第23話 金正冠の拷問
二三 金正冠の拷問
深夜一時を過ぎた平穣城の街は、赤い城を警備する兵士や私服の国家警察の職員以外は人通りがなかった。各地のキャンプが襲われたという情報が金正冠の耳にでも入り、外出禁止令か非常事態宣言でも発令されたのだろう。
北鮮民国のような独裁国家では、国家の命令は絶対的だ。
外出禁止令が発令されたら、たとえ一歩でも外に出ようものなら反逆者とみなされ、兵士や国家警察によってその場で射殺される。ドアの隙間から外をのぞいても同じだ。へたをすれば、家族からも国家に対する裏切り者として通報されてしまう。
すべての部屋には国家主席である金正冠の写真か肖像画が飾られていて、出入りするときは必ず金正冠の写真や肖像画に深々と頭を下げなければならない。
たまたま頭を下げずに部屋から出たのを家族に密告され、収容所送りになる者は後を絶たない。
だから北鮮民国の国民は、外出禁止令や非常事態宣言が発令されたら絶対に外には出ないで鍵をしっかりかけておく。鍵をかけておかなければ、自分たちに悪意を持つ誰かが家の戸をそっと開けに来て、それを国家警察に通報しないとも限らないからだ。
たとえ家族や隣人でも信用できない。それが北鮮民国という国だ。
建物の前で警備をしていたふたりの兵士の後ろに音もなく影が近づいた。一瞬にして喉を刺され、ふたりの兵士は声も出せないまま建物の影に引きずりこまれた。
その様子を闇の中で見ていた黒木の目に、建物のまわりを見回っていると思われるふたりの私服の男の姿が映った。黒木が潜んでいるほうに歩いてくる。暗い中でもふたりの男の左胸が拳銃で膨らんでいるのがわかる。
黒木はベルトから五寸釘ほどの長さの手裏剣を出した。両手に一本ずつ持つと、建物の影から飛び出すと同時に二本の手裏剣を放った。
手裏剣はふたりの男の喉深く突き刺さり、スローモーションのように崩れ落ちた。黒木はふたつの死体を街路灯の陰になる建物の間に押し込んだ。
広場の中央に建つ金正冠がいると思われる赤い城が黒木の目に映った。
黒木は死を覚悟でこの任務に就いている。各種テロに対処する部隊の宿命だと言えばそのとおりだが、自分が指揮するテロ特別鎮圧隊とて、総理大臣と防衛大臣から命令を受けたからには、この北鮮民国に侵入して破壊工作をする以上は死ぬ覚悟は出来ている。
自分たちも武藤の部隊に劣るような訓練をしてきたつもりはない。レンジャーとテロ特別鎮圧部隊という名前の違いこそあれ、中身は武藤たちと同じような訓練を積んでいる。
指揮官の武藤を死なせはしない。
習志野の武藤3佐とは今回の任務で初めて会った。
武藤3佐の指揮能力も素晴らしいが、部隊が違う特圧隊に対する公平な扱いと、自分たちに対する絶対の信頼と気配りは、まさに尊敬に値する指揮官だ。
武藤だけではない。誰も死なせはしないし、自分とてめったなことでは相手に後ろをかかれない術は持ち合わせている。
人気の無い平穣城の街で、仲間たちが次々と北鮮民国の兵士や私服の国家警察員を倒しているのが気配でわかった。
五階建ての赤い城が建つ広場はこうこうと照明がつけられている。その明かりの中に銃を持った五十人ほどの兵士が警備している。
いかにレンジャーや特圧隊といえども、警備している兵士たちに気付かれずあの明かりの中を横断して赤い城にたどり着くのは困難だ。銃器を使えば音で気付かれる。ナイフや手裏剣では遠すぎて届かない。
最終的には、全員がひとつずつ持っている自治省と国家公安委員会が開発したGS・8(長い夢)と拳銃を使うしか手はない。
『ネズミの巣、三階の中央。十六分前に入ったのをブラック・スパイダー(米偵察衛星)が確認した。巣の中には相当数の警備がいると思われるが、巣は鉛で覆われていて、細部は確認不能。巣の外には二十五人あまりの警備兵がいる』
