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白い夜
作:凪沙 峻



第17話 工作員の潜入


第三章 殲 滅



十七 工作員の潜入

 十二月十三日、午後九時三十分。北海道松前半島南端
白神地区集会所には、高杉晋也の手引きで上陸作戦を敢行した陸上自衛隊第九旅団の第五普通科群団第三中隊が前線指揮所をおいていた。指揮官は中隊長の島田3佐だ。
 先遣部隊がこの地区を制圧した直後に第三中隊主力の百四十名が入った。豊浜地区には同じ第五普通科群団の第一中隊が入っている。政府はこの二カ所を拠点として北海道奪回作戦を開始するつもりだった。
「明日の朝には群団主力の二個中隊と偵察小隊の三百二十名が上陸してくる。我々は彼らと合流して函館地区を占領している部隊を制圧する」
島田は三中隊の幹部たちに言った。四人の幹部たちは無言でうなずいた。
「群団長も、明日の朝には豊浜に上陸される。出迎えは一中隊が担当するが、北部隊(北海道の独立に賛同している自衛隊)の襲撃に備えて厳重な警備が必要だ。各小隊に徹底しておけ」
四人の幹部は島田に敬礼をして各小隊の位置に戻っていった。
ふうーっと、島田は深いため息をついた。
久しぶりの北海道が、戦いの場になっていようとは…。
島田はまたため息をついた。
島田は北海道帯広市の出身だった。自衛隊に入隊して三十五年になる。一般陸士で入隊してから叩きあげで幹部になった。
 3等陸尉までは帯広にいたが、2等陸尉に昇任すると同時に青森の第九旅団司令部に転属し、まもなく帯広で勤務していたときに付き合っていた妻と結婚した。そして3等陸佐で第五普通科群団の中隊長に着任したのだ。
 防衛大学を出ていない自分はこれ以上の出世は望めない。定年で2等陸佐になるのがせいぜいだろう。
あと一年程で定年になる自分が、こともあろうに同じ自衛隊に。それも自分の出身である北海道の隊員と銃を向け合うことになろうとは。
島田の両親はまだ健在で帯広に住んでいる。
北海道が独立を宣言したとき、島田は自衛隊を依願退職して何度も妻と帯広に帰ろうとしたかわからない。しかし、北海道が独立を宣言したことで、本州の自衛隊に第三種の非常勤務待機命令が発令され、退職どころではなくなった。そこへ島田が所属する第五普通科群団に北海道への上陸が命ぜられたのだった。
「中隊長、よろしいですか」
ドアが開いて偵察小隊長の岡田2尉が入ってきた。
「どうした?」
島田は自分の前に立っている岡田を見た。
「おかしな電波を傍受しました…」
岡田は壁に立てかけてあったパイプ椅子を出して腰をおろした。
「おかしな電波?…」
島田は岡田を見つめたまま煙草を取り出した。
「はい…」
岡田も「失礼します」と言って煙草を出すと、島田がくわえた煙草にライターで火をつけた。
「これなんです…。どうも肉声の暗号らしいんですが、我々が使う陸幕指定の整合表のどれとも一致しないのです」
岡田は島田の机の上にパソコンから打ち出された紙を置いた。ほとんど意味不明な語句が並んでいた。それを見た島田は顔を上げて岡田を見た。
自衛隊の暗号には指定された整合表があり、その整合表にあわせて、どこの部隊がどんなことを伝えようとしているのかを解読する。
 その暗号表と整合表は何年かに一度陸幕の情報部で作成され、全国の自衛隊に配布される。したがって、暗号は陸・海・空自衛隊に共通のものだ。
 たとえば、〈作戦開始〉という命令用語を〈スズメを二羽、明日南へ飛ばす〉という暗号に変えておくと決定する。この場合は、〈スズメを二羽〉が整合表に指定された書物を示し、〈南へ飛ばす〉が〈作戦開始〉の意味となる。
 暗号を受け取った部隊の暗号解読専任の隊員は、〈スズメ〉というコードであらかじめ指定された書物の〈二羽〉、つまり〈第二版〉を膨大な書物の中から素早くピックアップする。
 隊員はシークレットカードと呼ばれる膨大なカードの中から、書物の〈明日〉として指定されているページを開き、〈南〉という文字を探し、その〈南〉という字があった行からあいうえお順に列を数えていって〈へ〉の行の最初にある熟語を特定する。
 最初に書かれている〈作戦〉という熟語がその特定された文字だ。
 次にまたシークレットカードから、指定された書物のページの〈飛〉という文字を探し、同じくその行からあいうえお順に数え、今度は〈ば〉ではなく〈は〉の行の一番最初にあった熟語〈開始〉の文字を特定する。
 暗号文は行頭の熟語と決めておけば専任の隊員が迷うことはない。
もちろん送られてくる暗号には、作戦開始の日時や場所、作戦に参加する部隊や勢力なども含まれるが、それぞれに指定される書物も変わる。専任の隊員がいかに早く正確に暗号を解読して上司に報告するかが重要視されることは言うまでもない。
 それらの書物は通称整合表と呼ばれ、陸幕情報部が指定する年月日に、指定された会社から発刊された都市の電話帳や国語辞典であったり、時には小説や幼児の絵本、学校で使う教科書だったりとさまざまだ。
 暗号解読専任の隊員は、暗号室の中にびっしりと収められている膨大な書物を完全に把握していなければならない。
 当然ながら、その暗号解読にかかわるシークレットカードや整合表として指定される書物は極秘扱いを受けていて、担当する隊員以外は取り扱いできないことになっている。
 有事の時、部隊が移動するときは、暗号室の中の整合表に指定されている書物を、トラックの中に、暗号室に並べられている通りに整理されて移動することになる。
通信小隊が傍受した不可解な電波は、自衛隊が使っているいかなる暗号とも整合しないのだった。受信は五分前の二十二時〇〇分になっている。
「自衛隊のものではないということか?」
島田は聞いた。
「はい…。自分の知る限りでは…」
岡田が答えた。
「北部隊が新たに開発した可能性は?」
島田は煙草をもみ消して言った。
「はい…。その可能性が無いではありませんが、中隊長もご存知のとおり、あらゆる自衛隊用語や軍事用語を暗号化して、さらに整合表やシークレットカードを作成するには、陸幕のどんなに有能な者が着手したとしても三ヶ月はかかります。それに…」
岡田はひとつため息をついた。
「ましてや、それを北部隊が開発し、北海道全部の部隊に教育・徹底するには、さらに最低一週間。それを考えましたとき、自分は、北部隊のものではない、のではと…」
岡田はそう言って島田3佐を見つめた。
「自衛隊のものでも、北部隊のものでもないとすると…」
島田は腕を組んで天井を見つめた。
「第三国のもの、ということも…」
岡田は天井を見つめている島田に言った。
「うむ…。それで、発信された場所は特定できたのか?」
「はい」
島田の問いに岡田は顔を上げた。
「留萌、あるいは羽幌のあたりです」
「念のために、陸幕に報告したほうがよさそうだな…」
島田は机の上においてある自衛隊専用線の電話帳に手を伸ばした。
受話器を持つ島田3佐を見つめる岡田の脳裏に、秘話装置がかかっていたとはいえ、暗号の声に妙なアクセントがあったことが気になっていた。



