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第一部
出発/到達 (1)
 オレンジ色に燃える夕日が地平線の彼方に没し――漆黒の夜が訪れる。
 夜は全てのものを覆い隠し、全ての事実を隠蔽しようとするかのように執拗に暗黒を呈す。今宵は空に丸い満月がかかっているが、月光など無限の宵闇の中では一筋のか弱い灯に過ぎない。
 そんな、闇という名の黒い煙幕の中に上手く隠れるように、一台の黒塗りの高級車が土手沿いの道に静かに停まった。
 助手席から音もなく下り、ルキトは首を二度ほど振って辺りを見回す。
 ――周囲に人の気配ははい。夜も更けてきた時間帯だ。明かりすら一つとして灯っておらず、川辺の土手は完全に無人を呈している。
「……この向こう側にある河原だよ」
 少し遅れて車の運転席から下りてきたセオにルキトは言う。
「ふむ、行ってみようか」
 宵闇よりも黒い色のスーツを着た男は夜道の散歩でもするかのような気軽な足取りで土手を登っていく。片手には細身の懐中電灯が握られているが、なぜか明かりは点けられていない。
 ルキトも斜面を登り、土手を越えて河原へ降り立つ。目当ての場所に行き着くと、一足先に到着していたセオが顎を摩って感嘆の声を漏らした。
「ほぅ、これか。思っていたよりも大きいな」
 脆弱な月光の下、暗がりの中にぼんやりと浮かび上がる得体の知れない円形の浅穴。(くだん)のクレーターは、朝に見たときと変わらぬ異様な姿でそこにあった。
「隕石とかガス爆発とかが原因じゃなさそうだろ?」
「確かに、落下物も見当たらないし焼け焦げた跡も残っていない。中心から外側へ放射状に広がっているという規則的な形状から察すると、竜巻や突風などの気流現象が関与しているわけでもなさそうだ」
「リュウヤは、空気が破裂したみたいだって言ってた」
「空気の破裂……言い換えれば『衝撃波』か。ユニークな発想ではあるが、現物を見る限り案外遠くはない見解かもしれないな。そのような現象をこの場で唐突に引き起こせる者がいるとしたら、それは確かにブレシスを置いて他にいない。……まぁ誰かのイタズラだとしたら本末転倒だがね」
 無灯火の懐中電灯を手の内でくるくると回しながらセオは他人事のように笑う。
「それを確かめるために来たんだろ。……で、どうやって調べるんだよ?」
「そう焦るんじゃない。物事には順序というものがあるのだよ、ルキト君」
 インテリチックな仕草で人差し指を振り、セオは切り出す。
「『力』というものは発現と同時に『(エネルギー)』を放出する。力の規模が大きければ大きいほど生じるエネルギーも多大になり、余韻も長く残る。仮にクレーターを作ったものが何らかの強力な力であったとしたら、それ相応のエネルギーの余韻もこの場に残されていることになる」
 「だが」と言ってセオは続ける。
「一言に『力』と言っても、この世界には様々な種類が存在している。重力をはじめ、引力、電磁力、摩擦力、大気圧力……種類が違えば生じるエネルギーも異なり、見分け方にもそれぞれ専用の手段が必要になってくる」
 ここまでスムーズに語り上げたところで、セオは手に持っていた懐中電灯を得意げに顔の横に掲げた。
「この『(せき)(しや)(とう)』は、世の中に働く数多の力の中で『人間(ブレシス)』が振るった『異形の(ギフト)』の残留エネルギーのみを赤く照らし出す『裏科学暗器(アーテイフアクト)』だ」
 ――ルキトはようやく納得する。
「……なるほどね」
 先ほどからセオが所持している何の変哲もない懐中電灯は、実は彼の怪しげな発明品の一つだったということか。そして、この赤写灯なる道具が調査の鍵となるのもまた事実。
 ルキトの理解が追い付いたのを見計らってセオが再び口を開く。
「例えば、自然に吹いた風とブレシスが引き起こした風――両者は結果的に同じ『風力』としてのエネルギーを生むが、発生源が異なっているためエネルギーの種類にも違いが出てくる。自然の風か、超常的な風か――このライトは、それを可視的に判別するためのものだ」
「……つまり、クレーターに赤写灯の光を当てて赤く照らし出されたら、ブレシスによる超常的な力がこの場で振るわれた証拠になるということか……」
「その通り。では実際にやってみたまえ」