武藤からの無線だった。
『拳銃を使う。目に付くやつらは撃て。サイレンサーを装着。巣の入口は、たどり着いた者のC・4で爆破する。風上のD、F、N、Oの組はGS・8を準備。投擲三十秒前』
武藤の無線を聞いた黒木は、中国製のトカレフ拳銃に缶コーヒーほどのサイレンサーを装着した。
三十秒後、風上にいた仲間たちが赤い城の広場に向けて一斉にGS・8を投げた。
広場の中央ほどのところに落ちた四十個のGS・8は、眩しいほどの照明の中で白い煙をあげている。その煙は風に流されて赤い城のほうへと流れていった。
同時に拳銃を持った仲間たちがGS・8の煙に向かって走り出したのが見えた。呼吸を止めてGS・8のガスを突っ切る作戦だ。
黒木は仲間たちが全員飛び出したのを確認し、最後に建物の影から走り出た。
右手の向こうに武藤が飛び出したのが黒木の視界に入った。
何発か低くこもったようなサイレンサーから発射される銃声が聞こえた。仲間たちの拳銃の音だ。武藤が拳銃の使用許可を出したことで、仲間たちはうっぷんを晴らすように警備の兵隊や国家警察員たちを射殺しているのだろう。射撃の技術はマスタークラスの者たちばかりだ。どんな体制からでも狙った標的を外すことはない。
GS・8の煙の中で爆発音が聞こえた。仲間が赤い白の入り口をC・4で爆破したのだろう。
GS・8の煙の中を走り抜ける黒木の耳に激しい機関銃の発射音が聞こえた。赤い城の屋上に据え付けられた機関銃らしい。GS・8のガスで数十人の兵隊が倒れているが、屋上まではガスが届かなかったらしい。
数十発の機関銃弾がコンクリートの地面に当たって激しい火花と土煙をあげている。
黒木は飛んでくる機関銃弾を縫うようにして赤い城に向かって走った。
すでにGS・8のガスは風に流されていた。仲間たちのほとんどはすでに赤い城にたどり着いているはずだった。
武藤が赤い城の玄関に向かって走ってくるのが見える。その走っている武藤の拳銃が発射され、屋上の機関銃のひとつが沈黙した。
それを確認した黒木は、走りながら武藤に右手を上げて礼の合図を送った。
「グッ!」
黒木の身体が地面に叩きつけられた。
屋上から発射された機関銃弾が、前かかみで走っていた黒木の右の肩口に命中し、そのまま肺と内臓を貫通して背中に抜けたのだった。意識が一気に薄くなったのが自分でもわかった。
黒木が倒れたのを見た武藤は屋上に向けて拳銃を二発発射した。命中したのが手ごたえでわかった。
「黒木!」
武藤は、うつぶせに倒れている黒木の襟をつかんで赤い城の陰に引きずっていった。
「黒木!。黒木!」
黒木の肩と背中から心臓の鼓動にあわせるように血が吹き出ている。黒く濁った血だった。内臓を破壊されている。いかに鍛え抜かれた身体とはいえ失血死は時間の問題だ。
「さ、3佐…」
抱き支えて必死に揺さぶっている武藤に、黒木はやっとのおもいで目を開けて武藤を見た。
「た、助かり…、ますか?…」
そう言った黒木に、武藤はゆっくりと首を振った。
「たのみ…、ます」
武藤を見つめながら黒木が言った。どうせ助からないのであれば、武藤の手で楽にしてもらいたい。それが黒木の意志だった。
「わかった。あとの事は心配するな」
武藤はそう言って黒木を見つめた。黒木はすでに意識が無いのか、全身を痙攣させながら大きく息をしている。
武藤は立ち上がって拳銃を構えた。
黒木…。
武藤は大きく肩で息をしている黒木の額に拳銃の狙いをつけ、一気に引き金を引いた。
武藤は一気に階段を駆け上がって赤い城の三階へ向かった。途中には仲間たちが射殺したと思われる軍服を着た北鮮民国兵が無数に倒れていた。
「隊長は?…」
武藤が一人で来たのを見た黒木隊の佐伯1曹が聞いた。
「黒木は、死んだ」
