続くであろう10m程の縦穴で終わっていた。
穴は継ぎ目の無い鋼鉄製で、直径2mはあった。
恐らくは、ババの餌場。
ここに投げ込まれた人間は、運が良ければ落下死。悪ければ、チェーンソーで切り刻まれた場所だ
ババ自体の脱走も防いでいたとも考えられる。
「手掛かりも無いし、登るのは無理ね。どうしょうかしら、困ったわね~」
フォクシーが途方に暮れていると、頭に何かが「ふわ」っと落ちてきた。
フォクシーは、何となく気持ちが悪くて頭の辺りをまさぐった。
「あら?糸?」それは光沢のある糸だった。
「シルク?」フォクシーは、その糸を手繰り寄せた。
糸は縦穴の上から垂れ下がって居る様だった。
糸を引くと途中から急に重くなり、それでも構わずに引き続けるとふっと軽くなり、縄梯子が回転しながら降りてきた。
フォクシーは、首を傾げた。
「罠かしら?……でも行くしかないわね」フォクシーは、2、3回縄梯子を引っ張り安全を確かめると、驚きの速さで一気に登り切った。
「スネイクさんは、ヤツを引き付けて下さい。その隙に僕はあのドアを開けます」
「わかった!」
「じゃあ行きますよ!せえのっ!」
二人はいっせいに飛び出した。
スネイクはチェーンを投げ相手を牽制し、加藤に近づけないようにした。
加藤は、ひどく足が遅かったが、どうにかドアにたどりついた。
「クソ!」加藤はドアノブを回したが鍵が掛かっていた。
「どいて!」背後からスネイクの声がして加藤がドアノブから手を放した瞬間、ドカンと言う音がして、ドアノブが破壊された。
加藤が振り返ると、スネイクの背後から今まさに化物が襲いかかろうとしていた。
「危ない!」加藤が叫ぶと、スネイクはドアノブにぶつけたチェーンを引き、自分の顔にぶつかりそうになる寸でで僅かに頭を傾けた。
チェーンの分銅がスネイクの耳の横をかすめて通り過ぎ、化物の眉間にヒットした。
スネイクは仰向けに倒れる化物に馬乗りになり、懐から杭を出した。
そして、頭上高く振りかぶると、一気に胸に突き刺した。
「ぎゃー!!!」化物は断末魔の叫びを上げ、そのまま凍りついたように動かなくなり、次の瞬間、灰になって崩れ去った。
スネイクは立ち上がり「行くぞ」と言うと壊れたドアをこじ開けた。
そこに在ったのは「棺」だった。
・26
「さてと……アタシだけ地上に上がって来ちゃったみたいね……どう考えても、もう一回下に行った方がいいわよねえ……うん?」部屋の窓からわずかな光がこぼれていた。
「そうだ!!」フォクシーは、縄梯子でもう一回穴に入ると、しばらくしてチェーンソーを持って戻ってきた。
「うふふ」フォクシーは部屋を出ると、とにかく手当たり次第に窓という窓を全て割り、カーテンというカーテンを全て引き剥がし始めた。
「うーん、すがすがしい太陽光線!」辺りが騒がしくなってきた。
フォクシーのやる事を止めようにも止められず、赤く光る目が複数日陰でウーウーと唸っていた。
「やあねぇ。アンタたちもこっち来なさいよ気持ちいいわよ」フォクシーは自ら影に飛び込み一人捕まえると外に放り出し、又一人捕まえると外に放り出し。
次から次へとヴァンパイアをブン投げ、日光で焼き払い、葬った。
「ギャー!!!」阿鼻叫喚の声がこだまする。
屋敷の日の当たらない場所はついにパニック状態に陥った。
「いくわよ!!!」フォクシーは、チェーンソーのエンジンを掛けると、柱や壁を滅多切りに切り刻み始めた。
切っては、蹴りを入れて崩し、壁にデカイ穴を開けた。垂れ下がってきた天井や屋根も外から上に登り、切り崩した。見る見るうちに屋敷の日陰が小さくなっていった。
