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白い夜
作:凪沙 峻



第24話 自 決 


二四 自 決

 十二月二十日午前七時
「あと二時間以内には十一旅団の主力が到着する。滝川の十群団は三十分ほどでこの地区に入ると連絡があった。その間に、二十五群団主力の諸君には、十一旅団主力が到着するまでの防御要領を伝えておく」
 北海道共和国国防大臣の矢沢明彦陸将は、自分の正面に置かれている作戦板を見ながら言った。
「我の現在地は千望台の東、四百メートル林内。上陸した北鮮民国軍の第一線は、現在沖見町六丁目三叉路付近との情報だが、一部はすでに萌寿園老人ホームに潜入したという情報もある。最悪の状況として、雇用促進住宅も彼らの手に落ちていると考えたほうが良い」
 矢沢の言葉に、村上1佐以下の幕僚や幹部たちは水を打ったように聞き入っている。
 重機によって地中深く掘られた十坪ほどの指揮所には、矢沢のほか、第二十五普通科群団長の村上1佐以下、作戦、情報、人事、兵站関係の各幕僚と、各普通科中隊長と重迫撃砲中隊長、群団に配属されている第二対戦車隊長、そして弾薬や隊員の食料などを専任する第二補給隊長、機動打撃力の主力たる第二戦車群団第一中隊長の天地3佐、第二中隊長の坂田3佐も顔をそろえていた。
 すでに普通科中隊と重迫撃砲中隊には配置命令を下達し終わっていて、隠密裏に行動を開始していた。指揮所の入り口近くには腕を組んだ高杉が立っている。
「戦車一中隊及び二中隊」
 矢沢は作戦板の右に並んでいる天地3佐と坂田3佐を指名した。
「はい!」
「はい!」
 天地3佐と坂田3佐が同時に返事をした。
「戦車一中隊は、群団本部の西、三百メートルの地点に陣地を占領。A道沿いに前進してくる敵に対し攻撃準備をせよ。戦車二中隊は本部の北西約五百メートルの位置に陣地を占領後、A道沿い及び雇用促進住宅を含む市街地方向から前進する敵を攻撃せよ。細部位置の座標については群団の二科長(情報幕僚)から受領。攻撃開始時期については、偵察小隊及び二科長の情報により、群団長から発するも、前進してくる敵を発見しだい本部に報告すると同時に、直ちに攻撃を開始」
 矢沢は、作戦版にカラーピンを差込み、二人の戦車中隊長を見つめた。
「はっ!」
「はい!」
 天地と坂田は矢沢の顔を見て返事をした。
「対戦車隊長」
「はい!」
 第二対戦車隊長の神代2佐が返事をした。
「対戦車隊は、勢力を半分に分け、戦車一中隊と二中隊の側方に位置する陣地を構築。持てる誘導弾で敵を攻撃。陣地の構築位置、攻撃開始時期及び敵発見時の対処については戦車中隊と調整せよ」
「はい!」
 神代2佐がメモしながら返事をした。
「二科及び三科は、敵の情報収集と防御計画に漏れの無いよう、あらゆる可能性を考慮しつつ徹底してコンピューター・シュミレーションを繰り返せ。緊急の情報については、わたしや群団長への報告は二の次でよい。真偽を確認するよりも前に、一秒でも早く前線の指揮官に一斉に伝えろ。遅い情報などは何の役にも立たん。遅い情報は味方を死なせるだけだ」
 矢沢はそう言って各幕僚たちを見回した。
「諸君も当然理解していると思うが…」
 矢沢は煙草を取り出して火をつけた。
「自衛隊が誕生以来六十年になろうとしている今、まさに外部からの侵略を受けている」 矢沢は幕僚や部隊の指揮官を見回した。
「我々の、真の力が試されているのだ。各隊員に徹底しておいてくれ」
 矢沢はするどい目で指揮所内を見回した。
 

「きみはどう思う」
 矢沢は指揮所の外で高杉に聞いた。
 指揮所の外には木の枝を切って作られた簡単なベンチが並んでいる。そのベンチに腰をおろした矢沢と高杉に、迷彩戦闘服を着た女性自衛官が、緑色の指揮官用テーブルにコーヒーを置いた。
「いただく」
 高杉はそう言うと、コーヒーカップを口に運んだ。
「司令の布陣で万全かと…」
 高杉はひと口飲んだコーヒーカップを置くと、煙草を取り出して火をつけた。
「ただ…」
