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本編をご覧になる前に、【活動報告】の
『(2009.12.26)ごあいさつ』をお読みください。
第一部
第一部プロローグ
 氷のように冷たい雨が降りしきる、真冬の夜。
 光一つ灯っていない真っ暗な路地の上に、傘も差さずにびしょ濡れになって立ち尽くしている小柄な少年がいた。
 少年の名前はルキトといい、ルキトの黒瞳の先には今二つの人影があった。
 一人は血まみれの包丁を持っている人で、もう一人はその傍で血まみれになって倒れている人。
 ――殺人の光景だ。
 人が人を包丁で刺し殺した現場にルキトは居合わせ、身動きが取れぬままただ呆然と佇立していた。
「母さん……」
 血まみれになって倒れている人はルキトの母親だった。ルキトは青ざめた唇から母を呼ぶ声を微かに漏らし――その声を聞き取った殺人者は少年の存在に気付いておもむろにこちらを向いた。
 殺人者の顔は夜闇に隠されて見えない。しかし狂気を孕んだその両目からは確かなる殺意を感じる。ルキトに対しての、殺意。
 殺人者は血の滴る包丁を握りしめてゆっくりとルキトへ向かって歩き始める。それがどういう意味を持つのかルキトは脳裏に予感したが、体の方は金縛りにあったように微塵も動かなかった。
 殺人を目撃したことへの動揺。母を殺されたことへの絶望。殺人者に狙われることへの恐怖――。
 それらが一遍にルキトの心を縛り付け、寒さに(かじか)む体をさらに固く膠着させる。
 やがてルキトの眼前までやってきた殺人者は、何も言うことなくさも当たり前のような自然な動作でルキトの脇腹に包丁を突き刺した。
「あ……」
 呆けた声を漏らしてルキトは自分の腹部に目線を下げる。包丁は根元まで深々と体の中に差し込まれており、刃が引き抜かれると今度は真っ赤な血が傷口から噴き出した。
 途端に体の力が抜け、ルキトは糸が切れた人形のようにその場に倒れた。溢れる血は止め処なく地面の上へ流れていき、雨水と混じって真紅の水溜りが広がっていった。
 ルキトに致死の傷を与えると殺人者はくるりと踵を返して路地の向こうへ去っていく。この場での目的は全て達成したのだろう。地の上に倒れ伏す二人の人間に一切の感情を向ぬまま、殺人者は音もなく宵闇の彼方に消えていった。
 取り残されたルキトに成す術はない。固いアスファルトの上で体をくの字に折り、自分の体からどくどくと血が流れ出ていく光景を他人事のように呆然と眺めることしかできない。
 ――冷たい雨はまだ降り続いている。今宵の下に起こった出来事の全てを洗い流そうとするかのように、真冬の雨は無情で冷酷な音を響かせながら淡々と世界を濡らす。
 氷雨を全身に浴びながらルキトは寒さを感じていた。刺し傷の痛みなど感覚が麻痺して何も感じない。今はただ、凍えるほどに寒かった。
 きっとこれは死の寒さだ。全身の体温を奪い、生気を吸い尽くし、生命の鼓動を徐々に凍結させていく極寒の冷気だ。
 死は冷たい。雨よりも、雪よりも、氷よりも、この世の何よりも、死の温度は低い。
 死の間際にルキトは死の温度を知る。
 死することは途轍もなく冷たくて寒いことだと、知る。
 次第に薄れていく意識の水底で、そのときルキトは音を聞いた。雨音に混じってこちらに近づいてくるその音は――足音だった。
「ルキ……母さん……?」
 震える声。ルキトにとっては聞き慣れた、とても身近な女性の声だ。
 倒れているルキトと母親の死体を目にしてその人はしばし戦慄し――

「いッ……イヤァァァぁぁぁぁぁ――――!!」

 空気を破る裂帛の悲鳴が直後に夜空に響き渡った。
 姉の絶叫を背後にルキトの意識は暗闇の深淵に墜ち、やがて途絶える。命を宿した肉体としての活動が止まり、その代わり氷塊のように冷たくて青白い死体が出来上がる。
 生きている人間が死体へと変貌する様は、まるで水が氷に変化するようだ。
 それを偶像化するかのように、降り続いていた雨もいつの間にか雪へと変わっていた――。
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