第21話 矢沢司令の憂鬱
二一 矢沢司令の憂鬱
武藤博史と黒木真吾が率いる四百人の自衛隊員は、十二月十六日の未明、北鮮民国の長箭軍港の近くまで潜入した。
各組は、武藤が指揮するAからJまでの十組。黒木が指揮するKからTまでのそれぞれ十個組だ。
長箭港は軍事境界線から二十キロほどの拠点とあり、途中で何度も北鮮民国軍の見張りや歩哨と遭遇したが、ゲリラ戦法によって見張りや歩哨を物言わぬ死体にして前進してきたのだった。
武藤たちが持っている武器は拳銃と数本のナイフだけだ。必要なときは倒した相手の武器を使えばよい。拳銃だろうと小銃だろうと、武器には敵と味方の区別はない。それを手にした者の味方となる。
色々な兵法があるが、正面きって戦うよりもゲリラ戦法のほうが一番効率的に敵を倒せるし、味方の被害も少ない。相手にとって敵がどこから出てくるかわからないというのは心理的な恐怖を植え付ける。そしてそこに隙ができるのだ。
大国のアメリカもベトナム戦争でベトコンから手痛い目にあった教訓から、特殊部隊の訓練ではゲリラ戦法に一番力を入れている。
目の前に雪が積もった長箭港がみえる。一応は除雪してある。港には照明を落とした軍艦が五隻停泊していた。
北海道に向かったという北鮮民国軍はどうなったのかと気になったが、総理大臣直轄の公安特務課の工作員が北海道に潜入していると聞いた。その実力がどの程度のものかは知らないが、総理大臣の直轄ならば、任務を任せてじゅうぶんな力を持っているはずだ。
「K」
武藤が喉もとのデジタル無線のマイクを喉に押し付けてつぶやいた。ささやくような小声でも通じる振動マイクだ。
『Kです』
黒木が答えた。
「A組は停泊している船をたたく。K組は建物をやれ。三分後に殲滅作戦開始」
『了』
黒木が答えた。
無線は組チャンネルで全員が聞いている。その時間になれば黙っていても各組は行動に移る。
武藤はチラッと時計を見た。まもなく時間だ。
武藤はボサに積もった雪の中を前進し始めた。隊員それぞれは自分の進みやすい場所を選定して前進している。
さすがに鍛え抜かれた隊員たちばかりとあって、すぐ近くにいるはずだが、武藤にさえもその気配を感じさせない。
ボサの切れ目に、北鮮民国人民軍の戦闘服を着た歩哨がふたり立っているのが空際線に見える。距離は二十メートルほどだ。
C1左、D3右。二、一、ゴー!
イヤホーンからC1の声が聞こえた。二手から飛んだ細いナイフが歩哨の喉もとに突き刺さった。歩哨は声を出せずに崩れ落ちた。
ナイフなどの飛び道具で隠密に相手を倒すのは喉もとが一番だ。ほかの場所だと声を出される恐れがあるが、喉なら器官を破壊されて声が出ないからだ。
武藤たちは何事もなかったかのように低い姿勢で前進を続けた。
「Aだ。開始せよ!」
武藤が無線で全員に指示した。
申しわけ程度についている薄暗い数本の電柱の灯の下を、仲間たちが猫のような身のこなしで停泊している船舶に走りよってゆく。指揮官の武藤はその様子を見ながら周りを警戒していた。
照明を落とした軍艦の中で仲間たちが静かな戦闘を繰り広げている。
武藤の鍛えた夜目に、建物のほうからふたりの歩哨が歩いてくるのが見えた。
武藤は身を伏せて岸壁の外に両手でぶら下がって隠れた。打ち寄せる冷たい海水が武藤の両足を洗った。
歩哨たちは建物や船の中で繰り広げられている暗く静かな戦いに気づいている様子もなく、新高山の農村から拉致してきた女と一晩中やりまくったことをお互いに自慢しあっている。
武藤は右手の人差し指の両側に、親指と中指で二本のナイフをはさんだ。
呼吸を整えて右手を鋭く振った。武藤の手から放たれた二本のナイフはふたりの歩哨の喉に突き刺さった。武藤は素早く岸壁に飛び上がると、倒れている歩哨の喉からナイフを抜いた。ひとりは頚動脈まで達したのか、激しく血しぶきが飛んでいた。そのしぶきを避けながら死体となったふたりの歩哨を海に転げ落とした。
