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第一部
異変/追究 (7)
 教室の中は今日も不快にまみれている。
 男子たちの下劣な笑い声と女子たちの耳障りな喋り声が波音のように部屋中を渦巻いており、エレンは今にも吐き気を催しそうな顔で露骨に眉間を歪ませながら一直線に自分の席へと向かった。
 苗字が『ミト』であるエレンは窓際の列の一番先頭に座席を持つ。鞄を机の脇に掛け、椅子を引いていざ腰を下ろそうとしたとき――後ろの席に座わっていた女子が教科書から顔を上げてエレンに声をかけて来た。
「おはよう、御戸さん」
 何気ない朝の挨拶。しかしエレンは応える代わりにその少女の顔をキッと睨む。
「おはよう、御戸さん」
 少女は怖じくことなくもう一度同じ台詞を吐く。エレンに反抗する気満々といった様子で、若干の圧力を声音と視線に含ませながら。
 ――彼女の名前は(やま)()()(ある)といい、このクラスの学級委員長だ。前髪をきっちりとピンでとめ、縁のない薄眼鏡を鼻に掛けたその風貌はいかにも規律と風紀を重んじる生真面目な女史のイメージを彷彿とさせる。
 実際、メアルはその通りの人間だった。
「うるさいわね、話しかけないで」
 エレンはあからさまに不愉快な顔で言い捨て、さっさと椅子に座った。普通のクラスメイトならこの時点でエレンとの会話を諦めるのだが、メアルは違った。
「ちょっと御戸さん、挨拶ぐらいしなさいよ」
 すかさず飛んでくるメアルの追撃を背中に受けながらエレンは舌打ちをする。
 メアルは正義感の強い少女だ。曲がったことを嫌い、相手の間違った点を見つけるととことん正そうとする。だからエレンが反発すればするほどそれを正そうと一層躍起になるのだ。
「挨拶挨拶って、いちいち煩いわね。どうして親しくもないのに挨拶しなきゃいけないのよ」
 エレンは後ろを振り返って反撃する。メアルは簡単に引き下がる性格ではない故に『無視』という対処法は効かないし、エレンも背後からの欝陶しい小言を無視し通せるほど強い忍耐を持っていない。
「親しかろうが親しくなかろうが挨拶はするものよ。それが常識なの。それとも、御戸さんは『おはよう』というその一言すらも口にできない非常識人なのかしら?」
「なんですって……!?」
「そしてすぐ怒るのね。どうしていつもそんなにカリカリしてるのか知らないけど、学校っていうのは集団生活の場なんだから少しは周りの環境に順応したらどう?」
「……ッ」
 勘に障ることを平然と言う少女の顔を、エレンは奥歯を噛み締めながら射るように睨みつける。正論なだけに反論できず、もどかしい苛立ちが胸に込み上げる。
「……分かったわよ。『おはよう、山津さん』。これで満足?」
 無愛想に言い、エレンは早急にこの争いに終止符を打つことにした。こちらから折れるのは悔しかったが、このままだといつまで経っても終わらない。
 メアルは煮え切らない顔をしつつも頷いた。
「ええ。今日もよろしくね、御戸さん」
 形だけの台詞を返してメアルは再び教科書に目を戻す。
 一体何がよろしくなのか――。
 ふん、と鼻を鳴らし、エレンは前を向いた。
 本当に朝から腹の立つことばかりだ。


 エレンとの会話を終えて教科書に目を戻した矢先、一人の少女が緩やかな足取りでやって来てメアルに話しかけてきた。
「メアル~、おはよ~」
 気の抜けた脳天気な声。
 メアルは顔を上げ――更に首を(もた)げて少女の顔を見上げた。女子にしては背が高いのだ、彼女は。
「おはよう、カイミ」
 エレンと話をしていた時とは全く違う(とげ)のない穏やかな顔でメアルは微笑む。すると彼女――(あや)(しろ)(かい)()は栗色の長い髪を揺らしながら何の気兼ねもなく尋ねてきた。
「またエレンとケンカしてたの~? 懲りないんだねメアルは~」
「いいえ、別に喧嘩してたわけじゃないわ。少なくとも私にはそんなつもりないわよ」
「そうなの~? なんか私にはよく分からないや~」
「カイミは気にしなくてもいいのよ」
 メアルが優しく笑いかけるとカイミは「分かった~」と言って素直に頷き、次いでポケットから携帯電話を取り出してメアルに画面を見せてきた。
「でさ~、今朝学校に来る途中こんなものが河原にあったんだよ~」
「え、なに?」
 眼鏡のブリッジを押し上げてメアルはケータイの画面を注視する。そこには大きくて浅い円形の穴の写真が映っていた。
「なにこれ……?」
「さぁ~。何が原因で出来たか分からないけど、チョーすごくな~い?」
 メアルは地下鉄を利用して通学しているため土手付近の景色を目にすることはない。
「さっきから男子たちがクレーターがどうとか騒いでいるのは、これのことだったのね」
「そうそう、今朝からちょっとした話題のタネになってるよ~。メアルはこれ、何だと思う~?」
「どうせ誰かのイタズラでしょ? 隕石が落ちたようにも見えないし」
「やっぱりイタズラか~。でも、じゃあ何のためにこんなことしたんだろうね~?」
 カイミはしきりに問題提起をしてくるが、実際は言うほど気になっているわけではなさそうだった。要はただの無為なお喋り。
 カイミは特定の物事に対して熱心に取り組むような人間ではないことを、メアルは長年の付き合いから熟知している。だからこちらも軽い気持ちで話に乗ることにした。
「こういう大掛かりなイタズラをする人は、大低は目立ちたいだけなのよ。もしくは自分の思念を象徴(シンボル)として世間に主張したいかのどちらかね」
「シンボル~? このクレーターが何かを象徴してるって言うの~?」
「うーん……そうね、例えば――」
 四方八方に乱暴に吹き飛ばされた石や土砂を見て、メアルは率直に頭に浮かんだ印象を口にする。
「拒絶心、かしら」
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