 高杉は矢沢を見た。
「なんだ」
 矢沢もコーヒーを口に運んだ。
「司令は、すでに吉野知事の催眠からは解放されているようですが、問題は隊員たちです。人格を半分無くしたままの隊員で、この戦いを進めるつもりですか?」
 高杉は言った。
「………」
「札幌にいる吉野知事に、わたしと会うよう連絡を付けていただきたい」
 無言の矢沢の表情を見ながら、高杉は煙草の灰を足元に落とした。
「それはできん。わたしにも立場がある」
 矢沢は高杉を見つめた。
「では、勝手に行かせていただく」
 高杉は笑って立ち上がった。
「道庁は…」
 矢沢がコーヒーカップを指揮官用テーブルに置いた。
「札幌の部隊から選抜された二百名の隊員が警備している。それでも行くのか」
 矢沢は立ち上がった高杉に言った。
「警備体制を教えていただき、感謝します」
 矢沢にきびすを返した高杉は、林の中に消えていった。
 まもなく、軽い爆音を残し、一機の小型ヘリが林の空へと飛び立ったのが見えた。
「司令、先ほどの男にヘリを奪われました!」
 第二飛行隊の山口2尉が走りながら矢沢に報告した。
「そうか…」
 矢沢は戦闘服のポケットから煙草を取り出した。
「警備していた五人がやられています!」
 興奮した山口が言った。
「殺されたのか?」
 火を付けようとして手を止めた矢沢が聞いた。
「いえ、気を失っていただけですが…」
 山口2尉は、ヘリが飛び去った空を見ながら答えた。
「ま、殺されなかったことに感謝しろ。命あってのなんとかだ」
 矢沢はそう言って煙草に火をつけると、ひと口大きく吸った。


午前七時三十分過ぎ、滝川市の第十普通科群団が到着したのに引き続き、午前九時、札幌を出発した第十一旅団長・荒木陸将以下の主力部隊半数が留萌の前線に到着した。残りの半数は函館からの出発のため、二時間遅れの予定だ。
 到着した部隊は、矢沢司令の命令のもと、すでに配置についている第二十五普通科群団と合流し、九時三十分には全隊の配置を完了した。
「暗視双眼鏡の数に制限がありますので、準備ができしだい、昼間の攻撃を開始したいと思います」
 第十一旅団長の荒木陸将が矢沢に言った。荒木の後ろには旅団長副官の木川1尉が立っている。
「わかった」
 矢沢はうなずいた。
「北鮮民国の増援部隊が来ないうちに、この北海道に土足で侵入したドブネズミどもを殲滅してくれ。一人たりとも逃がすな」
 矢沢は荒木に言った。
「北海道共和国国防軍の名誉にかけまして、敵を殲滅いたします!」
 荒木は厳しい表情で言った。
「荒木くん、まあ肩の力をぬけ」
 矢沢は笑った。
「肩に力が入りすぎると、命令や指揮にぬかりがでる」
 煙草を取り出した矢沢に、総監副官の西田3佐がライターで火をつけた。
「確かに、自衛隊創設以来の外部からの侵略に対する作戦だが、今まで積み重ねてきた訓練の成果を出せばよいだけの話だ。わたしは、自衛隊の実力が北鮮民国軍より劣っているとは思っていない」
 矢沢は言った。
「はい!」
 荒木は答えた。
「もちろんこれは実弾を撃ち合う実戦だ。弾に当たれば死ぬ」
 矢沢は荒木を見た。
「自衛隊が創設して、すでに六十年になる」
 矢沢は煙草の煙を吐いた。
「我々北海道の自衛隊は、創設されて以来六十年間、厳しい世界情勢の中で北海道の防衛任務を遂行してきた。この北の大地…。緑に萌える美しい北海道をだ」
 矢沢は煙草の煙を吐いた。
「我々の命に代えても、ドブネズミのような北鮮民国の手から北海道を守りぬかなければならん。この北海道には六百万人の道民と、多くの隊員たちの家族がいる。その我々の故郷の大地を、金正冠は土足で踏みにじろうとしている」
 矢沢は立っている荒木を厳しい目で見つめた。
「奴らはドブネズミだ。食べ物にたかるハエだ。放っておけばウジを生みつけるハエだ。ウジ虫だ!」
矢沢は声を荒げた。
「なさけ容赦はいらん。ウジ虫どもは一匹たりとも生かして返すな!。徹底的に殲滅せよ!」
 矢沢は、右手に持っている指揮棒を力任せに地面に叩きつけた。