ヴァンパイアどもはパニック状態のまま、ある方向に逃げ始めた。フォクシーは、その首根っこを捕まえてはちぎっては投げちぎっては投げ、次から次へと外にブン投げた。
ヴァンパイアどもは、通路の突き当たりのドアを開け、階段を下り始めた。
「はーん……そこね地下に繋がる通路は…・・・みーっけた。じゃあアンタらもう死になさい」フォクシーがチェーンソーを横になぎ払うと、一気に5、6人のヴァンパイアの首が飛んだ。
「いくわよ!!!!」フォクシーは切り刻んだ柱を持ち上げ階段に一列に成ったヴァンパイアどもに投げつけた。ズドドドドドーンと凄まじい音がしてヴァンパイアどもはデカイ焼き鳥のように串刺しになった。そして灰になって崩れ去った。
「さてと」フォクシーは電話を取り出した。
「あっもしもし?そうアタシ~。ねぇねぇ、今からここにダイナマイト届けてくれない?うんそうそう。じゃあお願いね」フォクシーは電話を切ると外に出た。しばらくするとバタバタとヘリコプターの音が聞こえた。ヘリはから木箱がワイヤーに繋がれ降りて来た。フォクシーは、箱が地上に降りるとワイヤーを外した。
「いいわよ!ご苦労様!」ヘリはワイヤーを巻き上げると飛び去った。
「これこれ。無線式なんて気が利いてるじゃない」フォクシーは、すでにボロボロになった屋敷のあちこちにダイナマイトを仕掛けた。そして、地下に下りる階段を下りるとスイッチを押した。
凄まじい爆発音と共に激しい振動が地下に伝わってきた。
フォクシーは「これで、奴らに逃げ道は無いわね」と言いながらボキボキと指を鳴らした。
フォクシーの後をぷーんという羽音が追って行った。
・27
「これって、棺ですよね」
「だよなぁ……」
加藤とスネイクは、顔を見合わせた。
「ラスボスですかね?」
「だよなぁ……」
加藤とスネイクは、二人して同じようにアゴに手をあて、うむむと考えた。
「どうします?開けます?」
「だよなぁ……」
「スネイクさん、さっきから『だよなぁ』しか言ってないですよ」
「うっウルサい!今、考え中だ!」
「じゃあ、そっちの端っこ持って上さい。せえので上げますよ!せえの!」
二人が棺の蓋を上げたその時、ドカンと言う爆発音と共に激しく地面が揺れた。フォクシーが屋敷を爆破した衝撃だった。
二人はよろけて尻餅をつき、手を離してしまった。
蓋はバタンと再び閉まった。
二人は蓋が閉まるその一瞬、棺の中を少しだけ見た。
「見ましたか?スネイクさん?」
スネイクは、ゴクリと息を飲んで頷いた。
棺の中は、黒々とした色々な虫で満たされていた。
ムカデやゲジゲジ、名前も分からない何かの幼虫などが、ウネウネ、グニグニと蠢いていた。
そして、その蠢く虫の中心にロザリーヌの首だけが浮かんでいた。
「えらいもん見ちゃいましたね……ん?!」
一度は閉まった蓋だったが、沸騰した鍋の蓋のようにガタガタと音を立て揺れ始めた。
「なんか、ヤバくないですか?」
二人は慌てて部屋を飛び出し、さっきまで居た部屋に戻った。
棺の蓋はバンと跳ね上がり、中から無数の虫が溢れ出てきた。
それはまるで、ドロドロと黒い液体のように見えた。
虫達は、ドロドロと部屋から流れ出た。
その中心にロザリーヌの頭が、目をつぶったまま乗っていた。
ロザリーヌの頭は徐々にせり上がり、黒い液体のように見えた虫達は、段々と人間の形に固まり始め、遂に一糸纏わぬ姿のロザリーヌに変身した。
二人はその姿を見ても、先程のおぞましい姿を思うと、とても色っぽいものとは感じなかった。
