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白い夜
作:凪沙 峻



第7話  逃避行


七 逃 避 行

統山貴之と生島しおりは、今は廃校となった小学校の教員室に身を潜めていた。
稚内を脱出したのが十二月四日の午前二時ごろだった。きょうは十二月六日。夜が明けたばかりだ。
ふたりは日中を避け、日が暮れてから歩くことにしていた。日中は人目につきやすく、どこで襲われるかもわからないからだ。
外は雪が深かった。積雪は二メートルを超えている。
「寒くないか」
統山がしがみついているしおりの顔を見て聞いた。
「ええ…」
しおりはそう答えて統山を見つめた。そしてまた目を閉じた。
ふたりはアメリカ軍が使っている断熱シートと、それと同じ材質で作られているシェラフに身を包んでいた。
 シェラフは普通の布地くらいに薄いが、北極でも耐寒試験をしたというだけあって、ふたりで抱き合っていると体温ですぐに温まってくる。
 寒冷地で低体温症になったとき、もう一人の人間が身体で温められるよう、普通のシェラフよりも大きくできているのだ。
徹夜で歩いていたせいか、疲れがふたりを眠りに誘った。しおりが軽い寝息を立てている。そのかたわらに缶詰の空き缶が転がっている。ここまでくる途中、マーケットに侵入して盗み出したものだ。
 金はあったが、人に顔を見られる危険を冒すことはできなかった。
 ジュースの類ならば自動販売機で間に合うが、食べ物となると、人目をさける逃避者には安心して買える店はないような気がした。
やっと稚内から逃げ出せたという安堵感が少しはあった。
稚内は魔窟の街だ。稚内ばかりではない。統山には北海道の全部がとてつもない怪物に飲み込まれてしまったように思える。
十二月一日に、稚内の航空自衛隊のレーダー基地と稚内空港が国籍不明のジェット戦闘機によって爆撃され、次の日に統山自身が稚内に足を踏み入れてから、すべてがおかしかった。
自衛隊と民間人を合わせて百五十人もの人間が死んだというのに、わずか二日後の十二月三日には、何事もなかったかのように稚内の街の中は平穏だった。
 前田市長のあの落ち着きようと、被害者に最大限の補償をするとテレビで会見をしていた山岡総理。
 そして、あれはいったい…。
 統山の脳裏に、引っかき傷のように、いつまでも残っていることがあった。
統山は、軽い寝息を立てている生島しおりの寝顔を見つめた。自分の左腕に頭をのせて眠っているしおりの頬に触れた。ひんやりとしている。
 しおりの額に唇をつけた。それに気づいたしおりが目を開けて統山を見つめた。
「キスして…」
しおりが左手を統山の頭に回した。
 統山はしおりの頭を抱き、唇を重ねた。唇を重ねながら、統山はシェラフの中でしおりの服を脱がせ、自分も裸になった。
今のしおりにとっては統山だけが頼りだった。
 ツアーで稚内に来たまではよかったが、一緒に来た人たちや添乗員までもが次々と姿を消し、自分も誰かに見張られているような気がして、わらにもすがる思いで統山の部屋に飛び込んだ。粘りつくような視線を持った男にレイプされて殺されるという恐怖から逃れるためだった。
自分ひとりではどうにもならない。誰かにすがるしかなかったのだ。
 そして統山もまた、何者かに見張られているという危険を感じていた。目に見えない何かに見張られているという不安と恐怖が、男と女を運命共同体にした。
「しおり…」
統山はしおりの目を見つめた。
「貴之さん、好き…」
しおりはそう言って統山の首に両手を巻きつけ、唇を求めた。そのしおりに唇を重ねながら、統山の手がしおりの中心部に触れた。
「あ…」
しおりが小さく声を出した。
廃校となってひんやりとした小学校の教員室の中で、旭川に着くまでの短いつながりと思いつつ、男と女は互いの心と身体を求め合った。


「行こう」
統山が身支度をおえて立ち上がった。
統山としおりは、陽が落ちて暗くなった小学校をでた。時間は午後六時を回っている。 
