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白い夜
作:凪沙 峻



第5話  拉致された女


五 拉致された女

十二月四日未明
黒く広がる雪雲の空から一機のパラグライダーが音もなく稚内公園に降りた。
 午前二時二十分。高杉晋也は街灯に照らされた稚内の町を歩いていた。少し大きめのウエストバックを腰に付けているだけだった。
深夜の町に人影はなかった。しかし高杉の神経は建物の陰に身をひそめ、通りを歩いている自分を見つめるいくつもの視線を感じていた。
山岡総理が言うとおり、やはりこの町では何かが起きている。自分を見つめるいくつもの殺気を含んだ気配に、高杉はそれを確信した。
百八十センチを越える長身の高杉は、その体を少し前かがみにして通りを歩いていた。 
 その高杉の前に四人の人影が立ちふさがるように現れた。高杉はそれを避けて通り抜けようとしたが、四人の人影はすばやく動いて道をふさいだ。
「………」
高杉は無言で立ち止まった。
「いまは外出禁止の時間帯だ。どこへゆく?」
四人の中の一人が言った。
「この町は、戒厳令でもしかれたのか?」
高杉は男に聞いた。
「二日前、この町で大きな事故があった」
男は低い声で言った。あとの三人は無言で高杉を取り囲んでいる。
「そういうことが、あったことは知っている」
高杉は答えた。
「ならば引き返せ。まだ事故の後処理は終わっていない。市長の指示で、何かあったら危険だから夜十時以降は外出禁止にしている」
男は高杉に言った。
「警察か?」
高杉はそう言って四人を見渡した。
「警察ならバッチを見せてくれ」
高杉は目の前の男に詰め寄った。
男の手がフッと動いて腰の後ろにまわった。
 その瞬間、高杉の左足が小さな弧を描いて腰に回った男の右手をとらえた。ゴキッという骨が折れた手ごたえを感じながら、右足首を男の左側頭部に飛ばせた。
 振り返りざまに高く跳躍した高杉の両膝が、腰から何かを出そうとしていた二人の男のあごを同時にとらえた。そして跳躍したままの右足が、あぜんとしていたもう一人の男の顔面に命中した。
高杉が地面に降り立ったとき、四人の男は雪混じりの舗道の上にのびていた。あっという間の出来事だった。
高杉はのびている男たちの身体検査をした。男たちはそれぞれ自動拳銃を持っていた。
高杉は男たちの財布の中身を調べた。これといった変わったものは入っていない。男たちが持っていた自動拳銃をしばらく見つめていたが、その内の二丁の拳銃と実弾がこめられた弾倉をポケットに入れて立ち上がった。
ふと、雪明りの道路を身を隠すように横断するふたつの影が見えた。その体系から、ひとりは女らしかった。
「戒厳令の夜か…」
高杉は首を何度か小さく横に振ると、声を出さずに笑った。
高杉は、倒れている男たちを建物の陰に引きずってゆき、ポケットから折りたたみ式のナイフを出して刃を開いた。気絶している男の服を腰のあたりからめくり、それを男の首の後ろに当てた。そして男の延髄にナイフの刃を当てると、そのまま一気に刺し貫いた。三人の男たちは、気絶したまま死の世界に落ちた。
高杉はナイフの刃をたたむと、一番先に高杉に声をかけた男に歩み寄った。
「おきろ」
高杉は男の頭を軽く蹴った。男はうめいて目を覚ました。頭を何度も振っている。骨が折れている右手をかばうように体を起こし、高杉をにらんでいる。
「おまえの仲間は殺した」
高杉は煙草を取り出して火をつけた。ライターの灯りに高杉の顔が浮かんだ。
「この街で、何をたくらんでいる?」
高杉は男に聞いた。
「そうとう大がかりなようだが、身分を隠すのなら、国産の拳銃などは持たないほうがいい。この拳銃を持っているのは限られた組織の人間だけだ」
高杉の言葉に、男は無言で地面を見つめている。
「死なせてくれると、約束するか」
男は顔を上げた。
「死にたいというのならな…」
高杉はそう言いながらタバコを取り出し、火をつけて男に渡した。
「詳しいことはおれも知らん。ただ、この街だけではなく、北海道全体であることが起きようとしている。その中身までは、おれも知らん」
男は苦しそうにタバコを吸った。
「空自の基地と、空港を破壊したのはミグと聞いたが、どこの国のものだ?」
「あんたは恐ろしく強い…。内調か、外事か?」
男は高杉を見上げた。
「どちらでもない…」
高杉は言った。
「そうか…。だとすれば、おれと同じ匂いをもった組織の人間ということか…」
「………」
高杉はだまったままタバコを吸った。
「戦闘機がどこの国のものかは知らんが、最新鋭のミグ・41は、アジアではロシアと中国、北鮮民国にしか配備されていない」
男は少し体を移動して建物の壁にもたれかかった。
「街の人間はどうした?」
「七百人は死んだ。というよりも、市長の命令で我々が始末した」
男は高杉を見上げて言った。
「なぜ市長が市民を殺した?」
高杉は男をにらんだ。
「わるいが、これ以上は言えん。自分の目で確かめることだ。始末した市民を確かめたければ築港へ行け。沖合いのはしけにつないだ底引き網で沈めてある」
男はそう言って煙草を地面でもみ消した。そして高杉を見上げた。
 高杉は死んでいる男のそばに転がっている拳銃を拾い上げた。男は無言で高杉が差し出した拳銃を左手で受け取った。
「おれの血を浴びたくなかったら、もう少し離れていろ」
男は高杉に言った。
高杉は男を見据えたまま三メートルほど後ろにさがった。それを確認すると男は拳銃の銃身を自分の口にくわえた。男の額から大粒の汗が吹き出た。目を大きく見開いている。高杉はそれを黙って見ていた。
 男は大きく深呼吸すると、引き金にかけた親指に一気に力を入れた。
乾いた拳銃の発射音が人気のない町の中に響いた。



