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第一部
見つける/秘める (3)
 下校を告げるチャイムが鳴り響く。今日もようやく苦痛の時間が終わった。
 帰りのホームルームが終わってから校門を潜るまでの時間――つまりエレンの下校スピードは物凄く早い。
 鞄を手に取って教室を出るや否や真っ直ぐ昇降口へ向かい、脇目も振らずに誰よりも先に校舎を抜け出す。一秒でも早く学校という場所から脱出したいというエレンの気持ちの表れ。
 誰とも口を交わすことなく一目散に学校を後にしたエレンは、本来の通学路である土手の道を通って帰ることにした。今朝はクレーター騒ぎを避けるためにバスへと乗り換えたが、今の時間帯であれば土手には誰もいないはずだ。
 早足で帰路を辿るエレンの顔は、依然として苛立っていた。
 ――今日も本当に不愉快な一日だった。今朝のクレーター騒動に始まり、教室ではメアルから難癖をつけられ、果ては食堂で小柄な男子生徒にぶつかられるという苦汁まで味わった。そしてこうしている今もジリジリと横顔に照り付けるオレンジ色の夕日が欝陶しい。
 次から次へと押し寄せてくる不快感。それが毎日続く。休みなくエレンの精神を荒立たせ、消耗させる。
 どうしてこうも世界は嫌なことばかりなのだろうか――。
 案の定土手の道を歩いている人間はいなかった。後にも先にもエレン一人だけ。無人の小道は人影を乗せることなく夕日の彼方へ伸びている。
 その途中で、ふとエレンは足を止めた。止まるか止まらないか迷った揚げ句の、中途半端な停止だ。
 エレンは土手の上から川の方を見下ろす。視線の先には例のクレーターが――エレンが昨夜残した力の痕跡がぽっかりと丸い口を開けている。
 エレンは憎らしげに唇を噛む。
 実に腹立たしい光景だ。
 間抜けで、滑稽で、エレンの愚行を世間に露呈する忌ま忌ましい刻印だ。
 すぐにでも無茶苦茶に荒らしてしまいたい。それだけでなく、クレーターを目撃した人間も全員まとめて一息に吹き飛ばしてやりたい。
 破壊的という言葉では留まらない程の危険な衝動がエレンの心底から沸々と込み上げてくる。
 ――その時背後から聞こえたのは、エレンの荒々しい気性とは真逆の穏やかな声だった。
「ごきげんよう」
「……ッ!?」
 エレンはビクンと肩を縮め、跳ねるように後ろを振り向く。
 と同時にエレンは絶句する。
 そこにいたのは、銀色の長いマントに首から下を覆った金髪碧眼の見知らぬ青年だった。
 エレンは身を強張らせ、一方後ずさる。
「な、何なのよ、あなた……!」
 まるで異世界から抜け出してきた魔術師のような男。エレンは突如現れた正体不明の青年に驚きと警戒心を抱き、威嚇的な睨みを利かせた。
「警戒しなくても大丈夫です。僕は君に危害を加えるつもりはありません。驚かせてしまったことについては謝ります」
 青年はマントの隙間から出した銀色の長手袋(グローブ)つきの右腕を胸に沿え、恭しく頭を下げる。礼儀と誠意の感じられる態度ではあるが、だからと言ってすぐに心を許すほどエレンの守りは緩くない。
「私に一体何の用なのよ?」
「用、というか……少し君に興味がありまして」
「興味ですって……?」
 知らぬ相手から勝手に興味を向けられることへの不快感を胸の内で感じると、青年は双眸の焦点をエレンからクレーターの方へ移し、若干顔色を曇らせて言った。
「あの円形の痕跡は、君が残したものですね?」
「え?」
 青年の突然の発言にエレンは耳を疑う。
「昨夜君は川辺で『力』を振るい、その結果あのようなクレーターじみた穴を作ってしまった。違いますか?」
 青年の言葉は質問ではなく確認だ。クレーターを残した犯人がエレンであることを知っている上で、その事実を本人の前で確かめようとしている。
「何を言っているのか分からないわ」
 エレンは(しら)を切るが、青年の碧眼は全てを見透かしているように透明で真っ直ぐだ。
「この世界には超常的な力を持つ者がいます。そして僕の予想が正しければ、君はその内の一人です」
 断言し、青年は海のように澄んだ瞳でエレンを見つめる。言い逃れできない状況が自然な流れで作り出される。
「……」
 青年の顔を睨み返しながら、エレンは苦々しく息を呑む。
 どうすべきか――。
 青年はエレンの持つ『力』の存在に気付いている。ハッタリや鎌をかけているわけではなく、何らかの明確な根拠を基に断定している。
 青年には全てがバレているのだから、エレンがいくら白を切っても無駄だ。となるとエレンは青年に対する対処法を決めなければならない。今この場で、早急に。
「へぇ、そうなの。だったら――」
 表情を薄くし、エレンはおもむろに右手を青年の胸元へ伸ばす。
「この力のことは黙っていてもらえる? 口外したり余計な詮索を続けたりするつもりなら、ここで(じか)に力を味わわせてあげてもいいわよ」
 拳銃のように掌を青年の胸に突き付け、エレンは低い声で脅す。
 この力はエレンだけのものだ。エレン以外の人間に知られたくないし、嗅ぎ回られたくもない。だから力の存在を知っているこの青年は、邪魔者だ。
「口封じ、ですか……」
 胸元にあてがわれるエレンの右手を見下ろしながら青年は残念そうに息を吐く。
「そういうことよ。どうなの? 私の言うことを聞いてくれるかしら?」
「こんなことをしても無意味です。それこそあのクレーターを作ったときのような虚しさが残るだけだ」
 返ってきたのはこの上なく嫌味で腹立たしい言葉だ。ノーと見なせる返事。
「なら試してみましょう」
 エレンは腹の底から沸き上がってきた怒気を右手に結集させ――『力』として掌から解放した。
 ドオォォン!