・28
「うーん……兄者たちはどこかしら……あら?ドアがあるわ」
フォクシーはドアを開けた。
そこは、とてつもなく広い空間だった。
中心に祭壇のような物があり、いかにも『儀式の間』だった。
「ハハーーン!アタシの推理によると!ここが儀式の間ね!ジッチャンの名に掛けて!!」フォクシーは、ビシッと祭壇を指差した。
もちろんそれにツッコミを入れる人は居なかった。
「フォクシーさん!」不意にフォクシーを呼ぶ声がして振り返ると、鉄格子がはめられた岩穴に山本が居た。
「ああ!みやちゃん!!よかった~!!無事ね!!!噛まれてない?」
「大丈夫です!!まだ、人間です!!」
「よかった!今助けてあげるわね!!」
「フォクシーさん!後ろ後ろ!」そう山本に言われて、フォクシーは振り返った。
ズラーっと、軽く100人程のヴァンパイアがフォクシーを囲んでいた。
「あらー……さすがにピンチね~……」
その時だった、何処からともなくプーンと言う羽音がすると、どんどんとその音は大きく、いや、多くなってきた。
ドアから、黒い雲のような物が入り込んで来て、天井辺りに黒い渦を作った。
それは、何千、何万という蚊の大群だった。
蚊の大群は、ヴァンパイアどもを頭上から襲い始めた。
一度に何百という蚊に襲われたヴァンパイアは、手を使って叩いたり追い払おうとするものの、背後の手の届かないところから『血を吸われた』
血を吸われたヴァンパイアどもは、もがき苦しみながら干乾びたミイラになり、倒れ込むと乾いた音と共に崩れ去った。
100人以上は居たと思われるヴァンパイアどもは、一瞬にして全滅した。
その様子を山本とフォクシーは、口をあけて見ていた。
ヴァンパイアどもを撃退した蚊の大群は、フォクシーと山本の方に向かってきた。
フォクシーは身構えたが『いくらなんでもこれは防げない。絶体絶命のピンチだわ』と思った。
蚊の大群は、少しづつ人間の形を模り始めた。
その姿は、燕尾服を着た貴族のようだった。
「余の名はヴラド・ツェペシュ。ドラキュラとも呼ばれておる。知っているか?」
フォクシーと山本は頷いた。
「余は、これからロザリーヌとの決着を付けに参る。二人は逃げよ。外はまだ日が高い。分かったな」
そういい残すと、又バラバラの蚊の大群に姿を変え飛んで行ってしまった。
「そうね。後は、兄者達に任せて逃げましょ。あなたさえ助ければ、目的は果たしたことに成るわ」
フォクシーは、携帯を取り出すと花園に電話した。
「あっ!繋がったわ。そうそう、アタシ。うんうん。みやちゃんは、今身柄確保したわ。これから脱出する。うん、大丈夫、道も分かるし。ザコはみんな、ツェペシュさんがやっつけたわ。じゃあ切るわね」
フォクシーは振り返り、鉄格子を掴みグッと力を入れると、鉄格子はまるでアメのようにいとも簡単に曲がった。
「さぁ!逃げるわよ」
二人は、さっきフォクシーが来た道を引き返した。
階段の手前まできて「みやちゃん、チョットここで待ってて」と言って、フォクシーは一人で階段を駆け足で登ると、入り口を塞ぐ瓦礫をドカーンとバシーンと退かし始めた。
「これで通れるわね。みやちゃんいらっしゃい」
山本はゆっくり階段を登った。
しかし、外に出るのをためらった。
「まさか、アナタ噛まれたの?」
山本は首を振った。
「分からない。大丈夫だと思うけど……えい!」
山本は、一気に外に駆け出した。
山本は、太陽を浴びた。
「大丈夫。平気だった。太陽気持ちいい」
振り返ると、フォクシーが止めようと手を伸ばしたまま固まっていた。
