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白い夜
作:凪沙 峻



第22話 破壊工作


二二 破壊工作

十二月十七日深夜
習志野空挺団の武藤博史とテロ特別鎮圧隊の黒木真吾が率いる北鮮民国潜入部隊は、中国との国境に近い恵山に着いていた。
 ここは食料や軍事物資を中国から輸入するため北鮮民国が頼りとする中国との接触点のひとつだ。
 北鮮民国と中国との接触点は、この恵山のほかに中部の満浦と西部にある新義州の二箇所だ。この恵山を含めて満浦と新義州の三箇所を押さえれば北鮮民国を完全に孤立させることができる。
長箭軍港と庫底の空港はすでにつぶしてある。
 武藤たちが長箭と庫底をつぶした時点で第十三旅団の広島から第四十六、四十七普通科群団。石川県の第十四普通科群団の合わせて約二千名が長箭港から上陸して、今から叩く予定の恵山、満浦、新義州に部隊を配置し、事実上北鮮民国を一時制圧する手はずになっている。
 すでに三個群団は舞鶴港を出発しているはずだった。
武藤たちは小高い丘の上から北鮮民国軍の恵山キャンプを見下ろしていた。
つい先ほど、丘の上の警戒歩哨陣地を制圧したばかりだった。間髪をおかずにキャンプを制圧しなければならない。時間を空ければ定時連絡が途切れたことを北鮮民国軍に悟られることになる。
「前進開始」
武藤は喉もとの振動マイクに言った。喉の筋肉の動きを音声に変えるマイクだ。
『了解』
K組の黒木が答えた。
アメリカの偵察衛星によると、恵山キャンプには北鮮民国軍の二個群団三千人と、中国との国境警備のための一個機甲群団の八百人が配備されている。満浦と新義州もほぼ同じ配備だ。
 機甲群団は中国製の八九式戦車が百両と七六式装甲車が三十両の編成だが、核開発の膨大な費用がかかっているのと、中国からの石油が大幅に削減され、燃料不足から、二〇〇六年七月のミサイル発射以来、実戦的な訓練などはしばらくやっていないというのもアメリカの偵察衛星の情報だった。
武藤が指揮する習志野空挺団と黒木が指揮するテロ特圧隊は、身体が埋まるほどに積もっている雪の中を眼下のキャンプに向けて進んでいた。午前一時を過ぎたところだ。この時間は兵士たちも眠り込んでいる時間帯だ。
「作戦開始」
武藤はマイクに言った。雪の中を進んでいた隊員たちの動作が機敏になった。白い猫のような身のこなしで兵舎や戦車の格納庫に向かってゆく。武藤は周りの警戒についた。黒木も仲間たちも援護のための警戒をしているはずだった。
隊員たちには、無線機などの通信装置の徹底破壊と、目についた北鮮民国の兵士は全員殺せと命じてある。
 戦車や装甲車、航空機などは電子部などの心臓部の破壊と燃料タンクに穴を開けて動けなくするだけでじゅうぶんだった。燃料パイプや搭載している武器の一部を破壊すれば、燃料不足と鉄鋼不足で物資もろくに支給されない北鮮民国軍にとっては、動かない戦車や飛べない飛行機などはただのガラクタ同然となる。

兵舎の中では、武藤や黒木の部下たちが、足音を立てない猫のように次々と北鮮民国の兵士を殺していた。
 武藤たちが持っている武器は拳銃とナイフだけだ。
 日本の自衛隊だという証拠はいっさい残さない。それが総理の命令だと聞いている。だから武藤たちが着ている服もメーカーなどの刺繍や印刷などは入っていないし、拳銃やナイフは北鮮民国軍が使用していのと同じロシア製のものだ。
 総理や防衛大臣の命令には無いが、万が一北鮮民国に捕えられた時はその場で自害すると隊員全員が心に決めている。
隊員たちは気配を消し、空気さえも動かさず呼吸は十秒に一度。無駄な動きは極力抑えて行動している。
 漂いをとめた空気の中で、習志野空挺団のレンジャー隊員とテロ特別鎮圧隊の隊員たちが、正確な機械のように北鮮民国の兵士たちを物言わぬ骸としてゆく。警戒をしている武藤にもその様子がピンと冷えた空気を伝わってくる。
『A組終了』
A組から任務終了の連絡が入った。
「最後の組が終わりしだい破壊工作に移る」
武藤が言った。
『B組終了』
『C組終了』
次々と連絡が来る。
『Kの全組、任務終了』
黒木から連絡がきた。開始から十八分だ。
「車両の破壊作戦に移れ」
武藤の無線を合図に、隊員たちは戦車や装甲車がある格納庫やモータープールへと移動していった。
『武藤3佐、こちら海自の池田2佐。二十分後に長箭港にはいる』
日本との連絡用として携帯している無線機から、舞鶴から出港した海上自衛隊からの連絡が入った。
「了。部下が港から青ライトで合図を出す。誘導に従ってもらいたい」
武藤は言った。
長箭港には武藤のJ組の二十人が残っている。彼らが上陸する普通科三個群団を誘導して、この恵山、満浦、新義州へと前進する手はずになっている。