 第十一旅団長の荒木陸将は、思慮深いとされる矢沢の思いもよらぬ激化に息をのんだ。

「失礼する」
 矢沢と荒木の前にひとりの男が立っていた。
「だれだ、きみは!」
 荒木は、矢沢をかばうように前に出た。矢沢と荒木の副官が腰の拳銃を抜こうと身構えた。
「まて!」
 矢沢が左手で副官を制した。
「きみはだれだ」
 矢沢が男を見上げた。
「公安特務課のツルだ。カラスを通じて山岡総理から連絡があった」
 いつの間にか自分達の前に立っていた長身の男を、矢沢と荒木が見つめた。
「カラスとは、高杉とかいう男のことか」
 矢沢が立ち上がった。
「そうだ」
 ツルと名乗った男は、矢沢と荒木を交互に見つめた。
「良い知らせだ」
 ツルは煙草を取り出して火をつけた。
「本日。十二月二十日午前四時、北鮮民国の主要都市と軍事施設は、習志野の第一空挺団と、総理大臣直轄のテロ特別鎮圧部隊、そして自衛隊の十三旅団によって制圧した。国家主席の金正冠は、石川県の第十四普通科群団の手によって拘束した。一時的だが、北鮮民国は国家としての機能を失っている」
 淡々と言うツルの言葉に、矢沢と荒木は顔色を失っていた。
「あんたたちの敵は、ここに上陸した軍だけだ。それ以上の軍隊を送り込む力は、もう北鮮民国には無いということだ。健闘を祈る」
 ツルはそう言うと、地面に落とした煙草を靴でもみ消し、雪の林の中へ消えていった。
北鮮民国が自衛隊によって制圧された。
 まさかと、矢沢は荒木と顔を見合わせた。
 総理大臣の山岡が、国防会議か、あるいは自公党と防衛省の制服組で組織する国防部会で自衛隊の派遣を決定し、自衛隊を北鮮民国へ潜入させたことはじゅうぶんに考えられることだ。
 先ほどのツルという男の話が本当だとすると、習志野の第一空挺団と総理大臣直轄のテロ特別鎮圧部隊が北鮮民国軍を各地で殲滅し、自衛隊を平穣城まで引き入れたのだろう。
 矢沢は、ふうーとため息をついた。
 


『キセフ全隊、こちら二〇。浜中グランド及びA道沿いの雇用促進住宅方向に、それぞれ一個中隊規模の敵部隊を発見。我に向かって前進を開始したもよう!』
前線の偵察隊からの無線が入った。
『浜中グランド方向の敵、確認!』
『雇用促進、A道の敵、確認。攻撃準備よし!』
 矢沢が待機する千望台東の指揮所には、前線からの無線が次々と入っていた。
「総監、現地へ参ります!」
 第十一旅団長の荒木陸将は立ち上がって矢沢に敬礼した。
「うむ、武運を祈る」
 矢沢も立ち上がって荒木に敬礼を返した。
「のちほど会おう。冷えたビールを用意しておく」
 矢沢はそう言って右手を差し出した。
「はっ!。光栄です」
 荒木は差し出された矢沢の右手を握った。
 荒木は右手にチクリとした痛みを感じた。一瞬めまいがしたような気がした。
「どうした?」
 矢沢が荒木の顔を覗き込んだ。
「あ、いえ。どうもいたしません」
荒木は答えた。
「たのむぞ、荒木くん」
 矢沢は強く言った。
「いってまいります!」
 荒木はもう一度矢沢に敬礼をすると、旅団長副官の木川1尉を伴い、指揮所を出て行った。
 矢沢は折りたたみの椅子に座ってふーっとため息をついた。
 右手のひらにセロハンテープで貼り付けてある画鋲を外した。
 第二十五普通科群団長の村上1佐と、第十普通科群団長の柴田1佐のふたりも、これと同じ方法で吉野知事の催眠状態から解放してある。公安特務課の高杉が自分の催眠を解いたのと同じ方法だ。
 吉野知事の北海道独立宣言のテレビ放送のとき、お寺の鐘をつくような音が流れた。そのとき矢沢は軽いめまいを感じたのだが、めまいを治そうと何度か首を振ったときに奥歯で口の中を噛んでしまった。
 今から思えば、口の中を噛んでしまった痛みのせいで吉野知事の催眠には完全にかかっていなかったのだ。
 北海道をあずかる自衛隊の北海道方面総監としての正気さは、口の中を噛んでしまったことによって半分は残っていたのだろう。残りの半分の催眠状態を、いま矢沢が荒木にしたと同じ方法で高杉が開放したのだ。
