第8話 密室の会談
八 密室の会談
十二月七日。北海道札幌市厚別区かえで台
自衛隊北海道方面総監部には、方面総監部管轄下の陸上自衛隊第七旅団長の岡崎陸将、第十一旅団長の荒木陸将、第二旅団長の伊藤陸将、第五旅団長の槌田陸将、海上自衛隊小樽地方総監の宮下海将、航空自衛隊第二航空群司令の堤空将と、北海道の防衛をつかさどる面々が集まっていた。
十二月六日に函館の恵山駐屯地で起きたクーデターで射殺された第十一旅団の小浜陸将の後任には、北海道方面総監部防衛部長の荒木陸将補が陸将に特別昇任して着任した。
四階の一番東側にある第四会議室のドアが開いて、北海道方面総監の矢沢陸将がはいってきた。各旅団長はいっせいに立ち上がって矢沢に敬礼した。
「すわってくれ」
敬礼を返した矢沢は言った。
「緊急に集まってもらって恐縮だが、小浜陸将が急死したことで荒木君が着任することになった。その紹介も兼ねてだが…」
矢沢総監は、正面に座っている六人を見渡した。
「恵山と第五防備隊の事故のほうは、防衛大臣との協議で何とか落ち着いた。これ以上の騒ぎはないことを祈ろう」
矢沢は煙草を取り出して火をつけた。
「かねてからのとおり、恵山や津軽海峡でのようなことが二度と起こらぬよう、隊員個々に至るまで、徹底して教育をしてもらいたい」
矢沢が言った。
「承知しました」
六人は大きくうなずいた。
「そのことですが…」
第十一旅団長として着任したばかりの荒木陸将が顔を上げた。
「山岡総理が、昨日の記者会見で、急遽北海道を視察に来ると発表しましたが、その対応も考えなければなりません」
荒木が言った。
「うむ。総理の到着は九日の午前十時と決まった。国家防衛の最高指揮官の視察だ。我々としては、万全の態勢で迎えねばならん。方面隊の各部隊は、総理の視察に対して一片の曇りもないよう、全力で準備をしてもらいたい」
矢沢総監はそう言って六人を見た。
十二月一日の稚内の空爆事故いらい、山岡総理は何度か北海道視察を道庁に打診してきた。しかし、士別の第二普通科群、恵山駐屯地でのクーデター、第五防備隊所属の護衛艦四隻の、原因不明の事故による沈没、函館空港での民間機の事故などが相次ぎ、視察中の総理に何かがあっては大変だという事情で、道庁は山岡総理の視察先延ばしを進言していたのだった。
「道警も、総理お付のSPにくわえて、十人の警護官を付けると決心したらしい。視察先は函館と稚内だ。何事もないとは思うが、時が時だ。不穏なやからがいないとは断言できん。警備そのものは警察と公安の仕事だが、山岡総理にもしものことがあっては…」
矢沢はそう言って腕を組んだ。
「道庁も、なんとか視察の延期を進言しているらしいが、総理はがんとして受け付けないらしい。どうしても来道すると言ういじょう、何事もないように祈るしかない。あとは道警の威信と面目にかけてでも、総理の身の安全を守るために全力を投入するはずだ」
矢沢は六人を見渡した。
「とにかく、方面隊としての当面の目標は、山岡総理の視察に万全を期すことだ」
矢沢はまた腕を組んだ。
「明日の正午から、HCTV(北海道ケーブルテレビ)で、知事が道民に向けての重大放送をするそうだ。空自と海自にも連絡官を通じて見るように言ってある。諸君も明日、ここで食事でもしながら見ようではないか」
矢沢は六人に言った。その脳裏に北海道知事の吉野隆雄の顔がうかんだ。
吉野知事と会ってから二週間が過ぎていた。そのことは誰にも言ってはいない。
あの話はどういう方向に進んだのか。そして、一連の事故や事件は、その計画の布石なのか。
だとすれば、吉野との口約束を守っている場合ではない。防衛大臣に事の詳細を報告の上、全道に第三種非常勤務態勢を発動する必要がある。
矢沢は腕を組んで天井を見上げた。
北海道全域を管轄する自衛隊の方面総監は北海道知事と同等の立場である。
その総監部に北海道知事の吉野隆雄が前ぶれもなしに訪ねてきたのは、昨年の十一月二十日の午前のことだった。
「折り入って、お話があります」
吉野知事はそう言って矢沢の前に腰をおろした。いつもテレビで見るとおりの穏やかな表情だ。