「積年の希望がついにかなうときがきた。我々人民軍は、この混乱に乗じて北海道に侵攻を開始する!」
平穣城の赤い城の会議室で金正冠キム・ジョンホンが机を叩いた。
「金正冠同志、万歳!。我が北鮮民国に栄光を!」
 北鮮民国人民軍の陸・海・空の将軍や最高幹部たちはいっせいに立ち上がって金正冠に敬礼した。座っている金正冠は、自分に敬礼する将軍や最高幹部たちを見ながら何度も満足そうにうなずいた。
積年の願いを成就させるときがきた。
北海道が日本政府から独立すると世界中に宣言したのは十二月十日のことだった。
北鮮民国国家主席の金正冠も、赤い城の自室でその衛星放送を見ていた。
その十日前の十二月一日、北海道の北にある稚内が国籍不明のジェット戦闘機によって爆撃されたというニュースが飛び込んできた。そしてその日の夜、日本の外務省から、ロシア、中国、北鮮民国に対して誤爆の事実はないかと問い合わせてきた。
ロシアと中国はその事実はないと返答を送っていたが、金はほうっておいた。日本の国がどうなろうと知ったことではない。
日本人の拉致問題や核開発問題で、日本とアメリカは、北鮮民国は地球上で最後の悪の中枢だと騒ぎ立て、経済や金融制裁を強行にし、国際世論をあおぎ立てている。
 三度にわたる地下核実験をして以来、同民族の南鮮民国や同じ社会主義国のロシアさえ、アメリカや日本といっしょになってわが国を攻める側にまわりはじめた。なんとか友好を保っているのは中国だけだった。
人民の貧困も深刻な状態になっている。中国との国境や三十八度線を越えて脱北するやからもあとを絶たない。そんなことはいい。逃げたやからは、中国や南に潜入させている工作員に捕まえさせて北へ連れ帰り、公開処刑をして見せしめにする。
人民には徹底して貧困を味あわせ、その原因はアメリカと日本が北鮮民国に対して経済制裁をしているからだという憎しみを植え付ける。それが国を挙げての強さとなるのだ。
 燃料が不足している中で無理矢理行った二〇〇六年七月のミサイル発射実験や地下核実験も、核を保有したという既成事実を国民や外国に示すためだ。
 国家予算のほとんどを軍事に使っても、国民には文句は言わさない。文句をいう者があれば公開処刑で思い知らせる。
 各国からの援助物資を国民のために回すつもりなどはもうとう無い。国民などは一度いい思いをさせたらすぐにつけあがり、それ以上のものを求める。
 生かさず殺さず。それが他国に対する憎しみを植え付け、国家に対する忠誠を誓わせる一番の方法なのだ。
日本の北にある島、北海道を占領できればアジアにおける北鮮民国の立場は一躍有利なものとなる。
 気候といい豊富な作物、海産物など、いまの北には無い豊かな第二の北鮮民国国家を作ることができるのだ。
 占領したあの島にノドン二型やテポドン一・二型(長・中距離弾道ミサイル)の基地を作れば、極東にさらなる北鮮民国の脅威を植え付けることができる。
 そして、いずれは日本の本州にも侵攻して、あの島国を完全に制圧する。日本人は強制労働をさせるだけさせて、最終的には日本民族の根を根絶する。
 日本人などは根絶やしにしたほうがアジアのためなのだ。
「同志閣下。十七時に、日本との領海交差地点で特殊工作員五十人を潜水艇で出発させます。二十二時には、北海道中部の西海岸に上陸できるでしょう。その後に一派から四派に分けた兵を逐次出発させる手配を整えました」
海軍の超陽明将軍がワイングラスを持ち上げて言った。
「うむ。とにかく隠密行動で北海道を騒乱状態に陥いれろ。陸軍は、潜入した工作員の情報のもとに、船を使って本隊を送り込む。空軍はあるだけの燃料をかき集めて待機させておけ。みなも承知のとおり、燃料は限られている」
「心得ました同志閣下!」
空軍の李厳鉦将軍が靴のかかとを打ち合せて敬礼した。
「海軍と空軍の全面支援のもと、同志閣下の陸軍が、北海道を、わが国立百貨店の一番きらびやかな包装紙に包んで閣下のもとにお届けしましょう」
陸軍の梢清元将軍が笑いを浮かべた。
「楽しみなことだ…」
金正冠は目を細めて各軍の将軍とその後ろに立っている高級幹部たちを見渡した。


