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白い夜
作:凪沙 峻



第16話 コード・ネーム「カラス」


十六 コードネーム「カラス」

十二月十一日午後十時
雪が積もった松前半島の天狗山の中腹に一機のハンググライダーが音もなく降着して、白装束に身を包んだ人影が森の中に消えていった。

白神地区集会所
白神岬に第一線戦闘陣地を構築している第二十八普通科群団・若野1佐の部隊に、函館の豊倉陸将補からN部隊が侵入して来るかもしれないという情報が入ったのは未明のことだった。
 白神地区は、群団本部指揮所と、群団の直接支援をする本部管理中隊、第一・第二中隊、重迫撃砲中隊の半数が警備態勢を布き。豊浜地区には第三中隊と第四中隊、重迫撃砲中隊の残りがいる。 
 また、99式対舟艇誘導ミサイルを装備する第十一旅団の対戦車隊と、96式高射機関砲を装備する高射特科大隊の一個中隊が、豊浜と白神の中間に位置する白神神社の浜辺に陣地を構築し、海からの侵入が予想されるN部隊を警戒している。
「白神岬周辺を特に注意しろ。航空勢力は五分五分だが、N部隊の可能行動として海からの侵入が一番考えられる。レーダーの出力を最大にして監視体制を強化しろ」
若野は第三科長の大野2佐に命じた。
「はっ!」
大野はかたわらの無線機のハンドマイクを持つと、白神岬一帯に陣を敷いている部隊に若野が言ったことの指令を出した。了解という返事が次々と入ってくる。
北海道が独立を宣言してから三十四時間がたっていた。函館入りした矢沢総司令から、N部隊が侵入してくる可能性を重視して警戒を厳にせよと、函館の豊倉陸将補に指令が下ったのだ。若野も当然その可能性を予想している。
日本政府のコメントはいっさい伝わっては来ない。おそらく吉野知事が電波と報道の管制を強化しているものと思われる。
 直接日本国と交渉するのは、初代首相に就任した吉野知事だ。その吉野首相は、入ってくる情報を国防大臣の矢沢総司令と、北海道警察本部長の藤坂治安大臣に随時入れていると聞く。
若野は壁に張られている渡島半島の地図に目をやった。白神地区と豊浜地区の若野部隊の警戒範囲が青い線で表されている。
 若野の部隊は総員六百七十名だ。車両もジープ、トラック、装甲車など、合わせて八十五両。偵察小隊の戦闘用ジープ二台とスノーモービル四台は、指揮所後方の天狗山と白神岳に情報収集に派遣してある。何か異変があれば直ちに知らせが入ることになっていた。
「偵察小隊からの定時連絡はまだか?」
若野が聞いた。
「はい。二十二時の時点で、北尾3尉の組と松坂准尉の組から異常なしとの連絡が入りました」
大野が答えた。
「わかった…。わたしは豊浜の三中隊と四中隊を見てくる。一時間以内には戻る」
若野はそう言うと、白い戦闘迷彩服のポケットから煙草を取り出した。
「わかりました。お気をつけて…」
 大野は立ち上がると、群団長ドライバーにジープを回すように言った。