「知事が突然いらして、いったい、わたしどもに何の…」
矢沢は精一杯の笑顔で吉野に言った。
吉野は五十八歳で、前年六月の選挙で対抗馬に二百五十万票以上の差をつけて当選した新進気鋭の革新系知事だ。必ずしも実質的な軍隊たる自衛隊に良い感情は持っていないはずだ。
当選する前は北海道経済大学で教鞭をとっていて、北海道における地域経済に関しては第一人者だ。吉野は精神心理学の博士号も持っていると聞く。
その革新系の吉野知事が、自衛隊北海道方面総監の矢沢を訪ねてきたのだった。
「突然ですが、今夜と明日、お体をあけていただけませんか」
吉野はそう言って矢沢を見つめた。
「今夜、ですか。また急な…」
矢沢はそう言って、自分のメモ帳を取り出した。
「総監と、折り入ってお話がしたいのです。いや、ご相談といったほうが…」
吉野はそう言って矢沢を見つめた。表情が厳しくなっている。
「ご多忙の身ということは重々承知しております」
吉野は頭を下げた。
「革新系のわたしがアポも取らずに、突然面談を申し込んだのも驚かれたでしょうが、何とか時間を割いていただきたい。場所は、おってお知らせいたします。ただ、くれぐれもご内密に…。秘書や運転手の方も、同行されては困ります」
そう言った吉野の目が光った。その目に、ただならぬ思いが潜んでいるのを矢沢は感じた。
六百万人の人口を抱える北海道知事が、陸・海・空の約三万五千人の自衛隊を指揮する北海道方面総監の自分に内密の話があるという。
吉野は公職の北海道知事として矢沢に会いにきている。ということは、個人としての矢沢昭彦にではなく、自衛隊北海道方面総監としての矢沢陸将に会いに来たのだ。
「総監としてのわたしに、ご用という意味ですか?」
矢沢は吉野を見つめた。
「そのとおりです」
吉野が矢沢を見つめたまま、ゆっくりとうなずいた。
「秘書…。いや、わたしの副官や運転手も同行してはいけないとは、いったいどのような主旨のお話です?」
矢沢は応接セットの入れ物から煙草を取り出し、吉野にもすすめた。
吉野も一礼して煙草を取りあげた。矢沢は卓上ライターで吉野がくわえた煙草に火をつけた。
「職員の手前、禁煙していたんですが…」
吉野はそう言いながら、大きく吸った煙草の煙を天井に向かって吐いた。
「………」
矢沢は無言で吉野を見つめた。
「主旨は、いまこの場でお話しするわけにはまいりません。しかし、北海道の重大事には違いありません。ご多忙は承知の上です。このことは、総監以外の人にお話しすることはできないのです。それをご理解のうえ、今夜から明日の一日、なんとかお時間を作っていただきたい」
吉野はそう言って矢沢を見つめると、座ったままで深く頭を下げた。
矢沢は、真剣な表情の吉野知事を見つめた。
六百万人の人口を抱える地方自治体の長が、北海道の全自衛隊を統括する方面総監の自分に頭を下げている。相手が革新系の知事とはいえ、それを無視することはできない。
「わかりました。内密ということで、知事のご連絡をお待ちしましょう」
矢沢はそう言って吉野を見つめた。
その日の午後、矢沢は総監用の黒塗りに乗り、かえで台の総監部を退庁した。次の日は休みをとっている。
副官と運転手が帰ったのを確認し、矢沢は私服に着替えて官舎を出た。
通りでタクシーを止めると、北海道知事の吉野隆雄が知らせてきた郊外の温泉旅館に向かった。
三十分ほどで指定された郊外の温泉旅館に到着した。吉野知事と約束した時間に十分ほど前だった。
いかにも高級旅館らしい門をくぐって玄関に入ると、吉野知事が迎えに出ていた。
「きょうは、この旅館は私たちの貸し切りになっています。さあどうぞ」
少し笑顔を浮かべた吉野が、前になって廊下を歩いていった。
「もうお一方が、すでにお待ちです」
吉野が言った。
「もうひとり?」
矢沢はそう言って吉野を見た。
「お会いになれば…。この部屋です」
吉野はそう言いながらドアを開けた。特別室と思われる和室と洋室からなる広々とした部屋には、すでに浴衣に着替えた人物が座っていた。
「あなたは…」
矢沢は座っている人物を見て、その場に立ちすくんだ。