武藤は佐伯を見つめて言った。ほかの隊員たちもぼうぜんと武藤を見つめている。
「隊長!」
佐伯が走り出して階下に行こうとしたのを武藤が強引に引きずり倒した。
「隊長を!。行かせてください!」
佐伯は必死に武藤の手を振りほどこうともがいた。その手を武藤隊F組の大吾3尉が押さえた。
「自分は、陸曹教育隊で黒木隊長や奥さんにかわいがられて!…」
「佐伯!」
武藤が佐伯の頬をこぶしで殴った。
「いいか、黒木は機関銃にやられて死んだんだ!。軍人らしくその事実を受け入れろ!」
武藤は佐伯の襟首をつかんで怒鳴った。
「それが黒木の運命で、やつの寿命だった。それだけのことだ!」
佐伯に怒鳴る武藤の目が光った。
「やつの…。黒木の願いで、とどめは…。介錯は、おれがやった」
武藤は佐伯の襟を離し、唇をかみしめて立ちすくんでいる仲間たちを見回した。
「く…。ううううう…」
床に転がったままの佐伯が押し殺したようにすすり泣きをしている。
「佐伯、最後の仕事にかかるぞ」
武藤は隊員たちを見たまま言った。その言葉に、隊員たちは金正冠が身を隠している部屋の前に向かった。
「国家主席の金正冠だな」
武藤は仲間たちによって引きずり出された男に北鮮民国語で聞いた。
何度もテレビで見たことのある北鮮民国の国家主席、金正冠とその家族三人が床に転がされていた。
金正冠の妻らしい女と、偽造パスポートを使って日本に違法入国を繰り返し、テレビニュースで何度か見たキムの長男の金徐冠、そして愛人との間に生まれたとされる三歳くらいの男の子だった。
部屋の中にはキムの護衛らしき兵隊や拳銃を持った私服の男たちが十人ほど血にまみれて転がっている。
「だ、だれだおまえは!」
金正冠は武藤たちを睨んで怒鳴った。
「わしの部屋に押し入るとはいい度胸だ。国家反逆罪で茂山(モサンの収容所)送りにしてやる!。覚悟しておくがいい!」
金は血走った目で薄笑いを浮かべた。
武藤が得意気の金正冠のわき腹を蹴った。金はうめき声を上げて転がった。痛みで額に脂汗が浮き出ている。
指揮官の黒木を金正冠の兵隊に殺された特圧隊の隊員たちは、射るような視線で金正冠を見据えている。武藤がいなかったらその場で金正冠をなぶり殺しにしそうな殺気だ。
「おまえに言われるまでも無い。重労働ならここに来る間にじゅうぶんにやってきた」
武藤は小さく笑った。
「それより、おまえを話のわかる将軍様と見込んで頼みがある」
武藤が言った。
「日本の、北海道から手を引け」
武藤は金正冠を睨んだ。
「おれは、同じことは二度と言わんが、おまえの腐った脳みそでも理解できるように、もう一度だけ言ってやる。そのつもりで返事をしろ。北海道に侵攻させた軍隊を即刻引き上げさせろ。さもないと、最初はおまえの女房。次はお前のバカ息子、そしてその子どもの順で死ぬ」
武藤は北鮮民国語で言った。
「き、きさまの言っていることの意味がわからん!」
金正冠は強い語気で言いながら床から立ち上がろうとした。
そのキムの足をそばにいた黒木の部下が蹴った。その勢いでバランスを失ったキムが派手な音を立てて転がった。キムの妻らしい女や長男の金徐冠が目をむいて武藤たちを見つめている。
「やれ」
武藤は金正冠を睨みすえたまま、仲間に言った。
「自分が…」
そう言って前に出たのは黒木の部下の佐伯だった。
佐伯はサイレンサーを装着した拳銃を構え、女に向けて引き金を引いた。
ブスッというこもった音がして、額を撃ち抜かれた女は目を開けたまま、後頭部から脳みそを床に撒き散らして死の世界に落ちた。穴の開いた女の額からかすかに煙が立ち上っている。佐伯は次に長男の金徐冠の額に狙いをつけた。
「やめろ!。卑劣なまねはよせ!」
金正冠が大声で叫んだ。
「卑劣なまねは、おまえの次におれたちの得意技だ」
武藤が言った。