天狗山の中腹の細い道路を下る白い影があった。影は、それほど周りを気にしていないような様子で雪が積もった林道を歩いている。
影が何かの気配を感じて立ち止まった。素早い動きで林道の横に積もっている雪の中に身を伏せ、周りの雪を自分の上にかけた。
 まもなく低いエンジンの音が聞こえてきた。積もった雪のせいでエンジンの音は周りに反響せず、雪に吸い込まれている。
 白く塗られた二台のスノーモービルが低い音をたてて林道を駆け上がってきた。乗っている人間も白い服に身を包んでいる。背中に銃のようなものを背負っていた。ヘッドライトはつけていない。
二台のスノーモービルは、雪の中に身を隠している影の手前まで登ってきた。影は雪の中でこぶし大の石を握った。
先頭のスノーモービルが雪の中に隠れている影の横を通り過ぎた。そして二代目のスノーモービルが通りぬけようとしたとき、雪を舞い上げて影が宙に飛び出した。
 その手から石が飛んだ。二代目のスノーモービルを操縦している人間のヘルメットの風防を突き破った石が顔面を直撃した。ドライバーを失ったスノーモービルが勢いよく前を浮かして林道に落ちた。その音に気付いたもう一台のスノーモービルが止まり、白装束のドライバーが背中の銃を外そうとしている。
影の手からナイフが飛んだ。背中から銃を外そうとしていた白装束は、影の手から放たれたナイフに喉元を貫かれ、膝を突いて前のめりに倒れてそのまま動かなくなった。
影は二人の白装束が持っていた銃を調べた。レミントンの五・五六ミリ高速弾を使う89式自動小銃だ。銃杷のところに[二十八普一・山岸]と所属と名前が白く書かれている。函館に駐屯する十一旅団隷下の第二十八普通科群団第一中隊の隊員だ。
 隊員は三十発の実弾が込められた予備弾倉を一本ずつ腰の弾薬帯に下げていた。
 影は小銃の安全装置を解除してレバーを連発に切り替えると、スライドを少し引いて薬室を確かめた。すでに初弾は装填されている。
『松坂組。こちら大野2佐だ。異常はないか。おくれ』
ひとりの白装束のポケットで無線機の声がした。影は素早く時計を見た。時間は夜の十一時に一分ほど前だった。定時連絡らしい。
影は倒れている白装束のポケットから小型無線機を出すと、「こちら松坂組の山岸。現在のところ異常なし。おくれ」と押し殺した声で無線を出した。
『了解した。警戒を厳にし、偵察を続行せよ』という無線が入った。
「了解。引き続き偵察を続行する」と影は答えた。
影は一丁の自動小銃を背負うと、予備の弾薬をポケットに入れて林道を下っていった。
しばらく林道を下ってゆくと二階建ての建物が見えた。影は素早い動きで背中から自動小銃をはずした。建物の壁に体をつけると、中で人間が動く空気の動きが伝わってくる。窓を塞いで灯りが漏れないようにしているらしい。
 影は時計を見た。十一時四十分になろうとしている。次の定時連絡まではまだ時間がある。
影は建物に身体を密着させたままひとつ小さなため息をついた。
影が隠れている建物の反対方向から車が走ってきた。雪の地面だけを照らす防空管制灯がやけに明るく感じられる。影は建物の陰に身を隠した。
白い影は高杉晋也だった。
走ってきた車は低いエンジン音を出しながら建物の前に停止した。幌つきの自衛隊のジープだ。車体は白くまだらに冬の迷彩塗装をしている。
 止まったジープの助手席から白い冬季の迷彩服を着て白いヘルメットをかぶった自衛隊員が降りた。自衛隊員はジープのドアを閉めると建物のドアをノックした。
「若野1佐だ」
ドアをノックした自衛隊員は小声で言った。
「合言葉!」
中から声がする。
「留辺蕊…」
若野と名のった隊員が言った。
「留辺蕊!」
中から小さな声がした。警備の隊員が合言葉を求めているらしい。
「大楽毛」
若菜は答えた。
合言葉はいずれも北海道の地名で、留辺蕊るべしべは網走に近い小さな町で大楽毛おたのしげは釧路に近い町だ。北海道ならではの読みにくい地名を使っている。
確認した隊員がドアを開けると若野が入った。
高杉は建物の裏側へまわり、分厚い毛布でふさがれた窓ガラスに耳を当てた。
「豊浜のほうも厳戒態勢だ。N部隊がいつ上陸してくるかと緊張感が張りつめている」
若野らしい声が聞こえた。
「まもなく零時です。合言葉の切りかえ時間が迫っています」
若野の部下らしい声が聞こえた。
「うむ…」
若野の声が聞こえた。
訓子府くんねっぷ忍路おしょろか…。本州の人間にはなかなか理解できない北海道の地名だ。地元のおれでさえまともに読めない地名は今でもたくさんある」
若野が笑った。
「総監もうまい合言葉を考え出したものです」
部下も笑った。
「時間ですので、全隊に知らせます」
そう言った若野の部下が歩く靴音がした。
「全隊に告ぐ。こちら三科長の大野2佐だ。零時から合言葉を切り替える。各隊了解か、おくれ」
『三・四中隊、了解』
 豊浜地区を合同で警戒している第三中隊と第四中隊から了解の無線が入った。
『一・二中隊、了解』
『重迫中隊、了解』
『本部管理中隊、了解』
『対戦車隊、了解』
『高射中隊、了解』
大野が展開している部隊に無線機で指示しているらしい。了解という返事が次々と返ってきた。
「松坂組、了解した…」
高杉は奪った無線機を使って小さな声で答えた。
『北尾組、了解』
 松坂組と別地区に偵察に出ているらしい組の無線が入った。
「全隊確認しました」
大野が報告する声がする。
「うむ。引き続き警戒を厳にせよ」
若野が言った。
「群団長、少し休まれてはどうですか?。まだ先は長いですし、われわれ幕僚もおりますから…」
大野が言った。
「うむ。そうさせてもらうか…」
若野の声がする。椅子から立ち上がって歩き出したのか、床を歩く靴音が聞こえた。
「何かあったらすぐに起こしてくれ」
「わかりました」
そう答える大野の声がした。
高杉は建物から離れ、積もった雪の中に顔だけを出してもぐりこんだ。断熱服だから雪の中でも体温で暖かい。
雪の中に身を隠してから三十分あまりがすぎた頃、高杉は静かに身を起こした。
高杉は自動小銃を肩につるしてドアの前に立つと、無造作にドアをノックした。
「誰か!」という声がした。
「松坂組の山岸だ」
高杉は押し殺した声で言った。
「合言葉!」と、中の隊員が言った。
「訓子府」
高杉が言った。
「訓子府!」
隊員が強い声で言った。
自衛隊の合言葉は、不審な者に対しては一方的に言わせるよう訓練されている。
 相手が「山」と言ったからといって、すぐに信用して「川」と言ってはいけないのだ。どんな手を使って合言葉の片方を知ったかもしれない。
 警備の者は必ず相手に両方を言わせて確認することになっている。
「忍路…」
高杉は笑いたいのをこらえて言った。
 その手には缶ジュースほどの大きさの物が握られている。GS・8という強烈な催眠ガスだ。このガスで眠ってしまうと二十四時間は目を覚ますことはない。通称〈長い夢〉と呼ばれる。
 強盗や篭城犯を逮捕するとき、犯人も人質も殺さずに相手の自由を奪う目的で、自治省と国家公安委員会の研究班が共同で開発した催眠ガスだ。
警備の隊員がドアを開けたと同時に、GS・8の先端にある着火装置を壁でこすった。 シューッという音と着火装置が燃える炎が上がった。高杉はそれを中に投げ込んで素早くドアを閉めた。中から警備員がドアを開けようとする音がしていたが、やがて倒れる音がした。
「どうした!」
別の部屋で仮眠をとっていたらしい若野の声がしたが、中を走る靴音もやがて消えた。
 高杉は中の気配を確認して小さくため息をついた。そして胸ポケットからタバコの箱ほどの無線機を出して細いアンテナを伸ばした。
「白神のカラスは白くなった。次の鳥かごに向かう」
高杉は高性能の小型無線機にそう言った。
『わかった。餌をとどける』
相手が答えた。高杉はそれを確認して無線機のスイッチを切った。