「矢沢総監、しばらくでした」
座っていた人物は立ち上がって矢沢に右手を差し出した。
「藤坂本部長…」
矢沢は、差し出された手を握りながら北海道警察本部長の藤坂警視監を見つめた。
「まあ、おふたりとも座りましょう。まずは一献かたむけながら北海道の未来について、じっくりと語り合おうじゃありませんか」
吉野はそう言って先に座った。
「まさに、北海道のトップ会談ですな」
藤坂は、笑いながら吉野知事と顔を見合わせた。
「………」
矢沢は腰をおろしてふたりの顔を交互に見つめた。
「矢沢さん。まあいっぱい」
藤坂が酒を勧めた。矢沢は伏せてあった杯を持つと、藤坂が注いだ酒を飲んだ。
「矢沢さん。藤坂本部長には、昨日からここにお泊りいただいて、詳しいことをお話しております」
しばらくの談笑のあと、吉野知事が口を開いた。
「矢沢さんは旭川のご出身だと伺いました。北海道に深い愛着を持っておられる矢沢さんだからこそ、この話に乗っていただきたいのです。ちなみに、私は帯広で、藤坂さんは函館の出身です」
吉野はそう言って、藤坂と矢沢に酌をした。
「わたしは、この機会を…。北海道知事になるのを待っておりました。わたしが描いた壮大な夢を、ぜひお二人の協力のもとで実現したい」
吉野はそう言って矢沢を見つめた。
「知事の夢…」
「ええ」
矢沢は大きくうなずいて吉野を見つめた。
「わたしが描いている、夢は…」
吉野は杯を持ち上げて矢沢を見つめた。
「北海道の、独立です」
吉野はそう言うと、自分で酒をついで一気に飲んだ。
「独立ですと?。北海道の…」
矢沢は、自分の顔から血の気が引くのを感じた。
「そうです。北方領土や点在する島を含めて、約八万三千五百平方キロメートルの、この北海道を、本州、いや、日本から独立させるのです」
吉野は目を輝かせて言った。
「………」
矢沢は声も出せずに、口をあけて吉野と藤坂を見つめた。
「北海道なら、それができるのです!。警察と自衛隊のトップの、あなたたちおふたりが決心していただければ、自給率二百パーセント近い北海道は、本州から独立できるのです!」
吉野は力を込めて言った。
「もちろん、多少の血を流すことも、場合によっては覚悟の上です」
「………」
矢沢は無言で吉野を見つめたまま、乾いた唇をなめた。
「北海道の大地は、われわれ北海道の人間が治めるべきだと、わたしは考えます」
この北海道独立計画は、吉野が知事になる前から心に思っていたことだった。
前任の知事は、経済面の本州からの独立。つまり経済道州制案を何度も政府に提出してその実現を図ろうとしたが、けっきょく政府から門前払いにあい、実現することはなかった。
北海道で収穫された野菜や米、海産物などを本州へ送る場合、政府が決めた標準価格を下回る価格でなければならない。
生産者から農協や漁協に収めるときには五百円。組合から最短距離で消費者に渡るにはその前に小売店の店頭に並ぶ。小売店は組合などから五百円の物を仕入れるには七百円で仕入れる。その差の二百円が直送市場や組合の利益となる。そして小売店が客に売る時にはその七百円に自分の店のもうけを上乗せして売る。いわゆる中間マージンだ。
前任の知事は、その中間マージンを含み、北海道から本州に渡るときにもマージンをかけて、北海道としての儲けを手に入れようとしたのだ。もちろんトラックや飛行機などの輸送費は別だ。
そうすることにより、北海道に入るお金が大きくなり、失業対策や医療制度の補助も大幅に改善できると前任の知事はふんだのだ。
しかし政府はその経済道州制度を門前払いにした。日本の食糧倉庫たる北海道が、経済面で一人歩きをすることは政府として認めるわけにはいかなかったのだ。
だが、吉野は経済だけではなく、あらゆる面で北海道を本州から完全に独立させようと考えた。
「北海道は、江戸時代の末期から明治の初めにかけて開拓が始まり、明治二年に蝦夷地から北海道と名前を変え、いらい百四十年あまり、北の大地として発展を続けてきました。その大地に住む北海道の人々が、その歴史の中で、中央政府の意のままに手枷足枷を余儀なくされ、苦汁をなめさせられ続けた事実を思うとき、そろそろ、自分の足で歩き出しても良いのではないかと考えたのです」