「よかった!もう、驚かさないでチョーダイ!」
フォクシーは、やれやれとばかり外に出てくると笑いながら座り込んだ。
「フォクシーさん、太陽って暖かいね」
山本は、そういいながら、フォクシーの隣に座った。
・29
「無駄じゃ無駄じゃ!無駄じゃと言っておろう!」
スネイクが投じたチェーンは、ロザリーヌの身体を貫いたかに見えたが、鳩尾の傷口は股間まで裂けて行き、ジャラリとチェーンを床に落とすと、何もなかったかように元に戻ってしまった。
「くっ」スネイクは素早くチェーンを引いた。
チェーンは、何かドロリとした粘膜のようなものが付着していた。
「ならば!」スネイクが投じたチェーンは、今度はロザリーヌの眉間を確実に捉えた。
ロザリーヌの顔面は跳ね上がり、後ろに仰け反ったまましばらく動きを止めた。
ムクリと体制を戻したロザリーヌの顔は、頭蓋骨は割れ脳がむき出しになり、飛び出した目玉が垂れ下がっていた。
「無駄じゃ」ロザリーヌの首の辺りから無数の糸ミミズのような虫が現れ、傷口に這い上がって行くとグネグネと蠢き傷を塞いでいった。
「無駄じゃと言っておろう。そもそもこの首も山本とかいう娘のものとすげ替える予定じゃがな……」
「そいつは残念だったな。山本さんは救出済だ」どこからともなく現れた花園がその台詞を言い終わる頃には、ロザリーヌの首は花園が抜いた刀「髭切」の上で口をパクパクさせていた。
ロザリーヌの首が刀からゴトリと床に落ちと、残された胴体は崩れ去り、無数の虫の山になった。
「終わったな」そう言って一同はこの場を立ち去ろうとした。
「無駄じゃ!」背後から声がして振り返ると、落ちた首の周りに虫たちが集まり、再び人間の形になろうとしていた。
その時だった、ぶわーんという羽音と共に蚊の大群が部屋に押し寄せ、加藤の頭上で渦を巻き始めた。
「久しいなロザリーヌよ」加藤が、いやツェペシュが口を開いた。
「ああ貴方様は……遂にわらわの元に帰ってきて下さったのですね……」ロザリーヌは目を潤ませた。
「いや、余はまだお主の元に帰った訳ではない。この加藤という男には、世話になったでのう」
「加藤を城に送ったのは私です。占いで貴方様の復活の条件を満たす男が加藤で、その贄になるのが山本と出たのです。絵里香を金で雇い、加藤を誘惑し、井戸に突き落とさせた。公園で手下どもに襲わせて、二人を誘拐しようとした……」
「そうであったか、それは大儀であったな」
「はい」ロザリーヌは膝を付き、深く頭を下げた。
「だが、悪いが頼んだ覚えがない」
「えっ今なんと……」ロザリーヌは狼狽た。
「お前如きの思い通りになるのも、面白くない。だから、お前はここで死ね。スネイクよ、その鎖に聖水を掛け、そしてロザリーヌを攻撃せよ。何度も繰り返せ、奴の再生には時間が掛かる」スネイクは頷くと、詠唱を唱えながら聖水でチェーンを清め始めた。
「そうはさせ……」ロザリーヌがスネイクに襲い掛かろうとした瞬間、再びロザリーヌの首は花園の刀の上に乗っていた。そして、今度は首を離れた場所に投げた。
虫たちはゾロゾロと首を追いかけていった。
『加藤よこれを使え』加藤の頭の中にツェペシュの声が響いた。そして蚊の大群から、加藤の手のひらに爪楊枝が落ちてきた。
『よいか加藤、ロザリーヌの本体は棺の中だ。スネイクと花園が足止めしている間に、余とそなたで片付けに行くぞ』
ようやく、人間の形に戻ったロザリーヌに今度はスネイクのチェーンが襲った。
ロザリーヌの身体に大きな穴が開いた。しかも、今度は穴が塞がらない。