「おれが言ったことの意味がなかなか理解できない将軍様らしいな。もう一度、五秒だけ考える時間をやる」
武藤の低い声が響いた。
佐伯に拳銃を向けられている長男の金徐冠は、恐怖のあまりに失禁していた。その腕に抱かれている男の子は、何が起こっているのか理解できない表情で涙を流しながらまわりを見回している。
「………」
金正冠は憎しみの目で武藤を睨んでいる。
「時間だ」
武藤の声と同時に佐伯が拳銃の引き金を引いた。火薬の煙の中に金正冠の長男、金徐冠が目をむいて死んでいた。
「キリストが、ゴルゴダの丘で磔にされたのを知っていよう」
武藤はそう言って金正冠を見据えた。
それを合図のように、部下たちが金正冠を立たせて壁に身体を押し付け、開かせた両足をロープで固定した。金正冠は小太りな全身を震わせていた。
「佐伯」
武藤はベルトから数本の手裏剣を抜いて佐伯に渡した。黒木が持っていた手裏剣だ。
佐伯はそれを受け取ると、壁に押し付けられている金正冠の左手のひらに力をこめて突き刺した。手裏剣は金正冠の手のひらを貫通して壁に深く突き刺さった。
「ギャーッ!」
金正冠が激しい悲鳴を上げた。佐伯はそれにかまわず金正冠の右手も手裏剣で壁に固定した。恐怖と痛みで白目が充血した金正冠は、全身を震わせながら何度も悲鳴を上げた。
「おまえがどんなアホウでも、考える時間はじゅうぶんに与えた」
両手を壁に手裏剣で固定されてもがいている金正冠に言った。
「拷問はお前の国の得意技だが、おれたちの拷問も一度味わってみるか」
武藤が言うと、それを聞いた大吾3尉がナイフで壁から引き剥がした木片を細く削り始めた。手裏剣で壁に貼り付けられた金正冠は、焦点の定まらない表情で佐伯と武藤を交互に見ている。
「口をあけろ」
D組の石岡2曹が、額を撃ち抜かれて死んでいる金徐冠の服の袖を引きちぎって金正冠の口に押し込んだ。
木片を爪楊枝ほどの細さに数本削った大吾はその木片を佐伯に手渡した。それを受け取った佐伯は金正冠の右手を掴み、人差し指の爪の間に削った木片を一気に差し込んだ。
「うう、ううううっ!」
布を口に押し込まれている金正冠は全身を痙攣させてこもった悲鳴をあげた。
佐伯はそれにかまわず、右手の中指にも木片を突き刺し、左手の人差し指と中指の爪の間にも同じように木片を突き刺した。
痛みに耐えきれず、金正冠は全身を痙攣させながら激しく失禁している。
「飯塚、こいつの子孫の可能性も絶て。ドブネズミは社会の毒だ」
武藤の言葉に、黒木隊の飯塚2曹が前に出た。
飯塚は、壁に押し付けられている金正冠のズボンのベルトをはずして下半身を露出させると、床に転がっている金徐冠の服を引きちぎった細いひもで、恐怖に縮みあがっている金正冠の睾丸の付け根をきつく縛った。
飯塚は、言葉にならない悲鳴を上げ続ける金正冠の睾丸に向けて拳銃を二発発射した。金正冠のふたつの睾丸は無残に砕け散った。激しい悲鳴が部屋に反響した。
「生きているからこそ、悲鳴も出せる。最後のチャンスをやる」
武藤が低い声で言いながら、金正冠の口に押し込まれていた布を引き出した。金は全身で大きく呼吸をしている。
「わ、わ、わかった!。な、なんでもする!。軍隊は即刻引き上げる。約束する。だ、だから、もうやめてくれ!。た、たのむ…。たのむ…」
金正冠は、涙とよだれを垂れ流しながら絞り出すような声で哀願した。
「今から一時間の猶予をやる。その間に撤退の指令を出せ。さもないと、どこへ隠れようとも、おれたちはもう一度来てお前とその子供を殺す」
武藤は金正冠をにらんで言った。
「その子によく教育しておけ。お前の後を継いで国家主席になっても、日本にだけは決して手を出すな、とな」
武藤は震えている金正冠をもう一度にらみすえた。