 しおりは統山の手を握り締めている。白い雪明りの中を回りをはばかるようにして歩く統山としおりだった。
統山としおりは国道四十号線を南へ歩いた。
とりあえず、統山が勤めている北洋テレビの支社がある旭川市を目指すことにした。
 旭川に着けば、しおりが勤めている会社やアパートもあるし、統山のマンションもある。旭川で何か情報がつかめるかもしれない。
ふたりは一時間ほど歩いて咲来の街に入った。小さな町のせいか商店は全部閉まっている。二十四時間営業のコンビニも町にはなかった。
ふたりは人目を避けるように建物の影から影へと歩いた。
 とりあえず少し食料を仕入れなければならない。朝方に廃校に入って魚の缶詰を食べていらい、腹には何も入れていなかった。
それに、ふたりとも着の身着のままでホテルを出てきた。真冬の夜の逃避行には防寒着が必要だった。
「ここにいろ。すぐにもどる」
一軒の衣料品店の横で統山が言った。住居が別になっている店舗らしい。
「いや。わたしも行くわ」
しおりは統山の袖をつかんだまま、姿勢を低くして統山に続いた。
人通りがないことを確かめて、統山はポケットからピッキングの道具を出すと、すばやく店のシャッターの横にあるドアの鍵をあけた。
 統山としおりは店の中に入った。田舎の商店らしく警報装置はない。
「これを着るんだ、雪の中はこのほうがいい」
統山は店の中にあるスキーウェアーの中から、白い色のウェアーを引き出してしおりに着るように言った。
 しおりは黒のジャケットの上からスキーウェアーを着た。そして近くのワゴンに積んであった白いスキーグローブをはめ、スキー用の防寒シューズをはいた。
統山は注意しながら店の奥に入り、備え付けの小さな冷蔵庫を開けた。中にはコンビニで売られているようなサンドイッチがひと袋と生卵が三個あった。
 統山はそれらのものをポケットに入れると、店舗のほうにゆき、自分も男物の白っぽいスキーウェアーを着て防寒用の靴をはいた。
 しおりが統山にスキーグローブと帽子を手渡した。
ふたりは衣料品店を出た。刺すように冷たい風も、スキーウェアーと防寒靴のおかげで直接体に伝わっては来なくなった。
「ねえ貴之さん、これを巻いて」
しおりがポケットから白いマフラーを出して統山の首に巻きつけた。
「しおりのは?」
統山の言葉に、しおりもポケットから同じマフラーを取り出した見せた。
「わたしたち、いつのまにか泥棒旅行になっちゃったわ」
しおりはそう言って笑った。薄暗い街頭の灯りにしおりの笑顔が浮かんだ。
「しおり…」
統山はしおりを抱き寄せて唇を重ねた。ひんやりとしたしおりの唇だった。その唇に、統山は自分としおりの運命を感じていた。
 何かのえにしで知り合ったしおりという女。
ずっと以前から、自分はしおりと出会う運命を背負っていたような気がする。異変が起きた稚内という街で出会わせるという、運命の女神はそんな悪戯をしたのかもしれない。
「旭川までは直線距離でも百キロはある。まだ長い旅になる。だいじょうぶか?」
統山が聞いた。
「ええ。だいじょうぶ」
しおりはそう言って統山を見上げた。
「ごめんなさい。わたし、あなたのお荷物になってしまって…」
しおりは言った。
 自分のような女とさえ出会わなければ、統山はもっと手っ取り早い方法でこの危機を乗り越えていたはずだった。自分がいるために回り道をさせているような気がしていた。
「何を言ってるんだ。おれとしおりは、もう一緒の運命を歩いているじゃないか」
統山はそういうと、またしおりに唇を重ね、強く抱きしめた。
「行こう。泥棒旅行のついでだ。途中で車を手に入れよう」
統山はそう言って、またしおりを抱きしめた。
「ええ」
しおりと統山は雪の道を歩き始めた。
 ふたりは顔を伏せるようにして風に粉雪が舞う国道を歩いた。ときおり乗用車やトラックが、勢いよく雪を舞い上げて通り過ぎてゆく。
