第19話 羽根が抜けたカラス
十九 羽根が抜けたカラス
「総理、ブラッドリー将軍がお見えです」
ジェイソン大統領に電話をしてから三十分後、秘書官の川村が入ってきた。川村のうしろに制服を着た在日米軍司令官のサミエル・ブラッドリー中将が立っていた。
「ようこそ将軍!」
山岡は立ち上がってブラッドリー将軍を迎えた。
「大統領からの連絡で飛んできました」
ブラッドリー将軍は笑顔で山岡と握手をした。山岡は各党の代表たちをブラッドリーに紹介した。代表たちはブラッドリーと握手をしながら自己紹介をしている。
「さっそくだが将軍。ジェイソン大統領からお聞きとは思うが、日本は窮地に立たされている」
山岡は正面に座ったブラッドリー中将に言った。
「承知しています。総理からいつ連絡があるかと、内心待ち焦がれていたところです」
ブラッドリーは笑いを浮かべて山岡と各党の代表たちを見た。
「支援していただける兵力はどのくらいですか?」
山岡は煙草を持ち上げながら聞いた。
「総理の電話で、南鮮民国駐留のジミー・トーマス中佐には、自衛隊の行動を全面支援するよう指令を出しておきました。こちらは、横須賀から一個空挺旅団の千名と海兵隊二千名が、総理の要請がありしだい出動できるように準備を完了しています」
ブラッドリーは言った。
「大統領と将軍のご配慮に感謝申し上げる」
山岡はブラッドリーに小さく頭を下げた。
「ところで、南鮮民国政府には…」
ブラッドリーが山岡を見つめた。
「濾大統領に言えば、それなりの支援を申し出ようが、南鮮民国政府に知らせるということは、何らかの形で北鮮民国に伝わる可能性が大きい。今までが今までです。ましてや日本国の一大事に、南鮮民国という国は信用せんほうが懸命だと判断しました」
山岡は、南鮮民国の濾台金大統領の顔を思い浮かべながら言った。
「竹島の領有権や戦後補償でいろいろと日本に難くせをつけていますからね」
ブラッドリー将軍は身体をゆすって笑った。
「靖国もそうですよ」
社共党の川島が言った。
「A級戦犯のことですね?」
ブラッドリーが川島を見た。
「A級戦犯などと言う言葉は、とうに死語だと思っていましたが…。だいいち、アメリカでも日本のヒデキ・トウジョーやイソロク・ヤマモトを、偉大な軍人と思っていますが、戦犯などとは考えていません」
ブラッドリーは両手を広げて見せた。
「アーリントン墓地には、アメリカが手を出して負けたベトナム戦争時代の軍人や、それを指示した政治家たちも一緒に埋葬されていますよ。戦争は、自国の利益のためにはお互いさまです」
ブラッドリーは感慨深げに言った。
「同じ東洋の民族なのに、中国も南鮮民国も、六十年以上も前のことをチクチクとほじくり返すのが好きなのですね。日本も、ありもしなかった南京の大虐殺とやらを堂々と否定したらいかがです?。それに、つい最近までは三千年の歴史とか言っていたくせに、何年もしないうちに、いつの間にか四千年に水増ししている歴史のいい加減さは何なのかと」
ブラッドリーは笑った。
「発展途上の貿易国としては相手になりますが、いざ政治的な約束で信用できるかというと、これは別問題で、信用してはいけない国のトップ・スリーは、中国、北鮮民国、南鮮民国です。イランやイラクは、それらの国から見れば、まだましなほうでしょう」
ブラッドリーは、山岡と各党の代表を見渡した。
「政治に精通するアメリカ軍の将軍から、そのような理解の言葉をいただいて感謝する」
山岡はそう言ってブラッドリーと握手した。
「竹島はともかく、戦後補償などは一九六五年の日鮮基本条約でとっくに解決済みだ」
山岡は立ち上がった。