十二月十八日深夜。武藤と黒木の部隊は、恵山から百二十キロ離れた満浦から十キロほど手前にいた。前浦も北鮮民国が中国との接触点としている場所だ。恵山と同じく二個群団と一個機甲群団が常設のキャンプを張っている。
『Fだ。何かの施設を発見』
F組の無線が武藤に入った。
武藤は全組にその場で待機するよう命じて、雪の中をF組の方へと進んだ。雪の中にF組組長の大吾3尉が伏せている。武藤は大吾のとなりに身体を伏せた。
「あれです」
大吾が眼下を指差した。二階建ての兵舎と思われる建物が五棟と何かを格納しているらしい巨大な格納庫が二棟。二十メートルはあるトレーラーが十台。高さ十メートルほどの工場の煙突のようなものが五本。ほかに軍用トラックが数十台あった。
「我々の地図や衛星写真にはない施設です」
大吾が小声で言った。
 施設や煙突のまわりは、このあたりにしては似つかないような背の高い針葉樹が繁っていて、大きく張り出した枝が施設を覆い隠す格好になっていた。赤外線を吸収してしまう性能がある偽装網が何重にも張り巡らされていた。
 そうまでして上空から隠蔽するほど重要な施設。武藤の頭に浮かんだものはただひとつだった。
「………」
武藤は雪の中に浮かぶ施設を見つめていたが、やがて大吾と少し後ろへ下がった。
「全員に告ぐ」
武藤は振動マイクに言った。
「ここは地図にもないが、おそらくはミサイルの発射施設と思われる」
武藤は大吾と顔を見合わせながら言った。
「満浦の前にこの施設を叩く。Kは、全組の中からミサイル施設に詳しい者を数人選定しておれのもとへ差し出せ。残った者はKの指揮で人員と車両を叩け。一分後に作戦を開始する」
武藤は早口で全員に命じた。
『K、了解』
黒木の返答が入ってきた。
一分後、武藤たちは雪の中を施設目指して前進を開始した。施設や建物の周りには銃を持った歩哨が間断なく歩き回っている。明らかに重要施設だ。それも格納庫の大きさからみて中距離ミサイルの発射施設に違いなかった。
 各組は高さ五メートルほどの壁を猫のような身のこなしで登り、シュートナイフで警備の歩哨を倒して前進してゆく。
 武藤は、黒木が選抜した八人のグループとミサイルが格納されていると思われる格納庫の入り口に向かった。
 格納庫の入り口でE組の定岡曹長が両手の指を付ける動作のあと、両手でバツ印を出した。警報装置があるらしい。
 定岡はしばらくドアに触れて警報装置の具合を調べていた。
 巧みに警報装置を解除し、ポケットから先が鈎型になったピッキングの道具を取り出すとドアの隙間から差し込んだ。何度かピッキングををくり返していたが、解除できたらしく武藤に指で丸を作ってみせた。
武藤は雪明りの中で自分も手で丸を作ると、その手を前に振り下ろした。それを合図のように八人の隊員たちは高さ三メートルほどの分厚い鉄のドアを静かに開け、格納庫の中に侵入していった。
 暗い格納庫の中には、陸幕の資料映像で見たことのある北鮮民国の中距離ミサイルのテポドンが十基、三十度ほどの角度で油圧式のタワーに固定されていた。黒い巨体が不気味に天に向いている。
 武藤以下八人の隊員は、気配を消したまま格納庫の隅にそれぞれ身を隠した。格納庫の隅のほうにボーッとした明かりが見える。
「小林、三田!」
武藤はR組の小林2曹とP組の三田2曹に明かりの処置を命じた。
 おそらくは格納庫の中に常駐している技術者と警備の兵士がいるのだろう。
 小林と三田による警備の兵士たちの処置が終わったのか、まもなく明かりが消えた。
「定岡、建物の電源を落とせ」
武藤が定岡に命じた。
 武藤の隣にいた定岡が格納庫の闇に消えた。数十秒後に建物の中の明かりがいっせいに消えた。
『完了』
まもなく定岡の連絡が入った。
「かかれ」
武藤がマイクで言うと、闇の中に潜んでいた隊員たちがいっせいに動き出した。
 テポドンの燃料を片っ端から拭いているのか、強烈な匂いがする。
 燃料を抜くだけではなく、発射準備のため電気を通した瞬間にミサイルが爆発するように細工する手はずになっている。ひと月やふた月では修復不能なはずだ。金正冠のあわてる顔が目に浮かぶ。
『Kだ。百二十五人と車両、完了した』
黒木から任務完了の報告が来た。百二十五人の兵士を片付けたらしい。
「了。元の場所で待て」
武藤は振動マイクでそう言った。