「二十四時間だ。その間に白神地区を完全に制圧しろ。可能な限り隊員は殺すな。豊浜地区も一時間以内には白くなる」
総理大臣の山岡宗助は防衛大臣の大山に言った。
高杉からの無線が入ったばかりだった。このときを逃しては北海道上陸のチャンスは二度とない。高杉だからこそできた離れ技だ。
 本州と一番近い白神岬を押さえればそこから部隊が上陸できる。北海道奪回の突破口がついに開けたのだ。
「大山だ。東北方面総監につないでくれ!」
大山が青森市役所の前線指揮所へ電話をかけている。
「総監、大山だ。白神のカラスは白くなった。直ちに餌を届けてくれ!。その後の指示は追って出す!」
大山は力強く言って受話器を置いた。その大山に山岡が大きくうなずいた。
「総理。先ほどの無線は?…」
社共党の川島健作が立っている山岡を見上げた。
「わしの切り札だ」
山岡はそう言いながらソファーに座った。
「別に隠すことでもないが、歴代の総理に代々仕えた一族があって、あいつはその末裔だ。先祖は、幕末の士として名高い高杉晋作。そのひ孫にあたる…」
山岡は、各党の代表を見つめながら煙草に火をつけた。
「たったひとりで乗りこんだと…」
公民党の平川が感嘆の声で言った。
「あやつにとっては、何人もの仲間で動くよりも単独のほうがやりやすいのだろう。へたに気を使わなくてすむからな」
「自分以外の周りは全て敵か…。なるほど…」
平川はそう言って腕を組んだ。