「南北鮮民国に残してきた当時の有形資産だけでも、当時の日本円で五十億円。基本条約締結時に五億ドルを経済協力金の名目で補償金を支払っているのだ。それをあいつらは、政府関係者だけで五億ドルもの金を勝手に使い放題使いおって、日本から補償金を受け取ったことさえ国民に知らせん奴らだ。日本を悪者にする洗脳教育だけを熱心にするばかりでは飽き足らずに、未だに責任をとれだの補償をしろだのとほざいておる。そんな国を信用などできん!」
山岡は吐き捨てるように言った。
その山岡の言葉に、ブラッドリーや各党の代表が声を出して笑った。
「確かに…」
公民党の平川が笑った。
「金が欲しいのなら欲しいと、素直に頭を下げてそう言えばいいのに」
平川はため息をついて言った。
「中国や南鮮民国は、事あるごとに日本を悪者にしていますからな。総理の靖国参拝でも目に余る内政干渉をしてきますし、政権を維持して支持率を上げるためには、日本を悪者にするのが一番効果的です。我々も選挙の時には現政権を槍玉に挙げて支持率を稼ぐ…」
平川の言葉に社会連合の石倉が笑った。
「まあ、中国などは、いまだに部族同士の争いの果てに、相手の肉を喰う習性があります。人肉の料理法の本まであるらしいじゃないですか」
石倉は笑いながら閣僚たちを見回した。
「字も満足に書けないし、読めないのがそこらへんにウロウロしています。偉そうなことを言っても、中国も南北鮮民国も、せいぜいその程度の国だということですよ」
山岡や各党の代表が声を出して笑った。
「百年前のインディアンや、アフリカの首狩り族よりもたちが悪いですね」
ブラッドリー将軍が驚いたように目を見開いた。
「人間の肉を喰わないだけ、インディアンのほうがましでしょう」
連立公民党の上田が煙草に火をつけながら笑った。
「とにかく…」
山岡は座って煙草を持った。
「今回の件に関しては、中国や南鮮民国には絶対に詳細を知られてはならん。彼らが知りうる情報はテレビや新聞などの範囲内だけだ。いろいろと中国や南鮮民国の大使や領事から質問が来ているが、一切知らせとらん。奴らには、外部人間と接触しないよう徹底した監視をつけている。当然ロシア大使にもな…」
山岡は煙草に火をつけた。
ジェイソン大統領は、当初は北海道が独立を宣言した時点では介入はしないといってきた。同じ日本人同士の問題だったからだ。ただし、それに北鮮民国がからんできたとなれば話は違ってくる。
日本を極東への最前線補給基地としているアメリカにとっては、たとえ一部とはいえども他国に奪われることがあってはならないのだ。
ましてや中国や北鮮民国のような共産国となればなおのことだ。
在南鮮米軍第三十五歩兵大隊のトーマス中佐に、習志野空挺団とテロ特別鎮圧部隊の支援をさせたのもそのためだ。
北鮮民国が世界地図から消えるのはかまわない。ただし北海道や日本全土が北鮮民国に奪われるのは、アメリカにとって、喉もとに剣を突きつけられるのと同じことになる。
「出動の時期については、北海道の吉野の支援要請か、わたしの組織の者からの連絡があり次第ということでお願いしたい」
山岡はそう言ってブラッドリー将軍を見つめた。
「承知しました。いつごろになりそうですか?」
「早ければ一両日中。遅くても五日以内には…」
「中止ということも?」
「ありえます」
山岡はブラッドリーに言った。
「日本の自衛隊が、北鮮民国軍を殲滅させる夢を見ながら待ちましょう」
ブラッドリーは立ち上がると山岡に右手を差し出した。山岡も立ち上がってブラッドリーと握手を交わした。
統山はかすかな音に目を開けた。しおりは統山の腕に頭を乗せて寝息を立てている。
統山は何気ない動作で小さな音がしたほうへ顔を向けた。
薄暗い中で目を凝らしてみると、廊下についている非常灯の薄暗い中に、人が身をかがめているらしい影が動いているのがドアの下の隙間から見えた。
見張られている。
統山は、寝息を立てているしおりのほうに寝返りをしながら気配をうかがった。