統山が衣料品店の冷蔵庫から持ってきたサンドイッチと生卵を出した。それを見たしおりが肩をすくめて笑った。
「ほんとうに、無銭飲食の泥棒行脚ね」
しおりの笑顔が街路灯に浮かんだ。
「割って飲みましょう。完全栄養食…。はい、口をあけて!」
しおりは生卵を手にとると、バッグの金の部分で割り、かがんだ統山の口の中に入れた。冷え切った生卵の感触が統山の口の中で広がった。
 統山が飲み込むのを見たしおりは、笑いながら自分も卵を割って飲み込んだ。
 ふたりは冷えたサンドイッチを分けて食べながら暗い国道を歩いていった。

十二月七日、午前四時三十分。
統山としおりは上川郡美深町の手前にさしかかっていた。
 夜明けにはまだ遠い。十二月の北海道は午前七時近くならなければ明るくはならない。
 空には月が見え、星がまたたいている。呼吸すると鼻毛が凍りつくことからみて、気温はマイナス十五度を下回っている。
 今の時間帯が一番冷え込みが厳しく、近くに川でも流れているのか、うっすらと水蒸気が立ち上っている。川の水より空気の方が冷たいため水蒸気が上がるのだ。
 その水蒸気が空気中で凍り、キラキラと光りながら舞い落ちてくる、ダイヤモンド・ダストといわれる細かい氷の粒だ。
統山としおりはしっかりと手をつないで、顔を伏せるように歩いていた。
統山が立ち止まった。
「おれから離れるな」
統山が小声で言った。
「どうしたの?」
しおりは統山の腕にしがみついて聞いた。
「囲まれている」
統山はそう言いながら、腰から特殊警棒型のスタンガンを抜いて鋭く振り出し、取っ手の皮ひもを手首に巻きつけた。
 除雪した雪山の陰から人影が現れた。三人がふたりの行く手を遮るように立っている。もう二人は統山としおりの後ろ側の雪山から現れた。手にはナイフを持っているようだ。雪明りに冷たく光っている。
しおりが統山の背にしがみついた。
 話しかけても無駄だと承知している。はじめからふたりを殺そうとしているのだ。人違いだと言っても無駄だろう。統山は警棒を握り締めた。
影のひとつが地を蹴った。吹き抜ける風に乗ったかのように、フワリとした跳躍だ。
その影は空中で見事な弧を描いて前転し、着地の寸前、統山の頭上にナイフを振り下ろした。
 統山はしおりをうしろに突き飛ばし、身をかがめて振り下ろされた相手の腕めがけて警棒を横殴りに払ったが、警棒はむなしく宙を切り裂いた。
影は着地すると同時に右足を統山の顔に飛ばした。その足をかわしながら、気合いとともに警棒を横にはらった。先端が相手の右腕とわき腹に当たった手ごたえがして、影は背中から地面に落ちて動かなくなった。腕の骨が折れた感触だった。
「しおり、逃げろ!」
統山は叫んだ。
 身のこなしからただならぬ相手だと統山は悟った。ひとりやふたりなら何とかなるかもしれないが、まるで忍者のように身の軽い相手では、とても太刀打ちはできない。
 ひとりは倒したが、まだ四人残っている。このままでは二人とも殺される。せめてしおりだけはと思った。
少しずつ後ろにさがる統山に、もうひとつの影がナイフを構えてにじりよってくる。
 統山は警棒を正眼に構えた。
「貴之さん!」
しおりが叫んだ。
「逃げろ!。振り向かずに、走って逃げろ!」
統山は相手を見据えたまま叫んだ。
影が手に持ったナイフを構えてにじり寄ってくる。
 統山は警棒を地面すれすれに低く構え、腰を低くしてふところに飛び込めるよう両足に力を込めた。相手も最初の影が打ち倒されたのを見ているためか、少しは警戒しているようだった。
しおりは体を硬直させ、まばたきもせずその様子を見つめていた。逃げろと統山が叫んだが、逃げ出そうにも体が動かなかった。
もしも統山の身に何かがあったら自分は殺される。
 この男たちの中に自分を見張っていた粘りつくような視線を持った男がいるとしたら、殺される前にどこかへ連れ込まれてレイプされる。何度も何度もレイプされて、最後にはナイフで刺し殺されるのだ。
 しおりは恐怖で硬直したまま、統山と影のような人間たちを凝視していた。