『B組、クリア。機関室を破壊した』
無線にB組から完了の知らせが入った。
『E組、クリア』
『G組、クリア』
次々と無線が入ってくる。一番最後にJ組の無線が入った。行動を開始してからわずか七分だ。まもなく黒木からもクリアの無線が入った。
「了解。J組を残して庫底の空港に向かう。各組、不規隊形で前進せよ」
武藤はそう言って立ち上がった。暗い中を任務を終えた仲間たちが雪の積もった間伐の中に入ってゆくのが見える。武藤は一番最後に仲間たちの後をついて間伐に入った。
二時間後、武藤たちは長箭港から三十キロほど北にある庫底に到着した。庫底には軍港と飛行場がある。飛行場にはミグ・41が二機と、ミル・30と思われる対戦車ヘリコプターが三機。輸送機が二機駐機している。
「Kは飛行場を頼む」
武藤が黒木に言った。
『了』
黒木が答えた。
「三分後に開始」
武藤はそう言うと、少し白くなってきた東の空をにらんだ。
『K組クリア。航空機には電源起動のC・4を仕掛けた』
九分後、黒木から無線が入った。
「了解。A組が終わりしだい休息にうつる」
武藤は黒木に言った。夜が明けてから動くのは危険だ。敵地に潜入したら昼間はじっとしているのが工作員の鉄則なのだ。任務はまだまだ続く。北鮮民国じゅうの軍事施設を黙らせるのが第一優先の任務だ。
『Aの全組、クリア』
「了解。各組、林の中で日没まで休息とする。次の目標は洗浦だ」
武藤はそう言うと、A組の隊員たちが引き上げてくるのを見届け、自分も小高い林の中へと入っていった。
北海道函館市
十二月十六日の夕方。統山が運転する車は函館東警察署に着いた。車から降りた高杉をひとりの男が出迎えた。高杉と同じくらいの長身だ。
「統山、仲間のキツツキを紹介する。彼女は統山の奥方で、まだ新婚さんだ」
高杉がふたりを紹介した。
「統山です。これは妻のしおりです」
統山は高杉から紹介されたキツツキというコードネームの男に頭を下げた。
「しおりともうします」
しおりもキツツキに頭を下げた。
「キツツキだ…」
高杉から紹介されたキツツキは、表情を変えずに統山に右手を差し出して握手を求めてきた。統山はその手を握った。それを見たしおりがキツツキに右手を差し出した。その手をキツツキは無言で握った。
「あの…」
しおりは握手をしたまま長身のキツツキを見上げた。
「よろしければ日本語のお名前で…。キツツキさんじゃ…」
しおりは困ったような顔で言った。
「…。生田と呼んでくれ」
生田と名乗った男は、しおりと統山を交互に見た。鋭い目が少し笑ったように統山は感じた。
「十分後にホテルに送る」
生田こと、コードネームのキツツキはそう言って東警察署の玄関に入っていった。
「すまんな。無愛想なやつだが、根はいい」
警察署に入った生田の後ろ姿に高杉は言った。
「高杉さんのお友達ですもの、いい人に決まってるわ。目も優しかったし…」
しおりが言った。
「友達か…」
高杉が笑った。
「かわいい人妻の伝言だ。あいつに伝えておく。それにしても…」
高杉は生田が入っていった警察署の玄関を見た。
「なんだ?」
統山が聞いた。
「本名かどうかは知らんが、あいつの名字を初めて知った」
高杉はそう言って笑った。
特務課で本名を名乗っているのはカラスこと高杉だけだった。課長のワシもそうだが、ほかの仲間にしても本名を名乗ることはなかった。すべてコードネームの世界だ。
仲間といってもいっしょに酒を飲んだり食事をしたりすることはない。私生活などはまったく謎に包まれているし、誰もがそれを知ろうともしない。出勤もするもしないも自由だ。時々出てきても一日じゅうソファーで居眠りするか、ふとどこかへ行ってしまう。
もっとも、緊急のときは無線機を持っているから、どこにいてもその場から飛んでゆける。家族がいるのか恋人がいるのかもわからない。顔を知っているという程度の付き合いで、ふだんから必要なこと以外の会話はない。