三時間後、地図にも載っていない北鮮民国のミサイル発射施設を破壊した武藤たちは、満浦の北鮮民国キャンプに潜入し、二個機甲群団の北鮮民国兵と百五十台あまりの戦車や装甲車を沈黙させた。
 武藤たちの次の目標は、金正冠がいる平穣城だ。



「………」
「………」
 函館ヒルトンホテルの最上階の特別室は長い沈黙が支配していた。
 北海道共和国国防大臣の矢沢明彦はソファーに座ったまま腕を組んでいる。高杉晋也は石油節減のために極端に灯りが少なくなった函館の夜景を見つめていた。
「きみは…」
 矢沢が窓際に立っている高杉の後ろ姿を見て言った。
「きみの組織は陸幕か。それとも内調か…」
 その言葉を高杉は背中で聞いていた。
「公安特務課です」
 高杉は暗い窓ガラスに映っている矢沢に答えた。
 個人としての会話では、年上の矢沢に対する職責と功績に対して敬語を使わなければならない。
 高杉はポケットからタバコを取り出してライターで火を付けた。そのしぐさを矢沢は見つめていた。
「もしも、わたしがきみの説得に応じなければ、その場でわたしを殺せと総理に命令されているのか」
「そう命ぜられています。しかし説得するのはわたしではありません。山岡総理です」
 高杉はそう言って矢沢を振り返った。
「総理と直接話をしてみますか。それとも、ここで死ぬのを選びますか」
 高杉は矢沢を見つめた。
「………」
 矢沢は無言で高杉を見つめた。
 この高杉という男、武器など持たなくとも人を殺すことくらいは簡単にできよう。へたな脅しや強がりを見せない男ほど、秘めた強さや冷静さに隙はないものだ。
「個人として、総理と話をしてみよう」
矢沢はひとつため息をついて言った。
 この男の手で殺されるのであれば、それはやむをえない。
 公安特務課に属する人間は、肉体的にも精神的にも限界まで鍛え上げられ、そのひとりひとりが人間凶器のようなものだと聞いている。白神や豊浜で自衛隊が完全に沈黙させられたのも、おそらくはこの男の仕事だろう。函館の重要拠点も奪われている。
 矢沢にとって死ぬことへの恐れはない。それは北海道が独立を宣言したときから覚悟はできていた。
 だが、北海道を北鮮民国に奪われたまま死んだとあっては、北海道共和国の国防大臣としての名誉にかかわる失態だ。
 高杉は矢沢の向かいのソファーに腰をおろした。
「総理と無線をつなぎます」
 高杉は、上着の内ポケットから山岡総理直通の無線機を取り出してスイッチを入れた。
「カラスです。矢沢総監がわたしの目の前にいます」
 高杉は矢沢を見つめたまま無線のマイクに言った。
『代わってくれ』
 山岡が言った。
 高杉は無線機のマイクを矢沢に差し出した。
 矢沢は組んでいた腕を解き、右手で高杉が差し出したマイクを受け取った。そのとき、高杉が指の間に仕込んでいた小さな虫ピンが矢沢の手のひらを刺した。タバコのフィルターの中に隠していたものだ。
「ん!…」
 矢沢は一瞬顔をしかめて高杉を見つめた。
『矢沢くん、総理大臣の山岡だ』
 無線機のスピーカーから山岡の声が聞こえた。
「矢沢総監、山岡総理です」
 高杉は、一瞬あっけにとられた表情の矢沢に言った。
『矢沢くん』
 スピーカーから山岡が呼びかけた。
「総理…」
 矢沢はため息をついて答えた。
『この無線を使っているということは、わしの名代を務める高杉の話は聞いたものと理解する』
 山岡は低い声で言った。
「………」