 軽く笑い、セオは懐中電灯を投げて寄越してくる。慌てずにそれをキャッチすると、ルキトは僅かに緊張した面持ちで懐中電灯の頭をクレーターへ向けた。
 もし照射箇所が赤く染まったら、犯人はブレシスだ。逆に赤く染まらなかったら、ブレシスは関与していないことになる。
 進展するかしないか――それを分かつ一瞬。
 一呼吸分の間を置いてから、ルキトは赤写灯のスイッチを入れた。
 ――ライトの照射箇所が、蛍光塗料でも塗りたくられたかのように赤々と照らし出された。
「決まりだな」
 口の端を上げて薄笑みを浮かべるセオ。
 頷いて同意しつつ、ルキトはライトのスポットをクレーターの中で泳がせる。隅々まで赤く照らし出されたところを見ると、よほどの高威力なギフトがこの場で爆発したようだ。
「このクレーターを残した者がブレシスだということは分かった。けど、どうやってそのブレシスを特定するんだ?」
 ルキトの問い掛けに、セオは余裕げな態度を崩すことなく答える。
「これだけの力を振るったのだから、無論ブレシスの体にもエネルギーの残滓が残っているはずだ。空を飛んで帰ったのでなければ足跡が残されているだろう。泥の付いた靴底のようにね」
 セオの言葉の意味を理解し、ルキトは懐中電灯で足元を照らしながらクレーターの外周を回る。
 地面の一角に一組の足跡が赤く浮かび上がった。
「……あった」
 クレーターから土手の方に向かって続いているその足跡はブレシスのものと見て間違いないだろう。セオも合意を示す。
「では、行けるところまで辿ってみようか」
 ルキトは地面をライトで照らしながら赤い足跡の追跡を始める。
 足跡は真っ直ぐ土手の道へ上がっており――斜面を登りきったところで早速ルキトは足を止めた。
「どうしたのかね?」
 後ろをついてきたセオが片眉を下げる。
「……これ、見て」
 土手の上の道には、クレーターから続いてきた足跡の他に、もう一つ別の足跡が残されていた。大きさからして同じ人物のものであろうが、順路が違っている。
 クレーターから続いている足跡は土手の道を左手方向に進んでいるのに対し、もう一方の足跡は土手の右手方向からやってきてこの場で唐突に途絶えているのだ。
 二種類の足跡をまじまじと見つめ、セオが推論を立てる。
「昨夜河原でギフトを振るったブレシスは土手道を左手方面へ進んでこの場から去り、明けて今日、土手道の右手方面からやってきて再びこの場に戻ってきたようだな。正に犯人は現場に戻って来るというセオリー通りだ。しかし――」
 セオは不審げに顎を摩る。
「この場で足跡が突然消失しているのはなぜだろうか?」
「靴に残っていたギフトの残留エネルギーが消えたんじゃないの?」
「いや。あの規模のクレーターを作った程だ、体内に残った余熱も丸々一日は残存するはず……」
「じゃあ背中に羽根を生やして飛んで行ったか、もしくはこの場で誰かにギフトの余熱を吸い取られたか、とか」
「……」
 ルキトは冗談で言ったつもりだったが、意外にもセオは真面目な顔で考え込んでいる。いつも多弁なこの男がこうも真顔で沈黙すると、かえって不安だ。
「――」
 地面を見つめながらセオは小さく口を開いた。誰かの名前を呟いたようだったが……。
「……まさか、な」
 結局セオは自分の中だけで思考を終え、何事もなかったかのように顔を上げた。内容を明かさないということは明かす必要がないという意味とも取れるので、ルキトは下手に疑念を抱こうとはせずに話を前に進めることにした。
「で、どっちの足跡を辿ればいいんだ?」
 セオはいつもの落ち着き払った調子で答える。
「別にどちらでも構わんよ。足跡はこの場から始まり、この場で終わっているんだ。ぐるりと一周するようにね。並走するか逆走するかの違いしかないよ」
「じゃあ……こっち」
 ルキトはさして悩まず、土手の右手方向からやって来ている方の足跡を指差した。
 呆れるように片を竦めるセオ。
「わざわざ足跡を逆向きに辿ろうとするとは、キミは捻くれ者だねぇ」
「一番最近までいた場所を辿った方が手がかりが新しいと思ったんだよ……」
「ふむ、なるほど。キミもそれなりに色々と考えているわけだ」
 セオの嫌味には触れず、ルキトはさっさと足跡の追跡を再開する。
 脆弱な月光の下、二人の探索が静やかに始まった。
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