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非幸福者同盟 作者:相羽裕司

第十二話「この世界ともう一度」

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251/母から子へ贈られる翻訳された永遠の詩

 ブレッド湖までの移動は、ジョーと志麻が車の後部座席に座って揺られるかたちになった。

 運転手のユーレさんはもともと観光に関する意識が高い人らしく、スロヴェニアの歴史のこと、リュブリャナの象徴の竜のこと、観光名所のポストイナ鍾乳洞のことなどを、ゆったりとした英語で語ってきかせてくれた。

 八月十二日に真実大王が「S市」に襲来して以来、ここまで事態が矢継ぎ早に展開してきた。疲れもある。ユーレさんの言葉のリズムは心地よく、ジョーは異国の道中でしばしの微睡の中へと落ちてゆく。

  ///

 スロヴェニアへの出立前。「S市」の空港へ向かう途中のことである。「駅」で母のカンナがジョーのことを待っていた。

 二十歳を超えるカレンの母でもあるのだからそれなりの年齢ではあるのだけれど、年老いたという感じはまだしない。ジョーの祖母・アンナ譲りの金色(こんじき)の髪が揺れると、柔らかな印象の女性という感じ。鼻筋が通っているのは彼女がハーフであるゆえんでもあって、やはり同じく異国風の顔立ちが残るジョーの母だと感得される。パッチリと見開かれている瞳は、惹きこまれそうな蒼穹だった。

「繋がりの力だけでも、進展の力だけでもダメなの」

 と、母は言った。

 そしてそこから、少し彼女自身に諧謔(かいぎゃく)を向けるような調子で。

「それをちょっと言い換えると、愛情だけでも、お金だけでもダメなの」

 と、真面目と不真面目の狭間のような様子で続けた。

 母がジョーに渡してよこしたのは羊皮の財布で、中にはかなり長期間の海外渡航でも十分なくらいのお金が詰められていた。紙幣は日本円とユーロとドルからなっていた。昨日今日で準備できるものではない。母も、いつかジョーがスロヴェニアに向かうことを予期していたのだとジョーは気がついた。

「アリカさんに、会いに行くんでしょう。アスミちゃんのために?」

 ジョーは頷いた。

 母は少しだけ昔日に想いを馳せるように、虚空を見つめた。

「子供のあなたとアスミちゃんが人形劇を観ている間にね。喫茶店でアリカさんに、父からの手紙を渡したのよ。アリカさんがスロヴェニアに渡ったのは、たぶんそれがきっかけ。少し、責任も感じている」

 スヴャトの記憶にあった手紙だ。その手紙を経由して中谷(なかたに)理華(りか)の「本当の本質能力(エッセンテティア)」でオントロジカの「交換」が可能だと知ったアスミの母・空瀬アリカは、十三体目以降のアスミの「義体」のオントロジカを借り受けるため、アスミと縁あるスロヴェニアへと渡ったのだ。アスミとの関係性を「交換」の対価に差し出しながら。

「ジョーは帰ってこないと、ダメだよ?」
「分かってる。祖父ちゃんは凄い人だったけど。自分を犠牲にすることは、真似しないつもりだ」
「そう。それが聞けて、ちょっとだけ安心したかな」

 自分に物心がついた時からそこにいた大人の母と。スヴャトの記憶の中に出てくる幼い母の両方がジョーの心の内にあった。

 随分と母のことも知った――知ってしまった気がしていたジョーだったが、その前提はすぐに打ち消された。続いて母が詠じはじめた言葉の連なりは、ジョーとスヴャトの二つの記憶をもってしても思いがけないものだったからだ。

 ジョーもスヴャトも「知らない」母・宮澤カンナの歴史が二つある。

 この詩は、そんなジョーが知らない母の歴史の一つ目の結果である。

 母・カンナには、彼女なりの「その後」に積み重ねた時間があったのだ。


――A bridge on the right hand(右手に橋を).


 母はジョーの額に優しく指をあてると、英語の言葉を紡ぎ始めた。


――A tower on the left hand(左手に塔を).


 それは、宮澤家の女に伝わる永遠(とわ)の詩――『非幸福者同盟』の英訳であった。


――A shrine in my heart(胸には祠).


――What am I constructed with?...(私を作っていたのは、なぁに?)


……


……


……


 母から贈られた英訳版『非幸福者同盟』の言葉が「たましい」の奥の方に響いていく頃、ジョーはあることに気がついた。

 背骨の辺りに感じていた藤色の線のイメージが「二重」になっていたのだ。「二」として存在しながら、その全体が同時に「一」でもある感じ。その二重性は、とても強いことのようにジョーには思われた。

「ありがとう」

 これだけは、母に伝えておかなくてはならない。

「スヴャトは。祖父ちゃんは、最後まで母さんのことを愛していたよ」

 母は少しだけ困ったような顔をして。

「そうなのかしら。生きてるうちに、言ってくれていたら良かったのにね」

 と。何かを懐かしむように。慈しむように。言葉を噛みしめた。

  ///

「宮澤くん!」

 張り詰めた志麻の声で、ジョーは現実へと引き戻された。

 志麻の声が緊張をはらんでいる理由もすぐに分かった。事態は風雲急を告げていた。走行中の自動車の後方から、何らかの存在変動律が迫ってきているのだ。

 色は無色。そして、強い。

 オントロジカの微細なニュアンスを読むことに長けたジョーにはすぐに直覚された。敵である。

「Can this car drive with more speed?(もっと車のスピードを上げられますか?)」

 振り切れるものなら、振り切りたい。ユーレさんに英語でそう伝えると。

「The being chasing us?(後ろのヤツかい?)」

 驚きの返答が返ってきた。少なくとも、ユーレさんも存在変動律を感知できる人間であるということになる。

「I try to!(やってみる!)」

 そう言ってアクセルを踏み込むユーレさんだったが、事態はさらにこちらの予測を上回る。後方の敵存在変動律が、一気に加速したのだ。ジョーには敵が高速で跳躍したことが分かった。

 直後、車上に重い衝撃が落ちてくる。

(飛び乗られた!?)

 攻撃が来る。ジョーがそう感じ取って隣の志麻を守るように抱き寄せたのと、ユーレさんがアクセルから今度は急激にブレーキに踏み変えたのは同時だった。

 車体が円を描くのと、車上から鎚を撃ち下したような力が伝わってくるのは同時である。

 様々な方向の力が一気に交錯し、場に大きな破壊音が響き渡った!
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