沢田理香は、暗い部屋で毛布を肩からかけて震えていた。
 たぶんどこかの地下室であろうとは思うが、稚内空港でレポートをまとめていたところを背後から襲われ、気を失ったままここへ連れ込まれたのだった。
 いっしょに来たカメラマンの秋山幸助も自分と一緒に拉致されたらしいが、秋山がどこにいるのかはわからない。
重たそうなドアが開いて男が入ってきた。盆に食事をのせている。
 食事はだいたい決まった頃に運ばれてくる。食事の回数から判断すると、拉致されてから二日はたっているようだった。理香の腕時計ははずされている。バックも取り上げられていた。
男は理香の前に盆を置くと出て行った。理香は無言でその姿を見ていた。
この部屋に入れられたとき、質問はいっさい許さない。もしも質問などをしたときは、その場で殺すと言われた。そう言った男の目が、逆らうことは許さないという強い威圧感で光っていた。それいらい、理香は一言も口を開いていなかった。
一応暖房は効いていて寒くはないが、拉致されているという恐怖が理香の全身を震わせた。これからどうなるのかと考えるとなおさらだ。もしかすると、北鮮民国にでも連れて行かれるかもしれない。
なぜ自分を拉致したのか、拉致した相手は誰なのか。何もわからないのだ。
空港でいきなり拉致したからには、何者かが航空自衛隊の基地と稚内空港を爆撃した事件と関係あることは間違いないであろう。
ただ、なぜテレビ局のカメラマンとレポーターを拉致しなければならないのか。
 空港には自分たち北洋テレビばかりではなく、十社を数えるほどのカメラマンやレポーターがいた。
 拉致した相手は、空港にいた全部の報道関係者を拉致したのか。それとも北洋テレビの秋山と自分だけを拉致したのだろうか。
いったい、なぜ…。その疑問が理香の頭の中をめぐっていた。
理香は、あらためて閉じ込められている部屋の中を見渡した。
 壁はコンクリートがむき出しになっている。十畳ほどの広さで、窓はない。床には畳が敷かれていて壁には蒸気式の暖房と水洗トイレがついている。照明は裸電球がひとつだけだ。
秋山とふたりで稚内入りしてから、ひとつだけおかしなことがあった。携帯電話が使えなくなったことだ。
 稚内空港で取材をし、支社に電話をかけようとしたのだが、どこに移動しても圏外になってしまったのだ。空港の公衆電話もいっさい使えなくなってしまった。
他局のレポーターたちの携帯は使えるようだった。
 あの取材の中では、とても他社の人間から携帯を借りるわけにはゆかないし、他社もライバル局の人間に、はいどうぞと自分の電話を貸すほどお人よしではない。
秋山と理香は何度も自分の携帯を調べてみた。
 電池が切れたわけではない。電波の状態が悪いのかと、無残に破壊された空港の外でも試してみたが、やはりだめだった。
背後からいきなり真っ黒い布の袋を被せられた。同時に何人かで体を抑えられ、強引に地面に倒された。口と鼻のあたりに何かが押し当てられた。苦しくなって息をしたとたん気が遠くなった。麻酔をかがされたとわかる前に、理香は気を失っていた。
 理香は出された食事に手をつけた。
 盆にはパンふたつと牛乳、焼いたウィンナーソーセージが二本。目玉焼きと漬物が少し皿にのっている。味付けにはパックの醤油がついていた。箸はついていない。
食事が終わって十分ほど過ぎたとき、いつもの男が盆を下げにきた。うしろにもうひとり男が立っていた。
「いっしょにこい」
拉致されたあとで目を覚ましたとき、いっさい質問はするな。すると殺すと言った男だった。
男は理香を見すえた。理香は恐怖の表情で立ち上がった。
 盆を下げにきた男の前を横切って理香は薄暗い部屋を出た。男のあとをついてコンクリートの階段を登ったところに長い廊下があった。廊下の長さからすると大きな建物のようだった。廊下の一番奥にある障子のある部屋の前で男がとまった。
「ここに正座しろ」
男は理香に命じた。
 理香は不安そうな表情で男を見上げた。男の表情と目が、逆らえないことをものがたっていた。
理香は障子の前に正座した。
「沢田理香を連れてまいりました」
男は障子の向こうの誰かに言った。
「中へ入れろ」
少ししわがれた太い声がした。
「おまえも女なら、和室へ入るときの作法くらいは知っているな」
男は理香を見下げて言った。
理香はうら覚えながらも、正座したまま両手で障子を開けた。
 中にはふたりの男が座椅子に座って酒を飲んでいた。窓から入っている太陽の逆光になっているせいで、ふたりの顔は黒くしか理香には見えなかった。
 理香はうつむいたまま立ち上がって部屋に入り、また正座して障子を閉めた。
「沢田理香…」
逆光の部屋の中でひとりの男が言った。理香は無言で男のほうを見た。
「もう口を開いてもよい」
男が言った。
「山岡、総理…」
逆光に目がなれてきた理香は、座椅子にもたれている男の顔を見て我が目を疑った。
自分を見つめている人間は、間違いなく内閣総理大臣の山岡宗助。そしてもう一人は稚内市長の前田俊之だった。
「ここへきなさい」
山岡総理は、理香に小さく手招きした。
 東京にいるはずの総理大臣がどうしてここにいるのか、理香にはどうしても理解できなかった。
もしかすると、ここは東京…。
拉致されて東京に連れてこられたのか。しかし、航空自衛隊の基地と稚内空港が爆撃されて大混乱のはずの、当事者たる稚内市長までもが東京にいるはずがない。
「ここへきなさい」
山岡総理がもう一度理香に手招きした。
 理香は混乱した頭で夢遊病者のように立ち上がり、山岡が手招きするまま、座卓の前に正座した。
「総理に酌を…」
山岡総理の向かいにいる稚内市長の前田俊之が言った。
「はい…」
理香の頭はまだ混乱していた。
