第12話 しおりとの別れ
十二 しおりとの別れ
統山としおりはバスルームにいた。
統山はスポンジにボディシャンプーをつけてしおりの全身を洗っている。しおりは統山のするままに黙って立っていた。
しおりは自分の全身を洗う統山をじっと見つめた。
ここへ来てから、統山の心に何かが起こったのはしおりも感じていた。今までのやさしく愛撫しながらの統山とは違う、獣のように荒々しいセックスがそれを物語っていた。その荒々しさにしおりも燃え上がり、そして乱れた。
しばらくして息が整い、統山は汗にまみれたしおりを抱いてバスルームに入った。
ゆっくりと丁寧にしおりの全身を洗う統山は、あれからずっと無言だった。しおりと目を合わそうともしなかった。なぜ急にそうなったのかはわからないが、統山の心に何かが起きたのは間違いない。
統山がしおりの全身を丁寧に洗っている。きめの細かい泡がしおりを包んでいた。肩から胸、腹、下腹部、内腿と洗っている。
統山がしおりに後ろを向かせた。しおりはされるがままに後ろ向きになった。
しおりの肩と背中のあたりでやわらかいスポンジが動いている。統山の左手が背後からしおりの腹部を支えている。そのスポンジは、背中から腰、尻へとおりて内腿へと入ってきた。しおりは目を閉じて立っていた。
しおりは統山からスポンジを受け取ってボディシャンプーをつけた。
無言の統山を見つめたが、統山はしおりと目を合わそうとはしなかった。寂しさをたたえた目で天井の一点を見ている。
その目を見たしおりは、急に悲しくなって胸が張り裂けそうになった。心の中を見せようとしない統山に、しおりはスポンジの泡を立て、統山の肩から胸へとスポンジを動かした。
しおりが統山の腹部をスポンジで洗い始めたとき、統山はいきなりしおりの両脇に手を入れて立たせた。しおりを引き寄せると左足を持ち上げ、なかば強引に挿入した。
「やめて!」
しおりは叫んだ。
「変よ!。なにか変よ!。こんなのいや!」
しおりはそう叫びながら統山の胸を押し、必死に離れようともがいた。
しかししおりの身体を掴んでいる統山の力にはかなわない。激しく下から突き上げる統山に顔をそむけるのがやっとだった。
「いやっ!」
しおりは統山の胸を押し返しながらも、心とは裏腹に統山の激しい動きで押し寄せる快感に襲われていた。
「ああ…」
激しく動く統山にしおりが声を出した。
統山がなぜこれほど豹変したのかはわからないが、セックスにはいろいろな形があるのはしおりも知っている。統山がしおりにこの形を求めているのだ。そう思うと徐々に快感が押し寄せてくる。
心の中ではこの乱暴なセックスを拒絶しようとしても、身体はその快感には耐えられない。また、耐える必要もないことだとしおりは思った。
統山はしおりをバスマットに寝かせた。統山の動きが早くなった。きつく閉じたしおりの目から大粒の涙があふれた。
「あっ。ああ…」
しおりは押し寄せる快感に断続的な声を出しながら、重なっている統山に両手でしっかりとしがみついた。
ふたりの身体についているボディシャンプーの泡が、いつもと違う異様な感覚を生み出していた。
「乱暴なことをしてすまなかった…」
居間のソファーに座ってウィスキーを飲みながら、統山は向かいに座っているしおりに頭を下げた。
小さな電球だけが点いている。ふたりともバスローブに身を包んでいた。
バスルームから出て二十分ほどが過ぎている。外はすでに夜明けが近いようだった。
しおりも水割りを飲んでいる。
ふだんからメイクもほとんどしていない素顔のしおりは、その身体と同様、年齢を感じさせないほど若々しかった。そのしおりが統山をじっと見つめている。
「貴之さん。どうしてわたしを見ないの?」
しおりが言った。その表情が堅い。
「ここへきてから、一度もわたしを見てくれないわ」
バスルームから出たあとも、統山はなぜかしおりと目を合わそうとしなかった。
バスルームで泡にまみれながら統山は激しくしおりを抱いた。そしてしおりの中で達したあと、統山は浴室用の腰掛に座ってしおりをひざに抱いた。
しおりの身体をシャワーで洗い流し、統山はいとおしむようにしおりの全身を手と唇で愛撫した。