『こちら十四群団の寺島1佐だ。平穣城から二キロの地点に到着。十分前に偵察小隊を先遣として出発させた。状況を知らせ』
J組の案内で上陸した金沢の第十四普通科群団長からの無線が入った。
「武藤です。赤い城は制圧しました。ネズミを引き渡したのち、我々は引き上げます」
武藤が無線に答えた。
「佐伯。黒木をつれて、帰るぞ」
武藤は佐伯1曹の肩を叩いた。
「はい!」
佐伯は涙で充血した目で答えた。
「つらいだろうが、黒木の家族にはおまえが知らせて、いっしょに泣いてやってくれ」
武藤は先頭を歩きながら佐伯に言った。
「そうさせていただきたいと、自分も武藤3佐にお願いしようと思っていました」
佐伯は武藤と並んで歩きながら答えた。
「うむ。たのむ…」
黒木の遺体を収容し、赤い城の玄関を出たところに第十四普通科群団の先遣隊が武藤たちに駆け寄ってきた。
「武藤3佐。十四群団の偵察小隊、松原3尉です。任務を引き継ぎいたします」
顔にドウランで迷彩をした指揮官らしい隊員が武藤に敬礼をした。
「ネズミは瀕死の重傷だ。生きたまま解剖したいのなら、死なない程度の手当てをしてやってくれ」
武藤は敬礼を返しながら言った。
「承知しました。こちらは…」
松原は、毛布に包まれて運ばれている黒木の遺体を見て聞いた。
「ネズミを退治した、勇敢な猫だ」
武藤は黒木の遺体を見つめながら言った。
「………」
松原は言葉に詰まって武藤を見た。そして松原は不動の姿勢になった。
「気をつけ!。英雄に、敬礼!」
松原の声に、先遣隊の隊員たちは黒木の遺体に挙手の敬礼をした。
十二月二十日午前四時。
北鮮民国の平穣城は、石川県の第十四普通科群団と広島の第四十七普通科群団の一部により完全に制圧された。ほかの都市や主要な軍事施設も第四十六普通科群団と第四十七普通科群団により制圧された。
平穣城制圧の連絡が日本に発せられ、山岡総理の命令により、日本海の日・鮮国境ラインに海上自衛隊の艦船で待機していた広島の第十三旅団・七千名が、北鮮民国への進攻を開始した。
十二月二十日早朝。事実上、北鮮民国は日本の自衛隊に制圧され、その国家としての機能を失ったのである。
十二月十九日の未明
北海道共和国国防大臣の矢沢明彦が指揮する函館の第二十八普通科群団と、第七旅団と共に函館一帯を警備していた第十一旅団の各部隊は、警備を第七旅団に任せ、主要装備を整えて函館を出発した。向かうは北鮮民国軍が上陸した留萌地区だ。
倶知安の第二十八普通科群団第四中隊と対戦車隊。札幌の第十八普通科群団と武器、輸送、衛生、補給などの後方支援群団、特科群団、戦車大隊、高射特科大隊、通信大隊、偵察隊、丘珠の第十一飛行隊。滝川市の第十普通科群団などの第十一旅団主力はすでに出発している。
そのほか、北恵庭の第一戦車群、第七十一戦車群団の九〇式戦車八十七両が留萌に向けて前進を開始した。
待機即動部隊として北千歳の第一特科団や、エア・ドラゴンと呼ばれる最新の対戦車ヘリコプターを擁する旭川の第二対戦車ヘリコプター隊も出動態勢を整えている。
留萌には高杉が所属する公安特務課のツル、モズ、ハトの三人が潜入している。その気になれば三人でもじゅうぶんに上陸した北鮮民国軍を殲滅できるが、山岡総理はあえて三人に手を出させないことを決めた。
北鮮民国軍を叩くのは自衛隊に任せる。実戦に慣れていない自衛隊にとっては、これから先の良い経験となる。
「村上1佐、矢沢だ。応答しろ」
第十一飛行隊のUH・80Aで留萌地区へ向かっていた北海道共和国国防大臣の矢沢明彦は、暑寒別岳付近で第二十五普通科群団長の村上1佐を呼び出した。
ヘリは北鮮民国軍の携帯ミサイルに狙われないように低空で山岳地帯を飛行している。矢沢のとなりには総監副官の西田3佐が座っている。