 どうして自分がこんなところにいるのか、その考えもまとまらないまま、銚子を持ち上げて山岡に酌をした。山岡はその理香を品定めでもするようにじっと見つめている。
「するのは返事だけだ。質問はゆるさん。おまえはわしの言うことに…。命令に従うだけだ。そうしなければ、おまえと一緒にいた秋山とかいう男のように、冷たい海に沈む」
山岡は理香が注いだ酒を飲むと、そう言って理香をにらんだ。
「海に…。秋山さんを…」
理香は大きく目を見開いて、山岡と前田を交互に見た。
「口を開くのは、わしの言葉に従うときの返事だけだ。そうでないと、本当に海に沈めて殺す!」
山岡は目を細めて理香に言った。
 理香は全身を小さく震わせて山岡と前田を見つめていた。
「さて、いうことを聞かなければ殺されるという自分の立場を、少しは理解したようだな。わしと一緒に来なさい」
山岡はそう言って立ち上がった。
 山岡を見上げる理香を、前田市長が暗い目で見つめていた。
理香は魔法にかかったように立ち上がり、先を行く山岡のあとについて和室を出た。
逆らうことはできなかった。逆らえば殺される。秋山は海に沈められて殺された。総理大臣の力を持ってすれば、女の一人くらいをこの世から消すのは簡単なことだ。
山岡は階段を登ってゆく。理香もそのあとをついて階段を登った。山岡は階段を登ったすぐの部屋のドアを開けた。
「中へはいれ」
山岡があけた部屋に、理香はまるで催眠術にでもかかったようにゆっくりとはいった。薄暗く赤っぽい照明だけが点いている。うしろでドアがロックされた。
 ホテルの広い一室のようなその部屋には、応接セットがある洋室と、となりの寝室には派手な模様のダブルベッドがあった。
山岡に背を押された理香は、ふらつくような足取りで寝室のベッドの横に立った。
「裸になれ」
ベッドに座った山岡が言った。
 理香はその言葉に我にかえった。薄暗い部屋だった。ベッドの枕もとの明かりだけがついている。
「いやです!」
理香は叫んだ。
「だまれ!」
山岡が立ち上がって、いきなり理香の頬に平手を飛ばした。パンという音が部屋に響いた。理香は床に倒れた。
「逆らうことは許さん!」
山岡はそう言うと、理香の髪をわしづかみにしてまた頬を激しく叩いた。
「海に沈めて魚のえさにするぞ!」
山岡は理香の顔を覗き込んで怒鳴った。
「水ぶくれのように、ぶくぶくになって腐敗した自分の姿を想像してみろ!。その腐敗したおまえの体を、たくさんの魚が喰いちぎるんだ!。魚だけではないぞ。カニも、タコも、ヒトデやウニも、群がっておまえを喰いあさるんだ!」
山岡は理香の髪をつかんだまま力任せに床に転がした。
「そいつらが、どこからはじめにおまえを喰うか知っておるか!」
山岡は床に倒れている理香の髪をつかんでにらんだ。
「まず目からだ。魚どもは目に集中する。目玉が喰われてポッカリと穴があくんだ!。その次は両手両足の指だ。死体が腐敗してくると、こんどは腹を喰いちぎられて内臓が喰われる。そして最後には骨だけになる。おまえもそうなりたいのか!。どうなんだ!」
理香の髪をわしづかみにした山岡は、食いつきそうな表情で理香の頭をつかんだまま、左右に振り回して怒鳴った。
「やめて…。お願いです…」
理香は気を失いそうになりながら言った。涙が流れている。
「やめてとはなんだ!。わしに命令することは許さん!。言うことをだまって聞くか聞かないかで、おまえの生死が決まるんだぞ!」
山岡はそう言うと、理香の胸元から強引に右手を入れ、胸をわしづかみにした。
理香の体から力が抜けた。山岡の右手があわただしく理香の乳房をもんでいる。左手で理香の髪をつかんだまま、山岡は理香の唇を吸った。右手を理香の胸元から抜いた山岡はその手をスカートの奥へ滑り込ませた。
「さあ、立って裸になれ!」
山岡は太い声で言うとベッドに腰をおろした。
理香は涙に濡れた顔のままゆっくりと立ち上がると、着ているものを一枚ずつ脱ぎ始めた。山岡は高ぶる神経を押さえるような冷たい目でその理香を凝視している。
理香は両手で胸を覆い、全裸で山岡の前に立った。
「手をおろせ」
山岡の言葉に、理香は目を閉じたまま胸を覆っていた両手をおろした。
 それを見た山岡はベッドから立ち上がると、自分も服を脱いで裸になった。そして理香の後ろにまわると脇の下から両手を入れて理香の乳房をゆっくりとした動きで揉んだ。
 山岡の右手が理香の下腹部におりた。閉じた両足のあいだに山岡の右手が割って入った。
「足を開け」
山岡が低い声で言った。理香は言われるがままに足を開いた。
もうどうにもならない。自分は総理大臣の山岡に喰われる。水死体が魚に全身を喰われるように、自分も喰われる。すでに精神は喰われた。あとは体を喰われるだけだった。
「ベッドに両手をつけ」
山岡は命じた。理香はベッドに両手をついた。
「いまから、おまえはわしのものだ。この部屋から一歩も出ることは許さん。わしに誠心誠意つかえるのだ。生活に不自由はさせん」
「………」
「わかったら返事をしろ」
両手で理香の尻を撫で回しながら言った。
「はい…」
理香はベッドに両手をつき、下を向いたまま答えた。
「よし。それでいい」
山岡は満足そうに言った。
「美人に生まれたことを感謝しろ。こうして生きていられる」
理香は目を閉じたままベッドに両手をついていた。涙があふれて止まらなかった。
 山岡は理香の腰を両手でつかむと、背後から理香に身体を重ねた。
薄暗い部屋に、女の背後から体を重ねる男と、一定の動きで突き動かされる女の影だけが動いていた。
「上を向いて寝ろ」
理香から離れた山岡はそう言った。
理香はのろのろとベッドに上がり、言われたとおりに仰向けになった。
山岡が理香の中に一気に入ってきた。山岡が理香の両足を肩にのせて抽出を繰り返している。山岡が動くたびに理香の精神が一本ずつ抜かれていくようだった。