三十分近くしおりをひざに抱き、唇はもちろん、顔全体や耳、髪、首筋、肩、背中、尻、腕から両手、脇、乳房と乳首、太腿から内腿、ふくらはぎ、足の指一本一本にいたるまで無言で愛撫を続けた。
それまでの荒々しさではなく、やさしさといとおしさにあふれるような愛撫だった。
愛撫を続ける統山は何を心に思うのか、寂しさをたたえたままだった。しおりの目からは涙があふれて止まらなかった。統山は涙でぬれたしおりの目にも唇を付けた。
「貴之さん…」
しおりは統山の胸に顔をつけた。しおりをひざに抱く統山が徐々によみがえるのをしおりは内腿で感じた。
「………」
しおりは統山のひざを降りて身をかがめると、統山を口で愛撫し始めた。
温かいしおりの唇と舌に刺激され、統山の分身は完全によみがえった。
統山はしおりの口から自身を抜いて立ち上がると、しおりの両足を抱えて、立ったまま滑り込ませるように挿入した。
「ああ…」
統山が入ったのを感じたしおりは、顔をのけぞらせて声を出した。
統山はしおりの首や乳房を口と舌で愛撫しながらしおりの中で動いた。統山の腰に回しているしおりの両足を抱えながら、統山はしおりに唇を重ねた。
「ン、ンン…」
唇を合わせながら、しおりは快感に耐え切れず声を出している。
やがて統山の動きが早くなった。達するのが近いのだとしおりは思った。
「ね、ねえ、お願い。わたしに…。口に、ちょうだい…」
しおりは統山の目を覗き込みながら言った。
しおりは統山から身体を離すと、かがんで統山を口に含んだ。
統山は、自分を包み込む感触に我慢の限界になった。しおりは統山を含んだまま統山の腰にしっかりと両手を回している。
「しおり!…」
統山は限界だった。口に含むしおりの頭を両手で押さえていた。
「う…」
そのしおりの口の中で統山が達した。
しおりの口の中で統山が脈を打っていた。放出された統山の絶頂の証しを、しおりはためらうことなく飲み込んだ。
「これから、どうする?…」
統山が言った。
「どうって?…」
「どうやら、旭川は何事も起こっていないようだ」
統山はそう言ってウィスキーを飲んだ。
「何事も起こっていないいじょう、きみはおれと一緒にいる理由はなくなった。きみの会社もあるし、アパートもある…。やっと自由の身になったということだ」
統山は、そう言ってしおりを見た。
「………」
しおりも統山を見つめている。
数時間ぶりに統山はしおりと目を合わせた。しかしすぐに統山はしおりから目をそらした。
「なぜ?…」
しおりは聞いた。
「どうしてわたしを見てくれないの?。わたしのことが嫌になった?」
しおりは、自分と目をあわせようとしない統山を見つめた。
「きみとは、稚内から無事に出るというだけの約束だった。だから…」
「だから、もう出て行けって言うの?」
しおりは唇をかみ締めて統山に言った。
「そうじゃない。きみにも旭川に両親や兄弟が…。家族や友人がいるだろう」
恋人も、と言いたかったが、その言葉は口に出さなかった。いるわ、と言われたら自分のみじめさが増すだけだ。
統山はまたウィスキーを飲んだ。
「おれは、高杉とかいう男に助けられながらとはいえ、何とか約束どおりきみを守り通すことができた。だが、それは恩にきることはない。きみはとても美人でやさしくて素晴らしい女性だ。魔窟からの逃避行とはいえ、きみと一緒で本当に楽しかった。十五才も歳の離れたおれのようなおっさんと…。おれはきみに心から感謝している」
統山は、ウィスキーのグラスをテーブルに置いて煙草を持った。
「もうきみは自由の身だ。どこで何をしようともな…。きみにはきみの人生がある。おれのことは忘れてくれていい」
統山はそう言って煙草に火をつけた。
「………」
しおりは統山をじっと見つめている。
「このとき…。別れが来るのはわかっていたはずだ」
別れが来るのは統山にはわかっていた。しおりもそれはわかっていたはずだ。
ただの行きずりにしか過ぎない男と女。魔窟から脱出するという共通の目的があり、その目的のために男は女を抱いた。女もそのためだと割り切っていたはずだ。