ただ、仕事は確実にこなす。いったん総理大臣から任務を与えられたら、仲間同士で知りえた情報のすべてを交換して任務に邁進するし、仲間同士の信頼と絆は鉄よりも堅いと言っていい。
「おれはすることがある。成り行きを見ながら、将来出す本の構成でも考えていてくれ。ときどき情報を流す。印税で飲ませてくれる約束を忘れるな」
高杉は笑いながら警察署とは反対のほうへ歩いていった。
「統山様ですか」
警察署に入ると、受付の女性警察官がふたりを呼び止めた。
「そうです」
統山としおりは一瞬身体を堅くした。
「先ほどの…。キツツキという方が、署の中庭でお待ちです」
女性警官は笑顔を浮かべて言った。
そうか、と統山は身体の力を抜いた。ここは白くなっていたんだ。そう思うとため息が出た。
「わかりました」
統山としおりは受付の女性警官に頭を下げて中庭に向かった。しおりは統山の腕にしっかりとつかまっている。やはりしおりも不安なのだった。
稚内から脱出していらい、こんなに人がいる場所は初めてだった。行き交う警察官が統山としおりを見張っているようにも感じられたが、笑顔もあり、仕事に深刻になっている顔もありと、ほんの十数日前まで見た、ふつうの人間のものだった。
「しおり…」
統山はしおりの肩をしっかりと抱き寄せた。すれちがったふたりの女性警察官が統山としおりを見て笑顔で会釈していった。
高杉の言うとおり、やはりここは白くなっていたのだ。
中庭に出ると、先ほどのキツツキこと生田と制服の警察官がパトカーで待っていた。中庭の所どころに花が飾られている。
「乗ってくれ」
生田といっしょにいた制服の警察官がふたりに敬礼して、どうぞとパトカーの後部座席のドアを開けた。統山としおりは警官に頭を下げて後部座席に乗った。生田が助手席に乗り、ドアを閉めてくれた警察官が運転席に座ってシートベルトを締めた。
「行ってくれ」
生田の言葉に、承知しました、と警察官が答えて、パトカーは函館東警察署の中庭から道路に出た。
十分後、統山としおりを乗せたパトカーは湯の川温泉にほど近い大倉ホテルに着いた。十五階建ての真新しいホテルだった。
ふたりは、各階の客室へ行くエレベーターとは少し離れているところにある、最上階へ通じる直通エレベーターで十五階のスイートルームに案内された。マンションでいえば5LDKに匹敵する広々とした作りだ。しおりが目を丸くしている。一泊の料金でも十五・六万円は下るまいと思った。ドアも、統山の旭川のマンションと同じ、電子ロックの指紋登録装置がついている。
ふたりは生田が言うとおりにそれぞれの指紋を登録した。
「この階には、ほかに部屋はない」
生田が先に部屋に入った。
「気に入るかどうかはわからんが、好きなだけいてくれてもいいそうだ」
生田が部屋の中をチェックしながら言った。
「好きなだけと言われても…」
統山は戸惑いながら生田を見た。
「カラスから聞いていないのか?」
生田も戸惑いを見せている。
「特には、何も…」
統山としおりが顔を見合わせた。
「そうか…」
生田は腕を組んだ。
「この部屋は、おれたちの組織…。つまり政府のある機関が買い取った」
生田はふたりを交互に見て言った。
「おれたちの仲間が住もうとも、知り合いが住もうとも、誰も何も言わないということだ。しかしおれたちは仕事がある。こんなところにいる時間はない。だからあんたたちの好きにしろということだ。新婚の夫婦が住むことはホテルの支配人にも言ってある。食事もホテルのレストランで好きなものを食べてくれ。経費は政府が支払う」
生田は、本当に何も聞いていないのかという表情で両手を広げて肩をすくめた。
やがてため息をつくと、暗証番号は自分たちで登録しろと言って、カードキーを無造作にテーブルに置いた。
「それから、松風町、五稜郭、湯の川温泉を結ぶ市電の三角地帯は白いから安全だ。外出も自由にしていい。しかし、湯の川温泉にはあまり行かないことを忠告しておく。白くなったといっても、繁華街にはどんなやつが潜んでいるかわからん」