 北海道を占領せんとする北鮮民国の軍隊を相手に遜色なく戦うには、吉野知事の催眠術にかかったままの指揮官では勝てない。自衛隊員として叩き込まれた戦いの本能を呼び覚まし、配属部隊を意のままに動かしてこそ勝利への血路は開ける。
 指揮官さえ正気ならば、部隊はそのとおりに動くものだ。
『ハトマ、射撃用意!。戦車中隊の射撃開始を合図に、ハトマ全隊はA道沿いの敵を攻撃、撃滅する!』
 柴田1佐の無線が飛び込んできた。
 ハトマは、雇用促進住宅からA道沿いに向けて展開している柴田1佐率いる第十普通科群団の混成部隊だ。
『タスカ全隊、浜中グランド方向から前進してくる敵に対し、これを攻撃する。対戦車隊および戦車中隊、射撃用意!』
 タスカという呼び名の第二十五普通科群団長、村上1佐の声が響いた。スピーカーが割れそうなほど力のこもった声だ。
 矢沢は、作戦板の上に置いた小さな画鋲を見つめた。




 高杉晋也は旧北海道道庁の前に立っていた。今は北海道共和国首都庁舎と書かれた看板がかかっている。
「吉野首相にお会いしたい」
 高杉は正門の哨所で八九式小銃を構えているふたりの自衛官に言った。
「首相に何の用だ!」
 歩哨のふたりは素早い動作で小銃のスライドを引いた。
「わたしは日本国の山岡総理大臣の名代で、高杉晋也というものだ」
 高杉はそう言うと、ゆっくりとした動作で胸のポケットから山岡総理からあずかっている名刺を取り出した。速い動作だと撃たれかねない。歩哨の二人はそれほどに殺気立っている。矢沢が言ったとおり、選ばれた隊員たちのようだ。
「この名刺は、わたしが山岡総理の名代であることを示す証拠だ。吉野首相にお見せしてくれ」 
 隊員の一人が高杉に銃口を向け、もう一人が高杉の手から山岡総理の名刺を取って表と裏を入念に見ている。
「隊長か副長に、正門まで来てくれるよう伝えろ」
 ひとりが無線機で伝えている。
 三分ほどして、旧道庁の自動ドアが開いて、制服の自衛官が歩いてきた。肩に金色の桜をふたつ付けている。最上位の陸将に続く陸将補だ。
「共和国首都庁舎の管理・警備担当、水谷だ」
 水谷と名のった自衛官は、鋭いまなざしで高杉を見つめた。腰の弾帯に拳銃を下げている。
「名刺は返す。首相が会われるそうだ」
 水谷は、高杉に山岡総理の名刺を返すと、歩哨に命じて高杉の身体検査をした。
 函館のときと同じく、山岡総理に通じる無線機が押収された。
「それは、山岡総理と直通の無線機だ。それを押収するというのなら、山岡総理と吉野首相との会談はできない」
 高杉は言った。
「それに、今は休戦中のはずだが…」
 高杉の言葉に、水谷はしばらく考えていたが、歩哨から無線機を受け取り、高杉に手渡した。
「ついてこい」
 水谷は中庭に向かって歩き出した。
 旧道庁の三階に知事室がある。北海道共和国の吉野首相は旧知事室をそのまま首相執務室として使っていた。
 水谷に背を押されて高杉は首相執務室に入った。
「首相の吉野隆雄です」
 吉野は首相室に入った高杉に右手を差し出した。
「高杉晋也です」
 高杉は吉野の差し出した手を握った。
「おかけください」
 吉野はソファーを示した。高杉は吉野が示したソファーに腰をおろした。水谷がソファーのそばに立っている。
「山岡総理と吉野首相との会談を聞かせても、差し支えないほどの重要人物には見えませんが…」
 高杉は、そう言って水谷を見上げた。
「なに!…」
 水谷が腰の拳銃ケースに手を伸ばした。
 水谷の視界からソファーに腰をおろしていたはずの高杉が消えた。
 風のようにソファーを飛び越えた高杉は、水谷の後方に着地し、そのまま水谷の頚動脈を絞めて気絶させていた。
 高杉は気絶させた水谷を、制服のベルトとネクタイで手足を縛って床に転がし、気が付いても話の内容を聞かれぬよう、水谷が持っていたポケットティシュを丸めて両耳に押し込んだ。
「こんな方法をとったことをお詫びする」
 高杉はソファーに腰をおろして吉野に言った。取り上げた水谷の拳銃をテーブルに置いた。
 あっという間の出来事に、吉野はあぜんとして高杉を見つめた。
「本題にはいりましょう」
 高杉は吉野を見つめた。