一時間後、豊浜公民館に指揮所をおいていた第二十八普通科群団の第三中隊と第四中隊の指揮官たちは、高杉の睡眠ガスGS・8によって眠らさせた。


深夜一時
白神岬の砂浜に、十隻ほどの自衛隊の上陸用舟艇が揚がった。
 一隻の上陸用舟艇には完全武装した第九旅団第五普通科群団・第三中隊の二十人の隊員が乗っていた。隊員たちは素早い動きで次々と上陸し、身を低くしながら白神集会所の方へと走っていった。
隊員のひとりが集会所のドアを開けた。
 中には、高杉が散布したGS・8で十五人の隊員が床、あるいは椅子に座ったままの姿勢で眠り込んでいた。床には第二十八普通科群団長の若野1佐も倒れている。
侵入した隊員たちは、眠っている隊員の両手両足を強化プラスチック製のタグでしばり、若野1佐と大野2佐を建物から運び出した。
指揮官らしい隊員が、壁に無造作に画鋲で止められている紙を見た。
 その紙には、赤いボールペンで白神岬と天狗山一帯に配備されている、第二十八普通科群団が陣を布いている場所が克明に描かれていた。最後に〈カラス〉とサインがしてある。 カラスというコードネームは、総理大臣直轄の特務工作員であると聞かされていた。
「全員、VG・5を準備せよ」
指揮官らしい隊員がのどもとに装着した小型のデジタル無線機で全員に指示した。
隊員たちは実弾が込められている弾倉をはずして、弾薬帯から麻酔弾がこめられている弾倉を装着した。弾頭の中には呼吸系と皮膚浸透の効果があるVG・5という麻酔薬が充填されている。
 砕けやすい弾頭のため人を殺傷する力はないが、着ている服の上からでも強力に浸透して皮膚から体内に入る。揮発ガスを嗅いだだけでも効果は大きい。GS・8と同じ自治省が国家公安委員会と協同開発したテロ鎮圧のための弾丸だ。
弾倉の交換を確認した指揮官は、頭の上で数回円を描いた。十人の隊員が前へ出た。各グループのリーダーらしい。
 指揮官は各リーダーにカラスが残した紙を見せ、それぞれ目標を示した。赤く印された陣地は座標で示されている。
「作戦開始!」
指揮官がレシーバーで言った。
二十人で編成された隊員は、それぞれのリーダーが示した方向に前進を開始した。