吉野はそう言って矢沢を見つめた。
経済学的に見て、北海道は本州から独立しても、じゅうぶんに今の生活水準を保てると吉野は見ていた。
農業、酪農、漁業、観光と。工業を除けば、どれをとってみても、北海道にはそのすべてがあるのだった。北海道が独自の道を歩もうとすれば、それはじゅうぶんに可能なことなのだ。
「………」
矢沢は無言で杯を持ち上げて酒を飲んだ。卓においた杯に、藤坂が酒を注いだ。
「今のままでは、北海道は、単に本州…。いや、東京や大阪などの大都市のため、物資を生産し供給するだけの島になるだけです。もちろん同じ日本ですから、本来であれば、困ったときには助け合うのが本当の姿でしょう」
もちろん、必要とあれば北海道産の物を本州にも供給する。しかし、第一に優先するのは地元の北海道だと吉野は思っていた。
「しかし、北海道各地の農業や漁業の人たちの、現実の姿を見てください。米の作付けは最小限にしろ。値崩れするから、できすぎた野菜は処分しろ。獲れすぎた魚は家畜の餌にしろと、政府は毎年同じ事を言っているのです。捨てずに食料にすれば、どんなに大勢の人が助かるか。農家の人たちは、作った米や野菜を農協から安く買い叩かれて納めています。自分たちが食べる米や野菜さえも、農協や小売店から買わされる有様なんです。こんな理不尽なことがありますか!」
吉野は強い口調で矢沢と藤坂に言った。
「そんな中で、政府は農家から米を二束三文で買い取ってゆき、東京や大阪のために米を備蓄しているのですよ。その米は、何かがあっても北海道の人たちに回ってくることはないのです」
吉野はため息をついた。
「わたしは考えました。東京や大阪などの大都市を抱える本州から独立すれば、北海道は今よりもはるかに豊かな暮らしになると…。自分たちで作った米や野菜は自分たちで食べられる。魚も必要なだけ獲り、資源を休ませて豊かにする。北海道で収穫された米や野菜。近海で獲れた魚は、本州やロシアなどの近隣諸国が必要だといえば、それを輸出します。北海道に必要なものは本州や外国から輸入もします。北海道の人たちのためにだけなら、それができるのです」
吉野が言った。
「地産地消。北海道で採れたものは北海道の人たちのために流通させる。そうすれば土地や海も休ませてやれるし、そうすることでさらに豊かな農地になり、海産物も質の良いものが獲れるようになります」
吉野は置かれたままの矢沢の杯に酒を注いだ。
「……。日本政府に、反旗をひるがえす、ということですか…」
矢沢は渇いた口で言った。
「いえいえ…」
吉野は手を振った。
「反旗をひるがえすのではありません。親から成人となった子供が一本立ちするように、北海道という、ひとつの家庭を…。総合商社の国家を設立するのです。独立国家として、北鮮民国をのぞく世界各国と通商条約も結ぶつもりです。もちろん、本州の人たちが観光などで訪れることも、移住をすることも、それは自由です」
吉野は言った。
「われわれの大地、北海道。故郷のためにです!」
吉野は熱い目で矢沢を見つめた。
「政府はもちろん大反対をするでしょう。それも承知の上です。この計画を知ったら、何とかして潰そうと躍起になります。ですからこの計画が成就する前に、もしも政府に知られたら水泡に帰します。そのためには色々なカムフラージュが必要です。北海道が完全に独立するまでは、警察と自衛隊。特に防衛と治安の要となる、自衛隊の力が絶対に必要なのです」
吉野の目が、また光った。
「………」
矢沢は、空になった目の前の杯をじっと見つめていた。
北海道の独立。
政府がそんなことを、ああそうですかと許すはずがない。そして、いかに北海道が農業や漁業が豊かだとはいえ、一年の半分は雪に覆われているのだ。
北海道だけではまかないきれず、冬の間に本州から運ばれてくる物資もたくさんある。当面の石油や天然ガスはどうする。衣料や鉄鋼は…。
そして、飛行機や列車などの交通は…。