生田は言った。
「では、おれは仕事に戻る。冷蔵庫の飲み物や食べ物は、買い取った中に含まれているから好きにしていい。足りない物や必要な物は、フロントに言えばすぐに手配してくれる。それと、カラスかおれから連絡の必要があるときは、電話のベルをツー・コールでいったん切る。ちょうど十秒後にまた五回鳴らす。その間にとってくれ。それ以上はかけない。おれは当分東警察署にいる。用事があるときは電話をくれ」
生田はそれだけ言うとドアを開けた。
「それにしても、とぼけたカラスめ…」
そう毒づいて生田は自動ロックのドアを閉めた。その背中が笑っているようだった。
「………」
「………」
統山としおりは、あらためて部屋の中を見回した。広いリビングには見るからに高級とわかる応接セットや家具が置かれている。サイドボードには高級な洋酒がびっしりと並んでいた。ほかの部屋もそれぞれ違う雰囲気のつくりで、高級感あふれる家具や調度品が並んでいた。高杉の仲間たちがひと時の休息をとるために用意された部屋らしい。
「ねえ…」
部屋の中を見ていたしおりが、信じられないという顔でリビングに戻ってきた。
「ちょっときて…」
しおりは統山の手を引いてリビングの続き部屋に入った。
「あれを見て…」
しおりはベランダのほうを指差した。
「………」
統山は思わずしおりを見た。
雪が積もっているが、人工芝を敷きつめた広いベランダに十人は楽にはいれる露天風呂がついていた。高級リゾートホテルのCMで見たことがある。源泉をそのまま引いているらしく、湯船のふちからお湯があふれている。ベランダの向こうには海が見えた。漁船か自衛隊の船かはわからないが、船舶灯をつけた数十隻の船が洋上に浮かんでいた。
ふたりは言葉を失って顔を見合わせた。
電話のベルが鳴った。二回だ。そして切れた。十秒後にまた鳴った。統山が受話器を持ち上げた。
「もしもし…」
統山は低い声で言った。
『カラスだ。部屋は気に入ってくれたか?』
電話は高杉だった。
「ああ…。しかし…」
統山は戸惑いながら答えた。
『当分の間だけだ。北海道が白くなったら、あんたたちは自分のマンションに戻れる』
高杉が言った。
「すまない。世話になる…」
『うむ…。もう少しで函館全域が白くなるはずだ。明日か明後日にでも飲みに行く。ではな…』
高杉はそう言って電話を切った。
「しおり、風呂に入ろう…」
統山はしおりを抱き寄せた。
「ええ…」
しおりはうなずいた。
部屋についているロール式のカーテンには、防炎・アルミ繊維折りこみと表示されている。赤外線暗視装置でも見えないということだ。ベランダの露天風呂も同じカーテンがついていた。
統山はしおりを抱きしめて唇を重ねた。
高杉に感謝しなくてはならない。キツツキというコードネームの生田という男にもだ。
たとえ高杉の紹介だとはいえ、自分たちの組織が買い取ったというこのスイートルームを提供してくれるとは…。ほんの少しでもしおりを安らぎの場で過ごさせてやれるのは、高杉と生田のおかげだった。
統山としおりは裸になった。全裸のしおりを強く抱きしめて唇を重ねた。しおりは統山の首に両手を回している。そのしおりを抱き上げてベランダの露天風呂に向かった。
しおりを抱いたまま湯船につかると、あふれたお湯から硫黄の香りがした。
統山は膝に抱いたしおりの乳房を手で愛撫しながら唇を重ねた。
「貴之さん…」
しおりは統山の目を見つめた。
「しおり、愛してる」
統山はしおりを抱きしめて言った。
「わたしのほうが、ずっと愛してるわ…」
そう言ったしおりの笑顔に統山はまた唇を重ねた。
十月十九日夕方。
函館ヒルトンホテルの前に高杉晋也が立っていた。
このホテルの最上階に北海道共和国国防大臣の矢沢総司令官がいる。
矢沢を吉野の催眠術からといて正気に戻すことができれば、この独立問題と北鮮民国の日本侵攻に対する事態は大きく変わるはずだ。しかし、どうしてもだめだとなったときは、矢沢には死んでもらうしかない。