自分にはない腕力と行動力をカバーするために、女は男に助けを求めた。とうぜん男が女を求めるという可能性も承知のうえでだ。そしてそのとおりになった。男は本気で女を抱き、その女のもつ魅力のとりこになった。
短い行きずりか、あるいはいつ魔窟の手先に殺されるかという恐怖の中で、男と女はお互いの心と身体を求め合い、恐怖と不安から逃れようと必死になっていたのだった。
そして逃避行の終着である目的地の旭川に着いた。
自分がしおりに未練があるとはいえ、そのためにしおりをいつまでも縛り付けることはできない。
この旭川も魔窟の渦に巻き込まれていると理由をつけ、しおりをそばにおいておく事はできようが、それでは統山自身の気持ちが許さない。
本当に旭川が魔窟となっていないとしおりが知ったとき、そうまでして自分を縛っておいたと、しおりは軽蔑とともに統山のもとを去るだろう。
しおりは三十歳を過ぎたとはいっても、水をはじくようなその肌は若々しく身体の線に崩れはない。どうみても二十代の身体だ。
形のよい乳房は少女のそれのように堅さと張りを失わず、足が長く、大き過ぎない尻も自慢するように張っている。それは何度もしおりと体を重ねた自分がよく知っている。
それに、なんといってもこれほどの美人だ。四十五歳の統山とは住む世界が違う。けっきょくは別々の道を歩く運命にあるのだ。
しおりとの別れが…。その辛いときが今か、もう少し後になるかの違いだ。
どうせ別れるのなら、女に憎まれて別れたほうが気持ちの切り替えはできる。男は未練心にさいなまれるだろうが、どうせ辛い思いをするのなら早いほうがいい。その分、忘れるのも早いはずだ。
「ゆっくり休んだら、きみは好きなところへ行くといい。おれも少し眠る…。出てゆくときは、おれに断る必要はない。ドアはオートロックだ」
統山は笑って言った。そしてしおりを見つめた。
「………」
しおりも統山を見つめている。
統山は立ち上がって和室に行き、耐火金庫の引き出しから封筒を取り出して中から百万円の札束を持って居間に戻った。
「北洋テレビは給料がいいんだ。楽しい思い出をくれたお礼だ」
そう言ってしおりの前に置いた。その札束をしおりは見つめた。
「これ、手切れ金のつもり?」
しおりは統山を見た。
「わたしは商売女じゃないわ」
しおりは静かな口調で統山に言った。その目には怒りが現れていた。
統山は手切れ金のつもりだった。それをしおりの目の前に置くことでしおりが侮辱されたと思い、統山に対する怒りが湧いてくれば、しおりも心置きなく出てゆけるはずだと考えたのだ。
自分がしたことへの軽蔑と痛恨に、心にチクリと針が刺さったような痛みを感じた。
「わかっている。おれだって、きみをそんなふうに思ってはいない。遠慮することはない。あの高杉ではないが、持っていて邪魔になるものでもないさ」
統山は、テーブルの上にあった飲みかけのウィスキーを飲んだ。
しおりに対する未練を隠すための芝居のつもりだったが、のどを焼く生のウィスキーの刺激に統山は少し顔をしかめた。
「おれは、左側の洋室で寝る。きみは…」
おれがきみを抱いた部屋で、と言いそうになったのを統山は押さえた。
「きみは、最初に入った洋室で休むといい。すまないがシーツは換えてくれ。クローゼットの中にクリーニングしたのがある。じゃ、おやすみ。いや、さよならか…。ほんとうに楽しかった。心から礼を言う」
統山はそう言うと、怒りを含んだしおりの横顔をじっと見つめた。
統山は客室として準備している洋室に入った。客がひとりでも、あるいは複数でもいいようにと大きめのベッドをふたつ置いてある。
サイドボードからウィスキーの瓶を出し、グラスに注いでチーズをかじりながらしばらく飲んだ。高杉から渡された拳銃を枕元に置いた。
統山には、この旭川が魔窟ではないという確証はなかった。ただ、マンションや街の中を見た感じとしてそう思っただけだ。
しおりとは今のうちに別れる。いずれ自分とは別々に生きる運命の女だ。これ以上は一緒にはいられない。
統山はベッドに入った。飲んだウィスキーが胃袋を暖めている。
時計は十二月九日の朝の午前四時を回ったところだった。
