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非幸福者同盟 作者:相羽裕司

第十一話「君の名前は」(後編)

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240/母の真相

 アスミの父の話が続いていた。

 アスミは体の中心の穿(うが)たれた部分に左肘をあてて、立ったまま聞いている。

「お金やエネルギーと似ていてね、オントロジカは使う以外にも、貯めたり増やしたりすることもできる。その方法は二つあって、『贈与』と『交換』だ。『贈与』はただ与えること、受け取ること。『交換』は、何かを対価に差し出して代わりに受け取ること。

 さて、明日美(アスミ)の十二体の義体に使うことが出来ていた十二年分のオントロジカは、これは『贈与』によって受け取ったものだ。誰から受け取ったのかまでは確証がないのだけれど、新和さんの話だと、この『S市』の『郷里』から貰ったような形であるらしい。けれど、その頂いた分は、間もなく尽きようとしている。そこで、母さんの話だ」

 アスミは貫かれた身体の心臓のあたりがギュっと収縮するような緊張を覚えた。アスミにとって、ある意味「世界」の成り立ちについてよりも、核心的な話が始まろうとしていた。

 つまり。母――空瀬(からせ)アリカについて。

「明日美という『存在』を続けていくために、十三年目以降のオントロジカを、何処かから『交換』してくる必要があった。義体との相性もあるから、明日美と『縁』がある場所のオントロジカである必要があった。そこで、母さんはスロヴェニアに渡った。『交換』でスロヴェニアの地のオントロジカを借り受けて、まだこの世界に存在しない、アスミの十三体目の義体を作るために。

 『交換』だから、母さんは母さんの一番大切なものを『対価』に差し出した。それは、明日美との『関係性』だ。この『境界の時間』まで、明日美が母さんと会えなかったのも。父さんが母さんに関する話すら伝えられなかったのも、そのためだ。ギリギリまで差し出して、ギリギリまで貯めていたんだ。一年でも一日でも、一分でも明日美に続いていってほしかったから。

 今、『境界の時間』は訪れた。宮澤ジョー君が『紫の館』のドアを開けて、明日美の誕生日が訪れるまでの時間だ。それは結果的に、四日間という時間になったわけだけれども。果たしてジョー君がもう一度扉を開けることがあるのか。また、開けた先の『選択』でどちらを選ぶのか、父さんも母さんも何の確証もなかった。それでも、数少ない親和さんの記憶が残っていた者として、父さんと母さんは『仮説』を組み立てることができた。報われるかは分からなかった。それでも、僅かにある可能性にかけるために、母さんはスロヴェニアへと渡って行ったんだ」

 父の言葉が、穏やかに胸に染みこんでくる。自分の母にまつわる真相が、静かに心と体に響いてゆく。

「それじゃ……」
「ジョー君が『選択』でどちらを選ぶのかは分からない。一方を選べば明日美は続いていける可能性が残るし、別の方を選べば、明日美は途切れてしまうだろう。でも、どちらが選ばれることになるとしても」

 父は言い切った。

「父さんも母さんも、明日美を愛している」

 アスミの瞳から、自然と涙が零れていた。死んだような目。人形の双眸(そうぼう)でも関係ない。流れているものが本物の涙なのかも関係ない。ただ情動が、自分という存在の内側から溢れてくる。

 親友の志麻の精神の葛藤をずっと近くで見ていたので、それが当たり前でないことを知っている。どれだけ尊いことか、知っているのだ。


――自分(アスミ)は、母に愛されている存在だったのだ。


「どう、して。そんな大変な事を、私のために。手間暇、すぎるわ」

 父はソファから立ち上がり、ゆっくりとアスミの元まで歩み寄ると、震えるアスミの、欠落した体を優しく抱きしめた。

「明日美、実った果実をもごう、よこせ、よこせと狂騒する世界だけれど。種を植えたり、水をやったり、丁寧に育てる、付き合う、ということは大事だ、ということだ。オントロジカは、そんな穏やかな過程にこそ宿る。今から後、明日美が存続できるのか。もし、続いていくことができたとしても、明日美が普通の意味で子供を授かる身体になるのかは分からない。でも必ずしも子供じゃなくてもいい。大人になったら、丁寧に時間をかけて育て続けるということをやってほしい。例え何度、実った果実を暴食する方が楽だ、という暴力の言論がアスミを襲ってきたとしても、だ。

 まだ色々と話すことはあるけれど、もうすぐ『選択』の時間だ。どちらを選んだとしても、ジョー君がここにやってくると思う。ちゃんとしておこう。顔を洗って。服を着替えておきなさい」

 空っぽのはずの心臓なのに、確かに鼓動する「音」が聴こえている気がする。

 鼓動は、ずっと聴こえていた気がする。

 同じようなリズムを繰り返しながら、ずっとアスミをこの世界に繋ぎとめていた父と母から貰った「音」の正体はたぶん。

 アスミは言葉にするのをやめた。

 フと、アスミが美しいと思った街灯りの情景には、背後に柔らかなBGMが流れていたのだと思い至った。アスミという不可思議な存在もまた、そんな街の音楽を形成している一つの「音」なのだ。

(ありがとう)

 本当はずっと聴き続けていた、その優しい「音」に、アスミは感謝の気持ちを「意味」として結びつけた。
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