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第三部
鉄人形/錬金術師 (1)
 この世には野望や理想を掲げて生きている者と何も考えずただ無為に生きている者の二種類の人間がいる。前者は生きることに積極的であり後者は非常に惰性的だ。
 香具原織馬は前者に分類される人間だ。物心ついた頃からオリバは教育熱心な両親によって勉学の大切さを刷り込まれ、将来を幸せに過ごしたければ小さいうちから勉強を怠るなという教訓を胸に刻み込んで小・中・高と一流の学校に入学し、親と、何よりも自分の理想を実現させるために遊ぶ間も惜しんで真面目に勉学を重ね続けた。その努力の甲斐もあってこのまま順調にいけば大学も一流のところに進学できると(うた)われるようになり、オリバ自身も将来的には弁護士か検事になって社会の役に立ちたいという大きな野望を掲げるようになった。
 だからオリバは将来のことをろくに考えもせずへらへらと遊び(ほう)けている若者や、高みを目指さずに現状の平素な暮らしで満足している大人たちを見ていると(べつ)()せずにはいられなかった。一度しかない人生をどうしてそうも無駄にできるのか、一人しかいない自分をなぜ低価値のまま終わらせようとするのか。オリバは理解に苦しみ、そんな無益な人間には絶対にならないよう自分で自分を戒めながら有望な将来に向かって日々努力を続けた。
 光に満ちた未来を見据え、オリバは積極的に人生を邁進したのだ。
 それなのに――天はオリバを見捨てた。いとも簡単に、いとも残酷に、あっさりとオリバの未来を断ち切った。
 高校二年生の夏、志望大学に合格するため早期から受験勉強に勤しんでいたオリバは、突如として重い(やまい)の存在を知らされることとなった。自覚症状はないものの、年月が経てば次第に自力で生命を維持することが困難になり、遅くても三十歳に差し掛かる頃には死を迎えるだろう。――医師はオリバにそう告げた。
 オリバは耳を疑った。なぜいきなり死の宣告を受けなければならないのか、理解できなかった。
 それは即ち、人の仲裁を挟まない『運命』であるということ。
 オリバの病は生れつきだったらしい。先天性の不治の病。オリバの身体は生れついた瞬間から病魔に蝕まれ、制限時間付きの人生を課せられていたのだ。若くして死ぬことが、生れつき決定されていたのだ。
 オリバは絶望した。絶望の淵へ深く深く叩き落とされた。
 どうして自分が。なんで自分が。
 オリバは将来立派な大人になるために幼い頃から精一杯努力してきた。良い大学に入り、善い職に就き、幸福と充実に満ちた人生を送れるよう一生懸命頑張ってきた。そこらの凡人よりも有能な人間になってみせると、そう信じてここまでやってきたのだ。
 なのにこの現実は何か。
 死ぬまでにはまだ時間がある。しかしそんな一時の人生に何の価値があろうか。良い大学に入って善い職に就いたとしても若くして息絶えるのなら何の意味もない。
 そう――将来のことをろくに考えもせずへらへらと遊び呆けている若者よりも、高みを目指さずに現状の平素な暮らしで満足している大人たちよりも――オリバが今まで積み重ねてきた努力の方が何倍も無価値なのだ。
 深く絶望したオリバは、その先にある空っぽの虚無感に見舞われた。全てが無駄であるのなら何をしても報われない。
 オリバは全てがどうでもよくなり、生きることもどうでもよくなり――高校三年生の冬、風呂場で手首を剃刀(かみそり)で切った。短くて無意味な人生を送るぐらいならいっそ自ら命を断ってやる、そう思ってオリバは自殺を謀った。
 切り裂いた手首から真っ赤な血が溢れ出、オリバの活力は瞬く間に奪われていった。血と共に残りの短い人生が流れていくようだった。
 ――しかし、オリバは死ななかった。死なないと分かっていた。
 オリバは無意識の内に急所を外していたのだ。
 生きたいという本意が、死にたくないという本心が、オリバの自殺を未遂のまま終わらせていた。最後のあがきでオリバは踏み止まったのだ。
 だからといって絶望が晴れたわけではない。オリバが自傷しようがしまいが現状は変わらず、自ら絶命することを拒んだのなら後は死期が訪れるのを大人しく待つしかない。そうするしか、道はない。
 オリバは血に染まる風呂場のタイルに(うずくま)りながら泣いた。決して声を上げることなく、非情な運命を噛み殺そうとするかのように歯を食いしばったまま泣いた。
 悲痛な涙がとめどなく頬を伝って赤いタイルの上に滴り落ち――
 オリバが目を開けた時、床に溜まっていたはずの血液は一滴残らず凝結して一つの固体となってオリバの膝元に転がっていた。
 奇跡が齎されていたのだ。