留萌の第二十六普通科群団が北鮮民国のゲリラに全滅させられ、北鮮民国が上陸する可能性があるとの情報が入ったとき、名寄の第三普通科群団の混成部隊を配備させたが、その混成部隊も上陸した北鮮民国軍によって壊滅状態にされた。残った第三普通科群団の混成部隊はすでに二十五群団長の指揮下に入り、態勢を立て直している。
『村上です』
二十五群団長の村上1佐が応答した。
「現在地を知らせ」
矢沢は雪の暑寒別岳を見ながら言った。
『主力の現在地は、北緯43度52分、東経141度44分、藤山跨線場の南、約三百メートルの林の中です』
村上が答えた。
「滝野1佐はどうした」
『滝野1佐は重傷ですが、命に別状はありません。三科長の小泉3佐、一科長の吉田3佐、二科長の上島3佐をはじめ、隊員は三百二十名あまりが死亡。重軽傷多数。戦車は十両が破壊されました』
村上の言葉に、矢沢が目を閉じた。
「そうか…。それで、敵の様子はどうだ」
矢沢は低い声で聞いた。
『我が方の攻撃で半数近くは撃破しましたが、敵の携帯ミサイルの数と暗視双眼鏡の装備の差で…』
村上1佐の声も低くなった。
『それにくわえまして、本日〇四三〇ころ、北鮮民国軍の三派と四派が上陸したと思われます』
無線の村上1佐が言った。
「わかった…。殉職した者たちは気の毒なことをした。だが、悲しんではいられん」
矢沢はそう言って目を閉じた。
「十一旅団の主力と、第一戦車群、七十一戦車群団の八十七両の九〇(九〇式戦車)が三時間後には到着する。わたしはあと十分後に着陸だ。細部指示はその時に出す」
無線マイクを戻した矢沢は腕を組んだ。
「きみや、きみの仲間はいっさい手を出さないのだな?」
ヘリのエンジンとローター音のなかで、矢沢は腕を組んだまま横に座っている高杉に聞いた。
「司令が直接部隊の指揮を執られる限りは、おそらく私どもの出る幕はないものと思います。わたしは戦況を自分の目で確認した後、札幌へ向かいます」
「札幌へ?」
矢沢は目を開けて高杉の横顔を見た。
「吉野知事と…」
高杉はポケットからタバコを取り出して火をつけた。
「北海道の将来のためには、吉野知事と直接話をする必要があります」
高杉は前を見たまま言った。
「…。もしも吉野首相との話し合いがもの別れに終わったときはどうする?。首相を殺すつもりか?」
矢沢は無表情でタバコの煙を吐いている高杉をにらんだ。
「仮にも独立宣言をしている一国の首相を殺したりはしません。山岡総理と相談の上、また別の方法を考えるだけです」
高杉は言った。
「支障がなければ教えてくれ。きみの任務はなんだ?」
矢沢は言った。
「北海道独立の火を消すことです」
高杉はタバコを吸いながら言った。
「こんな事態になっていても、やはり日本政府は北海道の独立を実力で阻もうとしているのだな」
矢沢は腕を組んだままため息をついた。
「最終的には司令が言われるように、日本国を挙げて独立を阻む行動に出るでしょうが、今は北海道を北鮮民国から守るのが至上です。政府もそれに向けてあらゆる手段を講じています」
「だが、きみたちは我々の支援はしない。なぜだ?」
矢沢は言った。その目は鋭く高杉の横顔を見つめていた。
「総理は、自衛隊の真の力を見たいと言っています」
「………」
「独立が成就するもしないも、それはともかく、現在の自衛隊が外部から侵入した敵と実戦であいまみえるということはありませんでした。今回の北鮮民国の侵略対処は、自衛隊にとって創設以来初めてのことです」
「試されている、ということか…」
矢沢はまたため息をついた。
「きみたちが、いま上陸している北鮮民国軍を相手にしたとして、絶対に勝てるか?」
矢沢がするどい目で高杉を見つめた。
「いま留萌には三人の仲間がおりますが、わたしを加えて四人。相手は武装した千五百人程度…」