ホテルの入り口に歩み寄ると、警備していたふたりの自衛官が銃を構えて走り寄ってきた。
「ここは民間人立ち入り禁止だ!」
ひとりの隊員が高杉に銃口を向けて厳しい声で言った。戦闘服の左胸に函館の第二十八普通科群団の名札を縫い付けている。
「矢沢司令にお会いしたい。取り次いでくれ」
高杉はふたりの隊員に言った。
「司令官に?…。きさまは何者だ!」
隊員のひとりが高杉をにらんだ。もうひとりの隊員は銃を向けたままだ。
「きみたちの警備責任者を呼んでくれ。そのほうが話は早そうだ」
高杉は少し笑ってふたりに言った。
「きさま…」
銃を構えていた隊員が高杉の胸に銃口を突きつけた。
「まて!」
もうひとりの隊員が手で制した。
「名前と身分を言え。それによっては上司を呼ばないこともない」
銃を制した隊員は言った。
「名前は高杉晋也。山岡総理大臣の名代で矢沢司令に会いにきた」
高杉はそう言うと、何かのときに使えと言われて預かっていた山岡総理の名刺を出して隊員に見せた。
ラミネートされた名刺の裏には、『この名刺を持つ者は、内閣総理大臣・山岡宗助の代理である』と山岡の直筆で名前が書かれ、大きな内閣総理大臣の職印と山岡総理自身の私印が押してある。
隊員はその名刺と高杉を何度も見比べた。
「待ってろ…」
隊員は山岡総理の名刺を持って駆け足でホテルの中に入って行った。
しばらくして2等陸佐の階級章をつけた自衛官が走り出てきた。
「警備責任者の剣持だ。司令がお会いになる」
そう言って高杉をにらんだ。
「いちおう身体検査をする。おい!」
剣持と名乗った警備責任者は、高杉に山岡総理の名刺を返しながら隊員に指示した。
隊員は高杉の身体を入念に調べた。こういうことになるのは承知していたから拳銃やナイフは持ってきていない。持っているのは仲間と連絡をとる無線機だけだ。
「武器は持っていませんが…」
高杉の身体検査をした隊員が、高杉のポケットから押収した無線機を剣持に見せた。
「これは何だ」
剣持は部下から渡された無線機を手に持って聞いた。
「総理と連絡をとるために持っている」
高杉は答えた。剣持は無線機のスイッチを入れようとしている。
「八桁の暗証番号でスイッチがはいる。わるいが教えることはできない。あんたがそれを押収するというのなら、山岡総理の伝言は司令に伝えられない」
高杉は剣持に言った。
「………」
剣持は無言で高杉をにらんだ。そして無線機を高杉に返した。
「よし。ついてこい」
剣持は前に立って歩きはじめた。剣持のうしろを歩いてゆく高杉の後ろから銃を構えた隊員がついてくる。
ホテルのロビーには八九式小銃や九ミリ自動拳銃を持った警備の隊員が二十人ほどいて、剣持のうしろを歩く高杉に視線が集中していた。
先頭を歩いていた剣持がエレベーターに乗った。あとから高杉と銃を構えている隊員も乗った。剣持は十八階と表示されているエレベーターのボタンを押した。
十八階でエレベーターのドアが開くと、そこにも拳銃を持った五人の自衛隊員がいた。全員が高杉に拳銃を向けている。
「きみはもういい。もどれ」
剣持は一緒に乗ってきた隊員に言った。
「はい!。警備にもどります!」
隊員は剣持に敬礼してエレベーターのドアを閉じた。剣持は一番東側の部屋の前で立ち止まった。
「司令官。連れてきました」
剣持はインターホンのボタンを押しながら言った。
『うむ』
インターホンから声がする。まもなく内側からドアが開いた。
特務課が把握している重要人物の写真で見た、自衛隊北海道方面総監の矢沢昭彦陸将が制服を着て立っている。体つきはそれほど大きくはないが、その雰囲気から北海道の自衛隊の長としてじゅうぶんな雰囲気がある。
「失礼…」
高杉は軽く頭を下げると、矢沢のあとから中に入った。
このホテルの特別室らしく、広い中に必要なものがすべて揃っていた。
「すわってくれ」
ソファーに腰を下ろした矢沢は高杉にソファーを勧めた。