電灯を消した暗い部屋の中に、生島しおりの白い身体が浮かんでは消えた。
稚内から逃避行を始めていらい、しおりと別々に寝るのは初めてだった。
違う形でしおりと出会っていたならば…。いや、出会わないほうがよかったと統山は思った。出会い、そしてしおりという女を知ったばかりに未練が湧いている。
統山とて自分の容姿にはまったく自信がないわけではないが、四十五歳になるいままで結婚もできなかったのにはそれなりの理由がある。
仕事が忙しいというのも理由のひとつだ。年中どこかへ取材に出され、せっかく買ったこのマンションになどは、週に一度帰れればいいほうだ。
見た目のよい女が多いテレビ局でも、二十歳そこそこの若い女子アナは四十をはるかに過ぎたカメラマンなどは相手にもしない。
女子アナたちは、同年輩の男でもたいていは金回りのいいディレクターかプロデューサーの愛人か恋人になる。三十歳を超えた女子アナや職員もいるにはいるが、彼女たちとて金回りのいい管理職の男に色目を使い、あわよくば玉の輿をと狙っている。
ふだんは無愛想な女子アナでもテレビカメラを向ければ笑顔になるが、それはテレビカメラで撮影されているという理由から向ける笑顔であって、カメラマンへの笑顔ではない。
沢田理香もそうだった。
北洋テレビの売れっ子女子アナとして、沢田理香は北海道でもけっこう名前が知られていた。その沢田理香とコンビを組んで仕事をするのは、局の男たちにとっては競争率の高いくじを引き当てるようなものだった。
統山も二度ほど沢田理香と組んだことがある。
その整った容姿と服の上からでも想像できる体の線に、年甲斐もなく心が乱れたこともあった。しかしレンズの前ではともかく、二十四歳の沢田理香が自分などを相手にするはずがなかった。
その沢田理香は、魔窟となった稚内で悪魔たちの性の奴隷となっているという。
統山は大きくため息をついた。
洋室のドアが閉まる音がした。しおりが部屋に入ったのだろう。
さっきの札束を見て、しおりは統山に商売女の扱いをされたと、侮辱されたと思っているはずだ。次に目が覚めたとき、しおりはこのマンションから姿を消している。
ひとときの身体を休めた場所として、しおりの思い出の中にこのマンションは残るだろうか。それはわからない。
目を閉じた統山の網膜に、均整のとれたしおりの白い身体と、そのしおりに身体を重ね、強く抱きながらしおりの全身を愛撫する自分の姿が浮かんだ。
その妄想に分身が熱くなるのを感じた。しおりを抱いたときの肌の感触と、しおりに自身を入れたときの溶けるような感覚は統山の脳にあざやかに残っている。それは決して消えることがないかもしれない。
女の経験も多少はある統山だが、しおりという女だけは別だった。
やっぱり惚れたか…。未練が過ぎるぞ、統山貴之…。
飲んだウィスキーが効いたのか、統山は枕の横に置いてある拳銃を握ったまま眠りに落ちた。
しおりは統山が言った洋室に入ってドアを閉めた。
シーツの乱れたベッドがある。ところどころに、しおりのものか統山のものかわからないが、乾いていない汗と体液の痕が残っている。
しおりはシーツをはいでそれを丁寧に折りたたんだ。クローゼットの中からクリーニングのタックが付いているシーツを出してベッドを整えた。
小さなサイドボードに数本の洋酒の瓶が並んでいる。
その一本を取り出し、お猪口のような小さなグラスに注いでひと口飲んだ。
強いアルコールにむせそうになった。飲み込んだ洋酒は食道から胃の中に落ちてゆき、胃を温めてゆく。
しおりはバスローブを着たままベッドに横になり、身体に毛布をかけた。毛布の中で、しおりは母親の子宮の中にいる胎児のように身体を丸めた。
心の真ん中に穴があいていた。冷たい風が吹き抜けるような塞ぎようのない心の穴だ。その穴を塞いでくれるのは統山だけだ。しかし、統山はしおりを突き放そうとしている。
戻ってくるんじゃなかった…。
しおりは旭川に戻ったことを後悔した。戻ってこなければ、もっと逃避行を続けていたならば、統山もしおりと別れようとは思わなかっただろう。
もっと遠い札幌や函館なら。もしも東京なら、あと数日、いや、一ヶ月以上は統山と一緒にいられたはずだった。