 空気を震撼させながら青年の胸元に零距離で撃ち込まれる『拒絶の力』。ありとあらゆるものを片っ端から吹き飛ばす異形の衝撃波は目の前に立つ青年などいとも簡単に打倒する――
 ――はずだった。
「……うそ」
 驚愕に見開かれるエレンの瞳に、衝撃波などなかったことのように平然と佇む青年の姿が映る。
 確固たる破壊力を纏って放出されたはずの拒絶の力は、どういうわけか青年の体をすり抜けて後方の虚空を震わせるだけに終わった。
「だから無意味だと言ったでしょう?」
 ――完全に不発だ。青年の銀マントはさざ波ほどにも揺れていない。
 何が起こったのか分からないでいるエレンと、全てを理解している顔で佇立している青年。両者の間に一瞬の静寂が過ぎった後、エレンは再び敵意を漲らせて掌から拒絶の力を放つ。
 空気が破裂し、轟音が高鳴る。
 しかし結果は同じだ。衝撃波は青年を透過して空の彼方へと虚しく飛んでいくだけ。エレンにとって理想的な結果は訪れない。
「どうなってるのよ!」
 取り乱しながらエレンはもう一度右手に力を篭める。
 その手首を青年が咄嗟に掴み取る。
「もうやめてください」
「っ! 離して!」
 エレンは腕を振り解こうと身をよじったが、青年も懸命にエレンの手を掴んで離そうとしない。しかしその力加減は決して乱暴なものではなく、相手に痛みを与えないよう最大限に気遣われた易しい握力だった。
「よく聞いてください。君が手に入れた力は、君が大きな代償を支払った代わりに『天秤』から齎された掛け替えのない『贈り物』です。無為に振るってはいけません」
 青年は真摯な眼差しで、かつ熱意の篭った声で、エレンに訴えかける。エレンは抵抗しつつも青年の言葉に耳を貸してしまう。
「その力を得た意味をよく考えてください。少なくとも河原にあんなものを作るために得た力ではないはずです。君にとって本当に意義のあることに使わなければ、力の矛先は永遠に曖昧なままとなってしまいます」
「ごちゃごちゃうるさいわね!」
 叫ぶのと併せて腕を大きく振り、ようやくエレンは青年の手から逃れた。
「どこの誰だか知らないけど、知ったような口利かないでよ」
 息を荒くして唸りながら、エレンは右手首を摩る。まるで力の熱を吸い取られてしまったかのように手の内は軽く、涼しい。
「僕が言いたいことはそれだけです。いえ、僕はそれを言うために君の前に現れました。分かっていただけましたか?」
「あなたにとやかく言われなくても、力の使い道なんて自分で見つけ出せるわ!」
 敵意を剥き出しにして吠えるエレンだったが、青年は打って変わって悲しげな表情を零した。心からエレンのことを心配し、エレンの暴走を嘆いている様子。
 なぜこの青年がこれほどまでにエレンのことを気にかけているのかは知らない。しかし青年の心に裏や下心はないようだった。
 エレンは逆立っていた気性を何とか鎮め、改めて青年に向き直る。
「……あなたは一体何者なの? どうして私の前に現れたの?」
「僕のことは教えられません。ただ、せめてもの自己紹介をさせていただきますと――」
 青年はマントの奥から一枚のカードを取り出し、エレンに手渡す。
「名刺代わりです」
 エレンは訝しむ目つきでそのカードを眺める。
 カードの紙面には、派手な服装の道化じみた男が犬を引き連れて杖を片手に荒野を歩いている絵が描かれていた。絵柄からしてタロットカードの一枚だろうが、その手の知識に通じていないエレンにとっては甚だ不親切な名刺であることに変わりはない。
「こんな紙切れだけ渡されても、さっぱりだわ」
「僕が何者であるかは重要ではありません。本当に考えなければならないことは君がこれから『力』と共にどう歩んでいくかです」
「またその話なの? しつこいわね」
 エレンは不機嫌そうに顔を歪め、青年から渡された名刺(カード)を乱雑にポケットに押し込む。
「帰るわ。さっさと私の前から消えて。それからもう二度と私の前に現れないでちょうだい」
 針のようにきつい口調で青年に告げると、エレンは足先を帰路の方向に向けて歩きだした。これ以上この場に留まりたくはなかったし、青年ともこれ以上話したくはなかった。
「力を無闇に振るってはいけません。忘れないでください。力の暴発は決して望むべき結末を齎したりはしません」
 尚も必死に訴えかけてくる青年を首だけで振り返り、エレンは吐き捨てる。
「これは私の力よ。私の好きなように使うわ」
 青年は悲しげに碧眼を揺らす。何かを言いかけようと唇を開きかけたが――結局は諦めて何も言わずにそよ風と共にその姿を消した。
 次元の隙間に滑り込むような、一瞬かつ無音の消失。しかしエレンは別に驚いたりはしない。驚くという感情を挟む余地がないほど、エレンの胸中は苛立ちで一杯になっている。
 ふん、と鼻を鳴らし、エレンは前を向いて下校を再開する。
 ――最後の最後でまた一つ、不愉快な出来事が加わった。青年がいたという事実は残らないくせに、苛立ちだけははっきりと残る。
 最悪の気分だ。
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