日本からの独立と吉野知事は言うが、ひとつの国家を作り上げるということは、今まで属していた日本国という巨大な親を、場合によっては敵に回すことになる。
たとえ日本国憲法そのものを継承するにしても、中央政府から離れた新たな政党や議会を作ることに、現内閣は烈火のごとく怒り、こぶしを振り上げる。
ましてや、北海道は日本にとって大きな割合を占める食糧倉庫だ。特に海産資源は全国の二十五パーセントを超えている。その食糧倉庫が勝手に一人歩きすることなどは、政府は絶対に認めるはずがないのだ。
当然なにがしかの揉め事になる。その揉め事が小さな事で済めばよいが、一方は日本国という巨大な親からのひとり立ちを主張し、一方はその価値の大きさからひとり立ちを認めないとなれば、単なる親子の喧嘩くらいでは済まなくなる。
政府は、北海道がクーデターを起こした。日本国に対して反逆を企てたと全世界に発表する。
吉野の言うとおり、災害や治安を維持する必要があるとき、総理大臣や防衛大臣の了承がなくとも、地方自治体の長が自衛隊に対して出動要請を出すことができる。
北海道が独立したとなれば、その北海道の国家元首となる吉野が国家防衛の最高指揮官となり、本州との紛争が起きた場合、その矢面に立つのは吉野の出動命令を受ける北海道の自衛隊になろう。
日本の自衛隊は、陸海空合わせて約十四万五千人。北海道には約三万五千人。
吉野知事の北海道独立という夢を実現するには、本州、四国、九州の十一万人の自衛隊を、たった三万五千人で迎え撃たなければならないのだ。
隊員の中には、確かに北海道出身者もいる。その者たちの中には、北海道の独立に賛同するものもいるだろうが、他県の出身者はどうするか。
青森の自衛隊が津軽海峡を越えて北海道に上陸してきたとき、北海道にいる青森出身の隊員が、果たして同県人や、ましてや自分の故郷に対して銃を発砲できるのか。
「わたしは、この話は聞かなかったことにしたい…」
矢沢はそう言うと、座卓に両手をついてゆっくりと立ち上がった。吉野と藤坂がその矢沢を見つめている。
「知事の言葉を、わたしも理解できないわけではないが、自衛隊がこの計画に参加するということは、完全なる国家への反逆になります。三万五千人ものわたしの部下たちを、国家への反逆者にすることは、わたしにはできない…」
矢沢は、吉野や藤坂と目を合わせず、壁の一点を見つめたままで言った。
「わたしは、北海道の自衛隊は、今のままでよいと思いますし、これから先も、中央の指揮のもとに国家防衛という崇高な任務を果たしてゆけば、隊員もそれに満足すると思います。独立すれば、確かに北海道そのものが国家となるでしょうが、そのために、本州、四国、九州の十一万人の同胞を相手に銃を撃ち合い、北海道の多くの隊員が血を流すのは、わたしには耐えられない」
矢沢はそう言ってドアに向かった。
「矢沢さん」
吉野が矢沢の背に声をかけた。
「ご賛同いただけなくて、残念です」
吉野が言った。
「しかし、ここまでお話したいじょう、総監としての矢沢さんが、まったく知らなかったという言い逃れはできないものとご承知おきください」
吉野は矢沢の背中に言った。
「ご賛同いただけないのであれば、それもしかたがありません。しかし、きょう、ここでの事はくれぐれもご内密に。総監が陸幕や防衛大臣にこのことをひと言でも、たとえご家族にでも話をして、それが違う方面に漏洩したとき…。その時は、北海道の中で道民同士が血を流し合うことになります」
吉野は厳しい目で矢沢の背中を見つめた。
「ご心配なく。この話は、わたしは聞いていないのですから…」
矢沢は振り向かずにそう言った。
「そうですか…」
吉野は大きなため息をついた。
「わたしと藤坂本部長は、これから北海道が独立した場合における、法律の草案に着手します」
吉野はそう言いながら、矢沢の背中を見つめている。
「基本的には、今の日本国憲法をそのまま継承しますが、もちろん、その草案には、北海道の自衛隊に関するものも含まれております。警察としての立場はそれほど変化はありませんが、自衛隊の扱いは大きく変わります。もしも北海道が独立した場合、北海道に駐屯する自衛隊は、新国家の長であるわたしの指揮下に入ることになるでしょう」