しおりの目から涙があふれた。その涙は頬を伝い、枕を濡らした。
いやよ…。
しおりは心の中で叫んだ。
統山に抱かれている自分の姿が脳裏に浮かんだ。
ベッドの上で統山の手がしおりの乳房を愛撫している。
統山はしおりに唇を重ねている。心を溶かし、安堵感を与えてくれるくちづけだ。
しおりを抱きしめながら統山の手が脇腹から下腹部へ。そしてしおりの敏感なところを探っている。
やがて、統山はしおりに身体を重ね、ゆっくりとしおりに入ってくる。
自分の中に統山が入った感覚がわかる。しおりの全身に溶けるような快感が押し寄せてくる。規則的に動きながら統山はしおりの全身を口と手で愛撫する。くすぐったいようなその感覚もしおりは好きだった。
しおりには、それほど多く男に抱かれた経験があるわけではない。五年以上か、もっと前に付き合っていた男と数回寝ただけだ。
その男は、しおりにやさしく口づけをしたり、しおりの身体を愛撫することもなく、避妊具をつけてしおりに挿入し、自分だけ満足するとさっさと帰ってしまう。心が冷え切ったような男だった。それがしおりにとって初めての男だ。
その男とは一ヶ月ほどで別れた。同じ会社にいたが、その男の顔も見たくなくなり、しおりは退職して今の不動産会社に入社したのだった。
稚内のホテルで統山に抱かれることを決心したときも、どうせ男などはみんな同じだと思った。一緒に連れて行ってもらうためには、女としての性を提供するのは仕方がないと割り切った。それしかしおりには方法が見つからなかったのだ。
粘りつくような目で自分を見張っている男にレイプされるよりは、まだ統山という男のほうがましだと…。
女としての身体には少しは自信があった。十七歳のときに旭川全高校のミス・ハイスクールに選ばれたこともある。大学のときも男子に人気があったが、慎重というか古風というのか、二十五になるまで男というものを知らなかった。
こんなことに巻き込まれるまでは、毎日のようにジョギングやエアロビクスを欠かさなかったから、体型はその頃とあまり変わってはいないが、二十歳、二十五歳、三十歳となるうちに、あの頃の肌の艶も無くなってきている気がする。そういう年齢になったのだ。それもしかたがないと思う。
男から見た女の魅力はわからないが、自分では、胸やお尻が極端に大きい今の若い子やタレントと比べて、それほど大きすぎない胸や、締まった腰や尻は好きだった。
初めて会った男に稚内から連れ出してもらう代償としては、自分の身体はそのくらいの値打ちはあると思った。だから自分から覚悟を決めて裸になり、心の中では自分を軽蔑しながら統山を誘った。
統山という男は、自分が思っていたよりも優しく扱ってくれた。
統山は、しおりの全身を時間をかけて愛撫し、しおりの身体から固さがとれるのを待って、そしてしおりに入ってきた。
達したあとも統山はしおりの身体を抱きしめ、汗にまみれたしおりの全身をタオルでふき、また身体を重ねて唇と手で愛撫を繰り返した。
こういう男もいることをしおりは知らされた。
ここへ来るまで何度統山に抱かれたかわからない。何度抱かれても統山は優しくしおりを扱ってくれた。そして正体不明の男たちに襲われたときも、統山は身体を張ってしおりを守ってくれた。
単に稚内から連れ出すという約束だけではできないものがある。自分だけが逃げようと思えば、どこかでしおりを置き去りにもできたはずだ。
しおり自身も、いつ統山に置き去りにされるかと不安だった。しかし統山はそれをしなかった。
何があってもきみを守る、と言ったその言葉を統山は貫いたのだ。
いつしか、その安心感を与えてくれる統山という男を、しおりは全てを捧げてもよいと思うほど好きになった。だから、統山の絶頂の証しを自分の中に残したくて、しおりは自分から統山を口に含み、それを飲んだのだ。
カチャッという金属音がした。しおりは飛び上がるように身体を起こした。心臓が高鳴っている。音は玄関のほうから聞こえた。
もしかすると、魔窟から統山としおりを追いかけてきた殺し屋では…。そう思うとしおりの全身に鳥肌が立った。
いや!。貴之さん、助けて!