有沢孝則陸曹長は第三グループのリーダーだった。
 レシーバーのチャンネルを3に切り替え、白神岳の第一目標を目指して林道を登っていった。全員が白い冬季の迷彩服を着ている。
 相手も同じ迷彩服だろうと思われたため、仲間を見分ける方法として、黒マジックで胸と背中の真ん中に直径十センチほどの丸が書かれている。
有沢は、五人の部下を引き連れ、第三ほふくで五十メートルほど前進し、全身で周りの気配に注意しながら異常がないのを確認して、次の三人に前進するようレシーバーで命じた。
自衛隊のほふく前進には四種類がある。
 第一ほふくは、片手に銃を持ち、地面に付いた手のひらと膝で身体を支えながら進む。 第二ほふくは、地面にひじを折り曲げた状態で前進する。
 第三ほふくは、地面に伏せた格好で銃を両手に持ち、両肘と両膝を交互に動かしながら前進する。
 第四ほふくは、両膝を使わず地面に伏せ、伸ばした両手の伸縮のみで前進する。敵に近いほど第三あるいは第四ほふくを使うことになる。
数百メートルも前進した頃、陣地が近いと感じた有沢は第三ほふくで雪の中を進んでいた。ほかの隊員は、陣地の前、あるいは横から雪の中を音をたてず、姿を見られないように慎重に前進しているはずだった。
 相手は同じ自衛官だが、自分たちとは違って実弾を装填した銃を持っていることを全員が承知している。有沢たちは緊急以外は実弾は使うなと旅団長から命令されていた。
隊員たちは、今まで自衛隊のだれもが経験したことのない、まさに実戦の渦の中に飛び込もうとしているのだった。それも、相手は同じ訓練を受けている日本の自衛隊だ。
第三グループの西山1曹は雪をかき分けてゆっくりと進みながらも、心は複雑だった。
同じ自衛官が同胞に対して銃を向け、引き金を引かなければならない。先に撃たなければ自分が死ぬ。
 自分の弾は麻酔弾だが、相手の弾は一発くらっただけで簡単に命を奪う実弾だ。
 雪の中を進むあいだ、実弾の弾倉と交換しようと何度思ったかしれない。しかしそれはできなかった。少なくとも、自分の銃で同胞の自衛官を殺すことはできないという気持ちが先にたった。
相手にしても同じことが言えよう。いかに北海道出身の隊員が多いとはいえ、自分の意思ではなく上官の命令で同胞に向けて銃を撃とうとしている。彼らとて同じ自衛官を憎しみを込めて銃を撃てようはずはないのだ。
おやじ、おふくろ…。
西山は心の中で岐阜にいる両親のことを頭に描いていた。
 とうに定年になったが、父もまた自衛官だった。
 父親の姿を見て育った西山は、十八歳になるとすぐに自衛隊に入隊した。
 演習につぐ演習でほとんど家にはいないことが多い父親だったが、制服姿や戦闘服姿の父親は、息子から見ればわりとカッコよかった。それにあこがれて自衛隊に入隊したのだった。
おれは死ぬかもしれない。
 西山は心の中でつぶやいた。自衛隊に入隊して二十五年。こんなことになろうとは。
『陣地発見!』
耳のイャホーンから押し殺した声が聞こえた。リーダーの有沢曹長の近くにいる浅野の声だ。
『前方約五十メートルの、二本並んだエゾ松の右だ。確認したか!』
有沢の声が入った。『確認!』という仲間たちの声が次々と入ってくる。
「確認した」
西山は喉もとの振動式マイクで答えた。振動式マイクは、ささやくような小声でも喉の振動を音声に変換できる。
『西山の正面だ。歩哨を確認できるか』
有沢が聞いた。
「待て」
西山は夜目をこらして二本木の右に見える雪で作られた陣地を見つめた。歩哨が二人、胸から上を陣地から出して警戒しているのが見える。
「ふたり確認できる」
西山は答えた。
『よし、そこから歩哨を撃て。ほかの者は、歩哨を倒したと同時に突っ込む。全員射撃準備!』
有沢が射撃命令を出した。
「了解」
西山は答えた。
「辻!」
西山は右側にいる辻3曹を呼んだ。
『はい!』
辻の返事が聞こえた。
「おれとおまえで撃つ。おまえは右の歩哨だ。頭か胸元を狙え!。他の者は突入準備!」
『了解。準備よし!』
辻の緊張した声が返ってきた。
『突入準備よし!』
『全員、準備よし!』
 雪の中に伏せている仲間たちの無線が入った。
「そのまま待て。突入は射撃直後とする」
 西山は全員に伝えた。
西山は銃カバーの銃身部とスコープのカバーをめくった。
 一発目はすでに薬室に入っている。安全装置はかけていない。全員の銃には缶ビールほどの太い消音器がついている。 夏では音が反響するからそれほど効果はないが、雪が音を吸収する冬は消音器の効果は高い。
西山はゆっくりとした動作で銃を肩に当てた。照準スコープの中に白い迷彩服の歩哨が見える。
 照準は二百メートルの戦闘用に合わせている。五十メートルだと、クロスの三センチほど下を狙えばいい。
「狙え!」
西山は辻に言った。
『よし!』
辻が答えた。
「撃て!」
消音器を通した低い音ともに二丁の銃が同時に発射された。二発の麻酔弾はふたりの歩哨の胸元に命中して砕けた。その瞬間、ふたりの歩哨はゆっくりと崩れ落ちた。
『全員、突っ込め!』
有沢の声と同時に雪の中から仲間たちが飛び出し、懸命に雪をかき分けながら陣地に向かってゆく。
「辻。おれとお前はここで援護だ。陣地から出たやつを撃て!」
西山は振動マイクで辻に命じた。
『了解!』
辻の声がした。
スコープの中を仲間たちが進んでゆく。雪のせいで思うようには早くは進めない。それでも仲間たちは雪を掻き分けながら走っていた。
スコープの中に陣地から出てきた隊員が映った。丸い印はついていない。西山はその隊員を狙って引き金を引いた。肩に命中した麻酔弾が砕け散り、隊員はゆっくりと倒れた。ちがう相手を確認したのか、辻の銃も発射された。
仲間たちはようやく陣地に駆け寄り、銃を構えながら次々と中に吸い込まれていった。
「辻、行くぞ!」
西山は仲間たちが陣地の中に消えたのを確認して走り出した。右横に辻が走っているのが見える。
 陣地の中から何発ものこもったような銃声が聞こえる。消音器から発射される音だ。
「クソ!」
やわらかい雪に足をとられそうになりながらも西山は走った。
『第一目標を奪取した!』
リーダーの有沢曹長の声がレシーバーから聞こえた。
 ようやく陣地の中に入った西山は大きく呼吸をしながら相手方の隊員を運び出す仲間たち姿を見ていた。