「…………」
吉野の言葉を、矢沢は背を向けたままで聞いていた。
「わたしは、北海道を警察や軍隊が仕切る独裁国家にするつもりは、もうとうありません。主権はあくまでも国民にあります。三権の長を決め、道民の…。国民が一番幸せになれる政治を基本とします。あなたたち自衛隊もそうです。自衛隊は特別職の国家公務員という立場上、政治的な活動には一切関与しないと自衛隊法でうたわれている」
吉野は言った。
「しかし北海道独立の際には、国民の生命と財産を守る自衛隊として、あなたは、北海道という国の、国民の生命と財産を守る責務が生じることを、どうかお忘れにならないよう」
吉野は藤坂と顔を見合わせた。
「失礼する…」
矢沢は、振り向かずにドアを開けた。
「草案ができましたら、一応、親展にてご自宅に送らせていただきます。ご一読ください」
吉野の言葉を背に、矢沢はドアを後ろ手に閉めた。ドアの外で矢沢は大きなため息をついた。
「藤坂さん。矢沢さんの身辺監視を…」
吉野は藤坂を見つめた。
「わかりました。二十四時間、私服を張り付かせます」
藤坂は部屋の隅にある電話の受話器を持ち上げた。
十二月八日正午。
札幌のHCTV(北海道ケーブルテレビ)をキー局として、吉野隆雄北海道知事の全道民に向けた放送が始まった。
十二月一日いらい、北海道で起こったさまざまな事件や事故に関する知事の重大放送とあり、道民に知事がどんなことを言うのかと、放送開始前から全道で話題になっていた。おそらくは北海道民の九割がこの放送を見ているだろう。
自衛隊北海道方面総監の矢沢陸将と六人の陸・海・空の将官は、総監室のテレビを食い入るように見つめていた。
北海道の独立。
二週間前、高級旅館の一室で、藤坂北海道警察本部長同席のもと、吉野が真剣な表情で矢沢にそれを説いた表情が浮かんだ。その吉野知事がテレビ画面に映った。
「道民の皆さん。北海道知事の吉野隆雄です」
吉野がテレビカメラに言った。
「わたしの話を聞いていただく前に、まず、耳を澄ませて、この音をお聞きになり、心を落ち着かせてください」
吉野はそう言ってテレビカメラを見つめた。
総監室の六人は、身を乗り出すようにして画面を凝視していた。
ゴーーン、という低い鐘をつくような音がスピーカーから流れてきた。その低い音の中で、北海道知事の吉野隆雄が正面からテレビカメラのレンズを見つめている。
テレビを見つめていた矢沢は一瞬軽いめまいを覚えた。矢沢は何度か頭を振った。
「つ…」
そのひょうしに口の中を奥歯で噛んでしまった。矢沢はその痛みに顔をしかめた。
何度かの低い音がテレビから流れてきた。
「この放送をごらんの、六百万人の北海道民のみなさん。知事たるわたしは、皆さんとともに、北海道としての新しい未来を歩むことを心を決めました」
テレビの中の吉野が、落ち着いた口調で言った。
「北海道は、その輝かしい未来に向かって、さらに大きく飛躍するために、明後日十二月十日正午をもちまして、日本国からの独立を宣言いたします」
吉野はテレビカメラを見ながら強く言った。
「新しい名称は、北海道共和国といたします。地域区分は、首都の札幌を中心とする道央圏。函館を中心とする道南圏。旭川を中心とする道北圏。帯広を中心とする道東圏の四圏といたし…」
吉野知事がテレビの中で道民に熱く語りかけていた。
鐘を付くような低く響く音は鳴り続けている。総監室の六人は、その吉野をじっと見つめていた。
高杉晋也は、稚内のホテル・最北端の一室でテレビを見ていた。椅子に座っている右のひざに折りたたみ式のナイフが刺さっている。
吉野の放送が催眠術だと察したとき、その術中に落ちないために高杉が自分で刺したのだ。神経を切らないように刺したが、それでも鋭い痛みが襲っている。
高杉はため息をついて刺さっているナイフを抜き、傷を消毒して伸縮絆創膏を貼った。そして夜になるのを待ってホテルを出た。
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