「吉野首相、北海道民をあなたの集団催眠から解放していただきたい」
 高杉は言った。
「総理は、北鮮民国から北海道を救うため、一時的だが自衛隊の一個旅団を送り込んで北鮮民国の平穣城を制圧しました」
「なんですと!」
 吉野は身を乗り出して高杉を見つめた。
 まさか、と吉野は思った。
「北鮮民国を占領したというのか!」
 吉野は青ざめた表情で言った。
「一時的な制圧です。遅くとも一ヶ月以内には、北鮮民国も元の姿になるでしょう」
「………」
 吉野は信じられないという表情で高杉を見つめている。
「ご存知でしょうが、北鮮民国軍が上陸した留萌では、矢沢総監が総指揮を執って、自衛隊の十一旅団全隊と普通科の二十五群団が北鮮民国軍と戦闘中です」
「………」
「おそらくは、きょうか明日の未明には北鮮民国軍を殲滅するものと思われます」
 高杉は大きくため息をつくと、ポケットから無線機を出してスイッチを入れた。
「高杉です」
 高杉は、吉野を見つめたままでマイクに言った。
『山岡だ』
 小さなスピーカーから山岡総理の声がした。
「吉野首相の執務室におります。首相と代わります」
 高杉は無線機をテーブルの上に置いた。
『吉野くんかね』
 スピーカーから山岡総理が吉野に声をかけた。
「……。吉野です」
 吉野はため息のあとに言った。
『だいたいの事は、わしの名代の高杉から聞いたと思う』
 カチッという小さな音がスピーカーから聞こえた。山岡がライターで煙草に火をつけたのだろう。
『今は、わしは私邸にいる。秘書もおらんし、もちろん議員たちもおらん。わしときみの、腹を割った話し合いだ。最後のな…』
 山岡の低い声が聞こえる。
『もう一度だけ言うが、吉野くん、これが最後だ。集団催眠を解いて、道民を自由にしてやってくれ』
 山岡の言葉に吉野がゆっくりと顔を上げた。
「わたしは、六百万人の北海道民のために、一番良かれと…」
 吉野はそう言いながら高杉を見つめた。
「中央主体政治の現内閣の…、あなたの政策に、我々北海道は苦しみと憤怒の中から立ち上がったのです!」
 吉野は声高に言った。
「あなたや前任の総理も、その前の総理もそうでした。常に東京主体の政策だけを優先に推進してきた。地方がいかに財政や雇用問題で苦しんでいようとも、あなたを含めた歴代の総理は、地方の声に耳をかそうともしなかったではないですか!」
 吉野はソファーから立ち上がって叫んだ。震える手で無線機を指差し、まるで目の前に座っている山岡総理に激しく抗議しているようだった。
「地方のことは地方でという道州制度にしてもそうです。前知事の要請を無視して、門前払いにしたのはあなたの前任です。道州制の確立は北海道民の総意でした。今でもその希望に変わりはない!。それをあなたは踏みにじった。だからわたしは道民とともに立ち上がったのです!」
 吉野は声を震わせて無線機をにらんだ。
『今となっては、きみの言わんとしていることも理解できんではない』
 山岡は低い声で言った。
『だが、道民の総意だときみは言ったが、道民投票をやって、六百万人の署名でもあるのかね?。その上でのことだというのなら、わしも総理大臣として考えなければならんが、きみが知事になって…、いや、知事になる前からの想いだけなら、それは道民の総意とは言えまい。単にきみだけが頭に想い描いた絵空事にすぎん』
 山岡はそこで言葉を切った。
『吉野くん、道民にかけた集団催眠を解いてくれ。ひとりの人間の絵空事で、多くの人間が命を落とした。道内各地できみが巻き起こした事件や、北鮮民国軍に殺された自衛隊員の命を、きみはなんと心得る!。すべてきみが独りでやったことだ!』
 山岡の声が大きくなった。
吉野は、言葉も無く青ざめている。
『もはや、きみにはふたつの選択肢しかない。ひとつは、今すぐに集団催眠を解いて道民を自由にし、いさぎよく腹を切るか。もうひとつは、あくまでも紛争を続けて罪も無い北海道民や自衛隊を何百・何千と死なせるかだ…』
 山岡の声が低くなった。