北海道函館市の船見フェリーターミナル。
津軽海峡に面している船見フェリーターミナルは、一日に五往復のフェリーが出入港する。北海道の海の玄関だ。対岸の青森市まで直距離で約百十キロ。二十ノットの速度で約五時間の船旅だ。
函館山から見る夜景は、東洋の蛍かごといわれる香港や、百万ドルの夜景と称される神戸の夜景と並ぶほど有名だ。
 しかし最近では、単に光が多いだけで有名になった香港や神戸とは違い、その独特の地形の街にきらめく光と影。西部地区に立ち並ぶ開港時代の古い建物の光や独特の雰囲気をかもし出す市電など、北国の北海道という抒情詩が一躍評判になり、世界一の夜景とロマンの街として知られるようになった。
フェリー乗り場の近くには、北海道の海の幸を扱った市場があるため、夏は観光客で函館の人口は二倍近くに膨れ上がるが、冬は観光客もまばらで静かな町だ。
十二月五日午前二時。
広駒町にある函館東警察署に五十人ほどの黒い人影が近づいた。そのうちのふたつの影が高さ二メートルほどの金網の柵を乗り越えた。
 ふたつの影は門に立っている警察官の背後に忍び寄った。ふたつの影が同時に歩哨の警察官に襲いかかった。それを確認したかのように、闇で待機していた影たちがいっせいに警察署の中に入っていった。