十二月十三日午後九時五十五分。北海道留萌市瀬越町。
留萌市は人口二万七千人の町だ。
 市の財源は主に漁業と農業で、これといった観光名所もない。夜の七時を過ぎると繁華街の飲食店をのぞいて町の灯りは落ちる。寂れた町の特徴だ。
瀬越町の海岸にひとつの黒い影が海から上がった。影はあたりの様子をうかがうと、黒い海に向けて青く遮光されたペンライトを二度点滅させた。それが合図のように黒い影が次々と海面に現れ、五分後には五十人ほどの影が海岸に上陸した。
最初に上陸した影が何事か手で合図をした。五十人ほどの影は一斉に闇の中に溶けた。 最初に上陸したリーダーらしい影が、喉もとに付いている無線マイクに小さな声で意味不明なことを言っている。
影たちは上陸地点から東の方角へと向かっている。目標は陸上自衛隊の駐屯地だ。
 二時間後には本国から歩兵の第二軍団がこの地点に上陸してくる。その前に自衛隊の駐屯地を押さえるのが当面の任務だ。
この駐屯地には七百人ほどの自衛隊がいると事前の情報が入っている。
日本の自衛隊は実戦の経験が無い。もちろん人間を殺したこともないはずだ。自分たちにとっては、喧嘩のやり方を知らない赤ん坊の手をひねるようなものだ。
影たちは闇の中を自衛隊の駐屯地へ向かって進んでいった。