『矢沢くん、北鮮民国軍が北海道の東に上陸していることは知っておるだろう。すぐにきみ自身が指揮して留萌へ向かわんと、今の勢力だけでは北鮮民国軍には勝てん。吉野知事も良く知っているはずだ』
山岡の声が流れた。
「総理。私は北海道共和国の国防を預かる身です。日本国の総理と我が国の防衛に関する話をする立場にはありません」
『高杉!』
 スピーカーから山岡の大声が聞こえた。
 矢沢を吉野の催眠から覚ますのは失敗した。ならば次に進むことを意味する。
 高杉はすっと立ち上がった。
「待て!」
 矢沢は高杉を左手で制した。虫ピンが刺さった指から血がにじんでいる。
「国防大臣として、北海道を守る任務だけは全力で遂行いたします。それがわたしの任務です」
 矢沢は高杉を見つめたまま無線の山岡に言った。
「吉野首相との一時休戦協議は、総理にお任せします」
 矢沢はそう言いながら高杉を見上げた。
『よし、わかった。すぐに吉野知事と連絡を取る。たのむぞ矢沢くん!』
 それを最後に山岡の無線は切れた。矢沢は無線機のマイクを高杉に返した。
「手を貸してもらえるか」
 矢沢は高杉に言った。
「ええ…」
 高杉は差し出された矢沢の握手に応じた。
 矢沢は机の上の小さなボタンを押した。すぐに警備責任者の剣持2佐が入ってきた。
「剣持2佐、命令を与える!」
 矢沢は鋭く剣持2佐を見据えた。
「我が北海道共和国と日本国は、本日未明をもって一時休戦状態にはいる。今頃は吉野首相と日本国の山岡総理が会談に入っているはずだ」
 矢沢は剣持に言った。
「はっ!」
 剣持は不動の姿勢で矢沢に答えた。
「函館地区は、この指揮所に豊倉将補を長とし、休戦監視団として信頼できる十名の連絡員を残す。剣持2佐以下、二十八群団は全隊員および全装備で留萌地区へ前進。上陸した北鮮民国軍、または上陸をもくろむ北鮮民国軍を殲滅する。群団長の若野1佐は早急に本隊へ復帰させる」
 矢沢はそう言って高杉を見た。
 第五普通科群団に身柄を拘束されている第二十八普通科群団長の若野1佐を、指揮官として復帰させたいという矢沢の意図を悟った高杉は、山岡総理に通じる無線機のスイッチを入れた。
「函館地区に展開している第七旅団は、現体制のまま津軽海峡の監視を続行。第十一旅団の全部隊・全装備を留萌地区に前進させる!。荒木旅団長が留萌到着まで、当面の指揮はわたしがとる。ヘリを準備してくれ」
 矢沢は剣持に命じた。
「わかりました。準備が出来しだい出発いたします!」
 剣持は矢沢に敬礼すると、駆け出すようにドアを開けて出て行った。
 無線機での矢沢と山岡の話し合いから三十分後、山岡総理と吉野知事との間で北海道と本州の一時休戦協定が結ばれた。
 矢沢の報告のもと、吉野から矢沢に対する正式な防衛出動の命令が出された。
 札幌、滝川、倶知安、函館に駐屯する第十一旅団の全部隊は、対本州の警備を解除し、その全勢力は北鮮民国が上陸した北海道の西にある留萌へ向けられることになった。
「………」
 高杉は、電話で迅速に各部隊に命令を下す矢沢を見つめていた。
「なんだ?。わたしの顔に何か付いているのか」
 矢沢は、自分を見つめている高杉に言った。
「正気に戻ったと判断しても、よろしいのかと…」
高杉は矢沢に聞いた。
「正気にだと?。わたしが狂っているとでも言うのか。わたしは元々正気だ」
矢沢は迷彩の戦闘服に着替えながら高杉をにらんだ。
「わたしは今でも、北海道共和国の防衛を預かる国防大臣だ。いたって正気のな…」
 矢沢は高杉をにらみながら防寒戦闘靴を履いている。
 高杉はその矢沢を見ながら煙草に火をつけた。
 