見張られるということは、この旅館にいる誰かが統山としおりに疑いの目を向けているということになる。旅館の従業員なのか宿泊客なのかはわからない。
ここまで来るのに検問や買い物などで疑われたようなことはなかった。
高杉がくれた偽造のIDカードと運転免許証は、報道カメラマンの目から見ても本物としか思えないほど精巧に出来ている。ましてやIDカードに記録されている情報は、間違いなく斉藤和彦と妻の陽子のものだ。この旅館へ来て宿泊するときもIDカードの暗証番号で身元を照会された。
統山の心の中に不安がよぎった。
もしかすると、IDカードの身元照会で、斉藤和彦と妻の陽子がすでに死んでいることが知られたのかもしれない。その情報が返信として戻ってきたとすれば、統山としおりが斉藤和彦夫婦に成りすましている偽者だということはばれている。見張られて当然だ。
それともただの覗きなのか。覗きだとしても危険が迫っていることには違いない。
統山はゆっくりと身体を起こした。浴衣をととのえてトイレに向かった。それを察してか、すでに人の気配は消えている。しおりはまだ眠ったままだ。部屋の時計は午後十一時四十七分を示していた。
トイレから戻った統山は、布団にはいると寝息を立てているしおりの頬に唇をつけた。しおりが目を覚ました。
「貴之さん…」
そのしおりに唇を重ねて抱きしめた。しおりの手が統山の背中に回った。
「今からここを出る」
長い口づけのあとしおりに言った。
「ええ…」
しおりはそれを予測していたかのように統山を見つめた。
いつどういうことになろうとも、しおりは驚かないと心に決めていた。
あの十二月三日の夕方、稚内の町で粘りつくような目で自分を見ていた誰か。その誰かに拉致されて、何度も何度もレイプされたあと、殺されて海に投げ込まれる自分の姿が心に焼き付いてはなれなかった。自分はとうに死んだものと思っている。
逃避行の中で統山と結ばれ、そして妻となった。
今までの人生の中でも、そしてこれからの人生でもこれ以上の幸せはないと思う。
たとえ本州に渡れず、途中で吉野の手の者に殺されようとも、愛する統山との逃避行ならば不安も恐怖もない。むしろ今まで統山と逃避行を続けられたことで満足だった。
カーテンの隙間から入ってくる暗い雪明りの中で、しおりは統山の唇を求めた。
統山の手が浴衣の中に入り、しおりの背中と腰を強く抱きしめている。統山も浴衣を脱ぎ、ふたりの素肌が重なり合った。
しおりを抱きしめながら、一刻の猶予もできないと統山は思った。すぐにここを出ることが先決だ。
しかし、稚内のホテルや旭川のマンションでのこともある。慌てて脱出を試みては失敗につながる。失敗は死を意味しているのだ。何者かの気配は消えたが、どんな手段で見張られているかわからない。
幸いにして高杉がくれた拳銃がある。脱出するときに見つかって追いかけられても、武器があれば少しは血路が開けるはずだ。
魔窟の稚内と旭川からここまで逃れてきたのだ。本州に一番近い戸井までもう少しだ。こんなところでつかまるわけにはいかない。
『欲しいと思ったときに、都合よく空から飛び道具が降ってくるわけでもあるまい。あんたにとって生島しおりが大事ならば、それくらいは持っていたほうがいい。今の北海道では、それが必要になるかもしれない』と言った高杉の顔が浮かんだ。
脱出するにしても服を着て準備をしなければならない。ここは冷静になることだと統山は思った。それに、しおりを抱きしめているうちに、心とは裏腹に統山の身体はしおりを求めはじめていた。
統山の手がしおりに触れた。しおりが小さな声を出している。乳房を口で愛撫しながら統山はしおりに身体を重ねた。
「ああ…」
しおりは統山の胸の下で小さく声を出した。
暗い部屋の中で統山としおりは身支度を整えた。
カーテンを少し開けて二階の窓の外を見回すと、駐車場に統山たちが乗ってきた車が見える。前の晩から降り続いていた雪が十五センチほど積もっていた。