十二月六日午前八時
函館東警察署へ出勤する署員が、次々と建物の中に入っていった。
「本日もまた、多忙な一日が始まる。市民の安全のため、諸君ひとりひとりの最善の努力を期待する。きょうも一日がんばってもらいたい。初冬季の特性として、道路の凍結による事故が多発することが予想される…」
午前八時四十分、制服に身を包んだ警察官たちが、パトカーの始業点検を行い、拳銃や警棒などの装備の点検を終え、中庭で夜間勤務者をのぞく八十名の署員が集合しての朝礼が始まった。
 署長の高木警視が壇上で訓示を始めた。女性警察官も二十人ほど混じっている。
そのとき、中庭に面した建物の窓がかすかに開き、窓から細い管のようなものがいくつも現れた。朝礼に並んでいる署員たちの背後のため、誰一人としてうしろの窓から出ている細い管に気付く者はいなかった。
窓から出ている細い管から目に見えない何かが飛んで、一番後ろに並んでいる署員たちの首に刺さった。一瞬のうちに二十人ほどの署員が崩れるように倒れた。
 ほかの署員がその異常に気づかないうちに、また数十本の細い管から何かが飛んで、署員たちの首や背中に突き刺さった。
壇上の高木警視は、後ろに並んでいる署員が次々と倒れるのを見た。
「ん?…」
高木は事態を理解できないままその様子を見ていたが、喉もとにチクリと小さな痛みを感じ、手で喉もとに触れた。
 何かをつまんだ自分の手のひらに小さな針のようなものがあった。
 それを見つめていた高木は、スーッと気が遠くなるのを覚えた。何度か頭を振ったが、足元から崩れた高木は、署員たちが次々と倒れる様子を網膜に焼き付けたまま、壇上から転げ落ちた。
建物の中から大勢の黒装束の人間が現れ、倒れている署員たちを肩に担ぎ上げて建物へ運び入れた。


「免許証の更新用紙はありますか?」
午前九時。函館東警察署に市民が訪れた。
「二番の窓口にいらしてください」
受付の女性警察官が対応した。
『午前九時になりました。ただいまから本日の業務を開始いたします。各署員は、夜勤担当者からの申し受けを確実に実施したのち、通常業務に移行してください。管内の交通機動パトロール隊は、車両の申し受けと事前点検を確実に実施し、パトロールに移行してください』
十二月六日午前九時。函館東警察署の館内放送が流れ、日勤の署員たちは、それぞれの夜勤担当者から前日の業務を申し継ぎ、通常どおりの業務を開始した。



注)この小説はフィクションであり、登場人物や組織などは実際に存在するものではありません。






http://ncode.syosetu.com/n6871d/novel.html





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