 ――こうして『贈り物』を手に入れたオリバはその後一人で家を出た。息子の人生を悲観する両親が欝陶しかったという理由もあるが、何よりもオリバは『生贄』を探す必要があった。それに、異質を所持するからには異質な人間が集まる場所に身を潜める方が色々と都合が良い。
 やがてオリバは『オルデル』と銘打つ集団が住み着く教会を探し当て、そこで生活を始めた。死の宣告を受けて以来受験勉強を怠っていたせいで第一志望の一流大学には落ちてしまったが、それでも一般レベルの大学には余裕で合格したので巻き返しは謀れた。それに何よりもまず生き延びる術を見つけることができたのだから、多少の計算違いも容易に妥協することができた。
 ――そう、だから後はこの『楔』を『生贄』に打ち込むだけだ。オリバの死は楔が持つ生命転換能力によって代替えされ、無かったはずの人生を手に入れることができる。オリバの野望はあらゆる意味で完成するに至るのだ。
 確信的な笑みを浮かべ、オリバは真紅に艶めくマテリアルを右手に握り締める。広々とした空間の只中に腰掛けながら時が来るのをじっと待ち――程なくして重いシャッターがゆっくりと上がる音が聴こえた。
 オリバはほくそ笑む。
 ノアが、生贄(ルミネ)を連れてやってきた。


 港にずらりと立ち並ぶ大きな倉庫の内の一つ。
 今ではもう使われなくなった朽ち果てた廃倉庫を、オリバは儀式の舞台として選んだ。街から離れ、且つこんな時間には人も寄り付かないというこの舞台設定は、なかなか好条件である。
 倉庫の中はコンテナやガラクタなどの資材が乱雑に置かれていたため、オリバは上階(ロフト)に椅子を設けて腰掛けていた。
 ――入り口のシャッターが開く音が聴こえた。オリバは椅子から立ち上がって手すり越しに一階を見下ろす。――ノアと、ノアが操る二本のロープによって空中に持ち上げられたルミネが倉庫内に入ってきた。
 一目散にここまで走ってきたらしく、ノアは息を切らして疲労感に満ちた顔をしていた。一方のルミネはいきなり誘拐されて強引に運ばれて来たにも関わらず少しも怯えた様子を見せていない。
「ご苦労さま、お嬢さん。私は別に逃げたりしないから、もう下ろしてくれないかしら?」
 ――それどころか、ルミネは穏やかな微笑みを零しながらノアを(ねぎら)ったりしている。
 ノアは困惑した眼差しでルミネを見返し、彼女の言葉に(うそ)(いつわ)りがないことを確かめるとゆっくりロープを操ってルミネの身体を地に下ろした。
「ありがとう」
 心から礼を言うルミネと、どう反応していいか分からずに戸惑うノア。両者を上方から眺めつつ、オリバはルミネに向かって口を開く。
「ようこそ、碓井さん」
 ルミネは顔を上げてオリバの姿を視認し、
「あら、香具原君」
 と言ってにこやかに顔を(ほころ)ばせた。
「こんなところで何をしているの?」
「碓井さんとゆっくり話がしたいと思ってさ。無理矢理連れて来てしまって悪かったね」
 好意的な笑みを作ってオリバは答える。ルミネは嬉しそうに声を上げる。
「そうだったの。そのためにこの子を迎えによこしてくれたのね」
 ルミネはノアに視線を向ける。
「あなたのお名前は?」
「……紗枝木乃愛、です……」
「そう。ここまで連れて来てくれてありがとう、ノアちゃん。お陰でラクチンだったわ」
 冗談か本気か分からないような言葉をノアに告げ、ルミネはころころと微笑む。ノアは困ったように顔を逸らして(うつむ)く。
 それからルミネは誰に言われるでもなく自分から階段を登り始め、ごく自然な流れでロフトに上がって来た。疑心もなければ警戒心もない。まるで友人の家を訪問するような至極柔和な面持ちでルミネはオリバの前にやって来たのだ。
 ロフトには二つのパイプ椅子が向かい合うように置いてある。その内の一方にルミネを座らせ、オリバはもう片方の椅子に自分も座る前に一度ノアに耳打ちした。
「……邪魔者は?」
 ノアは不安げな声で答える。
「アゲハって人は追ってこなかったけど……代わりに男の子が一人、しぶとく追ってきた」
 オリバは口の端を上げる。
「そいつは恐らく弟だろう。ルキトという名の弟が一人いるらしいが、誰であろうともクロエの壁を突破できやしない。ここからはゆっくり事を進めさせてもらおう」
「それで、なんの話をするのかしら?」
 ルミネの声が背中を打つ。
 オリバは振り返って好意的な笑みを作り、ルミネの対面の椅子に腰掛ける。
 ノアは唇を結んでロフトの手すりに寄りかかり、傍観を決め込む。
 ――対話の場が、出来上がる。
「ちょっとさ、碓井さんと命の話がしたくてね」
 危険な影を潜ませて好意的な笑みを振り撒くオリバ。その様はまるで、善人の皮を被った魔物のよう。
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