車のまわりを見てみたが、人が近づいたような足跡は付いていないし、車のウィンドーに付着している雪も自然のものだ。
「いくぞ」
統山はしがみついているしおりに言った。
「おれから離れるな」
統山はしおりの耳元で言った。
「ええ」
しおりは統山を見つめてうなずいた。
静かに窓を開けた統山は、あたりの気配をうかがいながら窓枠に足をかけた。冷たい風が吹き込んでくる。窓の下には除雪された雪が積み上げられている。
統山はその雪がやわらかいことを祈った。堅く締まっていてはしおりが怪我をする恐れがある。しかしこれしか方法はない。
「しおり…」
統山はしおりの耳に口をつけた。
「おれが先に飛び降りる。合図したら思い切って飛ぶんだ」
しおりはうなずいて統山を見つめた。
統山は窓枠にかけた足に力を入れ、積もっている雪をめがけて飛んだ。飛び降りた統山の足が膝ほどまで雪に沈んだ。そう堅くはない。
統山は拳銃を構えてあたりを見渡し、しおりに合図した。その合図を待っていたかのように二階の窓からしおりが飛び降りた。雪に沈み込むズボッという音が周りの雪に吸い込まれた。
統山としおりは雪をかき分けるようにして車を目指した。
「坂のところまで押す」
統山は小声で言いながらドアのロックを解除して、オートマチックのセレクターをNに入れた。
統山としおりはまわりに注意しながら車を押した。十五センチほど積もっている雪の抵抗があったが、乾燥した軽い雪のためか、ゆっくりとだが車は動き始めた。
車はなんとか少し下り坂になっているところまできた。そして前輪が下りにさしかかると重みで車は動き出した。
「乗れ!」
統山が言った。
しおりは助手席のドアを開けて乗り込んでドアを閉めた。その勢いで窓にへばりついていた雪が落ちた。統山も運転席に乗ってドアを閉めた。
下り坂に入った車は少しずつ速く動きだしている。統山はエンジンキーをONにしてワイパースイッチを入れた。フロントガラスに積もった軽い雪がワイパーで振り払われ、前の視界が開けた。
ふたりが乗った車は徐々に速度を上げていった。サイドミラーを見てみたが、追ってくる人影はなかった。
統山は車が下り坂の下に付く前にエンジンキーをひねった。スターターが冷え切ったエンジンのフライホィールを回している。自動チョークが効いてエンジンがかかった。Nのまましばらくアクセルを吹かしてからセレクターをDに入れた。
四輪駆動のスタッドレスタイヤが雪を噛んで、車は国道37号線に出た。
深夜一時を過ぎているせいか、国道を走っている車はいない。エンジンがかかったばかりの冷えびえとした車の中でしおりと統山の息が白かった。
海上自衛隊の長万部基地
吉野が北海道の独立を宣言する前に、民間の漁港を接収して基地にしたところだ。
漁港は遠浅の砂地を工事したものが多いが、この漁港は海岸から一気に深くなっている岩盤で、海底は平坦な砂地になっているため、護衛艦や潜水艦の停泊に絶好の場所だ。
高杉は基地の近くにある建物の影で車を降りた。目の前には、北海道共和国に基地として接収された漁協の建物が見える。港には海上自衛隊の護衛艦が一隻と、掃海艦二隻、おやしお型の潜水艦が一隻停泊している。
高杉は恵山駐屯地から奪ってきた八九式小銃を腰に構えて二階建ての建物に近づいた。 あたりの気配を探りながら、ウエストバックから二個のGS・8を取り出し、むき出しになっている壁で着火して一階と二階の窓をめがけて投げた。
低い弧を描いたふたつのGS・8は建物のガラスを割って中に飛び込んでいった。中の自衛隊員たちは一瞬で丸一日の長い眠りについたはずだ。
高杉は暗闇の中でゆっくりと身体を起こした。
ふと、高杉は自分の肩や腹にいくつもの赤い点がついたのを見た。