スネイクは、何度と無くロザリーヌにチェーンを投げた。
ロザリーヌは次第に、人間の形を保つことが出来なくなってきた。
『今だ!行くぞ!』
加藤の身体を蚊の大群が渦を巻いて包み、奥の棺のある部屋に向かった。
「駄目!!!」追いかけようとするロザリーヌの足に、スネイクのチェーンが命中した。
ロザリーヌは、這って追いかけた。
既に蓋の開いた棺の中央に、大きな蛾が一匹羽を広げていた。
加藤は、逃げようとする蛾を素早く押さえつけると、爪楊枝で胴を刺した。
・30
爪楊枝で刺された蛾は、一瞬ピンと羽根を広げたがすぐに力無く羽根を地に付けた。
「ギャー!」正に断末魔の叫びが、木霊した。
ほふく前進を続けていたロザリーヌは、一瞬ピンと手を伸ばしたが、すぐにうつ伏せのまま動かなくなった。
蛾はまるで棺に貼り付けられた昆虫標本のようだったが、やがてホロホロと崩れ去り、砂絵で描いた蝶のようになった。
ロザリーヌも遂に人の形を保てなくなり、床に人型の虫の死骸の山を作った。長年使い続けた首は、一気に実年齢相応の皺だらけの顔になり。ミイラのように干からびて、やがて灰になって崩れ去った。
「撤収!セルゲイ、出口を案内してくれ!」花園の号令で全員この場を立ち去った。
「うっ」山本は立ち上がり、走って庭の隅の植え込みに行くとなり「ゲーゲー」と嘔吐した。
「だ……大丈夫みやちゃん!」駆け寄り背中をさするフォクシーが見たものは、山本の映す影の中で蠢く大きな蚕だった。
「うわっ!」気づいた山本が慌てて飛び退くと、日光にさらされた蚕はバタバタと激しくのたうち回り、やがて燃え始めた。
そして、吐いた物の真ん中で黒い染みになった。
「呪い掛けられてたわね。忍者の里の御婆に見てもらいましょう」
「おーい!」花園の声がして、山本とフォクシーは振り返った。
まだ、何日も経ってないのに懐かしい面々が手を振りながら歩いた来た。
「あれ?加藤さんは?」山本は、姿が見えない加藤を探した。
「さっきまでそこに居たはずだが?」花園がそう言うと、山本の耳元を「ぷーん」という蚊の羽音がかすめていった。
山本は慌てて振り返ったが、何も見えなかった。
「あんな、ひ弱な奴ヤメときなよ」とスネイクが山本の肩を叩いた。
振り返ると、みんなの耳にも羽音が聞こえているようだった。
フォクシーの電話が鳴った。
「ハイあたしよ。うんうん分かったわ」フォクシーは電話を切った。
「兄者。表、現場封鎖してたんだけど、消防がもう待てないってブーブー言い出したみたい」
「分かった。撤収!帰るぞ!」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
エピローグ
あれから、加藤さんは姿を全く見せない。
「シャイ過ぎんぞ!ねえペロちゃん」
私とフォクシーさんとスネイクさん、そしてペロちゃんは、奇妙な共同生活を始めた。
「女の子が、ワザと襲われそうな夜道歩いてるんだから、助けに来いっ!」
私は、初めてフォクシーさんに助けられた河原の土手に腰掛けて叫んだ。
「あっ!分かった!ペロちゃん、あなたが強そうだから誰も襲って来ないのよ!」
ペロちゃんは、一命は取り留めたものの、深手を負い警察犬としては使えないらしい。だけど、全身傷だらけで以前より断然凄みは増したみたい。
「最高のボディガードよ」
私は、シュンとしていたペロちゃんを抱きしめた。
携帯が鳴った。
「みやちゃん!出たわ!今テレビで街を守る謎の男が現れたって!!」
その時、私の耳元で「ぷーん」と蚊の羽音が聞こえた。
了