影が統山に飛びかかった。薄暗い雪明りに影が握っているナイフの刃が白く見える。
統山の警棒が地面すれすれから影をなぎ払うように閃った。影がフワッと跳びのいた。 統山は素早く踏み込み、警棒を一気に影に突き出した。その瞬間、警棒の先端から一筋の光が走って影の体に吸い込まれた。
 高電圧を受けた影は、全身を小刻みに震わせながら地面に倒れた。
残った三人の影が統山ににじり寄っている。三人同時に襲いかかられたら、いかに統山でも勝ち目はない。統山の背中を冷たい汗が伝った。
身構える統山の背中を、国道を走ってくる車のヘッドライトが照らした。
 車は見る間に統山たちの一団に近づくと急ブレーキをかけた。アイスバーンの上を車は何度もスピンを繰り返し、統山たちを追い抜いたところで斜めに道路をふさぐように停止した。
 その車から続けざまに乾いた音がして三発の銃弾が発射された。統山の前に立ちふさがっていた影がのけぞり、あるいはつんのめるように倒れた。
車のドアが開いて男が降り立った。手には拳銃を握っている。
「乗れ」
男が統山に言った。
「だれだ!」
統山は警棒を構えたままで、ヘッドライトに浮かぶ長身の男を凝視した。
「統山貴之と、生島しおりだな」
男は言った。
「目的地がどこかは知らんが、この寒さの中を歩いて行くには、女の体力にも限界があろう」
男は落ち着いた声で言った。
 男は倒れている五人の黒装束を、血が付かないように担ぎ上げて道路わきの雪の中へ投げ込んだ。凍った路面に拳銃で撃たれた男たちの血が黒く広がっている。
「………」
その様子を見ながら、統山は警棒を構えたまま、うしろに立っているしおりを見た。しおりは大きく目を見開いて統山と男を見くらべている。
「無理にとは言わんが、早く決めろ。誰かに見られると事だ」
男は言った。
統山は大きくため息をついて警棒を腰のケースに収めると、突っ立っているしおりの肩を抱いた。統山は、何者かもわからない男だが、危なかったところを助けてくれたからには、少なくとも敵ではないと判断した。
「乗せてもらう…」
統山は、体を硬くしているしおりを抱き寄せながら、男が開けた後部座席にしおりと並んで乗った。男は運転席に座ると、車を反転して統山としおりが来た稚内方向へ向かって走り出した。
「どこへ行くつもりだ。旭川方向とは反対だ」
統山は運転している男に言った。
「近くに、無人となったモーテルがある。そこにはいる」
男は運転しながら言った。暗いルームミラーに彫刻のような荒削りな男の顔が写った。
「聞くが、敵か、それとも味方か」
統山が言った。返答によっては、この男と渡り合わなければならない。統山は腰の警棒の留め金をはずした。しおりは統山の腕にしがみついている。
「味方とは言えまいが、少なくとも敵ではない。なぜなら、おれはあんたのすることに何の興味もないからだ」
男は前を見たまま笑った。
「ただ、あんたたちが稚内で見たり聞いたりしたことを知りたいだけだ。だから助けた。おれが聞きたいことを話してくれれば、おれは、あんたたちの前から姿を消す」
「稚内でのこと?…」
統山は運転している男を見た。
「ここだ」
男の運転する車は、郊外にあるモーテルの門をくぐった。ガレージに車を入れてシャッターを閉めると、男は先頭に立ち、階段を登ってひとつの部屋へ入った。
「管理をしている者はもうここにはいないが、電気や給湯設備も使える。一日や二日は身体を休められるだろう」
男はそう言うと電灯とエアコンのスイッチを入れた。
 いかにもモーテルらしい煌びやかな電灯がいくつも点き、妖しい雰囲気をかもし出している。ひとつだけある窓は内側から板で塞がれている。
「報道カメラマンとしての目で、稚内で起きたことを、あんたはどう思う。それを聞かせてほしい」
男は椅子に腰をおろして統山に言った。
「その前に、あんたは何者だ。なぜ拳銃などを持っている」
統山は男の向かいの椅子に座って聞いた。