その瞬間身体をひねって建物の陰に飛び込んだ。ほぼ同時に、手前に停泊している護衛艦から激しい銃声がわきあがり、レミントン五・五六ミリの高速弾が高杉を襲ってきた。赤外線ナイトスコープとレーザーポインターを装着した自衛隊の八九式自動小銃だ。強烈な弾幕で冷えた空気がビリビリと震えている。
高杉は反対側に素早く移動し、建物の陰から護衛艦をうかがうと、まだ反対側を撃っている銃のあたりに狙いをつけて八九式小銃の引き金を引いた。
自衛隊員が付けているレーザーポインターは銃身の下に固定されているのがふつうだ。八九式小銃の長さは九十センチほどだから、自分を狙う相手の射軸の角度にもよるが、レーザーポインターの一メートルほど奥を狙えばその射手の身体に当たる計算になる。
高杉の射撃に相手は次々と沈黙していった。
漁協の屋上に付けられているサーチライトが高杉の目に映った。夜の漁を終えて帰港する漁船に漁協の場所を知らせたり、船倉から魚を揚げたりするときに照射するライトだ。
高杉は壁の雨どいを猫のような素早さで登って屋上に出た。船からの激しい射撃はまだ続いている。
屋上に登った高杉は、サーチライトを船のほうに向けてスイッチを入れた。
高杉がつけた数万カンデラのサーチライトの光が停泊している自衛艦の船体を数回往復した。それまで激しく銃を撃ち続けていた自衛隊はうそのように沈黙した。
数万カンデラのサーチライトの光が赤外線ナイトスコープに飛び込み、通常の数百倍に増幅された光が自衛隊員の目を直撃したのだ。すぐに目を閉じたとしても数十分間は目は使い物にならなくなっているはずだった。
高杉はまた素早く雨どいを伝って屋上から降りると、銃を構えたまま軍艦色やOD色と呼ばれる塗装を施された一番手前の護衛艦に走り寄り、岸壁からかけられている階段を一気に上った。
猫のような身のこなしで甲板に駆け上がった高杉は、U字に曲がって下を向いている通気口の網を小銃の肩当てで破ると、着火したふたつのGS・8を投げ込んだ。カラカラと太いパイプの中を転がり落ちる音がする。
高杉は甲板のへりに身を伏せ、となりの護衛艦の甲板に上がってきた自衛隊員を次々と射殺した。GS・8を投げ込まれた船からは人が出てくる気配はない。完全に沈黙したようだ。となりの護衛艦までの距離は五十メートル以上はある。
さて、届くか?…。
笑みを浮かべた高杉はGS・8を取り出すと隙を見て着火し、風上を計算してとなりの護衛艦に力いっぱい投げた。野球のボールとは違い、円柱形のGS・8は重く、空気抵抗が大きい。五十メートルは届くか届かないかギリギリの距離だ。
白い煙を出しながら大きな弧を描いて飛んでゆくGS・8が夜目に見えた。護衛艦の船首のあたりで煙が立ち上るのが見える。
高杉は間髪をおかずにふたつめのGS・8を投げると、素早いほふくで後ろに下がり、もときた階段のほうに向かった。
艦橋の下に身を隠すと、漁協の屋上から船を照らし続けているサーチライトを狙って小銃の引き金を引いた。サーチライトは破壊され、あたりは真っ暗になった。
その闇に紛れた高杉は五メートルほどの高さから岸壁に向かって身を躍らせた。猫のような柔軟さで地面に着地した高杉は、素早く立ち上がると建物の陰に転がり込んだ。
もう一隻残っている掃海艦も沈黙させなければならない。残っている小銃の弾は七十発ほどだ。無駄な弾は使えない。
高杉は物陰から物陰へと動き、停泊している掃海艦の方へと走った。
GS・8を警戒してか、掃海艦の甲板や艦橋から防毒マスクを付けた自衛隊員たちが小銃を構えてあたりをうかがっていた。船腹に付けられた十数基のサーチライトが左右にゆっくり動いている。
高杉は物陰に身を伏せるとサーチライトに狙いをつけて立て続けに引き金を引いた。三個のサーチライトが粉々に砕けて消えた。すぐに数十メートル移動して物陰からサーチライトを狙い撃ちにした。
掃海艦の船腹と艦橋付近に付けられていたサーチライトはすべて沈黙した。