 陸上自衛隊留萌駐屯地。
第二十六普通科群団の一階。
 群団長の木元1佐は、群団の作戦室で壁に張られた作戦図をながめていた。北海道の主要都市のほとんどに青い画鋲が刺されている。画鋲が刺さっているところは北海道共和国の自衛隊が制圧を完了したところだ。
 ただひとつ気になる場所がある。それは函館の西にある赤い点だった。群団の通信小隊によれば、豊浜地区と白神地区が本州のN部隊によって制圧されたとのことだった。
しかし、小さな地区がN部隊の反撃によって制圧されるであろうことは、ある程度予想していたことだ。
 だが、函館の最前線には、防衛大学の先輩である豊倉陸将補率いる第五・第七旅団の主力と第十一旅団の第二十八普通科群団が陣を敷いている。めったなことではN部隊にひけはとらないはずだ。
 豊倉陸将補は戦術の神様と呼ばれ、矢沢総司令からはもちろん、第五・第七旅団長からも絶対の信頼を受けている。
木元は小さくため息をついて作戦図を見つめていた。
「三科長…」
木元は群団三科長の庄田3佐に声をかけた。群団の三科長は作戦を担当とする幕僚だ。
「はい」
庄田3佐は作戦図を打ち込んでいたパソコンから顔を上げた。
「函館の豊倉将補から、その後何も連絡は入っていないのか」
木元は指揮官机の冷めたコーヒーを飲みながら聞いた。
「はい。白神と豊浜のこといらい、何も…」
庄田は答えた。
「そうか…」
木元は腕を組んだ。
「ただ、矢沢総司令官から絶対の信頼を受けて最前線指揮官となられた方ですから、それなりのお考えは持っておられることでしょう」
庄田は立ち上がって木元の向かいに腰を下ろした。
「もちろん心配はしとらんが、豊浜と白神に上陸したのはどのくらいの勢力なのか。それが気になってな…」
木元は腕を組んだ。
「細部は不明とのことですが、第九旅団の二個中隊程度ではないかということです。それに、政府の工作員が北海道で暗躍しているとの噂もあります」
庄田はそう言って木元群団長を見つめた。
「稚内で、前田市長と山岡総理に成りすましたふたりが、何者かに殺害されたとのことですし、旭川市長も殺されました。同じ人間の仕業ではないかとの噂です」
「うむ…」
 庄田の言葉に木元はうなずいた。
「もしも噂どおりだとすると、やっかいなのが潜伏しているということだ。大勢よりも一匹狼のほうが動きやすいし目立たないからな。そんなやつに闇から闇へ動かれると、通常では補足しきれん…」
木元はそう言って煙草を出して火をつけた。
「そういえば、群団長はレンジャー出身でしたね」
庄田は、木元が普通科レンジャーを修了していることを思い出した。
レンジャー隊員は強靭な体力と精神力を持ち、単独で一週間や二週間山の中に放り出されても、どんな過酷な環境でも生き抜く力と、自然界のあらゆることに応用する知恵を持っている。
 ヘビやネズミ、木の根や草をかじって何が何でも生き抜き、敵のふところ深く潜入して、情報を持って味方の部隊に知らせる。
「まあ、レンジャーもピンからキリまでいる」
木元はそう言って笑った。
廊下で何かが床を擦るような音がした。
「ん?。いまの音は何だ」
木元がドアのほうを見た。
「歩哨が何かを倒しでもしたんでしょうか…」
運用訓練幹部の萩原2尉が立ち上がった。
 三発の鈍い拳銃の音がして、ドアを開けようとした萩原が全身をガクガクと躍らせて後ろに倒れた。同時にドアが蹴破られ、三人の黒装束に身を包んだ人間が作戦室に飛び込んできた。手には缶ジュースほどのずんぐりとした消音器を装着した拳銃を持っている。
「きみたちは…」
そこまで言って立ち上がろうとした木元1佐の胸と額にブスッ、ブスッとこもったように発射された拳銃弾がくい込んだ。
 三科長の庄田も立ち上がるまもなく背中と頭部を撃ち抜かれて絶命した。
 また数発の拳銃が発射され、作戦室にいた五人の自衛隊員は自分の銃を手にとるまもなく床に転がった。
黒装束の男が素早く手で左右を指した。その合図にふたりの黒装束は廊下に出て次の部屋の前に立った。廊下にはほかの黒装束が二十人ほど立っていた。
最初に作戦室に飛び込んだリーダーらしき黒装束が手を振り下ろしたのを合図に、黒装束たちはそれぞれの部屋に飛び込んでいった。廊下には歩哨に立っていたと思われる四人の自衛官が数発の銃弾を浴びて倒れている。
黒装束たちが飛び込んだ部屋から、断続的に消音器を通して発射される拳銃の音が聞こえた。