『言っておくが、留萌の北鮮民国軍はまもなく矢沢くん指揮下の自衛隊がカタをつける。その後は休戦協定も打ち切りになる』
 山岡はまた煙草に火をつけたらしい。ライターの音がした。
『わしは日本国の総理大臣として、日本国の一部である北海道が独立するということは絶対に許すことはできん。それを阻止するためならば、本州の全自衛隊をもって北海道を攻撃する!』
 山岡は声を荒げた。
『わしと…。本州と刺し違える覚悟があるなどと思っているのなら、それは思い上がりだ!。きみに六百万の北海道民を死なせるだけの覚悟があるか!』
 山岡の言葉に、吉野は唇を震わせて目を閉じている。
『ただ…』
 山岡は言葉を切った。
『今回のことで、北海道の独立に命をかけているきみの心の内は、よくわかった…』
 山岡はまた煙草に火をつけた音が聞こえた。
『独立はともかくとして、経済独立道州制については、必ずわしの任期中に善処すると約束する。そこにいる高杉が証人だ』
 山岡は言った。
『たしかに、東京や大阪に住む人間にとっては、北海道を単なる食糧倉庫としてしか扱わなかった面はある。それは心から詫びる』
 そう言った山岡総理の声に、吉野は目を閉じた。
『今後、北海道を食糧倉庫などと、中央だけの都合のいいような言い方はさせんし、そのような扱いもしないと約束する』
山岡が言った。
 吉野はじっと無線機を見つめている。
『きみとは旧知のあいだと聞くが、社会連合の石倉くんも、きみと同じ北海道出身の人間として、今回のことに心を痛めている。それも伝えておく…』
 その山岡の言葉に、吉野は顔を上げた。そしてまた目を閉じた。
『わしの言うことはこれだけだ。一両日中には留萌のカタは付く。休戦協定の期間が切れる前に判断してくれ。きみが人間に戻ることを、わしは信じている』
 そう言うと、山岡は自分で無線を切った。
「………」
 吉野は無言でテーブルの上の無線機を見つめている。
 高杉は煙草を取り出して火をつけた。
「総理は…。経済独立道州制を善処すると言ったが…」
 吉野はつぶやくように言った。
「総理がわたしを証人として宣言したからには、嘘ではないでしょう」
 高杉は煙草を吸った。
「このままでは、六百万人の道民は…。操り人形のまま、確実に破滅への道を歩むことになります」
 高杉は無線機を見つめている吉野に言った。
「少なくとも、集団催眠をかけたまま、道民に破滅の道を進ませないようにすることが、あなたの使命です。そして、北海道を本州自衛隊との戦場にしないことも…」
 高杉は、応接テーブルの灰皿で煙草を消した。
「あとは、あなたが道民をどうするか。それは、首相…、いや、北海道知事たるあなたの決断ひとつです」
 高杉は言った。
 高杉はテーブルの無線機をポケットに入れ、立ち上がりながら水谷が持っていた拳銃を手にとった。
「それは…」
 吉野が顔を上げた。
「それは、置いていってもらいたい…」
 吉野は高杉を見つめた。
「わかりました…」
 高杉は、吉野と目を合わせたまま、テーブルの上に拳銃を置いた。
吉野はゆっくりと立ち上がり、執務椅子の後ろにある金庫の中からプラスチックのケースに入ったCDを取り出した。
「これを…」
 吉野はCDを高杉に差し出した。
「これを山岡総理に…。これで催眠は解けます」
 吉野が差し出したCDを高杉は受け取った。
「総理と…、矢沢さんに、道民の…。北海道のことをくれぐれもよろしくと…」
 吉野は高杉を見つめた。
「わかりました。わたしが証人です」
 高杉はそう言うと、床に転がっている水谷を横目で見ながら執務室のドアを開けた。そして振り返ると吉野に一礼してドアを閉めた。
 廊下を歩き始めた高杉の耳に、カチッと中から施錠した音が聞こえた。高杉は立ち止まった。
 拳銃の発射音がしたのはその直後だった。
 高杉はひとつため息をついて廊下を歩き出した。


この小説はフィクションであり、登場人物や組織名は実際に存在するものではありません。






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