闇の中を移動した高杉は、岸壁の端にある岩の陰に飛び込んだ。もやい綱で岸壁につながれている護衛艦から七、八十メートルほどだ。
高杉は小銃を構えると、甲板にいる隊員たちを次々と射殺した。サーチライトを使えなくなったためか、かなり慌てているようだ。
その時、護衛艦のアンカーが音を立てて巻き上がり始めた。海に逃げるつもりらしい。 甲板の隊員たちは威嚇のつもりか、めくらめっぽうに小銃を連発で撃ち始めた。
エンジンがかかった護衛艦はゆっくりと後進しはじめ、つないであったもやい綱を引きちぎった。二百メートルほど沖に停泊していた潜水艦もエンジンをかけたようだ。
高杉は岩の陰から飛び出して一番手前の護衛艦の階段を駆け上がった。手には拳銃を持っている。艦首の砲塔に近いハッチを開けて中に飛び込んだ。中にはGS・8で眠っている隊員が五人ほど転がっていた。
GS・8のガスは海からの冷たい風ですでに希釈されている。
高杉は眠っている隊員を押しのけて七十六ミリ砲の射撃統制装置のスイッチを入れた。 赤い電源ランプがついて射撃装置を制御するコンピューターの電源が入った。目の前の暗視モニターに緑色に光る海が映し出されている。
高杉は目の前のスティックを動かし、沖の方へと船首を向けた潜水艦にモニターの中央にあるターゲットゲージのクロスを合わせた。射方位一七四と射角〇〇二と表示されている。ゴーッとモーターの起動音がして、艦首の八十六ミリ砲が停止した。
モニターに船体の横から泡を出し、バラストタンクに海水を注入して潜航にしようとする潜水艦の艦橋が映っている。
高杉は弾薬を装填するスイッチを入れた。真下の弾薬格納庫から黒く塗られた七十六ミリ砲弾が、座っている高杉の横をローラーベルトで押し上げられてゆき、自動開閉式の閉鎖機から砲身の中に押し込まれた。
七十六ミリ砲は自動ロックされた潜水艦を追尾し続けている。発射スイッチに指をかけた高杉は、ひとつため息をついてスイッチを押した。
ドウッという響く音とともに発射された七十六ミリ砲が潜水艦の艦橋と船体の付け根あたりに命中した。爆発で潜水艦が大きくゆれているのがモニターで見える。七十六ミリ砲の殻薬莢が閉鎖機から吐き出された。あの爆発では浸水は止められない。
第二弾を装填しながら、方位一六二、射角〇一三のところを東に向けて航行している護衛艦の艦橋に照準をあわせて発射スイッチを押した。ドウッ!と発射音がして、モニターの中の護衛官の艦橋に命中した。砲弾の破裂で艦橋は半分に裂けている。
第三弾を喫水線の少し下に撃ち込んだ。船尾で激しい爆発がして派手な水柱と煙が立ちのぼった。停泊していた掃海艦は高杉の射撃によって隊員たちのほとんどを失ったのか、雪明りの岸壁に沈黙したままだった。
高杉は背後に気配を感じて振り向きざまに拳銃を発射した。同時に火砲室の入り口にいる防毒マスクをかぶった自衛隊員が小銃を連発で発射した。小銃弾が火砲室の中を跳弾となって飛び回っている。
高杉の足元に防毒マスクの上から額を撃ち抜かれた自衛隊員が崩れおちた。
「ふー…」
高杉は、左の太ももを自衛隊員が発射した弾丸が貫通しているのを見て小さくため息をついた。射入穴と射出穴から血が出ているが、皮膚に近いところで、骨と主要な血管は無事なようだ。
死んだ自衛隊員の腰に装着されている救急品袋から救急包帯を取り出すと、傷の少し上を固く縛った。そしてポケットから抗生物質のカプセルをふたつ出して割ると、中の薬剤を手で傷の中に押し込んだ。
ため息をついた高杉は、GS・8で眠っている隊員の腰の弾帯からもポリエチレンで密封された救急包帯を出して傷の上から巻いた。
「南3のカラスは白くなった」
高杉は車のほうに歩きながら極秘周波数の無線機で山岡総理に報告した。
『ご苦労だった。餌を届ける』
山岡の低い声が聞こえてくる。