「いまの音は…」
当直についていた第二十六普通科群団・第二中隊の伊藤2曹は、階下で聞こえた音にただならぬ気配を感じた。伊藤は壁に立てかけてあった八九式小銃を持った。
N部隊が侵入したか!
伊藤は廊下に出て一階が見える階段のところまでしのび足で近づいた。こもったような連続した音が聞こえる。伊藤は階段を下りて一階と二階の中間の踊り場へ下りた。
 なんだ?…。
伊藤は階下にいる黒装束の人間を見て息をのんだ。そのひとりが伊藤がいる階段に近づいてくる。同じ群団の仲間が数人血を流して倒れているのが確認できた。
 敵だ!
 伊藤は素早く二階に上がった。曲がり角の壁に身を隠し、腰の弾帯に下がっている銃剣を抜くと、静かに小銃に装着して腰だめに構えた。心臓が高鳴っている。
 銃剣つきの小銃を構える伊藤の手が緊張と汗で滑るようだ。伊藤は息を殺して壁の角をにらんだ。
壁から拳銃の銃身が見えた。伊藤は腹に力を込めた。
「ヤッ!」
小さく気合を入れると、飛び出した伊藤は黒装束の胸に銃剣を突き立てた。骨を砕いたような手ごたえがして銃剣の根元まで黒装束の胸に突き刺さった。
「金…、正冠、将、軍、万歳!…」
 伊藤は身体に力を込めて銃剣を引き抜いた。傷口から勢いよく飛び出す黒装束の血が伊藤の顔と戦闘服にしぶきとなってかかった。
 北、鮮民国…。
伊藤は倒れた黒装束が聞きなれない言葉でそう言ったのを聞いた。キム・ジョンホンとは北鮮民国の国家主席のことだ。
伊藤は走って当直室に駆け込むと電話の受話器を取り上げ、函館の最前線司令部の番号を押した。
『前線本部通信班、宗方1曹です』
「こちら留萌!。第二十六普通科群団二中隊の伊藤2曹です!」
伊藤は押し殺した声で言った。
「ただいま北鮮民国のゲリラと思われる複数が侵入しました!。じぶんがひとり倒しましたが、その男は金正冠将軍、万歳と!。繰り返します!。北鮮民国のゲリラと思われ…」
伊藤は背中に強烈な銃弾のショックを感じて振り返った。
 背中から貫通した銃弾は、机に上のパソコンの画面を撃ち抜いた。ドアのところに黒装束が拳銃を構えている。その黒装束が自分に向けて拳銃の引き金をひくのが見えた。
 伊藤は額に着弾のショックを感じたまま崩れ落ちた。
 かすかに働いている伊藤の脳に、開いたままの目から立ち去る黒装束の信号が送られてくる。やがてその信号は消えた。