『豊浜のカラスは白くなった。次の鳥かごに移動する』
高杉からの無線を受け取った山岡は、直ちに次の部隊を北海道に送り込むよう防衛大臣の大山に指示を出した。
「たったひとりの軍隊か…」
平和党の高橋が腕を組んでつぶやいた。
北海道には約三万五千人の自衛隊と、それに相当する装備。そして本州には十一万人。その自衛隊はいったい何なのだと高橋は思った。
 十一万人のうち約三万人の自衛隊を下北半島と津軽半島一帯に配備し、互いにけん制しあっている。それも、同胞どうしではうかつに手を出せないのを承知しながらだ。その北海道の自衛隊にたったひとりで戦いを挑んでいる高杉晋作のひ孫にあたるという男。
いかに独立のためとはいえ、稚内、函館、士別。そればかりではない。北海道の主要な都市をわが手に治めるために吉野は何千人もの血を流した。完全なテロ行為であり、クーデターだ。
道州制度の導入というのを北海道知事が提言してきたことがある。もう十年以上も前のことだ。当時の総理大臣は、今の山岡の前任だった。
 十四支庁、一八二市町村を擁する北海道も州として、本州からの経済の自主独立を主張してきたのだった。しかし政府はその提言を門前払いにした。
 九州は単なる呼び方の州というだけであって、経済を自主独立しようとはしなかったが、当時の北海道知事だった前島裕作は、北海道で生産される米や野菜、海産物の北海道価格を決定し、また、北海道で製品化された物の流通も北海道価格を設定して本州に買わせるという、完全なる経済の独立案を主張したのだ。
本州から北海道が経済で独立したら、中央政府の食糧倉庫としての意味がなくなる。
 東北や北陸を主体とする県が新しい州として経済の自主独立をしても同じだ。
 本州は北海道や東北・北陸の州から魚や野菜を高い金を払って買わなければならなくなる。政府としてそんなことは承諾できるはずがない。
 中央政府のために地方は存在する。食料も当然そうだ。
 地方でとれる魚や野菜は、政治や経済の中枢機関が集中し、生活をしている人口が最も多い東京を含む関東一円のために役立てるべきものであって、地方は政府から予算と補助金をもらい、黙って言うとおりにしていればいい。それを経済の自主独立などとは言語道断だった。
 一応は話を聞くということで、時の総理は前島知事を官邸に呼び、一応のの言い分は聞いたが、その時間はわずか三十分。門前払いに近い形で会談は打ち切られた。
 経済の独立をするのであれば、来年から北海道の予算は大幅に削減する。それでもいいか。それが政府の脅し文句だった。
その北海道は、十数年を経過した今、中央政府に反旗をひるがえした。
クーデターを起こしてまでそうする覚悟が北海道にはあった。あの大自然の中に営まれる農業や酪農。漁業もそうだ。
 石油に困れば廃坑になった炭鉱を再開すればいい。四ヶ所の原子力発電所で電力は十分におぎなえる。北海道には無尽蔵の未来があるのだ。
 ましてや、ロシアや中国のような第三国が北海道の独立を承認し、物資の支援をするとなると、北海道はもはや日本政府の手の届かないところへ行ってしまう。
中央主体の政治に固執しすぎた結果が招いたのか…。
 もしもこのまま北海道が独立し、中央政府と対峙する期間が長引けば北海道の独立を容認する他国も多くなるだろう。
 北海道の独立か、と高橋はつぶやいた。まさに前代未聞の出来事だった。
 高橋はふと天井を見上げた。
 江戸幕府の終焉を迎え、旧幕府軍の榎本武揚や旧会津藩の武士、新撰組の生き残りを率いて榎本に賛同した土方歳三らが、松前藩を攻め落として蝦夷共和国を設立したのが明治元年(一八六八年)の十二月十五日だ。
 その後の箱舘戦争で新政府軍に負けたことにより、わずか二年後の明治二年五月十八日に蝦夷共和国は消えた。
 しかし、わずか二年弱とはいえ、確かに日本の歴史の中に蝦夷共和国は存在した。吉野はその亡霊をふたたび蘇らせようとしているのか。
平和党の高橋は腕を組んで目を閉じた。


注)この小説はフィクションであり、登場人物や組織などは実際に存在するものではありません。






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