 しおりは統山のうしろに隠れるようにして床に座っている。徐々にエアコンが効いてきて部屋の中が温かくなってきた。男は着ていた黒いジャンバーを脱いだ。
「名前は高杉晋也…。わけがあって身分は明かせない。拳銃は必要だから持っている。煙草を吸うことを失礼する」
高杉と名乗った男は煙草を取り出して火をつけた。
「おれとしおりの名前を知っているところを見ると、おれたちのことは、ある程度は調べているのか?」
「そういうたぐいのこともできる…」
高杉が小さく首を縦に振った。
「なら、おれが見たことなど聞く必要もない。調べるのは得意なんだろう!」
統山は高杉と名のった男をにらんで言った。
「そんな剣幕で怒らないでくれ」
高杉は困ったように笑った。
「さっきも言ったが、今のところは、おれはあんたたちの敵ではない。少なくともな…。ただ、報道カメラマンとしての、あんたの話を聞きたいから助けた。ここは、以前おれの親戚がやっていたモーテルだが、一夜の休息をとる場所として提供する。冷蔵庫の中身や宿泊料金は無料にしておく。話を聞かせてもらう礼だと思ってくれていい」
高杉はそう言って統山としおりを見た。
「おれが稚内に入ったのは、十二月三日の夜だ。その前のことは空白に近い」
高杉は灰皿に煙草の灰を落とした。
「あんたたちが全日空ホテルに宿泊していたのは調べた。その前の足どりもな…。あんたが稚内に入ったのは、十二月二日の午後。そして、生島しおりと稚内を出たのは、十二月四日の午前二時半ころだ。その間のことを聞きたい」
高杉はそう言いながら、統山とそのうしろで隠れるように座っているしおりを見た。
「もう一度言っておくが、おれは、あんたたちの味方とはいえないが、今のところ、少なくとも敵ではない。それに、こんな言い方は悪いが、おれを倒そうとは考えないでくれ。けんかや殺し合いなら、多少はおれのほうが得意だ」
高杉はそう言って目を伏せた。
「………」
統山はだまって高杉を見つめた。
「聞かせてくれ。あんたの目に、今回のことはどう映った?」
高杉は煙草を消して腕を組んだ。
統山はため息をついた。
高杉の言うとおり、けんかをしてもかなわないだろう。強がりは見せていないが、その雰囲気でただ者でないことはわかる。
 自分としおりの足取りまで調べたところをみると、そういう組織の人間なのかもしれない。
「なにもかもが、変だった…」
統山はそう言って立ち上がった。
備え付けの冷蔵庫を開けてみると、中には飲み物と食べ物がびっしりと入っていた。
「おれも今日の夕方まではここで過ごした。食べ物と飲み物はじゅうぶんに買ってある。好きに処分してくれ」
高杉は統山に言った。
統山は高杉の言葉を背中で聞きながら、アルミの栓がついたガラスのコップに入っている日本酒をふたつ出して、そのひとつを高杉の前に置いた。
「おれとしおりを助けてくれたことと、敵じゃないと言ったあんたの言葉を信用する」
統山はコップの日本酒をひと口飲んだ。
 しおりが立ち上がって、備え付けの紙の皿に何種類かのつまみを出してテーブルに置いた。表情は青ざめたままだ。
「いただく」
高杉は、しおりに小さく頭をさげると、コップ酒のアルミの栓を開けた。
「十二月二日の午後。おれは市内に入って、すぐに被害を受けた空自の基地を取材しようとしたが、警備が厳しくて入れてもらえなかった。だから、その足で稚内空港に向かった。そのまえに、幌延町だったか。稚内の手前で自衛隊の検問にもあった…」
統山は酒を飲みながら、正面に座っている高杉を見つめた。
「………」
高杉も酒を飲みながら、黙ったまま統山の話を聞いている。
統山は、空自の基地や稚内空港でのこと。同じ北洋テレビの秋山と沢田が事件直後に稚内入りしたまま連絡が取れなかったこと。携帯電話が不通で、市内では市外電話が通じないこと。市庁舎を訪問して前田市長の話を聞き、テレビで会見をしていた山岡総理。
そして、前田市長と、テレビで会見していた山岡総理に同じ所にあったあごの手術痕のこと。どこのチャンネルを回してもテレビカメラの位置が同じだったこと。町やホテルには稚内新聞しかなかったことなど、いっさいを隠さず高杉に話をした。