しおりは頭から毛布をかぶって、両手で胸を覆い、身体を丸めてきつく目を閉じた。
殺される…。
殺し屋がドアを開けたような気がした。
殺し屋は、毛布の中で丸くなって震えているしおりに気付き、乱暴に毛布とバスローブを剥ぎ取る。丸くなっているしおりの身体を無理やりに押し開いて泣き叫ぶしおりをレイプし、汚らわしい思いを遂げて、そのあとでしおりの首を絞めて殺す。
貴之さん、助けて!
しおりは身体を固くしたまま震えていた。いつ毛布を剥ぎ取られ、粘りつくような目の男が自分に覆いかぶさってくるのか。それを考えると体中の血が凍る思いだった。
だが、いっこうに毛布を剥ぎ取られるような気配はなかった。
部屋の中はしんとしている。しおりは恐る恐る毛布から顔を出してみた。部屋には粘りつくような目を持った男はいない。
だがあの音は…。
しおりは静かに身体を起こした。せめて下着くらいは着けたかったが、荷物は居間においてある。ひとりで暗い居間に行くのも不安だった。
ドアノブを静かに回して少しだけドアを開け、玄関のほうを見た。廊下にも玄関にも人影はなかった。ドアの下に新聞が落ちている。
統山とここへ来たとき、玄関の内側に大量の新聞や郵便物が溜まっていたのをしおりは思い出した。
新聞配達や郵便配達はマンションのメインロックを開錠できないから、重要なものではない限り全て管理人に預けてゆく。その管理人が各部屋に仕分けをして郵便受けに入れてゆく。よその人にもって行かれることもあるので、内側に落ちるまで押し込んでゆくのだと統山が言った。
あの音は管理人が郵便受けから新聞を押し込んだ音だったのだ。
しおりは大きなため息をついた。顔から血の気が引いているのが自分でもわかった。心臓は鼓動が聞こえるくらいに高鳴っている。
しおりは統山が寝ている部屋の前に立った。おそらく鍵はかかっていない。
ドアノブを回そうとして、しおりは思いとどまった。
統山はしおりの存在を拒絶し始めている。何が統山の心に起こったかはわからない。いまさら統山の部屋に入っても、統山の心は変わらないように思った。
統山が寝ている部屋のドアのノブと、それに手を添えている自分の右手をしおりはじっと見つめていた。その目から涙があふれた。
貴之さん…。
しおりは統山の部屋のドアに額を押し付け、両手の手のひらをドアにつけた。体が小刻みに震えている。
声を押し殺してすすり泣くしおりの頬からいくつもの涙が床に落ちた。
ひとしきり泣いたしおりは、部屋から毛布と枕を持ち出し、音を立てないように統山が寝ている部屋の前の廊下に敷いて、もう一枚の毛布を身体にかけて横になった。
枕に頬をつけ、海老のように身体を丸めて目を閉じた。
少しでも、たとえドアで統山と隔たりがあろうとも、壁が二枚よりは一枚のほうが統山の近くにいるという安心感がある。
少し落ち着いたのか、しおりは軽い寝息をたてはじめた。その目から涙がひとすじ流れた。
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