高杉は矢沢の向かいに腰をおろした。剣持と五人の隊員が矢沢のうしろに立っている。
高杉は山岡総理の名刺を出してテーブルに置いた。矢沢はそれを手に取ると、しばらく見てから高杉に返した。
「きみたちははずしてくれ」
矢沢は高杉を見つめたまま剣持に言った。
「しかし司令…」
剣持は矢沢に言った。
「はずしてくれ…」
矢沢は煙草をくわえた。
「彼は日本国総理大臣の名代だ。話の中にどんな国家機密が含まれているかわからん。あとで吉野首相に伝えて、会議のときに諸君にも許容範囲で話す」
矢沢はそう言いながら煙草に火をつけた。
「お言葉ですが、司令官に万が一のことがあっては…」
剣持は矢沢の前に歩み出て言った。
高杉は剣持を見もせず、正面に座っている矢沢を見つめていた。
「わたしに何かを仕掛けたら、無事ではここから出られんことくらいは彼もわかっているはずだ。心配するな。はずしてくれ」
矢沢は少し笑って言った。
「承知しました…」
剣持は高杉を見据えながら五人の隊員と部屋を出て行った。
「高杉といったな…。山岡総理の伝言とはなんだ」
ドアが閉められたあと、矢沢は煙草を吸いながら高杉に聞いた。
「わたしの言うことは、そのまま山岡総理の言葉と受け取ってもらいたい」
高杉はそう言って矢沢を見つめた。
「北鮮民国が、留萌に上陸したことはご存知か」
高杉はポケットから煙草を出してくわえた。
自分が山岡総理の名代としてこの場にいる限りは、たとえ年上の矢沢であろうとも、いっさい敬語を使うつもりはなかった。自分の言葉は、そのまま自衛隊の最高指揮官たる山岡総理大臣の言葉なのだ。
「知っている…」
矢沢は目を細めて高杉を見た。
「司令が布陣した自衛隊の一個群団が全滅したことも?」
高杉はそう言って煙草に火をつけた。
「国の防衛を預かる者として、非常に残念だ…」
矢沢は低く言った。
「総理は、北海道が北鮮民国の手に落ちるのを懸念している」
「落ちると決まったわけではない!。第二陣の部隊が戦闘中だ!」
矢沢は強い口調で言った。
「………」
高杉はポケットから無線機を出すと、イヤホーンを抜いてスイッチを入れた。
「カラスだ」
高杉は矢沢を見たままマイクに言った。
『ツルだ』
小さなスピーカーから、留萌のモズ、ハトと合流したツルが答えた。
「いま、北海道共和国国防大臣の矢沢総司令と面談中だ。詳しい様子を知らせろ」
高杉が言った。
『…。十六日の午後七時。第一波に続いて、第二派の北鮮民国軍千五百人あまりが上陸した。先の第一波と合流して、その兵力は約千八百。藤山地区の自衛隊と交戦中だ』
ツルが言った。それを聞く矢沢は厳しい表情で高杉を見つめている。
『第一波のミル・30以来、北鮮民国の航空機は飛来していないから、こちらとしては手出しはしていない。旭川から飛んできたんだろうが、自衛隊のアパッチ二機とエアドラゴン一機が敵をたたいていたが、森の中から発射された地対空ミサイルで三機とも撃墜された。九〇式戦車も三十二両中の十両が撃破されて双方に多数の死傷者が出た。いまはお互いに態勢を立て直している』
ツルが低い声で言った。
「今後の戦況をどうみる」
『装備は自衛隊が有利だが、戦闘能力からして、自衛隊は後退せざるをえないだろう』
ツルが言った。
「わかった。吉野知事から日本政府への救援要請はまだ出ていない。敵の航空機が来ないかぎりは手出しするな。そのまま放っておけ」
『しかし、このままでは自衛隊は壊滅する。この地区が…。いずれは北海道が北鮮民国の手に落ちるぞ』
ツルは声を低くした。
「この北海道は…」
高杉は小さくため息をついた。
「経緯はどうあれ、日本から独立を宣言している。吉野首相から日本政府に支援の要請がない限りは、我々が手助けをする必要はない。奪われた北海道は、あとから我々の手で取り返せばいいことだ」
高杉は表情を変えずに言った。
『わかった…』
ツルはそう言うと無線を切った。
