柳瀬玲司は殺人課の刑事だ。同時にルキトたち姉弟の母親を惨殺した犯人の捜索を担当している。今日は、つまり捜査の状況を報告する定期面談みたいなものだ。
そのレイジが真摯な眼差しでルキトに告げる。
「……残念だが、まだ犯人の手掛かりは掴めていない」
それはルキトの予想した通りの言葉だった。犯人はまだ見つかっておらず、捜査は少しも進展していない。聞くまでもない情報。
だが、ルキトはレイジを咎めるつもりはない。これは仕方がないのだ。現場に犯人の手掛かりは残っておらず、ルキトと姉も犯人の顔を見ていない。つまり犯人を見つけ出すことの方が難しい。
そうでなくても、レイジは両親のいないルキトたち姉弟の面倒をよく見てくれていた。碓井家とは全くの無縁であるにも関わらず経済的な援助もしてくれており、そういった面からも感謝の気持ちの方が断然大きい。
「そうですか」
ルキトはそうとだけ言う。そうとしか言いようがない。手持ち無沙汰にオレンジジュースを一口飲み、引き続きレイジに会話の主導権を委ねる。
「犯人はまだ身近なところに潜んでいるのかもしれない。証拠がないということは見つかる可能性が限りなく低いのだから、下手に逃亡を謀るよりは今まで通り何食わぬ顔で生活していた方が逆に怪しまれないというものだ。だから身辺には十分注意してくれ。もちろん俺も君たちの警護を怠らない」
レイジの指示にルキトは頷く。
「分かりました」
レイジはコーヒーを啜り、今度は眼差しを険しいものにして口を開く。
「……ところでルキト。君はまだ、『例の力』を使って犯人に復讐したいと思っているのか?」
「……」
予期せぬ問いかけに、ルキトは言葉を詰まらせる。
レイジはルキトを見つめ、ルキトは逃げるようにテーブルへ視線を落とす。ルキトにとって息苦しい沈黙が、始まる。
殺人鬼への復讐――それはルキトが一番始めに抱いた決意だった。
あの冬の雨夜、ルキトは母を殺した殺人鬼に腹部を刺され、二ヶ月間の昏睡状態を経て奇跡的に意識を取り戻した。その時の『死に触れた経験』によってルキトは『ギフト』と呼ばれる異能を手にし、同時にその力をもって殺人鬼に復讐してやるという決意を胸の内に掲げた。
しかし、それは本当にルキトが望んでいることなのかという疑念が、心の片隅に絶えず根を張っていた。
人を殺した人間はどんな理由であれ裁かれて然るべきだが、ならばその殺人犯を復讐と銘打って殺し返すのもまた正しい行為とは言えないはずだ。そして何よりも、ルキトの望む復讐も殺人鬼の『死』をもって完遂されるものではないような気がした。
店内に流れるクラシックの曲が再び変わる。つまりそれだけの思考時間を経て、ルキトは静かに口を開く。
「……分かりません」
そう答えるしかなかった。
ルキトは迷い、葛藤している。それは事実だ。しかし、ルキトの心境がどうであれ、目の前にいる年若い刑事はルキトが復讐という行為に走ることなど望んだりはしていないはずだ。ここで仮にルキトがはっきりと復讐の意志表示をしても、レイジは必ず止めようとするだろう。だからルキトはどちらにしろ曖昧な返事をするに留まるしかないのだ。
「そうか」
レイジもその一言に留まる。安堵するでもなければ失望するでもなく、ただルキトの返事を事務的に受け止める。
「とにかく、何度も言うが身の周りには絶えず注意を払うようにな。犯人の犯行動機はまだ謎だからな。ただの無差別殺人だった場合は再犯の可能性は低いが、もし何らかの理由で君達家族をどうしても皆殺しにする必要があったとしたら、犯人は再び君達を狙ってくるかもしれない。警戒心は常に携えておいてくれ」
脅かしのようなレイジの忠告は、しかし間違ってはいない。ルキトは首肯にて了解を示す。
「はい」
レイジは「よし」と頷き、険しい雰囲気を解いて話題を変える。
「お姉さんの様子はどうだ?」
ルキトは無表情のまま答える。
「相変わらずです」
その言葉が持つニュアンスをレイジはレイジなりに汲み取ったらしく、結果として顔色を曇らせた。
「相変わらず、か……」
ごまかすようにレイジはコーヒーを一口啜る。ルキトもオレンジジュースを一口飲む。
それからは無為な会話が続いた。ルキトは学校生活のことを、レイジは仕事の愚痴などを世間話調に話し、息の詰まらない時間が続いた。
「さて、じゃあそろそろ出ようか」
二人の飲み物がちょうど底を尽きた頃合いを見計らってレイジが会話の終了を告げた。
「そうですね」
ルキトも同意し、二人は席を立つ。
「そういえばルキトはこの後別の場所に用事があるんだったな。だったら家には戻らずにここから直接その場所まで乗せていってやろうか?」
会計に向かいながらレイジは提案してくる。ルキトは少し考え、
「……いえ、大丈夫です」
丁重に断った。
「ここからだと地下鉄駅が近くにあるので、それに乗って行きます」
「ならばせめて駅まで送ろう。この猛暑の下では少しの距離でも歩くのが億劫だろ」
「いえ、時間的に急ぐものでもないので、ゆっくり歩いていきます」
「そうか……分かった」
レイジはようやく折れ、レジにて二人分のドリンク代を払った。
「ごちそうさまでした」
ルキトは軽く頭を下げる。レイジは気にするなといった表情で笑み、二人は喫茶店を出た。
「今夜はお姉さんと二人で近所の店で夕食を摂る予定だ。遅くなる前に帰すが、もし留守中に何かあったらすぐに電話を入れてくれ。五分で駆け付けられる距離だからな」
車に乗り込んだレイジは運転席の窓を開けて外に立つルキトにそう告げる。
ルキトは頷き、言葉を返す。
「姉のこと、よろしくお願いします」
「別にルキトと同じようにただ話をするだけなんだがな」
レイジは苦笑し、
「じゃあまたな」
ニヒルな笑み最後に見せ、車で走り去っていった。
――……
レイジの車が見えなくなるまでルキトはその場に立ち尽くし、それから陽炎のようにふらふらと歩きだす。
次の目的地に向かうまでは時間的に早い。というかそもそも時間など特に定められていないため、ルキトはのんびり海沿いでも歩きながら地下鉄駅に向かうことにする。
たまには散歩も、悪くない。
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