十二月十八日午後十時二十分。
 武藤3佐と黒木1尉が指揮するレンジャー部隊とテロ特別鎮圧部隊は、地図にも載っていない中距離ミサイルの発射基地と満浦の北鮮民国キャンプを全滅させ、金正冠がいる平穣城に二キロ地点まで前進していた。日本でいうエゾ松と葉の落ちた白樺が生い茂るなかに二メートル近い雪が積もっている。
 北海道にどの程度の北鮮民国軍が上陸して自衛隊とどんな戦いを繰り広げているのか、武藤にはわからない。
 国家予算のほとんどを軍事に当てている北鮮民国はその軍隊も強力だ。
 兵隊たちは金正冠のためならば命も簡単に捨てる。爆弾を抱いたまま敵地に突撃するなどは当たり前で、そうして死ぬことが名誉であり、偉大な指導者の金正冠への忠誠と、それが自分や家族のためだと信じきっているし、子供のころからそう教育されている。
 天皇陛下のため。天皇陛下の皇軍。特攻精神などと教えられていた太平洋戦争当時の日本軍の精神をそのまま真似ていると言ってよい。
 そんな厄介な軍隊を相手に日本の自衛隊がどこまで戦えるか。いかに北鮮民国よりも近代兵器を持つ自衛隊といえども、みずから爆弾を抱えて敵の陣地に飛び込む隊員がいるかどうか、それは疑問だ。
 自分はいまさら天皇陛下のためと言うつもりはない。
 はっきり言えば自分や家族の生活のために自衛隊に入隊した。しかし、北鮮民国、中国、ロシアを仮想敵国として自衛隊最強の訓練を受けてきた者として、家族を守るためならば死ねる。そう思い続けてきた。
 日本国内で活動していたときには、家族のためならばともかく、国家のために死ぬという思いはなかった。
 だが、こうして今、総理大臣の命令を受けて北鮮民国の地に足を踏み入れ、闇に紛れて破壊工作をしている。相手は武器を持たない日本人ではなく、訓練で空包を使う同じ自衛隊でもない。
 相手は将軍様に心酔する洗脳教育を受けた北鮮民国軍だ。少しでも金正冠を批判でもしようものなら、女や子供の見境なく射殺する冷酷非情な国の軍隊を相手にしている。
 もしもこの地で死ぬとすれば、もはや家族のためという本音ではなくなる。日本という国と、日の丸という国旗を永劫にはためかせるため、国家のために死ぬという看板を背負うのだ。
武藤は無線機の出力を最小に絞った。半径五百メートル以内でしか傍受できないほどの出力だ。北鮮民国の能力では解読不明なデジタル無線だが、感知されればたとえ解読不明でも相手は警戒する。
「全員聞け」
 武藤は喉の筋肉とくちびるだけを動かした。
「いよいよ我々の死に場所へ来た。おれの部隊と、黒木の特圧隊諸君の中に、万が一にでも生きて日本へ帰りたいと思っている者は、さっさと休暇願を書いて持って来い。おれが最も敬愛するキム・ジョンホン将軍様に許可をもらってやる」
 そう言った武藤のイャホーンに数人の笑いが聞こえてきた。
「ネズミは巣にいる」
 武藤は言った。
 ネズミとは金正冠のことだ。
 在日米軍司令部のサミエル・ブラッドリー将軍から、在南鮮民国米軍のジミー・トーマス中佐を通じて無線が入っていた。偵察衛星で金正冠の監視を続けている米国防総省からの情報だった。
 金正冠がいる平穣城の赤い城は、北鮮民国の中枢中の中枢だ。政治、軍事、経済のすべてを赤い城が操っていると言ってよい。
 北海道を占領するために軍隊を上陸させ、その結果を今か今かと待ち侘びているはずの金正冠は、間違いなく赤い城に詰めている。
 西側のスパイやアメリカの偵察衛星で行動を四六時中監視されていることも承知のはずだが、影武者と入れ替わったという情報はない。
 偵察衛星で一度ロックされたら、三十人はいるとされる影武者と入れ替わることは不可能だ。そして主要なキャンプが何者かによって次々と全滅させられたという情報も耳に入っているだろう。赤い城の警戒も今までになく厳重になっているはずだ。
「ネズミの喉もとに喰らい付く野良猫の恐ろしさを、いっそのこと殺してくれと泣いて許しを請うほど味あわせてやれ」
 武藤は笑いを浮かべて言った。
「それと…」
 武藤言った。
「万が一、黒木とおれのふたりに何かがあった場合、その時は遠慮することはない。次級者が指揮官となって絶対にキムを探し出して殺せ。そして北鮮民国国内の徹底破壊工作に移れ。世界地図からこの国を消してもかまわん。ただし、これは命令にはないことで、黒木とおれの遺言だと理解しろ。行動開始まで一時間だ。縁があって、特圧隊の諸君とこのような任務を共有できて光栄に思う」
 武藤はそう言うと、出力を通常にして無線を閉じた。



この小説はフィクションであり、登場人物や組織名などは実際に存在しません。






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