「北鮮民国だと!」
通信班の宗方1曹の報告を受けた豊倉陸将補は椅子を倒して立ち上がった。
「はい…」
宗方は姿勢を正したまま豊倉陸将補を見つめた。
「まさか…」
豊倉は空をにらんでつぶやいた。
豊倉は受話器を持ち上げ、留萌の第二十六普通科群団の本部や各中隊へ電話をかけた。しかしどの回線も呼び出し音が続くだけで電話に出る相手はいなかった。
「………」
豊倉は無言で受話器を置いた。
「宗方、間違いはないな」
豊倉は宗方を見据えた。
「じぶんは、司令から最前線の通信を任されています!」
宗方はそう言って豊倉を見た。
「うむ!」
豊倉は大きくうなずいた。そしてまた受話器を持ち上げてボタンを押した。
「豊倉将補だ。矢沢総司令官を頼む…。宗方、休め。楽にしてよし。そのままいてくれ」
豊倉は、矢沢総司令官が電話に出るまで、突っ立っている宗方1曹に言った。
「はい!」
 宗方は整列休めの姿勢をとって豊倉将補を見つめている。
『矢沢だ』
「あ、司令…」
函館のホテルにいる北海道共和国国防大臣の矢沢昭彦が電話に出た。
「たった今の情報ですが…」
豊倉は言葉を切ってため息をついた。
「二十二時三十分ころ、留萌駐屯地が…。北鮮民国のゲリラと思われる不特定多数の攻撃を受けたもようです」
『なに、北鮮民国だと!。確かなのか!』
「確かな情報です…」
矢沢の驚きを隠せない声に豊倉が言った。
「わたしの通信班が留萌からの電話を受けました。電話をしてきた隊員もやられたようですが、電話をする前に相手もひとり殺したと…。相手が死ぬ前に〈金正冠将軍、万歳〉と叫んだそうです…」
豊倉は目の前の宗方の報告どおりを矢沢に伝えた。
「北海道の最前線をあずかるわたしの通信班員は優秀です。聞き間違えることは絶対に考えられません」
『………』
電話の矢沢は言葉を失っていた。
「わたしも、通信班の報告があってから何度か二十六群団に電話をかけてみましたが、どの電話も出ません。おそらくは、群団長の木元1佐以下、全滅…、したのではと…」
『く…』
 電話の矢沢が言葉につまった。豊倉も深いため息をついた。
『吉野首相には?』
「まだです」
『わかった。わたしから伝えておく。早急に対処せねばならん。きみたちは前線の警備を引き続きしっかりと頼む…』
そう言って矢沢の電話は切れた。


注)この小説はフィクションであり、登場人物または登場する組織などは実在のものではありません。











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