『キツツキからの連絡だ。巣穴は掘ったと…』
山岡は言った。コードネーム、キツツキが函館の各警察署を解放したということだ。
『ところで、この無線は絶対に安全か?』
「ええ…」
『ならばいい…』
山岡は小さく息をついた。
『昨日、在日と在南鮮米軍の支援を得て、第一空挺団のレンジャー隊員二百五十名と、テロ特別鎮圧隊の百五十名を、鮮国半島のDMZ(軍事境界線)に派遣した。北鮮民国に侵入してキム・ジョンホンの動向を探るためと、軍事施設を徹底破壊して、北鮮民国軍の北海道侵攻を阻止するためだ。場合によっては、あのバカヤロウの拉致もある…』
山岡はそう言って言葉を切った。
『おまえの意見を聞きたい』
無言の高杉に山岡は言った。
「紛争を覚悟でのことですね?」
『多少は覚悟している。各党の代表も承知だ』
「ならば、わたしも暴れがいがあるというものです」
高杉は言った。
『うむ。おまえたちだけが頼りだ。他国に侵入してくるやつらに情けや手加減はいらん。徹底的にやれ。全責任はわしがとる』
山岡は強い声で言った。
『ただ…』
山岡は言葉を切った。
『北鮮民国軍の本隊が上陸しても、しばらく様子を見ろ。吉野の集団催眠にかかっているとはいえ、自衛隊がどれだけ戦えるか…。ロボット同然なのか、それとも自衛隊としての本能は生きているのか。それを知りたい』
山岡の声が低かった。
「…。西の1へ向かいます」
高杉は言った。
『たのむぞ』
山岡は低く言った。
『死ぬなよ、高杉…』
山岡の言葉にふと笑った高杉は無線のスイッチを切った。
高杉は車に乗り込んだ。エンジンキーをまわしたが、スターターは回らなかった。
車を調べた高杉はため息をついて笑った。車体の横に小さな穴が開いている。自衛隊員が撃った流れ弾がエンジンを破壊したらしい。
「何だあの光は…」
統山としおりが乗った車は、国道三十七号線を長万部方向に向かって走っていた。
町の二キロほど手前にさしかかったとき、統山の目に何かが爆発するような光が数回見えた。海のほうからだ。光ばかりではない、窓を開けるとドスンという大砲らしい音も聞こえる。洋上で火花が上がった。自衛隊の船らしいのが炎を上げて燃えている。そしてまた大砲の音がした。
「貴之さん…」
しおりが不安そうな表情で統山を見つめた。
もしかすると…。
「高杉…。もしかすると高杉じゃないのか…」
統山はそう言ってしおりを見た。
こんなところで騒ぎを起こすのは高杉しかいない。高杉は吉野の北海道独立を阻止するため、たった一人で北海道を飛び回っている。
道民のほとんどと警察や自衛隊が吉野の集団催眠にかかっているとすれば、それに立ち向かうのは高杉しかいないはずだ。
「助けに行く!」
統山は光がしたほうに車を向けた。しおりは不安そうな顔で雪明りの道を見ていた。
「もし高杉だとしたら、このまま放っては行けない。あいつには何度も命を助けられた借りがある。高杉のことだ、簡単にやられることはないだろうが…」
「もし高杉さんじゃなかったら…」
しおりは不安そうな表情で統山を見た。
「あいつ以外に、こんなことはしないさ」
統山はそう言いながら車を走らせた。
走る向こうに港らしい岸壁が見えた。統山は漁協らしい建物の前で車を止めると拳銃を持って車の外へ出た。港の向こうに燃えている船が見える。埠頭には自衛隊の船が二隻、不気味に静まり返って停泊していた。
「統山か」
背後からの声に統山ははじかれたように振り返った。
「高杉!」
統山は大きなため息をついて高杉に歩み寄った。
「高杉さん…」
しおりも車から降りて高杉のほうに歩いてきた。
「きょうは海上自衛隊が相手か」
運転している統山が言った。
「そんなところだ」
高杉が言った。
「奇遇と言いたいところだが、まだ北海道にいたとはな…」
そう言った高杉が笑った。
「戸井まで行って、そこから船で渡るつもりだった」