「よくわかった…」
統山の話を聞いた高杉は、しおりが出した二本目の酒を置いて煙草を取り出した。
「あんたの言うとおり、稚内で何かが起きている。稚内ばかりではない。北海道全体で異変が起きている。細かいことはおれにもまだ解らんが、巨大な何かが動き出していることは確かだ」
高杉は、部屋の天井を見ながら言った。
「何かとは、いったい…」
統山は、じっと天井を見ている高杉を見つめた。
「それを調べにきた」
高杉はそう言って煙草をくわえた。
「………」
統山は高杉を無言で見ていた。
「それから…」
高杉は火の付いていない煙草を口から外し、何かを考えるように顔を伏せた。
「言おうかどうしようかと迷ったが、この異変の一片でも知るためには、やはり伝えておく必要がある」
高杉は顔を上げて統山を見た。
「おれが調べたことのひとつだが…」
高杉は、言葉を切ってくわえた煙草に火をつけた。
「いま話に出た北洋テレビの…。あんたの局の秋山幸助と沢田理香の消息だが、秋山はこの異変を起こしている者の手によって殺された。今頃は海の中で魚の餌になっている。沢田理香は、今のところは生きてはいるが、レイプに次ぐレイプによって精神が異常になった。人間としては、もう死んだも同じだ」
高杉は言った。
「あんたは正義感が強いらしい。だから、秋山と沢田の消息を確認しにゆこうなどと、もしも思っていたらと…。だから教えた。だが、それはやめろ。自分たちの身が大事なら、沢田理香を救いだそうなどとは考えないほうがいい。あんたも察していようが、稚内は魔窟となっている。常人が魔窟に飛び込んだら、生きてはいられない」
高杉はふたりに言った。
「一日や二日ならここは安全だろうが、ゆっくり身体を休めたら、なるべく早めにこの地を離れろ。とはいっても、北海道のどこへ行こうと、この状況は同じだ。海を渡って本州にでも行ければ、それにこしたことはない」
高杉は言った。
「あんたはどうするんだ」
「やることがある」
高杉は煙草を消して立ち上がった。
「ここを出るのか?」
統山も立ち上がった。
「もう会うこともないだろう。おれのことは忘れてくれ」
高杉はそう言って目を伏せた。
「それから…」
高杉は思い出したように顔を上げた。
「これをやる。何かの役に立つかもしれん」
高杉は、手に持ったウエストバックの中から、自動拳銃と予備弾倉を二本出してテーブルに置いた。
「稚内で、おれを殺そうとした奴らから取り上げたものだ」
高杉はそう言って立ち上がった。
「これが必要だというのか」
統山は高杉に聞いた。
「必要になるかどうかは、おれにはなんとも言えんが、今日のような時にスタンガンだけではな。九発入りの弾倉はすでに付いている。使い方は…」
高杉は、テーブルに置いた拳銃を手に持つと、統山に見えるように、弾倉の入れ方、スライドの引き方。安全装置のかけ方などを教えた。
「あんたも仕事がら、多少は知っているとは思うが…」
拳銃を統山に渡して高杉が笑った。
「たいした荷物にはならん」
高杉はふたりを見つめた。
「欲しいと思ったときに、都合よく空から飛び道具が降ってくるわけでもあるまい。あんたにとって生島しおりが大事ならば、それくらいは持っていたほうがいい。今の北海道では、それが必要になるかもしれない」
高杉は相変わらず冷めた表情で言った。
「それから…。ここから一歩出たら、誰も…。何も信用するな。たとえ警察でも、身内でも信用するな。両親でもだ。信用するのは自分だけにしろ。生きていたければな…」
高杉はそれを言うと、ドアを開けて出て行った。
 統山としおりはその後ろ姿を無言で見ていた。


注)この小説はフィクションであり、登場人物や組織などは実際に存在するものではありません。











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