「聞いたとおりだ。いまの自衛隊では北鮮民国軍には勝てまい」
矢沢は高杉の言葉に眉をひそめた。
たしかに圧倒的な装備を持っていても、第一陣として布陣させた名寄に駐屯する三群団の混成部隊は全滅した。
戦車や装甲車が敵の対戦車ヘリにやられたとはいえ、それを割り引いても、やはり実弾を撃ち合ったことのない自衛隊は実戦に弱いことを矢沢は思い知らされた。
「山岡総理が各国に対して打てるだけの手はうってはいるが、今後の北鮮民国の動きは、はっきり言ってつかめていないのが正直なところだ。このあと第三派、第四派と北鮮民国が上陸してきたとき、北海道の自衛隊だけで守りきれるのか」
高杉は矢沢に聞いた。
「………」
矢沢は腕を組んで目を閉じた。
金正冠は、軍があるかぎりは次々と兵隊を送りこんでくる。石油不足にあえいでいるとはいえ、続くかぎりはあきらめない。どこまで備蓄の石油がもつかはわからないが、百万人とも二百万人ともいわれる軍隊を間断なく侵攻させてくるだろう。
北海道の自衛隊を全部合わせても三万五千人だ。実戦の経験の無いその三万五千人の自衛隊で、次々と送り込まれる北鮮民国軍を殲滅できるのか。
国家主席の金正冠は本気で北海道の占領に踏み切っているのだ。
北海道が手に入れば、石油や食料も意のままになるのはもちろん、三回、四回と核実験を繰り返し、この北海道に核ミサイル基地を作る。太平洋やアジア諸国に、北鮮民国の核の脅威を植えつけることができるのだ。
山岡総理は何度も金正冠に会談を申し込んでいるが、金正冠はがんとして会談に応じようとしないという。北海道が独立宣言をしたことで、金正冠は本州と北海道を完全に引き離して考えているのだ。
ドアがノックされた。
「はいれ…」
矢沢は高杉を見たまま声を出した。
「司令、だいじょうぶですか」
ドアを開けて剣持2佐がはいってきた。高杉をにらんでいる。
「だいじょうぶだ。すまんがもう少しはずしていてくれ」
矢沢は剣持を振り向いて言った。
「はい…」
剣持は高杉をにらみながら部屋から出て行った。
「………」
剣持が出てまもなく、高杉がゆっくりと立ち上がって窓のほうへ歩いていった。窓の外に陽が落ちた函館の街が見える。
「もしも司令の指揮する自衛隊が、侵攻してくる北鮮民国軍を押さえきれないとしたら、六百万人の北海道民を北鮮民国の奴隷にしてしまうことにもなる」
高杉は窓の外を見ながら言った。
矢沢は腕を組んだ。
もしも第三派、第四派と北鮮民国軍が侵攻してきたら、はたして持ちこたえられるか。 ただ持ちこたえるだけではだめだ。敵を殲滅しなければならない。そのためには北海道各地に配備している部隊を結集させて北鮮民国軍との戦いに差し向ける必要があるだろう。
北海道の独立を宣言したことで本州とのにらみ合いが続いているさなかに、まさかこんなことになろうとは。
「………」
矢沢は腕を組んだままため息をついた。
「司令は、北海道を北鮮民国に奪われた不名誉な北海道方面総監として、日本国の歴史に名を残すことになる…」
高杉は窓の外を見たまま言った。
「北海道を奪われたりはせん!」
矢沢は窓の外を見ている高杉に言った。
そう言った矢沢の頭の中には、留萌の前線を北鮮民国に破られ、徐々に後退してゆく自衛隊の姿が目に浮かんだ。
「そう願いたいものだ…」
高杉は振り向いて言った。
「山岡総理にしばらくの和平を…。休戦を申し込む気にはならないか。いまの戦況を正しく判断できる矢沢司令なら、しようと思えば吉野知事にそれを進言できる立場にある」
高杉が言った。
「山岡総理には、休戦のあいだは、北海道にいっさい手を出させないことをわたしが約束させる。休戦監視団も双方から出させよう。吉野知事とて、独立をしようとする北海道が北鮮民国に占領されるのは本意ではないはずだ。いまは北海道を北鮮民国に渡さないことが至上だと…。日本人同士が銃を向け合っているときではない」
高杉はそう言って腕を組んでいる矢沢を見つめた。
|