統山は言った。
「そうか…」
高杉はうなずいた。
「タバコを吸っていいか?」
高杉は後部座席のしおりに聞いた。
「ええ…」
しおりはうなずいた。
高杉は少し窓を開けると、ポケットから煙草を取り出して火をつけた。
「足は大丈夫か?」
統山は血まみれになっている高杉の左足を見て聞いた。
「まあな…」
「痛みはないのか?」
「ある…。かなり強烈だ」
高杉は笑った。
「痛いと騒いで鎮まるものなら、この場で泣いてもいいんだが…」
高杉は煙草を吸いながら言った。
「あきれたわ」
しおりが言った。
「その傷で煙草を吸うなんて。傷に毒を擂りこんでいるようなものなのに…」
しおりの言葉に高杉は肩をすくめた。
「応急の麻酔薬がわりだ」
高杉はそう言って笑った。
「聞くが、早くも新妻の尻に敷かれだしたのか?」
「バカを言え!」
統山は否定の言葉を返した。しおりが笑っている。
「それより、これからどうするつもりだ」
統山は聞いた。
「留萌方面へ向かう…」
「仕事をするためか」
「そうだ…」
高杉は前を見たまま言った。
「その傷で行くには遠い距離だ」
「車はいくらでもある」
高杉はそう言って煙草を吸った。
「急ぐ旅でなければ、一晩くらいは治療したほうがいい」
統山は目の前の交差点を右に入った。
「この近くに、傷に効く有名な硫黄温泉がある。明日までおれたちと付き合え」
統山はそう言うと、ポケットから煙草を出して火をつけた。
「まだ敷かれてはいないらしいな」
高杉は、煙草を吸う統山としおりを見比べた。
「さっき言っただろう」
統山が笑った。
「尻に敷かれるのが夫婦円満の秘訣らしい」
「あんたの経験か?」
「いや…。たしか、誰かがそう言っていた」
高杉の言葉に統山としおりが笑った。
「あれだ」
統山は灯が消えている建物を指差した。ゆっくりと車を止めると、ポケットから拳銃を出した。
「それよりもいい方法がある」
高杉はウエストバックからGS・8を取り出した。
「いくら拳銃で脅しても、隙を作れば反対にやられる。しばらくのあいだ眠ってもらうのが一番だ。ここで待ってろ」
高杉はそう言うと車から降りた。銃弾で傷を負っているとは思えないような素早い動きで建物の玄関に近づいた。
「モズ、ハト。カラスだ」
玄関の影に身を隠した高杉は、特務課の仲間に通じるチャンネルでモズとハトを呼び出した。モズとハトは西の1、つまり留萌か羽幌にいる仲間だ。
『モズだ』
低い声が聞こえた。
「南の3は白くなった。そっちはどうだ」
『西の1は留萌だ。まだ本格的な侵攻の兆候はない。敵の先遣隊は五十人。ハトと協力して、すべての餌は木の枝に刺した』
モズというコードネームの仲間が言った。
「わかった。それと…」
高杉は、山岡総理が言ったことをモズに伝えた。モズはハトに伝えると答えた。
「言いわすれたが、羽根が一本抜けた。少し修復する。明後日の合流でどうだ」
『ふふ…。承知した。明後日に会おう』
モズは笑いながら無線を切った。
高杉は立ち上がると玄関をピッキングで開け、中に忍び込むとGS・8を着火して投げ込んだ。そして統山としおりのところへ戻ってきた。
「五分後にはみんな眠っている」
そう言うと、また煙草をくわえた。
高杉は、羽根が抜けたと聞いたモズの笑いを思い出した。
公安特務課ではエースといわれる高杉だった。その高杉が負傷したことを知ったモズが笑った。ナンバーワンのおまえでも手傷を負うことがあるのか、と…。そういうモズの笑いだった。
五分後、統山は車を建物の裏に止めた。高杉は車を降りると呼吸を止めて玄関から入り、風上と風下に面する部屋の窓を開け放ってGS・8のガスを流した。
温泉宿の中には湯治客らしい七人と、宿の夫婦が長い眠りに落ちていた。
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