現在登場している兵器についての解説。
戦車研究室、第二次世界大戦編より資料を頂きました。
http://combat1.sakura.ne.jp/TAISEN.htm
この話は、タイトル通り作中に登場している兵器の紹介の為の話である。
II号戦車F型
I号戦車(現在未登場)を開発した後、本格的な主力戦車として開発を行っていた車両(後にIII号戦車(現在未登場)として制式化される)は実用化までにはまだ多大な時間を要し、しかも射撃訓練などの本格的訓練は機関銃しか装備していないI号戦車では難しいという問題に直面した。
1932年にこれらの問題を解決すべく導き出されたのが、より強力な砲を備え戦闘にも補助的に使用することが可能な戦車を開発するという、極めて簡単な結論であった。
これに従い、ドイツ陸軍兵器局第6課はこの折衷戦車ともいえる車両に対する検討作業に入り、1934年に基本要求をまとめ上げ、同年7月にエッセンのクルップ社、カッセルのヘンシェル社、ニュルンベルクのMAN社の3社に対し開発設計書の提出を要求。結果として、車体長が一番長く将来の発展余裕があるとしてMAN社の設計案を採用。1935年末にはMAN社のニュルンベルク工場でII号戦車の最初の増加試作型である「1/LaS100」10両が完成した。これに改修を加え、後にA/B/C型となった。
II号戦車F型は、A/B/C型の後継として位置付けられる車両である。
本来ならば生産を終了しているはずのII号戦車であったが、機甲師団が増加されたにも関わらず主力となるはずのIII号/IV号戦車の生産数が思うように増えなかったため、性能的にはもはや充分とはいえないが価格や生産時間でメリットのあるII号戦車の再生産が決定した。
このためII号戦車F型は基本的な構造はA/B/C型と同様であったが、実戦で得られた戦訓を基に各部に改良が施されていた。
生産中の1942年6月、デュッセルドルフのラインメタル・ボルジヒ社製の46口径7.5cm対戦車砲PaK40を装備するマルダーII対戦車自走砲にII号戦車F型の車台を転用することが決まり、生産数の50%をこれに回すこととされ、さらには同年8月から全てマルダーII用として生産することが決まった。
II号戦車F型の生産は1941年3月より開始されたが、生産はポーランド・ヴロツワフのFAMO社(Fahrzeug und Motoren Werke:車両・発動機製作所)のみが担当し、1942年12月までに524両が完成した。
このため本来ならばこの時点でII号戦車の生産は終了するのだが、FAMO社が余った部品などを用いて1942年12月までに15両を生産した。
IV号戦車D型
(マダナイ氏より頂いた四号C型の写真)
IV号戦車は、1931年のハインツ・グデーリアン中佐の構想に基づくドイツ陸軍の機甲兵力整備方針に則って開発されたもので、第2次世界大戦の開戦から終戦までを主力として活躍した最も代表的なドイツ陸軍戦車である。
IV号戦車の開発はIII号戦車に先駆けて1930年より始められたが、III号戦車が現代で定義するところの主力戦車として開発されたのに対し、このIV号戦車は火力支援を目的としていたのが大きな相違点であった。
開発にあたって「BW」(Bataillonsführerwagen:大隊長車)の秘匿名称が与えられ、その基本仕様はIII号戦車とほぼ同一であったが、重量は当時のドイツの河川にかかる橋の限度荷重が25tであったことから18t級とし、主砲にはIII号戦車の装甲貫徹力では不充分な目標を攻撃するために、当時としては破格の大口径である7.5cm戦車砲を備えることとされた。
IV号戦車D型はIV号戦車シリーズ初の本格量産型であり、1939年10月~1941年5月にかけて229両が生産された。
B、C型は一応そこそこ量産されたもののまだ増加試作型的性格が強く、このD型からIV号戦車はようやく実用的な戦車として生産されるようになったといえる。