高杉は短くなった煙草を吸った。
「たぶん、二時間ほどあれば…」
高杉は少し考えるように言った。
「………」
矢沢は腕を組んだまま高杉を見た。高杉は吸っていたタバコを靴の裏でもみ消すと、その吸殻をポケットに入れた。
三人の仲間と自分を加えた、たった四人で千五百人の北鮮民国軍を二時間でどうにかできると平然と言ってのけるこの男。淡々とした言葉しか口に出さないだけに、それがかえって否定できないような重みがある。
矢沢が知る限り、公安特務課は鋼鉄のカーテンに閉ざされている組織だ。その実態はまったく知られていない。
自衛隊の裏の情報組織として知られている陸幕二部でさえも、その姿の一部でも掴むことができないのが現状だ。歴代の総理大臣はその実態を墓の中まで持ってゆくと聞く。
公安特務課は歴代総理大臣の切り札として暗躍していて、もしもその実態を総理大臣が公にすれば、生きている情報は総理大臣の耳に入ってこなくなる。
外務省や自衛隊の情報、あるいはアメリカ軍の情報などは、確認にまた確認を重ねるため、総理大臣の耳に届くまでかなりの時間がかかるが、公安特務課は総理大臣と直結なだけに正確な情報がいち早く耳に飛び込むのだ。
情報収集の能力が優れているばかりではない。自衛隊の二個旅団・一万五千を配備した函館地区の中枢を、たった一人か二人の公安特務課に奪われてしまった。そのことを考えても、彼らの戦闘能力は常人では考えられないものだと容易に想像は付く。
松前半島の白神や豊浜、恵山、長万部の基地を壊滅させたのも、おそらくはこの男たちの仕業だ。だとすれば、一個中隊や二個中隊の自衛隊などは、この男にとっては子どもを相手にするようなものだろう。
その気になれば、たった一人でも一個大隊や一個群団の武装した軍隊を相手に出来るということだ。
もしも北鮮民国の上陸が無ければ、この男と三人の仲間が、北海道の三万五千の自衛隊を殲滅する行動に移っていたというのか。
何を考えているのか、窓から外を見ている高杉を見つめながら、矢沢は大きくため息をついた。
「二空群の堤司令につなげ」
矢沢はヘリの無線手に命じた。
「お待ちください」
無線手が周波数を合わせて千歳の第二航空群を呼び出している。
「堤司令が出られました」
無線手がハンドマイクを矢沢に渡した。
『矢沢司令、堤です』
ハンドマイクのスピーカーから二空群司令の堤空将の声が流れてきた。
「堤司令、矢沢だ。緊急命令を伝える」
矢沢は窓の外を見ている高杉の横顔を見ながら言った。
「沼田と奥尻のレーダーで確認して、留萌沖に停泊していると思われる北鮮民国の船舶を直ちに攻撃、撃破せよ。護衛艦らしき三隻は、戦車砲と対戦車隊のミサイルで撃破したと報告が入っているが、五キロほど沖にまだ輸送船が二隻いる。おそらくは、滝野1佐の部隊に攻撃を加えた対戦車ヘリも搭載しているはずだ。我が国の領海を侵犯している船だ。遠慮はいらん」
矢沢は強い口調で言った。
『わかりました。直ちに攻撃機を発進いたします!』
堤の返事を確認した矢沢はハンドマイクを無線手に返した。
「予定地区です」
パイロットが前を見たまま矢沢に言った。
ヘリは山間の低空で前を大きく上げて速度を落とすと、地上の誘導に従って着陸した。この地区で北鮮民国軍と対峙している第二十五普通科群団の村上1佐がジープで迎えに来ている。
矢沢と高杉を乗せたヘリが着陸してまもなく、かん高い金属音を残して、千歳から発進した三機のF・32戦闘機が低空で飛来し、沖に停泊している北鮮民国の船舶を撃沈すべく日本海に向けて飛行して行った。
遠くで聞こえる何度もの爆発音を聞きながら、矢沢と高杉は迎えのジープに乗り込んだ。
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